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November 21, 2004

『僕の叔父さん 網野善彦』*1

『僕の叔父さん 網野善彦』中沢新一、集英社新書

 マルクスに「ヴェラ・ザスーリチからの手紙への回答」という書簡がある。マルクス・エンゲルス全集なら19巻、文庫本でも『資本主義に先行する諸形態』国民文庫の中に収められている有名な手紙だ。

 ただし、正式に出された手紙自体は面白くもなんともない。結論は、ミール共同体は「ロシアにおける社会的再生の拠点であるが、それがそのようなものとして機能しうるためには、まずはじめに、あらゆる側面からこの共同体におそいかかっている有害な諸影響を除去すること、ついで自然発生的発展の正常な諸条件をこの共同体に確保することが必要であろう、と」(マルクス・エンゲルス全集第19巻、p.239)というぐらいだから*1。でも、この手紙が有名なのは、この短い手紙を書く前にマルクスが残されているだけでも、3つの下書き(本当は4つあるといわれている)を重ねていて、その下書きに残された言葉が貴重だから。

 特に第3稿では「耕地は耕作者の私的所有となっているが、同時にまた森林や牧地などは依然として共同所有のままになっているこの共同体はゲルマン人によって、その征服したすべての国々に導入され」ており、こうした農耕共同体は「原始的な共同社会から区別する最も標徴的な諸特質を考察しなければ」ならず、それは農業共同体が「血のつがりによって束縛されない、自由な人間たちの最初の社会集団となる」からだ、と高く評価している(p.405-406)。

 レーニン流の考えによれば前近代的農村は、資本主義の成果を取り入れることで、私有や資本主義発達過程を経ることなく共産主義に移行できる可能性があるというロシア革命の理論的バックボーンとなるようなところだが、最初に読んだ印象は違った。明らかにミールなどの"遅れた共同体"に、人類が失ってしまったような大きな可能性を認めていたと感じるのが政治的なバアイス抜きでの素直な読みだと思う(まあ、後になって言うは易しだが…)。

 マルクスの書簡は、初めて読む人にとっては、意外ともいえるような明るく牧歌的な考え方が示されていて、おそらく、現実の政治運動から離脱した多くの人も後から懐かしく思い起こし、自分の考え方のやはり大きなコーナーストーンであり「家造りのたちの捨てた石、それこそが隅の親石となった」(マタイ21.42)ようなものかもしれないと、思うことがある。

 長々と書いてきたのは、網野善彦さんと、中沢新一さんのお父さん(厚さん)、叔父さん(護人さん)たちが、延々とこうした問題について議論をしていて、その中で網野さんがザスーリチからの手紙への回答を引き合いに出して「ミール共同体の中には、原始・未開以来の人類の知恵が生き残っている。それを破壊してはいけない、と言っているんじゃないでしょうか」(p.42)と語っていたと書かれているから。そして、網野さんのそうした考えは後の「百姓」は必ずしも農民とはイコールではなく、様々な職業の非農業的なものへの関心に向かっていくわけだが、こうした直感を呼びさましたのは、厚さんと護人さんが繰り広げた日本共産党の内部論争だったということにぼくは感動した。

 当時、日共の中は中国派、ソ連派、独立派に分かれて論争を繰り返してしたわけだが、「東アジアの一角で、この(中ソ)国際的論争をきっかけにし、一家の中でこんな激烈な思想の闘いがくりひろげられていたことなどを、よその人は誰も知らない」(p.39)。いまとなっては、それ自体では何の価値もない論争として片付けられると思う。しかし、そこに兄弟たちの妹と結婚した網野さんが上がりこんで、厚さんの手作りの密造葡萄酒を飲りながら「熱心に聞き耳をたてていたことによって、兄弟間で闘わされたこのときの激しい論争は、無駄な骨折りで終わらないですんだ」(p.39)わけだ。

 そして、網野さんは中沢新一さんに、「あの論争でぼくの思考はずいぶん鍛えられたんだよ。すばらしい学校だったなあ。あんなふうに純粋に自分の思想をぶつけ合う人々に、ぼくははじめて出会ったんだよ」と懐かしそうに語っていたという(p.43)。

 ぼくも高校から浪人ぐらにかけて、いま思うと本当につまらない論争をずいぶんやってきた。その中で学んだのは、残念ながら論争術みたいなものばかりで、本当になさけなくわけだが、そうしたことにイヤ気をさし、つまらない論争に勝って満足するよりも、そんな時間があったら、本でも読んでいようというスタイルに傾いていった気がする。どのみち、ぼくの場合、大した業績もなくこのまま本だけを勝手気ままに読んでいくだけで終わるだろうけど、そんなアマチュアにも、もしかしたら、人様に何かインスパアさせるものがたったひとつでもあったんじゃないだろうか、という救いの可能性を、この話から感じて、いきなりジーンときてしまったという次第。

 なお、中沢新一さんは「マルクスとザスーリッチとの往復書簡」(p.41)と書いているけど、往復書簡というのは、例えば1960年まで2年間ぐらい続いたマルクスとエンゲルスのインド・中国問題にかんする往復書簡みたいなもの指すと思う。ここは、マルエン全集を引っ張り出してきて「マルクスからザスーリチに宛てた手紙の回答」みたいな方がいいと思うけど、どんなもんだろう。

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*1
「ヴェ・イ・ザスーリチへの手紙」 
              一八八一年三月八日
              ロンドン、北西区、メートランド・パーク・ロード四一番 

 親愛な市民。
 一〇年このかた周期的に私をおそってくる神経病に妨げられて、私は、二月一六日付のあなたの手紙にたいして、もっと早くご返事をさしあげることができませんでした。あなたが私にご提出になった問題について、公表を予定した手みじかな説明をお送りすることができないのは残念です。私はすでに数カ月まえに、この同じ論題について論文を書くことをサンクト-ペテルブルク委員会に約束したのでした。しかしながら、私の学説と言われるものにかんする誤解についていっさいの疑念をあなたから一掃するには、数行で足りるだろうと、思われます。
 資本主義的生産の創生を分析するにあたって、私は次のように言いました。
 「資本主義制度の根本には、それゆえ、生産者と生産手段との根底的な分離が存在する。……この発展全体の基礎は、耕作者の収奪である。これが根底的に遂行されたのは、まだイギリスにおいてだけである。……だが、西ヨーロッパの他のすべての国も、これと同一の運動を経過する。」
 (『資本論』フランス語版、三一五ページ)
 だから、この運動の「歴史的宿命性」ほ、西ヨーロッパ諸国に明示的に限定されているのです。このように限定した理由は、第三二章の次の一節のなかに示されています。
 「自己労働にもとづく私的所有……は、やがて、他人の労働の搾取にもとづく、賃金制度にもとづく資本主義的私的所有によってとって代わられるであろう。」(前掲書、三四一ページ)
 こういうしだいで、この西ヨーロッパの運動においては、私的所有の一つの形態から私的所有の他の一つの形態への転化が問題となっているのです。これに反して、ロシアの農民にあっては、彼らの共同所有を私的所有に転化させるということが問題なのでしょう。
 こういうわけで、『資本論』に示されている分析は、農村共同体の生命力についての賛否いずれの議論にたいしても、論拠を提供してはいません。しかしながら、私はこの問題について特殊研究をおこない、しかもその素材を原資料のなかに求めたのですが、その結果として、次のことを確信するようになりました。すなわち、この共同体はロシアにおける社会的再生の拠点であるが、それがそのようなものとして機能しうるためには、まずはじめに、あらゆる側面からこの共同体におそいかかっている有害な諸影響を除去すること、ついで自然発生的発展の正常な諸条件をこの共同体に確保することが必要であろう、と。

                         親愛な市民よ、あなたの忠実な
                                   カール・マルクス

『マルクス・エンゲルス・アルヒーフ』第一巻一九二四年にはじめて発表手稿によるフランス語の原文から翻訳(平田清明訳)

  『マルクス=エンゲルス全集』第19巻、大月書店、pp.238-239

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Comments

>網野さんのそうした考えは後の「百姓」は必ずしも農民とはイコールではなく、様々な職業の非農業的なものへの関心に向かっていくわけだが、こうした直感を呼びさましたのは

ぼくも網野さんのこの視点にインスパイアされたわけですが、
さかのぼると兄弟の論争からだったというのは、面白い。
精々ぼくはブログで、せめて反面教師ぐらいの反応でもあれば、嬉しいなぁ…と、自己満足するしかないのかな(笑)。
この新書は読んでみたいです。

Posted by: 葉っぱ64 | November 21, 2004 at 10:12 AM

いやー、素早いレスポンスをありがとうございます。

ぼくも高校時代のくだらない論争や、院や研究会での低レベルでくだらない質問も、もしかして何かの役にたっていいた可能性があるかもしれない、ということを思い、ずいぶん慰められました。

ぜひ、ご一読を!そして感想を読ませてください。

Posted by: pata | November 21, 2004 at 04:10 PM

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