January 16, 2020

『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』の影の主人公はジミー

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雪組公演『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』を見て、セルジオ・レオーネ監督の原作映画の謎が個人的に解け、この作品はユダヤ人ギャング団の話しではなく、もっと大きな全米トラック運転手組合(Teamsters)の話しだったんだ、と勝手に理解しました。John Rogers Commonsの米国労働史の資料などを雑に読みながら、日本の港湾労働と893の関係と同じというか、日本の893映画も実は港湾労働や炭鉱労働などの現場を背景に描かれているのと似ているんだろうな、とも感じました。

チームスター(Teamsters)は1903年に発足した全米最大手の労働組合のひとつで、Teamsterは元々、荷車の御者の意。正式名称、International Brotherhood of Teamsters(IBT)でインターナショナルが付いていますが、腐敗した組織としてチームスターと並んで有名な国際港湾労働者協会(ILA)もインターナショナル付き。なんかあるんでしょうか。

創生期のチームスターは米国労働史においては、ほとんど犯罪集団と位置づけられていますが、やがてルーズベルト大統領が大会で演説するほどの組織に発展します。

そんな中でも暴力沙汰は絶えず、さらには二代続けての汚職による会長辞任でAFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産業別組合会議)からチームスターは除名されるほど。その後に就任したのが『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』で労組委員長のジミーのモデルとなるジミー・ホッファ。

ホッファの前会長は全ての輸送網を傘下におさめようとして港湾労働者労組のILAを襲撃したりしましたが、ホッファは逆に資金援助したりするなど政治的な動きを示します。しかし、ソフト的な対応だけでなく、禁酒法時代に最も儲かったアルコール輸送を製造元から抑えるため醸造所労働組合も合併しようとして、反対派を襲撃したりするモンスターぶりもみせます。

あまりにも襲撃事件が頻発したことからAFL-CIOは襲撃禁止の協定を結ばせることに(893の手打ちか…)。

ホッファは均一労働条件のマスター契約を拡大するなど、労働者の権利拡大と組織拡大に成功しますが、50-60年代のラスベガス開発期(映画『ゴッドファーザー』の背景)にマフィアへの資金援助を行い、これが致命傷となり、Netflixの『アイリッシュマン』で描かれているようにマフィアによって殺されたと推定されます。

日本でもY組のT岡組長が「日本は貿易で生きていくしかない。その貿易の貨物を船舶から港湾倉庫まで運ぶ港湾労働者を抑えれば、大きな力が生まれるとともに、最悪だった港湾労働者の労働条件も改善される(←これ重要)」と考え、港湾に食いこんでいったのと似ているでしょうか(日本の場合、陸上の長距離輸送は国鉄が1960年代まで握っていたため、トラックは大きなファクターにはなりえませんでした)。

宝塚版の『ONCE UPON A TIME IN AMERICA』では主人公ヌードルスの父が港湾ストで殺されたという設定を加えられます。さらにギャング仲間で最後には商務長官となるマックスにも「親父は病院で狂い死にしたんだ」という映画にもなかった説明が効いて、狂ったような計画を立てて実行するものの、最後はより大きなモンスターの餌食になるという流れもスムース。

映画では、なんでマックスだけ助かったか、その理由と顛末は説明されてないというか、全部、マックスが仕組んだこと、みたいな感じになっていて「さすがにその設定は無理があるんじゃ」という批判もありました。映画は最後、ヌードルスが阿片窟で高笑いして強引に終わるんですが、マックスがたまたま生き残って労組委員長のジミーに助けを求めたという宝塚流の方がスッキリします。大やけどを治療するために、労災事故で死んだものの、親類縁者がなかったために放っておかれた組合員の名前で保険証をつくるという下りは、古い言い方をすればアトム化した労働者という存在を意識させてくれます。そこには東欧からのユダヤ系移民という共同体もないわけで、そんな労組を仕切るジミーはどこか甘いところもあったマックスたちより一枚上手なわけです。

ジミーにはラスボス感が増し、アメリカに徒手空拳で立ち向かったユダヤ人ギャングは破滅したけど、ニューディールの波に乗って合法的な労組という新しい組織を立ち上げた者が勝つというか、新しい体制になる、というのは映画より、よほど素晴らしいオチ。

そしてギャングが破滅するキッカケとなった禁酒法廃止と労働者の権利拡大を進めたニーディール政策をともに決めたのはチームスターの大会で挨拶までしたルーズベルトでした。ギャングたちは禁酒法を逆手にとってのし上がるけど、ルーズベルトが禁酒法を取りやめたら、途端に行き場を失うわけです。

映画では、なぜレオーネが途中で組合のボスを出したか分からなかったのですが、舞台ではルーズベルトが強調されており、それを補助線として意識すると、ニューディールでのし上がる民主党支持の労働組合と禁酒法撤廃で破滅すらギャングを対照的に描きたかったかったからなんだろうな、と。といいますか、義兄弟のように描かれるヌードルスとマックスの役は二人で一人のジミー・ホッファそのものなのかも。実際のホッファも組合員拡大のため、暴力沙汰は厭わず、対立組織に爆弾投げ込んだりしてたから、歴史上のジミー・ホッファの表の顔がジミーで、裏の顔がマックスなのかも…でも組合モノではヒットしないから、ギャングモノにしたんだろうなレオーネは。

そして底辺の人々は、左派的政策でも、やはり救われない部分があるじゃない、という悲しみなんだろうな、と。それはワンスアポンアタイムインアメリカじゃなくて、今もなんだよ、みたいな。

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『小数と対数の発見』山本義隆、日本評論社

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 正直、対数については、大航海時代に需要のあったサインやコサインのかけ算と割り算が面倒で、ネイピアが三角法の式を利用して積を和に直す方法を考えだしたあたりから発達した…ぐらいの理解が精いっぱいなのですが、前半の10進小数が以外と新しく、今は当り前に使っている小数が長い年月をかけ、多くの先人によって発明、改良されて来たという事実は衝撃的でした。

 小数点(.)を使う表記はネイピアが対数を生み出す過程で考え出した副産物で、普及していった、というのが全体の流れでしょうか。

 科学史三部作の掉尾を飾る『世界の見方の転換』では古代天文学の精緻さに驚いたのですが、それを打ち破るためには数学の転換が必用だったという流れで予告されていた本でしたが、文系のぼくにはムズカシ的すぎて無理かも…と思って購入していませんでした。でも、kindle unlimitedに無料枠で収録され、しかもiPadに最適化されていたので、なんとか最後まで読むことができました(理解したとは言いませんが)。

 理系の方々のように内容の説明は遠慮させていただきますが、文系的に面白かったところを、箇条書き的に。

 古代から中世にかけて、言葉だけの定性的なアリストテレス的宇宙論が、定量的測定によって判断されるプトレマイオス的宇宙論より優れているとみなされていたのは、それが全体を説明できるパラダイムだったからなのかな、とか。結局、多くの理系の方もパラダイムに沿ってしか考えられないわけだし(p.6)。

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 で、イデア論で特別な地位を与えられていた「1」について、ステヴィンの「1は数である(L'UNITE EST NUMBER)」という主張は、プラトン流のイデア論を粉砕した、みたいな(p.79)

 ヴェーバーのプロ倫では、プロテスタントに資本主義の精神が宿ったとしているけど、合理的な判断力の基礎となる数学は、宗教改革の両派とも盛んになっていた、と(p.101)。

 「悪貨は良貨を駆逐する」のグレシャムが遺産でつくったカレッジでは、常用対数を誕生させたブリッグスは初代幾何学教授。当時、オックスブリッジでは数学、自然科学、技術は重視されていなかった、と。

 『科学革命の先駆者シモン・ステヴィン―不思議にして不思議にあらず (科学史ライブラリー)』ヨーゼフ・T. デヴレーゼなど著、山本義隆約、朝倉書店も理解できるかわかりませんが、読みたい本がなくなったら読んでみようかな、と。

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January 10, 2020

『候景の乱始末記』吉川忠夫、志学社

Koukei

 南北朝時代は中国も、日本も複雑で捨てキャラのような人物が多数出て、混乱を増すので、全体像を描きにくいと感じます。しかし、南北朝時代という混乱の時代区分は日中両国の歴史認識に深く根を下ろし、アメリカのCivil Warも「南北戦争」と思いっきり意訳しつつ、その本質をズバリと言い当てています。必ず勝つのは軍事力に秀でた北朝であり、南朝は日米中とも大義名分を唱えるだけで敗れさります。しかも文化、経済の画期となる分水嶺でもあり、事実上の今につながる領域での国家統一も南北朝と南北戦争はなしとげています。

 やがて中国は鮮卑族の北魏の将軍から身を起こした楊忠の子、楊堅が隋を建て、黄巾の乱以来と405年ぶりに統一を果たすのですが、『候景の乱始末記』はそうした主要な政治勢力となる北朝から簒奪を受ける南朝の話し。特に梁が中心となっています。

 梁の武帝はヤル気にあふれて善政を敷きますが、仏教に溺れるという残念なところがあり、やがて政治も放縦に流れていきます。貨幣経済が発達した中で、無価値な鉄銭を鋳造して貨幣価値を暴落させるという致命的な経済的失策を重ね、そこに発生したのが候景の乱。北魏で立場が危うくなった候景が梁の武帝に帰順しますが、そこでも居場所をなくして破れかぶれで反乱。少人数による反乱だったにもかかわらず弛緩しきっていた都「建康」を落とし、なんと皇帝に即位しますが、すぐに敗北。無残な死を遂げます。

 中国本土で失われ、雅楽にだけ残っている同時代の「蘭陵王」のようなアナーキーな世界。

 しかし、複雑すぎる中国の南北朝をドライブさせた推進力が、少なくとも著者である吉川忠夫先生は分かっていると確信して書いてるような説得力があります。今は多少、疑問視されている「南朝は貴族の時代」だったことを前提にしているのは、昔の本(元は新書)なので仕方ないんでしょうけれど、そんなことはどうでもよくなる。

 第二章の徐陵も面白い。徐陵は南朝文化の象徴。武帝の皇太子である昭明太子が長命を得ていれば、歴史は変わったかもしれませんが、昭明太子の死後、こんなにも早く梁は瓦解してたのか、と驚きます。昭明太子が編纂した『文選』に対抗して、簡文帝が皇太子時代、徐陵に編纂を命じたという恋愛詩の集大成『玉台新詠』も読んでみるかな。徐陵は文化的に進んでいるとみられていた南朝文化を代表し、梁の武帝の親善使者として東魏の首都に派遣されるのですが、候景の乱によって帰国ではなくなり、さらには東魏も滅んで北斉となり、候景の乱が終わって梁に戻ると、梁を滅ぼした陳に仕えることになるという数奇すぎる運命を生きます。

 第三章は後梁。中国の南北朝、ホント、混迷の度合いが深すぎですが、後梁がこんなに重要な役割を果たしていたとは、全く知りませんでした。文化的にも、南北統一に果たした江陵の地政学的な役割にしても、非常に大きいものがあるな、と。

 補章の「史家范曄の謀反」では《上昇のモメントもなければ下降のモメントもなく、あるのはただ均衡と調和と平静のみ》という退屈な貴族の生活の中で、范曄(はんよう)は南朝宋で意味もないクーデターを起こそうとして失敗、一族もろとも刑死します。仏教に溺れた梁の武帝、昭明太子と対照的に、後漢書をまとめた范曄は無神論者で刹那的。そうした出口のない気分が南朝を覆っていた、ということなんでしょうか。

 しかし、匈奴系の宇文泰も北周の基礎を築いたものの、楊堅に男系は根絶やしにされてしまいます。遊牧民も漢化されて徳治を目指しますが、宇文泰の時代ではまだ早く、子孫である唐の第2代皇帝李世民をまたなくてはならなかった、と。しかし、これによって中国は、それまでの中原に加え、経済の発展した揚子江以北と遊牧民の住む北方も領土となっていった、みたいな。

第1章 南風競わず―侯景の乱始末記(白日黯し朔北の嵐、蕭衍老公を縛取せん ほか)
第2章 徐陵―南朝貴族の悲劇(江南の使臣 公宴)
第3章 後梁春秋―ある傀儡王朝の記録(江陵の陥落 長子に利あらず 竜躍の基趾 ほか)
補章 史家范曄の謀反

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January 03, 2020

『楽天の日々』古井由吉、キノブックス

Rakuten

 《記憶とは自分を相手にした八百長みたいなものだ》(空白の一日)

『楽天の日々』古井由吉、キノブックス

 デビュー当時は「内向の世代」の代表と言われた筆者が、老いをテーマとして書き始めたのは1992年の『楽天記』あたりからでしょうか。この前年に椎間板ヘルニアで2ヶ月間入院しています。

 《人は生涯がだんだんに詰まるにつれて、何かの折りに、境遇によっては自分がだどることになったかもしれない別の生涯を想って、ほんのつかのま、それに惹かれることがあるものらしい。かならずしも一生の後悔の念からではない。想うところの生涯も、現に自身が歩んできたのよりも、華々しいものとはかぎらない。むしろ何ということもない人の姿や情景を目にした時に、「生涯の郷愁」のごとき情は起こるという。これだけのことに生涯を尽くしたという無言の感慨に触れた、と想ったのだろう、この自分だって似たようなものなのに》(辻々で別れ別れて)

 みたいな老いの実感から人生を振り返るようなエッセイによく書くようになり、それと同時に幼児期に遭遇した東京大空襲のことをトラウマのように何回も触れたりしはじめたような印象を受けます。また、青年期にまだ死の病だった結核の長い影を投げかけているな、とも。

 そうした死の影を意識してきた人生を隠しているうちに病を得て、到達したのが「楽天」の境地なんでしょうか。

 《悲観に付くほどには、物事をきびしく見る人間ではない。楽天に付くほどには、腹のすわった人間でもない。いずれ中途半端に生きてきた。それでも、年を取るにつれて、楽天を自身に許すようになった》と本来の意味である「天ヲ楽シミテ、命ヲ知ル、故ニ憂ヘズ」という中国の古典にあるような境地には至らないまでも、と(「開店休業」のかなしみおかしみ)。

 『楽天記』新潮文庫解説には《僕は悲観論が大好きなのね(笑)悲観論をしまくるの。なぜかというと、どこかで楽天に転じる場面がある。現に書いているのは楽天だ。もう少し正しくいえば、今書いているという楽天をどうやって裏付けるか、それをやるには悲観論をしまくるに限る(笑)》とも語っておられるようですが。

 また、トラウマについて《古傷というものは心の内にもあり、その意味では誰しも脛に傷もつ身であり、この心の傷のほうは冬よりもむしろ春先の、寒さにこわばっていたからだのほぐれかかる頃になり、ふっと疼くのではないか》《これが間違いのもととなる》と書いてあるところにも唸りました(鳥は羽虫、人間は裸虫)。

ますかがみ そこなる影に むかひ居て
見る時にこそ 知らぬおきなに 逢ふここちすれ
『拾遺和歌集』旋頭歌

 について《鏡に向かって座り、そこに映る姿を見る時こそ、見知らぬ翁に逢う心地がすることだ、というほどの意味である》と解説するあたりの老いの実感も素晴らしい(知らぬ翁)。

 古井由吉さんは一年に一作のペースで本を出していて、申し訳ないけど小説はあまり読んでいないんですが、漱石の漢詩とかマラルメの訳詩とかエッセイは欠かさず読ませてもらっています。今回も年始の旅行に持っていき、豊かな時間を過ごすことができました。

 幕末から維新の頃に、日本人が西洋を訪れて、街の風景を墨筆でとらっと写していると、西洋人が感嘆の声をもらしたという、日本人には写実とは違った活写のたくみさがあるのか、というあたりも面白かった(写実という底知れなさ)。

 インドあたりの洪水は水と空ばかりになってしまう、というのも初めて知りました(水)。

 眼は恐怖を対象化するが、耳は受け身であり、恐怖に押し入られるままになる、というのもわかるな(耳の記憶と恐怖)。

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December 22, 2019

今年の一冊は『文選 詩篇 全六巻』川合康三など訳注、岩波文庫

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 ずっと続けているので「今年の一冊」を今年も選びたいと思います。

 最近の人文書では日本の中世史が活況を呈しているな、と。ヘイト本も出すような宝島社に買収されて新刊が出なくなる歴史新書yシリーズや、ちくま新書の『中世史講義』『考古学講義』などのアンソロジーも素晴らしい。中井久夫先生が《日本の組織は軍でなくとも、たとえば私の医局でも私がいない時は誰、その次は誰と代行の順序がわざわざいわなくとも決まっている。これは日本の組織の有機性という大きなすぐれた特徴であると思う》と『災害がほんとうに襲った時 阪神淡路大震災50日間の記録』で書いておられますが、チームワークで力を発揮する日本人的な特性が出版の世界でも発揮されているのかな、と。

 今年の一冊もそんなチームワークの力を感じる『文選 詩篇 全六巻』川合康三など訳注、岩波文庫。今年完結したので「今年の一冊」とさせていただきます。

 文庫本で2553頁という文選詩篇は足かけ2年でスケジュール通り刊行されました。詩経などは〈よみびと知らず〉の詩がほんどでしたが、曹丕『典論』を経て作者の個性が認識され、表現も洗練の度を加えて「作者の誕生」につながっていく、という流れが理解できるとともに、六巻の付録の年表によって、秦から南北朝時代時代にかけての主な出来事と、士大夫らがどう動き、詩を書き、それが文選のどこに収められているかが分かり、漢詩の作り手は大状況に対応していたことが改めて実感できます。

 五巻の「はじめに」で《叙情や人生のはかなさから生じる悲しみと満たされない恋の悲しみ-中略-それは日本や中国に限らず、どの国の叙情詩においても見られるものでしょう。ただ中国の士大夫の文学はそうした感傷に浸ることなく、悲しみを乗り越え、人間の力を肯定し、生きる意欲をうたおうとする、そこに中国古典詩の特質があるように思われます》と書かれているのには蒙を啓かれました。それぞれの詩の最後に《『詩品』上品》とか書かれているのを素人なんで、最初は何だろうと思ってたけど、梁の鍾嶸が編纂した文学評論なんすね。『詩品』では曹植が上品、曹丕が中品、曹操が下品。

 四巻では楽府第の「長歌行」に《百川東至海(すべての川は東に流れ海に注ぐ)》とあって、中国の河川は東流して海に注ぐだけの一方通行なんだな、と思いました(p.368)。インドも南流、ロシアは北流するだけなのに対して日本や欧米は東西どちらにも流れる川が多いのは示唆に富む対照かな、とか。解説では「過ぎ去った歳月が二度ともどらないことをたとえる」としているのですが、日本の時間感覚が一方通行ではなさそうなのは、そうしたことからなのかも。

 文選には三国志から八王の乱など中華が大いに乱れた時代の作品が多く収められていますが、この時期は「中華」の範囲が経済活動を中心に南方に広がっていき、それは「呉」出身の官僚たちの詩の多さにも現れていると思ったのが三巻。そして詩をつくる中心だった官僚たち、あるいは曹植など皇帝の親族でさえも激動の時代に翻弄され、彷徨い、激しい政争の中で殺されていきます。

 二巻の途中で、詠史から哀傷に移ってきます。中国史批判みたいな詠詩から隠遁願望みたいなのが多くなり、感情移入しやすくなり、じっくり味わって読みました。

 一巻は難儀しました。歴史、故事を知らないのでなかなか読み進めませんでしたが、強調されていたのは、当時の詩が《他者との関係性を持つ開かれた場で書かれ、社会性をもっていたこと》(p.394)。曹丕の建てた魏王朝から司馬氏が晋を建国したものの、北方民族によって崩壊し、東晋から南宋に変わった時代を背景にしていたというあたり。

 永井荷風は一時期、文選だけを読みながら日を送っていたらしいのですが、詩経の透明な詩を読んでいると、こういうのしか受付られなかったような時期もあったのかな、と感じます。もっとも荷風はおそらく白文で読んでたんでしょうけど、学のないぼくは解説に助けられながら、やっと読みすすめられたことは本当に有り難いことだったな、と思うと同時に、まだ『文選』は日本に受容されていないな、とも感じます。

 このほか、冬休みなどでに読むのにお勧めしたい2019年の書評年度に刊行された本は以下の通りです。

『天皇はいかに受け継がれたか: 天皇の身体と皇位継承』加藤陽子責任編集、歴史学研究会編、績文堂出版
『独ソ戦』大木毅、岩波新書
『人生で大切なことは泥酔に学んだ』栗下直也、左右社
『中世史講義 院政期から戦国時代まで』高橋典幸、五味文彦(編)、ちくま新書
『考古学講義』北條芳隆(編)、ちくま新書
『行動経済学の使い方』大竹文雄、岩波新書
『フランス現代史』小田中直樹、岩波新書
『武器としての世論調査』三春充希、ちくま新書
『玉三郎 勘三郎 海老蔵』中川右介、文春新書

『天皇はいかに受け継がれたか: 天皇の身体と皇位継承』加藤陽子責任編集、歴史学研究会編、績文堂出版
このアンソロジーも日本史研究者の方々のチームワークの良さを感じさせる一冊。列島では古来から比較的王殺しが少なく、禅譲=上皇が突出して多いというのは、例えば総理大臣など政治のトップの逮捕・起訴などが少ないというのにも通じるかな、と。殺害される王が稀で譲位する王がこれほど多いのは珍しいとのこと。また、欧州の王政は世襲と選挙があるが、日本は世襲を疑わなさすぎだ、という指摘も新鮮。禅譲システムは皇位を簒奪する名目なのに、日本では天皇家を王家として強化するシステムとして幼帝を践祚させて、自分は上皇となって自由に遊びまくるとアレンジするのは凄いのも。また、今年行われた譲位は昭和天皇崩御時の混乱とローマ法王の生前退位(これも驚愕だった)を受けて実現したんだろうな、と改めて思います。

『独ソ戦』大木毅、岩波新書
従来は軍曹あがりで軍事的に素人のヒトラーが無理難題を押しつけたため、優秀なドイツ軍が目的を達することが出来ず、人海戦術のソ連に押されてしまったという認識だったんですが、スターリングラードの独第6軍を逆包囲して殲滅してからは、ソ連軍が見事な連続打撃による有機的な大作戦をみせことに驚く。無傷の日本軍もソ連軍には鎧袖一触で粉砕されるんですが、それはソ連軍の見事なまでの有機的で連続的な作戦にあったんだな、と分かりました。また、補給が伸びると現地調達に走るというのは機械化されたドイツ軍も、戦国大名も同じだな、と。

『人生で大切なことは泥酔に学んだ』栗下直也、左右社
今年一番、読書の愉しみを味あわせてくれた本。河上徹太郎、小林秀雄の屈折した酔っ払いっぷりには筆者ならずとも《「ごめんなさいもいえないのか」と叱ってやりたい》と思うばかり。連載時から好きだった筑摩書房・古田晁社長のエピソードは《ある日、馴染みの居酒屋でできあがっていた古田は店の前を屋台のラーメンが通ったので外に出た。酔っ払っていたとはいえ、腹が減っていたのだろう。食べながら、しばらくすると、一緒に出ていた板前に紙を要求する。口の周りでもふくのかと我々のような凡人は思うし板前も想像したのだが、古田は紙を腰より下に持っていく。どうしたのだろうか。のぞいてみると何と脱糞していたのだ。ラーメン食いながらクソである》という酔い潰れてズボンを濡らしてしまうようなありがちなエピソードのはるか上空、成層圏を超音速で翔け抜けるような見事さ。

『中世史講義 院政期から戦国時代まで』高橋典幸、五味文彦(編)、ちくま新書
白眉は[室町幕府と明・朝鮮]。日本史は東アジア史とリンクさせないと実相はみえてこないな、と改めて感じました。また、1590年に秀吉が150年ぶりに朝鮮に使節を送った時、李氏朝鮮はそれまで通交を続けてきた大内氏、少弐氏など諸大名の滅亡を知ったそうで、今の時代にも「近くて遠い関係」なんだな、と。それにしても宋も明も漢民族の王朝は弱すぎるな、と。漢民族が統一しても、だいたいすぐに騎馬民族にやられてしまう。結局、各地で実質的に面倒をみる官僚層が民衆から尊敬を受ける基盤がつくられていくんじゃないのかな…どうなんでしょ。

『考古学講義』ちくま新書、北條芳隆(編集)
 全体の責任者である北條芳隆さんによる最後の14講義「前方後円墳はなぜ巨大化したのか」が抜群に面白く、まとめてみると以下のようになります。1)前方後円墳を国家形成過程での「王陵」とみると、徐々に大きくなっていくのはおかしい。なぜなら、先代墓より大きなものをつくるのは祖先の神格化を阻害するから2)秦の始皇帝と同規模の墓をつくるのは当時の経済力からして不釣り合いにすぎる浪費3)厚葬は富の消費で、国家ならば治水や利水などの公共事業に傾注すべき4)前方後円墳で基本構造が似ているものがつくられたのは部族集団が優劣を争ったからではないか5)巨大墓の造営は蓄財の完全放棄による身分の平準化志向がうかがえる-という5つの疑問を呈し、そこに1)東アジア一帯を襲う寒冷化と乾燥化2)後漢王朝の滅亡から魏晋南北朝期に至るまでの中国大陸における南北分断国家群の興亡3)高句麗の南下による朝鮮半島の流動化および朝鮮三国間の緊張関係という条件を考えると、それは巨大な前方後円墳の造営は「ポトラッチ」ではなかったか、というんですね。倭の大王は世襲された可能性は皆無に等しく、新たに擁立された大王の権威は、血のつながらない先代との比較優位を目指すために、ポトラッチのような競争が生まれたんじゃないか、という推測は納得的でした。

『行動経済学の使い方』大竹文雄、岩波新書
金銭的なインセンティブや罰則付きの規制を使わないで人々の行動をよりよいものにするのが行動経済学の目的。人間は確率0%の状況から小さい確率でも発生する可能性が出てくる思うとそれを過大評価し、100%から僅かに下振れのリスクが生まれると確実性が大幅に低下すると感じるというあたりはワクチン忌避や放射脳など社会的な脅威を生む素地になっているのでしょうか。現状維持バイアスの強さも納得できる。

『フランス現代史』小田中直樹、岩波新書
黄色いベスト運動の抗議デモの広がりを受けてマクロン政権は燃料税増税の棚上げや最低賃金を月額100ユーロ引き上げることなどを発表しましたが、フランスの為政者は民衆蜂起に弱いな、と改めて思いました。ルイ16世以来の伝統なのかな、と思ったんですが、もっと根源的な問題として、安全保障としてドイツと組んだEUから抜けられないから、ハイパーインフレにトラウマを持つドイツが求める緊縮的な経済政策というEUのコルセットを外せないという問題があるかな、と。だから財政出動という庶民に優しい政策も取れず、基本的には抜本的な対策を先送りし、目新しい政治家が現れて改革を進めようとすると庶民が暴動を起こして引っ込めさせるということを繰り返してきたのかな、と。

『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』小熊英二、講談社現代新書
日本型雇用は「企業のメンバーシップ型」、欧米は「職種のメンバーシップ型」。この違いは長期雇用や安定した賃金を「社員の平等」で実現するか「職務の平等」を通じるかの違い。日本で企業別労組が発達したのは大平洋戦争後、食糧難の中で、疎開にも行けずに荒廃した都会に残された、帰るべき田舎を持たない工場の従業員が互助的に工場内の土地や物資を使って自活するなどの経験が大きかった。工場は配給ルートとしても重要だった、というあたりはハッとさせられた。《どこの社会の労働者も、雇用や賃金の安定を求めるし、経済状況が許せばそれが可能になる》(p.205-)わけだが、日本の非正規の問題は、グローバル化にフィットした「職務のメンバーシップ」が不況期に拡大して、日本国内でも改善される見込みがないことなんだろか、と考えさせられました。

『武器としての世論調査』三春充希、ちくま新書
面白かったのは東西で与党列島と野党列島に分けられるという指摘。これは佐藤進一先生以来の日本中世史の東国国家論を現在も反映しているとも言えそう。元々、三春充希さんは理系の研究者だったらしいけど、データ分析を進めると、東大史学の日本中世史の東国国家論が浮かび上がるというのは凄いな、と。

『玉三郎 勘三郎 海老蔵』中川右介、文春新書
泣いても笑っても2020年には十三世團十郎の襲名披露興業がやってきます。十一代目は早世し、十二代目は器ではなかったので、今の海老蔵は劇聖と言われた九代目團十郎以来の帝王にして改革者となるわけで、それは《初代市川團十郎が始めたものが現代に続く歌舞伎であり、代々の團十郎がそれぞれの時代の歌舞伎を作ってきた。今後は十三代目團十郎の歌舞伎が歌舞伎となる。それを認めたくない人は、別の歌舞伎を作るしかない》という時代の幕開けにもなります。

 このほか、シリーズアメリカ合衆国史やシリーズ 中国の歴史は全巻が完結した時に書きます。

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『戦国の軍隊 現代軍事学から見た戦国大名の軍勢』西股総生、学研

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 呉座勇一先生推薦の「呉座勇一が選ぶ日本の戦の本6冊」で紹介されていた『源平合戦の虚像を剥ぐ』川合康・講談社学術文庫が面白かったので、こちらも読んでみました(角川ソフィア文庫にも入っています)。戦国時代の合戦というとNHKの大河ドラマや映画では騎馬隊による突撃シーンが映えるので、そんなシーンを想像しがちですが、『源平合戦の虚像を剥ぐ』と『戦国の軍隊』を読むと、在来馬の馬格が貧弱な日本での騎乗馳射戦は一騎打ちの平安期が主流で、兵士の大量動員が求められるようになった源平合戦時代には、そうした芸に秀でてなくても馬なら射てるので、落馬させてからの組打ちへと変化。さらに打物(刀な長刀)戦へと進化し、戦国時代になって築城技術が向上して鉄砲が普及してからは、重装歩兵としての攻城能力が求められるようになった、という流れが理解できました。

 平安時代の日本は本格的な対外戦争を経験してないため、王朝国家は公的軍事力の管理・運営を事実上放棄、動員が必要になったら地方に勃興してきた武士を集めて編成するという「民営化」方針をとった、という説明も初めて読む感じで面白かった(p.55-)。

 横浜スタジアム近郊には小机城という割と有名な城があり、後北条氏の小机衆が押さえていたのですが、資料を分析すると知行地は他の地域にも広がっていました。こうした分析から、戦国時代末期になると、動員をかけられた場合、必ずしも知行地の農民を徴用するのではなく、村々がこういう時に養っていたあぶれていた無宿者などをかき集めた、というあたりにもっていく説明はなるほどな、と。

 川中島の合戦の合戦時期から、すでに兵農分離がなされていて、合戦は農閑期に行われるものではなくなっていた、というあたりも説得力がありました。戦国期には地ばえの領主や有力国衆など旧来の領主たちも淘汰され、土地が武家政権で集団保障されていれば、土地に密着する必要はなくなっていった、と(p.88-)。

 また、鉄砲普及の背景を、足軽部隊を整備して兵種別編成へと舵を切った戦国の軍隊にとって《人並みの膂力と視力を備えた者なら、誰でも戦力に加わることができる兵器》だったから、という説明も初めて聞きました(p.143)。

 全体のまとめは以下のようにされています。

..........Quote.........

 十五世紀の後半から十六世紀の前半にかけて、日本の封建社会における軍隊では、兵種別編成方式への胎動が起こり、これと同時進行で軍事における階層構造(戦略から戦技までの)が明確に分化していった。戦国大名たちは、被支配者階級を足軽・雑兵などの下級歩兵として大量動員することによって、組織戦に適応した兵種別編成方式の軍隊を成立させる、という軍事上の劇的な革新を成功させていった。

 封建制社会における軍隊の正規構成員は、主君から所領・知行を給付されて主従関係を結ぶ領主(=武士・侍)であったが、戦国の軍隊に大量動員された足軽・雑兵などの下級歩兵は、本来そうした封建制的システムの枠外にある、という意味において非正規雇用兵と言うべき存在であった。

..........End of Quote(p.250-).........

 そして機を見るに敏でしたたかな武士たちは、こうした軍事革命(RMA)で貴族や寺社から権力や経済力を奪い取り、絶対王制や市民社会を準備することなく、封建制社会を壊さない中での再編に留めた、というのが筆者の結論です(p.254)。

 大動員された戦国時代の兵士たちも、総崩れになると、主従関係に結ばれた一握りの侍しか主君の周りにはいなくなる、というこれまたよく時代劇で見るシーンは、こうしたことが背景なのかな、と。つまり、大半の雑兵は非正規なので命あっての物種とばかりに敗勢となると逃げだし、一部の侍しか踏みとどまって戦わなくなる、みたいな。

 このほか、ドイツ軍将校がヒトラー暗殺に傾くのはノルマンディー上陸作戦後に補給線の伸びきったパットン率いる第三軍の側面を突く作戦が失敗して勝機が失われたためだとか(p.68)、横浜線橋本駅が最寄りの津久井城も本格的な山城らしいので、いつか登ってみたい(p.88)。

 また、アイゼンハワーが第2次世界大戦で決定的に重要だった兵器として「ダコタ(C-47輸送機)、ジープ、原爆」と答えたそうで(p.192)、クレイフェルトの『補給戦』によると、万全な兵站が実現するのはノルマンディー上陸作戦以降だとしているそうです(p.212)。

 戦国時代の兵士たちもらった米も酒にしてしまうなどの刹那的な行動で常に飢えていたというあたりも新鮮でした(p.214-)。

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December 21, 2019

『中華の成立 唐代まで(シリーズ 中国の歴史 第1巻)』渡辺信一郎、岩波新書

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 「はじめに」が悠揚迫らぬ筆致で《端的にいえば、本書は、古代中国の通史の書きかえをめざしている。その成否は、読者の判断にゆだねたい》と締める自信のほどがうかがえるけど、素人ながら読み進むうちに、それほどかな…と思うようになりますが、もちろん蒙を啓かれれるところは多い本でした。

 秦はやっぱり画期的だったんだな、と改めて教えてくれます。前409年に初めて吏に、翌年には百姓に帯剣を許すとともに初めて穀物に租税をかけたわけですが(史記、六国年表)、これらの改革によって租税を媒介に統治者集団と被統治者集団とを構成し、県制とともに戸籍による百姓・小農を再編して、他国の血統による属的結合の軍を打倒していった、と(p.61)。

 荀子は孟子の「労心と労力」の分業論を発展させ、社会的分業による相互依存で群が成り立っていると説き、さらに人間を道に詳しい君子と物に詳しい小人に分類。君子は礼楽、小人は法制によって統治する、と秩序化を主張する王権・官僚制体系は血縁的系譜の解体から生まれたというあたりは(p.70-)、《荀子は中人以下を論じていて、どの階層に焦点を当てるかが異なっている。同じ国家に両者の議論が混在することも可能であり、いわば「棲み分け」の議論をしていたのである》という『都市国家から中華へ(殷周 春秋戦国) (中国の歴史 2)』平勢隆郎、講談社のp.307以下の説明とほぼ同じというか、これが定説になってきているのかな、とか。

 ここらあたりの精神につながるのが「均田之制」の均の意味。均には一律とは正反対の差等・区別・次序を含む、と。この最北等をもう均平は階層分化と社会流動性の高い前漢の農村社会を維持していく実践的思惟だった、と。

 紹介されている幼くして父を亡くし車牽きから県長となった任安は、差等をつけた分配、年齢階梯を区別して難易度を異にした人員配置で「知略有り」と評価されたのですが、前漢初期の宰相陳平も、祭肉・食物を貧富・貴賎・長幼を斟酌し、均等=差等をつけて分配したことで評価を受けた、と。《個別均一に分配することは、子供でもできる》わけで、これは社会的流動性の高い社会構造のなかで、均衡・調和ある秩序を創発するための《根底的原則であったと言える。「均田之制」はこのような社会を基盤にして発見され》《不断に再建がここみられる》というあたりはなるほどな、と(p.124-)。

 中共の目指す中国の夢が、ディストピア的なものを感じるのは、昔から中国の国政がこうした「漢魏故事」を元にしていて、民衆も平等などは諦めているからなのか、とまで考えさせられました。

 王莽の政治に限界を感じた人々は漢王朝の再興を掲げて反乱を起こし、赤眉の乱ではくじ引きで皇帝を選んだりしたけど、高祖の八世孫の光武帝が各地の乱を平定。後漢皇帝して即位したんだけど、楽浪郡あたりでこうした混乱ぶりを聞き、すかさず朝賀使を送り、金印ゲットの奴国は相当な遣り手だなとも。

 則天武后が行った封禅には白村江の戦いに敗れた倭国と旧百済の使節も儀礼に参加、その後の混乱を平定した玄宗の封禅にも日本は参列したというのは知りませんでした(p.202-)。

 あと、李世民から中国皇帝は可汗(カーン)の称号も名乗っていたとは!

 日本史にも想いをいたしました。王莽は幼帝を次々に擁立して最後は「天命が下った」と皇帝の座を禅譲させたのですが、この禅譲システムは皇位を簒奪する名目なのに、日本では天皇家を王家として強化するシステムとして幼帝を践祚させて、自分は上皇となって自由に遊びまくるとアレンジするのは凄い。しかも天から民衆の統治を委任された皇帝という生民論も顴骨脱退して、自分が皇帝=天皇より上の上皇になっちゃうし、民衆の統治なんかもほったらかして宮廷内の恋愛だけに邁進する。この理念のなさ、利用できるものは何でも利用してしまうというアレンジ能力は「それちょっと違う」という本場からの指摘がなされないからだろうな、とか。中共だって天下概念と生民論が統治の正統性のバックだから、その理念に抵触するようなことをせざるを得ない場合には躊躇するけど、日本の場合、理念などないというか信じてないので、全ては「型」に収斂してよしとするのかな、みたいな感じといいますか。

 シリーズ中国史は以下のように刊行されますが、単なる時代ごとに追っていくというのではなく、地域ごとの歴史を重視して、華北、江南、草原と描いて、それが明朝で統合されていく、という方向性なんでしょうね。

第1巻『中華の成立 唐代まで』渡辺信一郎
第2巻『江南の発展 南宋まで』丸橋充拓
第3巻『草原の制覇 大モンゴルまで』古松崇志
第4巻『陸海の交錯 明朝の興亡』檀上寛
第5巻『「中国」の形成 現代への展望』岡本隆司

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December 01, 2019

『日本史の謎は「地形」で解ける「環境・民族篇』竹村公太郎

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 元、旧建の河川局長、竹村公太郎さんの『日本史の謎は「地形」で解ける』シリーズの三冊目。

 さすがにネタ切れ感はあるけど、小麦・大麦が土地を疲弊させ原因はリン不足というあたりからの渡り鳥の話しにもっていく呼吸は大したもの。

 土地の疲弊はヨーロッパの小麦・大麦文化圏の問題点として指摘されているけど、稲作の場合、肥料となるリンは鳥の落とし物として蓄えられるから疲弊が少ないのか、と。しかも、リン鉱石は鳥の落とし物の化石だというのも驚きました。

 日本の農業が下肥の循環に支えられていたのも人と鳥の違いはあれ同じ構造。米中もリン鉱石の輸出制限をかける中、日本列島には渡り鳥による生きた落とし物のリン鉱脈がある、というのは面白かった。

 『星逢一夜』という作品は渋川春海が保科正之の元で研究した貞享暦の改暦が物語のベースにしていますが、会津藩主、保科正之は二代将軍秀忠の庶子で家光の弟で、四代将軍家綱の後見もつとめていたのか、というところまでは思い至らず。

 しかも、振袖火事で焼け野原となった江戸の再建で、それまで北の守りの最終防衛ラインとなっていた隅田川に防災のために両国橋をかけるとか、主要道路の拡幅、広小路の建設などの資金を捻出するために、天守閣を再建しない決断を下したのも保科正之だったとは知りませんでした。

 大阪は五十日に道路が東京などよりも混む。その訳は、五十日に取引先の顔を見に行くことで、商売のリスクマネージメントをしているから、というあたりも面白かった。

 廃藩置県で大名が版籍奉還したのは、自分のアイデンティティーは母親が住う江戸で、百姓が時には一揆を起こすような自領ではなかったので軽く捨てたと言われているけど、殿様たちは考えてみれば、ほとんど妻が人質となっている江戸の生まれ。ということは、友人の大名も江戸生まれ。まあ、地方は江戸と比べて娯楽なども少ないし、一極集中の弊害とかいっても、そういうことは今始まったことじゃないな、と。

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November 19, 2019

『源平合戦の虚像を剥ぐ』川合康、講談社学術文庫

Genpei

 「呉座勇一が選ぶ日本の戦の本6冊」で取り上げられていたので読んでみたのですが、収穫でした。

 日本史は素人なので、石母田「武士=在地領主階級」をずっと、そんなもんだろうな、と思って、その後の東国国家論、二つの王権論を権門体制論より正しいのではないかと思っていたのですが、それは、やっぱりマルクス主義的な階級闘争歴史観を自然なものとして取り入れていた結果なんだろうな、みたいなことも考えさせられました。

 武士を在地領主と考えると、貴族と荘園を打破して封建制を確立していく過程というのは、いかにも階級闘争的に正しい見方ですが、それより武士は職業的戦士だ、みたいな。現在では清盛、頼朝などは軍事貴族であり、官司請負制が公家社会内で次第に確立されていく中で、軍事の専門家が育ち、保元の乱・平治の乱と治承・寿永の乱(源平の争乱)で武家棟梁の地位が確立された、みたいな感じが正しいのかな、と。

 当時の合戦は騎射戦が最も貴ばれ、職業的戦士である武士は流鏑馬のような訓練や狩りなどでその鍛錬に励んだが、源平の争乱で馬を使った訓練などを日常的には行えないような武士も動員しなくてはならなくなり、取っ組み合いでの決着などが多くなり、相撲が武家社会に定着した(p.26)、と。

 鎌倉時代の大鎧は22-26kgとなり、鞍に分散させることでどうにか戦闘ができるようになるという扱いにくいものでしたが、馬はポニー程度。背の高さが140cmを超えれば名馬だったとのこと(p.53)。大鎧を着た武者を乗せて全力疾走できるのは200-300m程度だったろう、と。名馬に乗った武者はわずかであり、源平の争乱ではわずかな下人・所従を連れて農耕馬に乗ったような「小名」階層が動員されていった、と(p.74)。

 また、戦闘の規模が大きくなったことで、馬の運動能力を減少させる目的で道路を逆茂木などで遮蔽した「城郭」も発達、と。

 徒然草にも報告されている1180-81年の天候不順による飢饉で戦線が膠着し、東日本の被害が少なかったから頼朝陣営が強化されたそうです(p.118)。他の戦乱ではどうなんでしょう。さらに、農閑期の稼ぎ場として農民も戦闘に参加したほか、人夫に近い歩兵も出現した、と(p.136-)。

 後半では頼朝の政治力が描かれます。特に奥州藤原氏を攻め滅ぼしたのは、上総介広常らを粛清した後、自分への忠誠を求めるものであったと。それは祖父である頼義が前九年の役で確立したヘゲモニーを再確認するものでしたが、北条時政が平賀朝賀を実朝の代わりに擁立しようとしたのも、頼義の血を引いているからだ、というのは蒙を啓かれました(p.238)。

 「呉座勇一が選ぶ日本の戦の本6冊」では『戦国の軍隊』西股総生・角川ソフィア文庫も購入したのですが、それも面白かったら、『古代国家と軍隊』笹山晴生・講談社学術文庫、『世界史の中の日露戦争』山田朗・吉川弘文館も読んでみようかな、と。

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November 07, 2019

『海老蔵を見る、歌舞伎を見る』中川右介、毎日新聞出版

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 泣いても笑っても2020年5月、6月、7月の歌舞伎座では十三世市川團十郎襲名披露興行が行われ、歌舞伎界は新しい時代に入ります。近著『玉三郎、勘三郎、海老蔵』では《初代市川團十郎が始めたものが現代に続く歌舞伎であり、代々の團十郎がそれぞれの時代の歌舞伎を作ってきた。今後は十三代目團十郎の歌舞伎が歌舞伎となる。それを認めたくない人は、別の歌舞伎を作るしかない》と書かれていますが(あとがき、p.243)、それは九世團十郎の活歴以来の大改革になるのではないでしょうか。

 海老蔵=團十郎が目指す歌舞伎は《「昔ながらの歌舞伎」を「昔ながらの方法」で作るというものなのだが、単なる復古調ではない。ストーリーもセリフも古典なのだが、舞台装置や照明には最新技術を使い、テンポも速くして、飽きさせないようにするというものだ》(p.115)。少し補足すれば、海老蔵のつくる古典は、本人が幕前で芝居の概要を説明して初見の見物でもわかるようにして、途中でケレン味をたっぷり入れて飽きさせず、ちゃんと通しでやることによって起承転結をハッキリさせて最後に観客がカタルシスを味わえるようする、という感じでしょうか。見物が物語全体を分かっていることを前提にした見取り狂言が現在では主流ですが、それは幹部俳優に満遍なくいい役を与えるという役者のわがままが生んだもの。しかし、通しでやると1日あるいは2日もかかるようでは現代のテンポに合わない。だからカットできるところは大胆に省略するのが海老蔵流。

 そうした作風が見事に結実したのが『星合世十三團 成田千本桜』だと思います。本寸法の『義経千本桜』にはほとんど出てこない義経を要所要所に入れ込んだり好き勝手につくっているのですが、分かりやすくするためのこうした改変を三大狂言と言われる『義経千本桜』に加えられるのは、團十郎襲名が決まった海老蔵だから。《古典は守らなければいけないが、いまの観客が楽しめるものでなければならないという考えが、海老蔵にはあるようだ。十八番も大胆に作り変えていく。他の役者がそんなことをしたら古典への冒涜と批判されるが、歌舞伎十八番を守っている宗家自身が改革しているのだ。逆に言えば、十八番の作り直しは海老蔵にしかできない仕事なのだ》(p.60)ということなんでしょう。

 海老蔵は時代にあった新しい歌舞伎を、先代の猿之助から学んだとされていますが、《スーパー歌舞伎などの新作では録音された洋楽器の音楽を使うことが多いが、海老蔵・勘十郎の新作は邦楽器の生演奏である。その音楽に関わっているのが、三響会の三兄弟のひとり、田中傳次郎だ。海老蔵の「歌舞伎十八番」復活や新作は、海老蔵・勘十郎・傳次郎の共同作業があって成立している》(p.66)という違いがあります。海老蔵の方が本格的。

 このうち藤間勘十郎は藤間宗家の八代目。田中傳次郎は田中傳左衛門の弟で、この兄弟は歌舞伎長唄囃子方で、歌舞伎公演の「音楽監督」。また、その兄の亀井広忠は能楽師葛野流の宗家預り("かどのりゅう"の贔屓では家康などが有名)。この三兄弟は三響会という会を立ち上げていますが、海老蔵は自身の企画する外部公演シリーズ「古典への誘い」で歌舞伎と歌舞伎の演目の元となった能、文楽などを同時に上演するなどの試みを続けています(p.44)。海老蔵の考える古典改変の射程距離の長さがうかがえるというか、細かな所作ごとなどよりも、もっと深く歌舞伎の演目を考えていることがわかります。

 海老蔵は市川宗家として澤瀉屋一門を引き連れて、菊五郎、吉右衛門劇団に続く團十郎劇団をつくっていくのではないか、というのが筆者の見立てのようですが、十一世のような「役者バカ」ではないので、うまく体制内改革を進め、古色蒼然とした歌舞伎界を刷新していくのではないかと期待できます。海老蔵=團十郎のつくる新しい成田屋古典歌舞伎や中村屋兄弟の演目が木挽町でもっと上演されれば、動員力の落ちた菊五郎、吉右衛門劇団のかける芝居も「たまにはいいもんだ」ということになるかもしれません。歌舞伎界全体にとっての相乗効果も期待できたりして。

 「あとがき」で筆者は「海老蔵がいいと言うと歌舞伎が分かってない奴の代表となる」と自虐的に書いています。確かに、自称評論家や自称見巧者たちは海老蔵の舞台をけなすことが「分かっている」証拠だと勘違いしているフシがあります。それは恐らく、海老蔵の古典解釈の深さが理解できず、目に見える所作事に気をとられすぎているからなのかな、と。

 筆者と違って、ぼくは歌右衛門さんがいいというか、歌右衛門さんの歌舞伎で育ったので、良い悪いもなく、あれが歌舞伎だと思っていたのですが、それでも海老蔵はずっと見物してきた俳優の中で圧倒的な存在だと思っています。個人的に立役は八世幸四郎がダントツでしたが、今や海老蔵は映画の世界でいえばクリント・イーストウッドのような屹立した存在といいますか、不世出の役者であり演出家となりました。これまで観てきた、歌舞伎俳優のすべてを凌駕する存在にすでになっていると感じています。

 ということですが、この『海老蔵を見る、歌舞伎を見る』は近著『玉三郎、勘三郎、海老蔵』と同じく、編年体のように海老蔵の踏んだ舞台のあらましが最初に続きます。

 ここで思い出したのが宝塚。宝塚でトップスターの退団が決まると、そのスターの足跡が音楽学校入学から初舞台、新人公演主演、外箱主演と振り返る番組がつくられ、その時々の気持ち、何を考えて舞台に立っていたかが語られますが、あまりに舞台の喚起力が高かったためか、そうした「ふり返り番組」を海老蔵で見ているような錯覚におちいりました。

 宝塚も西洋近代のベタな演劇理論からは自由に舞台をつくっていますが、そこに共通するスターシステム=スターこそ全てが見物客を呼び、興業を成り立たせています。

 歌舞伎は細かな所作ごとや先輩から教えられた見物には見えない仁の集積ではなく、生きている役者、子どもの頃から知っている役者が様々なゴシップに巻き込まれながらも生きる人生という舞台を赤裸々に見せているから続いているんだろうとも感じました。海老蔵がブログを公開するのも新しいメディアには必ず乗ってきた歴史があるわけだし(p.112)、宝塚も生徒の入出の写真を撮らせるのは役者=生徒の成長の軌跡がメシの種だと知ってるからだろうな、と。

 だから、歌舞伎も宝塚も、本番の舞台は劇中劇なのかもしれません。

 歌舞伎役者は歌舞伎座や他の小屋で歌舞伎や演劇に出るけど、それは劇中劇で、本当に見物が注目している舞台は彼らの人生という芝居なんだろうな、と。もちろん一緒に食事したり、話しをしたりすることはなかなかできないから、フツーの人たちにとっては、ほぼ唯一のリアルな接点である舞台の出来不出来は重要でしょうが、それを見るのは、役者の人生という筋書きのない芝居が前提としてあるから。

 宝塚のシステムもファンが息を凝らして見つめるのは生徒が育つ課程です。それが本当の芝居で舞台は劇中劇なのかも。宝塚も新作は全て主演するトップなどスターさんへの当て書きなんですが、『海老蔵を見る、歌舞伎を見る』で指摘されている海老蔵が新作をどんどん変えて行ったり、十八番さえも改変してるのは、全て海老蔵という人生を生きる自分をその時々に表現するためだったりして。

 逆に古典芸能が国からの援助で一部のファン向けの伝統芸能と化すのは演者、奏者などの人生が物語として売れないからなのかもしれません。古典芸能の名人が浮気をしようが、離婚を繰り返そうが、衆道の道に走ろうが興味を持たれないなら、それはもはや興業として成立してない証し。

 そして歌舞伎界いや演劇界で一番の物語を持っているのは海老蔵。

 そう考えると御曹司は親父、爺さんあたりの醜聞まで財産として持ってるから強いんだな、と改めて思います。染五郎なんか、いつ子どもつくって認知するんだろ…と思いながら見てくれるわけだし。中村屋兄弟も父親の早世、弟の不祥事も含めて物語を豊富に持ってるから、舞台を見ていても、四次元的な深さを感じるから飽きないのかも。松貫四あたりの政治性剥き出しのやり方なんかも、もしかしたらセルフプロデュースによる物語づくりだったりして。大好きな松也がもう一回り大きくなり、紀尾井町あたりの出番をかっさらうためには、何か大きな物語が必要というか、セルフプロデュースするしかないのかもしれません。

 今月の顔見世興行も見物してきましたが、梅丸改め莟玉の襲名披露となった『菊畑』は狂言半ばに養子縁組、襲名披露口上がありました。こんなことは、「作者が訴えたいテーマにそった台本を元に、演出家が役を生きることのできる俳優をつかって舞台に仕立てる」という近代の演劇原理からはありえません。テーマに沿った芝居が前提なら、「狂言半ばではございますが、口上をもってご挨拶申し上げます」というのは説明できませんから。それは歌舞伎が西洋の演劇とは別物であることの証し(ちなみに宝塚でも100期の初舞台披露は狂言半ばで中断して行われました)。『菊畑』は8歳で部屋子になって15年、東西の成駒屋一門から祝ってもらう梅丸改め莟玉こそドラマの主人公だということなのでしょう。梅玉は先代芝翫の義従弟で、奥さんが自殺してしまったし元々そんな気はなかった六代目歌右衛門さんの養子になったという、なかなか覚えられないほど複雑な系譜ですが、莟玉というのは大成駒に由来の名前なので期待してます。

 本に戻ると、後半では雀右衛門さんのあたりが面白かった。雀右衛門さんは結構好きで、そういえば襲名披露以降、歌舞伎座によく出るなと思っていたんですが、福助が病に倒れ、玉さまがあまり木挽町に出なくなったので立役を支えるのが上手い時蔵、雀右衛門さんの二人が幹部から指名されるという図式だったのかと明快に分からせてくれます(p.185)。

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