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March 30, 2004

『日本社会の歴史』

『日本社会の歴史 上』網野善彦、岩波書店

網野善彦さんといえば、史学の世界ではもちろん日本中世史の専門家、ということなのだろうが、ぼくのような素人からすれば『異形の王権』(平凡社)、『日本王国論』(共著、春秋社)など、独自の天皇制論を展開していた学者さん、というイメージが強い。『「日本」とは何か 日本の歴史00』の感想をまとめる前に、前にもチラッと触れた岩波新書から上中下3巻で出した『日本社会の歴史』の天皇制の話に関して書いてみたい。特に上巻は古代史の中の天皇を概観し、整理された情報を読者に与えてくれていると思うから。

 議論を概括してみると、まず、3~4世紀にかけての倭国大乱の後、列島西部を統括したのは、近畿の首長連合を率いる大首長であった、と(それが九州から出てきたか、近畿から出てきたかはわらないにしても)。

宋に貢ぎ物を送った近畿の大王ワカタケルに代表される倭の五王(宋書)の時代の後、現在の福井、新潟、伊勢湾あたりの首長を背景にしたオホド王が、ワカタケルなどとは別な系統から現れた、と。これに対して、北九州の大首長であった磐井氏が戦いを挑んで敗れ、ここに近畿と北九州の首長同士の勢力バランスが、はっきりと近畿有利に傾いた、と。そして、近畿の首長たちは、支配体制を正当化するために、大王の系譜である「帝記」と歴史的な伝承である「旧辞」を書き、それが古事記や日本書紀の原形になっていった、と。
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そして、6世紀半ばにヤマト政権は、大王の后たちを大后、後継者を大兄と称するようになっていった、と。しかし、後継者争いが深刻化するなか、古代のシャーマン的な女性首長(トヨケミカシキヒメ=後代に推古と諡される)を大王にもってくることで、動揺を押さえようとせざるをえなくなるなど、さらに混乱は続き、結局、大化のクーデターによって中大兄が独裁的な権力を握ったが、白村江の敗戦によって大王の空白が7年も続くなどの異常な事態となっていった、と。

 中大兄は668年にいたって、ようやく大王天智として即位したが、また後継者争いが起きて、ごくわずかな手勢だけで吉野を出て東国勢力を組織化し、全権力を握っているはずの大友側を打倒するという奇跡的な勝利を収めた大王天武に対して周囲は「大君は神に坐せば」と歌って仰ぎ称えるということになり、大王天武も現御神を宣言。同時に勝利を願った伊勢神宮に感謝の意を表するために王女のひとりを斎王として派遣することによって、伊勢神宮が大王の祖先をまつることに定まった、と。

天武の死後も、もっとも嘱望されていた大津王子が大后ウノノサララと草壁王子によって自死に追い込まれてたという混乱は続いたものの、倭にかわる国号「日本」、大王にかわる称号「天皇」が制度的に定められ、ここに始めて日本国が列島に姿を現した、と。天皇という称号は、中国を意識しつつ、自らも小帝国の道を歩もうとした、この国家の支配者たちの立場を明確に示している、と。同時に、列島西部を中心としたヤマト政権が勢力を伸ばしていった背景には、当時としては、やはり進歩性があったからだ、という面も評価しなければならない、と。

こんなことが書かれていた。

ちなみに、後におくられた諡(おくりな)を記すと、大王ワカタケルは雄略、オホド王は継体、トヨケミカシキヒメは推古、ウノノサララは持統となる。

 そして天武以前には天皇の号を使うべきではない、と網野さんは『「日本」とは何か 日本の歴史00』のpp.96-97で書いている。

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