April 12, 2019

『世界史の新常識』

 

Shijoshiki-0 Shijoshiki-0 Shijoshiki Shijoshiki-0 『世界史の新常識』文藝春秋編、文春新書

 古代、中世・近世、近現代にブックガイドも加えたところが良心的だな、と感じるアンソロジー。出版社というか季刊文藝春秋SPECIALに掲載された原稿が中心。加藤隆、佐々木毅、樺山紘一先生など宗教学、政治学、歴史学などの研究者のほか、アカデミックな世界の著者だけではありませんが、退屈せずに読み進められました。

 年代別に少しずつ紹介していきたいと思います。

[古代]では、やはり加藤隆「キリスト教」はイエスの死後につくられた」が面白かった。

 ユダヤ民族は「出エジプト」で約束の地を得ることができたが、北王国の滅亡などの際にヤーヴェの沈黙が問題になった、と。ここで、ヤーヴェが沈黙しているのは民の態度がダメだから、という合理的な解釈が出てきた。しかし、人間が義しい状態を実現したとして、神はその者を救わなければならないとすれば、神は人の操り人形のようなものになってしう。そこで「人が何をしても救われないし、神を動かせない」という認識が熟すとともに、罪の概念も希薄になってきたのがイエスの頃のユダヤ教だ、と。

 イエスの流れで重要なのは、こうした状態の中で「神が、一方的に動いた」ということ。イエスの福音=良き知らせは「神が動く」可能性が実際的になったということですが、イエスは神を都合よく動かす力まではなかった、と(神の国が近づいたというメッセージの意味は神が動く可能性が出てきたということなのでしょうか)。

 十字架事件の後、ペトロたちの行動をローマ側が黙認したのは、民族を分断支配するという原則に従ったから、というあたりは、加藤先生の師事されたトロクメ先生が『聖パウロ』文庫クセジュで書いておられた「ローマ殉教はパウロvsペトロの使徒内ゲバ対決だった!?」ようなことに通じるかな、と感じました。

 こうしたこともあってペトロは初期共同体をエルサレムでつくることができたのですが、そこではペトロが指導者になり《「人(指導者)による人(従属者)の支配」というべき事態が生じた》のですが、アナニアとサッピラの事件で明白な財産処分をめぐる躓きから「すべての財産を寄付する」という教えが変更されてしまいます。しかし、教えが変更可能なものだという軽さは、逆に社会的に有効だと考えられる教えによって様々な指導者が信者を集めることも可能になり、初期キリスト教の様々な文書も生まれた、と。

 これは同時に教会が様々な分派に分かれて鋭く対立するという構造も生むのですが、個々の共同体のメンバーであり続けるためには「いい加減なメンバー」でも構わないという柔軟性も生み、それはローマ帝国を支え、やがては中世ヨーロッパの信仰共同体にもつながっていったんだめろうな、と。

 また、イエスの出現によって示された神の小規模な介入は、ユダヤ民族の枠に捕らわれず、使徒行伝の記述などからも非ユダヤ人からも対象となる者を選んだことが注目されます。

 ここまで加藤先生は書いておられませんが、トロクメ-加藤の使徒行伝を含むルカ文書のざっくりみてみると、イエスに降りそそいだ聖霊は初期エルサレム共同体からパウロ、ローマ兵などへと次々と降りそそぐという構造があります。そして、神の介入がこの程度の小規模なものであるから、守れない律法は避けた「人による人の支配」の有効性が示され、それが2000年も続いた姿になっているのかな、と。

 このほか、森谷公俊「古代ギリシアはペルシア帝国に操られていた」では、ペルシア戦争の背景には東方世界の豊かさとスパルタに代表されるギリシア世界の貧しさがあったというクリアカットの指摘にはなるほどな、と。だからアレクサンドロスはペルシア帝国の後継者だ、というあたりが面白かった。

呉智英「どうして釈迦は仏教を開いたか」では、禅宗は、六世紀支那で荘子思想を読み換えて成立というのはなるほどな、と。


[中世・近世]以下は箇条書きで。

山内昌之「預言者ムハンマドのリーダーシップ」
《イスラームでは、合法的婚姻関係以外で性的交渉をもつのはすべて姦通とされる。婚姻をしているムスリムは男女問わずに、石打ちの刑となる。未婚者の場合は、100回の鞭打ちと1年間の追放》

宮崎正勝「中世グローバル経済をつくったのは遊牧民とムスリム商人」
《広域ネットワークというと、「大航海時代」ばかりが目につきやすいが、世界史で、先駆的にそれを作り上げたのが、ムスリム商人と遊牧民》
ユーラシア大陸で《ムギに依存する「南」と馬に依存する「北」の分離、つまり経済と軍事の分裂が、世界史のダイナミズムを生み出していく》
《大航海時代は、ユーラシアの陸の世界史(小さな世界史)から3つの大洋が五大陸を結ぶ世界史(大きな世界史)への転換をもたらした》
遊牧民とムスリム商人が定住農民を支配するシステムは1)7世紀のウマイヤ朝(アラブ)からアッバース朝(イラク)、11世紀のセルジューク朝(トルコが実権)2)トルコ人のセルジューク朝に移るが、イスラム帝国のセンターはシリアからイラン高原寄りにずれて商業圏を膨張させた。これは主導勢力が砂漠の遊牧民から、草原の騎馬遊牧民に移ったことを意味する
さらに13世紀のチンギス・ハーンから始まるモンゴル帝国がつながる
18世紀になると、ともにトルコ人が支配するオスマンとムガル帝国、女真族が支配する清帝国とロシアがユーラシアを分けた
一帯一路は中華思想によるモンゴル帝国の円環ネットワークの組替え

杉山正明「異民族を活用したチンギス・カン」
チンギスはいろいろな遊牧民を自分たちの騎馬軍団として組織したが、出身や人種でわけへだてなかった。それは在地支配への関心が薄かったから
(遊牧民の在地支配欲の薄さは、日本中世の武士による在地支配欲と好対照かな。日本中世史の素晴らしさは、武士による地に足のついた在地支配欲が貴族や寺社の荘園支配を打破したことだと思うのですが、他のアジア諸国では、在地支配欲の少ない遊牧民が軍事支配してるが日々の生活には干渉しなかったから武士のような存在が育たなかったのかな。つか中国などの武装勢力はうまく利用・再編されたのかな?)
4つに分かれたモンゴル帝国は、全体として眺めれば比較的仲は悪くなかったというより、エリート意識からモンゴル人は殺さないなど仲間内の紐帯は強かった

樺山紘一「ルネサンスは魔術の最盛期」
現存する最古の木版印刷は法隆寺などにある奈良朝の「百万塔曼荼羅」だが、紙のないヨーロッパではルネサンス直前まで印刷技術がなかった

久芳崇「明を揺るがした日本の火縄銃」
朝鮮に到着した明軍に浴びせかけられたのは火縄銃の一斉射撃。明では倭寇の捕虜から火縄銃の製法は伝わっていたが、鋳銅なので暴発の恐れがあった。
朝鮮の役以来、明朝は火器の導入を図るが、それは軍団単位にとどまった。一度、解任された劉ていは火縄銃部隊を失い、女真族とのサルフの戦いに敗れる。保守的な官僚はそれでも積極的な火器導入に踏み切れず、ホンタイジによって火器受容を行った女真族に圧倒されていく。

柳谷晃「戦争と疫病がニュートン、ライプニッツを生んだ」
『三銃士』のダルタニャンはやたら「オレはガスコンだ」と誇らしげに語るが、ワインで有名なボルドーもあるガスコーニュ地方からは多くの人々が十字軍に参加し、進んだイスラムの文化や科学と出会ったからデカルトやフェルマーなども生まれた


[近現代]
小野塚知二「産業革命がイギリス料理をまずくした」
 囲い込みによって、入会地を失った農民たちは果実、ジビエ、魚、キノコなどを入手できなくなり、自営農家は季節労働者となっ村祭もすたれ、保持されてきた食の能力を失った、という説明は納得的。

中野剛志「保護貿易が生み出した産業資本主義」
英仏は近世、ずっと戦争ばかりしている感じですが、1689-97の対仏戦争の際、イングランド銀行は政府に戦費を貸し付けるかわりに銀行券を発行する組織として設立された、というのは知りませんでした。イタリアのバルディ、パルッツィ家は百年戦争を始めた英国王エドワード3世(1312年 - 1377年)の借金踏み倒しにあって破綻したんですが、銀行券を発行できる権利とバーターなら安心なのかも。
他の銀行はイングランド銀行に口座をつくるようになり、こうした信用制度によって工業地域は資本の調達が可能となった、と。
さらに、保護貿易によって自国産業を育成したのですが、供給過剰と資源不足が起こって、帝国主義的な紛争も激化した、と。

平野聡「アヘン戦争 大清帝国VS大英帝国」
領事裁判権は清の皇帝からすれば、夷狄は彼らの法律で管理すればいいということで容認されたというのは、なるほどな、と。
イギリスはインドからチベットを経由する対清貿易ルートを築こうとして北京に協力を要請し、北京もチベットを説得しようとしたが、頑迷なチベットは仏教徒ではないイギリス人を嫌い、それがチベット問題の源流になっている、と。
総じて英国は要求しつつ利益をえる対中関与を続けている、と。

脇村孝平「インド グローバルな亜大陸」
ガンジス文明は紀元前6世紀に、モンスーンと大河に支えられた稲作によって人類史上初めて熱帯における人口稠密社会をつくった、と。
イギリスが少数でプラッシーの戦いなどに勝利し、その後も支配が可能になったのは、商人・軍人・官僚などに「協力者」を得たから。商人たちはイギリス資本と結びついてインド洋を取り囲む交易網をつくった、と。

竹森俊平「世界大戦の負債が起こした大恐慌」
《「過去」を振り返ることで、「現在」の意味が分かるというのが歴史研究の醍醐味だが、その反対の論理も働く。つまり「現在」を見つめると、「過去」に起こったことの意味がはっきりする》というのはなるほどな、と。
ワイマール政府の賠償金支払いが行き詰まったことで、ドーズ案による猶予と(1924年)アメリカのJPモルガンなどが立て替え計画をまとめ、危機を脱出。その支払い期限は1988年だったというの知らなかったな。
アメリカ資本はドイツに貸して貸して貸しまくり、貸し先がなくなると中欧や東欧まで貸しまくった、というのも知らなかった。
これによって米国の民間貸出に極度に依存する体質が生まれ、と。
ワイマール文化の不健全な感じは、こうした経済構造からなのかな、と思うと同時に、フィッツジェラルドなどの小説で、ヨーロッパがアメリカ人によって支配されたような感じに描かれるのも、こうしたことが背景なのかな、と。
米国のNY連銀のストロング総裁は、金利引き下げを行い、利ざやを稼ぐために資本がイギリスに流入するようにして、イギリスが金本位制の金を拡充できる仕組みをつくったが、連銀保守派はバブルを煽る行為だと批判。ストロングが1928年に死去すると金利を引き上げたのが翌29年の大恐慌につながり、あわてて今度は利下げしたにもかかわらず、中東欧の経済は悪化。31年にはオーストリアのクレディットアンシュタルトが経営破綻。クレディットアンシュタルトは31年6月に支払いを停止し、連鎖的に大銀行の支払停止が拡大してゆく、と。

渡辺惣樹「共和党対民主党 日本人が知らないアメリカ史」
南北戦争前の共和党と民主党の今とのネジレ感を、共和党→英語に伍していこうと志向vs民主党→英国に追随していけばOKという感じでスッキリと説明。
リンカーンの奴隷解放宣言は奴隷貿易法を禁止していたイギリスが、南部同盟に肩入れしないようにする奇策だったにせよ、共和党はKKKを抑え込むなどの対策は続けた、と。しかし、黒人差別を続けたい民主党では地盤の南部で州法による分離政策を続け、これが公民権運動まで続いた、と。
ウィルソン大統領の父親は奴隷制は神がつくったとする長老派牧師で、差別の日常の中に育ち、共和党大統領が続いた開放的なワシントンで白人と黒人の職場分離を行ったほど。民主党のウィルソンが大統領に当選できたのは大恐慌時のフーバーの不人気が原因だった、と。
日系人を収容所に送り込んだルーズヴェルトもNY出身だが、人種差別意識の強い典型的な民主党の政治家(ルーズヴェルト一族は中国に阿片売って財をなした)。副大統領のトルーマンは南部のミズーリ出身でさらに人種差別意識が強く、原爆使用もためらわなかった、と。
戦後、南部の白人層が豊かになって共和党支持に傾くと、民主党は「アメリカ全てが人種差別的だった」というレトリックで、マイノリティ票を獲得していった、と。

このほか、ブックガイドも充実しています。

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April 03, 2019

『日本中世史を見直す』

『日本中世史を見直す』佐藤進一、網野善彦、笠松宏至、平凡社

 このところの日本中世史を研究する方々のご著書の面白さは本当に素晴らしいのですが、一歩下がって佐藤進一先生の議論から読んでみようと思い、この鼎談を開きました。

 一読、日本の中世史は

[ファンタジー左派]マルクス主義歴史学の立場から南北朝の争乱が封建革命であると主張した松本新八郎
[左派]マルクス主義歴史学は観念的すぎるとは思いつつ人民の力のベクトルを保ち続けた石母田正、網野善彦
[中庸]法制史の立場から基礎的研究を行った佐藤進一による、鎌倉幕府は京都と別の権力をつくり並立したという「東国国家論」
[右派]中世の国家天皇家、公家、大寺社、武家が対立しつつも相互補完していたとみる平泉澄に端を発する「権門体制論」
[ファンタジー右派]平泉澄の皇国史観

の間のグラデーションで説明できるかな…と感じるようになりました。

 現在、日本中世史は大きな研究の広がりと、そうした成果の一般書籍への反映が起きていますけど、それはあくまで、このグラデーションの中にあるかな、と。

 学界で多いのは天皇と将軍は上下関係にあるという黒田俊夫の天皇中心の「権門体制論」らしく、若手研究者も意外と平泉澄の見直しを進めているらしいのですが(権門体制論は平泉の『中世に於ける社寺と社会との関係』1926で提示)、個人的には二つの権力が並立したと考える佐藤進一の「東国国家論」が穏当ではないかと思っているので、改めてと網野善彦などとの議論を読む意義はあるかな、と。

『日本中世史を見直す』佐藤進一、網野善彦、笠松宏至、平凡社

 ところが、三人の先生方の問題意識がわかるまで64頁かかってしまいました。

 この本は『平政連諌草』の議論から始まりますが、これは北条得宗家が没収した所領を自分のものにしてしまうのを諌めた書。得宗家があっけなく滅んだのは、専制を目指したものの、そうした専制を支える基盤が作れなかったからだ、ということになっています。さらに言えば、中世における社会の変化が訴訟制度・主従制を変化させ、鎌倉幕府では矛盾を解消するために得宗専制に走らざるを得なかった、ということが原因なのかな、と。

 網野善彦はこうした変化の原因を宋元銭など貨幣経済の浸透による商業・金融の発展に求め、それを担ったのがアウトサイダーである神人や悪党であるという立場。後醍醐政権はこうした神人や悪党などを一天万民の思想の元で動員したことを強調し、こうした人々は貨幣・信用経済を保証するネットワークになって紙幣も作ろうとしたと指摘する網野さんに対して、「しかし、結局、なにも造らなかったでしょ」と佐藤進一先生は法制史的に軽く切り替えします。

 本書は『平政連諌草』のほか、花園上皇が皇太子の量仁親王(後の光厳天皇)のために記した訓戒書『誡太子書』、後醍醐天皇に徳政と倒幕を諌める吉田定房の『吉田定房奏状』、後醍醐天皇を痛烈に批判する北畠顕家の『北畠顕家奏状』という四つの文書を元に議論するという構成をとっています。

 このうち『吉田定房奏状』と『北畠顕家奏状』は醍醐寺三宝院に所蔵されています。

 亀田俊和先生の『観応の擾乱』を読んだ直後、醍醐寺展で尊氏―師直と共に討ち死にする覚悟を示した賢俊の書状を見たんですが『日本中世史を見直す』によると幕府の正当性を示すために北畠親房の息子で21歳で討ち死にする直前に北畠顕家が後醍醐天皇を痛烈に批判する文書を集めて持ち出していたんすね。

 ちなみに、愛児顕家を失って「時や至らざりけん。苔の下にうづもれぬ、ただいたづらに名をのみぞとどめてし、心うき世にもはべるかな」と嘆くところは神皇正統記でも《もっとも感動的なくだりと言えるだろう》と笠原宏至は語っています(p.257)。こうしたあたりは、素人なので新鮮でした。

 また、佐藤進一先生が室町幕府の権力構造は細川が瀬戸内海、山名は山陰、斯波は越前~尾張、畠山は河内・紀伊を一族で抑える地方総督みたいなものだったが、九州は一族支配ができなかったと語っているあたりは佐藤直系の本郷和人先生の九州と東北はちょっと違うという二国論の元ネタ?かな、と思いますが、どんなもんでしょうか(p.99)。

 ちなみに、元号は大化改新後に制定されるようになったけど、南北朝時代は《幕府=北朝の元号、南朝の元号、北陸=南朝方の元号、それに観応の擾乱ののちの北朝、南朝の元号と足利直冬の元号など、元号の併立・鼎立》があったというのは、新しい元号が発表される前日には覚えておたいところ(p.188)。

 素人は史料を読めないので、活字に直された著書でしか語れませんが、戦国時代までの日本中世史がわかりにくいのは、乳母を含む複合的な母系社会という下部構造の上で、権力闘争が行われていたからじゃないかな、と改めて感じる部分もありました。戦国時代以降が分かりやすいのは、実力一本で、話しがつくからかな、と。

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March 26, 2019

『会計の世界史』


『会計の世界史』田中靖浩、日本経済新聞出版


 現役時代は商売柄、会計に関する本はもちろん読みましたし、会計制度が変更されるたびにアップデートはしていたんですが、基本的には隔靴掻痒という感じでした。もちろんアインシュタインの「複利は人類史上最大の発見」という言葉に重ねた「複式簿記人類史上最大の発見」という言葉も知ってはいましたが、実感はできませんでした。そんな状態だったんですが、日経からこの本が贈られてきて、しばらく置いていたんですが、読み始めたら、生まれて初めて会計の意義が理解できました。


 それは法人の現状を数字で表すところから始まり、やがて株式会社の登場によって、企業の未来を予測するツールとなり、グループ会社に進化する中で、企業統治のための管理会計というツールも生み、経済の成熟化でM&Aが盛んになるにつれ、企業価値を現すためキャッシュフローが重視される-という流れが理解できるようになりました。


1)イタリアから始まった会計


 『会計の世界史』はレオナルド・ダ・ヴィンチの父が公証人一家の妻と結婚するため内縁の仲となっていた娘を捨てるところから始まります。この娘の子がレオナルド。庶子なので公証人の職を継ぐことはできなかったものの、当時、高価だった紙は公証人の家にはいっぱいあったので、レオナルドはメモやスケッチ魔になった、と。父らそのスケッチを見て只者ではないと感じ、ヴェロッキオの弟子にしてもらいます。


 当時のフィレンツェを支配していたメディチ家はその名の通り、最初、医療関係の商売をしていたのですが、銀行業に進出。先行していたバルディ、パルッツィ家は英国王エドワード3世の借金踏み倒しにあって破綻したのですが、メディチは貸し倒れのない融資先として法王庁に接近、という宝塚歌劇団宙組の『異人たちルネサンス』の背景が良く理解できたのですが、なぜ、会計の歴史がイタリア・ヴェネチアから始まったかといいますと、バランスシート(B/S)の右側の負債+資本=左側の資産で運用の成功と失敗が一目瞭然に分かるからです。


 さらに、フィレンツェでは事業を拡大するために親族経営から仲間たちで商売を始めたコンパーニャ(compagnia、本書ではcompania)が儲けを正しく分配し、フローとストックで「原因と結果」を表すために、約束は文書で残し、帳簿をつけて記録することが拡大していきます。ちなみにcompagniaはラテン語のcum panis(一緒にパンを食べる意、本書ではcom pan)です。


 ここでB/Sの右側の負債+資本のうち、資本は親族から仲間に移っていきます。


2)オランダで始まった会社革命


 オランダでは、アジア貿易を拡大するため、大きな資本の組織(ほとんど国家並みの東インド会社)をつくる必要が出てきました。


 これを再びB/Sの右側でみると、負債+資本のうち資本は親族→仲間→株主に移っていきます。


 親族や仲間以上に他人度合いが高まる中で求められるようになるのが説明(Acounting)。会計をAcountingと呼ぶのは、株主への説明が必要だから。


 また、株式会社の経営者は株主に対して説明責任を果たす必要があるが、その代わりに株主は有限責任で済むという絶妙のバランスで「所有と経営の分離」を図れたところが大きかった、と。


 オランダ人は有限責任株主による東インド会社を設立し、株式市場も開設したが、時価発行増資を思いつかず、借入金頼りの経営で200年で行き詰まります。


 また、富をひけらかすような生き方を嫌い、カトリック教会の装飾を破壊したようなオランダ人プロテスタントは、自分の庭を飾るチューリップに慰めを求めたが、そのチューリップが世界最初のバブルを生んだのは皮肉、だと(p.108)。


3)イギリスで生まれた画期的な減価償却という考え方


 イギリス人はロンドン大火を機に石造の住宅へ転換し、石炭需要が高まると炭鉱での排水に蒸気機関が使われ、やがてそれが応用されて蒸気機関車が発明されます。トレヴィシックは自身の機関車にキャッチ・ミー・フー・キャンと名付けたのですが(p.144)、これは映画「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」のタイトルにもつながっていくんですかね。ちなみに、あれだけしわいオランダ人が時価発行増資を思いつかなかったのは皮肉としかいいようがありませんが、暖房に石炭を活用するようになったものの、火力を料理の上達に使うことは思いつかなかったイギリス人は「さもありなん」という感じです。


 スティーブンソンの鉄道開業式には欧州各国がスパイを乗せて軍事転用が可能かを探ったそうで、そんな中、不幸な接触事故で足を切断された政治家を救うために時速60kmで走る性能に驚愕。各国は一気に軍事転用を目指すことになるのですが、ナポレオン戦争直後で国庫に余裕がなく、株式会社も泡沫会社事件で制限が設けられていた、と。


 蒸気機関が活用される以前は、人の移動だけでなく石炭も運河を使って馬で運ばれていたそうで、しかも運河は当時、数少ない売買可能な株式でもあったので、鉄道会社の設立は妨害されるなど大変だったとのこと。こうしたこともあり、鉄道会社は世界初の固定資産が多い株式会社の資金調達・運用実験でもあったそうです(p.150-)。


 英国ではやがて鉄道は儲かるという意識でマネーゲーム目的の株主が初めて大量に発生するのですが、こうなると、新規の鉄道建設で金を集めて既存路線の配当へ充当するような鉄道王も現れる、と。こうした詐欺まがいの事業を阻止するために生まれたのが、減価償却だそうで、減価償却は絵画における写真のような画期的なことだ、と。


 減価償却の登場は、会計の歴史において、イタリアでの簿記誕生に匹敵する重要性を持つといいます。減価償却の登場によって、会計上の儲けは収支から離れ、「利益」というかたちで計算されるようになるからです。収入-支出=収支から業績を的確に表現する収益-費用=利益に体系が変化した、と(p.166)。


 さらに、減価償却の考え方は引当金、前払費用や未収収益などを収益・費用へ配分することも可能にし、長期工事で受取る将来の収入を配分する工事進行基準も認める時価会計や減損会計まで突っ走ることになります。つまり現金主義会計から発生主義会計へ進化する、と(p.167)。


 しかし、これは粉飾決算の始まりでもあったというのが、なんとも凄い話しです。


4)「泥棒は泥棒に捕まえさせる」ために初代SEC長官に抜擢されたJFKの父


 株式会社の拡大にとって、株主は事業よりもマネーに興味を持つ人々が増えます。こうして、様々な株式市場を舞台にした詐欺事件が起こるのですが、JFKの父いかさまジョーもインサイダー取引をやりまくって巨万の富を築きます。


 やがてFDRの後援者となったいかさまジョーはルーズヴェルト大統領から初代SEC長官に任命されます。大恐慌のキッカケとなった暴落を招いた株式の取引ルールを決めるのいかさまジョーに任せたのは、ルーズベルトが「泥棒は泥棒に捕まえさせる」という手法だったと書いているんですが、そこまで書くなら、さらに、FDRの母系自体が中国のアヘン取引で財を成したというのも書いて欲しかったかな、と。


5)19世紀のグルーバル化でファンドが登場


 株式市場にはマネーマニアの株主が大量に参加し始めますが、さらにマネーそのものを目的としたファンドが登場します。


 ファンドが注目するEBITDAは控除前で計算した利益・税金・減価償却費、焼却費。各国発生主義会計の複雑怪奇なルールで計算された利益ではありません。しかし、限りなく稼いだキャッシュに近い利益となり、それはM&Aの指標となります。そして、これがB/S、PLに続く三つ目のキャッシュフロー計算書を生んだ、と(p.262-)。


 マルクスの想像した資本主義の自滅は、テイラーの労務管理による生産性向上だと思うんですけど、会計学でも減価償却費の配賦計算のアイデアを出していたとはしりませんでした…。テイラーはその後、労働者の「組織的怠業とその解決」に関心を向け、大量が生産可能にしました(p.293-)。そして、資本主義社会が労働者の「組織的怠業とその解決」を進める中、ソ連などは組織的怠業の問題に悩む、と…。


 なかなか面白かったのですが、最初は少しガッカリしていたんです。というのも『会計の世界史』はヴェロッキオの『トビアスと天使』から始めていたからです。英語の作品名ではTobiasと表記されるから、そっちを優先したんだろうけど日本語旧約の表記はトビア。こんなとこにも日本人の聖書の米英流理解が伺われたるな…とか。


 《「トビアスと天使」は旧約聖書外典「トビト書」のストーリーをもとにした》と本文に書いてあるので、実際には読んでないんだな、と(p.24)。著者か校正が読んでたら「トビアと天使」にするハズですから。もしかして、新しい聖書協会共同訳ではドビアスにしてんのかなと思いますが、まさかな、と。日本語聖書はそれほど読む必要は感じないけど買うかなとも思いました。


 あと、ダイムラー・ベンツの最優秀のエンジンを搭載し、数の上でも優っていたドイツ空軍がイギリスに敗れたのはレーダーの活用だというのですが、これって日本の旧軍と似ている…とも感じました。ミッドウェーの時も試作品でも持っていけば良かったのに、米軍を侮って艤装しなかったからな…物理的な性能に酔う傾向?と(p.233)。

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March 21, 2019

『軍事の日本史』

『軍事の日本史 鎌倉・南北朝・室町・戦国時代のリアル』本郷和人、朝日新書
 遠征に備えて花粉症の季節でも肩の凝らない本を、ということで、新書を量産している本郷先生の『軍事の日本史』をチョイス。
 相変わらず、東大史料編纂所で『大日本史料』を編纂している史学保守本流の大教授とは思えない軽妙な書き出し。
 史料編纂所で講義、ゼミを持たなくていいという特権を確保しているから、執筆、テレビ出演などもこなせるんだな、と思うと同時に、本郷さんへの嫉妬をたぎらす先生方の気持ちもわかるw
 戦国時代は生き残ればしめたもので、信玄のように一生かけて信濃一国を奪えば後世に名を残す。しかし、信長は尾張をまとめるのに時間はかかったが、34歳までに美濃、北伊勢という列島の中でも生産性の高い土地を領地に組み込んだ。信玄の60万石に対し合わせて150万石というあたりは説得力があります(p.79-)。
 武田信玄がやったことといえば、北信濃の領有を巡って謙信と戦ってなんとか確保した、という感じですから。しかも、生産性はあまり高くないという。
 戦国時代の兵力は百石で2.5人が養えるから、40万石でざっくり1万人。しかし、それは農閑期の農民も動員してのことだから、幕末のように兵農分離が進んで250年もたつと薩摩でも4000人程度になるという数字のリアリティは説得力があります。
 東大史学で佐藤進一、石井進の系譜を継ぎ五味文彦先生に師事した本郷和人さんですから、観応の擾乱から「将軍権力の二元論」(軍事と政治の二つから成り立っているが軍事の方が優先される)についてページを割いてキッチリ説明しているのは、最近の若手研究者たちからの批判への苛立ちか?と微笑ましくなります(p.107-)。
 さらに呉座『応仁の乱』について《地味な戦いが、何の目的もなくただダラダラ続いた》と要約。《戦国時代の戦いに比べて、室町時代の戦いは、一言で言って「ぬるかった」》と亀田『観応の擾乱』に続いて、中世史のベストセラーをdisり気味に紹介してから持論展開。なんとも面白い(p.139-)。
 確かに本郷先生は毎月のように新書を出していて、さすがに書きすぎなんじゃないかとは思いますが、例えば、曳馬という地名を不吉として浜松に名を変えた家康は、湿地帯で「汚れた土」という意味の「江戸」は変えなかった。それは厭離「穢土」の旗印に通じるから(p.243)というあたりはうなりました。家康は利根川を付け替えて銚子に流すようにして広大な水田地帯を作ったんですけど、そこには経済合理性とは別の精神性もあったんだな、と。
 とにかく呉座、亀田という若手研究者の著作をdisり気味に紹介して佐藤進一、石井進の本流への批判を再批判しているんですが、あとがきではさらに網野善彦先生の『無縁・公界・楽』を実は「あ、これは『強い人』の歴史観だ!」と網野財閥出身の善彦先生が一番嫌うような批判の仕方で切って捨てています。
 東大史学への批判は許さじということでしょうか。
 そんな下世話なことも含めて実に面白い本であることは間違いありません。

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March 08, 2019

「うえ村」の白子コース

Uemura_1

「うえ村」 神奈川県横浜市神奈川区上反町1-10-14 045-311-8814

ご主人は六本木の『味満ん』で修業し、26歳の若さで1994年11月に店をオープンさせました。

『味満ん』は勤めていた会社が六本木だったので何回か行ったことがあるのですが、居酒屋かな、と思うような店内なのに、フルコースなら二人で10枚ぐらい飛ぶという印象的な店でした。

この「うえ村」も高級感を出していない店内の雰囲気が似ています。

コースも似たような感じで、当たり前ですが、せっかくなら白子が食べたいので20000円のふぐ白子コースに。

前菜・煮物・お刺身・白子焼き・唐揚げ・サラダ・ちりしゃぶ・白子雑炊・新香・デザートが出てきます。

当日のふぐは長崎のふぐでした。

黄金色が美しい「ふぐの煮こごり」、「大根煮助子あん」に続いてでてきたのが、ふぐ刺し。驚きの厚引きは軟らかいからこそ。お皿の中央には腹回りの皮と皮の内側の身(とうとうみ)をボイルしたものが山に。カボスを効かした自家製ポン酢、葱、もみじおろしに葱を巻いていただきます。

Uemura_2

そして、メインの「ふぐ白子」。焦げ目までもが美しい。

スッポンもふぐも実は「から揚げ」が大好きなんですが、旨みがギュッと詰まってます。

あとはふぐちり、白子入りふぐ雑炊で〆てデザートの青い桃の実のシャーベットも上品。

ひれ酒は黒(背びれ)と白(尾びれ)の両方をいただきましたが、白が絶品。

お酒も入れると二人で諭吉5枚が必要でしたが、それでも『味満ん』『福治』の半値以下…。

星持ちになって予約が取れず、ようやく行った甲斐がありました。

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March 02, 2019

『記憶の肖像』

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『記憶の肖像』中井久夫、みすず書房

 中井久夫さんのエッセイ集で唯一、未読だった『記憶の肖像』を読み終えました。これで中井さんのエッセイは全て読了。これまで、何回か読もうと思ったけど、最初のエッセイ集ということで、まだ、文章が硬い感じがして、敬して遠ざけていたんですが、やはり面白かった。

 白眉は「意地の場について」の考察でしょうか(p.251-)。

 《精神科医が「意地」に出会うのは、なぜか、私の場合、遺産分配に関係していることが多かった》というかき出しから、遺産配分は遺体解剖の雰囲気に似ていて、それは故人の遺体を共食するという儀礼が多くの民族にあり、葬式の際の食事はその名残りだ、というあたりから引きつけられました(喪失感、別離感の処理作業として共食は発生したのではないか、とのこと)。

 日本の場合に多い父の遺産配分はカイン・アベル的葛藤の場であり、パラノイア、強迫症、抑うつというエディプス期以前の力動態勢が前面に引き出されやすくなる、と(エディプス期を成功裡に突破した人は病理を露呈する確率は低いとも)。それは損得という、正義や善悪にもとづく議論より、成熟したものだから。

 さらに、夫の妻など《分配に対する発言権はないが、分配を受ける者に対する発言権を持っている配偶者》など陰の人間関係もつきまとうことで事態は混沌としていきます。

 《フロイトは、貰う資格がないのに巨額の遺産が舞い込む幻想をユダヤ人にはあると指摘して》いるそうですが、《宝くじなどを買う心理には、それに通じるものがあるだろう》というあたりはうなりました。

 普段、自分はお人よしで強く自己主張ができないと思っているような夫が妻から「誰それさんにしてやられないようにね」などとハッパをかけられると、意地を発動しやすくなる、そうですが、まるで目に浮かびます。こうした《人を操作したい人が。遺産分配だけでなく、多くの、例えば損害賠償の場にいて、事態を途方もなく紛糾させ》る、と。

 江戸時代に『忠臣蔵』や『佐倉惣五郎』は、意地を浄化(カタルシス)したいという民衆の願望に支えられて繰り返し上演されたのだろう、と。

 遺産分配の場で「もう損得ではない、意地だ」と言い出されたら、賢明な仲裁者は手を引くだろうし、精神衛生を考えたら、多少損をしても、これ以上は骨折り損だと考えて早々に場を去る人間がもっとも賢明だ、というも納得。

 逆に高額を得た人間は小さな会社を設立してすぐ破産したりするのは、罪悪感を拙劣に消費することで精神的安定を得ようとするからではないか、というあたりも納得的。後は大きな庭石を買う人もいるそうで、なんとなく気持ちは分かります。

 落語「三方一両損」の話しは、大岡越前が紛争に介入することによって心理的水準では当事者になったことで、わざと一両を損することによって帳尻をあわせるという高度な心理的理解がある、というあたりの議論にもうなりました。

 ぼく自身の体験からしても《一年を越えたら紛糾にメドがなくなり》弁護士費用の方が多くなる、というのは遺産分配だけでなく当てはまると感じます。

 また、調停者は「時の氏神」という言葉のようにタイミングが大切だとか、意地には「甘え」の否認を誇示している面があるというのも納得的。「無言電話」などの嫌がらせは、天罰が信じられなくなった現代において、「あなたに恨みを持っている人間がいる」というのをわからせるためとか、精神科医には患者が「離婚したい」と言ってきたら「それは精神科医の問題ではない」と突っぱねるという申し送りがあるとか、意地は江戸時代の話しが多いのは絶対の強者がいない状況では颯爽とした自己主張ができなかったので、屈折した美学として共感されたのだろうとか、というあたりも。

 そして最後は、日本が外交下手なのは意地の文化があり、日露戦争でたまたま成功してしまったという体験があるのもよくない
というあたりの話しになっていきます。日本の意地は片意地であり《太平洋戦争などは、片意地で始まったもの》というのも納得的。

 さらに「治療にみる意地」が続きます(p.268-)。

 《われわれにおける意地は西欧における自我というのに近い》という佐藤忠男さんの言葉を紹介し、どこか江戸の風が吹くような感じのする意地は、「こだわり」というプラスの意味を持つようにもなった、と。
 
 また、意地というのは元来、茨の道を行く自分を励ますなど窮地を正面突破するための心理的技術で、そのために視野狭窄も起こるのだろう、と。

何回も苦痛を訴えて同じ手術を受けるような人は、漢方医学で壊病(えびょう)と呼ばれる、治療をあれこれ加えた結果、何が何だかんだ分からなくなってしまった病気。始まりの病理さえ見当もつかなくなり、精神科で(境界例」と診断されてしまう可能性も(p.274)。

 このほか、「私の入院」で《人間には自由を奪われると子供に近づくということがある》という話しの中で、日本社会の合意は《箇々の条文をはっきり挙げてではなく、まったく包括的なものだ。していいこととしていけないことの一線は微妙だ。その上、建て前としての規定と絶対許されぬこととがある》として、子供はそこがわからない、というあたりも面白かった(p.208)。

 《医者(あるいはナース)とは、患者に愛をむけるのではなく、愛の対象となることに耐える存在である》。患者は《「愛」を是認し受容してほしいのである。「愛」といえばわかりにくいだろうが、「甘え」》《是認し受けとめたという微かなサインをもらうだけで十分》というあたりは、ファン心理を見事に説明してもらった感じ(p.209)。

 ロシア人のプーシキンに対する畏敬はほとんど神に近いというあたりを読んで、そういえば、プーシキンの娘が『アンナ・カレーニナ』だったな、と思い出しました。プーシキンの妻、ナターリアはロシアでも歴史に残る美人。そうした妻を持ったことも伝説を生んだ要因なのかも、とか。

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February 27, 2019

『承久の乱 日本史のターニングポイント』

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『承久の乱 日本史のターニングポイント』本郷和人、文春新書

 ぼくみたいな素人からすると、本郷和人さんの議論は東大の先生らしからぬ素晴らしく分かりやすさだと思うんですが、呉座さんとか若手の研究者からなんで目の敵にされるのかわからない感じがします。

 鎌倉幕府といいますか、関東における武士政権の成立というのは、在地領主による支配によって、日本の歴史を他のアジア諸国から画する出来事だと思います。

 それは「武士の、武士による、武士のための政権」であり、当初の「源頼朝とその仲間たち」から承久の乱を経て「北条義時とその仲間たち」という政治体制に変わっていった、というのがサマリー。

 当時の関東はホッブス的な「万人の万人に対する闘争」であり、在地領主=農民である武士たちは深刻に安全保障を求めていた、と。それは、朝廷の役人である国司や寺社などとは違って領地争いの時など《困ったときにすぐ駆けつけてくれ、実力行使を厭わない「上司」》。頼朝の傘下に入れば、土地が安堵され、さらには領地を広げていくことも可能かもしれないから関東の武士たちは団結したわけです。

 頼朝が挙兵して、伊豆の目代を打ち取った時の総勢は90人。北条時政も命をかけた戦いだったので目一杯頑張って掻き集めたのですが、時政が動員できたのは50人だったそうです(p.33-)。しかし、それでも、関東の武士たちは頼朝に賭けたわけです。

 それは関東の在地領主である武士にとって、大切なのは、領地争いの困った時に大勢の仲間と駆けつけてくれる親分グループだったから。富士川の戦いの後、京都を目指す頼朝を諫言した関東武士たちは、同じ源氏の佐竹氏などを平らげて、東国の新秩序を樹立することを求めました。それは朝廷=国衙の排斥。親の敵である平家討伐よりも、頼朝は関東の在地領主たちのニーズに応えて鎌倉にとどまることを選択しました。

 p.37-で紹介されている男衾三郎絵詞(おぶすまさぶろうえことば)は知りませんでした。武士は庭先に生首を絶やすなと言われ、屋敷の前を乞食や修行者などが通ると、狩の獲物のように矢で射たり、追いかけて捕まるものだ、と書かれています。武士の野蛮さとともに、まさに「万人の万人に対する闘争」状態をあらわしていると思います。

 坂井孝一先生の『承久の乱』でも中宮(皇后とほぼ同格の天皇の后)とか、乳母子(めのご、乳母の実子)などの母系の固有名詞の多さから日本は母系社会だな、と感じたのですが、本郷先生の『承久の乱』でも、この時代における結婚によって生じる結びつきは重く《ある家が幕府に対して謀反を起こしたら、その家から嫁をもらった武士もいっしょに幕府と戦わねばなりません。娘を誰と結婚させるかは究極の人事でもあり、同盟の締結でもあった》という指摘にはうなりました(p.67)。

 土地制度に関しては、源平の乱以前に後三条天皇の親政で摂関政治は終了したという指摘もなるほどな、と。その決め手は荘園整理令。きちんとした手続きを経ていない荘園は公地公民に組み入れられ、藤原氏は1/3を失ったそうです。この脅威から逃れる術は、上皇への寄進。しかし、公地公民の原則からは天皇は荘園を持てないので、後鳥羽上皇は六勝寺といういわばトンネル会社をつくったというあたりもなるほどな、と(p.101)。これによって後鳥羽上皇は文化面だけでなく経済面でも「治天の君」となるわけです。

 院政の特徴は理念がなく自分が贅沢したいだけ。人事も側近で固め、信西などは政治力はあったが、その信西を倒して政権を握った藤原信頼は、後白河上皇との男色関係によって気に入られただけの存在。後白河はしたたかな政治家ではなく、台頭した武士に空手形を出してごまかしただけ、というあたりの院政への評価も明快。これでは在地領主のリアリティには負けるな、と。

 それはさておき、上皇や天皇の娘である内親王は独身のまま荘園の番人として贅沢な暮らしを与えられたそうです。子供が出来ると荘園は分割されますが、独身の内親王を荘園領主とすると大規模なまま維持できる、と。後鳥羽上皇の時代には皇室関連の荘園がほとんど後鳥羽の支配下になるなど抜群の経済力になった、と(p.106)。

 中世史は黒田俊夫の天皇中心の「権門体制論」、佐藤進一の「東国国家論」という2つの見方があるそうで、なんと学界で多いのは天皇と将軍は上下関係にあるという表面的な権門体制論だそうです。本郷さんは東国国家論で二つの権力が存在したと考える立場(p.147-)。東国派の本郷さんに対して呉座さん、亀田さんなどは権門体制論派?

 中公新書の著者が文学系統ならば、本郷さんは《鎌倉幕府とは何か、をずっと考え続けていた》研究者であり、坂井孝一先生の『承久の乱』のように、後鳥羽上皇は単に義時を討つことが目的でない点も明確です。

 1)当時はそもそも幕府という言葉自体がなく、敵は「北条義時とその仲間たち」2)朝廷が幕府を倒す命令を下すときには、必ず排除すべき指導者の名を挙げるのが通例、という指摘からも、後鳥羽上皇は「北条義時とその仲間たち」というシステムを破壊することを目的としていたんだろうな、と。

 このほか、北条政子の名は、天皇、上皇の前に出るときに時政の一字をとってつけられたもので、頼朝は政子とは呼んでいなかったハズというあたりも面白かったです(p.32)。

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February 20, 2019

『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』

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『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』坂井孝一、中公新書

 兄妹が人間の始祖となるという神話は、インド南部、中国の南西部や東南アジア、台湾、沖縄、奄美、南九州、四国をはじめ列島の全域、それからミクロネシア、ポリネシアなどの島々に分布しているといいます。こうした神話を持つ地域は「母系」優位の初期社会を持ち、それは「母」と子ども、「母の兄弟」と子どもという系列で親族組織が展開されます。これは十ヵ月の空白を超えた性行と出産の関わりを認識できなかったから、といわれていますが、その議論はさておき、父親の親和力を維持するためにも、「父」の息子と「父」の姉妹の娘とを幼児のうちに婚約させる交叉いとこ婚が普及していきました。交叉いとこ婚によって父は1)自分の所有物を与え2)家族的な親和力も充たし3)じぶんの氏族の相続者に対する譲渡も矛盾なく両立させることができる、というわけです。

 レヴィ=ストロースはこうした一定方向に女性が交換(移籍・移行)する婚姻規則と、贈物が受け渡される互酬性によって、複数の集団をつなぐ社会統合が構築されていると考えると同時に、インセスト・タブーも生まれたと考えました。

 女性の交換によって内/外の意識が生まれると同時に、父型交叉イトコ婚は二つの親族だけで完結する交換活動なのに対し、母型交叉イトコ婚は必ず三親族以上が関わるシステムが出来ます。レヴィ=ストロースは父型交叉イトコ婚は「限定交換」、母型交叉イトコ婚は「一般交換」となり、普遍性がある、とします。

 マリノウスキーは、母型交叉イトコ婚の社会で一夫多妻が生まれると富の蓄積が始まるという議論もしていたと思いますが、吉本隆明は、アジア的デスポチズムは父(夫)が母系からの霊威も集積されるところから生まれる、とも展開していました(『母型論』)。

 今回の旅行では『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』中公新書、坂井孝一をお供にしていたのですが、本論はさておき、日本社会が母系であり、パターナリズムが原則である儒教の浸透が浅いレベルに留まったのは、中宮(皇后とほぼ同格の天皇の后)とか、乳母子(めのご、乳母の実子)などの母系の固有名詞の多さからも分かる感じが改めてしました。

 日本はアジア的専制でも、母系社会。母型交叉イトコ婚による母系社会の維持と父親系統の関与で、互いの財産が最大になり、共同体も最大になるような社会が基礎。

 だから律令制度でも公地公民は貫徹されず、一君万民の考えも浸透せず、荘園制度が発達し、法律より因習が優先されていったのだと思います。そして、律令制度という借り物の法体系ではなく、日本独自の法律ができたのは、天皇制より武士が上位に立った、承久の乱の後の御成敗式目から、につながるのかな、と。

 考えれば考えるほど、承久の乱というのは、日本史の中でも画期的な革命です。幕府の将軍でもない北条家が、上皇三人を流罪にして、次期天皇の選定も、武士のものにして、荘園も解体させていったんですから。

 もっとも、坂井先生のこの本は文学的な読み込みから、実朝は後鳥羽院に心酔し、皇子を次期将軍に迎えることを熱望しており、地方の卑しい一族である北条氏にとっても、貴種を迎えて掌中に抱えるのが最善だった、という見立てがメインです。それが、公暁による実朝暗殺によって破談となり、不安を覚えた後鳥羽院が強引な北条義時の排除という限定的な目的で承久の乱を起こして失敗した、となります。

 北条氏は比企一族や和田一族のような目にあってもおかしくなかったわけですが、北条政子は後鳥羽院の乳母である兼子が、実朝御台所の姉「西ノ御方」が産んだ頼仁親王を養育しており、この頼仁親王か宮雅親王のどちらかを子のない実朝の後継将軍にすえることを女同士で交渉するため「熊野詣で」までするのです。まさに母系社会。これが個人的には一番のハイライトでした(p.94)

 この坂井孝一先生の『承久の乱』に続いて、本郷先生の『承久の乱』も購入しました。本郷先生は倒幕の戦いとみているので、歴史学者の戦いとしても興味があります(本郷和人『承久の乱 日本史のターニングポイント』文春新書)。

 といいますか、再来年は承久の乱800年なんですね。個人的には辰之助が大河で後鳥羽上皇を演ってことを思い出します。

 あと、《三月は年貢公事の納入期限》《現代も三月は税の申告時期》ということで年度は年貢と関係あったのか…と(『承久の乱』坂井孝一、中公新書 p.127)。

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February 11, 2019

『吉本隆明の経済学』中沢新一編著、筑摩選書

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『吉本隆明の経済学』中沢新一編著、筑摩選書

 この本は『超西欧的まで』に収録された「経済の記述と立場 スミス・リカード・マルクス」、『ハイ・イメージ論 III』に収録された「エコノミー論」「消費論」、『母系論』に収録された「贈与論」、『マルクス 読みかえの方法』に収録された「消費資本主義の終焉から贈与価値論へ」などをそのまま収録した論文集のようなつくりの本で、各章ごとに中沢新一さんが短いコメントを付し、最後に「経済の詩的構造」というもとめで締めくくります。

 「経済の詩的構造」というタイトルで察せられるように、これまで何回も書いてきた、『資本論』の価値形態論の使用価値と交換価値からインスパイアされた、言語の指示表出と自己表出という『言語にとって美とは何か』を発展させた経済論の可能性について中沢さんは留意しています。

 《人間は自由であることの代償に、無意識というものを手放せなくなっているとも言える》と中沢さんは書いていますが、これは「経済は自由であることの代償に、貨幣というものを手放せなくなっているとも言える」のかもしれないと個人的には感じています。

 中沢さんは、おそらく脳科学の発展を意識しながら《想像界(とさらにその上につくられた象徴界)をもつことによって人間の心では、たえまない意味の増殖が起こるようになる -中略- それは生起と喩の過程の結合として、その輪郭を描くことができる》とまとめています(p.350)。


 中沢さんは、こうした「詩的構造」を持つ吉本さんの経済学が、失われた無償の贈与という起源を取り戻すことが超資本主義の課題ではないか、という方向に議論をもっていきますが、残念ながらそれは伊豆の海で溺れた後の吉本さんの展開力に限定されたものに終わっているかなと感じます。

 ただし、これまで何回もふれた「アフリカ的段階」という概念の有効性については以下のような見事な評価をしています。

 《レーニンは革命をつうじて、国家の先にある世界を実現しようとした(『国家と革命』)。レーニンはそれが「遅れたロシア」だからこそ実現できると考えてその考えを実行に移したのだが、まもなく失敗であったことがあきらかとなる。なぜレーニンは失敗したのか。この問題を深く考え抜いた吉本隆明は、ロシアの革命がアジア的段階という土台の上におこなわれたがゆえに、革命のなかから近代科学技術と結合した恐るべきアジア的専制国家を生み出さざるをえなかった必然をあきらかにした。
 未来の革命は吉本隆明が考えていたように、超資本主義の先か、アフリカ的段階の先にしかあらわれない》(p.373)

 レーニンが「遅れたロシア」でなぜ、革命が実現できると思ったのか、という問題はマルクスが『ベラ・ズサーリッチへの手紙』で考えた延長線上にあるものだといえると中沢新一さんは考え、『僕の叔父さん、網野善彦』でも新書という体裁の中では異例の頁を割き、今村仁司さんも『マルクス・コレクション』の中にふたつしか入れていない書簡で取り上げ、自身で訳出しています。

 アジア的段階の農奴的コミューンではなく、アフリカ的段階の先にしか、未来の労働が自己目的化されない生産手段を共にする自由人たちの共同体(コミューン)は築くことはできない、というのが中沢さんの考える〈最後の吉本隆明〉だったのかな、と感じます。

 ということで、長く振り返ってきた四人の方々の著作についてのまとめは、これでいったん終わります。

第1部 吉本隆明の経済学
第1章 言語論と経済学
第2章 原生的疎外と経済
第3章 近代経済学の「うた・ものがたり・ドラマ」
第4章 労働価値論から贈与価値論へ
第5章 生産と消費
第6章 都市経済論
第7章 農業問題
第8章 超資本主義論

第2部 経済の詩的構造

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February 01, 2019

『評伝菊田一夫』

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『評伝菊田一夫』小幡欣治、岩波書店

 宝塚星組公演『霧深きエルベのほとり』に感動してしまい、改めて菊田一夫とはどういう人だったか調べてみようと思って、この評伝を読んでみました。

 複雑な生い立ち、あくまで大衆的であろうとした姿勢、無尽蔵の発想と多作、その根底にあるリリシズムなど、ある程度、菊田一夫の背景は知っているつもりでしたが、もっと凄い演劇人でした。そして、宝塚の若手作家No.1の上田久美子がいま1963年初演という50年以上前に書かれたこの作品を取り上げた理由もなんとなく理解できました。

 それは物語が構成がほぼ完璧で、その上に昭和な義理人情の世界が描かれているから。

 「昭和な義理人情の世界」の世界観は悲劇でも喜劇でも、日本の大衆が反応しチケットを買ってくれるほぼ唯一のジャンルであり続けました。まだ喜劇を看板にした劇団もあるぐらいですが、さすがに飽きられたかもしれません。個人的には最も苦手なジャンルです。

 自分は悲劇しか書かないと言っていた上田久美子が、このジャンルの作品の潤色に乗り出したのは、完璧な構造ならば、今ではファンタジーのような内容も受けいれられるからなのかな、と思っていましたが、この評伝を読めば、それだけでなく、菊田一夫の生きた時代、生い立ちも含めた苦闘がリアルを支えているからなんだろう、と思うようになります。そうしたリアルを喜劇の背景に見つめてみようか、ということなのかな、と。

 菊田一夫の影響を知らぬ間に受けていると思ったのは、『鐘の鳴る丘』が彼の作詞だと知ったから。曲というかメロディは聞いたことあったんですど、太平洋戦争による戦争孤児をテーマにしたラジオドラマの主題歌だったんですね。しかも、それは軍部からの依頼で戦意高揚の芝居を書いてしまい、戦後は戦犯として告発を受けそうだったという贖罪意識から手掛けたというのも初めて知りました。

 ♪とんがり帽子の時計台♪という歌詞とメロディは有名ですが、その三番の歌詞がこうなっているとは知りませんでした。

♪とんがり帽子の時計台
夜になったら星が出る
鐘が鳴ります キンコンカン
俺らはかえる屋根の下
父さん母さんいないけど
丘のあの窓俺らの家よ♪

 社会的なテーマを取り上げる際にも、それは表に出さず、裏に隠すという計算が感じられます。そして、次に手掛けた『君の名は』は、戦争の悲劇を『鐘の鳴る丘』では子どもを通して描いたのに対し、大人の目を通して描こうとした、というのも言われてみればなるほどな、と。しかし、そうした社会性を表に出した連続ドラマの最初の頃はまったく受けず、男女のすれ違いに絞ったあたりから爆発的な人気を博すのを目の当たりにして、以降、社会性は絶対に表に出さないようになる、と。

 『霧深きエルベのほとり』から評伝を読んだり菊田一夫のいろいろな資料を読んできて、やっぱり分かりやすさ、親しみやすさ、暖かさを抜きに商業演劇は考えられないし、商業抜きに演劇の発展もないだろうな、と改めて感じます。だいたい、『鐘の鳴る丘』『君の名は』もGHQの指示でNHKが制作したものでした。それを考えると第二次大戦後、アメリカ文化が世界を席巻したのも、分かりやすさが決めてだったのかな、と改めて感じます。

 『評伝菊田一夫』で最初に驚いたのは商店で働いていた時代、美しい女性に恋をしたが振られたという経験を持っていること。義理の父親に捨てられるように丁稚に出された大阪の修行時代、店にやってきたお嬢様に恋をして、その美也子さんが関西のお嬢様らしく宝塚が好きで、気を引くために「歌劇」に詩を投稿していたというんですから健気ですよね。しかも、その内容がまるで『霧深きエルベのほとり』のハンブルグ港のシーンみたい!

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石段に腰を下ろした一人のマドロスは
背中をまるめてパイプをふかしながら
じっと沖を見つめてゐた

というのがその詩のラスト。

 時代背景は日本の戦前。身分違いのお嬢様の気を引くために「歌劇」に投稿した詩が掲載されるなんていう厳しい時代のリアリティが『霧深きエルベのほとり』の主人公カールに投影されているんだろうな、と。

 また、『霧深きエルベのほとり』では、カールが酒場の女性ヴェロニカ相手に泣くシーンがベタで凄いな、と思ったんだですが、菊田一夫は、主人公が最後に泣く芝居を得意としていた、とも『菊田一夫評伝』岩波書店では書かれています(p.68)。

 さらにはエルベに出てくる子どものこそ泥ヨニ公ことヨーニーも割と重要な役を与えられています。これは、親に捨てられ丁稚に出された頃の自身だと分かりました。菊田一夫は「余りに悲惨だとリアルじゃないと言われる」と後年語っていますが、そうしたあまりにも悲惨な自身の境遇がエルベには反映されているんだな、と。

 とにかく《菊田さんにとって演劇とは、同時代の観客、それも芝居など見たこともない一般の大衆にも楽しんでもらえるような作品を書くことが第一義であって -中略- アチャラカの芝居から戦意高揚劇、そして中間演劇、ミージカルと領域をひろげながらも、菊田さんの視座は常に大衆にあった》(p.274)ということがよくわかる評伝でした。

 ちなみに著者の小幡欣治は『恍惚の人』の脚本家です。

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