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December 23, 2004

『ローマ人の物語 XIII 最後の努力』

『ローマ人の物語 XIII 最後の努力』塩野七生、新潮社

今回もローマ史には疎いアタシのような素人に、分かりやすく、クリアカットすぎるぐらいに、時代のアウトラインと、その要因を分析してくれる。ただし、司馬遼太郎さんの小説が歴史学ではないように、塩野さんの"物語"も歴史学ではないという批判があることを、十分に理解した上で、読み進むことが重要だと思う(司馬さんや塩野さんへの批判については『歴史学ってなんだ?』小田中直樹、PHP新書の第一章が分かりやすい)。

 とはいえ、最高の娯楽であることには間違いなのが『ローマ人の物語』。毎年、出たその日に買って、じっくりと読み進んで後悔したことはない。

 ぼくは"塩野史観"に対抗できるような知識も、資料も持っていないので、とりあえず、無批判に概観すると、以下のようになる。

 この本が描くのは、五賢帝の後の70年間に何人もの皇帝が現れては、短命に終わり、混乱に混乱を重ねた時代の後、ディオクレティアヌスが皇帝についた284年からコンスタンティヌスが死を迎える337年までの「最後の努力」。結果的にこの努力はローマ史をさらに150年長引かせることになったが、果たしてその価値はあったのか、というのが塩野さんの感慨だ。

 「最後の努力」はどういうものかというと、防衛線が長くなりすぎたローマは蛮族の侵入を防ぐために、最初は2帝、次には4帝による分割防衛を行わう体制に変えた、と。北方のゲルマンだけでなくアフリカでも防衛線が破れるとなると、辺境に住む住人が減り、さらに防衛線が弱くなるという悪循環が発生するのをなんとしてもディオクレティアヌスは防ぎたかったのだ、と。

 アウグストゥス以降のローマは30万人程度の兵力が、ローマ街道という塩野さんのいう"高速道路"を使って破れられた防衛線に向かい、進入してきた"蛮族"を蹴散らすだけでなく、彼らの本拠地を襲うことによって、暫くの平安を得る、というやり方で帝国の防衛を果たしてきた。しかし、防衛線を破られる回数が多くなるにつれ、それまでの重装歩兵中心の軍隊ではスピードが足りなくなり、やがて騎兵に重きを置くようになっていった、と。

 しかし、当時はまだ鐙(あぶみ)が発明されておらず、騎兵となるにはバルカンなど馬の産地に生まれた者に頼らざるを得なくなり、事実、ディオクレティアヌスが創設した4頭体制でも、正帝、副帝ともバルカン出身の軍人で占められていた。しかも、あまりにも防衛線が破られることが多くなったために、司令官は一度、元老院に戻ってシビリアンとしての能力も身に着けるという伝統が捨てられ、ゼネラリストとしての皇帝が生まれにくくなっていった、と。

 そこで、とにかく防衛を第一に考えたディオクレティアヌスは4人の正帝、副帝がそれぞれの軍隊を持ち、首都も防衛線近くに置く体制をつくったが、これによって、軍は60万人に倍増してしまい、アウグストゥス以来の低い税金ではやっていけなくなったという弊害も生むことになった、と。ディオクレティアヌスは銀の含有量が5%まで落ち込んだ通貨の信用を高めるために、含有率を100%に高めた銀貨を鋳造したが、それは死蔵され、貨幣経済はますます不活発となり、物々交換中心の"暗黒の中世"への道へまっしぐらに進んでいくこになった、と塩野さんは分析している。

 一方で、あまりにも暗殺されたりする皇帝が多くなったものだがら、ディオクレティアヌスは皇帝の神格化も進めなくてはならなくなった。これは、市民の第一人者というそれまでのローマ皇帝の性格を一変させるものとなり、同時に、ローマ皇帝への崇拝を拒んだキリスト教徒への、久々の大弾圧を生むことにもなった、と。

 やがて6帝にもなった混乱を収めたコンスタンティヌスは、逆に支配の道具として「キリスト教」を活用することを思い立ち、古い神々の宮殿がひしめくローマを捨て、現イスタンブールに新しい首都を築き、「王権神授説」という新しいドグマで皇帝の地位を高めるようになっていった、というのがだいたいの流れだ。

 この中で、ローマ教皇が捏造した「コンスタンティヌスの寄進状」のことが触れられている(pp.266-267)。これはローマ教皇にコンスタンティヌスが全ヨーロッパを与えたという書状で、これによって、ローマ教皇は各地の王たちに「教会によって統治を委託されているだけだ」という態度を取ることができるようになったものだが、1440年に人文主義者ロレンツ・ヴァッラが文献学的にこの書状は10世紀か11世紀に書かれたものであると断定し、中世の呪縛が解き放たれたとしている。

 同じ宗教問題について語らせてもらえれば、いまのイスラム教徒の原理主義者のような人たちを、最終的に敗北させるものは、コラーンの文献学的研究によって、「この部分は旧約聖書からのパクリ」「ここはミトラからのパクリ」「これは新約からのいただき」「これは後からの追加」みたいなことを明らかにすることだと思う。

 ちなみに、キリスト教の場合は、18世紀あたりからこうした研究が本格化して、20世紀前半にカタがつけられた。いまは、とても危なくてできないが、アメリカあたりが本当にカネを出して、研究者を集めれば、20年ぐらいで結論が出るんじゃないかと思う。

 あと、今回も「新約聖書が一般に普及するようになったのも、ギリシア語に訳されてからである」というヒドイ間違いも散見される(p.222)。これは、おそらく、旧約聖書のギリシア語訳である「70人訳」と、新約聖書はギリシアで書かれているということをゴッチャしているためだと思うが(まさか、マルコのプロトタイプのアラム語版の存在についての論議ではありえないし)、まあ、学術書でもないので大許し。

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Comments

こんにちは。pataさんの読書の勢いってすごいですねえ。
別の本を探して検索してたら,この本,並み居る強敵?を押さえて今Amazonのトップセラーなんですよね。そんなに売れるタイトルだったのかとあらためてびっくり。みんなそんなにこれ読んでるのかと認識を新たにしました。ミステリやライトノベルだけが売れてるわけじゃないんだなあ。そういう僕はいつも店頭で素通りするだけですが(ゴメンナサイ)。

Posted by: ALGOL | December 24, 2004 at 04:43 PM

ALGOLさん、いつもコメントありがとうございます。

塩野さんの本は、なんつうか企業の管理職や高級官僚なんかにも読まれているんじゃないでしょうかね。あと、政治家とか。司馬遼太郎さんがお亡くなりになってからは特に、そうした傾向が強くなってきたんじゃないか、と。

でも、そうした「坊やたち」(by塩野さん)たちが、塩野さんや司馬さんの本を賞賛しすぎるのもなぁ、と思っているんです。

網野善彦さんが「司馬遼太郎さんの『明治という国家』の影響であまりにも明治崇拝、明治維新崇拝がいきすぎているが、本当に明治という時代は、手放しで賞賛していいのか」と書いていましたが、そんな感じ。

でも、間違いなくエンターテイメントとして面白いんですから、個人的には大許しなんですが…。

Posted by: pata | December 25, 2004 at 11:06 AM

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