March 03, 2026

『日本史の法則』本郷和人

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『日本史の法則』本郷和人、河出新書

 本郷先生の本は読みやすいので連チャン。というか耳にタコができるほど聞いた話ばかりですが、それでも改めて読むと面白いかな、と。

「いい国(1192)」でも「いい箱(1185)」でもない?幕府成立の真実

 お得意の中世史では、武家政権が始まった鎌倉幕府の成立はいつか?という問題が丁寧に説明されています。

 頼朝が征夷大将軍に任じられた1192年も、大将軍には本質的な意味はありませんでした。ということで、1185年に頼朝が強引に守護・地頭を設置し、全国の土地と人民を支配する権限を得たのが鎌倉幕府の成立年であると最近の教科書には書かれていますが、本質的に考えれば関東の武士が頼朝を立てて反旗を翻して独自の東国政権を打ち立てた1180年ではないか、と述べられています。

 付け加えれば、頼朝が政所を開いた1191年も成立年の有力候補ですが、頼朝と主従関係を結んだ御家人層に対して適用されたものであって、後年の御成敗式目もあくまでも武家法にすぎませんでした。

「征夷大将軍」というポストに実質的な意味はない?

 1192年には頼朝が朝廷から征夷大将軍に任命されましたが、征夷大将軍という官職は、朝廷に従わない蝦夷を征伐するために、奈良時代に坂上田村麻呂に与えられた単なる官職で、全国の土地と人民に対する統治権ではありません。

 また、朝廷はポストを与える存在として生き延びていくことになりますが、そもそも日本ではポストにあまり意味はない、と。

 さらに征夷大将軍という名称も、他の大将軍名称と比べて縁起がよさそうだからというだけで選ばれただけのものです。確かに足利尊氏も、徳川家康も征夷大将軍に任命されて室町幕府、江戸幕府を開いて武家政治を開始したとされますが、本質的な意味はなかった、と。

 そもそも朝廷側は、鎌倉幕府を全国の土地と人民を支配する朝廷に替わる新しい政権として認めたわけではありません。もし幕府に全国の支配を認めていたのであれば、後鳥羽上皇による承久の乱は起きなかったわけです。この後、後醍醐天皇の建武の新政も3年で終わり、朝廷の反乱や政権奪取の試みは起きなくなります。

「家」に命を懸ける日本独自の主従システム

 日本人はシステムではなく、家に帰属するため、個人は家に包摂されます。武士の主従関係でも望まれるのは、主人のために命を投げ出すこと。

 逆に言えば、命を投げ出して戦いさえすれば、手柄を上げることがなくとも、主人は残された家族に、ご褒美を与えてくれるシステム。この主従関係が関東で成立したのが1180年だった、と。

 また、元寇に対処した執権、北条時宗に関しては無能という評価。元からの国書は丁寧な内容だったのですが、北条氏側の無知ゆえに戦争になってしまったという。さらには、褒賞として与える新たな土地もなく、御家人たちの不満は高まり、結局、霜月騒動による御家人同士の共食いを経て、鎌倉幕府は滅びます。この元寇時の鎌倉幕府の対応については、他の本郷本より丁寧に解説しています。

 4章の「信じる者は、救われない 信じると大虐殺が…」では『梁塵秘抄』の「仏は常にいませども 現(うつつ)ならぬぞ あはれなる 人の音せぬ暁に ほのかに夢に見えたまふ」(意訳:仏は寝静まった暁に夢の中ぐらいにしか姿を見せない=いない)を思い出しました。夢の中ぐらいにしか姿を見せない。救いを求めても届かない虚無感と、それでも何かを信じずにはいられなかった人の業のようなものを感じました。

[目次]
1 日本は一つ、ではない この国は西高東低
2 歴史も一つ、ではない もしも、あのとき……
3 日本の歴史は、ぬるい 変わるときは外圧
4 信じる者は、救われない 信じると大虐殺が……
5 地位より人、血より家 世襲が、強い
6 日本社会は平等より平和を選び、自由をはぐくんでいた

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February 26, 2026

『日本史のツボ』本郷和人

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『日本史のツボ』本郷和人、文春新書

 個人的に中世の権力については権門体制論よりも東国国家論の方がスッキリしていると感じていますので、本郷先生のご著書は大好きです。本書ではダイナミックなシステムの変化によって日本史を解き明かす7つのツボを紹介してくれています。

 天皇、土地、宗教、軍事、地域、女性、経済という七つの「ツボ」を押さえれば、日本の通史がつかめる、という内容で、権力の分割を縦糸に世襲が横糸になって織り上げられている感じがします。

 古代の大王は軍事、祭祀、裁判、行政など様々な権力を一手に集中していたので代替わりには血で血を洗う争いが繰り広げられていましたが、それが時代と共に貴族、武士などに権力が分けられていって、江戸期には最終的に文化的なものしか残らなかったという説明はクリアカットでわかりやすい。こうした過程でシステムを厳格に運用するのではなく、衝突を避ける日本的知恵による「ゆるさ」が遺憾なく発揮されていきます。

 大化の改新で押し進められた律令制は、実際、それによる統治が行われたというよりも、大陸からの外圧に対して国の結束を固めるためのヴィジョン、もしくは努力目標だった、という説明も納得的。

 本気で制度改革に取り組むのではなく、ヴィジョンや努力目標だったから、唐の脅威が薄れると、律令制度はなし崩しになっていきます。土地は天皇ひとりのものでなくなり、有力者はどんどん荘園を開拓するようになっていくわけですが、建前的には班田収授法が生きているため、せっかく開発した荘園が天皇に没収される危険も残るわけです。

 そうなったとき、在地領主(下司=げし)は中央の貴族や寺社などに領家として荘園を寄進し、年貢の何割かを与える契約で保護を求めるようになります。さらに上の皇族などにも本家として寄進されていき、下司職→領家職→本家職という「職の体系」が完成します。現代的な視点をもちだせば下司~領家~本家の三層構造は単なる「役割分担」ではなく「リスクヘッジのための契約」でした。

 摂関政治で、実質的な権力は藤原氏に移りましたが、「職の体系」の頂点に位置する天皇家には莫大な収入が集まっていたため、王家としての天皇家は政治権力こそ失っても経済力は保持していました。

 しかし、下司職、領家職、本家職が土地の権利を一部だけ持っているという状態は不安定で、それに輪をかけるように院政で上皇たちは貴族たちの土地を収奪し始めます。これは建前として残っていた土地は天皇のものという班田収授法が否定されたことになり、地方の在地領主たちは自力救済を目指すしかなくなり、武装して土地を守る武士の誕生につながります。つまり、院政によって「職の体系」の前提となる班田収授という律令制の前提が否定されたため、リスクヘッジが効かなくなり、農民たちは武装化による自力救済に走るしかなかった、と。

 こうして鎌倉幕府が東日本に成立するのですが、承久の乱による武士の勝利で「職の体系」はさらに弱体化し、土地本位システムの鎌倉幕府の優位が固まります。しかし、鎌倉幕府も中国から流入した銅銭の貨幣経済の浸透で基盤が緩み、蒙古襲来をきっかけに終焉を迎えます。

 また、日本では宗教人がそれほど尊敬を集めませんが、それは本来、厳しい修行が必要にもかかわらず、世襲化されていったことに関係している、というあたりも面白かったです。

 古代では神官よりも僧侶の方が、与えられる位が格段に高かく、江戸時代まで天皇や皇后の葬儀はずっと仏式で行われていました。それは、寺院が荘園の寄進先として有力となり、僧兵など武力も持つようになり、あり得ないことに地位も世襲化されていきました。

 本来は厳しい修行を求められたであろう武家の宗派である禅宗も変質していき、あちこちで修行するスタイルから、師匠から弟子へ教えを受け継がせる直系相続のスタイルに変化していきます。

 例えば紅葉やつつじで有名な京都の青蓮院門跡は、最澄が比叡山に開いた僧坊「青蓮坊」が起源です。しかし、鳥羽天皇の第七皇子が入寺して以降、荘園の寄進先となり代々皇族や五摂家出身の門主が住職を務める門跡寺院となりました。武家の世の中になって以降では、室町幕府第6代将軍・足利義教(1394-1441)が有名。義満の四男として生まれた義教は幼少期に入室、義円と名乗り天台座主に補せられましたが、1429年にくじ引きで5代義量の後継者として還俗・将軍に就任したのは有名です。

 本来は実力主義(修行)であるはずの宗教すら、日本では世襲という強力な横糸に絡め取られ、修行などは関係なくなっていったわけです。還俗して将軍になれるほど、当時の宗教界は世襲システムに組み込まれていたわけで、悟りよりも血筋が優先されるという、宗教の本質を覆すような徹底した世襲社会の姿がここにあるわけです。

 本書のユニークな点は、歴史学に人類学的な視点を持ち込んでいることで、本郷先生はエマニュエル・トッドの『家族システムの起源』を重視し、西日本が経済的に優位を保っていた理由のひとつにしています。トッドは従来の人類学的な常識を覆し、「人類の根源的な家族形態は核家族である」という仮説を提示しています。徳川幕府の治世がうまくいったのは列島を同質なものとしては認識せず、東日本で世襲の直系家族による土地所有を認める一方、「職の体系」が残っていた西日本では日本古来の双処的核家族が残っていたことも認めたからだ、と。それは西南雄藩などで商業資本の発達を促して明治維新にもつながった、と。

 東の直系家族と西の核家族という二重構造を認めた徳川の統治が、結果として明治維新のエネルギーを育んだという指摘は、単なる過去の話ではなく、今の列島の地域格差や多様性を考えるヒントになるかもしれません。

[目次]

「天下分け目の関ヶ原」は三度あった
律令制は「絵に描いた餅」
応仁の乱、本当の勝者は?
銭が滅ぼした鎌倉幕府
皇位継承 ヨコとタテの違い
川中島の戦い、真の勝者は武田信玄
貴族と武士の年収は一桁違う?

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『明治キワモノ歌舞伎 五代目尾上菊五郎の時代』矢内賢二

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『明治キワモノ歌舞伎 五代目尾上菊五郎の時代』矢内賢二、講談社学術文庫

 年末に買っていて楽しみながら読み進めていた本。

 五代目菊五郎は九代目市川團十郎、初代市川左團次とともに「團菊左時代」の時代を築いた、みたいなイメージしかなかったのですが、明治維新という大転換の中で、積極的に実社会のスキャンダルを芝居にするキワモノを上演し、「時代の最先端(スキャンダル、事件、テクノロジー)を貪欲に喰らい尽くそうとした、ハイパー・リアリズムの探求者」としての姿が描かれています。

 さんざんいろんな事に挑戦したものの、九代目市川團十郎の活歴も堅苦しすぎて大衆からは敬遠されて大きな動きにはならず、五代目菊五郎も病を得てから古典に戻るというか、キワモノ系は川上音二郎の系譜に負け、歌舞伎界全体が所作事の伝承に戻らざるを得なくなった、みたいな大きな流れも描いてくれています。

 白眉は「第二章 明治の闇には悪女がいる」でしょうか。ここで取り上げられている芝居の「高橋お伝」や「お粂」のエピソードは、当時の歌舞伎が現在の「ワイドショー」や「実録犯罪ドキュメンタリー」の役割を担っていたことを物語っています。

 どちらもいまとなっては再演されていませんが『綴合於伝仮名書(とじあわせおでんのかなぶみ)』は多くの男関係を持ち、金銭目的で男性を殺害した高橋お伝が主人公。人気芸者のお粂が身請け先で居場所がなくなり、ついには発作的な殺人を犯してしまうのが『月梅薫朧夜(つきとうめかおるおぼろよ)』という作品。

 由緒正しき首切り浅右衛門による最後の斬首となり、局部が切り取られて東大医学部に今でも保存されている『綴合於伝仮名書』は明治の「闇」があまりに濃密すぎて目がくらむほど。でも、内容的には他で紹介されているキワモノと比べればまだ再演可能かな、とも感じます。

 本書でも描かれている通り、五代目菊五郎は研究心旺盛で、二章に取り上げられている悪女物では裁判も見物に行っていますし、三章で取り上げられる風船乗スペンサーを演じた『風船乗評判高閣』(ふうせんのりうわさのたかどの)ではもちろん実際に見物に行っただけでなく、劇中で喋る台詞のために慶応に英語を習いに行くなど本当に熱心。ここでは五代目の「新しもの好き」が極まった感があります。

 『風船乗評判高閣』では浅草凌雲閣でなぜか圓朝とスペンサーによる風船乗と落下傘降下を見る場面を入れたりするのですが、実際、圓朝には劇中の幽霊の仕草を褒められたりしていまして、名人二人の関係性はどうなっていたんだろう、ともっと知りたくなりました(p.60)。

 大衆の欲望に応える形で幽霊物、悪女の起こした殺人事件とその裁判、外国人による見世物と時代と寝てきた五代目菊五郎ですが、最大の見世物は戦争。

 若い頃に経験した旧幕臣と官軍との上野戦争も二十三回忌追善興行と銘打って興行にかけてしまうのですが、さらに「外国との戦争は実際、どういうものなのか」「戦地はどうなっているのか」という時節柄の極北となる日清戦争の舞台化にかけては自由党烈士から寄席芸人になったという川上音二郎に負けてしまいます。

 どんなに新しい事件を扱っても、歌舞伎の「様式(ドンパチや小芝居)」というフィルターを通すと、どうしても「古臭い見世物」になってしまいます。

 こうした歌舞伎的手法で派手な場面を描いて小芝居で繋ぐというスタイルが、実際に現地を訪問してそれを語り、オッペケペー節で歌う川上音二郎にかなうはずもありません。

 やがて年齢も重ね病を得た五代目は所作の記録に活路を見出し、六代目菊五郎を含む実子たちは九代目團十郎に育てられていくことになります。しかし、川上音二郎に情報の鮮度で敗れたことは、歌舞伎が「ニュース(実録)」という役割を捨て、「永遠の様式(古典)」へと純化する契機となったのかもしれません。

 彼らが命を削って挑戦した「新しさ」の多くは時代の波に消え、皮肉にも彼らが遠回りして帰結した「型」や「所作」だけが、今の私たちに「伝統」として届いている、と。でも、やりきった末の敗北があったからこそ、五代目は「古典の伝承」へと回帰し、それが後の六代目菊五郎による「近代歌舞伎の完成」へと繋がっていったのでしょうし、この皮肉な歴史の連鎖は、一種の歌舞伎なのかもしれません。

 五代目が求めた「生々しさ」は、六代目では「型の中に潜む真実」へと昇華し、現代歌舞伎の写実の基本となりました。六代目が『鏡獅子』などで見せたという汗の飛び散るような激しい躍動の中には、父が裁判所や風船乗りの現場で目撃した「むき出しの人間」への執着が、美しく結晶化して息づいているともいえます。六代目は『お祭り』などでも見せる激しい踊りの中に、父が求めたキワモノを踊りの躍動に込めました。六代目は、五代目菊五郎の『大衆性・泥臭さ』と、九代目團十郎の『品格・理論』を見事に融合させました。キワモノの時代を潜り抜けたからこそ、格調高い古典に血の通った命を吹き込むことができた、みたいな。

目次
はじめに―― 人悦ばせの菊五郎

第一章 散切り頭と神経病
どれが女か男やら『富士額男女繁山(ふじびたいつくばのしげやま)』
幽霊より人が怖い『木間星箱根鹿笛(このまのほしはこねのしかぶえ)』

第二章 明治の闇には悪女がいる
高橋お伝は妖怪か『綴合於伝仮名書(とじあわせおでんのかなぶみ)』
居場所のない女『月梅薫朧夜(つきとうめかおるおぼろよ)』

第三章 見世物は世界をひらく
サーカスがやってきた! 『鳴響茶利音曲馬(なりひびくちゃりねのきょくば)』
見上げる人たち『風船乗評判高閣(ふうせんのりうわさのたかどの)』

第四章 軍服を着た菊五郎
風呂屋の亭主と上野の宮様『皐月晴上野朝風(さつきばれうえののあさかぜ)』
日清戦争で負けたのは誰だったか『海陸連勝日章旗(かいりくれんしょうあさひのみはた)』

結び――たんすのひきだし
参考文献
あとがき
学術文庫版あとがき

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February 18, 2026

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』アンディ・ウィアー

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『プロジェクト・ヘイル・メアリー』アンディ・ウィアー、小野田和子訳、ハヤカワ文庫

 普段は小説は読まないので『火星の人』もAmazon Primeの映画で観ただけでしたが、今年に入って、あまりにも世の中の動きが激しく、自民党が衆議院で2/3の議席を獲得するまでになりました。イランもキューバもウクライナ侵攻も動きが激しくて目が離せません。

 ということで、ジムで筋トレから有酸素まで運動している間にAudibleで聴いたのが『プロジェクト・ヘイル・メアリー』でした。元経済紙の記者だった方が、病を得て、一時的に本を読めなくなった時、なんにも考えずに楽しめるAUdibleで「再読」しているというのをSNSで読んだので選んだという。

 確かに抜群に面白かったし、邂逅する異星人(あだ名はロッキー)の可愛らしさ、いじらしさにはやられました。

 人工睡眠で失われて記憶が宇宙船の現在と、過去の地球での出来事が入れ子のように進む構成も効果的。主人公の記憶がもどってくる過程が宇宙船のマニュアルともなっていくから情報の洪水に溺れることはありません。

 「火星の人」も同じようにひとりの視点が多いと思うのですが、それも読みやすさのひとつなのかな、と。

 ライアン・ゴスリン主演の映画も初日に行こうと思います。

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February 08, 2026

『古今和歌集 新古今和歌集』(日本の古典をよむ 5)

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『古今和歌集 新古今和歌集』(日本の古典をよむ 5)原文編

 こんなことを書いても仕方ないかもしれませんが、今年に入って本を全く読めていません。

 トランプがマドゥーロを捕獲して始まった2026年、イランでは民衆が神権政治に異議を唱えて大きなデモを起こし、中国ではプーさんが軍事部門の粛清を進めるなかで一部では反発も起きたみたいだし、日本では早苗ちゃんが衆院を解散して総選挙に突入、立民と信濃町が野合するなど世の中の動きが早く、それを追ってる方が面白すぎて…。

 まあ、備忘録的に、こんなグチを残してもいいかな、と。

 そんな中でジムワーク中に聴いていたのが『古今和歌集 新古今和歌集』。心が安まるというか、頭の中の動きが少し沈静化するというか。

 これは紀貫之らによって編まれた最初の勅撰集『古今和歌集』と、鎌倉初期、後鳥羽上皇の命により藤原定家らが編んだ『新古今和歌集』から約300首を選んで収録した本。

 それにしても『新古今和歌集』で、西行は全20巻の中で最多となる94首をとられていたんですね。

 西行の歌で一番好きなというか、印象に残っているのは、会社を辞めて、東海道を歩いてみようと思っていた時期、中山峠でも出会ったこの歌碑の歌です。

年たけて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり 小夜の中山

 ということで、まだ社会学や歴史関係の本は全く読めていないので、ネット上の経済関係のジャーナリストがお勧めしていた『ヘイル・メアリー』を遅まきながらAudibleで聴いてます。スーパー・ボウルでもヘイル・メアリー(神頼みのロングパス)が見られるかなw

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January 03, 2026

『睡眠の起源』金谷啓之と『知覚の現象学』

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『睡眠の起源』金谷啓之、講談社現代新書

 ヒドラと人類の分類は6億年も前で、脳を持たないのにヒドラも「眠る」そうです。植物であるオジギソウでも睡眠に似た状態があり、オジギソウに麻酔薬を作用させるとお辞儀をしなくなるように、植物にも麻酔が効くみたいな驚きが本書から得られます。となると、睡眠を司る器官は脳に限定されるものではないという考え方が可能です。睡眠に関与する遺伝子がショウジョウバエや哺乳類でも同様に作用することも証明され、睡眠の仕組みが脳だけでなく、筋肉や腸といった末梢神経にも関わることが示唆されています。

 『睡眠の起源』は、睡眠を脳の副産物ではなく、身体そのものの根源的なあり方として捉え直す契機を与えてくれました。ここでは、その視点をメルロ=ポンティの『知覚の現象学』と重ね合わせることで、「睡眠=意識以前の身体的地平」という読みを提示してみしたいと思います。

 ちなみにヒドラはマウスなどの哺乳類に求められるような倫理的ケアが必要ないとのこと。なぜなら脳がないから。それでも眠る、と。

 睡眠と覚醒は表裏一体にあって、この中の鳥の研究でも示されていたように眠らない個体の方が子孫を守れたり、多く繁栄できたりする、みたいな例もしめされています。ヒドラさえ眠るなら、睡眠が通常で、覚醒が得たものではないかという考えが興味深かったです。あるいは、睡眠とは覚醒時に溜まったものを解消する行為、という考え方も。

 そこから睡眠の起源とはなにか、そもそも意識はどこからくるのかという疑問から、実は運動が意識を形成するという哲学的な考え方が再評価されているという流れの中でメルロー=ポンティの『知覚の現象学』が見直されているというところに感動したので、「意識はいつ生まれるのか」という問題を復習してみようと思います。四十年前、『知覚の現象学』竹内芳郎、小木芳孝、みすず書房は学部の頃、ただガリガリと読んだんですが、改めて読んでみました。金谷さんの議論は新書という形態も含めて科学的記述が中心ですが、それは同時に「意識は脳の中に局在するものではない」という哲学的含意を持っていると感じました。そして、この含意を最も鋭く言語化してきたのが、『睡眠の起源』でも言及されているメルロ=ポンティです。

 「睡眠こそがデフォルトであり、覚醒(意識)は運動のために獲得された付随的な状態である」という逆転の発想は、メルロ=ポンティの意識とは「われ能う」という命題と共鳴していると感じます。ヒドラのような原始的な生物でも、外界の刺激に対して「逃げる」「捕らえる」という運動を必要とします。運動をするためには、「自分の体」と「それ以外の世界」を区別しなければなりません。メルロ=ポンティが言う「意識とは『われ能う』である」という言葉を、『睡眠の起源』に即して解釈すれば、動く必要が生じた瞬間に、生物は世界を意味ある対象として知覚し、意識が点灯するということになります。つまり、動かない植物には(我々の知るような)意識は不要ですが、動く動物はターゲットへ向かうために「ここではないどこか」を志向しなければならなず、その志向性こそが意識の芽生えなのかな、と。

 メルロ=ポンティは『知覚の現象学』で知覚の現象学的構造を明らかにしようとした、と言われています。中心的なテーゼは「知覚の優位性」。彼はデカルトの「我思う、我あり」という心身二元論を否定し、意識の本質が肉体とどのように結びついているかについて、意識の道具的側面と、肉体への内臓的な居住を強調する議論を展開しています。感覚は直接的で自明であるように思えますが、実際には混乱しており、代わりに中心的な位置を占めるのは身体だ、と。ヘーゲルの「主人と奴隷」のように、労働する奴隷が真の主体性を獲得する一方で、享受する主人こそが他者に依存する存在となり、実は身体が意識を決定する、と。つまり、意識(主人)が身体(奴隷)を支配しているようでいて、実は身体がなければ意識は何もできないのかもしれません。

 メルロ=ポンティの「運動が意識を生む」あるいは「運動こそが世界の意味を構成する主体である」という考え方は『知覚の現象学』で主に第1部「身体」のIII「自己の身体の空間性、および運動性」の節で展開されています。

 最初に強調されるのは身体図式の重要性。

 《〈身体図式〉とは、私の身体が世界内存在である〔世界にぞくする〕ことを表現するための一つの仕方》だ、と(p.176)。

 《もし身体空間と外面的空間とは一つの実践的体系を形成しており、そのうち前者はわれわれの行動の目的として対象がその上に浮き出して来ることのできるための地、もしくはそれがその前に現出して来ることのできるための空虚だとするならば、あきらかに行動のなかでこそ身体の空間性は完成されるのであり、自己の運動の分析によって、身体の空間性もよりよく了解することができるようになるはずである。身体を運動において考察することによって、身体がどのように空間のなかに(のみならず時間のなかに)住まうかもよりよく解るのであって、それというのも、運動というものは、空間と時間とを単に身に蒙るだけでは満足せず、それらをみずから進んで身に引き受けるものだからであり、空間と時間とを、既成の状況の平板さのなかでは消え失せているその根源的意味のなかで把え直すものだからである。そこでわれわれとしては、身体と空間との根本的諸関係をあらわに見せるような病的な運動性の一症例をつぎにとり上げて、それをじっくり分析してみたいものだと思っている》(p.179)。

 こうした視点から考えると睡眠は身体図式の再構築の時間と位置づけられるかもしれせん。つまり、日中の運動によって摩耗・混乱した「身体と世界の境界線(身体図式)」を、一度入力を遮断して(睡眠)整え直す作業であり、メルロ=ポンティの考え方からすれば、覚醒(運動/意識)が「図」であり、睡眠がそれを支える「地」となるかもしれません。「地」が安定していなければ、「図」は鮮明に描き出せませんから。

 《私の身体全体も、私にとっては、空間中に配置された諸器官の寄せ集めではない。私は私の身体を、分割のきかぬ一つの所有のなかで保有し、私が私の手足の一つ一つの位置を知るのも、それらを全部包み込んでいる一つの身体図式(schema corporel)によってである》(p.172)。

 ヒドラには脳がありませんが、網状神経系があります。メルロ=ポンティは身体を「触れるもの」であると同時に「触れられるもの」でもあるという両義性でも語っていると思います。そうなるとヒドラの睡眠は能動的に世界に働きかける運動をやめ、世界の中に完全に浸りきる受動状態として捉え直すことが可能かもしれません。

 最初の方にも触れた通り、金谷啓之さんは『睡眠の起源』の中で脳がないからヒドラの実験には倫理的ケアが不要とやや疑問をいだきつつ書いていますが、こう考えると、脳以前の身体そのものが持つ根源的な生という哲学的な深みのある議論をしようとしているのかもしれません。金谷さんが明らかにしたヒドラが眠るという事実は、倫理とは脳を持つ主体にのみ向けられるべきものなのかという問いも、私たちに静かに突きつけているのかもしれません。

 身体図式(schema corporel)とは意識せずに身体の各部位の位置や関係性を把握し、無意識下で身体の動きを調整する「身体の内部モデル」のことで、身体のイメージや自己の身体感覚を指し、運動、知覚、自己認識の基盤となる概念です。

 さらに付け加えるとメルロ=ポンティは「志向的弧」(仏: arc intentionnel、英: intentional arc)という考えも示しています。これは心身二元論を批判し、身体が世界と関わり、行為し、知覚する能力を説明するための中心的な概念であり、身体図式とも深く関連しています。これによって身体図式が単なる静的な身体の配置図ではなく、世界の中で可能な行為のシステムとして動的に機能することを可能にしています。

 具体的には意識的な思考とは異なり、身体レベルでの「機能する志向性」や「潜在的志向性」によって私たちが意識せずとも環境に適応し、効率的に行動できる、と。

 《それはもはや経験の経過で確立された諸連合の単なる結果ではなくて、相互感覚的世界における私の姿勢について包括的な意識、ゲシュタルト心理学の意味における一つの〈形態〉だ、ということになろう》(p.174)。

 《意識とは一つの投射活動であって、諸対象を自分自身の行為の痕跡として自分のまわりに投下するが、また逆にそれらの諸対象を支えとして他の自発的諸行為と移行してくもの》(p.230)なので《人間は〈精神〉だから物を見るのだとも、人間は物を見るから〈精神〉だとも言うことはできない》のであり《意識が或る物についての意識であるのは己の背後に己れの航跡を残していく》。そして疾病によって分解された場合は《己の上部構造の土台の方は崩壊してしまったのにその上部構造だけをなをも維持しようとする〔病者における〕意識の努力なので》(p.231)あり、《意識とは、原初的には〈われ惟う〉ではなく〈われ能う〉である》(p.232)。

 ヒドラは餌を捕らえる運動をすることで初めて、世界は「単なる空間」から「餌がある場所」へと意味化されます。脳のないヒドラにおいて、運動は純粋な反射に見えます。しかし、メルロ=ポンティに従えば、その運動の繰り返しが世界に意味の澱を溜めていくことになります。意識とは、最初からそこにあるスポットライトではなく、運動という船が進んだ後に残る『航跡』のようなものとして、後天的に、かつ身体的に立ち現れるのではないか、と。

 金谷さんが指摘するように、筋肉や腸といった末梢が睡眠に関与している事実は、メルロ=ポンティの「身体図式」は脳内に閉じこもった計算機ではなく、全身の肉的なダイナミズムであることを裏付けています。睡眠中、私たちは「われ能う」という志向性を解除し、身体図式をメンテナンスすることで、翌朝再び世界を『意味あるもの』として構築し直す準備をしているのかもしれません。

 運動は単なる位置の変化ではなく、身体が環境との間に結ぶ「対話」であり、人間が世界を理解できるのは、身体が運動を通じて常に世界へ自分を投げ出している(投企)からです。つまり、運動が止まれば、世界が持つ「意味」もまた崩壊する、と。

 それにしても、かつて難しく抽象的な議論だと思っていたメルロ=ポンティの『知覚の現象学』が、四十年後の今、ヒドラの収縮運動という具体的な生物学として目の前に現れたのですから、本当に素晴らしい読書体験でした。

 『睡眠の起源』は、睡眠を説明する本であると同時に、「意識とは何か」「身体とは何か」を問い返してくれます。ヒドラの眠りを通して、メルロ=ポンティが思索した〈われ能う〉以前の生の地平が、思いがけず現代科学の中から立ち上がってくる本書は、その驚きを改めて与えてくれる稀有な新書でした。

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December 18, 2025

『移動と階級』伊藤将人

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『移動と階級』伊藤将人、講談社現代新書

 恥ずかしながら「移動資本」という概念を初めて知りました。移動できる資力、経験、機会などが明らかに年収によって違ってくることもあり、移動には社会、経済、政治的な問題が関わってくる、と。

 00年代で一番印象に残っているのは"Bowling Alone" Robert D. Putnamで、そこで社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)という概念を知って驚いたんですが、ひょっとしてそれ以来かも。パットナムは「つながり」の欠如が民主主義や幸福を損なうと説いたのですが、本書は「移動」という、一見個人の自由に見える行為が、実は極めて構造的な「資本(Asset)」であることをことを突きつけてきます。

 移動資本が高い人はどんどん資本力を高め、観光だけでなく仕事でもどんどん移動して成功するチャンス、ネットワークを構築する機会を高め、さらに資本は豊かになるし、経験を高めることでますます移動しやすくもなる一方、交通インフラが脆弱で年収も低めな地方在住者は移動機会が少なく、「実質的な移動能力(モビリティ・ケイパビリティ)」の面でどんどん差が広がるばかりというのは考えてみれば当たり前ですが、ここまで可視化されると驚きとなります。

 日本国憲法第22条では居住、移転の自由が保障されていますが、移動資本やネットワーク資本というものが移動可能性に強く関係しています。

 実際、日本の半数弱の人々は自分を「自由に移動できない人間」だと思っており、5人に1人は移動の自由さに満足しておらず、3人に1人が他人の移動を「羨ましい」と思っている、というのは、衝撃的な数字でした。このほか、日本では3人に1人が直近1年以内に都道府県外の旅行をしたことがなく、海外旅行に行けなかった理由の1位は「料金が高い」から、と。

 「富める者はますます富み、貧しき者はますます貧しくなる」という「マタイ効果」がこんなにも見事に現れているとは…

 また、家族の有無や体力などでも移動経験は奪われ、これによる男女差もある、というのも納得です。このほか女性の自動車事故の重症比率は男性の1.5〜1.7倍高いというのは衝撃的です。衝突実験に使われるダミーは177cm,75kgぐらいの男性サイズで、女性サイズで実験が行われるようになったのは2010年代以降とのこと(確かに友人のうち女性ではパスポートを持っていなかったり、新幹線などもあまり乗らない人もいます)。

 個人的には都心で生まれ、新幹線、航空機など高速移動手段を簡単に使え、外国を含めていつでも、どこでも行ける環境にはありましたし、社会人になってからも日本国内は全都道府県で一泊以上させてもらいました。また、海外にも行かせてもらっていたのは、特権的だったのかも…と感謝してしまいました

 さらに個人的な話しを付け加えると、新聞記者が経験豊富に感じるのは移動資本が大きいからなのかも…。記者は社費(組織の資本)を使って、通常ではアクセスできない場所や人へ移動できます。この「移動の機会」が、個人の知見やネットワークとして蓄積され、結果として大きな「移動資本」を形成していくというのはプロフェッショナル層における格差の源泉とも言えそうです。

 「移動すればするほど人は成功する」みたい本もありますが、移動格差というものがこの社会に存在するということに目を向ける必要があるのかもしれません。

 ウーバーイーツは移動の再分配であり、都市では3回配達すると1000円もらえることがセーフティネットになっているというあたりもおもしろかった。これは、動けない富裕層・多忙層やリモートワークなどで働ける中流の人々が金を払って「移動」をアウトソーシングし、その食事を運ぶのは動くことで稼ぐ労働層が自分の移動を「資本」として切り売りし、セーフティネットとするという関係です。都市部における移動の需要と供給が、そのまま階級構造を反映しているという指摘は、都市の見え方を一変させます。

 このほか
・旅行による二酸化炭素の増加は、気候が激しさを増すことにつながり、移動の困難さも生むという再帰的な関係がある
・米国でクルマを寝床にするノマド労働者は白人が多い
・通勤が現代社会の豊かさをつくった

 なんていうあたりも印象的でした。

 また、書評でヒステリックに内容を否定するものが散見されるのは、移動できないということが格差である、ということを認めたくない人が多いのかも…などとも考えてしまいました。

【目次】
第1章 移動とは何か?
第2章 知られざる「移動格差」の実態
第3章 移動をめぐる「7つの論点」
第4章 格差解消に向けた「5つの観点と方策」
「移動」をもっと考えるためのブックリスト

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December 17, 2025

『菅義偉 官邸の決断』菅義偉

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『菅義偉 官邸の決断』菅義偉、ダイヤモンド

 2023年から週刊ダイヤモンドで連載されていた、約8年にわたる内閣官房長官と首相として過ごした総理官邸での日々を振り返った本。首相経験者の回顧録は読み物として面白い本が多く大好きなジャンルなんですが、これは歴代首相のオーラルヒストリーを含めた回顧録の中で一番面白くなかったかな。

 もちろんアベノミクスを安倍首相と二人三脚で進めたことは偉大な実績だと思います。何しろ《安倍政権が発足するまでは、有効求人倍率が0・5倍を超えることすらほとんどない状態が続いていた。それが安倍政権発足後は順調に増えて、16年6月には史上初めて1倍を超え、働きたい人が働ける環境をつくり出すことができた》んですから(k.764、Kはkindle番号)。

 歴代首相には、どこか余裕というか人間的な深みを感じさせる部分があると思うんですが、そうしたものがあまりなく、菅さんは何が好きで嫌いなのかなんていうこともあまりよくわからないし、外国要人とのこぼれ話なんかもない。

 今の話題とリンクするので面白かったのは総理に就任した当時のトランプ大統領からは電話会談で「24時間、いつでも電話してほしい」と伝えられたことですかね。「いつでも電話してほしい」というのは高市首相だけじゃなかったんだ、とw

 あとは、安倍首相との関係で自分のことを秀吉に対する秀長のようにとらえ、2026年の大河ドラマを楽しみにしていると書いているぐらいかな…。でも、それって深みを感じる話しではないし…。

 あるのは、課題とそれの対処だけ。まあ、それでもいいんですけどね…。あと、好感持てるのは常に西暦で書いていること。アホな右翼っぽく元号を硬直的に使わないことかな。

 菅さんが嫌ったのは縦割り省庁と古い慣行だな、というのはよくわかります。

 2019年の台風19号では大規模な洪水が予想されていましたが、これに備えて利水容量の事前放流を実施し、水位を低下させるとで、ダムへの流入量ピーク時に洪水調節容量を超える量の貯留が可能となったんですが《19年当時、日本に1470あるダムの合計容量のうち、水害対策に使えるのは、国土交通省が所管する「多目的ダム」のみ。ダム全体の約3割に当たる570のダムにとどまっていたのだ。では残りの900ものダムはなぜ水害対策に使えないのか。それらは経済産業省が所管する電力用のダムや農林水産省が所管する農業用水用のダムといった「利水ダム」だからだ。経産省や農水省には「水害対策は国交省の仕事」という考えがあり、自らが所管するダムが水害対策に利用できるという発想に至らなかったのだ。これこそ「縦割り」行政の弊害というほかない》(k.131)と。

 また、農協改革の発端については《農協の実態には世間が驚くこととなった。例えば、農協が多くの農家の要望を取りまとめて農薬を一括購入しているにもかかわらず、実に市場価格の2倍以上の値段で売られているといったことが確認された。農家を第一に考えるべき農協が自身の利益を優先していた実態が、この農薬販売の慣行に象徴的に表れていたのである》(k.563)みたいなのはよくわかるのですが…。

[目次]

はじめに

官房長官編

第1章 危機管理の要諦
大規模風水害をダム放水で減災
アルジェリア邦人人質事件の衝撃
誤解流布で猛反発された「特定秘密保護法」
安倍政権「最大の危機」となった平和安全法制
「熊本地震の初動対応」の成果と課題

第2章 産業を生かす
訪日外国人4000万人の道を開いた「観光立国」政策
全国に眠る観光資源を掘り起こせ
60年ぶりの農協大改革
TPP交渉の舞台裏を明かそう

第3章 国家安全保障
沖縄基地問題 解決に向けた大きな一歩
紛糾する沖縄県議会
国際的な観光地への飛躍
尽きることのない拉致問題解決への思い

第4章 国民目線の政策
携帯料金「4割値下げ」発言の舞台裏
「夢の新薬」オプジーボの薬価引き下げ
寄付総額1兆円に達したふるさと納税制度
現場の悲鳴がきっかけとなった外国人材の拡大策
金融改革で激変した投資マインド

第5章 時代に選ばれた保守政権の使命
天皇陛下の「生前退位」
21世紀にふさわしい未来志向の「安倍談話」
先送りされてきた「アイヌ新法」

第6章 新型コロナ対応Ⅰ、そして首相へ
未曽有の感染症との闘い
コロナ感染防止と経済再開の両立
空白の許されないコロナ対応と安倍総理退陣

総理編

第7章 新型コロナ対応Ⅱ
首相就任とコロナワクチン「1日100万回」宣言
コロナワクチン争奪戦と「ワクチン外交」
世界が注目した「孤独・孤立問題」への対処

第8章 100年後を見据えて
縦割り打破の象徴、経済安全保障政策
カーボンニュートラルの実現へ
トップダウンだからできたデジタル庁創設
少子化問題解消に応える不妊治療の保険適用
原爆「黒い雨訴訟」の上告取りやめ
原発処理水の海洋放出を強く決断

第9章 国際社会と共に
東南アジア歴訪とインド太平洋構想
日米首脳会談で再確認した信頼関係
東京五輪「開催支持」確約得たG7
「無観客開催」となった東京五輪

おわりに

書き下ろし後記「しかるべきときに決断を下す」ことがリーダーの要諦である

資料編

演説・スピーチ
総裁選出馬会見
第203回国会における菅内閣総理大臣所信表明演説
第75回国連総会における菅内閣総理大臣一般討論演説
第204回国会における菅内閣総理大臣施政方針演説
令和2年度 防衛大学校卒業式 内閣総理大臣訓示
内閣総辞職に当たっての内閣総理大臣談話
安倍元総理国葬 弔辞

年表

菅内閣 閣僚等名簿

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December 07, 2025

『日本史の法則』本郷和人

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『日本史の法則』本郷和人、河出新書

 東京大学史料編纂所教授を退任する本郷先生は、専門である日本中世政治史の本と研究史のほかに日本史を通じるような本を三冊書きたいとのことで、これはそうした著作の習作という位置づけでしょうか。

 ぼくは、どうも権門体制論というのは当為(建前、理想論)を重視しすぎていると感じているので、本郷先生たちのように、実情に即して武家政権を「東国国家」、朝廷を「西国」の王権と位置づける二つの王権論の方がスッキリしていると感じています。

 二つの王権論に立てば日本は一つの国ではなく、歴史も一つではない、と。しかも、日本の歴史は「ぬるい」。

 本郷和人先生が「日本史はぬるい」と言い始めたのは、『乱と変の日本』あたりからでしょうか。この中でコジェーブが「人間の歴史を学びたいのであれば、日本の歴史を学べ」と述べていることを「はじめに」で紹介し、日本は気候、異民族支配などの影響がないところで歴史が展開されたので、人間がどのように発展するかを見る上で、もっともいい教科書になるとしていました(p.22-)。おそらくここはコジェーヴの『ヘーゲル読解入門』の第2版にある「日本化についての註」からきています。

 世界史は戦争に次ぐ戦争の血で血を洗う歴史でしたが、本郷先生はそれと比べると「ぬるい」と。根絶やしにするぐらいの虐殺は織田信長による一向一揆、徳川幕府による島原の乱など割と限定されています。

 朝廷は朝鮮半島の進出を諦め、唐からの侵略の不安もなくなるとすぐに進取の気質を失い、統治は緩み、不満を抱いた東国武士の叛乱を招きます。

 東国武士たちは自分たちの土地は自分たちで支配することを目指し、源氏の御曹司を立てて独自の政権を打ち立てますが、貨幣経済には対応できず、将軍家、得宗家、執権という二重、三重の権力構造を整理できなかった、と。しかも無学なため、元から丁重に送られた使者にきちんと対応しなかったことから元寇を招いてしまった、と。当時の北条家は有力者でさえ息子に「腹が立ったからと言って部下をむやみに切ってはならない」と教えざるを得ないほど野蛮だったという限界を超えられず、足利幕府が誕生。

 室町幕府の有力者たちは京都に住み、各地の「守護大名」に任じられ、任国の武士や土地を直接支配する領国支配を確立しました。ところが、ここでも京都に住む管領たちが緩み、応仁の乱が起こり、幕府に見切りをつけた守護が任国に帰ろうとしますが、すでに守護代や国人に実質的な権力が移っており、そうした戦国大名たちは自国の統治に専念するようになります。また朝廷側も政治権力の奪取を狙っていましたが、南北朝の混乱を治められず権力に自ら終止符を打つことになります。

 また、日本人は建前の平等よりも平和を選び、神・阿弥陀如来の前では平等とするキリスト教、一向宗は無力化される、と。

 鎖国については様々な議論はありますが、徳川幕府は第三国経由で海外情勢を知りつつ、国を閉じることに成功し結果的に、植民化の波をかぶることなく明治にこぎつけ、富国強兵で世界に互す「緩くない」時代に突入して破綻した、という感じでしょうか。

 なお、これもジムの間にAudibleで聴きました。

[目次]

1 日本は一つ、ではない――この国は西高東低
2 歴史も一つ、ではない――もしも、あのとき……
3 日本の歴史は、ぬるい――変わるときは外圧
4 信じる者は、救われない――信じると大虐殺が……
5 地位より人、血より家――世襲が、強い
6 日本社会は平等より平和を選び、自由をはぐくんでいた

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『となりの史学 戦前の日本と世界』加藤陽子

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『となりの史学 戦前の日本と世界』加藤陽子、モリナガ・ヨウ、毎日新聞出版

 現代の国際情勢を考える際、特に中国やロシアの歴史認識には驚かされます。プロパガンダと一蹴するのは簡単ですが「なぜ彼らはそう考えるのか?」と考えれば、本書は不可解に見える歴史認識の『文脈』を解き明かす方法を紹介してくれます。

 《歴史に学ぶとは、ある事象が生起した文脈、コンテクストを理解する》という加藤先生による本書は《近代日本が一度ならず干戈を交えた相手国、つまり戦争をした相手国との二国間での歴史共同研究の最前線からの実況報告を行っています。[日本と中国][日本とロシア][日本と英国][日本とドイツ]、それぞれの場合において、戦争終結後の和解と共存の真の方向性を探るために開催された国際会議の成果を中心にして伝えようと努めました》とのこと(あとがき)。

[中国]

 まず、日本に対して無茶なプロパガンダを仕掛けている中国に関して、個人的には「なんであんなメチャクチャな歴史認識なんだろう」と不思議に思うわけですが、その背景には《中国では、1911年の辛亥革命時に掲げられた、「建設」(近代化)と「統一」(統一国家の形成)という二大目標が、いまだ達成されていないとの認識があるために、現代を見つめる時は、「1911年の視点」になるという。 そうであれば、中国とその国民の関心は、「建設」と「統一」が未完成である理由へと向かおう。二大目標の達成を阻んだ最大の障害として日本を位置づける見方》があるという説明は納得的(k.227、kはkindle番号)。さらに、こうした夜郎自大な歴史観に民族復興プロパガンダが加わるわけですから、ハチャメチャになるのかな、と。

 最近、琉球王朝に関する虚文を主張していますが、これは日清戦争の原因にもなった、というのは面白かった。《中国側は、「当初は重視されなかった『虚文』を重視し、琉球王の復封」を図ろうと動いた。その理由は、「これを座視すれば朝鮮との朝貢・冊封関係に波及しかねない」との懸念に突き動かされたためという。本来の伝統的な冊封概念は、中国と朝貢国との1対1対応で完結するはずである。しかし、琉球をめぐる日本との競合の中で、対琉球関係を対朝鮮関係と連動するシステムとして捉えるような、新たな国際関係認識が中国側に生まれたと見られる》(k.260)というんですから、何事も歴史的背景があるんだな、と。

 また、太平洋戦争終結後、蒋介石は日本が建設したインフラの維持・活用を目指したんですが、こうした《技術者留用に警戒感を抱いたのがアメリカだったことだ。1945年10月という早い段階でアメリカ海軍の作戦部長によって作成された文書「中日関係:日本の対中国政策」からは、日本人技術者の留用が日本政府主導でなされているのではないかとの警戒感がにじみ出ていた。日中の技術協力関係は、アメリカが疑念を抱くほど良好に動き出していたのだ》というのは知りませんでした(k.721)。

 清末の中国では日本から流入してきた新名詞(東語、和製漢語)が使われていたのですが、中国の民族主義者?厳復は、「拓都」などの新語を編み出したのですが、ほとんど使われることがなかった、というのは面白いな、と。

 「田中上奏文」の偽造も面白かったというか、なんでも偽造するんだな、と思うと同時に《偽書かどうかは措くとしても、日本の現実の行動が上奏文に書かれている通りだとの中国側の対日批判のトーンは、この後も維持された》というのは、今も続いているな、と(k.1291)。

[ロシア]

 《文化面での日ソ関係の結びつきを忘れてならないことは、歌舞伎の最初の海外公演が、1928年、モスクワとレニングラード(現・サンクトペテルブルク)で行われたことを想起するだけでも十分だろう》というのは知らなかったです(k.1721)。スターリンの日本に関する個人蔵書に「エロ・グロ・ナンセンス」に関するものがあるほか、日本の僧侶の腐敗ぶりが女色が生々しく描写されている頁にスターリンの注記がある、というのには唸りました(k.1834)。

 また、1930年代の定義についての《国際経済からみれば、イギリスが金本位制を離脱した1931年から、アメリカが民主主義国家の兵器廠と自ら位置づけた1940年までとまとめられる時代》《あるいは、ヴェルサイユ・ワシントン体制を桎梏だと認めた日本やドイツが、軍事力を背景に実力で国際秩序の改変を図ろうとした10年とも総括できる》という見方はなるほどな、と(k.1747)。こうしたことからソ連を敵として日中英米がまとまろうとする構想と、ドイツを核として反ヴェルサイユ体制国としての日独中ソが連合する構想の二つがあり、各国は二股をかけていた、と。

 ミッドウェー海戦大敗後はドイツの求める日本の対ソ参戦要求に応ずる余力がなくなったが、日本はドイツに対して独ソ和平斡旋をしていたというのは、凄い同床異夢だったな、と(k.1877)。

 《パノフ氏が挙げる、日ロ両国の国民性の類似点には、つい目がいった。いわく、両国民には、力への敬意、他国民への猜疑心及び不信感、集団組織と集団思考への欲求等々、共通項があるという。力への敬意という点は面白い。ロシアと日本を歴史的な視座で眺めれば、ロシアはビザンツ文明、一方、日本は中華文明の影響を周辺部として受けてきたという点で共通項を持つという》というのもなるほどな、と(k.2139)。

 ロシアはビザンツ文明、日本は中華文明の影響を周辺部として受けてきたという点で共通項を持ち、議会制、ナショナリズム、私的所有権といった「近代ヨーロッパ文明」に対抗しようとしてもがいた、と。また、総力戦を主導した日本陸軍と新官僚の中には元共産主義者が多かったのも共通点です。

 スターリンは専門家に個人教授してもらってもヘーゲルを理解できなかったのですが、それは『法の哲学』などで語られる自由とは所有のことであり、自由は外部から束縛を受けないだけではなく、自分の身体、人格、財産などが自己自身のもとに在ることで初めて具体的に自由となるというあたりがわからなかったのかな、とか考えてしまいました。

 また、晩年のレーニンがスターリンの暗殺者から身を隠したのが古儀式派の人々の村だったというのはゾクゾクしました(k.2266)。

[イギリス]

 イギリスとドイツについては印象に残ったところを引用して終わります。

 《アンソニー・イーデン外相は、1945年7月段階で米国に天皇制温存の必要を働きかけはしなかった。その理由を二人の教授はイーデンの記録に語らせていわく、「私は米国側に、天皇は存続させるべきであると、勧告するつもりはない。米国側は必ずや、このような勧告の受入れを望んでおり、不本意ながらもわれわれに同意したと言うだろう」(158頁、傍点筆者)。イーデンは、自国民を説得するのに難しい天皇制温存の問題をイギリス人の口から言わせようとするアメリカの底意を見抜いていた》(k.2450)。

 《日中戦争中、日本側が英米の艦船を長江から追い出したいと考えていた理由の一半は、防諜という側面から説明できる》(k.2615)。

 《第二次世界大戦で日本が連合国に敗北し、占領期間を経て1951年9月に締結された対日平和条約が、サンフランシスコ平和条約であった。話は込み入ってくるが、当時、中華人民共和国を招請すべきとするイギリスと、中華民国を主張するアメリカの意見が対立した結果、「中国」代表は招請されていない。またイギリスは、韓国について、日本と戦争状態になかったとして招請に反対し、これにアメリカも同調した結果、韓国は署名国となれなかった》(k.2690)。

[ドイツ]

《日本とドイツは、その位置ゆえに、ユーラシア大陸にのびるロシアを東西に牽制しうる二国だった》(k.2864)。

 《日露戦争が勃発した少し後の1904年4月、英仏協商が成立するが、この帰結がドイツ外交にとっていかに重い意味を持ったか(162頁)、本論考はよく伝える。中東と北アフリカでの英仏対立が解消し、アジアでの戦争で日本がロシアに辛勝した暁に来るのは、欧州におけるイギリスとドイツの対立しかない。日露戦争を第ゼロ次世界大戦とみる解釈は近年有力だが、この論考からも支持できる見方だと思われる》(k.2900)。

 《第二次世界大戦の決定的要因を、海洋での支配をめぐる争いとナガシマ氏は看破する。中国に対する日本陸軍の戦い、ソ連に対するドイツ陸軍の戦いは、共に中ソ両国が、退却しうる広大な大陸後背地を持っていたために、勝敗の決定要素は、英米からの中ソへの物資を運ぶ海上輸送路をいかに効果的に遮断するかにかかっていたからである》(k.2,993)。

 近代日本が歩んだ『近代ヨーロッパ文明への対抗』という道筋が、ロシアやドイツと共通していたという指摘は、日本の戦前の行動を世界史的な潮流の中で理解する視点も与えてくれるかもしれません。

[目次]

第1章 日中の戦争観――歴史認識を問い直す【日本と中国1】

●海の向こうは……世界の中の日本と中国

●重慶で私も考えた 中国重慶の国際会議で触れた中国研究の最前線

●自国の利己追求に歴史が「使われる」時代

●敗者の帰還と満洲体験 帰還者は帝国崩壊をどう捉えたか

●中国と中国人にとっての1945年

 

第2章 競存から緊張へ変化した日中関係――私たちは今、何をすべきか【日本と中国2】

●苦難の中の日中関係 対立と共存

●日中関係、どこからやり直すか

●歴史の中に存在する多彩な中国像

●日本・中国・台湾 三国関係を追う

●世界政治を揺るがした「田中上奏文」の謎に迫る

●「田中上奏文」はどのようにして作られたか

 

第3章 西洋と東洋を結ぶ架け橋へ――何が日ロ関係を転換させたか【日本とロシア】

●ロシアが残した日本史への刻印

●花も実もある日露関係 拮抗する二国関係において「真実ならざるもの」を見抜く

●日本とソ連、それぞれの1930年代

●ソ連と日本 タフな交渉と戦争の時代

●ロシアの対日参戦の正当性を探る

●日ロの類似点が導く対ロ交渉の到達点

●帝政ロシアからソ連を経てロシアへ

 

第4章 明治日本はイギリスに何を求めたのか――日本人の英国観の変遷【日本と英国】

●一つに収斂(ルビ:しゅうれん)しない日英関係の姿

●ギャップに満ちた日英関係

●現代の米中対立と戦前の日英攻防

●戦後ロンドン金融市場の変容

●イギリスの平和思想と国際連盟への期待

 

第5章 東アジアの国際情勢にみる日独関係――「同盟」の真のかたちとは【日本とドイツ】

●東アジア情勢の中で語られる日独関係

●日独関係における相互イメージ

●日本とドイツ、人と技術の交流

●長期政権を築き、新時代を拓いた桂太郎

●桂太郎の複眼的思考を書翰から読み取る

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