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December 27, 2004

04年の人文書ベストワンは『グノーシス』筒井賢治

gnousis

"書評年度"である12月-11月の間に出版された本で、なんかコメントを残したいと思った本は22冊あった。主に読んできたのは人文書ということもあるが、小説は入っていない。

 新しい知見を得られた、というもので印象に残っているのは『グノーシス―古代キリスト教の“異端思想”』筒井賢治、講談社選書メチエと『徴候・記憶・外傷』中井久夫、みすず書房。

 『グノーシス―古代キリスト教の“異端思想”』に関しては、ネットで展開された議論を読んでみても、グレコ・ローマンの古典の研究者でさえ、グノーシス研究の最前線がこれほどの広がりをみせているのかということで驚いていた。グノーシスというのは、これまでキリスト教の一セクトみたいな認識だったけど、そうではなく、悪はなぜ発生したのかという問題を倫理的に人類が考えてきた大きな流れの中で、たまたまキリスト教に接近したグループがキリスト教グノーシスとして発展したのだ、みたいなパースペクティブを得られたことは個人的にとても大きな財産となった。

 『徴候・記憶・外傷』ではレベ(中井さんはレベットと記しているが)の行動先行理論、みたいなものを始めて知った。ひょっとしたらポランニーの暗黙知なんかともつながるのではないかと愚考するが、人間というのは実際に行動を起こそうと意識する0.5秒前までにはすでに脳内で行動を開始しているものだ、というのは、人間についての新しい見方だと思う。

  中井さんは「脳生理学は、1100万ビット/秒の感覚器に降り注ぐ情報を、どのようにしぼりこんで行動の開始を決定するか、そしてどの部分がどの形で意識の10ビット/秒にまわされるのかを明らかにしてほしい」と書いているが、そもそも人間の認識の仕方というのは「現生人類の知的能力は三万数千年前におこったと考えられる、大脳組織の飛躍的な変化」によるもので、その進化とは「ニューロンの接合様式の革命的な組み換えによって、それぞれの領域で特化して発達していた認知領域を横断的につないでいく通路が形成され、そこで流動的な知性が運動を開始した」ものという新たな認識論を提示してくれたのが、中沢新一さんの『カイエ・ソバージュ』全5巻だった。現生人類こそが無意識をもって地上に出現したヒトであり、心の本質をかたち作っているものが無意識なのだ、というのが5巻目の『対称性人類学 カイエ・ソバージュ』中沢新一、講談社選書メチエのテーマだが、不確定理論どころではない、結局は比喩という基本系の連鎖で認識を深めていくしかない、という現生人類の思考そのものの限界性は、ソシュールなどを改めて考えてみる際にも「なるほどな」とうなづくしかない。

 今年、最も悲しかったことは網野善彦さんの死だろう。しかし、『『忘れられた日本人』を読む』網野善彦、岩波書店など新刊本もまだ出るし、『網野善彦を継ぐ。』中沢新一、赤坂憲雄という立場はしっかりと日本史研究の中に残っていると思う。『僕の叔父さん網野善彦』中沢新一、集英社新書なども含めて、今年一年間は網野さんの本を読むことが多かったが、マルクス者として日本の現実の中で倫理的に生き、学問を貫いたという姿勢は、救いを感じさせる。レヴィ・ストロースの『遠近の回想』の中で、トロツキーが滞在してたフランスの別荘でシモーヌ・ヴェーユが喰ってかかる場面を目撃したなんていうところを読んで「かなわねぇな…」と思ったことがあったが、『僕の叔父さん網野善彦』の中で描かれている当時は無名の網野さんと、中沢新一さんのお父さん、叔父さんたちが、日共の路線をめぐる論争を真摯に行い、やがてそれを乗り越える道を、マルクスの書簡から得るなんていう場面は本当にいじらしい。まわりから「いつまでも、つまんないことばっかり考えているんじゃないよ」という目でみられても、「結局、挫折かよ」と笑われても、それは尊いことだし、その考える過程の中で救われているじゃないかと思った。

 物心をついてから、貧困というかアジア的というか、そうしたものとは無縁で過ごした「ワイズ・サーティ」の世代が、これまでのしがらみを破って、様々な分野で活躍をし始めているというのが、なんとなく人文書の世界からもうかがえるようになってきたな、と思う。『歴史学ってなんだ?』小田中直樹、PHP新書などもそんな一冊。最高のブックガイドでもあった。

 『福音書=四つの物語』加藤隆、講談社選書メチエも忘れがたい。これまで日本で主流だったようなエセ倫理的な新約聖書の読み方を加藤先生はこっぱみじんに吹き飛ばす。エセ倫理とは、例えば三浦綾子さんの小説のようなものに結実されるような読み方である一方、一回半ひねってイエスは小さきもの、虐げられているものの味方だ、みたいな田川建三御大のような過激な方向も含む。「そうじゃないでしょ」と加藤先生はあっけらかんと社会学的手法で福音書を斬りまくる。そして、それでも残ったものを考えていこうじゃないの、と言っているんじゃないか。ちなみに、Amazonのブックレビューで、この本をベタ褒めしたら、5人中1人しか「このレビューが参考になった」と投票してもらえなかった…。まあ、いいけど、イエスならこの本を読んで感心すると思うよ。

 同じブックレビューでも「参考になった」と多くの人から投票してもらったのが『創価学会』島田裕巳、新潮新書。オウム事件で大学を追われた島田先生だが、復活して、いい仕事をしている。『創価学会』は、なぜ低所得者の組織化で日本共産党に勝ったのかということがよくわかる。そして、初代、二代目の会長にまつわる"神話"もブチ壊してくれる。この組織は、社会運動という面では役割を終えつつあると思うが、パワーにしがみついているので、こうしたアカデミックな立場からの批判はもっとほしいところだ。

 『酒乱になる人、ならない人』真先敏弘、新潮新書は体調管理に最も役立った。ハイチオールCなどL-システインを含む錠剤を呑むようになって、飲みすぎで調子が悪いということが本当になくなった。感謝。アル中のDNA分析はまだはじまったばかりだというが、そうした研究の中から初めてブラックアウトの原因なども説明されて、不安が取り除かれた。なんか、飲みすぎに拍車がかかったのはマズイが…。

 個人的には台湾がマイブームとなった。『哈日族 なぜ日本が好きなのか』酒井亨、光文社新書と『台湾総統列伝―米中関係の裏面史』本田善彦、中公新書ラクレはどちらも新書で読みやすく、最新の知識を与えてくれる。どうも、酒井さんは民進党派、本田さんは国民党派っぽい。酒井さんは、いまどきの若い日本人学生が現代台湾に興味を持つと、必ずブチあたるような人らしい。新年も期待したい。

 さらに個人的には今年、福野礼一郎さんに出会えてよかった。『極上中古車を作る方法』福野礼一郎、二玄社なんかサイコー。あまりクルマには興味がなかったのだが、徐々に気分がたかまっている。

 『いとしこいし 漫才の世界』喜味こいし、戸田学、岩波書店は懐かしい。『田宮模型をつくった人々』田宮俊作、文藝春秋はタミヤファンなら必読。

 『熱情―田中角栄をとりこにした芸者』辻和子、講談社は戦前から戦後にかけての神楽坂の風情が素晴らしかった。『攻撃計画(Plan of Attack)―ブッシュのイラク戦争』ボブ・ウッドワード、日本経済新聞社は、フセインの隠れ場所を知らせる内通者もろとも巡航ミサイルでふっ飛ばすという手法がスゴイと思った。信じられね。『ベルリン陥落 1945』アントニー・ビーヴァー、白水社は戦争の敗者(特に女性などの弱者)がどれほどひどい目に合わされるのかを冷静な筆致で膨大な実例をあげて教えてくれる。これだけ戦場におけるレイプの実体をあからさまに書いた本は初めて知った。

 『「ならずもの国家」異論』吉本隆明、光文社の「宗教なんか仏教もキリスト教もイスラム教も全部同じ」「それが高度になったのが国家」というぶっちゃけ気味のフレーズは忘れられない。吉本さん、中井さんと同じく日本の知識人の良心ともいえるような長谷川宏さんだが、今年も『いまこそ読みたい哲学の名著』光文社で心洗われた。

 『ナイン・インタビューズ』柴田元幸(編)、アルクによって、柴田さんお勧めの米国の現代作家の本を何冊か読ませてもらった。『私・今・そして神―開闢の哲学』永井均、講談社現代新書は完成されていないが、その分、緊張感がすごかったな、と思う。

 とにかく今年のベストは『グノーシス―古代キリスト教の“異端思想”』筒井賢治、講談社選書メチエ。分かりやすく、しかも面白く、さらには新しい研究成果を惜しげもなく投入して書くという態度にも好感が持てる。来年も期待してます。何も差し上げられませんが、心からの拍手をお送りします。

 また、冬休みのうちに5冊ぐらい読みたいという方には上記の中から以下をお勧めします。

『グノーシス―古代キリスト教の“異端思想”』筒井賢治、講談社選書メチエ
『対称性人類学 カイエ・ソバージュ』中沢新一、講談社選書メチエ
『僕の叔父さん網野善彦』中沢新一、集英社新書
『徴候・記憶・外傷』中井久夫、みすず書房
『福音書=四つの物語』加藤隆、講談社選書メチエ

 しっかし、こうみると人文書は講談社選書メチエでもっているようなもんだな…。

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Comments

pataさん、こんにちは。というより、かなりおひさしぶりです。その節は、ブラウン先生の「シークレット・マルコ」に関する論文を送っていただくなど、大変お世話になりました。
最近ブラウン先生の本を読み返していて、pataさんのことを思い出し、ふと思い立って検索サーチをかけてみて・・・<ここ>にたどりついた次第です。文面から察するに、お元気そうなので、とてもほっとしました。
もう修士論文は書かれたのですね。どこかで読めるのでしょうか?
追伸 網野善彦氏や氏の著述については門外漢ですが、2月に中沢新一氏が私の住む北陸のとある田舎町を訪れ、網野氏に関する講演会をされました(私は、仕事でいけませんでしたが・・・)。

Posted by: cherubino | April 18, 2005 at 02:05 PM

いや…見つかってしまいましたですか…お恥ずかしい…。
恥ずべき「論文」かもしれませんが、一応、修了させていただいたので、メアドに住所を書いて送ってくださいまし…。プリントアウトして送らせていただきます…。
花粉症の最後のあがきがすごくて、特にこの一週間はマトモに本が読めなかったのですが、ペイゲルスの新作をようやく読み終えましたので、後で書こうと思います。
ThomasとJohnの新しい関係にスポットライトを当てたペイゲルスの本ではR.E.BROWN"John I, II"を読み直さなければならないな、と思っていたところなのですよ。うーむ、奇遇…。一年に何回かは「忘れないうちにギリシア語やっとけ」と言われるようなことに出会います。実は筒井先生の本でも、院時代の恩師にネット上でお会いしまして…。

ということですが、コプト語FONTを新しいマシンに入れ替える時に失ってしまったのですが、何が良かったんでしたっけ?ついでに教えてください!

Posted by: pata | April 18, 2005 at 03:04 PM

pata さん、こんにちは。さっそく、お返事をいただき感謝しております。論文楽しみにしております。もし差し支えなければですが、電子データでいただいてもかまいませんが、そのほうがお手間でしょうか?
こちらも最近は仕事にかまけ、なかなかまとまった勉強ができていません。「福音と世界」(新教出版社)の新約釈義で荒井献先生の「使徒行伝」が始まったのをきっかけに、ちょっと今まで手にしなかった原始キリスト教関係の資料をかじっているくらいです。
歴史のイエスから福音書テキスト(および外典)を見るというより、逆の方向=原始キリスト教から福音書テキストを見る方が、より生産的な議論であると、いまさらながら考えたりもしています。
おたずねのコプト語フォントですが・・・
http://www.geocities.com/Athens/9068/x_fonts.htm
あたりでどうでしょうか?手写本風のなかなか雰囲気のあるフォントです。
では。また、やってきます。

Posted by: cherubino | May 02, 2005 at 01:47 PM

荒井先生のはそのページだけいつもコピーして読んでます。イェルベルあたりの成果はさすがに入れてますが、古色蒼然たる感じというより、最初の上巻が出た時の構想から逸脱しないように、とにかくまとめる、という感じでやつておられる感じがします。

えーと、ではデータをお送りしますのですが、くれぐれも恥ずかしいので、人様にはお見せになさらぬよう…

Posted by: pata | May 02, 2005 at 02:01 PM

pataさん、こんばんは。論文の件、ご配意ありがとうございます。
ところで、ヨハネといえば、日キからブルトマン御大の「ヨハネの福音書」翻訳が、やっと!出ましたね。1941年完結という古典で、1,026ページ、18,900円という大著ですが、やっぱり買いでしょうか?もしお買いになっておられたら、またいろいろ教えてください。

Posted by: cherubino | May 02, 2005 at 11:12 PM

ブルトマンのヨハネですが、英訳を運良く持っておりまして、それで済ませております。

また、不完全ながら白井きくさんという方が『ブルトマンと読むヨハネ福音書 上中下』と『ヨハネ福音書の原型』白順社を出しています。

ブルトマンのヨハネは、いわゆる錯簡説に関して詳しく書かれているのが特徴だと思います。しかし、専門外ではありますが、研究史の中では錯簡説はもはや過去のものではないでしょうか。

つか、翻訳のご苦労には感謝しますが、正直2万円近いおカネは出せません、という感じです。

Posted by: pata | May 03, 2005 at 08:27 AM

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 押さえておきたい分野の話だったので一応買って置いたが最初のあたりで止まっていたのを、「pata:本とサッカーの日々」の2004年人文書総括の中で評されている... [Read More]

Tracked on January 06, 2005 at 08:36 PM

» [本]筒井賢治『グノーシス』(ISBN:4062583135) [主に挫折と限界の日々]
pataさんのサイトで2004年の人文書ベスト1に挙げられていたもの。前々から興味あるテーマだったので読んでみました。もろもろの事情でかなり時間がかかってしま... [Read More]

Tracked on February 18, 2005 at 07:57 PM

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