« 神田B級グルメガイド8「薬膳カレーじねんじょ」 | Main | 『だめだこりゃ』 »

March 24, 2004

『看板建築』

『看板建築』藤森照信 (著), 増田彰久(写真)
ぼくは東京の渋谷区に生まれ、30を過ぎるまでそこで暮らしてきた。しかし、いま小学校や中学校の友人たちが元いた場所にいるということはほとんど聞いたことがない。明治通りに軒を並べていた商店は、拡張工事とバブル時代の地上げでほとんど郊外へ引越てしまった。誰かが書いていたのだが、戦争がなかったのにも関わらず、これだけ地域コミュニティが破壊された街を、東京の山の手以外にぼくは知らない。

記憶にある明治通り沿いの商店は、いま思えばこれから紹介する「看板建築」様式のものもあったんじゃないかと思うが、とにかく、まあ地域コミュニティは破壊されたけど、東京は建築が面白い。その面白さを最初に教えてくれたのが建築探偵シリーズの藤森照信教授。そして、藤森教授が最初に建築学会に波紋を投げかけたのが、「看板建築」の〝発見〟だ。

神保町などを含めて東京の古い商店街をじっくりながめてみると、そこには共通したモチーフがある。それは平面的なファサード(建物の正面)のつくり、住居一体型の店舗であること、そして3階建てが多いことだ。なぜ、こうした建物が都内の商店街に多数出現したのか、その歴史を日本の近代化という問題意識をからませながら読み解いていったのが、この本だ。
kanban_kenchiku.jpg

そもそも、看板建築以前の時代の東京の商店は蔵造、塗屋造、出桁(だしげた)造という3パターンに集約され、ランク別に集まって建設されていたという。現在、都内で残っている出桁造の建築は白金台にあるものだが、それでも明治15年~17年のものだという。「江戸の八百八町は近代の百二十年間に家一つ残さず消滅したのだ」(p.24)というのも怖い話だ。

蔵造、塗屋造、出桁造でつくられてきた東京の商店街が一変したのは大正12年の関東大震災。火事などの被害を最小限度に抑えるために行われた道路幅を拡張するための区画整理で、公平さを保つために、それまで農村の耕地整理を指導してきた技師たちが帝都復興院に白羽の矢を立てられたというのもなんとなく面白い(p.60)。さらに勝手にバラックを建てて仮店舗で営業していた商店を、新しい敷地に〝引家〟して、本建築の段取りに入るのだが、効率よく作業を進めるためにはビデオゲームのハズルを解くような作業が求められ、それに使われたのが本邦初の航空写真だったというのも、なんとなく笑う(p.61)。

看板建築は木造なので、3階建ては許されていない。しかし、多くの場合、2階の上に屋根裏が設けられ、事実上の3階建てとなっていた。この屋根裏部屋は正式にはマンサール屋根という。マンサールはフランスのルイ14世時代に活躍した宮廷建築家で、彼がパリで工夫した造りだという(p.93)。これがなぜ20世紀の帝都におびただしく出現したかというと、とにかく狭い敷地に店舗、家族の住居、従業員の住処を確保しなければならなかったため。当時建築許可を出していた警視庁がマンサール方式の屋根にすれば、形の上では屋根だし、事実上は部屋として使えるからそうしろ、という指導を行なっていたという(p.102)。それにしても、当時は16~17人もの人数が3階建ての「看板建築方式」の家に住んでいたというのだからちょっと驚く。中には台所もなく、煮炊きは外でやるという東南アジアのストリートライフ風の生活を主婦に強るところもあったという。そして、そういった家が、大理石の柱を何本も立てて飾った宮殿風のつくりだったといのも笑える(p.106)。

なぜ、こんなアンバランスな建物が生まれたのか。それは街ゆく人々を驚かせ、刺激を与え、消費意欲を掻き立てるためだ。そして、東京は「看板建築の誕生によって、近代という名の〈消費の時代〉へ、街ぐるみで突入したのだった。そして、二度と、蔵造や出桁造の落ちついた街に戻ることはない」(p.210)。

ぼくが持っているのは88年の初版ハードカバーで、その後ソフトカバーに仕様が変更されたものが出されている。そして、写真最高。

|

« 神田B級グルメガイド8「薬膳カレーじねんじょ」 | Main | 『だめだこりゃ』 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23829/346711

Listed below are links to weblogs that reference 『看板建築』:

» 既存物件の紹介>看板建築 [鉄道のある風景weblog]
 看板建築。もともとこの言葉は、路上観察学会員の藤森照信氏が1975年に言い出したものだそうで、1994年に出した本で広まった。というわけで、厳密な定義を持つ術語ではない(少なくとも、今のところは)。  だいたいの概要は、「関東大震災以降に様式を確立した商店建....... [Read More]

Tracked on March 12, 2006 at 01:44 AM

« 神田B級グルメガイド8「薬膳カレーじねんじょ」 | Main | 『だめだこりゃ』 »