July 12, 2009

『サンデーとマガジン』

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『サンデーとマガジン 創刊と死闘の15年』大野茂、光文社文庫

 両誌が創刊された1958年は、本書収録のマンガ史年表によると、以下のような時代でした。

・高度成長期の始り
・東京タワーの完成
・即席ラーメン、缶ビール発売
・スバル360、ホンダスーパーカブ
・国産第1号プラモデル発売
・エポック野球盤発売
・1万円札登場

 これに長嶋さんのプロデビューを加えれば、サンデーとマガジンの創刊の年はほぼ完璧に「輝かしくもあり混迷も深かった長い60年代の始り」だったのではないかと思います。

 この本はNHKのプロデューサーが今年のGWに再現ドラマを交えて放送された50周年特番の取材を踏まえて、再構成したもの。

 もちろんマンガも素晴らしのですが、サンデーとマガジンは作家がそれほど揃っていない時代にいわば埋め草として用意した図解グラビアの世界から、情報化社会という言葉を生み出した大伴昌司さんや、長岡秀星さんなども生み出したんですね。当時は秀三さんと名乗っていた秀星さんはサンデーの図解を担当していたイラストレーター。特長は、極端な遅筆。戦艦大和の断面図を含めた図解はなんと六ヶ月もかかったそうですが、その出来映えに驚いた編集部では7頁にわたる特集を組んだそうです。これはカラーでも紹介されていますが、スゴイ出来です。これだけでもどこかで手に入れたいくらい。

 あと、意外だと思ったが、週刊マンガ誌という性格がテレビとの相性が良く、マンガ誌を原作とするアニメが続々と誕生していったという話。当時のマンガ作家は月間ペースだったそうですが、原作と作画などの分業化を進めることによって、圧倒的にスピードをあげていったそうです。

 でも、経済もそうだけど分業というスキルだけでは説明できないドライブ感が生まれていったような気がします(さくまあきらさんによると、水島新司さんは1ヶ月の執筆原稿枚数800枚という記録を持っているそうですが、信じられませんよね…)。

 テレビでも一番印象に残っていたのは『巨人の星』の誕生秘話。

 内田勝編集長が原作者の梶原一騎さんに「新たな国民文学をつくりたいんです」と希望を伝える場面なんか素晴らしかった。また、貧しくて子どもの頃から働きづめで野球で遊んだこどかなかったという川崎のぼるさんに作画を依頼して傑作を生み出したそうです。

 実は『巨人の星』をプラチナナコミックで数十年ぶりに読み返しているんですが、いま読むと突っ込みどころ満載なのに、それを跳ね返すようなパワー。一徹の潔く身を引くカッコ良さにしびれます。父と子の国民文学を目指したい、という編集者の意図が伝わってきます。

 全体して企画というのはありあわせのものをコラージュするものですが、創造は荒野を切り開くことだということを改めて思いました。

 印象的なエピソードをふたつ。

 長嶋さんはどんな忙しくてもマガジン、サンデーの取材には時間を空けたそうです。ある日、なぜ、そんなに協力的なのかと担当者がたずねると《ぼくが入団するときに、川上(哲治)さんが『お前たちの応援団は子どもだ。子ども雑誌からの取材をノーと言うな』とおっしゃったんです。だから、必ず時間を空けます》と答えたそうです。巨人の成功は必ずしも読売の戦略だけではなかったと思いました。

 ぼくはマンガをあまり読まなかったので知らなかったのですが、最盛期には600万部を刷ったというジャンプは印刷だけで2週間かかったそうです。これでは週刊誌としてはツライですよね。ジャンプ衰退には、こうした唯物論的背景があるんだな、と思いました。

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July 11, 2009

『ノモンハン戦争』

Nomonhan

『ノモンハン戦争 モンゴルと満洲国』田中克彦、岩波新書

 ノモンハン事件ではなく、ノモンハン戦争。

 モンゴルでは「ハルハ河の戦争」と呼ぶそうです。

 それはともかく、個人的に「ノモンハン事件」といえば、関東軍はソ連のジューコフ元帥によって最終的に係争地を包囲され壊滅的な敗北を喫したにも関わらず、アホな旧陸軍は戦車や重火器、歩兵銃の改良などに手をつけず、しかも敗因はウヤムヤにされ、「事件」だから勝敗もあいまいなままにされた、というようなイメージとなります。

 この『ノモンハン戦争』でありがたかったのは、外蒙古に旧ソ連の衛星国家として独立したモンゴル人民共和国のハルハ族と、内蒙古に残された日本の傀儡政権として独立した満洲国内部のバルガ族やダグール族が、ソ連と日本というそれぞれの後ろ盾の制約を受けつつ、実は汎モンゴル主義による大モンゴルとしての独立を夢見ていた、という要素を教えてくれたこと。

 あと、なるほどな、と思ったのは、清王朝は漢族が牧草地を開墾して表土を散らしてしまうことを恐れ、内蒙古に牧草の理想郷ともいうべきホロンバイルという土地を意識的に残していたそうです。アメリカ人研究者のラティモアも、満州国に引き継がれた遊牧民保護政策には期待をよせていたそうです(p.30)。

 とにかく、旧ソ連と日本は外蒙古と内蒙古の国境線を決めようとして小競り合いを1934年から繰り返してきたのですが(p.80)、そうした中にあって内と外に引き裂かれたモンゴルの人々は部族の違いを乗り越えて連帯しようとして、連絡をとろうとするのです。

 しかし、これがまたサクッとソ連と日本に見つかっちゃって、接触しようとした人たちは全員、殺されたそうですわ。

 日本軍もいろいろやったのですが、旧ソ連というかスターリンはもっとひどいもんですな。

 ノモンハン戦争でのモンゴル人民革命軍の死者は237人だったそうですが、旧ソ連によって国家反逆罪で処刑された者の数は人口70万人に対して2万人にのぼるそうです(p.118)。なんていう比率でしょうか…。また、1921年に独立して以来、歴代の指導者で生涯をまっとうしたのはチョイバルサン首相ただひとりで、あとは全員、粛正されたそうです(p.204)。

 たしかにモンゴル人民共和国は旧ソ連の衛星国家ではあったのですが、モンゴルの人々の心根には、チベット仏教由来で原始共産制は当たり前だという考え方があって、ブリヤート族の知識人などは、モンゴル人には社会主義教育など必要ない、と主張していたというあたりも新鮮(p.153-)。

 これは豆知識ですが《清王朝は、水にゆかりがあることにより、その名「清」にあるサンズイにあわせて満も洲もすべてサンズイのある文字として定めた》(まえがき)そうです。

 また、ノモンハンという語のノムは、ギリシア語のνομοsに起原を持つ「法」「法王」という意味だそうで(p.4)。汎モンゴル主義などの汎も、元はギリシア語のπανからきていることも含めて、ギリシア語の受容というのは面白いテーマだな、と思いました。

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July 10, 2009

「ログキット」の佐世保バーガー

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「ログキット佐世保駅店」 長崎県佐世保市三浦町21-2 TEL.095-622-9000

 平戸からは佐世保に抜け、そこから福岡経由で帰ったのですが、せっかく佐世保に来たならやっぱりこれをいかなくては…ということで佐世保バーガー。

 本店に行きたかったのですが、列車の時間が迫っていたし、佐世保って道が狭いんですね。

 けっこう渋滞も激しかったのであわててUターン。

 09年3月28日に開店したばかりだというJR九州・佐世保駅構内の「ログキット佐世保駅店」に向かいました。

 ここはテイクアウト専門店。

 しかも先に注文して代金先払いというシステム。

 結構、強気ですw

 レギュラーサイズはでかいと聞いていたので、小さなサイズにしようとは思ったのですが、やっぱりどれぐらいなものは自分の目で確かめたい。

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 そしたら慣れたもので、レジスターの前にはレギュラーサイズと小さなバンズの見本が置かれています。

 うーん、やっぱりレギュラーサイズは難しいw

 焼き上がるのに時間がかかる、といわれたので、駅前のベンチを確保。

 座って周りを眺めてみると、さすがに海事の水兵さんたちが多いですな。

 後日、改めて佐世保の地図を見たのですが、ここは天然の要塞ですね。

 もし船で佐世保に攻め入ろうとすると、高後崎と寄船鼻の幅約850mの狭い水道からしか入れない。

 また、山地が市域中央部の中心市街地まで迫って、大型艦船を停泊させるのに十分な水深を持つであろう天然の良港っぷりも一目でわかります。

 明治政府が鎮守府を置いたのも納得ですし、米第七艦隊や海上自衛隊が利用し続けるのも納得。

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 などと思いをはせているうちに焼き上がります。

 観光客なんかも多いんでしょうね。

 店員さんがサービスで撮影に協力してくれました。

 バンズの中にはレタス、トマト、オニオン、ベーコン、エッグ、パティ、チーズなんかか入っているんでしょうか。

 特性マヨネーズが美味しかったです。

 コカコーラゼロと一緒にいただきましたが、小さいサイズで十分ですね。

 ぼくの手はかなり大きいのですが(ピアノで10度は楽に届きます)、片手でつぶしてからいただくのに苦労したほどw

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 佐世保バーガーを佐世保駅前でやっつければ、もう思い残すことはなし。

 さらば、さらばと車中の人となり、無事、帰ってきました。

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July 09, 2009

豊鮨のイカの活づくり

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「豊鮨」 長崎県平戸市新町101 0950-23-2017

 平戸で寿司といったらどこ?と聞いたら友人が教えてくれたのがここ。

 山葵にネリを使っている大衆店だけど、ネタはとにかく安くて旨いし、個室もあってくつろげる。

 バスがつけられる駐車場も保有するなど、なかなか面白い線を狙っているお店だと思いました。

 店構えはなかなか重厚。

 だけど、ランチのメニューなんかも張ってある。

 値段を見ると驚きの安さ。

 ということで入るとずずずいっと奥の座敷に通されました。

 二人で行ったので、握りの松と「おお!イカの活づくりやってくれるの!」と逆上してオーダーした活づくりを堪能してきました。

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 イカは呼子が有名ですが、獲れるところは平戸もたいして違わないし、イキが違う感じがします。

 しかも、季節的に一番好きなアオリイカを活づくりにしてくれたし、言うなし!

 身を一切れ食べると「やめてくれぇ」という感じで足をよじるアオリイカさんにはすまないことですが、旬の味を堪能しまくりました。

 もちろん、残りは天ぷらに。

 天つゆもいい感じでした。

 あ、握りにはアラの味噌汁も付くんですよ。

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 これも美味しかったなぁ。

 身をせせっちゃうぐらい。

 握りも2000円にしてはいい内容だと思います。

 あ、お醤油は黙っているとたまりが出されますので、苦手な方は「キッコーマンを」と言えば、出してくれますんで、ぜひ。

 これだけいただいて二人で6000円ですから、平戸に行ったら、次も必ず再訪します。

 にしても、後でじっくり書きますが、平戸はいいところでした。

 海も街並みもキラキラ輝いていて…。

 山頭火が行乞日記に「日本は世界の公園、平戸は日本の公園」と書き残しているのですが、まさに風景が輝いているんですよね。

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「絵のやうな」といふ形容語がそのまゝこのあたりの風景を形容する、日本は世界の公園だといふ、平戸は日本の公園である、公園の中を発動船が走る、県道が通る、あらゆるものが風景を成り立たせてゐる。

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July 08, 2009

唐津の「つく田」

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「つく田」 佐賀県唐津市中町1879-1-1F 0955-74-6665

 関内の「はま田」で「今度、唐津から平戸に行くんだけど、唐津でどっかいいとこない?」とたずねたんですよ。

 そしたら、推薦してくれたのが「つく田」と「銀鮨」でした。

 素早く両店とも電話したりHPで下見して期待を膨らませたんですが、時間の都合もあって一軒しか行けない…

 ということで、最終的に予約したのは「つく田」となりました。

 虹の松原からタクシーを走らせて1000円ぐらい。

 スクーターが目印になっている店で、暖簾をくぐるとフレンドリーなご主人が迎えてくれます。

 いやー、こうした対応してくれると一発で安心できますねぇ(時々いますからねぇ…無愛想な大将が…)。

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 素早く「もう、おまかせで」という感じになります。

 完璧に手入れされたつけ台に盛られたミョウガが映えます。

 このミョウガは酢味噌でいただいても美味しい。

 ということですが、さっそく出していただいたアコウダイがうったりするほど美しい。

 味もこの写真の印象そのまま。

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 アカニシ貝、ミル貝など貝類も新鮮でした。

 ほのかな磯臭さが上品。

 酒は白雪(対馬)。

 初めて飲んだのですが、地元のお酒で、あまり主張しすぎず、しかも手に入りやすいという感じでしょうか。

 コンセプトは「しみづ」や「はま田」で出される白鷹に似ていますね。

 器の唐津焼もいい感じなんですよね。

 一緒におジャマした友人は焼酎に切り替えたのですが、その器も見事。

 キレイな写真でしょ?

 唐津藩は譜代だったそうですが、譜代の殿様の城下町ってのは、文化が成熟していますよね。

 なんかひと味違う。

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 話が弾んで、「はま田」さんや「水谷」さん「しみづ」さんとの交友なども聞かせてもらいました。

 こうした職人さんたちのネットワークが日本の鮨文化を支えているんだな、と思いますよ。

 などと完璧にリラックスしてα波出まくり状態になっているうちに徐々にオツマミ方向にかわっていっていきます。

 ウニの水煮、ヤリイカの一夜干し、アナゴとナスのソースなんか絶品でしたね。

 特に「アナゴとナスのソース」。

 オクラを敷いた上に横たわっているのはハモじゃなくってアナゴだそうですよ。

 しかもかかっているのがナスのソースっていうんですからもう参りました。

 いや、素晴らしい。

 握りも沢山いただいたのですが、印象的だったのは鰺。

 素晴らしかった…

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 カードは扱っていないということで、多少、心配したのですが、こんな感じでおまかせでいただき、かなり飲んだのに二人で36000円でした。

 二軒の焼酎バーも紹介していただき、そこから出るときには、わざわざご挨拶もしていただきました。

 次も唐津に行ったら絶対、ここにおジャマします!

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July 07, 2009

鬼多郎の「焼きラーメン」

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「鬼多郎 親不孝通り店」福岡県福岡市中央区天神2 天神三井ビル前 090-8229-3914

 博多、唐津、平戸を旅してきました。

 博多に着いたのは夜。

 ということは屋台しかないでしょ。

 ホテルも近かったので天神の親不孝通りにある「鬼多郎」に。

 焼きラーメンというと、ドロッとした食感の「小金ちゃん」系ものものが有名ですが、「鬼多郎」は焼きそばっぽい感じ。

 まずはビールで喉を潤し、若鶏のセセリ塩焼きなんかを頼みます(これは写真を失敗)。

 それだけじゃなんなんで、ヤリイカとアスパラの炒め物も追加。

 最後に「焼きラーメン」で〆て2880円。

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 ちょっと化学調味料がキツイですが、風情はいいですよね。

 あ、この写真の屋台は明治通り沿いの一群です。

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July 01, 2009

中本・目黒店の麻醤麺

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 目黒店の月替わりは複雑。

 1ヵ月間ずっと同じメニューの場合もあれば、上旬中旬下旬で変えたり、それに午後2時からのイベントメニューが加わったり。

 7月はフルタイム提供の月替わりが上旬は麻醤麺、中旬と下旬は冷やし醤油ラーメン、冷味丼+半ラーメンながらあくまで予定。

 これに午後2時から6時までイベントメニューとして「re-mix」が加わるというラインアップ。

 ということは迷わず初日に麻醤麺いきました。

 盛りは普通。

 トッピングには半熟卵を選びました。

 出てきたのが最初の写真。

 麺とスープが「分かれ」で出てきます。

Nakamoto_meguro_mabomen2

 一口つけ麺のようにしていただいた後、やっぱりこっちの方が勝負は早いということで、上からドバッといったのが2枚目の写真。

 ツルツルっと秒殺できそうなライトな感じのメニューです。

 夏場にはいいかも。

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June 29, 2009

壽々丸の「相模」

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すしの壽々丸 (すしのすずまる) 伊東市猪戸1-8-36 0557-36-7387

 何回か伊東で泊まることになるので、それなら馴染みのお寿司さんをつくらなければ面白くない、ということで探したお店。

 インターネットや口コミで伊東での評判はたぶん一番良い寿司屋ですね。

 そういったところから行ってみるという無難なことを普段からやっていますので、今回も迷うことなく「壽々丸」を訪問しました。

 本当は夜訪ねたかったのですが、泊りがけでいった昼に食べ過ぎて、夜は断念。

 お腹いっぱいの時は食べないということがようやくできるようになったと感じますが、翌朝はひとっ風呂浴びた後、メシも喰わずに朝イチの11時で行きましたよ。

 なかなか明るい職人さんが二人で迎えてくれました。

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 昼なんでアッサリということで、握りを頼みました。

 ここの握りは松竹梅を相模、駿河、七島と呼んでいます。

 まあ、せっかくなので松の相模にしました。

 3150円。

 朝獲りの地魚を中心に盛込んでくれるとのこと。

 最初のアジ、イワシからしていい。

 特に良かったのが金目鯛。

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 アブラが乗りすぎず、身もトロッとしていますね。

 次は夜に行こうと決意して、暖簾をパッとやりながら店を出ました。

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June 28, 2009

『日本軍の小失敗の研究』

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『日本軍の小失敗の研究 現代に生かせる太平洋戦争の教訓』三野正洋、光人社NF文庫

 立花隆さんの書評で読もうと思った本。太平洋戦争に関しては、対中戦争に深入りしすぎて、さらに国力を考えずに対米戦争を妄想した時点で自我が肥大しすぎていてアウトとも言えますが、その前に、もうちょっと国内でもちゃんと戦争の体制をつくっておけよ、と思わず旧軍に対して文句を言いたくなるのがこの本。

 立花さんが紹介していたのは、戦闘機工場に飛行場が併設されておらず、遠い飛行場まで牛車で運び、物資統制がつよまると、工場側が強制的に徴用した牛が問題になって裁判まで発展したという頭がクラクラしそうなというか形而上学的ともいえるような問題ですが、そんなのがてんこ盛り(p.153-)。
 
 ドイツもそうですが、日本軍も武器の種類だけ多くて互換性がないことが問題でした。例えば軍用機に搭載する火器ですが、アメリカは事実上12.7ミリに統一されていたのに、日本ではゼロ戦だけでも口径3種類、弾種4~5種類を用意しければならなかったとのこと(p.42)。これじゃ、補給、整備する者の負担は限りなく大きくなりますよね。
 
 航空機でも陸軍、海軍のアホな対立が目白押し。海軍の開発した零戦で統一すればいいものを、ほぼ似たような仕様の隼をつくってしまう陸軍。しかも開発は遅れに遅れ《陸軍は(わずかに)隼四〇機で、対英、対米戦争に突っ走った》(p.51)とのこと。

 さらに空冷式のエンジンに限界を感じてドイツに水冷式のエンジン供給を受けるのですが、これが空軍、海軍とも独自にライセンス料を支払うというアホさ加減。このあまりにも意志の疎通のなさにはドイツも憂慮したというのは笑うに笑えません。さらに世界広しといえども、陸軍が潜水艦と航空母艦をつくったのは旧帝国陸軍だけだそうです(p.117-)。潜水艦は海軍の中でも特殊な部門。陸軍が製造した潜水艦は三隻とも沈没、搭乗員全員死亡という悲惨な結果となったそうです。まあ、海軍も巨大潜水艦に固執して、使い勝手のいい中型潜水艦の製造に支障をきたしたというアホなことをやっているのですが…。

 米軍、旧ソ連軍のように、これは…という戦車、潜水艦のタイプが決まったら、それをつくりまくるという戦略しかないのでしょうね。あと、英国では商船にいつでも大砲をつけられるように法律で取り付け部分を強化した設計にするよう決めていたそうです(p.140)。

 ぼくもそうですが、日本人というのは粘り強いと思われますが、長い忍耐をするような探求、計画に沿った行動というのは苦手だと思います。

 あと、米軍は第一次世界大戦の経験を通じて《戦争とはある意味で土木工事である》と考えるようになった、ということです。さすがというか…。工兵というのは平時であっても、これ以上役立つ兵科はない、といわれるのに日本軍は冷遇されていたというのは、情けないといますか、筆者によると現在でもその状況はあまり変わっていないそうです。PKOなどの経験を通じて、変わってきていると思いたいのですが…。

 1940年、海軍が登場させた零戦のデビュー戦で、敵機27機を13機で全機撃墜したというのは、91年の湾岸戦争まで破られることのないパーフェクトレコードだったそうですが、そうした栄光もあるんですがね…(p.176)。

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June 27, 2009

新江ノ島水族館

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新江ノ島水族館 藤沢市片瀬海岸2-19-1 0466-29-9960

 急に鰺の渦巻きというかタービュランスといいますか群泳を見たくなり新江ノ島水族館に行ってきました。

 2000円という入場料にもタマげましたが、大水槽の真ん中で回転しながら泳ぐ群れにしばし見とれます。

 同じ形でいることがひとときもない。

 時には二重になったりして、それがまた、ひとつの回転に集約される。

 あまり好きな言葉ではありませんが動的均衡なんていう言葉も思い出しました。

 にしても、ここは旧江ノ島水族館時代に連れらきてもらって以来です。

 あくまで明るく、そして清潔すぎる環境。

 洗練された雰囲気。

 ぼくの子ども時代に知っている古い江ノ島水族館とは別世界でした。

 ハシャいでいる子どもを見ながら、けっこうムリしている感じの若いお父さんたちもいました。

 家族をやるってのも大変だな、と。

Shienoshima_suizokukan

 「きっとオヤジもつまんなかったろうな」とか、そんなことも思いながらイルカショーなんかも一瞬ですが見てしまいました。

 とはいっても、すかさずサカナが喰いたくなって、鎌倉の「仲の坂」に急いでしまったのですがw

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