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December 10, 2004

今年の5冊のための下準備

 えー、来週ぐらい、読書界の03/04シーズンに新刊書として出た本のうちから、勝手に選んだベスト5ぐらいをご紹介しようと思うのですが、その前に、以前、BBSで書いていたものを再掲しておきます。ここに再掲したのは昨年の11月から今年3月ぐらいまでの分。

roma12
『ローマ人の物語 (12) 迷走する帝国』塩野七生

ついに12冊。ということは12年目。最初の『ローマは1日にしてならず』が出たのは1992年7月7日で、しばらくは夏になると塩野さんのローマ人の物語が読めていたんだけど、段々と押されて、最近は12月ということが多くなった。

いままで、ずっと毎年読んできて、大したものだなぁと思っていたけど、ちょっと、見方が変わるところが出てきました。

塩野さんは、疑問を持ちつづけるというような場合の「持ちつづける」ことをイタリア語では、アカレッツァーレ(accarezzare)愛撫する、というみたいなことを書きながら、キリスト教迫害の歴史について後半、触れていくのですが、「聖パウロが『使徒行伝』中で説いたように」とか超初歩的な誤りが多すぎる…。一回でも読んでみれば、ルカによる福音書と同じ著者が『使徒行伝』を書いているのは同一人物だというのはわかる。「パウロを描いた」といいたいのが筆が滑ったのかもしれないけど…。あと、洗礼者ヨハネと福音書を書いたヨハネを混同しているなど、後半のこの部分はメチャクチャ。本当に「ずっと疑問をもち続けてきたんかい!」とか思ってしまう。

資料をきっちり読みこんでやっていると思いたいけど…。これからは、やっぱり「物語」として、気軽に愉しんでいこうかな、と思った。まあ、本来、そういう意図なのかもしれないし。

 今回、描かれるのは3世紀。211年から284年の間に、なんと20人も皇帝が変わっている。しかも死因は謀殺、自殺、戦死、事故死などがほとんど。その始まりとなったカラカラは賢帝といわれたセヴェルスの息子。同じように賢帝といわれたマルクス・アウレリウスと同じように、自分の子供に皇帝を継がせて、大失敗になるんだから、後継者の指名というのは本当に大した事業なんだな、と思う。


alcoholism
『酒乱になる人、ならない人』真先敏弘、新潮新書

アル中(アルコール依存症という言い方はカッコ悪い)に関心のある方(なんちゅう書き方かとも思うが)、久里浜病院のことはご存知だと思います。なんつったって国立病院で唯一のアルコール依存症の治療のための基幹施設なんすから。元は横須賀海軍病院野比分院ということで、神経内科医長も防衛医科大学から来たりしている(関係ないか)。その真先敏弘ドクターが書いたのが『酒乱になる人、ならない人』。

これまでも、自己アル中度管理をずっと行なっていて、それは主にブラックアウトなんかか続いて「やばいな」と思ったらアル中関係の本を呑みながら読むという独自の療法なのですが、これはそうして読んだ本の中でも久々のヒットじゃないでしょうか(もし1冊、入門書的なものを選べといわれたら、小説ではありますが中島らも『今夜、すべてのバーで』講談社文庫がお奨め)。

とにかく、これまでアル中の本というと、AAや断酒会系の辛気臭かったりするものや、問題行動を羅列するようなものが多かったのですが、これは一般読者向けとしては初めての遺伝子分析の研究を踏まえての本。

DNAの分析はやっぱりガンとかもっとヤバイ病気から始まるわけで、アル中関係の遺伝子分析は著者によるとやっと黎明期とか。

いつか酔いコントロールできるクスリとか、二日酔いがコロッと治るようなクスリが開発されることを願っておるわけですが、とにかく、この本は大脳生理学的に酒乱を解釈したりするなかなか面白い本です。

 アタシが一番、気に入ったのは、なぜブラックアウトするのかを、説明してくれているところでした(pp.146-156)。

 この本によると、脳において記憶中枢をつかさどる海馬がアルコールによってその働きに抑制を受けることがブラックアウトだと説明されています。

 脳内ではシナプシスの長期増強という現象によって記憶が形成、保持されていくということですが、記憶形成の働きに必要なCAIという領域がアルコールによって活動が抑制されるそうです。さらに内側中隔から海馬に向かって1秒間に6~9回のリズムで規則的に刺激が送られているのですが(θリズム)、このリズムも抑制される、と。

 こうした一連の抑制の結果、海馬の神経細胞がその働きを失い、長期増強という現象がおこらなくなり、記憶を形成することができなくなった状態がアルコールによる一過性全健忘(ブラックアウト)だと。

 しかし、海馬の働きが抑制されても、言語中枢は働いているかせ楽しくしゃべることはできるし、空間的に認識をつかさどる中枢は働いているから、家に帰ることもできる、と。

 そして、こうしたアルコールによる海馬の機能抑制を防止する物質(クロシン)が発見されていて、動物実験まではOKだとうことです。

 いや、マジでこのほかも勉強になりますから、酒飲みの方は一冊、ぜひ。

historical_school
『歴史学ってなんだ?』小田中 直樹、PHP新書

東北大学の若手の助教授が、かなり分かりやすくつーか、くだける寸前で「歴史学って結構面白いんでひとつ一般の方々もよろしく」と腰を低くして語りかけるような良書。

啓蒙書でも学者さんが書くと「オレがオレが」とつまらぬ新説を中心に資料をブチまけるような場合が多いけど、この人の場合は、自分の主張は抑え気味にして、面白歴史本のブックガイドをするような感じで、歴史関係の良書をどんどん紹介しつつ、記述を進めていくのがうれしい。人柄なんだろうか。贔屓にすることに決定。

この本のおかげで、『青きドナウの乱痴気―ウィーン1848年』良知 力、『路地裏の大英帝国―イギリス都市生活史』角山 榮ほか編、『動物裁判―西欧中世・正義のコスモス』池上 俊一などを知ることができ、すかさずAmazonで注文してしまった。こういう、中途半端な古い本を捜そうとすると、昔は神田で半日かけなければならなかったけど、いまじゃ、Amazonユーズド市場からすかさずゲットできるのは本当にありがたい。

内容的には1)歴史学者の仕事はどんなもんなんだろうということを塩野七生さんの『ローマ人』の仕事を批判しながら紹介していき2)果して歴史の真実というのは確定できるのかという問題を従軍慰安婦問題を通して考えていく―みたいな構成。どちらも、非常にバランスがいいというか、逆にいえば物足りないけど、筆者の「コモンセンスを大切にしたい」という主張もわかる。

なんか、久々に新しいジャンルの本をいろいろ読めそうな気がして嬉しい。ぜひ。

rogue_country
『「ならずもの国家」異論』吉本隆明、光文社

 久々の吉本さんの本。イラク戦争、拉致問題などを語っています。まあ、もうお年だから、言うことに新味はなくなっちゃっているし、前にも書かれていたことだなぁ、と思うのですが、それでも、なつかしく読みました。

 拉致問題では、北朝鮮は明治以降の民族虐待を持ち出せば帳消しになると思っていたし、日本でも拉致だ拉致だと大騒ぎすれば向こうから反論されるだろうということで、問題が長引いたと指摘しているのは「そういえば忘れていた見方だなぁ」と思いました。

 後は最近の持論ですが、「宗教自体が発達していく、あるいは文明が進んでいくと、そうした宗教は法律になったり、国家になったり、国の政権になったりします。宗教が法律や国家に変容・転化するわけです」(p.88)という文脈の中で、イラク戦争を見るところ。

 実はこの本で文章として一番素晴らしいのは「まえがき」でして、アフガンからイラク戦争までの問題は「国家と宗教が分離していてその間に産業が介在している高度な文明国家と宗教とが未分化のまま融合している後進的な共同体とが、宗教や文明を異にし、社会段階や利害を異にしているため、この紛争は起こっていると言ってよい。-中略-宗教と共同体が未分化のまま直接に一体となった共同体国家と、宗教が民族国家として宗教発達史の最終段階にある国家との対立を基底している姿だともいえよう」というところでしょうか。

 ということで、最近のモチーフである「宗教なんていうのは仏教もキリウト教もイスラム教も全部同じ」「宗教が高度になったのが国家」「ただしその国家には段階がある」という三代噺につながっていきます。

postgraduate_course
『アメリカの大学院で成功する方法―留学準備から就職まで』吉原真里、中公新書

日本の大学を出た後、アイビーリーグのブラウン大学の大学院で博士号を取得、ハワイ大学に職を得て、テニュア(tenure、終身在職権)までかちとった帰国子女である筆者が書いた、アメリカの大学院で生き残る方法。

日本でも外国でも大学に職を得ることはどんどん難しくなってきています(なんでも博士課程修了者7000人が毎年あぶれるとか…)。海外での博士課程取得の苦労本なんかでは『ウィーン愛憎』中島義道がすぐに思い浮かぶけど、この『アメリカの大学院で成功する方法』はカラッとしたハウツー本みたいな感じで、「おいらも頑張れば」みたいな感じを与えるのが怖い(『ウィーン愛憎』なんかのヤダヤダみたいな読後感とは大違い)。

とにかく、あっけらかんと英語を母国語とせず、甘々の学部教育しか受けてこなかった日本人留学生が、「死の大学院生活」をサバイバルできるかを解説している。ぼくが知らないだけだったのかもしれないけど、博士課程修了を最初から目標にしていた方が、修士課程からのステップアップより、大学から得られる援助が大きいとか、ABD(博士論文を残すだけとなった状態)までの勉強方法と、博士論文の実際の書き方(指導教授とのネゴの仕方なども含む)、論文にメドが立ってからの就職活動のやり方、大学に籍を得てからのテニュアのとり方まで、実にアメリカンというかシステマチックに書かれていて圧倒される。

毎日、1冊の学術書を読みこなすコース・ワーク(修士課程)の激しさは凄いなぁ、と思うけど、原語で素早く読んでいくためのアドバイス(書評を読めというなんとも実際的な対処方法!)は「ふーむ、やっぱり」と参考になったし、第5章の研究論文の書き方は特に懇切丁寧。指導教授陣(修士でも複数の教官が面倒みてくれるのですが、博士課程でも、もちろん複数)を選ぶ際には、執筆期間が数年に及ぶ博士論文を書かなければならないので、執筆を励ましてくれるような「モラル・サポートを充分に提供してくれる教授を一人は入れておきたい」(p.111)というあたりは女性ならではのきめ細かな指摘だと思う。

まあ、大学院などに入りなおして研究生活に戻ることや、博士課程への再チャレンジを密かに狙っているような人も、けっこう励まされるし、参考になるので、ぜひ。

『私小説 from left to right』水村美苗、新潮文庫なんかも読んでみようかな、とか思った。

『異形の心的現象―統合失調症と文学の表現世界』吉本隆明、森山公夫

 精神分析医で『統合失調症―精神分裂病を解く』ちくま新書で、独自の統合失調症(精神分裂病の言い換え)に関する理解をまとめた森山公夫さんが、古いつきあいの吉本隆明との対話をまとめた本。

 最近、吉本さんがとみに高い評価を与えている中沢新一さんの仕事について「精神の考古学」(p.53)と評価して、昔の人が何を考えいたのか、人間は何を克服して現在に至っているかのはチベットの坊さんの言うとおりに修行するより「手段がないというか、手だてがない」(p.55)と語ることです。吉本さんはずつとヘーゲル、マルクスの系譜で世界を理解しようとしていたと思うのですが、ホモサピエンスから旧石器時代までの間にボーッと考えていたことは世界史の中に入ることはないんだというヘーゲルの分析は限界があるとハッキリ語っているところには「ついに『最後の隆明』が始まっているのかな」と思いました。

 一章は『夏目漱石を読む』の焼き直しだし、三章の四次元的文体は掘り下げ不足で納得感が乏しいけど、この二章は秀逸だった。

 そして、カスタネダの文章に感心したと語る最後の補章「僕のメンタルヘルス」では「『段階』という考え方はヘーゲル、マルクス流の良いところだな、捨て難いものだなと思いますけれども、野蛮、未開段階のものの考え方と西欧近代を頂点とした文明観とを考えると、この頃、こっちの方が根本的なことを言えているよという気になるんですね」(p.185)という言葉は、80年代以降『アジア的』『アフリカ的』という思索を続けてきた吉本さんの結論めいたものがうかがえて興味深かった。

 この「段階という考え方以外には未開の思想に深さの点でヘーゲル、マルクスは及ばない」という言い方は、吉本さんにいわせれば親鸞が最後に到達した「不存知」(浄土に行けるかどうかなんて知っちゃいねぇよ)に通じると思います。

 しかし、吉本さんは力が衰えているんでしょうか。それともテープおこしした人間の力量不足なんでしょうか、いくつか論旨が不明確なままなところがあったのが残念。森山理論に関して「やったな」(p.75)と書いているんですが、ちっとも「やったな」感が伝わらないところ、最後の「原生的疎外」のところがあいまいなまま終わっているところは残念。

 あと三木成夫『胎児の世界』にふれて、哺乳類から唇を使った「マ」音が発達し、爬虫類の口蓋を使った「カ」音とは区別されるという部分の引用とともに、言葉は他人に対して自分の意思を伝えることも重要だけど、自分を確認する意味合いをもっと強調してもいいんじゃないかというところに新味はあったかな(p.71)。


cahier_sauvage
『対称性人類学  カイエ・ソバージュ第5巻』中沢新一、講談社選書メチエ

 2年半かけて一応の完結をみた『カイエ・ソバージュ』全5巻において、中沢さんは一貫して「現生人類の知的能力は三万数千年前におこったと考えられる、大脳組織の飛躍的な変化以来、本質的な変化も進化もとげていない、という現代の認知考古学の見解を支持する立場に立ってきました」(p.24)と述べています。その進化とは「ニューロンの接合様式の革命的な組み換えによって、それぞれの領域で特化して発達していた認知領域を横断的につないでいく通路が形成され、そこで流動的な知性が運動を開始した」(pp.74-75)ことです。そして、現生人類こそが無意識をもって地上に出現したヒトであり、心の本質をかたち作っているものが無意識なのだ、というのが5巻目の主題となります。

 以前、中井久夫さんの『清陰星雨』(2002、みすず書房)を読んでいたら、新約聖書のパウロの手紙で面白い解釈が紹介されていて、それによると英語のconscienceをはじめ、フランス語、イタリア語、スペイン語は「良心」と「意識」が同じ言葉だそうです。西欧の精神医学は「無意識」という概念を認めるのに反発を覚え、無意識に行動が左右されるということは耐えられなかったのかもしれないと、中井さんは書いているのですが、中沢さんは「仏教のような思想伝統では、それは『無意識=意識がないもの』とは言わずに、いつさいの心的現象の基体をなか『心そのもの=心性』なのです」(p.77)として、仏教の可能性を追求していきます。

 現代の思想に神話的思考が敗れ去ったいま、残されているのは「言語的な知性が発生するのに必要な『原初的抑圧』のシーンを、ことさら古代に取り上げて強調する宗教とは異なって、むしろこの『原初的抑圧』の向こう側に広がる、流動的知性の働きの中に踏み込んで、その働きを開花させて、ふつうの論理で動いている世界にその働きを持ち込んで、世界を変えようとする思想である」(p.178)とまで宣言するのです。p.148-151に記されたネパールで経験したチベット仏教の修行で経験し、殺される山羊を自分の母親であると観想し、山羊との同質性を感じて激しい感動におそわれたというシーンは、もしかして、この本のクライマックスなのかもしれない。しかし、中沢さんは仏教は宗教などではなく、思想である、とするのです。

 これから、中沢さんの「最後の仏教」の探求が始まるのかな、と楽しみにはなってきます。

『吉本隆明が語る戦後55年 12 批評とは何か/丸山真男について』

このシリーズも終わりで、後は心的現象論の単行本になっていない部分について、誤字脱字などを研究会が訂正したものを刊行していくそうですから、もう、本当に終わりつつあるんだなぁ、という感じです。

 印象に残ったこと3点。

 ぼくも吉本さんに感化されて『一言芳談』を読んで感動したクチなんです。ご存知の方も多いと思いますが、この本は浄土系の、死をこいねがう病的な僧侶、捨て聖たちのショートストーリーを145篇集めた短章集です。キーワードは「疾く死ばや」。死にたくて、死にたくてどうしもない、というバカ僧侶(と簡単にいってはいけないのですが)たちの言動がアーカイブされています。

この人たちは、食べ物の味がわかるのがヤになって、水につけてから食べるとか、衣服とかも最低限のものしか身にまとわず、経文や本尊なんかも捨ててしまいます。そうした心持ちの最終的な到達点が「疾(と)く死(しな)ばや」だという。こうした集団がかつて存在して、ある実験を行ったから、そういった考え方がやっぱダメなことがわかったという部分はあるわけで、ま、貴重な古典であることには間違いありません。いま、岩波文庫のは絶版ですが、手に入りやすくて読みやすい本としては『死のエピグラム 一言芳談(いちごんほうだん)を読む』春秋社(大橋俊雄翻訳、吉本隆明著、春秋社)。

 で、この本を吉本さんが知ったのは小林秀雄の評論で、その中でも一番つまらなそうな、どこかの女将さんの浄土への憧れみたいなエピソードをもってきたのを「これが小林秀雄の批評原理・原則の欠点であると同時に、古典批評の一番の弱点」(p.19)と書いてあるんですね。これが1点目。

 次は村上春樹の『ねじまき島クロニクル』から一連のオウム関連の本に関して、通奏低音のように流れるノモンハン事件について、ソ連にやられたから太平洋戦争もメチャクチャやられたという見方ではなく、「ここで日本陸軍は機械化が重要であることに目覚めて、めちゃくちゃなスピードで機械化をやった」(p.39)と書いていること。ノモンハンについては、村上さんのような解釈が一般的だと思うし、ぼくもそうだと思っていたから、これから注意してみようと思った。

 次は「キリスト教、仏教、イスラム教は異なる宗教だという区切りでやってきたんですけど、『この三つは同じものだ』という視点で、具体的に巨視化していかないとダメなんじゃないのかな」(p.99)という指摘。中沢新一さんの仕事にふれ、宗教のことを考えることは原初の国家を考えることだみたいなことを言った後で、さらに類人猿から枝分かれした後、気の遠くなるなるような時間をボンヤリすごしてきたわけですが、そのときに感じていたはずの宗教性について、中沢新一は大真面目にやってると評価しているところとかは特に面白かったですね(pp.99-103)。

『精霊の王』中沢新一、講談社

 旧石器時代から実は今も流れている精霊のエネルギーは「宿神(シュクシン)」とよばれる「子どもの神」である中沢新一さんは語るのですが、この本で紹介したいのは、その最初のエピソードである、鞠聖藤原成通の話。

 藤原成通は高く蹴り上げた鞠が空高く消えていったとか、清水寺の欄干の上を端から端まで鞠を蹴りながら何度も往復してみせたなどの逸話を残していますが、この本で触れられているのは、「御鞠の精」と会った話。

 御鞠の精との会話で、とりわけ印象深かったのは「(わたしたち精霊は)蹴鞠の時にはこのように御鞠に付いています。蹴鞠のございませぬときには柳の繁った林、きれいな所の木に住んでいるのです。蹴鞠が好まれる世は、国が栄え、立派な人が出世し、福があり、命が長く、病いなく、来世までも幸せになるのです」「人の身には一日のうちに数え切れないほどの欲念が生じ、それらはみな罪です。鞠をお好みなさる人は蹴鞠を行う庭にお立ちになられたら、鞠のことより他にお思いになることがないので、おのずから後世安楽の機縁となり、功徳がすすみますので、必ず鞠をお好みになるべきです」

 なかなかいいことを言うもんですよね、鞠の精も。

 蹴鞠には旧石器からの記憶が宿っていると中沢新一さんは思っているのですが、それはブランコと同じである、と。春分の日、秋分の日に古代の人は広場などに組み立てたブランコに日がな一日乗り続け、空中に浮かぶ瞬間を味わっていたそうです。そして、詳しくは書いてませんが、雨乞いに蹴鞠が奉納されたのも、鞠を空中に蹴り上げる儀式を行うことによって、天と地の間の媒介物を挿入して、ブランスを取ろうとしたのではないか、と。

 サッカーはなぜ、ひとをこれほど夢中にさせるのか。あるいは、ロングキックの軌道になぜうっとりするのか。その理由のひとつは、こういったところにあるのかもしれません。

『歴史人口学と家族史』速水融編、藤原書店

 最近、本関係の噂で一番ビックリしたのは、M社の本が買い取りになったということだった。知り合いが編集にいるとはいえ、けっこう新刊書と直販の案内が来るのには「へぇー」とは思っていたけど、まさかなぁ、みたいな。あと、H大出版局も同じようなことになりそうだとか、とにかく人文系の版元は大変だなぁ、と。

 でも、いいのかもしれない。論文で引用したり、本当に読みたかったら原文で読しかないわけだし。中途半端に勉強しない学部や院の学生を甘やかすよりは。

 などということを考えたのが速水融さんのアンソロジー『歴史人口学と家族史』。外国のアンソロジーをそのまま訳したというのではなく、藤原書店と速水さんたちのプロジェクト「ユーラシア人口・家族プロジェクト」のメンバーたちが選んだ、歴史人口学に関する基礎的な論文集になっているのが素晴らしい。

浅学菲才なアタシとしは、歴史人口学なんていっても、文春新書の『歴史人口学で見た日本』(文春新書)ぐらいか読んでなくって、しかも、その本にはカナーリ魂を抜かされたにも関わらず、さらにその分野に関する知識を得ようともしなかったという怠惰なニンゲンなんではありますが、アンリやローゼンタールといった、この分野の基礎的な論文を日本語で読めるというのは本当にありがといと、今日から斎戒沐浴をして読み進める覚悟であります。


『報道されなかったサポーターの真実 実録ワールドカップ2002』ジュン・ハシモト、マイクロマガジン

 Amazonで"Keane"Roy Keane, Penguineのペイパーバッグ版を買った時、配送料がタダになる1500円に届かなかったので、ついでに『報道されなかったサポーターの真実』を購入。

 まったく知らなかったことだけど(知りたくもなかったけど)、宇都宮徹壱さんがつくった日本サポーター協会なる団体が、ワールドカップに来たガイジンさんたち相手に、写真撮ったり、アンケートしたりしていたそうな。それはHPでライブ風にアップされていたらしいけど、本としてもまとめたのがこれみたい。

 まず、あまりのれなかったのですが、なにせ「なぜワールドカップで戦うのかという理由が知りたかった」という問題意識がダメダメでしょう。そんなこと考えるより、参加しちゃった方が楽しいし、別に分かってもしょうがないじゃない、みたいな。

 ただエピソードっつうか、話半分に聞いても面白かったのが、アイルランド人サポータがなんであんな風に多かったという理由として
1)英語教師という職業についているアイルランド人が多かった(中には2002年を見越して就職したという人もいた)ということ
2)イングランド人が、時々アイルランド人になって盛り上がったり、逆にアイルランド人がイングラドのシャツ着て応援するみたいなケースが多かったこと
という指摘は面白かったかな。しかし本当かいという気もするし。

 あとは、カネがなくって「とても安全だ」といって川原で野宿していたクロアチア人サポータがけっこういたみたいな話は、やっぱり痛切だったな(本人たちは楽しそうだったけど)。

 あと、こいつは、日本vsロシア戦を一緒に見ていたベルギー人サポから「これから辛いことがあった時は、日本代表が初めてワールドカップに勝ち、それの喜びをともに味わったことを思い出せ」といわれてジーンときたとか書いているけど、ジョホールバルのことは忘れたのかな?とか思った。後書きみても98年のフリューゲルス解散事件から本格的にサッカーのこと書き始めたみたいなこと書いてあったらさもありなん、と。おいらの個人的な日本代表の思い入れでいえば、

ジョホールバル>>>>>>>>>>超えられない壁>>>>>>>>>98,02ワールドカップでの試合

なんだが…。

 ついでに書くと、日本のサポについてはウルトラスのことばかり書いてるけど、「日本サッカー狂会」のことなんか、これっぽっちも知らないんじゃないかとかムカついた。まあ、いいけど。


『実践・料理のへそ!』小林カツ代、文春新書

 テレビの料理番組って、何気に見てしまうのですが、胡散臭い料理人も多い中、小林カツ代さんはなんか実がありそうな感じがして嫌いではなかった。そのカツ代かあさんが、文春新書で料理本を出すんじゃ買わないと。ということで読んでいるんですが、名著。

 カツ代かあさんの考え方は「炊きたてのご飯があれば、それだけで十分」というのが基本。1.5合焚きができる昔ながらのナショナルの炊飯器がベストという実践アドバイスからしてうならされる。そして、急いでご飯を炊くときは塩とお酒をちょっと入れて炊けば、20分で炊けるとかいわれれば、「買って試してみようか」とか思う(そういえばウチでは、もう3~4年ご飯を炊いてない…)

 だしをとるのに昆布は煮立てたって構わないというアドバイスも貴重だし、魚に塩をして、ラップじゃなくってキッチンペーパーにくるんで冷蔵庫に放り込んでおけば、立派な干物になるというくだりなんかは、絶対、やりたくなる。

 あと、卵を使ったお皿は、最初に冷水でさっと流すとヨゴレが落ちやすとか、実践アドバイス出しまくり。しかも文章も「ピューッととる」とかスピード感あふれまくり。幸せになれる本です。

『ある首斬り役人の日記』フランツ・シュミット著、藤代幸一訳

1987年に翻訳された名著がソフトカバーの白水Uブックスになっての再登場。年末に向けて、面白い本が枯渇していたので、買って読んでみる。

 なんつったって、この作者のフランツ親方、生涯に361人を刑場の露と消えさせたぐらいだから、超ヤバイ。しかも、難しいドイツ語の文法とかは無視して、備忘録風に淡々と死刑囚の罪状と、処刑方法を書きとめるというスタイルもスゲェ!

 グリム兄弟が耽読したという話も怖ろしいながら、童話の恐さにも通じるんだな、とうなずける。はっきりいつてブラックユーモア。とはいっても、処刑される身になってみれば、p.129に載せられている鉄仮面を被った処刑人が出てきただけで昇天しちゃいそう。ヤバすぎ。

 でも、この親方、差別される身ながらも外科医としても活躍していたっつうんだから偉い。また、殺されちゃったりしたら、やっぱ辛いけど、嬰児殺しの女性に対しては溺死よりもより苦しむ時間の少ない剣で殺すようにしたりして、なかなかフェミ(p.28)。つか、やたら多いのが嬰児殺し。あまり有効な避妊法が無い上に、認知されない子を産んだということだけで宗教上の理由からヤバいことになっていたんだろうな、と思う。暗すぎ…。あと、昔も今も人間なんて変わられねぇな、と思う。残酷そのもの。

 死刑を第一部、体罰を第二部として編集してあるけど、体罰篇でも、鞭打ちだけじゃなくって指や耳を切ったり場面が淡々と書かれている。ヤバすぎ…。


『人生の短さについて』セネカ、茂手木元蔵訳、岩波文庫

 ここ何年か、セネカの本を読み返すことがあります。セネカはいわずと知れた、ストア派の哲学者ですが、彼の生きたティベリウス、カリグラ、クラウディウス帝というローマ最盛期の時代の知識人の義務として、財務官から元老院議員という俗世のつとめも果たし、ネロの教育係から執政官までのぼりつめた人でもありました。こうした激務の中で『道徳論集』12編を書いたほか、多くの悲劇もものにしました。マルクス・アウレリウスもそうですが、激務の中で自己慰安のように書かれた著作というのは、忙しさにすりつぶされそうな2000年後の極東の人間にも訴えかけるものがあるんですかね。

  『道徳論集』の中で最も有名な小論の中で、彼が繰り返し、当時の財務官パウリヌスに語っているのは『人生の短さについて』です。「われわれは短い時間をもっているのではなく、実はその多くを浪費しているのである」(p.10)と彼は看破し、「どんな人でも自分の地所をとられて黙っている者はないし、また領地の境界について、たとえ小さなもめ事が生じても直ちに投石や武器に訴える。だが、自己の生活のなかに他人が進入することは許している。だが、自分の生活のなかに他人が侵入することは許している。いや、それどころか、今の自分の生活をのっとるような者でさえも引き入れる。自分の銭を分けてやりたがる者は見当たらないが、生活となると誰も彼もが、なんと多くの人々に分け与えていることか」と嘆くのです。

 そして「偉大な人物、つまり人間の犯すもろもろの過失を超絶した人間は、自己の時間から何一つ取り去られることを許さない。それゆえ、この人生はかわめて長い。用いられる限りの時間を、ことごとく自分自身のために当てているからである」(p.23)と自分の時間を守るようパウリヌスに勧めるものです。

 しかし、こうした言葉は、実はセネカの願望だったんですね。彼は70歳で皇帝ネロに自殺を命じられる直前まで公務から離れられなかったわけですから。


『青きドナウの乱痴気』良知力、平凡社、1958

 ウィーンの3月革命というと、トホホな革命劇といいましょうか、ヨハン・シュトラウスが皇帝派である父の「ラデツキー行進曲」に対抗して、「革命行進曲」なんかを作っちゃうみたいな、全体的には多少は死者もでたことは出たけど、フランス革命ほど犠牲者が多くはないかったし、なんとなく終結してしまった、わけのわからない革命劇みたいな感じがしていました。

 だいたい、無能だけど「善人フェルディナント」と呼ばれた皇帝がメッテルニッヒが打倒された3月革命の真っ最中に市内をまわることで、革命派の市民から拍手喝采を浴びて、憲法を発布しちゃうみたいなのもよくわからないけど笑える(結局、この皇帝は途中でウィーンを脱出して、最後は革命派を攻撃するのですが)。

 そんなウィーン革命を描いたのが『青きドナウの乱痴気』良知力、平凡社、1958。

 ウィーンはオスマントルコに包囲されたときの教訓から、二重構造の壁によって守られ、外側のリーニエと中心部の中間地帯は緑地化されている、みたいな構造から説明され、そのクーリエ外に住まざるをえなかったプロレタリアートと、生活をするために売春のアルバイトをせざるを得なかった女性たち、そして学生たちというウィーンの最底辺の人たちが、最後の最後にウィーンを方位する皇帝派の軍と戦うみたいな悲しさは伝わってくる。

 当時40万人といわれていたウィーンの人口の1万人~2万人は春をひさいでいた(p.194)みたいなトホホな統計なんかもいっぱい入っていて、人間喜劇としてのウィーン革命の乱痴気ぶりが門外漢にも楽しく理解させてもらえます。

 著者の良知さんは一橋のマル経から派生した社会思想史の教授で、この本が遺作。つか、あとがきでガンと知りつつ最後の力を振り絞って書いたみたいなことを書いていて、なかなか立派だな、と。ウィーン留学時代に親しくなった明るい身障者のグレーテが、悲しいことがあっても、シュトラウスを聴いて呑み込んでしまうみたいなことを書いて「万感の想いはグレーテにならってグイと喉から呑みこんでしまおう。シュトラウスが聞こえないのが残念だ」と筆をおきます。

 なぜシュトラウスが聞こえないというと、たぶん病室で書いていたんじゃないかと思うのですが、とにかく、この後、2週間で良知さんはお亡くなりになるそうです。ここら辺は『歴史学ってなんだ?』小田中直樹も引用していて、それで読みたくなったんですが、今でも平凡社ライブラリーで現役ですから、ひぜひ。

 にしても、途中で、クロアチアからの傭兵が皇帝軍ではとても怖かったみたいなことが書かれているんですが、当時からロクアチアは、男のマッチョぶりが有名で、しかもわりと反動勢力みたいなのと手を結んで独立をかちとろうみたいな作風でやってきたのかな、みたいなことがうかがえて面白かったかな(クロアチアは、ナチスと結んで独立したりする)。

『路地裏の大英帝国―イギリス都市生活史』角山榮、川北稔編、平凡社

 『歴史学ってなんだ?』小田中直樹に紹介されていて読んだ2冊目の本。
 
 産業革命は人々の生活をどう変えたのか。9人の学者が淡々と専門分野について書いたアンソロジー。こうしたアンソロジーは、えてして焦点がぼやけてしまい、一冊の本としては印象が残らないものだが、「生活社会史」の研究メンバーの仲が良かったのか、それとも、データを集めて、特に分析するでもなく、それをそのまま提示するという手法が学者さんの肩をこらせないのか、全ての章が楽しめた。

「1 都市文化の誕生」は「ロンドンのような都会では、コーコーハウスや呑み屋、小料理屋、屋台などが十分発達していて、外食生活さえ不可能ではなかったのである」。「2 家庭と消費生活」では「婦人を中心とするブルジョワ的消費生活の展開は、家事労働からの解放にともなって、音楽、美術、手芸、文学、スポーツなど文化への領域へ拡がってゆくのである」という最後の部分が面白かった。

 また「3 白いパンと一杯の紅茶―庶民の食べ物」では、加工食品へのまがいものの混入が産業革命当時から問題にされていたというのを始めて知ったし、「4 病気の社会史―工業化と伝染病」の「古来、人びとは、戦争と不慮の事故によるのでなければ、まずたいていは病死をもってその生をまっとうするのが常であった」という簡潔な指摘に感心した。「5 いざというときに備えて―保険金幼児殺人事件」では、パブなどを拠点とした友愛会組織が発展したのが保険制度であることや、その当初から医療保険が主な目的のひとつだったということ。そして、保険金目当てに自分の子供を殺すという犯罪が制度の設立当初からあったことなどは人間というのは所詮あまり変わらないなという気分にさせてくれる。

 「6 ヴィクトリア時代の家事使用人」では、使用人が19世紀の「当時のイギリスで最大の職業上のグループを形成していた」(p.150)というのは知らなかった。「7 地方都市の生活環境」では産業革命がいかに地方都市ほ破壊し、またそうした状態からいかに復活していったかが描かれている。

「8 リゾート都市とレジャー」では、温泉から水浴というレジャーの流行の移り変わりを描き、入浴の代名詞ともなっていたバースの凋落も模様も興味深い。最後の「9 パブと飲酒」では、昼間からビールを何パイントも飲んでいた労働者の生活ぶりも興味深いし、効率化を求めてすぎた路線は長続きせず「人びとがパブに本当に求めるものをついにみたすことができなかった」という指摘は納得的。

これも平凡社ライブラリーで現役。

『動物裁判―西欧中世・正義のコスモス』池上遼一、講談社現代文庫

 大きく第一部「動物裁判とはなにか」、第二部「動物裁判の風景―ヨーロッパ中世の自然と文化」に分かれるが、圧倒的に面白いのは第一部。

 幼子を食い殺した罪で法廷に立つブタ、破門されるミミズやイナゴ。しかし、意外にもそれらを弁護する法学士はモグラの安全通行権や毛虫の居住権までも勝ち取るという史実のバカさかげんに圧倒される。そして、圧倒的に多かったであろう獣姦罪の数々。獣姦罪で有罪となった人と動物はほとんどの場合、炭になるまで焼かれ、裁判記録も不浄のものとされて同時に燃やされるかしていたのに、それでも残っている数々の記録は、獣姦がいかに多かったかをうかがわせるという。

 ここまでワクワクさながら、新書という構成上しかたないのかもしれないが、第二部は尻すぼみ感がいなめない。

 実は中世において本当の意味でのルネサンスや産業革命はなされていたのだという、今日では主流派の考え方にのっとり、人間と動物(自然)を対等と見てという精神が出現した重大さを指摘する。本来恐るべきものであった森に代表とされる自然が、農業の発達とともに、人間が征服し始めることによって、人間の従属物へと変化していく。動物裁判とは、そうした時代の過渡期に現れた現象であるという指摘は、べつに合っていてもあっていなくてもつまらん。

 これも『歴史学ってなんだ?』小田中直樹に紹介されていて読んだ本で、3冊目。

『ただ栄光のために―堀内恒夫物語』海老沢泰久、新潮文庫

個人的な話で恐縮ですが、アタシの場合、ものごころついたあと、最初に好きになったピッチャーは堀内でした。155km/hは出ていたといわれるストレート。そして、空前絶後という言葉がこれほどぴったりくるようなものはないほどのカーブ。

直木賞の海老沢泰久さんが、多くの関係者にインタビューしてまとめた本ですが、堀内が巨人の監督になったことから、新潮文庫から再び出ました。

デビューした年の44インニング連続無失点はルーキーとして誰も敗れないだろうし、ルーキーイヤーに記録した勝率.889(16勝2敗)はオールタイムのセリーグ記録としていまも残っている。さらにピッチャーとしての3打席連続ホームランとか、輝かしい記録ばかりが思い出させる堀内。

にしても、まだサッカーライターでは海老沢泰久さんクラスの人はあらわれていないよな…。

アタシも草野球やっていて、ベンチからマウンドに上がるとき、白線をすごくキレイだと思うし、それをまたぐとなんかピッチングが始まるという感じがするのですが、こうした気分をここまで書いてくれた海老沢さんの筆力は素晴らしいと思う。

「堀内は三塁側のファウルラインをスパイクで踏みそうになって、ひょいとまたいだ。グラウンドに引かれた白線を平気で踏む選手がいるが、彼にはそれは信じ難いことだった。誰かが踏んづけるのを見るたびに、どうしてあんなきれいなものを踏めるんだろうと思わないわけにはいかなかった」(p.19)

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