May 15, 2008

中本の「冷やし印度」と「冷やし味噌卵麺」

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 08年5月度の新宿店と目黒店の限定は、両店とも温かい麺で出してくれているメニューの冷やし版でした。

 新宿店は印度丼(ハッキリいってカレーライスw)に賭けているというか突っ走っているというか、これで行くんだという気構えが感じられます。

 金曜日と日曜日に出してくれる印度ラーメンの中から、北極スープにカレールーを浮かばせた「北印度」という名作も誕生させましたが、今回の「冷やし印度」はスープをさらに辛い冷やし味噌に替えたもの。

 月替わりとしては二回目の登場ですが、オーダー率高いです。

 味もこなれてきました。スープの辛さにあわせてルーも少し調整しているんじゃないでしょうかね。

 このまま麺をいただいても一向にかまわないのではありますが、中本・印度の楽しみはガスで焚かれた堅目のご飯にルーをかけることでさらにパワーアップされます。

Nakamoto_shijyku_curry_don

 レシピ的に書きますと、冷やし麺の上に乗っかっているモヤシをまずいただいてしまいましょう。モヤシ抜きにするという手もありますが、やはり感謝の気持ちを込めて食べたいもんです。

 その後、単品の半ライスの上にヒヤミスープにつかったカレールーをレンゲをつかってどんどん移してしまいます。

 さらに「冷やし印度」最大の欠点ともいうべき、麺にスープがからみすぎて、汁がほとんど残らないという問題を解決するために、あらかじめ頼んでおいた半ヒヤミスープの中から肉をひきあげて、どんどん丼状態にしていきます。

 最後には卵も載せて、ほぼ完成。

 これに半ヒヤミスープを足したスープをさらに注ぎ込んで、中本・極辛印度茶漬けが出来上がる、と。

 もちろん、麺もどんどんいただきますが、楽しみはこの極辛印度茶漬けですな、個人的には。

Nakamoto_meguro_shiyashi_misoranmen

 目黒店の「冷やし味噌卵麺」も二回目か三回目ぐらいの出番。

 今回は、さわやかなイメージをさらに高めるために、ネギを別注。

 大部分はスープに投入するにしても、少し余らせたネギにお酢を入れて、それをスープに麺をいただくという「ネギ酢麺」も楽しめるという工夫です。

 いやー、中本は創造のココロを刺激しますよね。

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May 14, 2008

『反哲学史』

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『反哲学史』木田元、講談社学術文庫

 『反哲学入門』は講釈師のように面白く哲学史を語る木田先生の入門編としてお勧めですが、実は、『反哲学史』をより簡単に説明した、という感じの本でもあります。

 『反哲学入門』ではしゃられているのはシェリングでしょうか。ならば『反哲学史』でその部分だけおさらいすれば、木田哲学史はほぼ完璧。

 シェリングはヘーゲルを世に出すことに骨を折ったのに、そのヘーゲルから『精神現象学』序文で痛烈な批判を受け、飼い犬に手を噛まれたような格好で、以降、ドイツ哲学界に君臨したヘーゲルの影に隠れたような存在になってしまったのですが、ヘーゲルがコレラであっけなく死んでしまった後に復活します。

 シェリングはデカルト-カント-ヘーゲルと連綿として受け継がれていく西洋哲学が、理性では非合理な現実は理解できないという立場をとっているとして、そうした近代哲学は「消極哲学」=ネガティヴであり、その点、自らの哲学は「積極哲学」=ポジティヴであると主張しました。

 でも、非合理的な事実存在をあえて問おうとする自身の哲学がなんでポジティブなんでしょうか?

 木田先生は、元々、ラテン語のponoには「定められたもの」という意味があり、人間的な理性では理解できないような悪や悲惨も神が「定めた」ものなのだから、そうしたものは「事実」として受けいれていこうじゃないの、という主張だというんですね。そしてシェリングの講義を聴いて、「実存」という言葉だけに影響を受けて自身の哲学をかたちづくっていったのがキュルケゴールだ、と。

 こうも分りやすく説明されてしまうと、なんか騙されたような気分にもなりますが、少なくとも頭の整理にはなりますんで、ひとつ…。

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May 13, 2008

團菊祭五月大歌舞伎 白浪五人男またはギニュー特戦隊

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 今月は午後の部を見物しました。出し物は『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうし はなの にしきえ)と『三升猿曲舞』(しかくばしら さるのくせまい)。

 『青砥稿花紅彩画』は白浪五人男といった方が通りやすいかもしれません。

 『青砥稿花紅彩画』は有名な場がふたつあります。ひとつは女装した弁天小僧が騙りにきた「雪の下浜松屋の場」で、正体がバレて居直る場面。「知らざあ言って聞かせやしょう 浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の、種は尽きねえ七里ヶ浜、その白浪の夜働き…」という口上が素晴らしいし、妖しさ爆発。もうひとつは稲瀬川で勢揃いした白浪五人男か勢揃いした名乗りの場面。日本駄右衛門の「問われて名乗るもおこがましいが」から、南郷力丸の「さてどんじりに控えしは」までの「連ね」。なんつうか、まさにエンタテイメント。

 いろいろサイトを探していたら、wikiでもそうなんですが、白浪五人男は「戦隊もの」のルーツだというんですね。

 そういえば、戦隊ものは必ず5人。白浪五人男も当然5人。

 あ!ドラゴンボールのギニュー特戦隊も5人です。

 ドラゴンボールでいえばボスのギニューは日本駄右衛門。姫にも化けられるほどの美貌の持ちである弁天小僧はジース、力持ちキャラの南郷力丸がリクーム、地味な存在の忠信利平がバータ、こういう弱そうなキャラがいないと話が膨らまない赤星十三郎がグルドかな、と。テレビの戦隊モノではレッド、ピンク、イエロー、ブルー、グリーンに相当します。テレビでは"新劇化"が進んでいるので、ピンクは女性が演りますが、ここはドラゴンボールのように女にも化けられるぐらいのイイ男が演じてほしいところ。それを考えると、さすがですよね、鳥山明さんは。

 そういえば、ギニュー特戦隊も戦闘の前には必ずポーズを取って見栄を切りますが、これも稲瀬川で名乗りを上げるシーンに影響されているんでしょうかね。これから戦闘開始というのにスペシャル・ファイティング・ポーズをとったり、追っ手から逃げようとしているのに派手な紫を基調にした着物に揃えて「志らなみ」の字を染め抜いた番傘を振りかざして名乗りを上げようっていうんですからまさに、これぞケレン味。

 いやー、日本の文化に歌舞伎というのは本当に大きな影響を与えていますよね…。

 で、肝心の舞台ですが音羽屋(七代目 尾上菊五郎)さんの弁天小僧がいいんですよねぇ。正体がバレて、もろ肌ぬいで刺青を見せ、大あぐらをかいてタンカをきるんですが、途中で「暑くてこんなものは着ていられねぇ」と帯を解いて着物を脱ぎ、深紅の長襦袢の裾をまくって風をいれるところなんかは、実はStripteaseの要素を入れたのかもしれません。昔なら女性の見物がキャキャー言って喜んだところなんじゃないでしょうか。いま最も美しい女形でもある息子の菊之助さんなら妖しい魅力爆発でしょうが、菊五郎さんの弁天小僧も大人の色気がたっぷり残っているのが素晴らしい。

 あと、最後に藤綱が日本駄右衛門を見逃すところですが、その理由にするのが放生会(ほうじょうえ)。

 放生会は『双蝶々曲輪日記』の「引窓」でも重要なモチーフになっていますが、生き物を逃がして善根を積むというのは庶民の夢なんだな、と改めて思います。あるいは権力者も自分が定めた法の限界を知っているといいますか、元をたどっていけば、根拠はないということに想いをいたしているといいますかね。なんで藤綱が出てくるのかということについては、地元のヒーローでもありますし、北条氏がさかんに放生会を行ったということも踏まえているそうで、なかなか深いものがあります。

 ということで、幕見なら1,100円で「雪の下浜松屋の場」から「滑川土橋の場」まで見られます。あるいは2,500円払えば、通し狂言で見られる上に、松緑さんの踊りも堪能できるんですから、ぜひ!

 もう、ほんとに、ぜひ!

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May 11, 2008

「煉瓦亭東銀座店」の定食

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「煉瓦亭東銀座店」東京都中央区銀座1丁目14-1 3561-3838

 煉瓦亭総本店は言わずと知れた洋食の名店ですが、そこから暖簾分けされた新富町煉瓦亭の分店が銀座一丁目にある「煉瓦亭東銀座店」。

 一軒家風のつくりで、1階がキッチンとカウンター5席、2階もカウンター7席とテーブル2卓という小さなお店。しかし、キッチンはみるからに効率的につくられていて、大将を中心に機能的な労働のハーモニーが奏でられています。

 ということでGWの最中、銀座で仕事の途中で、一丁目店で定食をいただきました。

 それにしても、ここは史上最強の定食じゃないですかね。

 全部がしっかりしています。

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 野菜の水切りの具合、タルタルソースの味、肉のソテー感、白身魚の揚げ具合、どれもレベルが高い。

 なのにご飯とスープがついて1000円。

 銀座の奇跡でしょうか。

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May 10, 2008

『音楽遍歴』小泉純一郎

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『音楽遍歴』小泉純一郎、日本経済新聞出版社

 また新しい新書が加わりました。日本経済新聞出版社の日経プレミアシリーズです。その記念すべき第一回配本ということなんでしょうか、なんと著者は小泉元首相。版元の思惑はあとがきであけすけに綴られています。《まだ「首相の舞台裏」を語るには記憶が生々し過ぎるのか、一切の回顧録を拒んでいる小泉さんも、音楽の話なら、いくらでも語って下さるのではないか》(p.196)。小泉回顧録狙いの布石ということで聞き語りが行われた、ということなんでしょうな。

 小泉さんはヴァイオリン曲からクラシックに目覚めたんですねぇ。中学校のオーケストラでヴァイオリンを弾き、「おもちゃの交響曲」「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」を演奏し、高校生ぐらいまでは一生懸命やっていた、と。聴いて初めて好きになったのはメンコン(メンデルスゾーンのヴァイオリン・コンチェルト)。以降、とにかくヴァイオリン協奏曲を聴きまくり、好きな作品に出会ったら、その作曲家の他の作品も聴いてみる、という方法で耳を慣らしていったそうです。リピンスキ、ド・ベリオ、コルンゴルド、バーバーなども聴くというのだから大したもんです。

 議員になってからは、じっくり聴くことが難しくなってきたので、もっぱら自室やクルマの中でBGMとしてクラシックを流し、いい曲だなと思ったらメモして覚えていくというスタイルでだそうで。

 オーディオ、演奏家にはあまりこだわらないというあたりもなるほどなぁ、と。

 指揮者について

《オーケストラの指揮者を政治の世界の首相にたとえることがあるが、それはまったく別だと思う。
 指揮者は楽譜の細部まで勉強して、ごとをどう歌わせようなど楽員と一緒になって協力する。アンサンブルを整えるのは大変だろうけれど、楽員はみな、指揮者の言うことを聞こうとする。
 しかし、政界は野党もいるし、首相に反対する人はたくさんいる》(p.52)

 なんて語っていますが、ここらあたりは実感なんでしょうねぇ。

 小泉元首相と音楽のかかわりのハイライトといったら、シュレーダー首相とバイロイト音楽祭に出かけた話でしょう。戦後。ドイツの現役首相がバイロイトに現れたのは、この日が初めてということもあって、観衆も拍手で迎えたそうですが、小泉さんもシレッといろんなことをやってきたと思いますよ。で、劇場に入っても歓迎の観衆が外にいるからということで、小泉首相は二階正面のバルコニーに立って手を振ったそうですが、シュレーダーは出てこない。小泉元首相が「なぜ出ない」と訊いたら「ヒトラーも同じ場所に立っていたから」だというんですねぇ。シュレーダーにとっては、バイロイトに出かけることだけでもいっぱいいっぱいだったんでしょう。

 「オペラは愛だ」とかいいながらオペラについても一生懸命語っていますが、ちょっとピンときませんでした。

 郵政改革の時には、ミュージカル「ラ・マンチャの男」の「見果てぬ夢」を口ずさみながら抵抗勢力と戦ったというあたりをフィナーレにもってくるのは、お約束でしょうか。

 本人の語りは137頁まで。あとは解説というつくりだけど、まあ、通勤の帰りに読む分には楽しませてもらいました。

 《総理大臣の職責から解放されて、もう数多(あまた)の敵と闘う必要はない。これからは埋もれている名曲や新しい名曲を求めて遍歴の旅に出かけようと思っている》という最後はカッコつけすぎだと思うけど、日本の首相にも、これぐらい語る人が出てきたのかなと思う反面、宮沢さんあたりでも、ここまでは語らなかったろうな、とも感じます。

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May 09, 2008

Billsのスクランブルエッグ

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Bills 鎌倉市七里ヶ浜1-1-1 WEEKEND HOUSE ALLEY 2F 0467-33-1778

 今年のGWはとぎれとぎれの休みになって、なんだか損したような気分でしたが、そんなことを嘆いても始まらないので、連休最終日には、話題のBillsに行ってきました。

 ご存じの方も多いとは思いますが、なんといいましょうか、売りの文句は「世界一の朝食」。オーナーのビル・グレンジャーはマスコミへの露出度が高く、日本のプロモーションはSUNNYSIDE UPが担当というなんとも企画先行感が漂いますが、まあ、あえて乗ってやろうじゃないの、と。

 しかし、元はシドニーが本店。

 某東京都知事みたいに「アングロサクソンの舌はウシ並」とまではいわないものの、個人的には積極的にコモモンウェルス諸国の料理には手をつけたくないかな、と。

 しかし、まあ、朝飯ぐらいならいいじゃない、とカラッと晴れた朝、江ノ電にコトコト乗って七里ヶ浜で降りました。

 なんつっても住所は七里ヶ浜1-1-1ですから駅を出て川沿いに歩けば海の真ん前に真新しい複合施設WEEKEND HOUSE ALLEYが見えてきます。そして8時40分という比較的早い時間にもかかわらず、行列はすでに橋の上まで伸びている…。

Bills_outside

 ちょっと甘く見ましたかね。席数はダイニング40席、34席、テラス12席の計86席ですが、確実にファーストロットで入るためには、8時ぐらいに並ばないとムリかもしれません。

 ということですが、ずっと並んでいる必要はなく、お店の人が9時のオープン前にはカットされた行列にやってきて名前を聞いてくれますので、そこに記入さえすれば、だいたい1時間後に行けば座れるというシステム。

 ということで、道路をはさんですぐ前に広がっている七里ヶ浜に降りていって、本を読みながら待つことに。

 いいですね!

 会社の役員なんかには、本を読むために別荘に行くなんていう人もいますが、普段とは違う環境で本を読むというのはマンネリ打破のためにもいいかも。

 七里ヶ浜ではボランティアの方たちが砂浜の清掃活動をやってました。海も、ぼくの子どもの頃とは見違えるほどキレイになっています。最近、同年代の友人たちとよく話すんですが、1970年代というか昭和40年代というぼくたちが子ども時代を過ごした時というのは、日本が一番、汚れていたな、と。その後、よくここまでキレイになってきたとしみじみ思います。

Bills_drink

 などととつまらぬことを考えているうちに、あっという間に時間はたってBillsに。

 席に座れたのは結局、10時でしたね。

 飲み物は、普段、こうしたものは飲まないのですが、やたら美味しそうだったので、「ラズベリーと苺のフラッペ」なんつー物を頼んでしまったのですが、これが意外にも旨い!

 色々くさそうと思えばくさせますけど、個人的には気に入りました。

 天気がよければ、また、本を読むために行くつもりです。移動の最中、待ち時間も含めてページかせげますしね。

 スクランブルエッグはフツーでした。

 あとね、問題点をあげるとすれば、トイレの数が少ないと思う。

Bills_food

 ということですが、なんとなくバランスをとりたくなり、鎌倉に戻って、仲の坂で生しらすを肴に一杯。

 気温は暑いぐらいだけど湿気がないので気持がいいので、大好きな海蔵寺まで歩き、その帰りに民家で抹茶を飲ませてくれるところも発見。大佛茶廊といい、ウィークエンドだけやってるこうした処が悪かろうハズありません。さっそくおジャマすると、裏千家の名前をお持ちの奥さまが心づくしでお点前してくれる。

 いいところみつけちゃったし、連休最終日としては上々の一日でした。

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May 08, 2008

『反哲学入門』木田元、新潮社

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『反哲学入門』木田元、新潮社

 新潮社は吉本隆明さんの時もそうでしたが、一度、死にかけたような大病から復帰した知識人に「いっそのこと、もうぶっちゃけてイロイロ話してください。それをまとめますから」的な本を出させるのが上手いと思います。この本も『反哲学史』講談社学術文庫をネタ本に、面白い話、裏話を満載して、ソクラテス以前以後の西洋哲学史と木田先生流にいうならば、ニーチェ以降の反哲学史を、まるで講談のように語りまくってくれます。

 この本を読んでみようと思ったのはNHKで爆笑問題がやっている『ニッポンの教養』をたまたまつけたテレビで見たからなんです。

 まるで鶴みたいな風情になった木田先生が、爆笑問題の二人相手に説得するでもなく、力むでもなく、聞かれるままに答えている姿が印象的でした。「お祖父さんになると、これぐらい優しく話せるんだな」と思って、将来はこんなしゃべり方ができたら愛されるお年寄りになれるんじゃないかなんて思いましたが、最後には「これからの時代は大変なんですよ、どうしたらいいんでしょうか」というという問いかけに「皆さんお気の毒に」でジ・エンド。素晴らしい構成でした。ということで、さっそく、話題になっていた『反哲学入門』を注文して読んでみた、と。

 ご存じの方はご存じですけど、チラッと概略を。

 木田先生の哲学史のモチーフというのは、ソクラテス以前の思想家たちの多くは「自然(フュシス)について」という同じ題名で本を書き、万物流転の自然感といいますか、ぼくたち日本人が持っているようなごく普通の感覚を持っていた、と。これをまったく変えてしまったのはプラトン。ソクラテスの刑死後、世界漫遊の旅に出たと伝えられるプラトンは北アフリカのキュレネやエジプトでユダヤ系の世界創造神話にふれ、《生成消滅をまぬがれた超自然的原理であるイデアを想定し》、自然というか世界は、そうしたイデア(アリストテレスならば純粋形相)から「つくられたもの」であると180度ひっくり返してしまった、と。それはキリスト教的な一神教を準備するものでもあり、以降、西洋哲学は全て、世界はこの超越的な存在から「つくられた」という発想から展開された、と。

 後の展開は読んでからのお楽しみということで詳しくは書きませんが、なんていいましょうかね、大学の研究室あたりでお茶を飲みながら話してくれるような、ぶっちゃけた話をどんどん披露してくれる、という感じです。吉本さんも大学や大学院で学ぶことの意味の大部分は、こうした他愛のない雑談だと、どこかで書いていましたが、個人的にもそう思います。勉強したけりゃ、一人で読書計画を立ててどんどん読んでいけばいいわけですし。でも、それでは痩せるというか、面白い発想がなかなか出てこないと思います。

 この本でそうしたところをあげろ、といわれれば、そうですねアウグスティヌスとトマス、ルターのあたり。

 プラトンには、イデアの世界と、その模像であることの現実の世界、いわゆる個物の世界という二つの世界を考える独特な「二世界説」がありました。新プラトン主義経由でこのプラトン哲学を学んだアウグティヌスは、プラトンのこの二世界説を「神の国」と「地の国」の厳然たる区別というかたちで承け継ぎ、あの制作的(ポイエーシス)存在論によって世界創造論を基礎づけ、イデアに代えてキリスト教的な人格神を形而上学的原理として立てます(p.96)
 その後、西ローマ帝国の崩壊によって、キリスト教教会は世俗政治に介入するようになりますが、そうなると。  
「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」という聖書の言葉を拠りどころに、神の国と地の国、教会と国家とを截然と区別してきたプラトン-アウグスティヌス主義的教義体系では具合の悪いことが生じてきます(p.98)
 そこでトマスが登場。  
アリストテレスの哲学を下敷にして考えれば、神の国と地の国、恩寵の秩序と自然の秩序、教会と国家とが、アウグティヌスにあってのように絶対の非連続の関係にあるものとしてではなく、もっと連続的なものとして捉えられ、ローマ・カトリック教会が国家なり世俗の政治なりに介入し、それを指導したとしても当然だということになります(p.103)
 当然、腐敗は加速。そこで出てきたのがルター。  
教会や信仰の浄化を目指すルターの改革運動は、当時まったく逆の動機から、ローマ・カトリック教会の桎梏を脱して、近大国民国家の建設をはかる政治勢力によって推進されていたナショナリズムの運動と完全に利害を共にしていたため、その強力な後援を受け、思いがけない成功を収めました。
 いやー、いいですねぇw

 ハイデガーは周囲がユダヤ人で固められていたから、ナチス(厳密には突撃隊)の支持者だったとはいえ、ユダヤ人差別などはできなかったろうとか、ハイデガーにはいやらしいところがあって、カトリック系の大学での教授職を得るためにいったん離れたカトリックに接近するとかの話なんかも面白かったですね(p.202-)。

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May 06, 2008

「丁字屋」のとろろ汁

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「丁字屋」 静岡県静岡市丸子7-10-10 054-258-1066

 ここ数年、GWに静岡県内へクルマで小旅行しています。今年は丸子。そう「梅若菜まりこの宿のととろろ汁」(芭蕉)などで有名なとろろ汁がお目当てです。

 とろろ汁というのは少し地味ですが、「丁字屋」さんは創業慶長元年(1596年)という老舗で、お店自体も広重の「東海道五十三次」の画題にもなっていますし、『東海道中膝栗毛』の作中にもそれらしき店が登場します(もっとも、弥次北は名物のとろろ屋に入ったものの、夫婦喧嘩に巻き込まれて、結局、食べられなかったのですが)。

 広重と十返舎一九の両方に取り上げられている店なんですから大したもんです。

 GWの休日とあって、昼時にはだいぶ並びました。店の外には誰も並んでいなかったので一瞬、油断したのですが、広い店の中でズラリと客が並ぶシステム。

 とはいっても10分ぐらいで通されたでしょうか。

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 なにせ広い。

 大きな広間が確認できただけで3つ。

 広重の時代からはだいぶ拡張されたみたいです。

 ということでさっそくオーダー。

 とろろ汁定食は小鉢がつく個数で7種類ぐらいあるんですかね。ということで、3人は基本の「丸子」1380円をいただき、1人がフラッグシップの「百福」をオーダーしてシェアするという感じにしました。エントリーとフラッグシップが一番、サプライヤーとしては力を入れているというのはどの世界でも共通だと思いますから。ところが、もっとフラッグシップがあったんですな…。失敗。

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 まあ、それはそれとして美味しそうだったという卵焼きも追加。

 注文を聞いた仲居さんが「最初にぜんぶお持ちしていいですか?」というのを誰もが意味ある問いかけとは思っておらず、おそらく小生が「はいはい」とか二つ返事してしまったもので、いきなり出てきたのがスイカ…。ということで、お膳には必ずスイカが写っていますw

 一品ではむかごの揚団子とか珍しかったです。

 あとマクロの効くR8はクルマん中ということで全部K20Dでの撮影となりましたが、ちょっと驚いたのが、ここのとろろ汁は味噌味なんですね。名古屋文化圏が迫ってきているんでしょうか…。
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 とりあえず全員、デフォルトでいただいた後はお醤油をさっとかけて「安心だね、この味」という感じでいただきました。とにかくスムース。どうやっておろすんでしょうか、あのスムースさに。

 まあ、後は当たり前のことにはなりますがお茶が美味しかった。

 「静岡でまずいお茶だしたらやってけない」とは地元出身者の話でしたが、当たり前の番茶なのに、実に、ごく普通に美味しいお茶でした。

 最後の写真は隣の家族連れの激戦の跡。

 麦飯はおひつに入っていて、これも旨かったですね。

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 とにかく「ざっかけない」料理ですが、江戸の時代から愛されてきたわけは十分、納得できる味でした。

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May 05, 2008

『春宵十話』

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『春宵十話』岡潔、光文社文庫

 数学のことはまったくわかりませんが、岡潔さんの清々しい生活ぶり、人柄についてはいろんな本で読んできました。

 ここで簡単に清々しいと書くと、岡潔さんの抱えていたであろう病みたいなものを軽く考えすぎているのかもしれないし、研究のための貧乏がどれほど厳しい生活であったことにも無頓着すぎるのかもしれませんが、こうした人が実際に世捨て人のように生きていて、そこに毎日新聞の記者が訪ねて、聞き語りを残したということ自体が、見事な結晶をつくっているように感じます。

 多くの人が読んでいるであろう有名な文章が残っています。

 よく人から数学をやって何になるのかと聞かれるが、私は春の野に咲くスミレはただスミレらしく咲いているだけでいいと思っている。咲くことがどんなによいことであろうとなかろうと、それはスミレのあずかり知らないことだ。咲いているのといないのとではおのずから違うというだけのことである(p.33)

 高尚な話ばかりではなく、岡潔さんが語っていることでハッとしたのが丸暗記の力は《練習してのばすとすれば中学三年生ごろが適当で、あとではのびないものだ》(p.24)といったあたり。これは『進化しすぎた脳』で池谷祐二さんが語っていたこととほぼ同じだな、と思いましたし、発見に至る心理過程はポランニーの暗黙知の話だな、思いました。

 たまには心の森林浴みたいに、こうした本を読むのもいいかな、と思います。

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 あと、右の写真はジャンプしている岡潔さん。見上げているのは《和歌山の小さな村に住んでいた岡さんの近所の家の犬》(『芸術人類学』中沢新一、p.27)だそうです。

 いいなぁ。ぼくもこれぐらいの歳になっても、老人性鬱から解放され陽気な時には、犬とジャンプしたいです。

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May 02, 2008

Pentax K20D が可愛くて仕方ありません

K20d_grip

 うーん、ここまで嬉しいといいますか愛着を感じるは、学生時代に初めてNikon FEを買った時か、Nikon F3にモードラ付けたのを手に入れた直後以来かもしれません。

 昔、チョートクさんが、いまはなき「カメラジャーナル」でPentaxの良さは軽快さにある、みたいなことを書いていて、なるほどな、と思ったことがありました。いまやデジタル一眼のボディは超弩級の100万円級をはじめ50万円級、30万円級がどんどん発売されていて、技術的な進歩は素晴らしいんだけど、どこか閉塞感さえ感じていたのですが、Pentax K20D は「ほどよさ」といいますか、チョートクさんの言葉を少し借りれば「軽み」を感じます(申し訳ないですが、家電メーカーのブランドのカメラは存じ上げておりません)。

 実際、Pentax K20Dに16-50mm F2.8EDを付けて撮った写真というのは、CANON 5Dに24-105/f4で撮った画よりも、ダイナミックレンジが広く感じますしヌケもいいように思う(5Dに24-70mm/f2.8を付けた場合はどうか…というのは試していないんですが…)。

 ということでカメラのフランチャイズにしているヨドバシ新宿カメラ館で、アクセサリーを購入してきました。これまではキャノンの人ばかりと話していたので、Pentaxの担当の人とは親しくしてこなかったんですけどK20Dの取り持つ縁で随分、話し込めるようになってきました。

 オーディオも音の入り口と出口が大切ですけど、カメラはデジタルになって、さらにレンズとCCD/CMOSが重要になったなと改めて思います。

 まあ、24-105/f4はキヤノンの失敗作なのでそれと比較しては可哀想ですが、周辺の光量落ちなんかもほとんど感じませんしPentax純正の16-50mm F2.8EDはいいレンズだと思います。

 ということでグリップと電池を購入。

 グリップを付けると、とたんにスパルタンな感じになるK20Dですが、外見だけでなく、これで電池が2つ入って持ちがよくなります(まあ、重くはなりますが…)。

 なんかNikon F3にモードラ付けると露出計の電源もモードラ側のバッテリーから供給されるので駆動時間が稼げる、という懐かしい思い出が蘇ってきたりして。F3の場合、軽いからといってモードラ外して出ると、バッテリー切れした場合、露出計が動かなくなるだけでなく、シャッターも切れなくなるのでまいったことがありました。

 なんかK20Dには昔のそうした少し手はかかるけど、問題点を把握して手をかけて対処するのは楽しいしオーナーとしても誇らしかったみたいな記憶が呼び覚まされるんですよ。

K20d_16gb_sd

 ということで、SDHCカードも16GBのを奮発。

 トラセンドのClass6のヤツですが8000円ちょっとでした。これで1000枚以上撮影できる体制が整いました。

 まあ、そんなに撮ることもないんですが、何事も気分が大切ということで、小旅行に出かけてきます。

 ちょっと天候が良くないんでスカッとした写真が撮れるかどうか心配なんですが…。

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