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October 11, 2004

『熱情 田中角栄をとりこにした芸者』

『熱情 田中角栄をとりこにした芸者』辻和子、講談社

 妾気質(めかけかたぎ)という言葉知ったのは、『断腸亭日乗』(永井荷風、岩波文庫上巻、p.170)だった。

「余をたよりになし、更に悲しむ様子もなくいつも機嫌よう笑うて日を送れり」「若き女の年寄りたる旦那一人を後生大事に浮気一つせずおとなしく暮らしゐる」「生来気心弱く意地張り少く、人中に出でてさまざまなる辛き目を見むよりは生涯日かげの身にてよければ情深き人をたよりて唯安らかに穏なる日を送らむことを望むなり」(pp.170-171)。

田中角栄の"三号"である辻和子さんは、角栄の子供を育て上げるために家にこもるよりも、できれば踊りで身を立てたかったと語る芸者さんだっので、荷風が感動的に描く妾気質の理想像と比べると、やや積極的な印象はある。しかし、本妻を立て、公の席には一生出ず、二人の息子さんを育て上げたという姿は、やはり絶滅品種としての妾気質を感じる。表紙の写真をみても、安らぎを与えるような人であったことは分かる。

 辻和子さんは関東大震災で没落した木材問屋の娘で、借金のカタに神楽坂の置屋に50円で売られるという、ちょっとすごすぎる子供時代を過ごす。しかし、新しいお母さんとなった辻むらさんは女長兵衛というあだ名を貰うぐらい面倒見のよい女将さんで、番頭格の「おみっちゃん」のサポートのよろしきも得て、置屋「金満津」は繁盛していく。筆者は踊りを習わされ、半玉、一本と順調に芸者としての道を歩み、やがて田中角栄と出会い結ばれる。当時、田中角栄は田中土建工業の社長から代議士への道を歩み始めた頃。驚くなかれ、ほぼこの頃から田中角栄はこの本に書かれているだけで、本妻以外に最低三人の女性の面倒を見ていたという。

 それはさておき、前半のハイライトはお座敷の有様が実に生き生きと書かれているところ。「お客さまがね、こうやって焼けこがしちゃったから、ご祝儀くださったの」と隠れてタバコを吸っていて袂に中に隠してつくった焼けこげをみて着物を買いなさいと100円くれた話とか(今なら100万円ぐらい?)、花代と「おべつ」(チップ)の違いとか、馴染みの客には「そんなのいいわよ」とおべつを断る気っぷも持っていたとか、それでも遊びの世界なので、芸者衆にわからない渡すのを粋と心得て、大きく抜いた衣紋の中に「おべつ」を入れられて、帰って着物を脱ぐと、バラバラとたたみの上にご祝儀がこぼれたなんていう話は、初めて読むことばかりで、なかなか感動した(pp.53-57)。

 中盤は眞紀子さんとの確執がすごい。田中角栄の実家は、息子が女を囲うのは男の甲斐性としか思っていないし、孫がたくさんできたといって喜んでいるぐらいで、置屋で親戚一同を集め、対面する場面をつくるのだが、同席させられた眞紀子さんが泣き出して、いたたまれず和子さんが息子の京くん(なんでも人が集まるようにと付けたとか)を抱きかかえてその席を辞するみたいな修羅場とか(pp.141-142)、眞紀子さんが新潟から帰ってきた父角栄を迎えに行き、たまには本宅へ帰ろうとせがんで連れてきたのに、本妻が食事の支度をしておらず「あんたが、そんなことだから、ほかへ帰っちゃうのよ」(本文そのまま…「あんた」って…)と怒ったこととか(p.98)、もうなんつうか、いやはや…。角栄の本妻は、年上で耳も悪くお嬢さん育ちだったようだが、娘の眞紀子さんには、そういったことすべてが試練となっていたようだ。田中角栄には本妻との間に死んだ長男がいたというが、もしこの長男が生きていれば、田中家の有様も変わっていたに違いないとは思うが…。

 後半はロッキード事件での逮捕から倒れて死ぬまでのこと。この頃になると、和子さんのところに帰ってくるのは月に2~3度となっていたというが、倒れてから角栄本人と話したのは電話での2回だけ、葬儀には、もちろん呼んでもらえず、出かけていった長男一家は追い返されたなどの話が続く。

 ちなみに長男は『絆―父・田中角栄の熱い手』田中京、扶桑社を今年6月に出している。まあ、勝手な感想だが、女帝がちゃんと面倒を見ていないというか、ひどい仕打ちなんかするから、本なんか出されるんだろうと思う。

筆者近影
きのうの神楽坂

passion_kakuei.jpg

荷風の描く妾気質の全文。

「余をたよりになし、更に悲しむ様子もなくいつも機嫌よう笑うて日を送れり。むかしはかくの如き妾気質の女も珍しき事にてはあらざりしならむ。されど近世に至り反抗思想の普及してより、東京と称する民権主義の都会に、かくのごとくきむかし風なる女のなほ残存せるは実にに着想外の事なり。若き女の年寄りたる旦那一人を後生大事に浮気一つせずおとなしく暮らしゐるを見る時は、これ利欲のために二度とはなき青春の月日を無駄にして惜しむことを知らざる馬鹿な女なりと、甚しくこれを卑しみたり。然れども今日にいたりてよくよく思へば一概にさうとも言ひがたき所あるが如し。かかる女は生来気心弱く意地張り少く、人中に出でてさまざまなる辛き目を見むよりは生涯日かげの身にてよければ情深き人をたよりて唯安らかに穏なる日を送らむことを望むなり。生まれながらにして進取の精神なく奮闘の意気なく自然に忍辱の悟りを開きゐるなり」(、『断腸亭日乗』(永井荷風、岩波文庫上巻pp.170-171)。

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