October 12, 2019

南粤美食の腸詰干し肉貝柱釜飯

Nannetsu-bishoku

南粤美食 神奈川県横浜市中区山下町165-2 INビル  045-681-6228

昨日は神奈川kaatで宝塚雪組公演の『ハリウッド・ゴシップ』初日を観た後、中華街の南粤美食を訪問してきました。

「なんえつびしょく」と読みます。南越=南粤。

中華街で新しい店を開拓したくなっていて、孤独のグルメでやっていたので観劇後に訪問したのですが、台風来ているのに30分待ちでした。腸詰干し肉貝柱釜飯んまかったです!


このほか、腸詰とビールを頼んで3200円でした!リーズナブルなお値段というか、さすが台風でも行列できる店!このほか丸鶏の塩蒸焼きとアヒルの揚げ焼なんかが有名みたい。


ちなみに、中華街のお勧めは
秀味園の台湾家庭料理
清風楼の焼売(オミヤもあり!)
保昌の中華カレー
この三店しかここ十数年行ってないです。全部、安くて美味しいですよ。ご参考までに。

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October 10, 2019

『行動経済学の使い方』大竹文雄、岩波新書

 
 
 経済学は一時期、数学の方向に走って、社会を対象にして変数を変えたらどう動くか、みたいな理論経済学の方向にいきましたが、後付け説明以外にはあまり有効ではないと認識されているのではないでしょうが(もちろんマクロ経済では、動学的一般均衡モデル=DSGEモデルなどでパラメーターを変えつつ、現状報告的なことはしなければならないのでしょうが)。こうした自然科学的アプローチは、有効化もしれませんが、おそらく変数が多すぎて入力と出力の時間差なども含めて、今の技術では役に立たないという認識が広まる中で、それまでの主流派経済学に対する批判として行動経済学は出てきたんだと思います。
 
 セイラーのナッジの例などを断片的にみると、確かに面白いのですが「それって心理学の応用じゃないのかな」と感じていました。といいますか、個人的に行動経済学的センスを最初に感じたのは80年代に「問題解決の人間学」と副題がついた『ライト、ついてますか』ゴース、ワインバーグ、共立出版。
 
 トンネルの出口でライトをつけたままの運転手にバッテリーあがりを含めた注意を呼びかけるとしたら
 
・もしいまが昼間でライトがついているならライトを消せ
・もし今暗くてライトが消えているならライトをつけよ
・もし今が昼間でライトが消えているならライトを消したままとせよ
・もし今暗くてライトがついているなら、ライトをついたままとせよ
 
という4つの場合に分けなければならないのですが、それより「ライト、ついてますか?」で十分なのだ、というあたりは実に効率的だと感心しました。このほか「人が問題だと言っていることが本当の問題とは限らない」とか「誰の問題か?」「問題はどこから来たのか?」「最も重要なことは問題は解決されることがないと知ること」というあたりも含めて印象に残っています。
 
 ワインバーグのコンサルタントの第二法則に「一見どう見えようとも、それはつねに人の問題である」というのがありますが、こうしたエッセンスを統計的によって説得力のあるものにしたのが行動経済学なのかな、と個人的には感じています。『ライト、ついてますか』は試行錯誤を通じて解決しようとするのですが、行動経済学は個々人の行動を統計を元に予測可能だとして、人々をナッジによって自発的に望ましい行動を選択するよう促すことができるというものなのかもしれません。
 
 前置きが長くなりました。とにかく、そんなことを考えながら読み始めたのですが、「はじめに」によると、で人間の意思決定のクセを理解することで、金銭的なインセンティブや罰則付きの規制を使わないで人々の行動をよりよいものにするのが行動経済学の目的だということでしょうか。そして、それが使える段階にあり、実用段階にきいてる、というのが著者の主張。
 
 生意気にも知ってる事ばかりじゃない…と読み進んでいったんですが、確かに使える!と思ったのは、人間は確率0%の状況から小さい確率でも発生する可能性が出てくる思うとそれを過大評価し、100%から僅かに下振れのリスクが生まれると確実性が大幅に低下すると感じるというあたり。東日本大震災の福島第一原発事故では、班目春樹・原子力安全委員長が菅直人首相らに「再臨界の可能性はゼロではない」と答えて海水の注入が一時中断されたといわれていますが、これも「ほとんどありえない。真水が無くなれば海水を入れるしかない」と答えれば、燃料棒が溶けて水に触れる水蒸気爆発までには至らなかったのではないか…と考えてしまいます。
 
 また、株で負けてる時に損切り出来ずに損失を拡大し、逆に上がっている時には僅かな利益確保を急いでしまうという個人投資家の行動のそのパリエーションだな、とも感じました。本文では、利確は出来るけど、損切りは出来ないと一般的に書いているだけですが、もう一歩進んで、利確が小さいというのが、こうした場合のパターンだと思うんで、研究してほしいと感じました。
 
 また、現状維持バイアスは確かにつよいとも感じます。株でも一旦買ったら、持っているということだけでその価値が倍以上に感じるから、なかなか損切りできないんじゃ、と。保有する前後で価値は倍になると感じるとか、企業のキャンペーンの試供品配布は保有という現状維持バイアスに働きかけてるというの納得的(p.20)。
 
 とにかく、人生にとって大切なのは命とカネだから、医療関係と金融関係の例を増やしていってもらいたいな、と。ただ格差の問題でそうした医療にしても金融でも、選択のシチュエーションにすら到達出来ない層があるという問題はあるかもしれません。ということは、実験をするにしても、前提として保有する資産別の研究なんかも必要ではないか、というか、そうした方向で深められないか、とみたいなことも考えました。
 
 他人から損失をこうむったら自分が得にならなくても仕返しや罰を与えたくなる性向(まるでホワイト国をめぐる最近の対応…)、回収できないサンクコストを理解できない誤謬、精神的・肉体的に疲労していたり金銭的に不如意だと意思決定能力が落ちるとか、納得的な話しが続きます。
 
 サイコロで6が連続して出るなど平均から乖離した後は、平均に回帰する確率が高くなりますが、こうしたことから、人の健康が悪化した場合、たまたま健康を回復する過程で民間療法を試すと「効果がある」と錯覚されやすいというのも面白かった。さらには、仕事や子育てスポーツでの失敗の後に叱責すると効果が出るというのも同じ錯覚といのには唸りました。たまたま失敗しただけで、普段は出来ているわけで、その時に叱って次にうまくいったとしても、実は平均へ回帰しただけというのは、実に説得力がありすす(p.38)。スポーツの世界では口で言ってもわからない時は…というのも少しはアリなのかなと思ってはいたんですが、確かに、失敗する方が少なくなるほど上達した後の習熟訓練などでは、たまたま失敗されたのをいちいち怒られては気分悪くなりますし、出来るようになるための上達訓練の時には、褒める方が効果ありそうで、叱るというのは良くない選択なのかな、と。
 
 証券ディーラーが半日単位で成績を確定する会社と一日単位で確定する会社では、行動が異なるという話しも面白かった。午前中に損失を抱えたディーラーは、午後によりリスクの高い投資をする傾向があるそうです。こうした一発逆転はたいてい上手くいくはずないので、長期的には問題に鳴ってくる、と。どちらも同じ人間がやるわけですから、いくらプロとはいっても、こうしたところは損切できない個人投資家と同じだな、と。長期的な目標のためにはその時点その時点で最適な行動をとるのがベスト。もし、出来なかったら、次善の計画をたてるべき、というのも納得的(p.139-)。
 
 あと、インターネットで放射脳みたいなことを撒き散らすヒトたちは本当にどうしようもないな…と思っていたんですが、そうしたヒトたちは考え方にバイアスがあり、計算能力に限界を持ち、自制力もなく、損失回避の傾向が強い(ケチくさい)ために、合理的な意思決定ができないと考えれば優しく対応できるかも、と申し訳ないですが思いました(p.199)。
 
 大竹文雄さんは、あとがきで『医療現場の行動経済学』を紹介していて、それも読もうと思いました。そこでは、医師がどうして患者は合理的な意思決定が出来ないのか疑問に思っていた、と書かれています。待合室などでも、精神を病んでるんじゃみたいな方に会うことがありますが、それはただでさえ低下している能力が、病気による不安でさらに低下するからかな、とか。とはいっても、病気だけでなく、加齢でも人間的な能力は低下していくわけで、他山の石としなければ…
 
 政策ミックスで法案のイメージが変わるあたり(p.189-)は知り合いの先生に紹介しようかと思いました。バカにされてる軽減税率も、よく考えれば、政策ミックスによる効果を狙ったものなか、それか!なんて思うほど。よく、昔の自民党の政治家は「足して二で割る」みたいな解決策で乗り切ってきただけ、なんて馬鹿にされていましたが、意外と、それは正しい方策だったのかな、と。

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October 02, 2019

『都市国家から中華へ(殷周 春秋戦国) (中国の歴史 2)』平勢隆郎、講談社

 殷から戦国末、秦の成立に至る流れを
1)新石器時代以来の8つの地方的文化圏が春秋時代に徐々に統合されて都市の連合体となり
2)戦国時代に至って文化圏ごとの中央集権が達成される
という過程として捉えた史観でしょうか。

 80年代ぐらいに黄河文明と長江文明の違いを初めて知ったのですが、今は化旧石器時代の文化的影響が、ここまで細かく分かってきたのかと、すでに10年以上前の本ですが、感動。

 特に『春秋』の各バージョンに各文化圏が反映されているという推論に感動しました。その後に成立した『史記』には、中央と途方を結ぶ文書行政が開始され、それを支える律令が整備された前の時代のことがまったく念頭におかれていない、と批判。それは、春秋時代までは、中央も地方も独立した国(都市国家)だったが、鉄器が普及した戦国時代から変わってきたからだ、と(p.31-)。

 漢字は西周まで殷、周で使用される文字に過ぎなかったが、周の分裂によって西周は混乱。やがて秦が西から侵入。この混乱の中、青銅器に銘文を鋳込む技術が拡散。また、鉄器の格段によって農業生産に不可欠な歴が発達した、というあたりもスリリング(p.202-)。

 また、黄河は600年に1回ぐらい、大規模に氾濫するんですが、機械などを使えなかったので抜本的な対策は出来なかったんですね。結局、氾濫地域での生産をあきらめて、別な地域に農民が移動して、それが政情不安に…みたいなサイクルだったというあたりも興味深い。

 ふと、覡(げき=かんなぎ、男のミコ)は性的なサービスを与えたのだろうか、とつまらぬ疑問が…(p.212)。巫女的な職業はお参りした後に男性相手に性的サービスを提供していたのは世界共通でしょうが、覡は男性。覡は男性それとも女性を相手にしていたんだろうかという疑問も。

 践祚の祚は月偏もあり「ぎょうにんべん祚を践む」と読み下せる儀式。この儀式を行うにあたって登る階段が「ぎょうにんべんの祚階」。ヤマト朝廷は高御座に登る儀式に変えることで換骨奪胎したんでしょうか、元々は中国の戦国時代の儀式で、秦から漢に継承されたが、楚では「覇道の証し」とくさすそうです(p.246-)。

 諸子が「天下」を語る議論は、官僚統治を基礎とし、戦国時代にできあがった理論を縦横に駆使しますが、九・六・八、天・地・人・陰陽五行、周易、いずれを論じても、戦国時代にまとまった、と(p.306)。

 荀子と性悪説についての説明も、それだけで面白かった。長くなりますが、引用します。

 《後漢の王充によれば、孟子は中人以上を述べ、荀子は中人以下を述べたという(『論衡』本性篇)。後漢時代の認識が『漢書』(後漢時代に前後漢時代をまとめた史書)の古今人表に示されているが、古今の人を上上聖人・上中仁人・上下智人・中上・中中・中下・下上・下中・下下愚人の9等に分かつ。これらを3つにまとめなおせば、上人・中人・下人となる。この中人以上について性善をとなえたのが孟子、中人以下について性悪をとなえたのが荀子だというのが王充の説明であった。これに沿って述べれば、道家は上人のみを語り、法家は中人以下を管理しようとした(徹底すれば上人までいく)、ということになる。眼目とする階層が異なれば、諸子の言説は、互いを補完しつつ共存することができる。

 王充の上人・中人・下人に関するまとめは、従来の理解が的を射たものではないことを教えてくれる。孟子の性善説と荀子の性悪説が同じ人の性の理解として対立していたのではない。孟子は中人以上を論じ、荀子は中人以下を論じていて、どの階層に焦点を当てるかが異なっている。同じ国家に両者の議論が混在することも可能であり、いわば「棲み分け」の議論をしていたのである》
(p.307-)

 中国のメインランドでも新石器時代以来、絶え間なく戦争は起き、夏・殷・周3代の世もそうだったわけですが、鉄器は青銅器と違って原料を大量に確保できたので一気に普及。森林伐採、開墾、車と畜力を使った耕作も軌道に。耕作可能面積は劇的に拡大、都市の人口も多く養えるようになり、成長しつつあった国家の管理を受けることになります。変法を進めた者は戦争が続く中で、耕作民確保など富国強兵を目指していくわけです(p.336)。

 中国の度量衡の九・六・八は天地人を表し、単位が繰り上がるんですが、楽器の基準とも関わっているというのは、ピタゴラスの60進法にも似てるんだろな、と感じました(p.332)。

 山本義隆『小数と対数の発見』は難しくて、なかなか読み進めていないのですが、木星の公転周期12年、手の指から由来する十進法、手足の指の二十進法と共通の倍数が60だからというあたりなんでしょうか。もっとも、中国由来の十で繰り上がる数の数え方は便利な十進法に整合的で、和算が高度だったのも、そのおかげなのかな、とか色々考えさせられます。

 「國(国)」は中国の戦国時代になってできた字、つまり春秋時代にはなかった、という指摘も新鮮。それまでは都市を「邦」と言い、邦を含む一定の領域を西周以来「域(或)」と言っていたが、領域国家の出現で、その領域を囲む境界が意識され、結果として「國(或を囲む)」「国」という字ができた、と(p.363)。

 科挙の定着には中国でも文書行政が根付いてから1000年と唐宋改革と出版事業の進展が必要だったというあたりも、なるほどな、と(p.388)。殷、周王朝でも複数の血縁集団が王を出していた、ということも含めて、ヤマト朝廷も複数の血縁集団から大王を出していたんだろうし、聖徳太子の苦労も分かります。万世一系は後進国を支える幻想だったんでしょうね。

 伊藤仁斎など江戸時代の儒学者たちを《中国皇帝の大領域ではなく、日本という領域国家の時点でものを見ていた》(p.395)というあたりの指摘は現代の政治でも通じるかもしれません。個人的に中共はもちろん批判しますが、どこか習近平の悲しみも理解できそうな気もしますから。

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September 25, 2019

『玉三郎 勘三郎 海老蔵』中川右介、文春新書

 昭和末期から辰之助、十七代目勘三郎、二代目松緑という六代目菊五郎の芸の継承者が一気に去ってしまうという「第一話 神々の黄昏」に続くのが「二人阿古屋-歌右衛門から玉三郎」。この問題意識の流れは共感できる。

 プロローグのような第一話に続くのが「第二話 二人阿古屋」。近現代の5期の歌舞伎座はいま、敗戦から70年以上、震災や爆撃で焼失していない平和な時代を享受していますが、その木挽町を頂点とする歌舞伎界には二人の女帝が君臨していました。

 太平洋戦争の敗戦で歌舞伎座と歌舞伎の興行システムは灰燼に帰します。映画やテレビなどのメディアの勃興もあり、国などからの評価を自らのトップとして価値に変えることで興行価値を保ち、歌舞伎を文楽のような「国から支援されることで興業という交換価値を失った伝統芸能」にさせなかった歌右衛門さんの時代から、梨園の外から女帝となったものの、陰りの出てきた人気のなかで改めて内省を要求された玉三郎への変化を描いたのが全体でも最も長い第二話。

 著者は、おそらく歌右衛門さんと玉三郎で歌舞伎の現代史は描けると確信しています。幻冬舎新書の『十一代目團十郎と六代目歌右衛門―悲劇の「神」と孤高の「女帝」』で敗戦から昭和の時代、『坂東玉三郎―歌舞伎座立女形への道』では第四期歌舞伎座の末期まで、そして今回の『玉三郎 勘三郎 海老蔵』で平成末までの歌舞伎を描いてきましたが、その骨格はあくまで歌右衛門さんと玉三郎。立男役である高麗屋や松嶋屋、音羽屋などはその周りを回る衛星という感じ。しかし二代続いた女帝の時代の後半では、玉三郎が歌舞伎界の権力闘争にしがみつくよりも、幽玄の世界に遊ぶことを選んだため、海老蔵が九代目の成田屋や六代目みたいな存在になる下地がつくられていった、というのが著者の見立てのように感じる。

 しかし海老蔵の時代が来るにしても、歴代の成田屋は健康に恵まれてない役者が多い。海老蔵にそのようなことがあれば、その時こそ本当の歌舞伎の危機かもしれません。君臨する女帝もトリックスターのような十八世勘三郎もいない中で、歌舞伎座と全国の劇場を埋めていかなければならないわけですから。

 それを無意識に感じているためか、「第二話 二人阿古屋」の後半では玉三郎が若手の女形を「マスターコース」方式で育てた軌跡を丁寧に描いています。マエストロ玉三郎が公開スクールのような形で自分の役を若手に伝えているのは、海老蔵を輝かせる脇役を揃えるためかもしれません。七代目歌右衛門は誰がなっても先代や自分のような存在にはなれないから、という諦めがあるのかもしれませんが、歌舞伎界全体を考えて、海老蔵を支える役に合った女形の数を揃えておこうという強い意思が感じられます。この「二人阿古屋」は阿古屋という役を歌右衛門さんと玉三郎の二人だけで独占してきた時代と、玉三郎が二人の若手女形にマスターコース方式で伝えた2018年末の舞台のことを意味しています。

 泣いても笑っても2020年には十三世團十郎の襲名披露興業がやってきます。十一代目は早世し、十二代目は器ではなかったので、今の海老蔵は劇聖と言われた九代目團十郎以来の帝王にして改革者となるわけで、それは《初代市川團十郎が始めたものが現代に続く歌舞伎であり、代々の團十郎がそれぞれの時代の歌舞伎を作ってきた。今後は十三代目團十郎の歌舞伎が歌舞伎となる。それを認めたくない人は、別の歌舞伎を作るしかない》という時代の幕開けにもなります(あとがき、p.243)。どの世界でもWinner takes allなので、これは避けられない道。《だからこそ、困難な道でもある》わけですが(p.242)。

 海老蔵は「声よし、顔よし、姿よし」で歌舞伎界最高の名跡である團十郎を名乗り、しかも新之助→海老蔵→團十郎となるであろう息子も持つという不動のポジションを築きましたが、すでに父をなくし、妻にも先立たれる不幸に見舞われています。《團十郎が男系男子で四代続くのは、この家の三百五十年にわたる歴史のなかで初めてのこと》であり、團十郎の家にまつわる悲劇を本人もよく知って上での襲名でしょう。

 海老蔵は若い頃からの暴力的な性格、振る舞いで、劇場内外でハラハラさせながらも、舞台上では最も光輝いてきました。こうしたアンバランスなゆえにいっそう輝くというスター性は他の御曹司系の役者にはないもの。せいぜい十世幸四郎が高校生の頃に子どもを産ませたぐらいでしょうが、それは歌舞伎役者という職業からすれば、これっぽっちも逸脱ではありません。昔ながら褒められたぐらいの話しです。問題行動という視点でいえば、海老蔵の起こした事件は、八世幸四郎への思いが届かずに初代吉右衛門の娘にとられたり、玉三郎の養父勘弥が水谷八重子と結婚したことに絶望して、使用人と駆け落ちした歌右衛門さんの事件以来ではないでしょうか。そうした潔さ、勇ましさがあるから、目が離せないのが海老蔵なわけです。ちなみに、歌右衛門さんと海老蔵の祖父十一世團十郎のふたりはほとんどカップルのようなこともあり、さらに團十郎は片岡我童とも「ラブラブの時代」があったようです(by十二世團十郎)。もっとも歌右衛門の方でも、初代吉右衛門に老いらくの恋をさせてしまったりと色々あったようですが…。

 とにかく考えられる限りのポジションを確保し、役者ぶりも申し分のない海老蔵は、さらに二代目猿之助から学んだ《古典を現代に通じるように作り変えるプロデューサー兼主演者》としての才能、センスも持ちあわせています。海老蔵は古典復活の際の監督兼プロデューサーでもセンスが光ります。映像や舞台機構をフル活用した成田屋千本桜などはその典型。

 これと比べると十八世勘三郎はコクーン、平成中村座など歌舞伎を演じる場を水平的に広げたものの、作品自体は丸投げだったように感じます。古典でも『魚屋宗五郎』のような作品を愛していたというのではセンスも古い。個人的には野田某を起用した作品を面白いとは感じられなかったし、宗五郎に関しては談志師匠が「来いというから見に行ったが何が面白いんだか。妹を手打ちにした殿様を叩っ斬るんだったら分かるがぬるい」と書いてたけどその通りだと感じます。恐らく談志師匠が観たのは勘三郎になってからの2007年ですが、これが酷評されたためか、勘九郎時代には1994、96、2000年と演っているのに、それ以降はかけていません。

 《歌右衛門がたたんでしまった風呂敷を、玉三郎が広げた》(p.240)平成の歌舞伎は、勘三郎というトリック・スターが通人で團十郎から海老蔵への助六を仲立ちするという大きな流れだったのかなとも感じます。

 文章は年代と劇場、演目、役名がズラッと続き、歌舞伎に不慣れな読者にとって読み通すのが辛く感じるところもあるかもしれませんが、ずっと観てきた読者にとっては、固有名詞だけで脳内の役者が踊り出すぐらいの喚起力を構成と流れでつくっています。とにかく面白かった。立役中心で考えている自称歌舞伎ファンにはみたくない真相(ますがた)かもしれないけど、これが本当の真相かな、と。

 中川さんが他の歌舞伎の評論家と違いズバッと本質に迫ってると感じるのは、第四期歌舞伎座のさよなら公演で、スタンディング・オベーションに出なかった勘三郎、玉三郎と藤十郎の対比を描いた以下のようなところ。

 《第二部の終わりは、藤十郎の『藤娘』で何の熱狂もなく淡々と終わった。人間国宝も文化勲章も客には関係がなかった。容姿の衰えた女形が懸命に無理をしているのは分かるが、そこに感心はあっても感動はない》(p.167)。

 藤十郎さんには申し訳ないけどクリアカットな素晴らしい書きっぷりです。こうした姿勢は播磨屋が演った幡随院長兵衛が《新聞などの劇評では、この『鈴ヶ森』が絶賛された》(p.179)といったあたりの呼吸でもうかがえます。なんというか演劇の本場、英国調の慇懃無礼さというかdisり具合なのでは…と感心するばかり。

 それにしても、もしほ勘三郎や歌右衛門さんの芸談が「芸」になっていたのは戦争を経験していたからだな、と改めて感じます。ああした人生の大どんでん返しを経験してない御曹司が語る「形」をいくら聞いて仕方ないと思うんです。それは、スポーツ雑誌などでよく見かけるバカがバカをインタビューしたみたいな記事と変わりないから。御著書はそんなことよりも、観客席からの風景と、公開情報から推察できる歌舞伎役者の政治性などを重視、プロデュース能力などに力点を置いているようで、いまのところ、そうした描き手としては唯一無二の存在だと思います。これからも、歌舞伎をどう読み砕いていくか、楽しみです!

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September 19, 2019

『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』村上春樹、中公文庫

 短編の傑作『リッチ・ボーイ』が80年代という若い時代の村上春樹によって翻訳されています。。

 《個人というものを出発点に考えていくと、我々は知らず知らずにひとつのタイプを創りあげてしまうことになる。一方タイプというところから考えていくと今度は何も創りだせない―まったく何ひとつ。たぶんそれは人というものが見かけより異常であるせいだろう。我々は他人や自分自身に対してかぶっている都合の良い仮面の裏では、どうして風変わりでねじくれているのだ。「私はごく当たり前の、包み隠すところのない、あけっぴろげの人間ですよ」と言う人に会うたびに、僕はこう思う。この男には、おそらく身の毛もよだつようないかんともしがたい異常な部分があって、意識的にそれを押し隠そうとしているのだろう、と。そして自分をありきたりの包み隠すところのないあけっぴろげの人間だといちいち断るのは自分の異常性をうっかり忘れぬための方便に違いあるまい、と》という書きだしはうなってしまいました。

 おそらく自身の小説のように書きだしには凝ったと思ったのですが、原文を読むと、さらに驚きました。

"Begin with an individual, and before you know it you find that you have created a type; begin with a type, and you find that you have created--nothing. That is because we are all queer fish, queerer behind our faces and voices than we want any one to know or than we know ourselves. When I hear a man proclaiming himself an "average, honest, open fellow," I feel pretty sure that he has some definite and perhaps terrible abnormality which he has agreed to conceal--and his protestation of being average and honest and open is his way of reminding himself of his misprision."

 なんと簡潔な文章でしょうか。それを普通の日本語に小説として訳すとすると、この翻訳のようにかなりの敷衍が必要なんだろうな、と。

 主人公はニューヨークの上流階級の一族で育ったアンソン。彼にについて思い出したのは『紳士は金髪がお好き』に出てくる人生に絶望している6歳の少年、ヘンリー・スポフォード三世のようだな、と。そんな何不自由なく生きているリッチボーイでも、人生に痛々しいものが突き刺さっていきます。表面的には少しばかりプライドが高く(『春の海』の清顕のように)、冷笑的でもあるため、真の愛を手に入れることの出来なかった青年の物語とも読めますが、全体の雰囲気、二度と帰ることのない時代の空気が描かれているのかな、と。

 《リッツ・ホテルにはポーラの従姉も同泊していた》(p.247)という一節がありますが、『夜はやさし』やタイトルそのものに使われた『リッツくらい大きなダイアモンド』のように、フィッツジェラルドはリッツが好きなんだな、と。イェールや自身の卒業したプリンストンなどアイビーリーグの生活、同窓生との交流など狭い世界を描いていた彼にとって、『グレート・ギャッツビー』は少し世界を広げた小説だったのかな、ということも感じました。
 
 『ゼルダ・フィッツジェラルドの短い伝記』では「朝食には桃ね」という夏の過ごし方が印象的。5ドル札でタバコに火をつけていた時期からの転落振りは、非現実性を感じてしまうほど。

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September 15, 2019

『熱学思想の史的展開3』山本義隆、ちくま学芸文庫

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 東日本大震災当時に読んでいた時は、読み飛ばしていた注と文献表に後に収められている「あとがき」「再刊にあたってのあとがき」をじっくり読むことで、山本義隆さん自身の近代科学史三部作との関連性がやっと理解できました。再読大切。

 ギルバートによる地磁気も含めて、当時の科学は《生活環境としての地球を理解するためのもの》という志向があり《熱学的世界像は力学的世界像にならぶ一個の独立した自然観を与え》た、というあたりは、三部作との関連を感じさせます(p.336-)。カルノー、フリーエ、トムソンなども熱循環が人間生活と生命活動に重大だと考えていた、というあたり。こうした志向と、ガリレオがアリストテレスのように直接的経験に寄り掛かるだけでなく、経験を一歩超えたところで成立させ、数学化された自然科学が可能になった、と(p.312-)。

 ギルバートは不活性な地球というアリストテレス以来の自然観を破壊したのですが、熱を物質としてみた熱素論は、熱を原動力としてみたところから発展しいていく、という流れがなるほどな、と。ゲイ=リュサックは気球に乗って大気を収集したみたいな身体を張った研究姿勢にも感動しました。

 1840年代に熱は物質ではなくエネルギーの一形態だと分かるんですが、そのエネルギーの移動は仕事とは異なった特殊性を持ち、第二法則として原理化され、そして第二法則は自然界の核心は非可逆過程が存在することにつながります。

 しかも、熱によるエネルギーの移動は、仕事と異なる、と。この非可逆性は古典力学の可逆性と顕著な対比をなす、なんていうあたりもなるほどな、と(p.393)。

 《熱が物体にもたらすものは、本質的にはエントロピーの増大であり、それが気体の場合には膨張として現れるが、ゴムひもでは収縮として現れる》(p.107)のであり、熱と仕事は単純に等価ではなく、他のエネルギーのように交換可能ではなく、温度差が必要で、高熱源の一部が仕事に変わり、残りは捨てられる、と(p.144)。

 簡単にエントロピーは増大すると自分がさも考えたように扱ってきましたが、こんなにも長い人類の精華たちによる思索と実験の果てに見出された概念なんだな、と。

 《「エントロピーは統計力学で初めて理解できた」というのが、多くの物理屋の口にする台詞である》というなところも、読み飛ばしていた時は理解できませんでした(p.385)。

 このほか、わがエンゲルスは当時の科学を自分で演繹して、さまざまな仮説を書き散らしていたんですが、『自然の弁証法』でも、トムソンの絶対温度の定義を誤解したマクスウェルの著作から引いているようなあたりには苦笑させられました(p.129)。

 

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August 24, 2019

『文選 詩篇 六』川合康三など訳注、岩波文庫

 六巻は雑詩の後、最後の分類である雑擬詩に達します。『文選』収録作品としては比較的後期となる南朝時代の作者が多いのが特徴。親しみやすい表現が多くなるとともに、陶淵明のように日常生活を謳う詩も収録されるようになっていきます。

 詩経などは〈よみびと知らず〉の詩がほんどでしたが、曹丕『典論』を経て作者の個性が認識され、表現も洗練の度を加えて「作者の誕生」につながっていく、という流れが「はじめに」で示されています。

 陶淵明の詩は『文選』に八首収録されていますが、そのうち五首がこの冊に入り、あまりにも有名な「飲酒」其五も収録されています。

結廬在人境(いおりをむすんでじんきょうにあり)
而無車馬喧(しかもしゃばのかしましきなし)
問君何能爾(きみにとうなんぞよくしかるやと)
心遠地自偏(こころとおければちおのずからへんなり)
采菊東籬下(きくをとるとうりのもと)
悠然望南山(ゆうぜんとしてなんざんをのぞむ)
山気日夕佳(さんきにっせきによく)
飛鳥相与還(ひちょうあいともにかえる)
此中有真意(このうちにしんいあり)
欲弁已忘言(べんぜんとほっしてすでにげんをわする)

 普通は「悠然見南山(ゆうぜんとしてなんざんをみる)」ですが、こちらでは「悠然として南山を望む」を採っています。蘇軾による「見る」の解釈を長く引いて紹介した後、《蘇軾以前には「望」の字が通行していたと思われる》と締める呼吸が渋い。

 最後の項目である雑擬は、陸機が最初の「上」を十二首の作品で飾っています。

 ここでは、陸機と陶淵明の擬古詩の解説も素晴らしい。陶淵明の擬古詩は、陸機のようなキッチリした模擬ではなく《テーマを襲ったもの》とのこと。陸機と比べるとフリーダム。さすがというか分かりやすい(p.187-)。

 この解説のすぐ次は、謝霊運が曹操のもとに集った文人の詩を、曹丕が編んだものを元に再現した八首。これも印象に残りました。曹操討伐のための「袁紹の為に予州に檄す」を書いた陳琳のものも。陳琳は曹操が才能を惜しみ配下に加えたが、彼らが曹操政権に帰するまでを描いていきます。三国志好きはこれを読まないとモグリ?

 掉尾を飾るのは江淹の「雑體詩」三十首。長いですが、古詩から南朝宋末期の恵林までの作品を擬し、全体の批評にもなっているという高度な構成。

 この胸つき八丁を乗り越えないと、文庫本で2553頁という文選詩篇という巨峰を制覇できないのか、と必死に読み進みました。

 そして、最後に昭明太子による「序」を持ってくる趣向。その解説は《たとえ内容がすぐれていても、文学たるためには言葉をいかに美しい言葉に練り上げるか、表現を洗練することこそ心しなければならぬというのが、昭明太子の立場であった》とのこと。これを編者たちは言いたかったのかもしれません。

 本文、コラムなどを読了した後、付録の年表が素晴らしいことにも気づきます。秦から南北朝時代時代にかけての主な出来事と、士大夫らがどう動き、詩を書き、それが文選のどこに収められているかが分かる労作であり、漢詩の作り手は大状況に対応していたんだなぁ、と改めて実感します。

 旅先で読むものがなくなったので、kindleで新古今和歌集を読み継いだのですが、「ほととぎす」だけでズラーッと並べ、自然しか歌っていない日本の詩歌と、なんと違うことかと愕然としました。

 さらに六巻には作者別の索引もついています。

 川合康三先生以下の訳注がなければ読み通せませんでした。特に一巻の難解さは印象に残っています。中国史を前提としなければ理解が不可能でした。感謝。

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August 23, 2019

『熱学思想の史的展開 2 熱とエントロピー』山本義隆、ちくま学芸文庫

 近代科学史三部作(『磁力と重力の発見』『一六世紀文化革命』『世界の見方の転換』)の前に書かれていて、山本義隆さんが科学史家として実質的にデビューしたのが『熱学思想の史的展開』だと思います。デビュー作ということで容赦ないというか、数式も多数出てきますし、あまり広い読者を想定していなかった頃の作品です。2010年末に加筆訂正された文庫版の1巻を読んだのですが、その後、東日本大震災などもあって仕事が忙しくなり、読んだものの、まとめるまでにはいたらなかったのですが、この夏の旅行中に再読してみました。

 人類にとってもっとも身近で有益な自然現象である燃焼の原理や熱とは何かについては19世紀になっても分からない状況が続いていた、というのは改めて驚きます。

 1巻では、化学に革命をもらしたラヴォアジェでさえ、焼素(フロギストン、Phlogoston)が空気中に出ていくという燃素説を追放したにもかかわらず、燃焼とは物質と空気のひとつの要素である純粋空気が結合したという熱素(calorique)を提唱するあたりで終わりましたが、2巻は、その熱素説の精緻化と、天才カルノーが完成させたかにみえた熱素説が、イギリス人のエンジニアたちによる蒸気機関の改良と、ジュールによる実験が大陸の理論と結びついて、熱素説を克服する端緒を掴むまでが描かれています。

 1巻ではヨーロッパがアリストテレスの「質の自然学」を克服する中で、「自然を計算し、秤量し、測定する(to number, weigh and measure)」して定量化していくために、ガリレオ(1564-1642)の温度計が発端となったと語られていますが、2巻でもイギリス人のドルトンが膨張なども考慮した《使用する温度計物質によらない普遍的温度目盛りとは何か》を目指します(p.58)。そしてこれが《その後の熱学の発展を貫くものとなる》、と(p.78)。

 熱素説はまるで天動説のように精緻を極めていきますが、真空が多量の熱を含むという方向にいってしまうのが面白い(p.85)。天動説で、どうしても衛星の軌道を説明できなくなって奇妙な運動を導入したのと似ている。

 その後も、様々な実験は積み重ねられていくんですが、クーンが書いたように《科学者が自然を以前とは違った見方で見られるようになるまでは、新しい事実はまだ科学的事実ではまったくない》という状況が続きます(p.152)。

 人類は火砲を除いて、火を熱エネルギーとして直接利用してきましたが、蒸気機関は初めて動力として熱を利用することになりました。こうした中でカルノーは「仕事概念」を導入します。フランス革命は自然の支配と収奪による生産力増大に向かいますが(サン・シモン主義)、それには熱の動力利用が鍵になっていく、と(p.187)。

 《フランス革命では、自由・平等・博愛のイデオロギーとともに、あるいはそれを上まわって、自然の支配と収奪による生産力増大の夢こそが知識人青年を捉えたのではないだろうか。革命後におけるサン・シモンの産業主義というテクノクラートの夢の登場は必然であった》

 こうした観念的な思考が大陸で支配的な時に、英国本土では鉱山の排水・揚水に水蒸気エンジンの開発が進みます。決定的な改良を行ったのはワットで、その鍵は冷却器をシリンダーから分離すること。これによって燃料を75%節約できるようになりますが、冷却水が重要な役割を果たします。

 《仕事を生むためには高温だけでなく低温も必要》で、熱が作業物質を媒介に高温から低温へ流れ落ち、それによる作業物質の体積変化が仕事を生む、と(p.209)。これがカルノーに重要な示唆を与えますが、フランスはイギリスと違って石炭資源に乏しく、蒸気機関の改良が進んでいなかったという事情も関係しているようです(p.216)。

 熱が仕事を生むには温度差が必要というカルノーの基本的な理解は、水の高度差を利用した「水柱機」によるインスピレーションもあったようです(p.228)。そして、カルノーの定理は熱とそれが生み出す仕事の間の定量関係について得られたはじめての表現となっていきます(p.275)。

 カルノーによって絶頂を迎えた熱素説は、その後、急速に衰退しますが、それがすぐに熱運動論にとってかわられたわけではありません。なぜならニュートンによるエーテル説などが根強く立ちはだかっていたから(p.276)。しかし、光と輻射熱の反射・屈折・干渉・偏り・消偏などのふるまいがあまりにも似ていることがわかっていき、徐々にニュートンの権威から離れた熱波動説が受けいれられるようになっていきます(p.295)。

 熱帯地方では体温と外気の温度差が小さいために酸素消費量が少ないから血が鮮やかな赤色をしているというトンデモ的な所見から間違ってエネルギー原理を予言した医師のロベール・マイヤーは「19世紀のガリレオ」と一時は喧伝されたのですが、それは《エネルギー原理の発見が19世紀後半に与えたインパクトの大きさを象徴して》います(p.314)。
 
 マイヤーは運動や熱の原因を「力」と考え、それは消滅することはないとして、エネルギー保存の前提から、熱と運動の変換関係の普遍性というアイデアを導き出します。普遍定数Jの発見は熱と力学的仕事の新しい定量的関係の発見でしたが、このエネルギー保存原理はプランクをして「エネルギーの概念は保存原理を通してはじめて物理学において意味を持つ」とします(p.320)。トンデモ所見から得られたアイデアかもしれませんが、新しいパラダイムはβ-崩壊からニュートリノの発見にもつながります(p.322)。

 中性子が電子(ベータ粒子)と反電子ニュートリノを放出して陽子になる現象がβ-崩壊ですが、当時はエネルギー保存則を逸脱している実験結果しか出ませんでした。しかし、電子と一緒に観測できない未知の粒子が放出されているのではとするパウリの考えによってニュートリノが発見されるわけです。まったく、クーンの言う通りかな、と。

 マイヤーが観念的にエネルギーの原理を発見したのに対し、アマチュア科学者であったジュールはいかにもイギリス人らしい経験主義的な実験を通してエネルギーの原理を追求していきます。ファラデーの伝統もあったのですが、電気・磁気・熱・化学親和力・運動が密接に関係しあっていることが徐々に解明されていく過程は凄いな、と。ちなみにジュールの住むマンチェスターでは1842年に大争議が起こりますが、その年にエンゲルスも父の命令でこの町に来ています(p.347)。そして、この年にエンゲルスは彼の第一バイオンリンとなるマルクスと会い、『イギリスにおける労働者階級の状態』の調査も行います。

 一連の研究によって仕事→熱の変換、熱→仕事への変換があることはわかってきたのですが、トムソンは《仕事の熱への変換は常に可能であるにひきかえ、熱は限られた状況でしか仕事を生まない。具体的に言うと、熱の仕事への変換には温度差を必要とする》ことにこだわります(p.388)。やがて、トムソンは、熱が移動しても場合によっては仕事が得られないのはエネルギーが消失したのではなく散逸の結果であると悟ります(p.403)。ジュールはミクロな分子の回転エネルギーがマクロな仕事を生むと考えていましたが、それには膨大な数の分子が同方向に回転しなければならなかったからだ、ということで2巻は終了。

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August 16, 2019

『武器としての世論調査』三春充希、ちくま新書


 最初に知ったのは東洋経済書評欄。温暖で稲作に適していた西日本は地縁や血縁など共同体が強く、地域密着型の投票が行われるため与党有利だが、明治以降に形成された都市は野党有利。若年層は自民党支持が多いのではなく、野党支持が劇的に減っただけ。新聞社ごとの選挙速報ランクや、「ややリード」などの用語の真の意味の解説もあるということで、読んでみました。

 やはり面白かったのは東西で与党列島と野党列島に分けられるという指摘。これは佐藤進一先生以来の日本中世史の東国国家論を現在も反映しているとも言えそう。元々、三春充希さんは理系の研究者だったらしいけど、データ分析を進めると、東大史学の日本中世史の東国国家論が浮かび上がるというのは凄いな、と。東国国家論は中世に西から独立した東の武家勢力がやがて全国の公家・寺社の荘園を侵食していくという過程ですが、網野善彦先生の東国論にも触れつつ、そうした東西分裂が今でもクッキリと投票行動に現れているという指摘は驚愕しました。

 今は権門体制論の方が強いんで、東国国家論の東大史学が喜んだりして、などと俗なことも考えてしまいました。

 何が良い方向なのか分からないけど、まず社会の姿をキチンと捉えられないと、歪みを押し付け合うようなことが続く、みたいな言い方も好感が持てます。小熊英二の『社会を変えるには』が鬱状態からの復帰の途中でデモに触発されたとか「中学生か!」みたいなことを発端としているのと違って頼もしい。

 三章では、選挙ブーストの話しが面白かった。選挙前になって各党の支持率が上がるのは、無党派という政党がなく、必ず既存の党に投票しなければならないから。この選挙ブーストは報道、資金面でも有利な与党と野党第一党に効くというのは納得的。維新など新党は選挙を重ねるごとにブーストが弱く飽きられている傾向にあるというのも、これまでの選挙ウォッチからは正しそう。

 ただ、維新は関西圏に地盤を固めたような気もするし、与党列島と野党列島という言い方も維新や新党大地、小沢一郎の強い山形を果たして野党に入れるかどうかという問題も含んでいると思います。与党=保守、野党=革新という昔ながらの図式で考えると「ほとんど保守列島じゃない」とも読めるわけで。

 日本の世論調査や報道の分析だけでなく、米国にも言及。トランプへの抗議デモは都市で発生するから比較的取材しやすいので、報道量も多くなるが、アメリカには投票所に行くには何時間もドライブしなければならない土地も少なくない。トランプはそうした地域で集会を開いて、クリントンを圧倒したとして、トランプ支持は大陸だったが、クリントンは諸島だったというのは納得的。

 都市部は駅前などで多くの人に訴えやすくポピュリズム的手法で煽られる無党派層を取り込みやすい、というのは青島、ノック、石原、橋下、小池の勝利を説明したどんな分析よりも納得的。今回の「れいわ」も同じように駅前でのパフォーマンスが多かったのは、そういう分析があったんだろうな、と。熱が冷めるのも速いとは思うが、本当は減少過程に入っているべき維新が今回の参院選で盛り返してるので心配です。

 《少子高齢化を決定的なものにしたのは1990年代の政策です。これは取り返しがつかないほと重い問題》という指摘も大切(p.141)。よく「れいわ」などのポピュリストが小泉・竹中改革を見当違いに批判するけど、こっちの方がより問題です。だいたい総理総裁が経済失策で辞任したのも橋本首相だけだったし、それほどミスマッチの政策だったんだな、と。

 《選挙では個別の政策への意志を満足に示せないからこそ、それを行うデモを民主主義は確保するわけです。ですから「選挙で代表を選ぶ」「デモで政策への意見を表明する」というように、選挙とデモは異なる機能を担う》というのは民主主義における投票行動と直接行動についての簡潔で見事なまとめだと思います(p.177-)。

 55体制以降に中選挙区での総選挙は13回、小選挙区でも8回になもなっているんだな、とp.199の表をみて思いました。どんな制度がいいのか思いつきませんが、もうそろそろ、新しい方式を変えた方がいいかもしれないな、と。

 新聞の情勢分析では、書かれている候補者の順番がそのまま事前調査を反映しているというのはハッとしました(p.219)。

 

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August 13, 2019

『独ソ戦』大木毅、岩波新書

 日の下に新しきものなしというコヘレトの言葉を知っていれば、TVで流れる悲惨なニュースは意味がないことはわかるし、たとえそれがいくら規模が大きくなったとしても、今のところ人類史上最悪の地獄となった『独ソ戦』とは比べものにはならないことが分かります。独ソ戦は70年数前にあった本当の狂気と地獄。それが東部戦線。人類はそれまでも、それからもこんな悲惨な事態は経験してないな、と改めて思います。

 旧帝国陸軍のノモンハン、インパールなどはほんと、「アホな上官、敵より怖い」という感じで、ホラー映画を観るより背筋が凍ります。あまり、こういうことを露骨に言うと尊敬されませんが、「こんな目にあわなくてよかった…」と自分の現状を多少、幸せに感じられるというメリットも正直ありますので、この時期の読書計画に入れることをお勧めします。

 ということでビーヴァーの『ベルリン陥落1945』と『スターリング 運命の攻防戦 1942-1943』、ナゴルスキー『モスクワ攻防戦』などのほか、スナイダーの『ブラッドランド』を含めて大部な独ソ戦の本は時々、読みたくなるので、たまにはコンパクトな岩波新書で『独ソ戦』でも読んでみるか、とあまり期待せずに手に取った本書ですが、これまでの独ソ戦の見方が180度変わりました。

 従来は軍曹あがりで軍事的に素人のヒトラーが無理難題を押しつけたため、優秀なドイツ軍が目的を達することが出来ず、人海戦術のソ連に押されてしまったという認識だったんですが、スターリングラードの独第6軍を逆包囲して殲滅してからは、ソ連軍が見事な連続打撃による有機的な大作戦をみせるですね。

 無傷の日本軍もソ連軍には鎧袖一触で粉砕されるんですが、それはソ連軍の見事なまでの有機的で連続的な作戦にあったんだな、と分かりました。

 本書はいきなり出だしから良いんです。スターリングラードを東京として考えると、戦いの発端となったハリコフは金沢から300kmの日本海の海中、黒海に注ぐドン河の河口という交通の要衝のロストフ・ナ・ドヌーは奈良県という広大さ。ヒトラーが、いくらスターリンがトハシェフスキー以下の軍幹部を粛清していたのを知っていたにしても、よくこんな大作戦を勝利に導けると思ったな、と。まさに「アホな上官、敵より怖い」わけです。

 もちろん、これはイギリス上陸作戦が再建途上のドイツ海軍では不可能なので、空軍力に頼った力押しをしていたのが不可能になったことが遠因。この時点で、リッベントロップはモロトフに日独伊ソ四国同盟でイギリス解体をソ連に提案したんですが、にべない反応だったので、独ソ戦を決断するという乱暴な判断なんですね。

 しかも本来、ヒトラーは独ソ戦を主眼目にしていたんですが、チャーチルが徹底抗戦の方針を固めたため、英本土上陸作戦を指令したが、再建途上の海軍が困難であると難色を示したため空軍力に頼ったという経緯があった上での話し(p.11)。

 こうした動きはゾルゲ電だけでなく、ドイツが攻め込むという情報は百数十件に及んでいたというのに、スターリンは無視(p.3)。自分だけが正しいという今の日共などにも通じる唯我独尊がソ連の国民に2700万人もの死者を出すわけです。

 ヒトラーやスターリンだけでなく、ドイツ軍も全く相手の思惑を読めずに最悪の事態に備えて準備をエスカレートしていったということを含めて、疑心暗鬼によるエスカレートと、思い込みによる現実無視は人類に共通する問題かも。現在でも文在寅大統領が安倍首相の意図を読み間違えたというか読めなかったのは、スターリンがまさかドイツ軍が攻め込むとは思わなかったのと似てるな、とか。

 それにしても、ドイツ軍は41年7月のスモレンスク包囲戦で辛うじて勝利したものの、補給路が伸びきり、部隊の消耗も激しく、この時点で打撃力が足りなくなり事実上ソ連打倒は不可能になっていた、というんですね。まったく、当時の日本の駐欧州武官は何やってたんだ?と思います。12月の日米開戦まで半年もあるのに、まだ「バスに乗り遅れるな」と思い込んでいたなんて。しっかり情報収集していれば、乗ろうとしたドイツのバスはすでにポンコツとなりかけていて、谷底に向かってることがわかったハズなのに(p.62-)。

 当時の情報収集というか、旧帝国陸海軍や外務省は当たり前の公開情報の把握なんかをやっていたのか?と改めて思います。

 ヒトラーはモスクワ侵攻が不可能となるや、今度は戦争継続のために石油を取ると言って、大コーカサス山脈の北麓にあるマイコープを占領したものの、ソ連が退却する前に破壊したため目的は達せられませんでした(p.140)。マイコープ油田は再稼働は戦後の1947年だそうで、これはイラクも湾岸戦争でクウェートの油田でやってるけど、最悪なんすよね。

 こうしたソ連軍の作戦が進展するにつれ、モスフィルムの『ヨーロッパの解放』を再び観たくなりました。当時は単なる大がかりな戦争映画、しかもソ連のプロパガンダじゃないと思いながら見ていたんですが、多少、舞文曲筆はあるにせよ映画『ヨーロッパの解放』は作戦行動通りに描いているんですね。クルスク大戦車戦で、ソ連軍の対戦車砲がやたらドイツの戦車に当たった場面が続いて、子供ながら「そんなわけないでしょ」と思っていたけど、ソ連軍は突出部となっていたクルスクを泥濘期が終わったら必ずドイツ軍が標的にすると踏んで、入念に測定などの準備していたとは知りませんでした。

 p.204の地図はフィンランドからルーマニアに至る長大な戦線を見事にコントロールして、10の軍団から構成される《五つの連続打撃を行う》《攻勢が相互に連関》する見事な戦術を説明しています。これまで東部戦線を描いた本、映像作品は「ヒトラーが口出ししなけりゃ」というドイツ惜しかった史観だったことが痛感されるのが、この独ソ戦の終わりの始まりとなる「バグラチオン」作戦です。

 それにしても、スターリングラードを包囲した独第六軍を逆包囲してからの見事な展開には驚かされます。そして《こうして磨き上げられた作戦術は、翌年の「満州国」侵攻でも猛威をふるうことになる》わけです(p.206)。大事なことなので二度言いますが、ほぼ無傷の旧関東軍が鎧袖一触で粉砕されたのは、相互に連携され、相乗効果を産むソ連の連続打撃だったのかと蒙を啓かれました。

 文献解題で、参考文献としてあげられていた書籍に白水社から刊行されたものが多いのにも驚きました。あまり戦争モノには縁がない版元と思っていたが、読書量不足も実感できました。

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