『シティ・オブ・グラス』
実はポール・オースターの小説を読んだのは初めて。人文系の面白そうな本がない状態が続いていたので、まぁ、薄いし、ということで実質的なデビュー作から読んでみた。マトモな小説を読むのは久しぶり。
途中までは薀蓄が多いハードボイルド小説のように進んでいく。主人公のダニエル・クィンは妻子を失った後、マックス・ワークという探偵が主人公のミステリー小説を書いて暮らしている。ある夜、そのクィンのもとに「ポール・オースター」(作者の名前だ!)という名の探偵に自分を助けてほしいという間違い電話がかかってくる。退屈と人生への絶望のあまり、その依頼を受けてしまったクィンは、幼児虐待された依頼人を狙うかもしれない保釈されたばかりの父親を尾行することになる…というのが大まかなスートーリー。
途中でバベルの塔とドン・キホーテに関する薀蓄が語られる。ちなみに、ダニエル・クィンのイニシャル(D.Q.)はドン・キホーテと同じだが、主人公は小説の中で電話帳で探しあてたポール・オースターと「『ドン・キホーテ』はシーデ・ハメーテ・ベネンヘーリがアラビア語で書いたもので、セルバンテスがトレドの市場でその原本を発見しスペイン語に翻訳させたとセルバンテスはいっている」と語ることによって、この『シティ・オブ・グラス』自体も二重の入れ子構造になっていることを明らかにする。
もうあまりにもいろんな評論が出ているし、書き加えることはないとは思うのだけど、せっかくだから、気が付いたところだけでも書いておきたい。それは旧約ダニエル書との関係だ。主人公であるダニエル・クィンが本物のオースターを訪ねていった先で偶然に会う息子の名もダニエルだ。
ダニエル書は夢の解釈者として王に取り入ったダニエルが高い地位にのぼったことを中心に、ありていにいえば夢物語の形で信仰上の教訓を示すという黙示文学の手法をユダヤ教が始めて意識的に獲得した文書ともいえる。そして、捕囚期のユダヤ民族のように憶測とネガティブ思考が蔓延する中で編み出されるものとすれば、そのテーマは「終わりの時」でしかありゃしない。
ちなみに、クィンのペンネームであるウィリアム・ウィルソンはドッペルゲンガーを扱ったポーの短編のタイトルだ。まあ、いろんなダブル・イメージが混在するスープのような作品だが、知的謎解きという部分だけではなく、孤独感がヒシヒシと伝わってくるし、都会は一歩踏み外せば外界なんだということを実感させてくれるところが一流の文学作品なんだろうな、と思う。
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