« 『『忘れられた日本人』を読む』#1 | Main | 天皇杯4回戦 »

November 13, 2004

『『忘れられた日本人』を読む』#2

 網野さんは宮崎駿さんの『もののけ姫』で、蹈鞴場に身体をホウタイでぐるぐる巻きにした非人の長吏とみられるハンセン病の人が出てくることについて書いている。エボシ御前のつくったアジールで石火矢をつくっている人々だが、昔観たゼッフィレリの『ブラザー・サン、シスター・ムーン』でも、聖フランチェスコが教会を再建している時に、全身ホウタイの人に指示を仰いでいたような場面があったのを思い出す。

それは、それとして、民俗語彙の到達している深さはすごいな、と改めて一章から引き込まれた。まず「おじぎをする」の「じぎ」。これは元々、時の権力者という意味をもつ「時宜」に由来するという。すると「ときめく」という言葉の「とき」も、こうした時に関わりを持っていることがわかるし、「おじぎ」そのものも、権力者に頭を下げるというオリジナルの意味が理解できる。

 それと「ホウバイ」。中国地方で採取された話に出てくるが、仲間が結婚するとなると、皆で働いて贈り物をするぐらいの強い団結力を持つ「朋輩」の結びつきがあったという。ここら辺は、生活と文化を村に住む対等の仲間がつくる共同体全体で記憶するというような西日本特有の問題があるのかもしれないが。

 あとは「落とす」。これは人間ではなくなること。中世では山の神の力によって、山の中に入った人々の持ち物はいわば"無縁"になってしまうので、山賊たちが持ち物を奪うことが不法となみされなかったことの根拠にもなっている可能性があるという。

 また「おおとび」のように、分からない言葉もある。備中国新見荘領家方所下帳という、国司に接待しすぎたり、年貢を納めてもらった村人たちをねぎらいすぎて、肝心の京都に送る年貢が少なくなりすぎて告訴された代官の"裁判資料"のなかに「大宮のとひむかえ」という言葉があって、そこに由来しているのではないか、という議論は、一章の白眉だと思う。

 「代官は百姓に正月やお祭りのとき、年貢を納めたときなどには酒や肴をだして酒宴をやります。そうしないと、百姓も簡単には年貢を納めてくれないのです。年貢が納められたときには『まあ、いっぱい飲め』ということになるのですが、この情景は狂言にはよく出てきます。この時代の荘園の代官はこういうお付き合いをきゃちんとやって、はじめて経営できたのです」(p.50)というあたりは、眼ウロコだった。

ここまでが第一講「宮本常一との出会い-民族語彙の再発見」。

 第二講 女の「世間」では、「場所は言わないでくれといわれたので申しませんが、現在でもきちんとした儀礼、ルールを守って夜這いが行われているところは、日本の社会に生きている」(p.81)あたりはスゴイな、と。

 『忘れられた日本人』で宮本常一さんは、昭和30年代前半ごろまで、日本の社会には各地で歌垣が残っていたことを書いている。歌垣(うたがき、かがい)は「節のよさ文句のうまさで勝敗をあらそうが、最後にはいろいろなものを賭けて争う。すると男は女にからだをかけさせる。女が男にからだをかけさせることはすくなかったというが、とにかくそこまでいく」というような具合で、本当にうらやましいというかなんだが、このほかにも南河内郡の「一夜ぼぼ」などが戦後まで残っていたことには本当にすごいことだと思う(いまでも、東北の祭りなどでは、世俗の縁が切れて、男女が自由になる場があると聞いているが本当だろうか…)。

 網野さんはこうした話を女学生たちが読んで「非常に驚いていましたが"本当のことだ"と言うと、わりあいにあっさりと彼女たちは受けとめたようにみえましたけども」(p.81)と書いているが、日本の社会には普段は締め付けが厳しいけど、いったん羽目を外すと逸脱するというような自由さがあって、それはぼくたちの心根のどこかに残されているんじゃないかと思う。

 後は、好事家がネタバレみたいな話に喜んでいるようなものだけなのかもしれないが、『海と列島の中世』で印象深かった場面が、固有名詞付きで再現されていたところがあった。前に書いた所を自分でコピペすると以下のようになるが、

..........Quote..........

 1950年に大学を卒業したばかりの網野さんは、水産庁が常民文化研究所に委託して行った漁業資料の募集・整理の仕事に携わることになる。おそらくこれが研究者としての第一歩だろうと思われるが、中世以来の特権を持つような漁村を調査し、資料を収集する旅に出る。羽織、袴をはき、「境迎え」してくれた長老たちは、宴を前に、資料の入った長持を前に「いかがしたものか」と文書借用に関する合議を行い、許可されるのだが「鮑や烏賊のおどろくべき新鮮な味とともに、この経験は私にとって、やはりわからないながらもきわめて強烈であった」(p.313)としている。しかし、水産庁の予算はとぼしく、収集された資料はすべて整理されず、常民研は財団法人としても解体される。その常民研を招致したのが神奈川大学であり、網野さんも短大の教授としての職も得て、残務整理にあたったという。そして、古い借用書を手がかりに、30年前の漁村へ返却の旅に出る-というのが、漁民を日本史に引き入れた網野さんのバックグラウンドにあったというのは、知らなかった。

..........End of Quote..........

 ここで「いかがしたものか」と区長が尋ねている言葉は「東京から水産庁の用事で宇野さん、網野さん、中沢さんの三人がおみえになり、この文書を借りたいといっておられるけどいかがしましょうか」(『『忘れられた日本人』を読む』p.92)となる。この宇野さんというのは1969年に急逝された宇野脩平さんだが、中沢とあるのはひょっとして網野さんの親戚でもある中沢新一のおとうさんの中沢厚さんではないだろうか(違うかな…と最初に書いたのだが、ここの「中沢」さんは、後に網野さんの奥さんとなる人で同じ研究所に勤めていた中沢真知子さん=中沢厚さんの妹のことだと思う)。

 あと、もうひとつのネタバレだが、『海と列島の中世』など網野さんの"海民モノ"によくでてくる時国家(ときくにけ)のこと。時国家は上時国家と下時国家に分裂している。これは下時国家が前田家領、上時国家が加賀藩領となったためだが、そもそも下時国家は時国家の隠居(あぜち)の庵室だったものだという(p.94)。日本では院政などのように「かつて"おもや"に対して隠居の方が力をもっていた時期があった」というが、いまの上時国家にそこら辺のところを説明しても「分家だ」といってとりあわず、両家はまだ円滑ではないという。そして、院政などのように隠居が現役と対等の力を持っているということは、日本の特異性(p.95)だという。これなんかも、ついこの間まで隠然たる権力を持っていた日本の企業社会における実力派「顧問」、逐一相談しろみたいな「相談役」の存在にも現れていたと思う。

 第三講「東日本と西日本」、第四講「百姓」とは何かあたりは、あまり目新しいものはなかったが、これもネタバレ的に「なるほどね」と思ったのが、やっぱの中沢新一さんがらみの話。

 昨年11月に発売されていた『精霊の王』で中沢新一さんは、胞衣(えな、胎盤)とミシャグチ信仰に関して書いているのだが、その胞衣の処理方法に関して研究した木下忠さんという方の論文に、胞衣を穢れとして遠ざけて捨てるのが西日本、玄関など人に踏まれるところに埋めるのが縄文期の遺跡と東日本の風習に残っていると書いているという。

 中沢新一さんは、赤坂憲雄さんとの『網野善彦を継ぐ』の中で、残っている文書で証明する必要のない中沢さんの学問に対して「そんなことが言える君が羨ましいよ、まったく」(p.41)と網野"おじさん"から言われたことをしゃべっているが、基礎的な学問というのは、まったく大変なことだな、と改めて思う。
ena.jpg

|

« 『『忘れられた日本人』を読む』#1 | Main | 天皇杯4回戦 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23829/1953305

Listed below are links to weblogs that reference 『『忘れられた日本人』を読む』#2:

« 『『忘れられた日本人』を読む』#1 | Main | 天皇杯4回戦 »