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December 29, 2004

ネグリ『ヨブ』#1

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『ヨブ 奴隷の力』アントニオ・ネグリ、仲正昌樹訳、情況出版

「みんながめいめいじぶんの神さまがほんたうの神さまだといふだらう、けれどもお互ほかの神さまを信ずる人たちのしたことでも涙がこぼれるだらう。それからぼくたちの心がいいとかわるいとか議論するだらう。そして勝負がつかないだらう。けれどももしおまへがほんたうに勉強して実験でちゃんとほんたうの考えとうその考えとを分けてしまへばその実験の方法さへきまればもう信仰も化学と同じやうになる」
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

 ヨブ記に吸い寄せられたマルクス者としては二人が思い浮かぶ。それは吉本隆明さんと、シモーヌ・ヴェイユ。

 1997年に出版された吉本隆明さんの『ほんとうの考え・うその考え』春秋社は「賢治・ヴェイユ・ヨブをめぐって」という副題の通り、法華経の信者である宮沢賢治、カトリックに限りなく近づいたヴェイユ、そして旧約正典なんか書きかえちゃってもかまわないんだという「ヨブ記」をめぐる3本の講演から構成されている。特に「ヨブ記」に関しては阪神大震災の後に現地で行われたものを収録しており、緊迫感に満ちている。どんなモチーフの講演だったかとうと、ヨブ記のラストに出てくる神の言葉はあまりにも単調だ、と。ならば、「じぶんは信仰があついにもかかわらず、こういう苦難を受ける理由がなにも述べられていないじゃないか」と感じた一人ひとりの読者がヨブ記の続編を書き直すしかない、と。

 ユダヤ教徒あるいはキリスト教徒からすれば仰天の主張だが、「どうせ誰かがつくったんですから、最後にじぶんの倫理観が納得しなかったら、ここはちがうって言いきっちゃったほうがいいとおもいます。またそういうふうにじぶんの心の振る舞い方の輪郭をきめていくのがほんとうだっていうふうにぼくは思えます」(p.175)とまで書いている。しかし、これは驚くにはあたらない。なぜなら、ヨブ記自体もいっぺんに成立したものではなく、原テキストに大幅な加筆が行われたことが、文献学的にもあきらかになっているからだ。

 前にも書いたけど旧約は単調でつまらない。歴史書の部分などはハリウッドが喜んで映画化できるような単純なものだし、詩篇はいっちゃってる人向け、小預言書は繰り言を集めただけのものだし、レビ記なんかは単なる法律。でも、「伝道の書」と「ヨブ記」はすごい。どこが凄いか。それを吉本さんは「ヨブの言葉と受難にたいする考え方だけは、聖書の流れを超えて普遍的に現在にいたるまでの問題を孕んでいます」(p.58)と書いている。

 もうひとり、ヨブに吸い寄せられた人としてはシモーヌ・ヴェイユが思い浮かぶが、ヴェイユのヨブ理解というは痛々しくって長く引用する気はなれない。ヴェイユが最も惹かれている箇所は、なんとヨブ記の9.15-23*1。岩波版から9.23だけを引用すると、不幸のどん底に落とされたヨブは神を「大水が襲い、突然人々のいのちを奪っても、彼は無実の者たちの溶解を笑うのだ」と糾弾する。ここの箇所は、サタンが神に対してヨブに苦しみを与えようとそそのかすの「するとサタンはヤハウェに答えて言った『ヨブが理由なしに神を畏れるものでしょうか』」(1.9)というヨブ記のテーマが、逆説的だが最も過激に鳴り響くところだ。ちなみに9.23の「無実の者」はヘブライ語のNiQaHで、ヨブ記では邪悪な者との対比で使われる言葉だが、ヴェイユは「これは冒涜ではない。これは苦痛からしぼり出された本当の叫びなのだ」「このモデルからはなれた不幸についての言葉は、すべて多少ともうそで汚れている」とまで『神を待ちのぞむ』で書いてる。ちょっとやりきれない感じがするほどだ。

 ふたりとも、ヨブ記と深く切り結んでいるのは、やはり深刻な敗北体験があったからだと思う。それは「正しいことをやったのに、なぜ、これほど打ちのめされるのか」という経験だと思うし、もし、そこでヨブ記が手元にあれば読まないではおられなかったろう。

 トニ・ネグリも同じような体験をしている。というか、体験だけならば、だいぶハデだ。イタリア共産党に依らない新左翼運動である「アウトノミア(自律)」の理論家として、パドヴァ大学の教師として活動。モロ元首相(キリスト教民主党党首)を暗殺した「赤い旅団」の黒幕であるとして逮捕されるが、獄中から国会議員に立候補して当選。議員特権によって釈放されるとフランスへ政治亡命。パリ第8大学で教えるが、1997年にイタリア帰国。空港で再逮捕されるが、仮釈放を受け
『構成的権力』松籟社
『マルクスを超えるマルクス』作品社
『帝国 グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』 以文社(マイケル・ハートとの共著)
などを書きまくっているのだから、もはや伝説の男。

 このうち、『帝国』については英語版がPDFファイルで公開されているというのだから、年老いてもその暴れん坊ぶりは変わっていない。

 ネグリが『ヨブ』を書き始めたのは、投獄されて4年目。「一九六八年には、人間の幸福と運命の大いなる突然変異が可能となり、世界の全ての尺度を転倒することができるのではないか、と私は驚嘆と共に感じていた。私は一九六八年にそうした感覚を得た」。しかし、運動は挫折し、ユートピアの夢はテロへと変換されてしまった。そして牢獄につながれてるという状況の中で、これは「ヨブが生きたのと同じ経験だ」(p.15)と気づいたからだ。

 結局、ネグリは1968年に見たヴィジョンと、ヨブが最後に見た神のヴィジョンを語りたかったのだと思う。

*1

ヨブ 9:15 わたしの方が正しくても、答えることはできず/わたしを裁く方に憐れみを乞うだけだ。
ヨブ 9:16 しかし、わたしが呼びかけても返事はなさるまい。わたしの声に耳を傾けてくださるとは思えない。
ヨブ 9:17 神は髪の毛一筋ほどのことでわたしを傷つけ/理由もなくわたしに傷を加えられる。
ヨブ 9:18 息つく暇も与えず、苦しみに苦しみを加えられる。
ヨブ 9:19 力に訴えても、見よ、神は強い。正義に訴えても/証人となってくれるものはいない。
ヨブ 9:20 わたしが正しいと主張しているのに/口をもって背いたことにされる。無垢なのに、曲がった者とされる。
ヨブ 9:21 無垢かどうかすら、もうわたしは知らない。生きていたくない。
ヨブ 9:22 だからわたしは言う、同じことなのだ、と/神は無垢な者も逆らう者も/同じように滅ぼし尽くされる、と。
ヨブ 9:23 罪もないのに、突然、鞭打たれ/殺される人の絶望を神は嘲笑う。
(新共同訳)

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