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November 13, 2004

『『忘れられた日本人』を読む』#1

『『忘れられた日本人』を読む』網野善彦、岩波セミナーブックス

 宮本常一『忘れられた日本人』は奇書というのだろうか、それとも、初めから古典となることが義務付けられたような風格がある本というのか。

 網野さんは、岩波文庫の『忘れられた日本人』の解説を書いているのだが、同時に神奈川大学短大で長い間、『忘れられた日本人』を学生たちと読んできたという。そうした長い付き合いがもたらした理解の豊穣さ、深さが、ほぼ白鳥の歌といってもいいようなこの『『忘れられた日本人』を読む』にはある。

 80年代から90年代にかけて学生さんたちとこの本を読んでいるうちに、網野さんは、『忘れられた日本人』に描かれた世界が、まったく異文化のように感じられるというような反応にショックを受ける。らい病が社会もたらした悲劇はもちろんのこと、木炭、五徳、十能、火鉢、火箸など生活の道具に関する無知というか、単なる"純粋な知らなさ"。こうしたことに驚いた網野さんは「十四、十五世紀頃に日本列島の社会ではかなり重大な文化、生活の大転換があったと思っていますが、それに匹敵するくらいの、あるいはそれ以上にはるかな深刻な社会の大変動が、現在、進行中なのかもしれないという実感」(p.31)を持つにいたる。

 2~3年前に村上龍が司会した番組で、若い学生たちに昭和30年代の日本の農村で生きる人々を描いたNHKの暗いドキュメンタリーを見せたのだが、感想の中に「同じ日本だとは思えない」というようなものがあって驚いた記憶がある。

 しかし、宮本常一が入っていくのは、もっと深い場所に棲んでいた日本人なのだ。牛飼い、博労、世間師。そこでは、永遠の時間が流れ、誕生、性、死が突然、何の脈絡もなくやってきたりする。いま、手元にないのだが、牛飼いの男が、旦那にかまってもらえない奥様とできてしまい、家も一緒に住んでいた妻も捨てて放浪に出るみたいな話は、もうなんとも神話的としかいいようのない世界だったと思う。

 よく、『忘れられた日本人』は「無字社会の日本を描いている」と言われることがあるが、それに対して、網野さんはひらがなは読み書きできるが漢字は読めない"無漢字社会"のことを描いている、と丁寧に訂正している。

 そして、漢字で書かれた公式文書は、それこそ腐るほど出てきて記録には残っているのだが(この文書が多すぎるというのは日本史の研究者の悩みのタネだと聞いたことがある)、オーラル・コミュニケーションで残された記憶の中の日本は、伝承者が絶えれば、あるいは集団的コミュニケーションで成り立っていた「世間師」のようなコミュニティが崩壊すれば、絶えてしまう。

 そうしたものを最後にすくいとったのが『忘れられた日本人』だと思う。
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