April 20, 2018

プラド美術館展

Velazquez_1

 昨日は雨模様の中、上野の国立西洋美術館に出向き、プラド美術館展を見物してきました。

 実はお恥ずかしながらベラスケスの本物を見るのは初めて。

 世俗的な静物画だけがイギリスなどに流出していますが、宮廷画家ベラスケスの重要な作品は基本的にプラド美術館に所蔵されていて、ラス・メニーナスはたぶん門外不出でしょうから、スペインに行ったら、見物しようと思っています。

 今回は7点の作品が展示されましたが、最初の『ファン・マルティネス・モンタニィースの肖像』から圧倒される。

 今描き上げたばかりのような鮮烈な絵の具ののり具合。

 俗なことを考えてしまうのですが、高い絵の具を使ってたんだろーな、と。

 宮廷肖像画では『狩猟服姿のフェリペ四世』に、書き直しの跡がくっきりというか、わざとじゃないの?と思うぐらい残っていて驚く。

 よほど国王の信任厚くないと許されないんじゃと思うほど。それにしても、政治家としては特筆すべきこともなかったフェリペ四世ですが、ベラスケスを厚遇し、好きに(本当に好きに、実験的といってもいいぐらいに)描かせたことだけでも人類史的な功績。

 『王太子パルタサール・カルロス騎馬像』は、先週放映された「日曜美術館」の影響で屈んで見る人多し。「諸国民の間」の扉の上に飾られていたこの作品は斜め30度ぐらいで見上げることを前提に描かれていたので、正面からみるとややアンバランスな構図だが、下から見ると馬のお腹などジャンプする姿が迫力をもって描かれているだけでなく、背景の風景が浮き立つ感じ。

Velazquez_2

 『東方三博士の礼拝』のマリアは奥さんがモデル。綺麗な奥さんで良かった。

 当時の宮廷に仕えていた矮人(わいじん)を描いた『バリューカスの少年』も良かった。ぼくもフーコーの『言葉と物』でラス・メニーナスにやられたクチなので、フーコーが矮人もマルガリータ王女と同じぐらいの存在感で描かれていると書いていたことに感動したものですが、スペイン宮廷では小人などの矮人がたくさん周りに仕えていたことが、出品されている他の作品をみて初めて知りました。

 ついでに常設展も見るっつうか、世界遺産に登録されてからは初めてこの建築をじっくり見ることに。見やすいというか、視線が圧迫されないつくりだな、と改めて感じる。松方コレクションを見ると、モネには、気合いの入った作品と入ってないのがクッキリわかるな、と。傑作しか描いていないベラスケスは凄すぎ。

 年間パスポートを持っているので、トーハクにも入って見物。東洋館での書、インド細密画、本館での近代日本画、日本の書が楽しみ。速水御舟の群青が美しい『比叡山』は初見だったので嬉しかった。

Velazquez_3

 上野といえば、「肉の大山」で揚げ物とビールをいただくのが楽しみ。

 立ち飲みもできるんですが、いつも美術館を歩き回った後にピットインするので中のカウンターに座ります。雨だったので、座れる店内でもいつものは立ち飲み客専用に供されるハムカツ、やみつきメンチが注文できてラッキーでした。

 しかも、3-5時は飲み物半額。パラダイスw

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 17, 2018

『三国志の世界』

3_countries

『三国志の世界』金文京、講談社

 講談社「中国の歴史シリーズ」の第四巻『三国志の世界』。

 『三国志演義』は中国だけでなく、朝鮮半島、日本でも大人気で、日本に翻訳された初の海外小説だと言われています。しかし、もちろん、それはフィクションであり「史実は三割、七割が創作」と言われているそうです。明代になって書かれた『三国志演義』は正史を元にしてはいますが、同じ明代の朱熹が『通鑑項目』で蜀を正統として尊皇攘夷を打ち出したことに影響を受けているため、最も国力が劣り、最初に滅んだ蜀を中心に描かれることになります。これは、金などの"夷狄"によって南に押し込まれた明代の朱熹が主張した正当性を巡る観念的な議論を反映したものですが、観念的であるということは、それだけ現実を無視して伝播するわけで、日本、朝鮮、ベトナムにも大きな影響を与えました。また、三国志のリアルタイムの時代史も、日本、朝鮮、ベトナムにミニ中華意識を与えることにもなりました。

 陳寿の正史『三国志』に付けた裴松之の註を基にした羅貫中の『三国志演義』は、湖南文山によって元禄期に和訳され、それは完訳され出版された初の外国小説であり、世界でも満州語訳に続くもので、日本人に最も親しまれている小説なりました。また、歌舞伎などに出てくる「白浪五人男」は5人組の盗賊ですが、「白浪」という言葉も『三国志』にも出てくる「黄巾賊」に由来しています(黄巾の賊張角の残党が西河の白波谷こもり白波賊と呼ばれた)。

 ということで東アジアの歴史全体に三国志は大きな影響を与えたのですが、本書の特徴は以下の三点を重視して書かれたことだと思います。

・日本と朝鮮半島の儒教の受容と特殊性、異質性
・呉の重要性
・中華意識の日本と朝鮮半島への影響

[日本と朝鮮半島の儒教の受容と特殊性、異質性]

 後漢時代から、大学に学んで儒教的教養を身につけた豪族と官僚が一体となった存在が進み、それが支配層の門閥貴族になっていたことが三国志の時代背景となります。さらに、後代の隋唐時代に門閥貴族制が機能しなくなると、科挙に合格した士大夫が現れますが、そこでも実体は地方勢力でした。しかし、この過程で儒教的な父権的家族制度の普及で外戚勢力は姿を消すそうです(p.33-)。つまり儒教倫理の進展で、母系の重要性が中国では薄れていったわけで、この点が、儒教を表面的にしか受容しなかった朝鮮、日本との違いでしょうか。

 だいたい日本は宦官が存在しなかったし、朝鮮は導入したものの政治的に大きな問題を起こしたことはありません。しかし、外戚はどちらも重要な勢力であり続けました。輸入された儒教の父権的な家族制度は、日本と朝鮮の母権的家族制度を変えるほどの影響力を持たなかった、というのはクリアカットな言い方だな、と(p.38)。

 日本は科挙制度を導入せず、中国の士大夫が文士なのに対し、日本の士は武士です。朝鮮は高麗時代に科挙が同されましたが、両班は世襲的性格が強く、中国の六朝以前の門閥貴族に近いとのこと。つまり、日本も朝鮮も中国の政治制度を導入したが皮相的レベルだった、と(p.39)。

 しかし、中国でも母系の基層は残っていたかもしれません。例えば曹操の娘、何晏(かあん)は金郷公主と結婚したのですが、その母は何晏自身の母。つまり同母兄妹。儒教倫理が伝来する以前の朝鮮半島の王族や日本の天皇家では、近親婚がむしろ原則で、儒教というベールをとってしまえば、中国と朝鮮、日本には多くの共通性があるのかもしれない、と(p.223)。

 ちなみに曹操は三国志の中で最も魅力的な人物だと思います。

 曹操の墓と遺骨が2009年に見つかった件について、つい最近、河南省文物考古研究院が墓の建築構造などから遺骨はほぼ間違えなく曹操であると発表したそうですが、本人の曹操は宦官の養子の息子です。

 後漢の権力は宦官、外戚、豪族知識人が対立しましたが、曹操は漢王朝最後の皇帝となる献帝に娘を嫁がせて外戚となり、才能本位の人材登用で知識人も味方につけ、三つの相反する勢力全てを手に入れたたそうで、後漢王朝の簒奪こそ息子の曹丕の時代を待たなければならなかったものの、三国志の勝利者となったのは必然だと本書ではしています(p.46)。

[呉の重要性]

 『三国志演義』では最も軽い扱いの呉ですが、現在の「政治の中心は黄河流域の北部、経済の中心は揚子江流域の南部」という中国の国のかたちをつくったのは呉です。

 呉の孫権は夷州と亶州を探検させ失敗に終わっているのですが、夷州は台湾、亶州は倭国のどこかであった可能性がある、と。魏志倭人伝で魏が倭国に格別の対応をしているのは、万が一にも呉と倭国から挟み撃ちにされたらかなわん、という思惑があったハズという説は読んだことあるのですが、呉の影響は日本にも及んだ可能性はあるんだな、と(p.155)。

 呉の孫権は南方の山越(さんえつ)討伐に悩まされました。魏にいったんは臣従したり、その後の魏との対決では蜀との共同作戦を十全に行えなかったのもこれが原因。呉の軍隊に編入された山越の兵士は15-6万人に登るそうです。山越の同化は唐代までにほぼ完了し、江南地方は穀倉地帯だけでなく、文化的先進地帯になっていった、と(p.194)。

 著者が最初の方で、三国志演義では魏と蜀の対決がフィクショナルに語られるが、真に重要なのは呉だったというのが、ここら辺でやっとわかりました。孫権は南方を開拓し、海を通じて倭国と交流しようとした結果、中華が拡大。五胡十六国時代を経て隋唐の統一まで向かうわけですから。

 ちにみに、当時の「世論」は名士たちのネットワークで決まっていて、劉備も数少ない名士を優遇したが、名士たちは軍人を軽んじ、張飛などとは口も聞かなかったという話しは有名。漢代に官吏を曹と言ったのは曹氏が天下を取る予兆というような予言も出て(現在の日本でも「法曹」に曹の名残りが)、国力を削いだ、というのは知りませんでした(p.211)。

[中華意識の日本と朝鮮半島への影響]

 中華思想は「夜郎自大的に」華夷秩序を強調し、夷狄にけものへんの漢字をあてたりしますが、ブッダへの浮屠というのは強烈だな、と改めて感じました(p.265)。おそらく「日の巫女」を卑弥呼にしたのも、ヤンキー漢字並の知性だと思いますし。

 五斗米道を起こした張魯の母は「鬼道」をよくした、ということですが(p.103)、こうしたところでも卑弥呼といいますかアミニズムの残滓を感じます。辺境の地の益州で「鬼道」などは大目に見られていた、とのこと。

 ちなみに五斗米道の創始者、張魯の子孫は張天師を名乗って、中共成立後は台湾に移り、64代に。孔子の子孫も77代が台湾に移った。中国は革命の国で王朝は長続きしないが、宗教指導者は万世一系だとしています(p.260-)。天皇家も特に今上陛下の光格天皇系は傍流と言うこともあり自覚的に学問に専念している感じですかね。

 中国は東と南に大海が広がり、北と西は砂漠と山脈によって遮られています。中華思想はこうした外部世界から隔絶した地理環境から生まれた、というのが著者の見立て。そうした中、朝鮮とベトナムは比較的簡単に到達できましたが、このうちベトナムからはインド文化の仏教が入ってきたりしますが、東はそれに匹敵する文化はなく儒教が進出した、と。

 中国皇帝は唯一無二の支配者なので外国の君主とは対等の関係はありえなかったので、朝貢を求めることで平和な外交関係を築きます。朝貢は正統な皇帝の証として重要で、向こうからやってこなければ、中国側から働きかけることも辞さなかったそうです(p.319)。

 現代でも、どんな小国の元首であっても、中国の指導者との会見はトップで報道されるそうで、ひとつの中国を巡って中共と台湾の激しい外交戦も、唯一無二の皇帝への朝貢が重視された伝統による、と。朱熹が『通鑑項目』で蜀を正統として尊皇攘夷を打ち出したことは日本、朝鮮、ベトナムにはミニ中華意識を与えることにもなります。朝鮮では清朝に朝貢しつつ夷狄視し、韓国は中共をオランケ(韓国語で夷狄)と呼ぶなど自家撞着的な対応をみせますが、とにかく互いに相手を見下す態度となっていった、と(p.354)。

 卑弥呼に与えられた親魏倭王は外夷の称号としては最高のものです。倭が魏、晋と親密な関係だったのは呉との対立、朝鮮半島情勢から利用されたもので、朝鮮半島の三国時代、日本での畿内政権の成立に発展していきます。これが現代の中国と台湾、南北朝鮮と日本との東アジア情勢にもつながる、と(p.340-)。

 世界で最も長い交流の歴史を持ち、漢字も共有する日本、朝鮮・韓国がEUのような連合化に進まない理由は日中戦争、朝鮮の植民地化などではない《問題の根は、それほど浅くはない。1800年前の三国時代の歴史を、今日的な視点からもう一度見つめ直す必要がある》というのが結語(p.357)。

 ちなみに、篆書、隷書は木簡、竹簡用で、行書、楷書は紙の文字。初期の紙は表面がなめらかではなく物を包むためものだったが、書写に適したなめらかなものがつくられたそうで、紙の普及で手紙も頻繁にやりとりされるようになり、筆跡の認識により手紙の偽造も始まったとのこと(p.310-)。

 紙の発明で書物や手紙が普及したことによる情報革命で、社会全体の構造的変革が起こった、とも考えられるわけです。中国社会では唐宋交代期による印刷術の発明、清末の西洋印刷術の導入によっても知識が普及したが、三国時代は情報革命が政治革命をもたらした初めての時代だった、と(p.314-)。

 このシリーズは本当に面白い。

 出て10年ぐらいたちますが、中国本土でも翻訳されるほどだそうで、こうした本をじっくり読むことができるのは、リタイアできたことの特権かな、と。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 16, 2018

『鉄道貨物 再生、そして躍進』

Freight_railway

『鉄道貨物 再生、そして躍進』伊藤直彦、日本経済新聞出版社

 昨年、日経産業に連載されていたインタビューも読んでいましたが、JR貨物の社長会長をつとめた伊藤直彦さんの『鉄道貨物 再生、そして躍進』を読みました。一読、最初に想いをいたしたのは貨物が1000億円近い長期債務を背負わされたこと。国鉄末期には赤字の元凶とまで言われ、赤字必至とみられた貨物会社にしては、随分、ハードルの高い船出だったなと改めて思います。

 長期債務を負わせられたのは、この本でも書いている通り、いずれ経営が立ちゆかなくなり、5年後ぐらいに本州3社を中心に再統合する構想があったことが遠因かもしれないな、と。本州3社は三島・貨物とは比べものにならないほどの優良資産を継承していたわけですが、大都市に広大な土地を保有する貨物の資産もいずれ自分たちのものになると考えれば、多少はハードルを高く発足させた方が後々、早く回収できるし、自分たちの会社の長期債務も少なくてすむ、という考えもあったのかもしれない。

 『国鉄改革の真実「宮廷革命」と「啓蒙運動」』でJR東海の葛西さんは、JR東日本には東海道新幹線も入っているのに東京駅などの分割で重要資産を軒並み持っていかれたと不満をぶつけていますが、国鉄改革の最終局面では、時間がなかったということもあり、資産の振り分けなどは、相当、恣意的に行われていたようです。

 それを考えると、バブルとともに発足したことは天佑だったのかもしれない。

 当時は「人手不足のトラックからこぼれ落ちた貨物が鉄道に回ってきたただけ」という現実を経営陣が認識しないまま緊張感を失い、本来は機関車や貨車などの取り替えに利益を使うべきところを、一時期はまことしやすにささやかれていた「貨物を上場一番手にして、株高を誘って東日本、東海を高値で売る」という構想に乗って、税金を払うためだけに利益を積み重ねていたのは残念だと思っていました。

 しかし、それでも、旅客会社からは独立した全国一本の会社としてやっていけるという方向がハッキリし、黒字続きということで荷主や代理店である通運会社からも「これなら使っていける」と認識されたのは、長い目でみれば本当に運が良かったのかも。バブルの恩恵に浴することなく、最初からギリギリの経営が続いていたら、阪神大震災あたりの時点で貨物は地域分割されていたかもしれません。

 本書は貨物会社の発足に関しては伝聞調で書き、それよりもなぜ国鉄が大幅赤字に陥ったかということについて詳しく書いているな、という印象。

 国鉄は同じ公社でも市場を独占していた専売公社や電電とは違っていたとか、敗戦処理で満鉄の引き揚げ者を24万人を受けいれたため、ピーク時の職員は62万人に達し、定員削減に伴い下山・三鷹・松川事件も発生したというあたりから書かれても…とも思ったが、こうした事実を知らない世代も多くなっているのかもしれない。また、戦後、国鉄が新規投資を抑えざるを得なかったというあたりは、JR貨物の姿ともダブった。機動的な投資を怠り、それが後々、ツケとして回ってくる、という問題は貨物だけでなく北海道も抱え、後に大きな問題になることも。

 また、国鉄時代の職場規律の問題を最近の類書より大きくとりあげているのも特徴。第二章で、現場での「説明事項」が「定員交渉」という名に変わってしまい、怒号と喧噪の集団交渉になっていったというあたりを詳しく書いるが、伊藤氏など労務畑の幹部が貨物に多かったのは、北海道と比べてラッキーだったな、と(総連系の組合のコントロールなど)。
 
 順法闘争に怒った乗客が暴れた際、北局人事課長として警視庁に赴き、現場に対して「足止めされた乗客には後日タクシー代を国鉄が支払う証明書を出して対処しろ」と権限もないのに指示を出して収拾させたが、「機転がよく利いた」と褒められたというあたりは、この程度のカネは国鉄にとって何でもないということだったんだろうな、と改めて思います。JRグループの大物だった人が「国鉄末期の年度末には、毎年、多額の利子を支払わなければならず、その時は百億円以下のカネはカネとは思わなかった」と語っていたことを思い出す。

 「第二臨調と国鉄再建監理委員会」の章では「国鉄は、第二臨調の高度の政治性に気がついていなかった」というあたりは新鮮というか「マジかよ」と。やはり、当時の田中派の力を信頼しきっていたのだろうか。葛西氏の本でも、この本でも政治がらみというか、田中派についてはほとんど書かれていないのが特徴。

 p.61の分割論に関しては電力を参考にした、というあたりは、葛西氏も分割・民営化で推進派の立場の朝日の大谷健『興亡』と、分割反対の立場から書かれた近藤良貞『電力再編成日記抄』を参考にしたと書いていたことを思い出した。

 正直、就業規定の改正がどれほど大きかったということについては知らなかったが、これが出来ていなかったら余剰員対策もできなかったというあたりは、そうなのかな、と(p.99)。

 四章「国鉄改革と鉄道貨物輸送」で、国鉄貨物部門を残せと後輩の事務次官だった再建監理委員を事実上取り仕切っていた、後に東日本社長となる住田正二さんに広瀬真一日通会長が指示を出したとまでは書かれていないものの、広瀬さんの役割に触れているのも、こうした本では初めてのこと。八章「JR貨物、ついに出発」で、貨物はどうせ赤字で立ちゆかなくなるので、旅客に分割することが暗黙の了解だったということも、この手の本では初めて。

 貨物会社が引き継ぐ資産を圧縮したことについては、第八次石炭政策で国内炭生産の段階的縮小を図ることことが決まり、貨物会社の石炭輸送に係る資産も圧縮されたというあたりが抜けているかな、と。

  58年6月に日通で信澤専務が子会社の日通総研社長となり、8月に広瀬、住田、信澤氏と国会議員の三塚博、鹿野道彦それに後に運輸事務次官となる林淳二監理委員会事務局長が貨物をどうするかの協議を行ったことについて、国鉄は知らなかったというのは、どうなんでしょう。 信沢委員会の発足当初は知らなかったのか、あるいは知っていても、そんなものは無視するという感じではなかったのか、と言いたかったのか。

 60年4月に運輸省が国鉄改革推進本部を発足させ、貨物については熊代審議官のチームを設けたわけですが、本当にあの頃になると国鉄は急速に当事者能力を失っていたな、という印象。8月に須田さんが中心となった貨物プロジェクトがつくられたけど、やっぱり貨物局が中心となってやるべきとなったというあたりは混乱というか。

 六章「貨物輸送と線路使用料」については、回避可能原価と追加発生コストの名称に固執しすぎたかな、と感じます。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 15, 2018

『近代日本150年 科学技術総力戦体制の破綻』

Moden_japan_yamamoto_1

『近代日本150年 科学技術総力戦体制の破綻』山本義隆、岩波新書

 腰巻の「黒船から福島まで」が効いている。山本さんは反原発で、その理由として過酷事故の時にECCSが働くかどうか分からないなんて言ってるわけですが、ま、そうした部分は置いといて、まだ、駿台予備校で頑張っているんだな、と。偉いもんです。

 この本は東大全共闘時代からの「自己否定」を、日本の理系研究者に向けて問うた印象。その前提となっているのは、戦前の革新官僚によって道筋がつけられた国家総動員体制が、戦後は高度成長に向けられたという見立て。この見立ては現代史の研究成果の上に立っていると思うので、日本近現代史を技術史から補強する、という本になっているな、と。

 山本さんらしく、前書きからラジカル。

 個人的に、映画『この世の片隅で』みたいな作品を原爆レクイエムとしてとらえる一般の日本人に「ああした映画をいつまでもありがたがっているのはいかがなものか」と書いたら猛烈なクレームつけられて辟易としたことがあるのですが、原爆に関しては《1945年に原子爆弾二発で大日本帝国は崩壊した》というのがクリアカットな見方なんだろうな、と改めて思いますね(p.v)。

 そして本文。

 西洋でも19世紀までは客観的法則性を考究するアカデミズムと無関係に技術は営まれてきた、と。錬金術みたいなものの失敗と、その中から得られるたまたま素晴らしい成果や、なんでこうなっているのか分からないけど、その現実の上に論理展開していくという、職人技みたいな積み重ねで技術は発展していったわけです。

 当時はアタマの中で考えたイデアがアカデミックな世界では全てだったわけですが、19世紀後半になって学問と技術の相互依存関係が初めて生まれたわけですが、その時に文明開化した日本は、技術を厳密な学問に裏付けられたものと誤解し、もっぱら科学を「実用の学」として評価するようになった、という指摘はなるほどな、と(p.29-)。

 日清戦争の賠償金で京都大学が創られ、帝大が東京帝国大学にかわった1897年の頃には、理系の教育もほとんど邦人が当たるようになった。『物理学述語和英仏独対訳字書』の発行も88年。西洋で神学の素養がなくても物理学が習得できるようになったのも19世紀後半だった(p.57-)というあたりの連関も面白いな、と。

 電信は西南戦争で圧倒的な威力を発揮、薩摩軍の動きを大本営は前線から受け取ることができたわけですが、このため日清戦争前に釜山~九州の電信線を敷設。勝利後は釜山、京城、仁川、平壌を鉄道で結び日露戦争の兵站を確保したそうです(p.94-)。旧軍はモルトケに影響受けてたから、電信、鉄道の利用を進めたんだな、ということが分かります。

 京都大学は日清戦争の賠償金で創られたが、九州と東北の帝国大学は、足尾銅山鉱毒問題の非難をかわすため、古河鉱業が寄付したのもの、というのは知らなかったな(p.105)。

 今でも間組はトンネル工事で有名ですが、そのルーツが地理的には北朝鮮での水力発電だったというのも知らなかった(p.141)。朝鮮半島の北の分水嶺の西側にダムをつくり、山脈を貫通する水路で勾配の急な東側に水を落として発電、チッソを中心とする重化学工業コンビナートに送電する、と。工業面での当初の北朝鮮の優位性はここらへんにあったな、と。

 とにかく、日本が1941年に鴨緑河で稼働させた水豊ダムの最大出力は70万kwというのに驚きました。この発電量は原発並み。日本が世界銀行から借金して建設した黒四ダムの発電量は33.5万kwだから、その2倍の規模なわけですから。にしても、北朝鮮では日本語マニュアルで運用していると言われているけど、どうなんでしょ(p.141)。

 この水豊ダムなど、併合期のインフラは北に偏重していました。南は北への通過点みたいな感じのインフラ整備政策だったから、しばらくは北の方が優位だったわけだし、北朝鮮に投資が可能になったら、日本の資本がドーンと行くんじゃないかという予想も、ここら辺があるから…。

 南部=韓国側のインフラ整備は、釜山~平壌などの鉄道敷設とか、通過点みたいなものが多く、著者は鄭在貞の「国民経済の形成を歪曲し、現地人の主体的成長を抑圧」という部分を引用していたけど、南北一体で考えれば、整合性はなくもないというか。まあ、中国東北部が本命だったわけですけど。

Moden_japan_yamamoto_2

 哲学者とも思えない粗雑で主観的な一節と批判された船山信一は西田左派に属して治安維持法で逮捕されているから、この文章(写真参照)は転向後に昭和研究会で近衛に協力していた時期かな。フォイエルバッハの『キリスト教の本質』はこの人の訳で読んだ。弟の子供が新しい歴史教科書の藤岡某なんですが…。

 1938年に厚生省が陸軍の主導で内務省から独立し、X線検査など結核予防システムが翌年から採用されたのですが、これも戦争が健民皆兵を必要としていたから(p.192)。

 食糧管理制度と国民健康保険制度が総力戦への動員を目的に導入されるなど、日本型経済システムは戦前から継承され、官僚制度も内務省以外は無傷で残った。産学に対する官の指導性という思想も引き継がれ、高度成長を実現、と(p.216-)。官の優位性思想は戦前の革新官僚から?なんて感じました。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 22, 2018

出石蕎麦

Izushi_eiraku

 出石を訪問してきました。但馬の国は「十分の一殿」と呼ばれた山名氏の本拠地。それにしては鉄道も通っていなくて、なかなか行けなかったのですが、城崎温泉からバスで。

 で、蕎麦ですよ。

 行ったのは永楽と玄(写真も永楽、玄の順)。

 「よしむら」に行こうと思ったのですが、火曜日か水曜日を定休日にしている店が多くて「よしむら」は休み。

 また、永楽は組合に入っていないアウトサイダーとなっています。

 組合系もアウトサイダーも最低5皿からが基本(小皿ですが)。追加も5皿から。

 まあ、とにかく物凄い数の蕎麦屋さんがあって「蕎麦は単価が高くて儲かるんだろうな」とw

Izushi_gen

 とにかく寒かったのでぬる燗を所望して、トロロが出てくるのはわかっていたので、わさび芋でも勝手につくってつまみにしようかと思ったのですが、観光地なので、そういった配慮はなく、蕎麦もどんどん持ってこられたのにはまいりました。

 ここらへん「蕎麦はお声がけ」という感じがデフォルトじゃないんだな、と。

 「玄」は最初のひと皿を塩で喰わせます。

 よく整備された街並みはなかなかでしたが、どうも薮系のしょっぱい汁になれすぎているのか…。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 09, 2018

『ナポレオン』

Napoleon_2

『ナポレオン』杉本淑彦、岩波新書

 なぜかバカ売れしている岩波文化の象徴のような『君たちはどう生きるか』に便乗してきたのかな、と一瞬思うほど岩波新書の新刊に『ナポレオン』が登場(『君たちはどう生きるか』を読んだことのある方には、なんでそう思ったかわかると思います)。マンガのように一気読みしてしまいました。

 ナポレオンの父はコルシカ独立派から転向したことで貴族となったという経歴を持ち、そのことにナポレオンはコンプレックスを持っていたとか、応用数学が得意だから弾道計算の必要な砲兵科に進んだとか、なるほどな、と。

 ジョセフィーヌは英雄としてのナポレオンをアピールするために有名画家に肖像画を依頼するなどで内助の功を発揮するのですが、一番有名なダヴィッドの肖像画『グラン・サン・ベルナール峠を越えるナポレオン』のサン・ベルナールは、英語読みでは「セント・バーナード」なのかと知る。

 本当のアルプス越えはラバに乗っていたらしいんですが、ダヴィッドの肖像画では、急斜面を馬が後ろ脚で立ち、岩にはハンニバル、カール大帝と並んでボナパルトの名前を刻むなど「徹頭徹尾、格好良くナポレオンを描いている」、と(p.147)。

Napoleon_bernard300

 また、イギリス経済に打撃を与えるために行った大陸封鎖は、かえってイギリスにアメリカとの交易を促して成長させてしまったとか。

  ナポレオンが派遣した遠征軍を撃退したハイチの黒人たちは、1804年、独立を成し遂げ、それによってナポレオンはルイジアナを売却するというつながりも。

 にしても、ハプスブルク贔屓からすると、ナポレオン強すぎて嫌い。しかし、ナポレオン率いるフランス軍に簡単に負けても、王妃を差し出して懐柔して、ナポレオンより100年以上、帝国を維持するのは流石といかいいようがないかも。「戦争は他の国にまかせ、幸福なオーストリーは結婚を」という有名な話しを思い出す。

 皇帝となって正妻、ジョセフィーヌに世継ぎを求めたナポレオンにはその時点で庶子が2人いたが、自らの法典で庶子の相続権を制限されていたので、ハプスブルク家のマリー=ルイーズと結婚、皇太子を得ることになります。

 東洋的には後宮をつくれば…と思うが、昔からの王権神授の伝統で、教会が祝福した結婚じゃないと厳しかったのかな、と。

 花組公演『カリスタの風に吹かれて』は、ほぼナポレオンがフランス革命前期において出身地コルシカ島に戻って果たした役割を元にしていることがよく分かる。フランス革命好きの宝塚ファンにはお勧めというか、宝塚にフランス革命の種は尽きない感じ。

 エルバ島に流されることが決まった時、いったん自殺を図っているというのは知らなかったな。

 本とは関係ない話しですが、ナポレオンのエルバ島脱出も2月26日だったとか。 あと、 ナポレオン3世、ボナパルト家の血筋ではないって結果がDNA鑑定によって出てしまったとのこと。ジョセフィーヌもナポレオンの不倫しまくりだからさもありなんだけど、全く似てなかったからな…。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 08, 2018

『脳の意識 機械の意識』

Nou_no_ekai

『脳の意識 機械の意識』渡辺正峰、中公新書

 なかなかスッキリ理解できないので、読んだままにしていたけど、このままにしておくと、さらに忘れるだけだと思い、書いてみます。

 この本は「意識の移植が確立し、機械の中で第二の人生を送ることが可能になるのはほぼ間違いない」ということを言いたいために書かれ、その手法は左右の脳半球を外科的に分離して、片側に電算機を接続することだということで話題になりました。

 正直、そこまで来たのか、と。

 ただ、一読、ぼくのような素人が読んで、その驚きを縦横に味わえるかというと疑問。

 本書の前半はクオリアって凄い!ってことで、意識はクオリアがあることで担保されるみたいな言い方。しかし、そのクオリアも知覚がそのまま反映されるのではなく、脳が造り出したものであるということを、様々な錯視の例をあげながら説明します。

 中盤では、その意識がどこで発生しているかを脳の操作実験で探究していくわけですが、研究途中の課題のためか、とても整理されているとはいえないし、結論も出ていないが、意識の存在場所として提唱するのは情報ではなく、アルゴリズムという感じ。

 終盤はいきなり、意識の機械への移植が確立し、機械の中で第二の人生を送ることが可能になるなるのはほぼ間違いないという主張のもと(脳科学は発展途上段階だから言ったもん勝ち、という感じで)、左右の脳半球を外科的に分離して、片側に電算機を接続することで二段階に分けて意識をコンピュータに移植することが可能だという手順が示されます。

 クリックの「あなたはニューロンの塊にすぎない」という言葉を噛みしめるべきというあたりは、なるほどな、と。感覚意識体験は原始的だが本質を全て内包しており、脳も所詮は電気回路にすぎないのに、なぜ脳を持つものだけにクオリアが生起するのか、という問いかけは新鮮でした。

 コンピュータには未来永劫実装され得ないと考えられる人もいる「クオリア」ですが、哲学と科学のあいだをさまよっていた意識を科学のまな板に乗せ、意識の自然則を解き明かそうという実験が日々行われていることの重さを実感します。

 といいますか、脳のどこにもブラックボックス(未知の仕組み)が隠されていないのに意識が宿ることが衝撃です。単に電気の流れ。

 だから機械の意識をテストする手法を示し、機械への意識の移植を見据えることができ、情報が意識を生むのだ、と。

 単なる電気の流れということでは、有名なリベットの自由意識の問題(行動の0.5秒前に実は意思されている)が、シナプスの発火量に原因があったということを知ったのが、この本で得た最大の知見です(p.146)。つまり、ある閾値に達して意思するには時間がかかるけど、その前にしばし行動が先んじる、と。

 これは別の本で読んだことですが、老人の痴漢は、対象を知覚して行動を起こしたしまったのを中断させるという決定が遅れるために発生するとか。

 とにかくセンス・オブ・ワンダーは感じさせてもらえました。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 11, 2018

高麗屋三代襲名披露二月

Kabukiza_201802

 歌舞伎座の高麗屋三代襲名披露も二月に。夜の部を見物してきました。

 高麗屋三代の襲名披露は37年ぶりということで、歌舞伎座で二か月連続で行われた後、全国を2年かけて巡ります。にしても、かける狂言が古くさいのが気にかかる。一月の菅原伝授手習鑑の寺子屋(車引で帰った)や熊谷陣屋をかけときゃいいんだろ的なセンス。

 熊谷陣屋や寺子屋みたいな気色悪い「子殺し」の物語を幹部俳優が演って人間国宝というような選定基準がおかしい。

 あれを客がありがたって見物していると思っている松竹の錯覚が、東宝との差になっていると思う。

 ということでしたが、二月の新幸四郎の熊谷陣屋、なんていいますか。元気いっぱいで金ピカな直実でした。

 出の衣装は白鴎のかな。でも体格違うし、デザインだけ同じで新調したんだろうな。豪華。鴈治郎の鎧なんかも新調?煌びやかでした。

 役の仁とか小難しいことは言わずに、豪快に演じました、という感じ。まあ、元はと言えば人形浄瑠璃だし。

 二本目は芝居仕立ての口上。両花道をこしらえて客席つぶすことあるのかなとは思うけど、始まってしまえば新染五郎の涼やかな美しさに満足。見物も交えての手締めも楽しい。

 ただ口上と次の力弥だけしか聞いてないけど、フォークソング歌ってミリオンセラー飛ばした白鴎と比べると嗄れてる(曲もつくっていたから相当"入り"が良かったらしい)。

 七段目は盛り上がりますね。白鴎さん、最初は声小さくて心配したけど、だんだん乗ってきた感じ。

 海老蔵の平右衛門も、新幸四郎につながるような、なんか元気一杯な演技。小難しいことは言わない、型と身のこなしのスピード感でみせる、みたいな。

 仁みたいな言葉が幅をきかせたのは戦後の歌舞伎ぐらいだったりするかもしれないから、テンポを早めるためにも必要だし新鮮。

 菊之助はいつものように素晴らしい。

 にしても、新染五郎も大したもん。05年の生まれか。新幸四郎に抱き抱えられるように初舞台踏んだのが昨日のことのよう。

 新幸四郎は、なんつうかアホっぽいというか、思慮の足りない役をやるとんまいと思うので、一條大倉は悪くないと思うけど、時間がないので昼の部は見物できないかな…

  菊之助のお軽は、海老蔵が好き勝手に、これまでの平右衛門の型とか壊してしまうような感じでテンポ良く演じる中、お軽に歌右衛門さんの姿がダブる。

 初代白鷗の奥さんが「私の一番のライバルは歌右衛門さんだったの」(『歌右衛門合わせ鏡』関容子、p.218)みたいな話しも思い出しながら。

 初代白鷗の奥さんの正子さんは、初代吉右衛門の一人娘。歌右衛門さんと正子さんが初代白鷗(当時は五代目染五郎)をとりあって、歌右衛門さんが勝っていたら、十三代目我童を愛した成田屋十一代目みたいにお手つきを…とか。

 菊之助のお軽がそりかえり、合わせ鏡で二代目白鷗由良之助の密書を、勘平を思い出しながら誰かからの恋文かと思って盗み見るという場面で、七代目幸四郎帝国となっている今の歌舞伎界を思うというか、それを今につないだ初代白鷗を愛した歌右衛門さん、みたいな物語を勝手に妄想していました。

 高麗屋 次男に産まれりゃ 吉右衛門

 という川柳はあるけど

 吉右衛門 娘ばかりが 生まれける

 みたいな状況なのは、なんなのかな…とか。このままだと新幸四郎の昔の子あたりを養子にもらったらどうかと思ったりしたけど、お孫さんが生まれてよかったな、とか。歌舞伎はそこまで愉しませてくれるのが凄い。

 とりあえず、新染五郎が、どんどん子どもをつくってあらまほし、というのが高麗屋三代の襲名披露への想いです。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 03, 2018

『スターウォーズ 最後のジェダイ』

Last_jedi

 外に出る用事があったので、ついでに『スターウォーズ 最後のジェダイ』を見る。

 一応、最初から劇場で観ているので惰性。

 『帝国の逆襲』だけが圧倒的で、その次の3作目から低迷が続いているが、物語の推進力を失っている感じ。途中、2~3回寝落ちしそうになった。

 『帝国の逆襲』以降では、ダース・ベイダーの子ども時代が可愛かったEpisode1がやや覚えているぐらいで、2,3,7などは渾然としていてストーリーも良く記憶に残っていない。

 人形浄瑠璃が近松以降、登場人物を増やし、物語を複雑にして、やがて飽きられていった、というのをなぜか思い出す。

 まあ、ここまできたんで最後まで付き合いますがw

 ポリコレに沿って、正しくキャティングしました感が前面に出すぎ。

 レイアとルークにも懐かしさを感じず、3POとR2にしか親近感が湧かなかったけど、R.I.P.

| | Comments (0) | TrackBack (0)

February 02, 2018

『棋士とAI』

Go_ai

『棋士とAI』王銘琬、岩波新書

 岩波新書の新刊では、アルファ碁の振る舞いについても書いてありそうなので『棋士とAI』を購入。著者の王九段は本因坊2期の実力者。

 驚いたのはアルファ碁が部分の攻防という概念を持たずに、常に全体を見ながら過去の棋譜や自己対戦から一番勝率が高いと思われる場所に打っていること。この驚きを囲碁を知らない方々にどう説明したらいいのか…。個々の局面での攻防などは考慮せず、人間の最強棋士が部分で頑張っても、真綿で首を締めるよう感じで圧倒していくという。

 ぼくはまさかイ・セドル九段がAIに破れるとは思ってもみなかったんですが、そのをイ・セドル九段破ったアルファ碁を改良して汎用性を持たせたマスターバージョンは人類最強棋士の柯潔に圧勝。さらに、これまでは人間の棋譜などで学習してきたのをやめて、ゼロからの「教師なし学習」というディープラーニング手法に変更したアルファ碁ゼロは、柯潔を圧倒したマスターバージョンに100戦して89勝するまでになっています。少し安堵できるのは、その打ち手が人間が長年構築してきたものと似ていはいるんことですが、とにかく人間は師でなくなった、と。

 もう、囲碁を強くする方向では開発していないようですが、アルファ碁ゼロは人類最強棋士より3子強いと言われています。これは、100メートル7秒の記録だと王九段は喩えます。つまり、人類には到達不可能な領域だ、と。

 それ以上に重要なのは、アルファ碁によってAIの開発方向はディープラーニングに絞られたこと。

 さらに《説明ではないものを人間はだいたい「感覚」という言葉でそれを言い表しますが、ディープラーニングはその感覚を学習できる》らしいこと(p.5)。ただし「それをどうして覚えられたかが説明できない」というか、認識を獲得する過程は追跡できないそうです。

 これは ヴ ィトゲンシュタインの言語論に似ているな、と(数列の並びから規則=ルールを理解できれば、言葉が理解できたとことになり、数と言葉は同じ起原を持つ、みたいな。つまり、人間が数列を理解しなければ、数列は存在しない。規則=ルールは、この世界を世界たらしめている、究極の根拠となっている、みたいな)。

 アルファ碁ゼロは以前のバージョンと比べ、仕組みがさらにシンプルになって、そのアルゴリズムは美しいそうです。柯潔戦後、開発者であるハサビスはAIの能力が人間を超えたことで敵意を持たれることを警戒し、「人間とコンピュータが競わない時代」を強調し、世界は「どうAIを乗りこなすか」に視点が移った、と。

 ぼくは初段あるかないかのザル碁打ちですが『棋士とAI』で一番驚いたのは、アルファ碁が勝負を決める「地」の多さの予想(読み)で形勢を判断するのではなく、この局面は勝率n%である、と判断していること。局面の判断に、シミュレーションによる評価を加味して、勝率が一番近い手を選んで最後まで打つというんですが、実は人間の囲碁では確率は全く使われていなかったんです。

 逆に重視されていたのが部分。

 人類がアルファ碁に勝利した最後の戦いとして記録されるであろうイ・セドルとの第四戦。イ・セドルが放った予想外の割込みで、アルファ碁は唯一の敗北を喫したが、それは予測不能な事態が発生し、敗北が必至になった時に、ヒトがよくとる「いつか何とかなるかもしれない」という先送り戦略だった、というのも興味深い(p.62)。

 実はイ・セドルの割込みは成立していない手で、相手が人間ならばすぐに敗着につながる手だったんですが、アルファ碁はそれまで過去の棋譜を過学習していたので、見落としていた、と。都合の悪いことが起きたため、それを視野の外に追い出してしまったため、明らかに悪い手を連発してしまう「水平線効果」で負けた、と。

 人間は「ねばってもムダ」という常識を持っているから、囲碁ならばすぐに投了するんですが、実生活では違った「問題の先送り」的な態度をとりがちなのはセイラー行動経済学でも実証済み。つまり、AIにあらわれる「水平線効果」は実に人間的な態度だ、と。

 将来、量子コンピュータによって10の360乗という囲碁の変化が全解析されるかもしれないそうです(宇宙の原子数は10の80乗)。人間は囲碁に強さ求めてきましたが、それを極めた時の虚しさが見え始めたわけです。だれが必勝パターンがわかっているゲームを面白がってやるでしょう。だから、実は今こそ、勝利を目指す行動パターンを考え直す時がきていて、それは囲碁に限ったことではない、というあたりはなるほどな、と(p.164)。

 著者の王さんは台湾生まれで、14才で日本に来て、一番驚いたのは、日本人が考える人間の基本が「他人を築きつけてはいけない」と言われたことだとしています。それまで台湾では外敵をやっつけるのが使命だと教えられてきた、と。

 日本のプロ棋戦では終局後の検討で敗者に少し譲ります。「そう打たれていたら、こちらが悪かったかもしれませんね」と。それは囲碁の真相が分かってないことからくる自制なのかもしれない、と。

 『棋士とAI』読んでいて、アルファ碁から復活しつつあった囲碁愛が再燃。学生の頃から始めた囲碁だけど、今日、初めて日本棋院の会員となりました。kiin Editorで棋譜を並べるのが目的の無料の情報会員だけど、なんか感動。

 江戸時代の本因坊道策の棋譜を並べてみたくなりました。あと、高川格名誉本因坊の棋譜。

 韓流ドラマって観たことがないので、《御曹司の父が創業者で、囲碁が趣味というのが定番になっているように、碁を打つ人は「できる」イメージがもたれています》って知らなかった(p.31)。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

«『中華の崩壊と拡大(魏晋南北朝)』