« ピーター・ユベロス元MLBコミッショナーの改革 | Main | 『Number』の古田インタビューは突っ込み不足 »

July 22, 2004

『網野善彦を継ぐ』中沢新一、赤坂憲雄

 網野さんは良心的な学者さんというか、その学問を大衆に開いていた学者さんだと思うんだけど、その特徴は、やはり処女作である『蒙古襲来』に出ていて、「いかんともなしがたい、えたいの知れない力」が歴史には強烈に働いているという主張だというのは恥ずかしながら知らなかった。網野さんの著作に触れたのは、多くの人たちと同じように『異形の王権』以降であり、その後は専門の中世史というよりも『日本社会の歴史』『日本とは何か 日本の歴史〈00〉』のような概論が便利だなと思っていたという怠惰なぼくのような読者にとっては、改めて『蒙古襲来』『無縁・公界・楽』などの初期の著作を読もうと思った。それだけでも、この薄い対談集はありがたかった。

 それにして「いかんともなしがたい、えたいの知れない力」ねぇ。これを歴史学という学問の中で証明するのは大変というか、不可能だったから、本流の人たちからは攻撃されたんだろうな、と思う。そしてイコロジーの応用なんかも単なる流行モノというのでなく、テキストでは証明できなかったからこそ、求めた手法なんだと思った。親戚である中沢さんに「君は楽でいい」と言っていたということが語られているが、その気持ちはなくとなくなわかる。

 天皇制論に関して、『異形の王権』の後醍醐天皇が悪党どもを集めて権力奪取に成功したなど「原始的な力」「アフリカ的段階の力」の活用方法を知っていたとしてたら、天皇制の到達している根の深さは、思った以上に深い、という指摘は最近の中沢さんの仕事からもうなづけた。中国文学者の竹内実さんだったと思うが「一木一草が天皇制である」という言葉を覚えているのだが、アジールまでも保護してしまうような、それぐらい深い権力なのかもしれない。

しかし、その一方で天皇制と差別という問題が、本当に深刻なリアリティを持つのは西日本ではないかという指摘(p.87)も納得的だ。中沢さん、赤坂さんの進めている「東北学」からすれば、シベリアから北半球を覆っているような旧石器時代からの文化は歴史的にも天皇制が十分、崩せなかったからだ。赤坂さんがまだ若い頃、吉本隆明さんと天皇制論で対談したとき、吉本さんから「問題の立て方がなっていない」みたいな感じで強烈に怒られた本があるんだけど、その時の赤坂さんの「そこまでリアリティは実はないんだ」という感じが、初めてよくわかったような気がした。

このほか、社会を流動させる集団の要素などを論じた部分で、共同体をつくりたいという欲求と、それを離散させる意識が常に都市の周辺にはあって、そうしたせめぎあいが今でも続いていることは、少年犯罪が現在でも都市の周辺で発生しているという指摘も面白かった(pp.107-108)。
amino.jpg

|

« ピーター・ユベロス元MLBコミッショナーの改革 | Main | 『Number』の古田インタビューは突っ込み不足 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

■「網野善彦を継ぐ」から。

貴兄の、みている視点が、気持ちいいから カキコ。
「網野式」も、結構強引なところがある。80年代あたりの「謙虚な」「おっかなびっくり」が、次第に変化していく。学者、研究者として「なにか」を掴んだというような、瞬間をもっているのだろうと思う。「小さい悟り」「大きい悟り」のような差異はあっても、もしくは錯角ではあってもそれはゆるされる。ふたりの「網野を継ぐ」はまだ読んでない。しかし、この「業界」(歴史、史学のそれ)も、ふてぶてしいのが一杯居る。話を変えるが、「神風」は、政策次元からの判断でしょう。ない袖は振れない、という苦肉の策から生まれたモノと思う。こうした例は、歴史にいとまがないはず。breton.

Posted by: tabaccosen | August 21, 2004 at 10:08 PM

○先日、赤坂憲雄さんの「東北学・vol9」を、一読。特集は、「いくつものアジアへ」です。巻頭の論文を、中沢新一氏によるもの。興味を覚えたのは、小熊英二+赤坂憲雄両氏の対談です。小熊氏の例の、<「民主」と「愛国」>を、基底とした論調に、これまで赤坂氏自身が、苦悶してきたところを突破するものです。特に、十数年前の吉本隆明+赤坂憲雄両氏による「天皇制の基層」のことを念頭に置くとき、これらのことは、時代的な突破なのかもしれません。勝手に思うところを記しました。興味を抱かれることを願います。不一ながら。

Posted by: breton | September 14, 2004 at 01:31 AM

Bretonさん、はじめまして。コメントをありがとうございます。
ぼくは、いろいろ不覚をとっているんですが、その中でも、「東北学」に関して大きく不覚をとってしまったなぁ、と思っています。中沢さん流に言わせば、ユーラシアの北方から流れてきた野生の思考なんでしょう。小熊さんの本までは手が出ないのですが、お勧めの『東北学・vol9』は、ABCがReOpenした後にでも、読んでみようと思います。ありがとうございました。

Posted by: pata | September 14, 2004 at 06:10 AM

○ごめん。tabaccosenのbreton,でした。従って、初めましてではありませんでした。小熊英二・中沢新一・赤坂憲雄・各氏、これらの篤学が集結する様は、気持ちの良いものです。少しまとまったら、URL記入します。breton.

Posted by: tabaccosen | September 14, 2004 at 11:26 PM

あ、どーも、どーも。ブログをおはじめになるのですか?楽しみです。
わたしの方は『東と西の語る 日本の歴史』網野善彦を読み終わりまして、今日にも駄文をまたアップするつもりです。

Posted by: pata | September 15, 2004 at 09:52 AM

○どうも。最近、「馬・船・常民」、講談社学術文庫、網野善彦+森浩一両氏の対談本を、読みました。堪能ものです。考古学、史学の篤学者の認識というのは、羨ましいほど興味深いものです。いろいろあるなかで、「種子島・銃」に興味を惹かれました。あれは、「漂着」でなく、最初から種子島を目指してきたものではないかと窺わせる内容のものです。種子島には、中世(いつの時点か?)から、製鉄をやっていて、その遺跡が出てくるというのです。おもわず、う~む、です。こんなところから、歴史認識の「転換」が始まったら、天と地がひっくり返るようなものです。わたしの、関心人に、バックミンスター・フラーというひとがいて、かれが言うには、「海賊は、地図を残さない」という名言があります。[・・・・]すこし跳びますが、『新唐書』には、「ヤク・タネ・ハヤ」という倭の王に触れていて、それが「屋久島・種子島・隼人」のことではないかと、森氏が指摘しています。とつぜん、飛び込みの変な話を記していますが、漠然とながら、[現地踏査]を含めるほどの関心の境地にあります。現地・種子島のPC検索しても、これに関しての情報はありません。すこしここいらで、「遊んで」みたいと思います。Pata さんも、なにか感想など在りましたら、お知らせください。よろしく。breton.

Posted by: tabaccosen | September 25, 2004 at 04:09 AM

○コメント多数、申し訳ない。PCの調子が良くないようです。CHECKします。breton.

Posted by: tabaccosen | September 25, 2004 at 06:20 AM

tabaccosenさん、どーも。個別モードに戻しました。また、重複しているコメントは削除させていただきました。ご確認ください。

さて、『馬・船・常民』ですが、いま、読んでいます。対談というと、普通はかなり、薄味の内容なんですが、これほど情報が詰まっている対談というのは珍しいですよね。

読み終わりましたら、またアップしますので、ご感想をお聞かせください。『海と列島の中世』でも五島列島の三井楽が東シナ海の灯台みたいな存在だったということが語られていますが、種子島ですか…。興味ありますねぇ。

Posted by: pata | September 27, 2004 at 10:41 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23829/1024161

Listed below are links to weblogs that reference 『網野善彦を継ぐ』中沢新一、赤坂憲雄:

» 「網野善彦を継ぐ。」 [N@JAPAN moving on!]
最近読んだ本、こんな感じ。 夢枕獏さんつながりで、本棚にあった「ブッダの方舟」 [Read More]

Tracked on August 10, 2004 at 10:52 PM

« ピーター・ユベロス元MLBコミッショナーの改革 | Main | 『Number』の古田インタビューは突っ込み不足 »