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December 04, 2004

今年のサッカー本を振り返る

 12月。そろそろ1年を振り返る頃。ということで、勝手に恒例にしているサッカー本のベスト3を選んでみたい。対象は03/12から004/11に出版された本。

 まず、目に付いたのは"気になるサッカー本"の少なさ。しかも01/02シーズンの『日本サッカー史 代表篇』後藤健生、双葉社や、02/03シーズンの『狂熱のシーズン ヴェローナFCを追いかけて』ティム・パークス著、北代美和子訳、白水社という誰もが認めるような圧倒的に素晴らしいサッカー本が今年はなかった。2002年のサッカーバブル後、ちょっと落ち着いてしまったかな、という印象。ということだが、気分を出して選んでみと…。

 第一位はやっぱり、これかな。『サッカーの国際政治学』小倉純二、講談社現代新書

 2006年を見据えてということだろうか、『日韓ワールドカップの覚書』川端康生、FOOTBALL Nippon Booksもふくめて、FIFAという組織の中で日本サッカー協会がどのようにふるまったらいいのかという問題意識が高まってきているのではないだろうか。日本のスポーツ界全体をみまわしても、ますますこうした国際社会を舞台にした駆け引きの経験値を積んだサッカーの地位は高まっていくだろうと確信する。密室政治の醜態をさらす結果となったプロ野球とは対極にある、グランドデザインを提示した上での情報開示と説明責任をやっている日本サッカー協会は、それなりの組織になったんだな、と思う。

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 第二位は『サッカー移民―王国から来た伝道師たち』加部究、双葉社

 近代日本サッカーを育ててくれたのはクラマーさんと、クラマーの助言によって生まれた日本リーグだけど、いまの日本サッカーに南米の香りがどことなく残っているのは、日本リーグにやってきた日系二世、三世のブラジル人たちだと思う。意外だったつうか納得的だったのは、日系の人たちは、教育熱心で、子供たちにはあまりサッカーをさせなかった、ということを口々に彼ら日系プレーヤーが語るんですわ。勉強しないと、ストリートの黒人みたいになるぞ!ということで、彼らも親の眼を盗んでサッカーに興じていたという。そして、一応、勉強とかもちゃんとしていて、翻訳とかのアルバイトもサッカーの副業として日本でやっていたとか。なんともいじらしい時代があったんですな。

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 第三位はまよったけど『ぽいち 森保一自伝』森保一、西岡明彦、アスペクト

 テレビ画面からも誠実さが伝わってくるような選手のマジメな自伝。「ああ、こういうまっとうな人生もあるんだなぁ」みたいなことを感じさせてくれた。森保は若手に「試合前どうしても緊張して困るんですが」と相談されると「それはお前が試合のことをいろいろ考えて準備している証拠だ」と答えていたそうだが、その言葉は代表合宿で柱谷から聞いた言葉だということを、この本を書く中で思い出したそうだ。代表合宿というのは、そのしたものも受け継がれていくんだと思う。

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 3月にこのブログを開設した後に読んだサッカー本に関しては、すべて感想を書いているけど、その前のものは、別なBBSに書いていた。参考に、それらもアップしておきます。

 最後に…何も差し上げられませんが、パチパチと拍手を送ります。面白い本をありがとうございました。

『サッカー移民―王国から来た伝道師たち』加部究、双葉社

 塩野さんの『ローマ人の物語12』を読んでいたら、疑問を持ちつづけるというような場合の「持ちつづける」ことをイタリア語では、アカレッツァーレ(accarezzare)、愛撫する、というそうだ。

 素晴らしい語感だが、不詳アタシが長年抱き続けてきた疑問を解消してくれる本が出た。それが『サッカー移民―王国から来た伝道師たち』。

 この本は日系二世、三世たちがブラジルで助っ人としてスカウトされてくる話と、純粋な(?)ブラジル人が日本で助っ人にやってくる話を交互に、歴史を追って物語ってくれている。

 で、分かったのは、ネルソン吉村さんをはじめとする初期の日系二世たちはAUSP(二世連合会)という組織でつくっていたリーグに所属していた選手から引き抜かれたこと。そしてヤンマーが嚆矢となったのはブラジルに工場を持っていたからなんですね。そしてジョージ小林、パウロ横山をへてコリンチャンスに所属していた本当のプロだったセルジオ越後さんが続く(アタシは越後「さん」とつけます)。

 この後、セレソンのキャプテンをつけていたオスカーをはじめ、続々と本当のスター選手たちが日本リーグ、そしてJリーグに参加し、フランス大会の前ぐらいになると、セレソンの半分ぐらいが日本でプレーすることになるーという歴史が刻まれる。

 情報としてありがたかったのが、オスカーがサウジアラビアで主に監督の仕事をしていることやマリーニョがかなーり本物のクラッキだったということを知ったことかな。


『理想のフットボール敗北する現実』大住良之、双葉社

名著。時間がない人は最後のミッシェル・イダルゴのインタビューだけでも読んでほしい。

 おおざっぱな内容は、現在のレアル・マドリー、74年のオランダ代表、82年のブラジル代表、プラティニ時代のフランス代表という4つのスーパーチームに関する詳細なレポートというもの。なーんだ、と思う人も多いと思う。それほど、この4チームに関しては書かれてきたからだ。でも、様々なディテールが盛り込まれていて、飽きさせない。ぼくが知らないだけなのかもしれないが、アヤックスはユダヤ人が援助していたチームだったのでナチス時代にはスタジアムが破壊されたとか(p.68)、野球少年だったクライフがキャッチャーとしてメジャーリーグを目指していたとか(p.74)、バルサに去ったミルケスに代わってアヤックスのコーチとなったコバチはバスケットを参考にプレッシングの概念を思いついたとか(p.86)、オランダ篇だけでも頁を折った箇所はたくさんある。

 それと改めて「そうだったなぁ」と思い出すのは、82年のブラジルもフランスも、攻撃的なミッドフィルダー4人で中盤をつくる形は、偶然に生まれたということ。ブラジルの場合は強力なFWがいなかったから、W杯初戦の後、FWをひとり減らして4人を決めたわけだし、フランスの場合も、プラティニがケガした時に代役でつかったジャンジニの出来があまりにもよかったから「プラティニ、ジレス、ティガナ、ジヤンジニ」の4人同時起用をイルダゴが賭けとして行なったものだ。どちらも4人同時起用の初戦がスコットランド、北アイルランドという力がやや劣るオーソドックスなチームというやりやすい相手だったということもあり、爆発的な効果を発揮して、以降、定着したわけだが、こうしたディテールは改めて指摘されないと忘れていたな、と。

 それにしても、最後のイダルゴのインタビューは素晴らしい。トルシエの取り巻きとしてしか思われているかもしれないけど、田村修一さんの語学力は素晴らしいんじゃないかと思う。だてに文芸春秋から本は出してもらえないな、と改めて感心した。

―― スペインワールドカップでは、やはりセビリアの話は避けて通れません。
イダルゴ きたか…。西ドイツ戦は今も心の傷だ。(p.265)

イダルゴ (前略)人生においては、好きなことだけをやればいい。それ以外は何をしてもメリットなどない。
―― メリットはありませんか?
イダルゴ ない。多くの人びとが、自分が選んだのではないかとをやっている。しかし君は、ジャーナリストになりたくてなったのだろう。すばらしいではないか。(p.271)

などテープ起こしの原文を読んでみたくなるような素晴らしい翻訳だ。

 最後は、ジーコの師である、テレ・サンターナが親善試合のソ連戦で破れたとき、非難を受けて答えた言葉を紹介して終りたい。

「プレーヤーたちの能力に疑いはない。相互理解が深まればすべてよくなるはずだ」(p.142)

 これはジーコも言いたいことだと思う(そして、それを後に証明した)。


『杯 WORLD CUP』沢木耕太郎、朝日新聞社

 1月に出てから、コアなサッカーサイトで誰か、この本の批評を書くかな、と思ってチェックしていたのだが、結局、見つかりからなかった。ぼくも立ち読みで、2002年W杯の日本代表選手が発表される記者会見のくだりを読んだだけで「ちょっと致命的に勉強不足だ」と思って買わないでいたのだが、かといって、若い人たちが、沢木さんの本を完全に無視するのもひどいんじゃないかと思い、なかば義務感にかられて読んだ。

 この本のキーワードは、もしかすると過剰な深読みかもしれないのだ、p.67の「非専門家」という自己規定ではないか。親鸞が自分を「非僧非俗」と規定していたが、沢木さんがわざわざ自分を「非専門家」というザラついた日本語で呼んだことは、遠く親鸞のことまで考えたんじゃないのか、と思えてならない。「非僧非俗」という言葉には出家者の共同体である僧(サンガ)には属してはいないけれども、やはり俗でもない、という重層的な否定の中で自分をみつめた省察が込められている。同じように沢木さんの「非専門家」という言葉にも、本格的な戦術論や選手の技術については語れないけれども、日本語でスポーツジャーナリズムを切り開いてきた人間として、やはり触れなければならなかった、という意味を感じる。

 出だしで沢木さんは23人のメンバー発表の席にトルシエ監督がいなかったことに腹をたてる、これは、フランスW杯のとき、岡田監督に選手発表をやらせて、それがカズ落選という爆弾を含んでいたために、監督の本来業務にも差しさわりが出てしまったということを踏まえて、最終的なメンバー発表は協会が行おうという反省の上にたって行われたもの。それを知ってか知らずか、まあ、W杯は事実上、その日から始まったという形から入りたかったのかもしれないけども、コアなサッカーファンならば、ここの部分を読んだら「あとは推して知るべし」と本を置いてしまうことは十分考えられる。

 しかし、沢木さんは、個々のサッカーの試合を見るというよりも、日本と韓国のスタジアムを「激しい移動」で往復し、朝日新聞が借りてくれた新村のワンルームマンションに泊まりながらヒートアップしていく様子を中心にレポしている。ワールドカップという熱にうかされた日韓両国を、まるで沢木さんが好きだったハードボイルド小説の主人公、リュー・アーチャーのように「入って、そして出て行き」冷静に書き留める。

 沢木さんは日本代表がトルに負けた後の様子を「日本の選手たちのクールさは際立っている。もしかしたら、それが彼らの強さの淵源であったのかもしれないのだが」(p.243)と深いシンパシーをのぞかせながら分析している。その姿は、孤独な魂を抱えて、激しい移動を繰り返し、旅人としてワールドカップの一ヶ月を通り抜けていった沢木さんとどこかオーバーラップする。

 それにしても、ワールドカップから1年半たった後で、こうし本を出してもらえる沢木さんは幸せ者だ。筆力だけで読ませるのはさすがだけど、若手のサッカーライターが不愉快に思う気持ちもわからないでもない。06年のドイツでもサッカーのことを書くならば、もっと勉強してほしい。そして、ようやくできるようになったと最後に告白しているリフティングもうまくなっていてほしい。

『ぽいち 森保一自伝』森保一、西岡明彦、アスペクト

 ベガルタでユニフォームを脱いだ、ドーハ組の中心選手のひとり、ポイチこと森安選手の自伝。誰からも愛されるキャラクターというか、テレビの画面からも誠実さが伝わってくるような選手だった。なくとなく、ドーハのことを考えていたら、新刊本であったので購入、聞き語りみたいな感じの文章なので帰りの電車で読了。

 長崎出身で小嶺監督が島原高校から国見へ移る時期に高校入学を決めなければならなかったけど、結局、長崎日大高校に特待生で入って、ほとんど中央では無名の存在で過ごした、というが彼らしい。高校の就学旅行は中国への船旅だったらしいけど、その船内で後に結婚することになる同級生と撮った写真がなんともいえない(p.52)。「ああ、こういうまっとうな人生もあるんだなぁ」みたいな。

 全国大会への出場経験がない彼には大学からの誘いはなく、けっこう偶然に練習を見に来ていたオフトと当時のマツダの監督だった今西さんにひろわれる形で広島に。しかも、マツダの本社採用ではなく、マツダ運輸という子会社の採用だったというのも泣かせる(現在、この会社はマロックスって社名変更しているが、結構何回もも取材に行った経験あり…)。オフト監督に代わり、たまたまサテライト(マツダサッカークラブ東洋)で守備的MFとしてプレーしていたのを気に入られ、トップチームに昇格。マンUへの短期留学なども経験しプロへの意識を高めていたときに、代表監督に就任したオフトから代表に呼ばれる、という経緯を書くとオフトと森保というのは切っても切れない関係だったのかな、と。おっかなびっくりで参加した初の代表合宿では、同室の柱谷哲二にいじめられつつも、アルゼンチン戦でいきなり先発。いいプレーを披露して相手監督にも誉められてレギュラー定着とトントン拍子でドーハに向かって駆け上がっていくところなんかは躍動感があってよかったな。

 森安は若手に「試合前どうしても緊張して困るんですが」と相談されると「それはお前が試合のことをいろいろ考えて準備している証拠だ」と答えていただが、なんと、その言葉は代表合宿で柱谷から聞いた言葉そのものだったという。

 肝心のドーハは「なにもかも記憶がほとんど飛んでしまっている」(p.120)ため、あまり詳しくないのは残念だけど、そこまでのショックとは知らなかった。ユニフォームを脱いだ現在、広島に戻って小学生を教えながらS級ライセンス取得に向けて頑張っているというのも好感がもてる。


『スポーツ批評宣言 あるいは運動の擁護』蓮實重彦、青土社

 前から、ちょこちょこ文芸誌やスポーツ雑誌などに書き散らしていた(失礼!)文章をまとめて、書き下ろしの序文をくっつけて一丁あがり、という感じはいなめない。
 
 しかも、オマーン戦直後に書き下ろした序文では、あせっていたのだろうか、それとも、青土社にサッカーに詳しい人間がいないからなのだろうか、シドニーでPKを外した中田英が「外したことによって、彼の中に潜在的なものが顕在化するきっかけを掴むのです。その後のペルージャでの活躍がそれを物語っています」(p.21)というかなり致命的なミスを犯している。所属していたのは当然ローマだし、しかもシドニーの後、中田は干されていたので活躍は年明けのシーズンも押し詰まったほぼ1年後を待たなければならない。

 さらに、蓮実先生が宣言している運動に対する感受性の復権に関しても「とりわけ日本のジャーナリストたちは、無意識のうちに『運動』が嫌いな人類の代表として振舞ってしまう」(p.11)「文化の大量消費時代では『運動』は運動としては流通しなくなっているからです。運動の結果としての数字ばかりが流通するのです」(p.38)と勇ましいことは勇ましいが、具体的な提案はないし、言葉だけという感も。

 だいたい「批評宣言」なんてマニフェストは所詮マニフェストであって、現実にどうするのかという問題に関しては、常に痩せた解答した提示できない。オマーン戦後、蓮実先生は、もし自分がインタビュアーだったら「なぜあなたがPKのボールを蹴らなかったとやや曖昧な言葉を口にしたでしょう」としている。中田がPKを蹴らないのは、単純にヘタだからであり、昔は外したことないとか豪語していた割には、2000年以降は、決してPKを蹴らなくなったしまったという事実すら無視している。

 さらには、02ワールドカップのKorea/Japanという表記は、韓国側が決勝戦を日本に譲る代わりに、表記を先にしてほしいと頼み込んだのに、それを全く知らないのか、フランス語のアルファベットではこれでいいなどと対談で恥じをさらす(p.48)。

 さすがと思わせるいいまわしや、エスプリは感じられるものの蓮実先生のスポーツジャーナリズムへの参戦は、サッカーでいえば、3-0か4-0の負けといっても過言ではないと思う。東大の元学長をここまで恥さらしにした青土社の編集もどうにかしている。

 サッカーごとき、偉い先生同士が語り合えば、すぐに批評できると考えているんだろうな。これで文化なんていわないで。もっとも、蓮実先生は、文化を動物が壊すのがサッカーの醍醐味とかのたまわってはいるが、その程度のこと、居酒屋でくだまくオヤジぐらいだっていえそうだ。

 『表層批評宣言』のヒトだから、というオチが本文中にもあったが、それで全てが許されるわけではない。

『Jリーグ10年の軌跡―1993-2002』ベースボール・マガジン社・編

この手の資料本は買うようにしているので、3800円はやや高いと思いつつゲト。マット調のアート紙使っているのに、写真がギラギラしすぎているし、デザインもダサダサだけど、まあ、いいかと。


『サッカーの国際政治学』小倉純二、講談社現代新書
『サッカー移民―王国から来た伝道師たち』加部究、双葉社
『ぽいち 森保一自伝』森保一、西岡明彦、アスペクト
『理想のフットボール敗北する現実』大住良之、双葉社
『ディナモ ナチスに消されたフットボーラー』アンディ・ドゥーガン、晶文社
『監督ジーコ、語る』ジーコ、ぴあ
『日韓ワールドカップの覚書』川端康生、FOOTBALL Nippon Books
『トッティ王子のちょっぴしおバカな笑い話』ベースボールマガジン社
『杯 WORLD CUP』沢木耕太郎、朝日新聞社
『Jリーグ10年の軌跡―1993-2002』ベースボール・マガジン社・編

ワースト1『スポーツ批評宣言 あるいは運動の擁護』蓮實重彦、青土社

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