« 東京B級グルメ#57「サヴォイ」 | Main | オランダのPK戦勝利は初めて見た »

June 26, 2004

『わが百味真髄』

『わが百味真髄』壇一雄、中公文庫
 こういう本を読むと、たとえネットといえども食べ物に関していっぱしのことを書いていることが恥ずかしくなる。

 壇さんは数え10歳の時に母親が出奔し、仕方なく長男として小さな妹たちのために食事をつくらざるを得なかったという経験から「自分でつくる流儀の生活がはじまった」(p.10)という。後年、やはり乳母に育てられたような太宰治と仲がよくなったのも、お互いに母親の愛情が薄かったというところに似たもの同士の匂いを感じたのかもしれない。ぼくは檀さんの良い読者ではないのだが、愛妻物語も放浪生活も「火宅の人」としての生き方も、こうした育ちが影響しているんだと思う。

 でも、なぜか太宰と違って壇さんは比較的長く生きられたのか。それは、やはり「自分で食べるものは自分でつくる流儀の生活」という地に足のついた生活をしていたからではないか。

 檀さんが太宰の元を訪ねたときのことがこの本には書かれている。太宰が初代と船橋で同棲していた頃だ。太宰は訪ねていくと故郷から送られてきたハタハタを「初代さんに、七輪の金網の上で、次々と焼かせ、手掴み、片ッ端からムシャムシャとむさぼり喰い」という風情だったという。そして檀さんに「食通っていうものは、ただむやみやたらと、こう喰うだけのもんさ」とうそぶくのだが、檀さんはハタハタまで悪食に感じられて気が滅入ったと書いている。

 太宰治は桜桃でもどんぶり一杯を食べるのが好きだったというのを読んだことがあるが、それは「食通」ではないし、ましてや「食生活」でもない。この「太宰治に喰わせたかった梅雨の味」の章で檀さんが書いているように「喰べるということは愉快なことだ。自分達の懐ろなみの、材料をさまざまに買いだしてきて、組み合わせ、あんばいし、さて、それがいきいきとした自分達のイノチにつながる行事だと思うと、こんなに楽しいことはないはずだ」ということを太宰は知らなかっただろうし、もしかして拒否していたのかもしれない。

 檀さんは簡易まな板を持って世界を股にかけ、アムール川で鯉こくをやったり、ニュージランドで鯛茶漬けをつくったりする。自分の料理をつくるだけでなく、アイヌネギの旨さや(その存在自体もしらない)、松櫓やジュンサイの採れたてを現場で味わうための放浪など、とても真似はできない。ただ驚きあきれ、筆の冴えに感心するだけだ。

 ちなみに、太宰、壇、初枝では以下のような話が残っている。1936年11月、初代に熱海の太宰から「借金を作って帰れない」という連絡がくる。それを受けて壇一雄は初代から受け取った金を届けたが、当然のように二人はこの金で豪遊し、井伏鱒二や佐藤春夫にも助けられ、最後は初代が着物を質に入れて返却したという。

 このほか、走れメロスも同じような話をネチを元にメチャクチャ脚色されて書かれた短編だというようなことが壇さんの『小説 太宰治』に書かれていたと思う。

|

« 東京B級グルメ#57「サヴォイ」 | Main | オランダのPK戦勝利は初めて見た »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23829/846227

Listed below are links to weblogs that reference 『わが百味真髄』:

« 東京B級グルメ#57「サヴォイ」 | Main | オランダのPK戦勝利は初めて見た »