『徴候・記憶・外傷』#3FC東京の椅子壊しを思い出しつつ
2003年に書かれたこの論文「『踏み越え』について」は、珍しくサッカーについても触れている。さすが2002ワールドカップは無駄ではなかったわけだ。中井先生曰く「行動化は、自分に代わってやってくれる代理人によってもある程度満足される。サッカーや野球で選手やチームに同一化することによって、日常の心配や葛藤は棚上げにできる」(p.316)、そしてこうしたことは「その時限りであるが精神衛生上よいのである」(p.312)。
読んでいるうちに、卑近すぎるしし、あまり深刻な例ではないかもしれないが、FC東京のフロントが、ゴール裏の椅子を壊した犯人に名乗り出るよう求め、3脚のうち1脚しか申し出がないことを受けて、今後「椅子が壊れた場合は、試合終了後、通路を閉鎖し、ブロックの全員一時退出を禁止し」「壊した人からの申し出がない場合は、壊れた椅子の列の人全員ならびに後列の人全員にて弁償してもらいます」というルールにもならないルールを急に提示した一件についてチラッと考えさせられた。とにかく、この一件は端から見ていてやりきれない。
このやりきれなさというかトホホ感はどこから出てくるかというと、サッカーのゴール裏という幼児型記憶しか残らないような場所での行動を成人言語水準へ強制的にひっぱりあげて糾弾することの無意味さだと思う。元々、合目的とばかりはいえないような商品を売っているにも関わらず(ありていにいえばサッカーの試合は興業であり、水商売だ)、因果関係だけの合理的なストーリーでサポーターの行動を規制するのは、サポーターから「納得がいかない」と居直られる場合があると思う。
では、フロントとサポはどうしたからいいのか。それは中井さんの友人の弁護士が、事実について争わない場合にとる態度しかないと思う。今回の件は、もちろん椅子を壊したのは悪い。その件について争うことはない。では、どうしたらいいのか。それは「被告が納得して刑に服するような判決をかちとる」ことしかないのではないか(p.311)。
もし、バックスタンドで同じようなことが起こって(まあ、その可能性は低いがw)、フロントが「試合終了後、通路を閉鎖し、ブロックの全員一時退出を禁止」するようなことをすれば、そのような行為は一般的な管理業務から逸脱するものであり、ましてや「壊れた椅子の列の人全員ならびに後列の人全員にて弁償してもらう」というのは法律的にも不可能だとぼくは抗議して勝手に出る。だいたい、混乱がおきて、ケガ人でも出た場合はどうするつものだろうか?どのぐらいバイトを動員したら殺気立った大勢のサポを統制できるのだろうか?
おそらく、こうしたことはできないだろうし、警告文だとは思うけど、それにしては貧しい(やったら見ものという野次馬根性もあることは否定しない)。ぼくはフロントには「混沌に秩序を与え」「踏み越えに言葉を与え」被告である椅子を壊した人間が納得して「刑を受けるようなストーリー」をつくることこそ必要だと思う。
もちろん、理想主義的なのはわかっている。しかし、Jの球団の職員が大企業の総務部出身の、しかも出来が悪くて使い物にならないから出向させられているような人が少なくない中、混乱が起きるとそういった人たちお得意の「管理志向」が持ち出される傾向にあるのではないかと勘ぐって、あえて書いてみた。以為歓笑爾(以って歓笑と為さんのみ)。
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