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July 03, 2004

『キリスト教思想への招待』

『キリスト教思想への招待』田川建三、勁草書房

 まあ、ありていに言えば、田川ワールドである。

  ついでながら言っておくとすれば、まあ言わずもがなのことだが、イエスの誕生にまつわって福音書に伝えられた物語は、いずれも、その死後半世紀近くたってからつくられた伝説である。(中略)
  処女マリアから生れた、というのも、エルサレムの近郊ベツレヘムで生れたというのも、同時期の伝説である。西暦五十年代に、つまりイエスの死後二十年ほどたってから著作しているマルコやパウロは、まだこんな話は知らない。どちらも西暦八十年頃にできた伝説なのだ。(中略)
 イエスは当り前な両親から当り前に生れた人の子にすぎない。
 (『イエスという男』p.12-14、田川建三、三一書房)

 という書き出しで、日本のキリスト教世界というコップの中の世界でさざなみを起こした田川さんは、70年安保の時代に国際キリスト教大学の職を失うということもあってか、まるでパレスチナゲリラの親分のようなイエス像を「これが史的イエスだぁ」といって提示したのだが、今度は、なんと「イエスは環境に優しいエコロジストだったのだぁ」みたいな雰囲気で持論をブチまけている。

 なんでも、「どうせこういうことになるのはハナッからわかっていた」ということはあると思う。この本が3月に出た時も、まあ、独自の世界を展開しているんだろうな、ということで読む気も起こらなかったのだが、人文系の本の不作ここにきわまれり、みたいな状態なので、買って読んでみたら、まあ、期待通りだった、という。

 昔、史的イエスというのがちょっとだけ学問の世界でも注目されたことがあって、吉本隆明さんなんかも、田川や荒井献の本なんかにも言及していたことがあったんですわ。吉本隆明さんの評論に「<反逆>は内向する」があって(初出は1980.4.28の週間読書人で、副題は「田川建三著『イエスという男』を読む」。『重層的な非決定へ』(大和書房)、『信の構造2 全キリスト教論集成』(春秋社)に収録)、そこで吉本隆明さんは、『イエスという男』について評価するところと、限界について「歴史上のイエス像を(原始)キリスト教の思想から誰よりも極端に分離していることだ。キリスト教はむしろ、イエスの思想と行実を抹殺し無化してしまうためにこそ、イエスを教祖としてかかえこんだのだというのが田川のイエス伝の最大の眼目である」と看破した上で、「田川の方法が威力を発揮すればするほど、田川によって掘り出される歴史的イエスの像がありふれた、味気のないひとりの古代オリエント的な政治反逆者にひきもどされてゆく、という逆説をわたしはとめることができない。むしろ、イエスの像を味気ないつまらぬ人物に描くことが、田川建三の意図のひとつであったに相違ないともおもえてくる」という感想を持つにいたる。

 つまり、当時流行っていたパレスチナ・ゲリラの親分みたいな感じだったと。 「もしかすると田川建三の発掘したイエス像が、現在のパレスチナ民族解放機構の、つまらぬ指導者の像にいくぶんか似てきてしまっている、そのことに田川は無意識であるような気もしてくる。なぜかといえばブルトマンの『イエス』をはじめ、歴史上のイエスに『出会』おうとする新約学の現在の手続きは、いまのところどうしても、実在のイエス像に肉薄し得ているとは、いえないようにおもわれるからだ」
吉本隆明、「<反逆>は内向する」、『信の構造2 全キリスト教論集成』(春秋社)、p183
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 ということで、やや葬り去られた感のある『イエスという男』なのだが、著者はやはり頑張って生きているので、いろんな社会の影響を受ける。ということで、雌伏20余年、新しく出してきたのが環境に優しい自然詩人イエスみたいだったのには「そこまで世間と寝なくていいのに」と思った。吉本さんはどこかで、最悪なのは元左翼のエコロジストだ、みたいなことを言っていたと思うが、その図式に額縁かけて床の間に飾りスポットライトを浴びせかけたのようなのが田川さんだと思う。

 いまさらバルト神学を批判したからって何ほどのものがあるのかわからないし、そのカンターパートとして持ち出してきたのが自然神学というのでは、いやはやとしかいいようがない(あ、とはいっても西洋哲学を少しでも齧ろうという人ならば、聖書学や神学ってのはマストな課題だと思うし、そんなところからぼくも少しだけ齧ったのだが)。

 田川さんは、この本でも、「今の日本社会は」「今の米国は」とつまらない批判を繰り返して紙幅を増やす一方だけど、こういったつまらない批判を読ませられるたびに、「この人は社会がどう動いているのか、ということを知らないし、知ろうとしなかったんだろうな」と思えてならない。思考が60年代で止まっていて、何でもカンさわると批判する。

 そんなつまらないこと書き散らしているんなら、上巻が出てから30年近くたっている主著の『マルコ福音書注解』でも早く完成させろよ、といいたなる。どうせ、最初に書いたことと整合性がいまさら取れないから完成させられないんだろうけどさ。

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