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November 21, 2004

『僕の叔父さん 網野善彦』*2

網野善彦さんは、中沢新一さんの叔母さん(父の妹の真知子さん)と結婚することによって、中沢家に出入りするようになったわけだが、その偶然によって、クリスチャンから共産党員へという、第二次世界大戦後に確かにあった良心の遍歴の典型であったような一家との交流を重ねていく。

 そして、それよって中沢新一さんとの40年以上にわたる「人類学で言うところの『叔父-甥』のあいだに形成されるべき、典型的な『冗談関係』を取り結ぶことにもなった。この関係の中からは、権威の押し付けや義務や強制は発生しにくいというのが、人類学の法則だ。そして精神の自由なつながりの中から、重要な価値の伝達されることがしばしばおこる」(p.14)*2関係も始ったわけだ。

 中沢さんも、ずうずうしいとは断りながらも、同じ「叔父-甥」関係であるデュルケームとモースになぞらえながら「その友愛のいかに深く、いかに得がたいものであったかを、このようしてその叔父を失った今、空の青さのように痛感する」(pp.14-15)と書いている(いいですね。「空の青さのように痛感する」という表現。心に染みます)。

 この本を読むと中沢家と網野さんは、実に三代にわたって、濃密なコラボーレーションを積み重ねるのだが、その中でも重要なのは、網野さんの出世作となったというより、日本史研究の転換点となるかもしれない『蒙古襲来』を執筆する重要なキッカケを得ることになる父・中沢厚さんとの会話だ。それは「飛礫(つぶて=投石)の再発見」。

 網野さんは「飛礫は、奥深く人間の原始そのものにつながっている。飢饉に打ちひしがれ、自然の猛威に苦しむ中世前期の民衆は、その反面に、なお原始の野生につながる強靭な生命力をもっていた。(北条)泰時に不気味な恐れをいだかせたのは、まさしくそういった底の知れない力ではなかったか」と『蒙古襲来』(小学館文庫、p.29)に、日本史研究の論文としては異様な前書きを残している。

 そのキッカケとなったのは、父・厚さんが見た三派全学連がエンタープライズ入港阻止闘争で機動隊に向かって投げた飛礫。その頃、厚さんは日本共産党から除名されていたが、飛礫の映像を見て子供の頃、笛吹川で毎年五月頃やっていた投石合戦を思い出す。そして、この投石合戦のことを調べはじめた厚さんは、子供の頃の投石合戦は「菖蒲切り」という五月の節句の頃に列島の広い地域で行われていた民俗行事であることをつきとめる。しかし、そうした民俗学の説明では収まりのつかない"こと"を感じた厚さんは、網野さんが遊びに来たとき「もっともっと深い、人類の根源的な衝動がそこに働いているように思うんだ」と日本史の資料を調べてほしいと求め、それをキッケカに網野さんからは、三日にあけず分厚い中世の古文書からの抜書きが送られてくるようになり、「兄さん、この問題はとても大事なことですから、ぜひ早く本にまとめてください」と促すことになる。

 結局、中沢厚『つぶて』は法政大学出版局から1981年に出たが「ぼくのことなどに遠慮しないで、まず君がそのことを書くべきだ」(p.54)と促し、1973年の夏休みを利用して『蒙古襲来』は書かれることになる。

 中沢新一さんは、こうしたやりとりが、それまでの実証主義的な歴史学(主に念頭に置いているのは戦後に主流派となったマルクス主義的歴史学)と網野史学を決定的に分ける点になったと書いている。

 「実証主義的な歴史学の中で描かれてきて『民衆』は、こう言ってよければ、近代人としての人間の『底』の抜けていない、ひとつの閉じた概念なのである。『底』が抜けていないことによって、それは近代的に理解された権力と、相対的に同じ地平の中で対立しあう概念となることができる」「しかし、そういう『民衆』の中からは親鸞は生まれてこられないのである。親鸞の魂が到達していた深さにたどり着くためには、近代人の『底』を尽きぬけた『まことの心』*3のレベルまで、達していくことがてできなければならない」(pp.63-64)。そして、それこそ網野さんが「緻密な実証を通して実証主義的歴史学を乗り越えていくという、かつてない歴史学の冒険に踏み出した」(p.65)一歩なんだと思う。

 エンタープライズ入港阻止闘争に端を発した飛礫の発見によって「ぼくはなぜわれわれが反権力の闘争を続けなければならないのかという理由が、わかったような気がしたんだよ」「マルクス主義とかレーニン主義とか毛沢東主義とかいう近代の政治思想なんかにとどまるもんじゃなくて、もっと根源的な、人類の原始から立ち上がってくるなにかじゃないかって思った。われわれの反権力の闘争の根源は、そういう場所から立ち上がってくるものなんだから、党なんてたいした問題じゃない。そう思うと、自分が政治活動で挫折したことなんか、たいして重要じゃないんじゃないかって、思えるようになったのだよ」(pp.50-51)と語る厚さんの言葉には胸をつかれた。

basara.jpg

*2
ここは「重要な価値が伝達されることがしばしばおこる」あるいは「重要な価値の伝達がしばしばおこる」の間違いだと思う。


*3
淨土眞宗に歸すれども
眞實の心はありがたし
虚假不實のわが身にて
清淨の心もさらになし
(欄外 文集 57)


よしあしの文字をも知らぬ人はみな、
まことの心なりけるを
よしあしの字知り顔は、
おおそらごとの形なり
是非知らず邪正(じゃしょう)もわかぬこの身なり
小慈小悲もなけれども
名利に人師を好むなり
(最晩年の和賛)

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