April 10, 2026

『中国史とつなげて学ぶ 日本全史』岡本隆司

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『中国史とつなげて学ぶ 日本全史』岡本隆司、東洋経済新報社

 著者の専門分野である近現代史に留まらず、日本の古代~平安時代のあたりから、中国史を“ポジ”、日本史を“ネガ”として捉える視点から解説してくれます。

 日本の古代史以前の流れとしては、4世紀の地球の寒冷化で西洋世界で民族大移動が起こった同時期に、 中国でも遊牧民などの集団が徐々に流入し、ユーラシアでは寒冷化の到達点として唐とイスラムの両帝国が成立。しかし、温暖化の進展とともに多元化が進行する、といった大きな歴史の流れが提示されます。文明の発達状況、気候変動、人口動態、国の統治能力みたいなものも考慮に入れた一般向けでありながら、スケールの大きな歴史書です。

 強調されているのは中国社会は歴史的に多元的であるのに対し、日本は凝集的という違い。ほぼ農耕民のみで構成される日本は国としての一体性も昔からある程度持っていた、と。

 日本は、外国からの知識を抵抗なく取り入れ、自分風にミックスしてしまう一方、中国では、外から入ってきた知識も、中国の古典と結びつけて説明しなければ受け入れられなかった、と。開国後の日本は和魂洋才で貪欲に西洋の知識を取り入れますが、中国では、いったん中国古来の概念に引きつけて理解しなければならない中体西用の方針をとっていた違いも大きかったようです。

 このため西洋から国民国家の概念が流入すると、割と一元的な社会だった日本は簡単に国民国家の形成に成功します。

 この成功をみて中国でも国民国家を目指す勢力も出てきますが遊牧民と農耕民のハイブリッドである中国では様々な困難が立ちはだかります。一方、日清日露戦争の後、帝国主義的な多元国家を作ろうとした日本は崩壊するみたいな流れ。凝集的な日本が対外的に肥大化しなければならなかったというそのプロセス自体に問題があったのではないか、と示唆されています。

 政治的な話しだけでなく経済でも、日本の貨幣経済の発達は中国との貿易が契機となったものと説明。対中貿易に必要であった銀が枯渇することによって、代替手段として日本の国内産業が発展したというあたりもポジとネガの関係であり、日本の中世の経済発展は「湖広(ここう)熟すれば天下足る」の影響だったというあたりもスケールの大きな議論です。「湖広熟すれば天下足る」とは、明代から清代の中国において、長江中流の湖広地方(現在の湖北省・湖南省)が米の巨大な食料供給地となり、周辺地域はそれを支えるというエコ・ネットワークも形成されますが、日本もそこに参加していた、と。

 それまでも銀貨が必要になった中国に銀を輸出することで、日本は贅沢に目覚めたのですが、その後、モンゴルで紙幣が発達したため、銭が余って日本に輸出されるようになるなど、日本は翻弄されます。

 卓越した文化を持つ中華から影響を受け、遥かに遅れた時代区分を経る日本という構図は江戸期までは変わらず、太古の中国正史から歴史事実を引き出ことは無益というクリアカットな指摘も新鮮でした。

 姉妹本の『世界史とつなげて学ぶ中国全史』も読んでみようと思いました。

 後は箇条書き的に面白かったところを紹介します。

・中国の正史は都合よく書かれているので、漢委奴國王も五王の記述はそれほど信用ならない

・明にとってモンゴル帝国を撃退した日本から朝貢を受けることは、天子を宣明するのに都合が良かった

・戦国大名は、在地の武士が守護を支えることができるような存在に成長したとも言える

・室町時代まで京都以外の都市はなかったが、江戸期以降、京都以外の都市が増える

・洋書の翻訳は漢語を元にしないと複雑な内容を表現できなかった

・福沢諭吉は漢文も英語もそれほど上手くなかった

・梁啓超は日本で君主制でうまくいっていることをみて革命派と対立してしまう

・辛亥革命から変わっていないのは反日

・一体化日本と多元化中国は、実際には多元化日本、一体化中国になってる?

・日本は望んだことではないが中国に影響を与え、中国のあり方をネーションステートに変えてしまった

・中国人は「日中戦争で悪かったのは日本の一部のエリート層」と言うが、それは中国社会を反映したもの

・韓国は南北に分かれてネーションステートすら完成していないが、中国も習近平のようにまだ途上にあるとの認識が続いている

【目次】
まえがき──東洋史から日本史を捉えなおす

第一章 日本史は中国の“コピー”から始まった 【古代~平安時代】
第二章 アジア・システムからの離脱 【平安時代~鎌倉時代】
第三章 「日本全体が入れ替わった」時代 【室町時代~戦国時代】
第四章 「国家」の成立 【江戸開府~元禄・享保時代】
第五章 「凝集」する日本 【享保時代~開国前夜】
第六章 開国と日中対立の始まり 【幕末~明治維新】
第七章 朝鮮半島をめぐる外交と戦争 【明治時代】
第八章 アイデンティティの破滅へ 【大正時代~昭和時代初期】
結 現代への展望

あとがき
文献リスト【主な内容】
まえがき──東洋史から日本史を捉えなおす

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April 06, 2026

『日本史 敗者の条件』呉座勇一

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『日本史 敗者の条件』呉座勇一、PHP新書

 「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」。野村克也監督も愛した江戸時代の大名・松浦静山の言葉を、日本史のプロがビジネスの視点で徹底解剖したのが本書です。源義経から山本五十六まで、誰もが知る英雄たちが「なぜ、あと一歩で破滅したのか」。その共通点を探ると、現代の組織運営にも通じる驚くべき教訓が見えてきます。PHPの月刊誌「Voice」の連載をまとめたビジネスマン向けの本であるため、PHP新書として刊行されています。

[現場監督が強すぎると組織は壊れる? 義経と山本五十六の共通点]

 源義経は短期決戦で平家を滅ぼしましたが、これは源頼朝の望んだ結果ではありませんでした。屋島合戦や壇ノ浦合戦を独断で強行したことで、見事な勝利を得ましたが、他の東国武士たちが大きな勲功を得る機会を奪い、不満を鬱積させてしまった、と。さらに、平家滅亡によって最も利を得るのが後白河法皇であるという構図に思い至らなかったとされます。

 西郷隆盛は戊辰戦争では有能な前線指揮官でしたが、維新政府のトップとなっても現場主義を捨てきれませんでした。「征韓論」の通説は一次史料には乏しく、むしろ疑わしいとされており、西郷の使節志願そのものが唐突で、周囲も真意を測りかねたという。西郷自身は、自分が朝鮮で殺害されることで開戦の大義名分が立つと考え、その意図を板垣退助への書簡で示してはいます。あるいは、対外戦争によって国内(特に士族)の不満を外に逸らす「遠略」とも解釈できるが、最終的には現場主義に囚われ、西南戦争という叛乱に乗ってしまった、と。さらに、海軍の薩摩閥が味方するという甘い見通しから、海への備えを怠った点も熊本城の攻防戦で最終的な失策となりました。

 山本五十六の連合艦隊は、軍令部と機動部隊に挟まれた中途半端な組織でした。しかも、山本本人もミッドウェー作戦の意図を双方に十分に伝えず、真珠湾攻撃の時と同様「認められなければ辞任する」と迫るのみだった。さらに、ミッドウェー占領が目的なのか、米空母をおびき出しての撃滅が目的なのか曖昧で、本人自身も「本社と現場」の意思疎通を妨げる要因になっていた、と。こうした姿勢は現場の声を吸い上げつつ大局的に判断するという理想的なリーダー像とは対極的な振る舞いだったとしています。

[有能な官僚は、なぜトップに立つと失脚するのか? 光秀と三成の限界]

 明智光秀については、織田信長の四国政策転換により、長年長宗我部元親との取次を務めていた光秀が司令官から外されたことが、謀叛の背景に影響したとする見解。光秀は、与えられた目標の達成には優れていたが、自ら目標を設定し優先順位を決めるトップには向いていなかったとされます。

 石田三成は豊臣秀吉の信任を得て辣腕を振るった官僚でしたが、カリスマ的な「オーナー社長」である秀吉を失った後は精彩を欠いていきます。組織が分裂し主導権争いが激化していくのに、多数派工作といった政治的な駆け引きが苦手で多数派を構築できませんでした。関ヶ原の戦いでは最近の学界の新論を紹介しながら、「小早川秀秋の裏切りは、実は開戦直後だったのか?」という問い鉄砲に関しては白峰説支持、笠谷説批判で論を展開しています。

 田沼意次再評価論の批判も面白かった。意次も異例の昇進で絶大な権力を握った人物。1990年代あたりから、それまで汚職政治家との評価されていた田沼意次の評価が見直されましたが、最近の日本史学界隈では田沼の手掛けた事業は場当たり的で、ほとんど失敗という批判的な評価への揺り戻しが起きているとのこと。

[ブラック企業化する織田軍団と、耳に心地よい声しか聞かない上皇]

 承久の乱は鎌倉武士の勝利というより、義時追討の院宣を出せば東国武士が朝廷側につくだろうという甘い見通しありきの戦略による後鳥羽上皇の自滅だった。これは周囲に幕府への不満を語る西国武士が集まったため、鎌倉が多くの武士から支持されていないと誤解、自己と権威を過信するあまり、耳に心地よい取り巻きの声に依存したことが悲劇をもたらした、と。

 織田信長は部下の不満に気付かず、知行に対してこれだけの軍備を用意しろという基準も示さずに結果だけを主観的に評価するような、いわば「ブラック企業」的な統治を行っていたという評価。新しく獲得した土地も検地などをほとんど行わなかったため、知行とそれに比例する軍役を正確に把握できず、極端な成果主義で競争だけを煽る仕組みを作ってしまったので、「これではやってられない」と感じた浅井長政、松永久秀、荒木村重などから相次いで離反された、と。

[目次]
【第一章】現場主義・プレーヤー型
源義経:最強プレーヤーはなぜ「独立」に失敗したか
西郷隆盛:情に流された英雄の末路
山本五十六:大作戦を破綻させたコミュニケーションの欠如

【第二章】サラリーマン社長型
明智光秀:「三日天下」を招いた決断力不足
石田三成:最大の敗因は組織づくりの軽視
田沼意次:官僚の枠を超えられなかった改革者の限界

【第三章】オーナー社長型
後鳥羽上皇:自身の権威を過信した「名君」の誤算
織田信長:部下の謀叛を招いた「ブラック企業」の長

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April 04, 2026

『みんなの高校地学 おもしろくて役に立つ、地球と宇宙の全常識 』鎌田浩毅、蜷川雅晴

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『みんなの高校地学 おもしろくて役に立つ、地球と宇宙の全常識 』鎌田浩毅、蜷川雅晴、ブルーバックス

 昨今の相次ぐ地震に、不安を覚えている方は少なくないと思います。そんな今こそ手に取ってほしいのが本書です。共通テストで地学を選択した自分にとって、現在の履修率がわずか1%という事実は衝撃でしたが、本書は「試験のための科目」を超えた、生き延びるための知恵も授けてくれます。

【2030年代に訪れる「西日本大震災」】

 鎌田先生のアウトリーチ的な著書はこれまでにもいくつか読んできましたが、本書では、過去の発生間隔や周期との兼ね合いから、2030年から40年ごろには南海トラフ地震が発生し、富士山の噴火も誘発される可能性があると明確に書かれており、ショッキングでした。しかも、東海・東南海・南海の各トラフが連動する、「西日本大震災」と呼んだほうがよさそうな規模となり、東日本大震災よりも被害額などは一桁大きくなるとのこと。

 東日本大震災で列島が5メートルも動いてしまったため、日本列島では地震が多発するようになっている、という説明も納得できました。M3~6規模の内陸地震が、災害前の約5倍に増加しているそうです。

 ちなみにトラフ(trough)とは、海底にある深さ6000メートル未満の、浅くて幅の広い「溝状の地形」のことを指し、プレートが沈み込むことで大規模な海溝型地震が発生する場所です。

【マクロな視点で見る、地球の温暖化と氷期】

 この序章は実際に京大で講義を受けているように聴きやすいのですが、この後は書き手が変わったのか、やや硬い感じになります。地層や岩石の成り立ちから気象・海象、さらには銀河系やビッグバンまで幅広く説明してくれますが、風や地磁気などの項目は、イメージしにくく、理解するのがやや難しく感じました。

 縦揺れ(P波)が先に来て、大きな横揺れ(S波)が後から来るとか、地殻とマントルの境目のモホロビチッチ不連続面なども思い出し、懐かしい気持ちになりました。海面の高さは、地層の重さと軽さによる重力の影響を受け、最も低いインド洋と、高いインドネシアあたりでは何十メートルも違うというのには驚きでした。まさに地学は宇宙から地層、地殻まで掘り下げることのできるロマンあふれる科目だな、と。

 最後のあたりで興味深かったのは、時間軸の捉え方です。現在進行形の「温暖化」を認めつつも、地質学的な数万年単位の視点で見れば、地球は「氷期」へと向かっている。こうした複眼的な視点を得られるのも、地学を学ぶ醍醐味だと言えるでしょう。

 最後は、代ゼミのカリスマ講師が関わっているだけあって、「高校地学のエッセンス」で締めくくられます。ジェット気流、季節風の変化が海面温度に影響を与え、エルニーニョの原因になるというあたりも面白く、様々な現象が重なっているんだな、と改めて思いました。

[目次]

序章 日本列島と巨大災害

なぜ日本列島には地震が多い?/南海トラフ巨大地震のメカニズム/誘発される「富士山噴火」/「次の大震災」の被害予測/盲点だった日本海側の防災対策

第1章 地球の姿としくみ

地球はどんな形をしているか/地球の中身はどうなっている?/地球内部で何が起きているか/地磁気とはなにか/プレートテクトニクス革命/プレートが覆う地球/地震と断層/地震はどこで起きるか/火山のはたらき

第2章 46億年の地球史

地層のなりたち/地層からたどる地球の歴史/地球と生命の誕生/生物の陸上進出/陸上生物の繁栄/地質からみた日本列島/日本列島の歴史

第3章 地球をめぐる大気と海洋

大気圏/雲はなぜできるのか?/大気の状態はどのように決まるか/地球をとりまくエネルギー/風の吹き方/大気の大循環/日本の天気/気候変動はなぜ起きる?/地球を揺るがす環境問題

第4章 はてしなき宇宙の構造

太陽系の天体/地球の自転と公転/惑星の運動/太陽/恒星までの距離はどう測る?/なぜ恒星はカラフルなのか/星団/銀河系/宇宙はどのように誕生した?

おわりに 高校地学のエッセンス

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April 03, 2026

『東大生に教える日本史』本郷和人

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『東大生に教える日本史』本郷和人、文春新書

 東大史料編纂所に所属していた本郷先生が2022年、東大駒場の教養課程で、理系も含めた学生に「変革期にあらわれる日本のルール」をテーマに行った講義をもとに加筆したものが本書です。「日本史は暗記ばかりでつまらない」と思っている方や、「なぜ鎌倉幕府は滅びたのか?」という構造的な理由を知りたい方に読んでほしい一冊です。

鎌倉幕府の成立は「1180年」(土地安堵というルールの始まり)

 個人的に江戸期までの日本史は、貴族の荘園が在地の武士によって解体されていく過程だと考えています。となると、その先駆けとなる鎌倉幕府の成立はいつになるのか、というところが問題になります。

 本郷先生は、頼朝が鎌倉入りして「土地の安堵」を始めた1180年だと考えていますが、いまのところ賛同者は少ないというあたりは、「つかみはOK」という感じ。その後はいつものように東国国家論を唱える立場から、権門体制論(朝廷と寺社、幕府が補完し合って統治していたとする説)に関してはチクチクと批判し、「東国政権の成立」を強調します。

 他の本郷本よりも、東国武士が頼朝を必要とした理由として、京都と交渉する窓口役や土地権利などの実務処理能力の高さを強調している印象です。そして、鎌倉幕府の滅亡は貨幣経済の浸透に対処できなかったためとします。土地(不動産)から貨幣(フロー)への転換に対応できなかったのが鎌倉幕府の滅亡の原因という視点もクリアカット。

幕府を滅ぼしたのは、元寇ではなく「貨幣経済」(貨幣経済と徳政令の罠)

 当時は京都や鎌倉などの都市文化が発展し、武士たちも贅沢品や消耗品を銭で購入する機会が増え、生活コストが上がっていきましたが、土地の生産性は向上しませんでした。このため、先祖伝来の土地を質入れし、最終的には土地を失う「質流れ」が多発。

 さらに元寇後の霜月騒動(1285年)を経て、困窮する御家人を救済しようとする御家人ファースト志向を強めた幕府は、1297年に「永仁の徳政令」を発布しますが経済は混乱。貸し渋りが広がったため、金融機能が麻痺し、御家人以外の武士からも支持を失い、これが幕府滅亡につながります。つまり、都市文化が発展し、贅沢品を「銭」で買える生活へ向上しますが、土地の生産性は上がらず、武士たちは借金地獄へ。そうした御家人を救済策するための「徳政令」が裏目に出て、金融がストップ、という流れになります。

崩壊の直接のきっかけとなった霜月騒動(泰盛と頼綱の対立軸)

 霜月騒動は、九代執権北条貞時の外戚で幕府の有力御家人だった安達泰盛と、御内人(北条氏の得宗に仕える私的な被官)である平頼綱の権力闘争ととらえられています。しかし本書では、元寇で活躍した九州の本所一円地住人(地頭の支配を受けず、貴族や寺社が直接支配する土地に住む武士)の御家人化を目指す安達泰盛と、従来の「御家人ファースト」を掲げる平頼綱の対立として説明されます。

 東国国家論的な立場で整理すると、頼朝時代に関東で独立した政権を打ち立てた坂東武士たちは、承久の乱によって西日本にも勢力を拡大し、さらに元寇で活躍した九州の武士たちも御家人化しようとしたのが泰盛だといえます。

 これに対して、得宗専制体制を強化しようとする平頼綱らは泰盛を先制攻撃し、一族郎党を滅ぼします。騒動は関東・九州を中心に地方へ広がり、幕府を二分する大規模な内乱となりました。

 霜月騒動を経て幕府は北条一族の支配が強まり、足利氏ら旧来の御家人の力は衰えますが、結局、足利尊氏によって幕府は滅びます。室町幕府は土地に重きを起きすぎた得宗専制時代の弊害を考え、貨幣経済の中心である京都を押さえることで権力基盤を整えようとします。これには年貢を取り立てすぎると逃散してしまう農民に比べ、商人の蔵に課税する方が効率が高いという判断があったとされています。

 しかし、その虎の子の京都を応仁の乱で炎上させてしまったことで室町幕府は自滅し、戦国大名の時代へと移行します。

組織論として読む「信長・秀吉・家康」(三英傑の違い)

 一職支配を拡大し、常備軍や経済・流通を重視して全国政権を目指した革新的な信長、その信長の築いた軍団・領土・統治システムを引き継ぎ、デスクワークのできる直属の部下を重視して天下静謐を成し遂げた秀吉を経て、やや時代は戻すものの、家康が長い平和の世を築きます。

 家康は秀吉と異なり「家」を重視したという指摘には納得感があります。徳川幕府は前半は開拓によって成長したものの、後半は開拓の限界に達して停滞したとされます。

 鎖国に関しては、慶長17年(1612年)、幕閣本多正純の与力でキリシタンの岡本大八が、肥前のキリシタン大名有馬晴信を偽って収賄した事件が取り上げられます。大八は火刑、晴信も死罪に処され、この「岡本大八事件」が江戸幕府の禁教政策の重要な契機となったと強調されています。

 類書と比べて、霜月騒動と岡本大八事件を大きく扱っている点が、本書の特徴のひとつです。

<目次>
第一回講義 鎌倉幕府の誕生
・朝廷以外の権力を立てるという大転換が起こった
・東国政権の誕生 日本は一つではなかった

第二回講義 頼朝の死から元寇まで
・なぜ「頼朝の後継者」は殺されたのか? 東国武士のための政権
・元寇がつきつけた新たな課題 「御家人ファースト」か「オールジャパン」か
・御家人はなぜ借金に苦しんだのか? 貨幣経済の浸透

第三回講義 室町幕府、西か東か
・誰が鎌倉幕府を倒したのか? 武士たちは足利尊氏を選んだ
・なぜ足利尊氏は京都を選んだのか? 経済の都、京都
・義満は天皇になろうとしていたのか? 武士と公家、両方のトップとなる

第四回講義 日本人と宗教
・お守りをゴミ箱に捨てられるか? 日本人と神仏の距離感
・なぜ平安貴族は密教に飛びついたのか?
・一向宗は日本型一神教だったのか?

第五回講義 信長の革新性
・長篠の戦 注目すべきは兵器の調達と部隊編制
・他に例を見ない信長の人事
・権威の尊重とその利用 上杉謙信、武田信玄と比べてみると      

第六回講義 秀吉の天下統一
・なぜたった八年で天下を統一できたのか?
・デスクワークの重視が強さの秘密
・なぜ家康を倒さなかったのか?

第七回講義 家康が求めたもの
・武功に厚く行政に冷たい 家康の人事政策
・岡本大八事件の謎 キリシタン統制と大坂の陣の隠された関係
・前田利家が金沢幕府を開いていたら?      

最終講義 江戸から近代へ
・江戸前期は高度成長の時代
・武士のサラリーマン化が停滞を生んだ
・本当に「鎖国はなかった」のか? 

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March 26, 2026

『歴史学者という病』本郷和人

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『歴史学者という病』本郷和人、講談社現代新書

 花粉症で目が効かないので、相変わらず本郷先生の本をAudibleで聴いています。

 本郷先生の自伝ともいえるような本書は筑駒の受験を失敗するも、武蔵には合格、自由な議論が許されるサロン的な人間関係に癒やされた、など知らないことばかり。

 また、東大史料編纂所の仕事についても初めて詳しく知ることがきました。小中学校は渋谷だったので、江戸時代の国学者である塙保己一が設立した和学講談所が近くにあり、その建物は親しみがありました。東大史料編纂所に業務の一部が1888年に移管され、1901年からは『大日本史料』の編纂を続けています。これは『日本書紀』(720年完成) から『日本三代実録』(901年完成)までの「六国史」以降、日本ではずっと国史の編纂が行われなかったため、宇多天皇が即位する887年から、大政奉還の1867年までのおよそ1000年分の日本の歴史をまとめようというプロジェクト。

 本郷先生は大学、大学院、博士課程を経て、東大史料編纂所に職を得るのですが、東大文系でずっと東大に在籍して教授になれるのは法学部の超エリートと史学課のこのコースだけとのこと。

 こうした個人のテニュアトラックというかキャリアパスだけでなく、日本の歴史学の潮流を皇国史観、唯物論史観、四人組の観点からまとめているのも特長。

第0世代 皇国史観の歴史学  
第一世代 マルクス主義史観の歴史学  
第二世代 社会史「四人組」の時代
第三世代 現在

 戦後直後の唯物論史観時代の石母田正(中世史)、遠山茂樹(近代史)、井上光貞(古代史)、永原慶二(日本中世・近世経済史)の旧四人組は、その専門をみれば、古代、中世、近代と日本の通史となっていて、全体の流れが、この時代に整理されたのかな、と。

 そして、この戦後第一世代はマルクス主義的な唯物論史観に基づき、古代→中世(封建制)→近世→近代という「世界史的法則」に日本を当てはめることを目的にしていたと思います。彼らは日本にも西洋と同じく「封建制(中世)」があったことを証明することで、日本が「アジア的専制からの停滞」に陥ることなく、自力で近代化(資本主義)へ進む力を備えていたことを理論付けようとした、と個人的には思っています。

 日本が西洋列強に伍して急速に近代化できたのは、明治維新で突然変異が起きたからではなく、中世の時点で高度な社会組織や経済の土台が出来上がっていたからだ、ということを実証的に明らかにしようとしたのが戦後第一世代の功績だったと言えます。また、今からみれば、彼らの仕事は、戦後日本のアイデンティティ再構築にも寄与したのではないでしょうか。「日本は自力で近代化できる土台を持っていた」という理論は、敗戦後の自信喪失の中で大きな精神的な支えとなったはずです。

 その後の網野善彦、石井進、笠松宏至、勝俣鎭夫の新「四人組」はガチガチのマルクス主義的な歴史の段階論から離れ、より「中世そのものの実像」に迫るようになります。彼らは「領主vs農民」という単純な階級闘争的な視点だけでなく、女性、非農業民、宗教、芸能、市場といった多角的な視点から中世社会を捉え直しました。

 また、新四人組は、中世を単なる「暗黒の封建時代」とは見なしませんでした。むしろ、自律的な村落(惣村)や、権力に縛られない自由な場(無縁)、活発な商品経済など、「日本のダイナミズムの源流」が中世にあることを描き出しました。「領主中心」から「社会構造」へ視点を移したことで、「日本人は明治維新よりずっと前から、自分たちで組織を作り、契約を結び、経済を回す能力(近代の芽)を持っていたことが証明されたのが「中世研究の黄金時代」の成果です。石井進先生や網野善彦先生らが光を当てた「無縁・公界・楽」や「惣村」のダイナミズムは、お仕着せの理論ではなく、史料の向こう側に生きる人々の息遣いを掬い上げました。これにより、日本の中世は「暗黒」ではなく、多様な主体のエネルギーに満ちた時代へと塗り替えられました。属人的にも網野先生は代々木からの離脱を含めてマルクス主義からの脱却をはかります。

 本郷先生は恩師である石井進先生と同世代の網野善彦先生らが提示したような「自由な中世像」を継承しつつも、一般市民が求めるような「日本史を大きな物語(グランド・セオリー)として捉え直す」試みにチャレンジしようと宣言します。

 本郷先生は「歴史学者は史料に書いていないことは言えない」という強い自制心に捕らえられすぎていると語っていますが、そこで直面するのは、一行の史料(古文書)の解釈をめぐる妥協なき戦い。

 例えば鎌倉幕府の御家人は、神奈川、静岡などを中心とした一軍、千葉などの二軍、北関東の三軍があると考えられるのではないかとしています。こうした見取り図を示したあと、本領安堵を約束する源頼朝の袖判下文は、頼朝自身が花押を据える形式から、政所職員が作成する「政所下文」へと変化したという問題を取り上げます。袖判下文(頼朝の花押あり)と政所下文(頼朝の花押なし)が混在されていた時期があるのはなぜか、と。これは千葉常胤などの二軍、三軍地域の御家人から、頼朝の花押もなく、政所が保証する形式では頼りないので、昔の形式の文書をくれという要望が出されたことが原因ではないか、というのが本郷先生の見立て。二軍、三軍地域の御家人たちは頼朝との関係がやや薄いから心配になったのであり、実際、北条氏などの一軍地域の御家人からはそうした要望は出ていない、という仮説を私的な勉強会で明らかにしたところ「それは歴史学ではない」と言われ、激論になり、その勉強会も解散してしまったそうです。

 確かに史料は少ないかもしれませんが、本郷先生の視点を通じると、かつて学校で習った「鎌倉幕府の成立」といった無機質な出来事が、当時の人々が必死に権利を主張し、契約を交わし、時に不安に怯えながら社会を築いていった生々しい姿も見えてきます。

 実証主義者が史料に書いていないことを想像で補うのは、歴史学ではなく小説だとするのに対して、本郷先生は当時の社会のダイナミズムを語らなくて何が歴史学だ、と批判しているようです。こうした熱い議論があるのも、近代への離陸という大きなテーマにつながる日本史の誇りの部分を議論しているためなのかな、と個人的には改めて思いました。

[目次]

はじめに

第一章 「無用者」にあこがれて   幼少~中高時代
     立身出世は早々にあきらめ、好きなことをして生きようと思った

第二章 「大好きな歴史」との決別  大学時代
     歴史は物語ではなく科学  だから一度すべてを捨てる必要があった

第三章  ホラ吹きと実証主義   大学院時代・そして史料編纂所へ
     徹底的に実証主義的な歴史学を学んだ、そしてホラの吹き方も

第四章  歴史学者になるということ  史料編纂所時代 そして新たな道へ

終章   日本史王にオレはなる!

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March 18, 2026

『議論の日本史』本郷和人

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『議論の日本史』本郷和人、扶桑社BOOKS文庫

 科学としての歴史学から定説となっていったいくつかのテーマに対し、様々な史料から議論を紹介している本。本郷先生の鋭い切り口が好きなので、これもAudibleで聴了しました。耳で聴くと、まるで先生の講義を最前列で聴いているような臨場感があるので大好きです。

【中世国家をめぐる師弟の戦い】

 いつものように京都大学の黒田俊雄先生が提唱し、主流となっている権門体制論に対しては終始批判的。

 権門体制論は将軍は天皇から任命されるではないかという外形に重きを置き、寺社も含めた朝廷、武家が協働して日本を統治していたという議論です。著者の恩師である石井進先生は、これに対して「そもそも中世に国家というものが存在したのか」と疑問を投げかけたのですが、「これだけ言えばわかるだろ。はい論破」という姿勢で議論を進めませんでした。このため、議論が白熱するにつれ、大師匠の佐藤進一先生も加勢して東国国家論を展開するとになったのですが、いまだ劣勢とのこと。

【教科書と「大人の事情」】

 歴史研究は専門外の時代には手を出さず、歴史教科書は、各時代の担当者同士が話し合わずに書かれます。そして圧倒的なシェアを持つ山川出版社の高校の日本史教科書に載った説が日本史の定説となっています。山川出版の教科書を書いているのは東大の先生ですが、それでも権門体制論が根強いのは、論文が書きやすいため、とか。

 承久の乱で後鳥羽天皇は鎌倉幕府では無く北条義時一人を倒したかったという新説は、北条義時を倒せという命令書になっていることを根拠にしています。しかし、幕府という言葉自体が後世の言葉で当時はそうは呼ばれておらず、その前の時代に出された以仁王の令旨でも清盛・宗盛親子が名指しされていたので、義時イコール政権だった、と。

 足利義満は天皇になろうとしていたのか、足利義教というくじ引き将軍誕生が幕府全体の八百長だった可能性、などもお馴染みの議論ですが、中世で宣教師たちが危険を顧みず極東の日本へやってきた理由は「殉教のため」というあたりは初耳でしたかね。

【結び:学問もまた人間臭い】

 結論としては学者もやはり人間なので、「目立ちたい」「偉くなりたい」という強い気持ちを誰しもが持っている、と。これは健全な野心なので、否定するつもりではないが「自分が目立つためには、極論も厭わない」という研究者も少なからずいるので、議論をおかしな方向に向けてしまう、と。長い歴史を通じて、多くの先人たちが積み上げてきた定説というものは、それなりの重みを持ち、簡単には崩れるものではないので、定説の重みを軽んじるべからず、というあたりが結論。

[目次]
「権門体制論」と「東国国家論」
「鎌倉幕府の成立年次」を探る
「承久の乱」をめぐる新説
北条時宗は「救国」の英雄か
「永仁の徳政令」の裏側
鎌倉幕府を倒したのは、後醍醐天皇か
足利義満は天皇になろうとしたのか
「くじ引き将軍」足利義教と神仏の存在
「応仁の乱」の本質
織田信長の「天下布武」が意味すること
異なる「江戸幕府成立年」の定義
「鎖国はなかった説」の盲点
幕藩体制における「天皇の権威」

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March 17, 2026

『経済で読み解く世界史』宇山卓栄

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『経済で読み解く世界史』宇山卓栄、扶桑社新書

 花粉の季節は目がチカチカするので、読書といってもジムで筋トレ、有酸素運動をしながら聴き流すAudileの柔らかめの本が多くなるのですが、こちらもそんな感じで「聴了」しました。

 代ゼミで世界史の先生をやっていたこともあるという著者は、経済は社会の「下部構造」で上部構造はそこから規定される、というマルクス主義的な世界観を持っている感じ。農業資本から商業資本、産業資本、そして金融資本という歴史的発展段階に沿った説明もへーゲル・マルクス的なものを感じます。

 ギリシャ・ローマから始まり、アメリカの産軍複合体で終わる本書に通底しているのは、多くの国家が滅ぶ原因として貨幣発行の乱発でインフレを起こし、経済が混乱するということでしょうか。日中戦争の敗因も日本軍のファイナンスに焦点をあてて説明しています。

 ローマ帝国の基本戦略は領土拡大政策によって国内の不満を外に向けさせることにあり、2世紀には「パクス・ロマーナ」と呼ばれる平和な繁栄を獲得できましたが、やがて成長限界に達して滅びます。一方、農業の生産性の高かった中国では富の蓄積が進み、10世紀以降の北宋、金王朝、南宋、元王朝、明王朝などの王朝は全て紙幣増刷によって市場の信用を失い、滅亡した、と。富と権力が融合した国家の時代である近代世界でも、貨幣の自己増殖による経済発展を目指すという根底は変わらず、近代以降の覇権国家も徴税→債券→戦費という国家運営モデルをうまく操ることができたイギリスなどは成功したが、失敗した国も多かった、と。

 特に英国は産業革命、奴隷・アヘン三角貿易で潤いましたが、その根底にはイギリス国民の担税意識が高かったという指摘は新鮮。その担税意識を支えていたのは議会制度を通じた国家予算とその使い道の透明性。「自分たちが払った税金が何に使われているか」が明確だったからこそ、国力が安定したという分析は、不透明な支出が革命を招いたフランスとの対比で際立っています。イギリスは透明性が信頼を生んだのですが、逆に王室の予算の使い道が不透明だったフランスでは革命が起こってしまった、みたいな。

 しかし、そのイギリスも産業革命で最も成功した国でしたが、そのモデルがあまりにも成功したため、新しいビジネスモデルへの変革がおこなわれず、ドイツやアメリカに産業構造の転換で後れを取ってしまった、と。初期の段階で植民地獲得に成功し、農産品を加工する軽工業が経済構造の中心となったイギリスやフランスは、成功しすぎたビジネスモデルから脱却することができず、重工業に力点を置くドイツに経済覇権を奪われてしまった、というイノベーションのジレンマも感じることができます。

 この「ビジネスモデルの硬直化」は、現代の産業構造にも通じます。かつてイギリスが「議会と信頼」を武器に徴税と国債のシステムを確立したように、現代のアメリカは巨大な軍事産業、国防総省、そして議会が三位一体となり、経済成長を牽引する巨大なエコシステムを作り上げましたが、その成長限界もどこにありそうです。2026年に入ってからのマドゥーロ捕獲→キューバ経済の破壊、イラン攻撃は圧倒的な成功をみせていきますが、注目していきたいと思います。

[目次]

古代
◎なぜ、ギリシアのような辺境の貧村が世界帝国となったのか?
◎ローマの台頭、繁栄、衰亡の三段階、その力学構造とは?
◎漢王朝の経済論争、国家は市場に関与すべきか?
中世
◎銀行業で華々しく成功する事業家一族、利子禁止をどのように回避したのか?
◎唐王朝、宋王朝はマーケットをどのようにコントロールしたのか?
◎一体化する世界、元王朝や明王朝はグローバリズムにどのように向き合ったのか?
◎アジア、アフリカ、ヨーロッパを支配したイスラム、その力の源泉とは?
近世
◎ヴェネツィアではなく、ジェノヴァが新しい時代をつくることになったのはなぜか?
◎ポルトガルの香辛料貿易の利益、スペインの新大陸産の金銀はどこへ消えたのか?
◎なぜ、小国オランダは世界の覇権を握ることができたのか?
◎オスマン帝国が形成したグローバル・リンケージ・システムとは何か?
◎なぜ、辺境の異民族が中国を260年間、支配し続けることができたのか?
近代
◎急激な経済上昇はなぜ発生し、また、なぜ、それは欧米や日本に拡がったのか?
◎イギリスは莫大な利益をどこから稼いでいたのか?
◎覇権国家イギリスは財政危機をどのように乗り切ったのか?
◎財政危機の救済に悪用されるリフレ政策、その功罪とは?
◎なぜ、中国やイスラムでは近代化が起こらなかったのか?
現代
◎新しい資本主義の局面を、イギリスではなく、ドイツがつくり上げていくのはなぜか?
◎不況の時に有効なのは財政政策か金融政策か?
◎戦争は回避不可能、戦争に突入しなければならない必然性とは何か?
◎日本軍のファイナンスはどのように失敗したのか?
◎なぜ、アメリカ国民は軍拡の負担を受け入れたのか?

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March 03, 2026

『日本史の法則』本郷和人

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『日本史の法則』本郷和人、河出新書

 本郷先生の本は読みやすいので連チャン。というか耳にタコができるほど聞いた話ばかりですが、それでも改めて読むと面白いかな、と。

「いい国(1192)」でも「いい箱(1185)」でもない?幕府成立の真実

 お得意の中世史では、武家政権が始まった鎌倉幕府の成立はいつか?という問題が丁寧に説明されています。

 頼朝が征夷大将軍に任じられた1192年も、大将軍には本質的な意味はありませんでした。ということで、1185年に頼朝が強引に守護・地頭を設置し、全国の土地と人民を支配する権限を得たのが鎌倉幕府の成立年であると最近の教科書には書かれていますが、本質的に考えれば関東の武士が頼朝を立てて反旗を翻して独自の東国政権を打ち立てた1180年ではないか、と述べられています。

 付け加えれば、頼朝が政所を開いた1191年も成立年の有力候補ですが、頼朝と主従関係を結んだ御家人層に対して適用されたものであって、後年の御成敗式目もあくまでも武家法にすぎませんでした。

「征夷大将軍」というポストに実質的な意味はない?

 1192年には頼朝が朝廷から征夷大将軍に任命されましたが、征夷大将軍という官職は、朝廷に従わない蝦夷を征伐するために、奈良時代に坂上田村麻呂に与えられた単なる官職で、全国の土地と人民に対する統治権ではありません。

 また、朝廷はポストを与える存在として生き延びていくことになりますが、そもそも日本ではポストにあまり意味はない、と。

 さらに征夷大将軍という名称も、他の大将軍名称と比べて縁起がよさそうだからというだけで選ばれただけのものです。確かに足利尊氏も、徳川家康も征夷大将軍に任命されて室町幕府、江戸幕府を開いて武家政治を開始したとされますが、本質的な意味はなかった、と。

 そもそも朝廷側は、鎌倉幕府を全国の土地と人民を支配する朝廷に替わる新しい政権として認めたわけではありません。もし幕府に全国の支配を認めていたのであれば、後鳥羽上皇による承久の乱は起きなかったわけです。この後、後醍醐天皇の建武の新政も3年で終わり、朝廷の反乱や政権奪取の試みは起きなくなります。

「家」に命を懸ける日本独自の主従システム

 日本人はシステムではなく、家に帰属するため、個人は家に包摂されます。武士の主従関係でも望まれるのは、主人のために命を投げ出すこと。

 逆に言えば、命を投げ出して戦いさえすれば、手柄を上げることがなくとも、主人は残された家族に、ご褒美を与えてくれるシステム。この主従関係が関東で成立したのが1180年だった、と。

 また、元寇に対処した執権、北条時宗に関しては無能という評価。元からの国書は丁寧な内容だったのですが、北条氏側の無知ゆえに戦争になってしまったという。さらには、褒賞として与える新たな土地もなく、御家人たちの不満は高まり、結局、霜月騒動による御家人同士の共食いを経て、鎌倉幕府は滅びます。この元寇時の鎌倉幕府の対応については、他の本郷本より丁寧に解説しています。

 4章の「信じる者は、救われない 信じると大虐殺が…」では『梁塵秘抄』の「仏は常にいませども 現(うつつ)ならぬぞ あはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ」(意訳:仏は寝静まった暁に夢の中ぐらいにしか姿を見せない=いない)を思い出しました。夢の中ぐらいにしか姿を見せない。救いを求めても届かない虚無感と、それでも何かを信じずにはいられなかった人の業のようなものを感じました。

[目次]
1 日本は一つ、ではない この国は西高東低
2 歴史も一つ、ではない もしも、あのとき……
3 日本の歴史は、ぬるい 変わるときは外圧
4 信じる者は、救われない 信じると大虐殺が……
5 地位より人、血より家 世襲が、強い
6 日本社会は平等より平和を選び、自由をはぐくんでいた

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February 26, 2026

『日本史のツボ』本郷和人

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『日本史のツボ』本郷和人、文春新書

 個人的に中世の権力については権門体制論よりも東国国家論の方がスッキリしていると感じていますので、本郷先生のご著書は大好きです。本書ではダイナミックなシステムの変化によって日本史を解き明かす7つのツボを紹介してくれています。

 天皇、土地、宗教、軍事、地域、女性、経済という七つの「ツボ」を押さえれば、日本の通史がつかめる、という内容で、権力の分割を縦糸に世襲が横糸になって織り上げられている感じがします。

 古代の大王は軍事、祭祀、裁判、行政など様々な権力を一手に集中していたので代替わりには血で血を洗う争いが繰り広げられていましたが、それが時代と共に貴族、武士などに権力が分けられていって、江戸期には最終的に文化的なものしか残らなかったという説明はクリアカットでわかりやすい。こうした過程でシステムを厳格に運用するのではなく、衝突を避ける日本的知恵による「ゆるさ」が遺憾なく発揮されていきます。

 大化の改新で押し進められた律令制は、実際、それによる統治が行われたというよりも、大陸からの外圧に対して国の結束を固めるためのヴィジョン、もしくは努力目標だった、という説明も納得的。

 本気で制度改革に取り組むのではなく、ヴィジョンや努力目標だったから、唐の脅威が薄れると、律令制度はなし崩しになっていきます。土地は天皇ひとりのものでなくなり、有力者はどんどん荘園を開拓するようになっていくわけですが、建前的には班田収授法が生きているため、せっかく開発した荘園が天皇に没収される危険も残るわけです。

 そうなったとき、在地領主(下司=げし)は中央の貴族や寺社などに領家として荘園を寄進し、年貢の何割かを与える契約で保護を求めるようになります。さらに上の皇族などにも本家として寄進されていき、下司職→領家職→本家職という「職の体系」が完成します。現代的な視点をもちだせば下司~領家~本家の三層構造は単なる「役割分担」ではなく「リスクヘッジのための契約」でした。

 摂関政治で、実質的な権力は藤原氏に移りましたが、「職の体系」の頂点に位置する天皇家には莫大な収入が集まっていたため、王家としての天皇家は政治権力こそ失っても経済力は保持していました。

 しかし、下司職、領家職、本家職が土地の権利を一部だけ持っているという状態は不安定で、それに輪をかけるように院政で上皇たちは貴族たちの土地を収奪し始めます。これは建前として残っていた土地は天皇のものという班田収授法が否定されたことになり、地方の在地領主たちは自力救済を目指すしかなくなり、武装して土地を守る武士の誕生につながります。つまり、院政によって「職の体系」の前提となる班田収授という律令制の前提が否定されたため、リスクヘッジが効かなくなり、農民たちは武装化による自力救済に走るしかなかった、と。

 こうして鎌倉幕府が東日本に成立するのですが、承久の乱による武士の勝利で「職の体系」はさらに弱体化し、土地本位システムの鎌倉幕府の優位が固まります。しかし、鎌倉幕府も中国から流入した銅銭の貨幣経済の浸透で基盤が緩み、蒙古襲来をきっかけに終焉を迎えます。

 また、日本では宗教人がそれほど尊敬を集めませんが、それは本来、厳しい修行が必要にもかかわらず、世襲化されていったことに関係している、というあたりも面白かったです。

 古代では神官よりも僧侶の方が、与えられる位が格段に高かく、江戸時代まで天皇や皇后の葬儀はずっと仏式で行われていました。それは、寺院が荘園の寄進先として有力となり、僧兵など武力も持つようになり、あり得ないことに地位も世襲化されていきました。

 本来は厳しい修行を求められたであろう武家の宗派である禅宗も変質していき、あちこちで修行するスタイルから、師匠から弟子へ教えを受け継がせる直系相続のスタイルに変化していきます。

 例えば紅葉やつつじで有名な京都の青蓮院門跡は、最澄が比叡山に開いた僧坊「青蓮坊」が起源です。しかし、鳥羽天皇の第七皇子が入寺して以降、荘園の寄進先となり代々皇族や五摂家出身の門主が住職を務める門跡寺院となりました。武家の世の中になって以降では、室町幕府第6代将軍・足利義教(1394-1441)が有名。義満の四男として生まれた義教は幼少期に入室、義円と名乗り天台座主に補せられましたが、1429年にくじ引きで5代義量の後継者として還俗・将軍に就任したのは有名です。

 本来は実力主義(修行)であるはずの宗教すら、日本では世襲という強力な横糸に絡め取られ、修行などは関係なくなっていったわけです。還俗して将軍になれるほど、当時の宗教界は世襲システムに組み込まれていたわけで、悟りよりも血筋が優先されるという、宗教の本質を覆すような徹底した世襲社会の姿がここにあるわけです。

 本書のユニークな点は、歴史学に人類学的な視点を持ち込んでいることで、本郷先生はエマニュエル・トッドの『家族システムの起源』を重視し、西日本が経済的に優位を保っていた理由のひとつにしています。トッドは従来の人類学的な常識を覆し、「人類の根源的な家族形態は核家族である」という仮説を提示しています。徳川幕府の治世がうまくいったのは列島を同質なものとしては認識せず、東日本で世襲の直系家族による土地所有を認める一方、「職の体系」が残っていた西日本では日本古来の双処的核家族が残っていたことも認めたからだ、と。それは西南雄藩などで商業資本の発達を促して明治維新にもつながった、と。

 東の直系家族と西の核家族という二重構造を認めた徳川の統治が、結果として明治維新のエネルギーを育んだという指摘は、単なる過去の話ではなく、今の列島の地域格差や多様性を考えるヒントになるかもしれません。

[目次]

「天下分け目の関ヶ原」は三度あった
律令制は「絵に描いた餅」
応仁の乱、本当の勝者は?
銭が滅ぼした鎌倉幕府
皇位継承 ヨコとタテの違い
川中島の戦い、真の勝者は武田信玄
貴族と武士の年収は一桁違う?

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『明治キワモノ歌舞伎 五代目尾上菊五郎の時代』矢内賢二

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『明治キワモノ歌舞伎 五代目尾上菊五郎の時代』矢内賢二、講談社学術文庫

 年末に買っていて楽しみながら読み進めていた本。

 五代目菊五郎は九代目市川團十郎、初代市川左團次とともに「團菊左時代」の時代を築いた、みたいなイメージしかなかったのですが、明治維新という大転換の中で、積極的に実社会のスキャンダルを芝居にするキワモノを上演し、「時代の最先端(スキャンダル、事件、テクノロジー)を貪欲に喰らい尽くそうとした、ハイパー・リアリズムの探求者」としての姿が描かれています。

 さんざんいろんな事に挑戦したものの、九代目市川團十郎の活歴も堅苦しすぎて大衆からは敬遠されて大きな動きにはならず、五代目菊五郎も病を得てから古典に戻るというか、キワモノ系は川上音二郎の系譜に負け、歌舞伎界全体が所作事の伝承に戻らざるを得なくなった、みたいな大きな流れも描いてくれています。

 白眉は「第二章 明治の闇には悪女がいる」でしょうか。ここで取り上げられている芝居の「高橋お伝」や「お粂」のエピソードは、当時の歌舞伎が現在の「ワイドショー」や「実録犯罪ドキュメンタリー」の役割を担っていたことを物語っています。

 どちらもいまとなっては再演されていませんが『綴合於伝仮名書(とじあわせおでんのかなぶみ)』は多くの男関係を持ち、金銭目的で男性を殺害した高橋お伝が主人公。人気芸者のお粂が身請け先で居場所がなくなり、ついには発作的な殺人を犯してしまうのが『月梅薫朧夜(つきとうめかおるおぼろよ)』という作品。

 由緒正しき首切り浅右衛門による最後の斬首となり、局部が切り取られて東大医学部に今でも保存されている『綴合於伝仮名書』は明治の「闇」があまりに濃密すぎて目がくらむほど。でも、内容的には他で紹介されているキワモノと比べればまだ再演可能かな、とも感じます。

 本書でも描かれている通り、五代目菊五郎は研究心旺盛で、二章に取り上げられている悪女物では裁判も見物に行っていますし、三章で取り上げられる風船乗スペンサーを演じた『風船乗評判高閣』(ふうせんのりうわさのたかどの)ではもちろん実際に見物に行っただけでなく、劇中で喋る台詞のために慶応に英語を習いに行くなど本当に熱心。ここでは五代目の「新しもの好き」が極まった感があります。

 『風船乗評判高閣』では浅草凌雲閣でなぜか圓朝とスペンサーによる風船乗と落下傘降下を見る場面を入れたりするのですが、実際、圓朝には劇中の幽霊の仕草を褒められたりしていまして、名人二人の関係性はどうなっていたんだろう、ともっと知りたくなりました(p.60)。

 大衆の欲望に応える形で幽霊物、悪女の起こした殺人事件とその裁判、外国人による見世物と時代と寝てきた五代目菊五郎ですが、最大の見世物は戦争。

 若い頃に経験した旧幕臣と官軍との上野戦争も二十三回忌追善興行と銘打って興行にかけてしまうのですが、さらに「外国との戦争は実際、どういうものなのか」「戦地はどうなっているのか」という時節柄の極北となる日清戦争の舞台化にかけては自由党烈士から寄席芸人になったという川上音二郎に負けてしまいます。

 どんなに新しい事件を扱っても、歌舞伎の「様式(ドンパチや小芝居)」というフィルターを通すと、どうしても「古臭い見世物」になってしまいます。

 こうした歌舞伎的手法で派手な場面を描いて小芝居で繋ぐというスタイルが、実際に現地を訪問してそれを語り、オッペケペー節で歌う川上音二郎にかなうはずもありません。

 やがて年齢も重ね病を得た五代目は所作の記録に活路を見出し、六代目菊五郎を含む実子たちは九代目團十郎に育てられていくことになります。しかし、川上音二郎に情報の鮮度で敗れたことは、歌舞伎が「ニュース(実録)」という役割を捨て、「永遠の様式(古典)」へと純化する契機となったのかもしれません。

 彼らが命を削って挑戦した「新しさ」の多くは時代の波に消え、皮肉にも彼らが遠回りして帰結した「型」や「所作」だけが、今の私たちに「伝統」として届いている、と。でも、やりきった末の敗北があったからこそ、五代目は「古典の伝承」へと回帰し、それが後の六代目菊五郎による「近代歌舞伎の完成」へと繋がっていったのでしょうし、この皮肉な歴史の連鎖は、一種の歌舞伎なのかもしれません。

 五代目が求めた「生々しさ」は、六代目では「型の中に潜む真実」へと昇華し、現代歌舞伎の写実の基本となりました。六代目が『鏡獅子』などで見せたという汗の飛び散るような激しい躍動の中には、父が裁判所や風船乗りの現場で目撃した「むき出しの人間」への執着が、美しく結晶化して息づいているともいえます。六代目は『お祭り』などでも見せる激しい踊りの中に、父が求めたキワモノを踊りの躍動に込めました。六代目は、五代目菊五郎の『大衆性・泥臭さ』と、九代目團十郎の『品格・理論』を見事に融合させました。キワモノの時代を潜り抜けたからこそ、格調高い古典に血の通った命を吹き込むことができた、みたいな。

目次
はじめに―― 人悦ばせの菊五郎

第一章 散切り頭と神経病
どれが女か男やら『富士額男女繁山(ふじびたいつくばのしげやま)』
幽霊より人が怖い『木間星箱根鹿笛(このまのほしはこねのしかぶえ)』

第二章 明治の闇には悪女がいる
高橋お伝は妖怪か『綴合於伝仮名書(とじあわせおでんのかなぶみ)』
居場所のない女『月梅薫朧夜(つきとうめかおるおぼろよ)』

第三章 見世物は世界をひらく
サーカスがやってきた! 『鳴響茶利音曲馬(なりひびくちゃりねのきょくば)』
見上げる人たち『風船乗評判高閣(ふうせんのりうわさのたかどの)』

第四章 軍服を着た菊五郎
風呂屋の亭主と上野の宮様『皐月晴上野朝風(さつきばれうえののあさかぜ)』
日清戦争で負けたのは誰だったか『海陸連勝日章旗(かいりくれんしょうあさひのみはた)』

結び――たんすのひきだし
参考文献
あとがき
学術文庫版あとがき

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