March 21, 2019

『軍事の日本史』

『軍事の日本史 鎌倉・南北朝・室町・戦国時代のリアル』本郷和人、朝日新書
 遠征に備えて花粉症の季節でも肩の凝らない本を、ということで、新書を量産している本郷先生の『軍事の日本史』をチョイス。
 相変わらず、東大史料編纂所で『大日本史料』を編纂している史学保守本流の大教授とは思えない軽妙な書き出し。
 史料編纂所で講義、ゼミを持たなくていいという特権を確保しているから、執筆、テレビ出演などもこなせるんだな、と思うと同時に、本郷さんへの嫉妬をたぎらす先生方の気持ちもわかるw
 戦国時代は生き残ればしめたもので、信玄のように一生かけて信濃一国を奪えば後世に名を残す。しかし、信長は尾張をまとめるのに時間はかかったが、34歳までに美濃、北伊勢という列島の中でも生産性の高い土地を領地に組み込んだ。信玄の60万石に対し合わせて150万石というあたりは説得力があります(p.79-)。
 武田信玄がやったことといえば、北信濃の領有を巡って謙信と戦ってなんとか確保した、という感じですから。しかも、生産性はあまり高くないという。
 戦国時代の兵力は百石で2.5人が養えるから、40万石でざっくり1万人。しかし、それは農閑期の農民も動員してのことだから、幕末のように兵農分離が進んで250年もたつと薩摩でも4000人程度になるという数字のリアリティは説得力があります。
 東大史学で佐藤進一、石井進の系譜を継ぎ五味文彦先生に師事した本郷和人さんですから、観応の擾乱から「将軍権力の二元論」(軍事と政治の二つから成り立っているが軍事の方が優先される)についてページを割いてキッチリ説明しているのは、最近の若手研究者たちからの批判への苛立ちか?と微笑ましくなります(p.107-)。
 さらに呉座『応仁の乱』について《地味な戦いが、何の目的もなくただダラダラ続いた》と要約。《戦国時代の戦いに比べて、室町時代の戦いは、一言で言って「ぬるかった」》と亀田『観応の擾乱』に続いて、中世史のベストセラーをdisり気味に紹介してから持論展開。なんとも面白い(p.139-)。
 確かに本郷先生は毎月のように新書を出していて、さすがに書きすぎなんじゃないかとは思いますが、例えば、曳馬という地名を不吉として浜松に名を変えた家康は、湿地帯で「汚れた土」という意味の「江戸」は変えなかった。それは厭離「穢土」の旗印に通じるから(p.243)というあたりはうなりました。家康は利根川を付け替えて銚子に流すようにして広大な水田地帯を作ったんですけど、そこには経済合理性とは別の精神性もあったんだな、と。
 とにかく呉座、亀田という若手研究者の著作をdisり気味に紹介して佐藤進一、石井進の本流への批判を再批判しているんですが、あとがきではさらに網野善彦先生の『無縁・公界・楽』を実は「あ、これは『強い人』の歴史観だ!」と網野財閥出身の善彦先生が一番嫌うような批判の仕方で切って捨てています。
 東大史学への批判は許さじということでしょうか。
 そんな下世話なことも含めて実に面白い本であることは間違いありません。

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March 08, 2019

「うえ村」の白子コース

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「うえ村」 神奈川県横浜市神奈川区上反町1-10-14 045-311-8814

ご主人は六本木の『味満ん』で修業し、26歳の若さで1994年11月に店をオープンさせました。

『味満ん』は勤めていた会社が六本木だったので何回か行ったことがあるのですが、居酒屋かな、と思うような店内なのに、フルコースなら二人で10枚ぐらい飛ぶという印象的な店でした。

この「うえ村」も高級感を出していない店内の雰囲気が似ています。

コースも似たような感じで、当たり前ですが、せっかくなら白子が食べたいので20000円のふぐ白子コースに。

前菜・煮物・お刺身・白子焼き・唐揚げ・サラダ・ちりしゃぶ・白子雑炊・新香・デザートが出てきます。

当日のふぐは長崎のふぐでした。

黄金色が美しい「ふぐの煮こごり」、「大根煮助子あん」に続いてでてきたのが、ふぐ刺し。驚きの厚引きは軟らかいからこそ。お皿の中央には腹回りの皮と皮の内側の身(とうとうみ)をボイルしたものが山に。カボスを効かした自家製ポン酢、葱、もみじおろしに葱を巻いていただきます。

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そして、メインの「ふぐ白子」。焦げ目までもが美しい。

スッポンもふぐも実は「から揚げ」が大好きなんですが、旨みがギュッと詰まってます。

あとはふぐちり、白子入りふぐ雑炊で〆てデザートの青い桃の実のシャーベットも上品。

ひれ酒は黒(背びれ)と白(尾びれ)の両方をいただきましたが、白が絶品。

お酒も入れると二人で諭吉5枚が必要でしたが、それでも『味満ん』『福治』の半値以下…。

星持ちになって予約が取れず、ようやく行った甲斐がありました。

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March 02, 2019

『記憶の肖像』

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『記憶の肖像』中井久夫、みすず書房

 中井久夫さんのエッセイ集で唯一、未読だった『記憶の肖像』を読み終えました。これで中井さんのエッセイは全て読了。これまで、何回か読もうと思ったけど、最初のエッセイ集ということで、まだ、文章が硬い感じがして、敬して遠ざけていたんですが、やはり面白かった。

 白眉は「意地の場について」の考察でしょうか(p.251-)。

 《精神科医が「意地」に出会うのは、なぜか、私の場合、遺産分配に関係していることが多かった》というかき出しから、遺産配分は遺体解剖の雰囲気に似ていて、それは故人の遺体を共食するという儀礼が多くの民族にあり、葬式の際の食事はその名残りだ、というあたりから引きつけられました(喪失感、別離感の処理作業として共食は発生したのではないか、とのこと)。

 日本の場合に多い父の遺産配分はカイン・アベル的葛藤の場であり、パラノイア、強迫症、抑うつというエディプス期以前の力動態勢が前面に引き出されやすくなる、と(エディプス期を成功裡に突破した人は病理を露呈する確率は低いとも)。それは損得という、正義や善悪にもとづく議論より、成熟したものだから。

 さらに、夫の妻など《分配に対する発言権はないが、分配を受ける者に対する発言権を持っている配偶者》など陰の人間関係もつきまとうことで事態は混沌としていきます。

 《フロイトは、貰う資格がないのに巨額の遺産が舞い込む幻想をユダヤ人にはあると指摘して》いるそうですが、《宝くじなどを買う心理には、それに通じるものがあるだろう》というあたりはうなりました。

 普段、自分はお人よしで強く自己主張ができないと思っているような夫が妻から「誰それさんにしてやられないようにね」などとハッパをかけられると、意地を発動しやすくなる、そうですが、まるで目に浮かびます。こうした《人を操作したい人が。遺産分配だけでなく、多くの、例えば損害賠償の場にいて、事態を途方もなく紛糾させ》る、と。

 江戸時代に『忠臣蔵』や『佐倉惣五郎』は、意地を浄化(カタルシス)したいという民衆の願望に支えられて繰り返し上演されたのだろう、と。

 遺産分配の場で「もう損得ではない、意地だ」と言い出されたら、賢明な仲裁者は手を引くだろうし、精神衛生を考えたら、多少損をしても、これ以上は骨折り損だと考えて早々に場を去る人間がもっとも賢明だ、というも納得。

 逆に高額を得た人間は小さな会社を設立してすぐ破産したりするのは、罪悪感を拙劣に消費することで精神的安定を得ようとするからではないか、というあたりも納得的。後は大きな庭石を買う人もいるそうで、なんとなく気持ちは分かります。

 落語「三方一両損」の話しは、大岡越前が紛争に介入することによって心理的水準では当事者になったことで、わざと一両を損することによって帳尻をあわせるという高度な心理的理解がある、というあたりの議論にもうなりました。

 ぼく自身の体験からしても《一年を越えたら紛糾にメドがなくなり》弁護士費用の方が多くなる、というのは遺産分配だけでなく当てはまると感じます。

 また、調停者は「時の氏神」という言葉のようにタイミングが大切だとか、意地には「甘え」の否認を誇示している面があるというのも納得的。「無言電話」などの嫌がらせは、天罰が信じられなくなった現代において、「あなたに恨みを持っている人間がいる」というのをわからせるためとか、精神科医には患者が「離婚したい」と言ってきたら「それは精神科医の問題ではない」と突っぱねるという申し送りがあるとか、意地は江戸時代の話しが多いのは絶対の強者がいない状況では颯爽とした自己主張ができなかったので、屈折した美学として共感されたのだろうとか、というあたりも。

 そして最後は、日本が外交下手なのは意地の文化があり、日露戦争でたまたま成功してしまったという体験があるのもよくない
というあたりの話しになっていきます。日本の意地は片意地であり《太平洋戦争などは、片意地で始まったもの》というのも納得的。

 さらに「治療にみる意地」が続きます(p.268-)。

 《われわれにおける意地は西欧における自我というのに近い》という佐藤忠男さんの言葉を紹介し、どこか江戸の風が吹くような感じのする意地は、「こだわり」というプラスの意味を持つようにもなった、と。
 
 また、意地というのは元来、茨の道を行く自分を励ますなど窮地を正面突破するための心理的技術で、そのために視野狭窄も起こるのだろう、と。

何回も苦痛を訴えて同じ手術を受けるような人は、漢方医学で壊病(えびょう)と呼ばれる、治療をあれこれ加えた結果、何が何だかんだ分からなくなってしまった病気。始まりの病理さえ見当もつかなくなり、精神科で(境界例」と診断されてしまう可能性も(p.274)。

 このほか、「私の入院」で《人間には自由を奪われると子供に近づくということがある》という話しの中で、日本社会の合意は《箇々の条文をはっきり挙げてではなく、まったく包括的なものだ。していいこととしていけないことの一線は微妙だ。その上、建て前としての規定と絶対許されぬこととがある》として、子供はそこがわからない、というあたりも面白かった(p.208)。

 《医者(あるいはナース)とは、患者に愛をむけるのではなく、愛の対象となることに耐える存在である》。患者は《「愛」を是認し受容してほしいのである。「愛」といえばわかりにくいだろうが、「甘え」》《是認し受けとめたという微かなサインをもらうだけで十分》というあたりは、ファン心理を見事に説明してもらった感じ(p.209)。

 ロシア人のプーシキンに対する畏敬はほとんど神に近いというあたりを読んで、そういえば、プーシキンの娘が『アンナ・カレーニナ』だったな、と思い出しました。プーシキンの妻、ナターリアはロシアでも歴史に残る美人。そうした妻を持ったことも伝説を生んだ要因なのかも、とか。

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February 27, 2019

『承久の乱 日本史のターニングポイント』

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『承久の乱 日本史のターニングポイント』本郷和人、文春新書

 ぼくみたいな素人からすると、本郷和人さんの議論は東大の先生らしからぬ素晴らしく分かりやすさだと思うんですが、呉座さんとか若手の研究者からなんで目の敵にされるのかわからない感じがします。

 鎌倉幕府といいますか、関東における武士政権の成立というのは、在地領主による支配によって、日本の歴史を他のアジア諸国から画する出来事だと思います。

 それは「武士の、武士による、武士のための政権」であり、当初の「源頼朝とその仲間たち」から承久の乱を経て「北条義時とその仲間たち」という政治体制に変わっていった、というのがサマリー。

 当時の関東はホッブス的な「万人の万人に対する闘争」であり、在地領主=農民である武士たちは深刻に安全保障を求めていた、と。それは、朝廷の役人である国司や寺社などとは違って領地争いの時など《困ったときにすぐ駆けつけてくれ、実力行使を厭わない「上司」》。頼朝の傘下に入れば、土地が安堵され、さらには領地を広げていくことも可能かもしれないから関東の武士たちは団結したわけです。

 頼朝が挙兵して、伊豆の目代を打ち取った時の総勢は90人。北条時政も命をかけた戦いだったので目一杯頑張って掻き集めたのですが、時政が動員できたのは50人だったそうです(p.33-)。しかし、それでも、関東の武士たちは頼朝に賭けたわけです。

 それは関東の在地領主である武士にとって、大切なのは、領地争いの困った時に大勢の仲間と駆けつけてくれる親分グループだったから。富士川の戦いの後、京都を目指す頼朝を諫言した関東武士たちは、同じ源氏の佐竹氏などを平らげて、東国の新秩序を樹立することを求めました。それは朝廷=国衙の排斥。親の敵である平家討伐よりも、頼朝は関東の在地領主たちのニーズに応えて鎌倉にとどまることを選択しました。

 p.37-で紹介されている男衾三郎絵詞(おぶすまさぶろうえことば)は知りませんでした。武士は庭先に生首を絶やすなと言われ、屋敷の前を乞食や修行者などが通ると、狩の獲物のように矢で射たり、追いかけて捕まるものだ、と書かれています。武士の野蛮さとともに、まさに「万人の万人に対する闘争」状態をあらわしていると思います。

 坂井孝一先生の『承久の乱』でも中宮(皇后とほぼ同格の天皇の后)とか、乳母子(めのご、乳母の実子)などの母系の固有名詞の多さから日本は母系社会だな、と感じたのですが、本郷先生の『承久の乱』でも、この時代における結婚によって生じる結びつきは重く《ある家が幕府に対して謀反を起こしたら、その家から嫁をもらった武士もいっしょに幕府と戦わねばなりません。娘を誰と結婚させるかは究極の人事でもあり、同盟の締結でもあった》という指摘にはうなりました(p.67)。

 土地制度に関しては、源平の乱以前に後三条天皇の親政で摂関政治は終了したという指摘もなるほどな、と。その決め手は荘園整理令。きちんとした手続きを経ていない荘園は公地公民に組み入れられ、藤原氏は1/3を失ったそうです。この脅威から逃れる術は、上皇への寄進。しかし、公地公民の原則からは天皇は荘園を持てないので、後鳥羽上皇は六勝寺といういわばトンネル会社をつくったというあたりもなるほどな、と(p.101)。これによって後鳥羽上皇は文化面だけでなく経済面でも「治天の君」となるわけです。

 院政の特徴は理念がなく自分が贅沢したいだけ。人事も側近で固め、信西などは政治力はあったが、その信西を倒して政権を握った藤原信頼は、後白河上皇との男色関係によって気に入られただけの存在。後白河はしたたかな政治家ではなく、台頭した武士に空手形を出してごまかしただけ、というあたりの院政への評価も明快。これでは在地領主のリアリティには負けるな、と。

 それはさておき、上皇や天皇の娘である内親王は独身のまま荘園の番人として贅沢な暮らしを与えられたそうです。子供が出来ると荘園は分割されますが、独身の内親王を荘園領主とすると大規模なまま維持できる、と。後鳥羽上皇の時代には皇室関連の荘園がほとんど後鳥羽の支配下になるなど抜群の経済力になった、と(p.106)。

 中世史は黒田俊夫の天皇中心の「権門体制論」、佐藤進一の「東国国家論」という2つの見方があるそうで、なんと学界で多いのは天皇と将軍は上下関係にあるという表面的な権門体制論だそうです。本郷さんは東国国家論で二つの権力が存在したと考える立場(p.147-)。東国派の本郷さんに対して呉座さん、亀田さんなどは権門体制論派?

 中公新書の著者が文学系統ならば、本郷さんは《鎌倉幕府とは何か、をずっと考え続けていた》研究者であり、坂井孝一先生の『承久の乱』のように、後鳥羽上皇は単に義時を討つことが目的でない点も明確です。

 1)当時はそもそも幕府という言葉自体がなく、敵は「北条義時とその仲間たち」2)朝廷が幕府を倒す命令を下すときには、必ず排除すべき指導者の名を挙げるのが通例、という指摘からも、後鳥羽上皇は「北条義時とその仲間たち」というシステムを破壊することを目的としていたんだろうな、と。

 このほか、北条政子の名は、天皇、上皇の前に出るときに時政の一字をとってつけられたもので、頼朝は政子とは呼んでいなかったハズというあたりも面白かったです(p.32)。

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February 20, 2019

『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』

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『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』坂井孝一、中公新書

 兄妹が人間の始祖となるという神話は、インド南部、中国の南西部や東南アジア、台湾、沖縄、奄美、南九州、四国をはじめ列島の全域、それからミクロネシア、ポリネシアなどの島々に分布しているといいます。こうした神話を持つ地域は「母系」優位の初期社会を持ち、それは「母」と子ども、「母の兄弟」と子どもという系列で親族組織が展開されます。これは十ヵ月の空白を超えた性行と出産の関わりを認識できなかったから、といわれていますが、その議論はさておき、父親の親和力を維持するためにも、「父」の息子と「父」の姉妹の娘とを幼児のうちに婚約させる交叉いとこ婚が普及していきました。交叉いとこ婚によって父は1)自分の所有物を与え2)家族的な親和力も充たし3)じぶんの氏族の相続者に対する譲渡も矛盾なく両立させることができる、というわけです。

 レヴィ=ストロースはこうした一定方向に女性が交換(移籍・移行)する婚姻規則と、贈物が受け渡される互酬性によって、複数の集団をつなぐ社会統合が構築されていると考えると同時に、インセスト・タブーも生まれたと考えました。

 女性の交換によって内/外の意識が生まれると同時に、父型交叉イトコ婚は二つの親族だけで完結する交換活動なのに対し、母型交叉イトコ婚は必ず三親族以上が関わるシステムが出来ます。レヴィ=ストロースは父型交叉イトコ婚は「限定交換」、母型交叉イトコ婚は「一般交換」となり、普遍性がある、とします。

 マリノウスキーは、母型交叉イトコ婚の社会で一夫多妻が生まれると富の蓄積が始まるという議論もしていたと思いますが、吉本隆明は、アジア的デスポチズムは父(夫)が母系からの霊威も集積されるところから生まれる、とも展開していました(『母型論』)。

 今回の旅行では『承久の乱 真の「武者の世」を告げる大乱』中公新書、坂井孝一をお供にしていたのですが、本論はさておき、日本社会が母系であり、パターナリズムが原則である儒教の浸透が浅いレベルに留まったのは、中宮(皇后とほぼ同格の天皇の后)とか、乳母子(めのご、乳母の実子)などの母系の固有名詞の多さからも分かる感じが改めてしました。

 日本はアジア的専制でも、母系社会。母型交叉イトコ婚による母系社会の維持と父親系統の関与で、互いの財産が最大になり、共同体も最大になるような社会が基礎。

 だから律令制度でも公地公民は貫徹されず、一君万民の考えも浸透せず、荘園制度が発達し、法律より因習が優先されていったのだと思います。そして、律令制度という借り物の法体系ではなく、日本独自の法律ができたのは、天皇制より武士が上位に立った、承久の乱の後の御成敗式目から、につながるのかな、と。

 考えれば考えるほど、承久の乱というのは、日本史の中でも画期的な革命です。幕府の将軍でもない北条家が、上皇三人を流罪にして、次期天皇の選定も、武士のものにして、荘園も解体させていったんですから。

 もっとも、坂井先生のこの本は文学的な読み込みから、実朝は後鳥羽院に心酔し、皇子を次期将軍に迎えることを熱望しており、地方の卑しい一族である北条氏にとっても、貴種を迎えて掌中に抱えるのが最善だった、という見立てがメインです。それが、公暁による実朝暗殺によって破談となり、不安を覚えた後鳥羽院が強引な北条義時の排除という限定的な目的で承久の乱を起こして失敗した、となります。

 北条氏は比企一族や和田一族のような目にあってもおかしくなかったわけですが、北条政子は後鳥羽院の乳母である兼子が、実朝御台所の姉「西ノ御方」が産んだ頼仁親王を養育しており、この頼仁親王か宮雅親王のどちらかを子のない実朝の後継将軍にすえることを女同士で交渉するため「熊野詣で」までするのです。まさに母系社会。これが個人的には一番のハイライトでした(p.94)

 この坂井孝一先生の『承久の乱』に続いて、本郷先生の『承久の乱』も購入しました。本郷先生は倒幕の戦いとみているので、歴史学者の戦いとしても興味があります(本郷和人『承久の乱 日本史のターニングポイント』文春新書)。

 といいますか、再来年は承久の乱800年なんですね。個人的には辰之助が大河で後鳥羽上皇を演ってことを思い出します。

 あと、《三月は年貢公事の納入期限》《現代も三月は税の申告時期》ということで年度は年貢と関係あったのか…と(『承久の乱』坂井孝一、中公新書 p.127)。

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February 11, 2019

『吉本隆明の経済学』中沢新一編著、筑摩選書

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『吉本隆明の経済学』中沢新一編著、筑摩選書

 この本は『超西欧的まで』に収録された「経済の記述と立場 スミス・リカード・マルクス」、『ハイ・イメージ論 III』に収録された「エコノミー論」「消費論」、『母系論』に収録された「贈与論」、『マルクス 読みかえの方法』に収録された「消費資本主義の終焉から贈与価値論へ」などをそのまま収録した論文集のようなつくりの本で、各章ごとに中沢新一さんが短いコメントを付し、最後に「経済の詩的構造」というもとめで締めくくります。

 「経済の詩的構造」というタイトルで察せられるように、これまで何回も書いてきた、『資本論』の価値形態論の使用価値と交換価値からインスパイアされた、言語の指示表出と自己表出という『言語にとって美とは何か』を発展させた経済論の可能性について中沢さんは留意しています。

 《人間は自由であることの代償に、無意識というものを手放せなくなっているとも言える》と中沢さんは書いていますが、これは「経済は自由であることの代償に、貨幣というものを手放せなくなっているとも言える」のかもしれないと個人的には感じています。

 中沢さんは、おそらく脳科学の発展を意識しながら《想像界(とさらにその上につくられた象徴界)をもつことによって人間の心では、たえまない意味の増殖が起こるようになる -中略- それは生起と喩の過程の結合として、その輪郭を描くことができる》とまとめています(p.350)。


 中沢さんは、こうした「詩的構造」を持つ吉本さんの経済学が、失われた無償の贈与という起源を取り戻すことが超資本主義の課題ではないか、という方向に議論をもっていきますが、残念ながらそれは伊豆の海で溺れた後の吉本さんの展開力に限定されたものに終わっているかなと感じます。

 ただし、これまで何回もふれた「アフリカ的段階」という概念の有効性については以下のような見事な評価をしています。

 《レーニンは革命をつうじて、国家の先にある世界を実現しようとした(『国家と革命』)。レーニンはそれが「遅れたロシア」だからこそ実現できると考えてその考えを実行に移したのだが、まもなく失敗であったことがあきらかとなる。なぜレーニンは失敗したのか。この問題を深く考え抜いた吉本隆明は、ロシアの革命がアジア的段階という土台の上におこなわれたがゆえに、革命のなかから近代科学技術と結合した恐るべきアジア的専制国家を生み出さざるをえなかった必然をあきらかにした。
 未来の革命は吉本隆明が考えていたように、超資本主義の先か、アフリカ的段階の先にしかあらわれない》(p.373)

 レーニンが「遅れたロシア」でなぜ、革命が実現できると思ったのか、という問題はマルクスが『ベラ・ズサーリッチへの手紙』で考えた延長線上にあるものだといえると中沢新一さんは考え、『僕の叔父さん、網野善彦』でも新書という体裁の中では異例の頁を割き、今村仁司さんも『マルクス・コレクション』の中にふたつしか入れていない書簡で取り上げ、自身で訳出しています。

 アジア的段階の農奴的コミューンではなく、アフリカ的段階の先にしか、未来の労働が自己目的化されない生産手段を共にする自由人たちの共同体(コミューン)は築くことはできない、というのが中沢さんの考える〈最後の吉本隆明〉だったのかな、と感じます。

 ということで、長く振り返ってきた四人の方々の著作についてのまとめは、これでいったん終わります。

第1部 吉本隆明の経済学
第1章 言語論と経済学
第2章 原生的疎外と経済
第3章 近代経済学の「うた・ものがたり・ドラマ」
第4章 労働価値論から贈与価値論へ
第5章 生産と消費
第6章 都市経済論
第7章 農業問題
第8章 超資本主義論

第2部 経済の詩的構造

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February 01, 2019

『評伝菊田一夫』

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『評伝菊田一夫』小幡欣治、岩波書店

 宝塚星組公演『霧深きエルベのほとり』に感動してしまい、改めて菊田一夫とはどういう人だったか調べてみようと思って、この評伝を読んでみました。

 複雑な生い立ち、あくまで大衆的であろうとした姿勢、無尽蔵の発想と多作、その根底にあるリリシズムなど、ある程度、菊田一夫の背景は知っているつもりでしたが、もっと凄い演劇人でした。そして、宝塚の若手作家No.1の上田久美子がいま1963年初演という50年以上前に書かれたこの作品を取り上げた理由もなんとなく理解できました。

 それは物語が構成がほぼ完璧で、その上に昭和な義理人情の世界が描かれているから。

 「昭和な義理人情の世界」の世界観は悲劇でも喜劇でも、日本の大衆が反応しチケットを買ってくれるほぼ唯一のジャンルであり続けました。まだ喜劇を看板にした劇団もあるぐらいですが、さすがに飽きられたかもしれません。個人的には最も苦手なジャンルです。

 自分は悲劇しか書かないと言っていた上田久美子が、このジャンルの作品の潤色に乗り出したのは、完璧な構造ならば、今ではファンタジーのような内容も受けいれられるからなのかな、と思っていましたが、この評伝を読めば、それだけでなく、菊田一夫の生きた時代、生い立ちも含めた苦闘がリアルを支えているからなんだろう、と思うようになります。そうしたリアルを喜劇の背景に見つめてみようか、ということなのかな、と。

 菊田一夫の影響を知らぬ間に受けていると思ったのは、『鐘の鳴る丘』が彼の作詞だと知ったから。曲というかメロディは聞いたことあったんですど、太平洋戦争による戦争孤児をテーマにしたラジオドラマの主題歌だったんですね。しかも、それは軍部からの依頼で戦意高揚の芝居を書いてしまい、戦後は戦犯として告発を受けそうだったという贖罪意識から手掛けたというのも初めて知りました。

 ♪とんがり帽子の時計台♪という歌詞とメロディは有名ですが、その三番の歌詞がこうなっているとは知りませんでした。

♪とんがり帽子の時計台
夜になったら星が出る
鐘が鳴ります キンコンカン
俺らはかえる屋根の下
父さん母さんいないけど
丘のあの窓俺らの家よ♪

 社会的なテーマを取り上げる際にも、それは表に出さず、裏に隠すという計算が感じられます。そして、次に手掛けた『君の名は』は、戦争の悲劇を『鐘の鳴る丘』では子どもを通して描いたのに対し、大人の目を通して描こうとした、というのも言われてみればなるほどな、と。しかし、そうした社会性を表に出した連続ドラマの最初の頃はまったく受けず、男女のすれ違いに絞ったあたりから爆発的な人気を博すのを目の当たりにして、以降、社会性は絶対に表に出さないようになる、と。

 『霧深きエルベのほとり』から評伝を読んだり菊田一夫のいろいろな資料を読んできて、やっぱり分かりやすさ、親しみやすさ、暖かさを抜きに商業演劇は考えられないし、商業抜きに演劇の発展もないだろうな、と改めて感じます。だいたい、『鐘の鳴る丘』『君の名は』もGHQの指示でNHKが制作したものでした。それを考えると第二次大戦後、アメリカ文化が世界を席巻したのも、分かりやすさが決めてだったのかな、と改めて感じます。

 『評伝菊田一夫』で最初に驚いたのは商店で働いていた時代、美しい女性に恋をしたが振られたという経験を持っていること。義理の父親に捨てられるように丁稚に出された大阪の修行時代、店にやってきたお嬢様に恋をして、その美也子さんが関西のお嬢様らしく宝塚が好きで、気を引くために「歌劇」に詩を投稿していたというんですから健気ですよね。しかも、その内容がまるで『霧深きエルベのほとり』のハンブルグ港のシーンみたい!

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石段に腰を下ろした一人のマドロスは
背中をまるめてパイプをふかしながら
じっと沖を見つめてゐた

というのがその詩のラスト。

 時代背景は日本の戦前。身分違いのお嬢様の気を引くために「歌劇」に投稿した詩が掲載されるなんていう厳しい時代のリアリティが『霧深きエルベのほとり』の主人公カールに投影されているんだろうな、と。

 また、『霧深きエルベのほとり』では、カールが酒場の女性ヴェロニカ相手に泣くシーンがベタで凄いな、と思ったんだですが、菊田一夫は、主人公が最後に泣く芝居を得意としていた、とも『菊田一夫評伝』岩波書店では書かれています(p.68)。

 さらにはエルベに出てくる子どものこそ泥ヨニ公ことヨーニーも割と重要な役を与えられています。これは、親に捨てられ丁稚に出された頃の自身だと分かりました。菊田一夫は「余りに悲惨だとリアルじゃないと言われる」と後年語っていますが、そうしたあまりにも悲惨な自身の境遇がエルベには反映されているんだな、と。

 とにかく《菊田さんにとって演劇とは、同時代の観客、それも芝居など見たこともない一般の大衆にも楽しんでもらえるような作品を書くことが第一義であって -中略- アチャラカの芝居から戦意高揚劇、そして中間演劇、ミージカルと領域をひろげながらも、菊田さんの視座は常に大衆にあった》(p.274)ということがよくわかる評伝でした。

 ちなみに著者の小幡欣治は『恍惚の人』の脚本家です。

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January 31, 2019

『ハイ・イメージ論 III』

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『ハイ・イメージ論 III』吉本隆明、福武書店

 随分前に読んだ本で、当時はテキストで感想なども残してはいなかったのですが、吉本さんの著作では三部作に次いで重要な著作といいますか、中でも「消費」についての考え方は、いまだ有効ではないかと感じているので、思い出しながら書いてみます。

 吉本さんの資本論理解では価値形態論を重視するのですが、何回か書きましたが、ぼくは循環論法だと思っていまして、価値の増大はクリアカットでありがたくもないアメリカンな生産性向上の仕組みで幾何級数的に伸びるたのだと思っています。

 ただ、『ハイ・イメージ論 III』の「エコノミー論」と「消費論」では、金利がゼロあるいは一時マイナスも記録した超資本主義段階の経済を予言しているところが凄かったな、と感じています。

 『資本論』3巻の「利子生み資本」では、産業資本家は貨幣資本家(銀行など)から借り受けて事業を運営するという図式で展開されるのですが、もし、利子がゼロに近づいたとしたらどうなるでしょう。

 資本は、マルクス的用語でいえば、貨幣資本家の手にある限り利子を生まず、資本としては作用しません。だから産業資本家に貸し出して利子を増殖させて利ざやを稼ぐのですが、利子がゼロなら「資本によって生み出される剰余価値の完成した下位形態として実存する」という生産過程において生み出された剰余価値が、利潤、利子、地代といった現実的諸形態に変化していくマルクスの想定した論理サイクルが途切れてしまいます。

 問題はこの利子ゼロという想定が、1990年に公定歩合が8%台にも達していた余韻もある中で書かれたということです。

 『ハイ・イメージ論』は吉本さんの著作の中でも不遇の作品といいますか、「振り切られた」読者が多かったり、初めから無視するような読者も少なくなかったと思います。

 そのひとつの要因が剰余価値を資本主義的生産様式の中で生み出しにくくなってきているという予想を、この時期に見通し、しかも資本主義は「消費資本主義」と吉本さんが呼ぶ段階に入ってきたという見立てが、なぜか清貧思想を好む判断停止状態のリベラレル・レフトの人たちから毛嫌いされたからなのかな、と感じています。

 個人的な話しで恐縮ですが、貨幣資本家が浮かない感じをするのはなぜか、という吉本さんの指摘は鋭いな、と感じました(p.145)。それは資本が、資本家の手にあるかぎり利子を生まずに資本としては作用せず、利子を生んで資本として作用するかぎりは彼の手ではなく産業資本家という他者の手にあるから、です。

 資本家は浮かない顔をしていなければならない。もし、浮かれていたら、とたんに足元をすくわれるのかな、と個人的に感じています。

 宇野弘蔵は『資本論に学ぶ』で「原理的にそれ自身に利子を生む資本、それは具体的に株式相場や土地価格という擬制資本となる。原理的には、それはただイデーとして資本の物神性をなす。貨幣市場では資本の需給で利子率は動きながら決定されるが、株式市場ではその反映を援用する。ここに資本の物神性が完成される」と書いていますが、資本が利子を産むということが原理ではなくなった時代を吉本さんは見通していたんでしょう。

 リカードは労働力を希少価値として理解していたという過ちを犯したと言われていますが、もしかしたらマルクスは貨幣を希少価値だという仮定に置いたことが間違ったのかもしれません。そうなるとG

 吉本さんは、さらに「消費論」で一歩出ます。

 ヘーゲルは自分以外の自然にも全面的で普遍的な関係を持ちうるものを人間(ヒト)と読んだのですが、マルクスは抽象的人間労働が自分以外の自然にも全面的で普遍的な関係を持つことで、自然を非有機的な肉体に変化させる、という議論にもっていまきす(p.217)。

 個人的には貨幣は自分以外の商品に対しても全面的で普遍的な関係を持ちうるもの、と定義することからの議論の方が面白いと思ったのですが、吉本さんは、消費は遅延された生産だというマルクスの主張が、消費資本主義の段階でどこまで有効かの議論を進めます。そして、それは高次の自然と(人工)と高次の人間(情報機械化)の間にあるのではないか、と結論付けます(p.228)。

 正直「消費論」の後半はボードリヤール批判に終わっていて、独自の展開は僅かなのですが、それでも「消費社会では、マス・コミュニケーションが三面記事的性格をもつ -中略- 扇情的、非現実的な記号を、その表面に氾濫させて実像をわからなくさせてい」というあたりは、これまた予言になっているな、と(p.241-)。

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January 27, 2019

菊田一夫作『霧深きエルベのほとり』の対照構造

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 現在、宝塚大劇場では菊田一夫作の『霧深きエルベのほとり』が上演されています。1963年初演で、再演は83年以来36年ぶり。水夫が父親との確執から家出してきた深窓の令嬢と恋に陥るが…というベタな作品なんですが、そんなベタな話に感動するのかわからないけど感動してしまう。宝塚大劇場の客席は2550ですが、平日も立見の入れたキャパの2710人に迫る行列が出ていました。なぜなのか、と考えながら新人公演を含めて3公演見てきました。

 観劇後に考えると菊田一夫の脚本はダブルイメージのシンメトリーな構造を持っていることがわかります。

・オープニングとエンディングが同じ歌
・オープニングでは客席から最も近い銀橋に立たせ、ラストでは最も遠いフランクフルト号の船首に立たせる
・主人公は女に振られたハンブルグ港におり立ち、女を振ってハンブルグ港を去る
・上流階級と庶民の二つのカップルが誕生する
・ゲスな男と高貴すぎる男が一発ずつ殴りあう
・男に去られた女が、女から去った男の話を聞いてやる

という対照構造が浮かび上がり、そうした構造がうねって若い二人が出会って別れるだろうなという予感の物語に推進力を与えている感じ。

さらに

・ビール祭りの庶民の喧騒vs上流家庭のパーティの盛り上がりのなさ
・自分のことしか考えてないフリして利他的な船員vs文化多元論主義者だけど実は自分のことしか考えてない青年貴族
・一途で思い切った行動に出るが実は家に縛られている深窓の令嬢vs思い切って結婚する主人公の妹

 という構造もみえてきます。

 大衆演劇は90分のプログラム・ピクチャーと同じ尺の中でダブルイメージ、対照構造で物語の骨格を印象付けて、物語をドライブさせていくんだな、と。というか、こうした脚本の構造がしっかりしているから、ありきたりすぎる物語の設定に説得力を与えているいるんだろうな。さらに脚本の力を持ってしても越えられない古さは演技力でカバーする、と。

 でも、こうした複雑な構造を考えすぎると、文楽のようにあまりにも高度になって庶民の支持を失うことにもなりかねない。そうなったのは、こうした構造をひねりすぎて、わかりにくくなっていったからなのかな、とも考えました。

 菊田一夫は映画『哀愁』(Waterloo Bridge)のウォータールー橋を数寄屋橋に置き換え、ラジオの連続ドラマにするために戦時下の男女の出会いを何回も繰り返すという構造を考え出したのですが、大衆が何に反応するか、ということを熟知していたのかな、と。

 菊田一夫は商店で働いていた時代、美しい女性に恋をしたが振られたという経験を持っているらしい。時代背景も日本の戦前。そうした厳しい時代のリアリティがカールに投影されているんだろうな…と思いながら岩波から出ている『菊田一夫評伝』を読んでいたら、修行時代にお嬢様に恋をして、その美也子さんがお嬢様だったので宝塚が好きで、気を引くために「歌劇」に詩を投稿していたというのも知りました。

石段に腰を下ろした一人のマドロスは
背中をまるめてパイプをふかしながら
じっと沖を見つめてゐた。

まるで、『霧深きエルベのほとり』のハンブルグ港のシーンみたい!

 宝塚歌劇の各公演ごとのステージ写真集などが載っているLe Cinq(ル・サンク)というムックには、脚本も掲載されています。それも読んでみたんですが、カールとマルギットを探す警察官たちの出番が1)最初に出てくるビール祭りではカウフマン警部と部下2)次のホテルではシュラック家の当主を連れ3)湖のレストランではフロリアンもと徐々に登場人物を増やして見物にわかりやすく紹介してる感じ。初歩的な技術かもしれないけど、んまいなぁ、と。


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January 19, 2019

戸田の裏解説

 サッカーのアジアカップは戸田の裏解説を堪能しています。

 緒戦では原口の位置がおかしいと前半の早い段階で指摘して、後半始まると高いポジションで相手サイドバックを押し込み、さらに5ラインの内側に入って、長友のオーバーラップをやりやすくなっていると説明。実際に、日本代表は俄然、ペースを握っていったのはさすがだな、と。後出しじゃなく、ハーフタイムのボードでキッチリ説明していた。

 オマーン戦でも、吉田からのロングボールが多く、そこから南野と堂安が相手DFの裏を狙っていると指摘。中盤で回してボールを奪われてからのカウンターを防いでいると指摘。その後、北川がポストプレーができないから、こういうオプションを使っているんだろうと解説。その割には、北川の左右の動きが5ラインの真ん中にほぼ限定されているので効いてないと指摘。後半、すぐの交替は予言かよ、と思ったほど。また、堂安の動きも満足できないと言っていたら交替された。

 それはオマーンは6番が全然、前に出てこないから。武藤が入って、5ラインの真ん中3ラインぐらいの幅で動きだしたらペースを掴んで、伊藤が入って、さらに右サイドも活性化された。にしても、オマーンのピム監督は6番を上がらせないことでバランスとっていたのかも。もし、6番が上がっていたら、もっと日本にチャンスつくられていたのかな、とか。

 日本代表vsウズベキスタンでも戸田の解説は「こうやってサッカーをみればいいのか」というのを生まれて初めて教えてもらった感じ。

 クーペルとなって5戦みているというプレビューでは

・韓国に4点とられた後は19番のシュクロフがバランスをとって前には出ない
・ボールを持ったら攻撃はなかなかやり、22番はいい
・左右のSBの利き足が逆なのでアーリークロスはない

 と言うあたりを強調していたが、これら3点を頭に入れておくだけで、試合展開というか、ボールの動くひとつ先が読める感じ。

 ハーフタイム解説では、ミドルゾーンで日本は失いたくないというのはわかるけど、相手が動く前に蹴るのは気にかかる、と指摘。右サイドの伊東と室屋から崩す時のポジションが出来てない、佐々木が出られないように相手の17番が高いポジョンをとっていたとも。相手の右サイドからの攻撃を防ぐには、乾が攻撃しないで守備するか、2トップが流れるか、という戦術ボード解説はよく分かった。

 後半ではスローインで間に入って抜けていたのはスタートのポジション悪いから、という指摘が印象的。乾の運んでキャンセルというプレーを高く評価していたのはなるほどな、と。原口はスペースを理解している選手という言葉も印象的。

 野球の場合は、プロ野球、高校野球ともテレビの解説に関しては世界一だと感じているので、子供の頃から野球観は養われてきた感じはするのですが、サッカーに関しては一流の解説というのは本当に少なかった。試合そのものよりも、選手やクラブ情報に後付けしてプレーの印象を語るようなものばかりで、スカパーなどが衰退していった一つの原因は「解説がつまらない」ということだと思っています。

 戸田の解説は「いまそこにある試合」のポイントを正確に指摘、それが何回も実際の試合で再現されるので、監督になった気分で観られというか、録画も同時に何回も視聴している感じぐらいの情報量を受け取れます。とにかく、これとヒロミの判定解説をNHKかDAZNはパッケージ化するべきだと思う。久々にサッカーで本物のエンターテイメントに出会えました。

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