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November 27, 2004

『「日本」をめぐって』

『「日本」をめぐって』網野善彦、講談社

 網野さん唯一の対談集。講談社から『日本の歴史』シリーズ26巻が刊行され、網野さんはその00巻で『「日本」とは何か』を執筆したことから、「日本」という国、天皇の存在、民族とは何か、ということをテーマとして樺山紘一、三浦雅士、小熊英二、田中優子、成田龍一、姜尚中の各氏を相手に集中的に語り合っている。

 面白かったのは小熊英二さん。網野さんに挑むような、対談というよりはインタビュー。若手の研究者らしく、よく勉強してきて、それを全部ぶつけてみました、みたいな感じがよかった(痛々しいところもあったが)。あとは、姜尚中さんかな。

 日本史に関しては素人なので、姜尚中との話で、アジア的停滞の中で日本の社会だけが、辺境の草深い東国から身を起こした武士たちが、腐敗した天皇・公家を克服して封建制を作り上げたらから日本が植民地にならなかったという主張が、石母田正さんの『中世的世界の形成』あたりからはじまったというのは知らなかった。また、「新しい教科書をつくる会」の面々は、中国や韓国などが「ナショナリズムの発情期」にヒートアップしていることに危機感を持っているのではないか、という主張は面白かった。ここら辺の話は、小熊英二さんとの対談で、「新しい教科書をつくる会」の西尾幹二さんなどは、江戸時代の識字率とか女性の経済能力、庶民の力量を低くみる一種の「自虐史観」だと言い放つところまでいく。

 さて、小熊さんとの対談。これだけでも読む価値あり。網野史観のバックグラウンドがここまで自分の言葉で語られたことはなかったと思う。

 ここでも網野さんは、マルクスの「ヴェラ・ザスーリッチへの手紙」を読んで、「マルクス自身が進歩史観ではないことを知り、自分自身の考えの一つのよりどころにするようになりしまた」(p.148)と書いているが、それを読んだのは運動に挫折して、ひとりでマルエン選集を改めて読み直していたときだったという。また、コミュニズムを共産主義と訳したのは、「歴史上、最大の誤訳の一つではないかと思うのです」(p.186)として、コミューンなどの人間社会の結びつきを重視した表現の方がいいだろう、としてる。

 網野さんは、どんな挫折をしたのかというと、反米愛国路線の日本共産党の運動方針に沿って、石母田正さんが「英雄時代論」を書き、藤間生大さんがヤマトタケルをまさしく英雄時代の英雄と評論したりするようなトンデモ論文を発表するような雰囲気の中で、「会議会議で日を過ごし、口先だけは"革命的"に語り、"封建革命""封建制度"などについて、愚劣な恥ずべき文集を得意然として書いていた」(p.150)のにヤんなった、としている。しまいには、民族派に属する研究者たちは山村工作隊のために紙芝居をつくるようなハメに陥っていく、というあたりは痛々しい。ゲバラもそうだし、武装闘争時代の日共や、連合赤軍もそうだけど、農民相手にオルグするのは難しいわな…。そして、こうした50年代前半の「国民的歴史学」運動は、歴史学を国民のものにというスローガンのもとに行われた、日本の歴史学の文化大革命みたいなものだった(p.149)という小熊さんの指摘は、鋭いと思う(考えてみれば農民相手にオルグを成功させたのは毛沢東だけかもしれない…)。

 さらに、天皇支配などから逃れるための無縁(世間との縁切り)と、そこで生きていくための自由な場としての公界とユートピアとしての楽を描いた『無縁・公界・楽』に関して、小熊さんが「ここで描かれているような周辺化された人々こそが、網野さんの歴史観ではまさに天皇を支え(pata註:後醍醐天皇による反鎌倉勢力の組織化)、資本主義の端緒をつくり、かな文字を携えて民族統一意識みたいなものをつくっていった人々でもある」というアンビバレントなところを指摘したことに対して、「ご指摘のとおりの矛盾があるのは間違いありませんし、そこに根本的に重要な問題があるのだということをいま改めて考えています」と語る場面は、もしかして、この対談の一番、うまくいったところかもしれない(pp.190-191)。

 というのも、この後、網野さんが珍しくエキサイトするんですわ。

 小熊さんは「網野さんによる中世史学界における東と西の対比で面白いのは、東のほうが後進地域なんだけどれども、理論的にはヨーロッパ流というか、ヨーロッパの封建制と比較する。そして西のほうは先進地域なんだけれども、アジア派というか、中国などの封建制をモデルにするという位置づけになって」(p.198)いると指摘した上で、「『東』のほうがヨーロッパの封建制に近いといえば近いし、だからこそ天皇の影が薄いわけですが、網野さんとしては、『西』の民衆自治の方に肩入れする。けれども、『西』を中心にして広がっている天皇の権威に対しては非常に抵抗なさいますね」(p.200)とチクリと一刺し。さらには「網野さんの史観というものは、現在の日本の現状に非常に見合った史観なのである。八〇年代以降、農業人口が減少し、国内でも国際的にも移動が激しくなりといった日本社会の常会があるなかにおいて、網野さんの史観のほうが、かつての農民中心史観よのもむしろ人々のの生活感覚に合う」(p.222)「網野史観で植民地支配の批判になるかと思ったら、あまりなっていない」(p.223)と続く流れは、どうやったらおとなしい人を怒らせることができるかのいい見本だと思う。

 網野さんは「なぜ現在のように"網野史観"などという評価を世の中からうけるのかわからない」「『百姓は農民ではない』というまぎれもない事実を強調することによって、農業を否定するどころかむしろ農業・稲作のこれまでの固定的な作られたイメージを変え、その本来のあり方を多様な生産の中に位置づけ、それを本来あるべきところに位置づけることによって、農業をはじめ日本社会の新しいとらえ方、より正確な社会像のは愛が可能になるだろうと思って言っているのです」(p.225)とブチ切れ、小熊さんも「いささか抽象的な質問でした」(p.226)と謝って終わる。

 これだけスリリングで激しい対談は吉本隆明さんと赤坂憲雄さんの『天皇制の基層』講談社学術文庫を読んで以来かな。『天皇制の基層』では吉本さんが赤坂さんをやり込めて、それをそのまま載せてしまうんだけど、さすが網野さんは、自分でブチ切れるだけで相手をやり込めないのはアカデミズムの尾っぽがあるからかな。

 それにしても、フーコーを持ち出していったんは網野さんを持ち上げようとしてすべったあたりから、見事に体制を立て直して、最後は相手をブチ切れさせた小熊さんの力量はたいしたもんだ。こんな面白い本が2年前に出されていたのかと思うと、改めて読書量の不足を思い知らされる。

 網野さんの著作を何冊か読んだあと、これと『僕の叔父さん 網野善彦』中沢新一を読むと、よりシャープに論議をとらえることができると思う。

 あと、西尾幹二は昔、左翼をやっていたと思うけど、そうした「昔の左翼」の尻尾が日共の「反米愛国路線」であり、いま聴くと「これ右翼の歌?」みたいな『民族独立行動隊の歌』に表象されているような屈折した意識であり、ちょっと前まではフツーの"愛国少年"だったであろう西尾少年のココロに素直に響いていたのかもしれないと想像してしまう。そして、ヤマトタケルを民族の英雄として称えたような日共の御用学者さんたちの流れは、いまの北朝鮮や中国の"ナショナリズムで持たせる毛沢東主義体制"をもつくりあげていったんだと思う。つまり同根、と。

 そして、逆に網野さんは皇国史観の権化のような平泉澄や中村直勝にインスパイヤされ、保守系の歴史家である津田左右吉さんや清水三男さん(この人はマルクス主義から天皇賛美への転向派)を高く評価しているというのは、面白いと思う。大愚は大賢に通じるというか。

 こうした日共というかスターリン主義的なトンデモ史観に興味を持ったので、さっそく『歴史としての戦後史学』を購入「研究史の研究史」について学んでみることにした。

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Comments

○しばらくです。昨日の読売書評『さまよえる日本宗教』山折哲雄著、中央公論新社刊、その評者が、「橋本五郎」。その評評の主意が<網野史観は、「民族」「国家」などを、攻撃するためだけのために、「公界」や「遊女」などの中世語を使った>というようなものです。なんじゃあ、これは。と思い、網野氏関連を熟読されている、Pataさんを、思いだし、そこらあたりのことを、お聞きしたいと思ったわけです。そして、いざ、この『さまよえる日本宗教』のコンテンツだけを見ると、特別に「網野さん」にターゲットを、絞り込んだものにはなってない。なんか、こうした「評」の出方に、意図的な、ある種の政治的なものを、感じたものです。○当方不勉強で、『網野善彦を継ぐ』も読んでない。山折氏のものは、これまで何冊か手にしてますが。ともかく、まずは、読売書評11/28.SUN.是非、ご覧ください。breton.

Posted by: breton. | November 29, 2004 at 08:44 PM

どーも、bretonさん。土日は遊びほうけておりました。で、その書評は朝日でしょうか?。確かにざっと書評欄には目を通したのですが、その書評は記憶に残っていません。しかも、新聞は月曜日に捨ててしまいまして…。

Posted by: pata | November 30, 2004 at 09:39 AM

○「読売」です。要旨だけでなく、後で「詳しく」書きたいと思います。breton.

Posted by: breton | November 30, 2004 at 11:30 PM


読売新聞・11月28日(日曜日)「よみうり堂・本」
○「さまよえる日本宗教」山折哲雄著・評者・橋本五郎(本社編集委員)
<説得ある網野史学批判>とあり、中段から、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 白眉は、「無縁」や「公界」「非農業民」といった概念を前面面に押し立て、日本の中世史を一変させた網野善彦氏への批判だ。網野史学はアンチテーゼとして魅力に満ちているが、そこには大きな問題がある。
 「中世」を理念化し、いわば絶対化された中世から古代を眺望し、近現代を撃とうとする。しかし、そもそも「くぐつ」や「遊女」といったマイナーな遍歴民が時代を切り開いたと思っているのだろうか。結局は、日本における、「国家」や「民族」を、否定するための方法だったのではないのか。
 私を含め、網野史学に魅かれつつ大きな違和感を覚える者にとって、これほど説得力のある網野論はなかった。溢れるばかりの情熱に貫かれ、読む者を引きつけずにおかない。

・・・・・・ということです。
まだ、「さまよえる日本宗教」を、読んでないため、コンテンツをみると、「網野」というものもない。なんか、拍子抜けの感じだが、逆にある意図を感じた次第です。Pataさんも、
是非、一読の上、「なんらかの判断」を、お持ちください。
breton.

Posted by: breton. | November 30, 2004 at 11:56 PM

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