September 29, 2022

『同志少女よ、敵を撃て』

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『同志少女よ、敵を撃て』逢坂冬馬、早川書房

 これまでAudibleはジムのエアロバイクなど有酸素運動している時に、退屈しのぎと英語のサビ落としを目的に、英語のノンフィクションや人文系の本を聴いていたんですが、サブスクが安く提示されたので入ってみると、こうした本はほとんど対象になっておらず、すぐにやめようと思ったものの、三か月縛り…。失敗したと思った時に見つけたのが『少女同士よ、敵を撃て』。

 話題になっていた本なので「ま、いっか」と聴いてみたらなかなか面白かったという。

 ロシアとウクライナの関係、ナチス・ドイツとソ連の攻防、世界で初めて女性を攻撃部隊に使った赤軍、それでも残る女性差別(特に退役後)、赤軍と政治将校の関係、ソ連とベラルーシ、タジク人との関係、赤軍のドイツ人婦女子への暴行などの要素がしっかり有機的に結びついていて、フィクションらしいケレン味もありすぎという気もしないでもありませんが、文句をいっちゃいけないレベル。

 全ての章が面白く、昔の日本人作家ならラストに向かって息切れしてしまうのに、ちゃんと盛り上げていく力量は大したもんだと。

 特に印象に残ったのは伝説の女性スナイパー、リュドミラ・パヴリチェンコが狙撃手達に講演を行った場面を含む「第五章 決戦に向かう日々」。主人公セラフィマはここでジューコフ元帥に続き、リュドミラとも直接会って言葉を交わすのですが、戦後はどう生きたらいいのかという問いに愛する人を見つけるか、生き甲斐となるような趣味を持てという納得のいかない答えの背景には…というあたりはなかなか読ませて(聴かせて)もらいました。

 さっそく元となったスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』をチョイス。寝る時にはいまのウクライナにも想いを馳せながら聴いてみようと思います。

[目次]
第一章 イワノフスカヤ村
第二章 魔女の巣
第三章 ウラヌス作戦
第四章 ヴォルガの向こうに我らの土地なし
第五章 決戦に向かう日々
第六章 要塞都市ケーニヒスベルグ
エピローグ

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September 24, 2022

『歴史像を伝える 「歴史叙述」と「歴史実践」』

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『歴史像を伝える 「歴史叙述」と「歴史実践」 シリーズ歴史総合を学ぶ2』成田龍一、岩波新書

高校で必修となった歴史総合のインパクトは大きいなということで、岩波新書の歴史総合を学ぶシリーズを読んでいるんですが、はじめに「歴史叙述」と「歴史実践」や序章のジェンダー史から/で学ぶ「歴史実践」あたりがどうもかったるくて、「むすびにかえて」あたりから逆に読んで、なんとか読了しました。
 
 歴史総合というのは世界システム論が定説化されて、高校でも近現代史はナショナルヒストリーではなく「世界システム」として学ばせようとなってきたんだろうな、というのが大まかな認識なんですが、それと同時に、歴史研究者は専門とする時代や地域の歴史像を提供していればよかったが、問いと対話が求められるようになった、ということで、学ばせ方も変えようという二つの試みが同時に企図されているんだな、と感じます。

とはいっても、「歴史叙述」はともかく「歴史実践」あたりは観念的な話しが多く退屈でした。むしろ、この際、小田中直樹先生が『歴史学のトリセツ』で分かりやすく史学史を解説してくれたように、歴史学を学問たらしめている要素とその限界みたいな話しの方が圧倒的に有益なんじゃないかな、と。

シリーズ一作目は面白かったんだけど、3作目も出そうなので、とりあえず、面白かったところだけを箇条書きでまとめてみます。

[第一章 明治維新の「歴史像」]

明治維新の地租改正では、種子代などの必要経費のなかに、農民の労賃は計上されておらず、それは農民のただ働きの上に算定された地価だった。そのため、税の負担が農民に重くのしかかった(p.66)

維新期の民衆は「客分」であったために征韓論などにも与しなかったが、民衆が自らも文明国日本の一員としての意識を持つようになると、朝鮮・中国への優越意識を持つようになる(p.77)

本土に留学した太田朝敷や謝花昇らは、琉球王国の復活ではなく、「日本人」としての平等や自由を求め、沖縄が蛮族を皇化させる帝国枢要の土地になったという自負を持つようになった(p.84)

[第二章 「近代化」の歴史像]

近代化の入口においては各国に福沢諭吉のような啓蒙思想家を生み、梁啓超もそうしたひとりと考えられる(p.136)

これまでの日本史研究では、自由民権運動を明治政府への反対運動と見る点に軸足を置くあまり、下からの国家形成という問題意識がなかった(p.147)

最初の徴兵令では一家の跡継ぎ、官吏や代人料(270円)を納めれば免除されるなど、当初の免役者は徴兵該当者の96%にのぼった(p.167)

クラウゼウィッツの『戦争論』を翻訳していた森鴎外の日露戦争従軍詩歌集『うた日記』では、戦闘のあり方の変化にも着目している(p.175)

[第三章 「大衆化」の歴史像]

近代化の過程で啓蒙された人々は20世紀に入ると民衆→大衆→群衆として行動するようになる。今村仁司は彼らが「ひとつの決定的な社会勢力」「社会と歴史の原動力」として登場したことが近代社会の特徴としている(p.191-)

身の上相談は歴史社会学の大きなテーマらしいのですが、昔は新聞記者が回答していた(p.212-)

雑誌広告をみると家庭は家父長が統制する・統御する知的な空間として描かれているが、ラジオの登場によって、ラジオそのものが家族の磁場となっている(p.220)

佐藤卓哉『輿論と世論』によると、近代化の中で国民輿論が形成されたが、総動員体制=大衆参加が進むことで、大衆世論がせり出してきた、と。《ファシズムもまた民主政治=政治参加の一形態であり、大正デモクラシーにおける世論形成への大衆参加に連続していた》と(p.221-)

この本で一番面白かったのは小津安二郎のサイレント映画の作風の変化からみるモダニズムの変化の解説です。サイレント映画で「近代的都市空間」をよく舞台にしていた小津は、市民生活の中で女性の役割の転換を見事に描いたが、吉野作造や堺利彦の死、マルクス主義者の転向、国際連盟からの脱退などを受け、その後は反モダンなナショナリズムが勃興するのを反映したような作品を残す(p.224-)

吉野作造や社会主義者のなかでも柔軟な思考をみせていた堺利彦の死は《リベラル-自由主義の屋台骨、そしてそれを社会主義へと媒介する存在がなくなり》、世相は不安定さを増し、三原山での心中の流行や東京音頭のときならぬ乱舞などがおこる、と。すると小津の作風も反モダニズム・ナショナリズムの勃興の影響を受けて変化する(p.238-)

大衆化は男性普選と治安維持法の同時成立という形で進展します(p.243)

[第四章 「グローバル化」の歴史像]

1955-75の高度成長は「家族の戦後体制」とも名づけられる(p.266)。

日本のきょうだいの多さは外国人労働者に頼ることなく経済成長を実現した(p.269)。

サザエさんの長谷川町子は自身だけでなく母も矢内原忠雄に傾倒し、宗教性を除いたプロテスタンティズム的生活倫理がみられ、それが朝日に長らく掲載されたことは、高度成長にすんなり順応できない大衆の心性を表す、と。マスオさんの同居は嫁姑問題を抜きに家族を描く工夫(p.270-)

リッツァの「マクドナルド化」=マクドナルドの作法に従う購買-飲食は学校、病院などの社会領域に及び、公共空間を支配している。これは政治性を排除して合理化を進められるヴェーバーの「鉄の檻」と似ており、日本においても画一的で没個性的な社会が形成されていく、と(p.287)。

目次
はじめに 三つの「手」
「歴史像」の伝達/「私たち」と「私」
■Ⅰ 「歴史叙述」と「歴史実践」
序章 歴史像を伝える
1 歴史の学び方
2 ジェンダー史から/で学ぶ
3 ジェンダー史の「歴史実践」
第一章 明治維新の「歴史像」
1 明治維新の「歴史叙述」
2 明治維新の「歴史実践」
■Ⅱ 「歴史総合」の歴史像を伝える
第二章 「近代化」の歴史像
福沢諭吉の三つの顔/男性啓蒙家たちの女性論/「女工たち」への視線/国民国家と帝国主義/森鴎外の戦争経験
第三章 「大衆化」の歴史像
新しい青年と,「民衆」=「大衆」の登場/イプセン『人形の家』をめぐって/「身の上相談」のジェンダー/「大衆社会」とメディア/『キング』とラジオ/小津安二郎とハリウッド/男性普選の実現と婦選の主張/市川房枝の「デモクラシー」と「総力戦」
第四章 「グローバル化」の歴史像
R「グローバル化」とは/「高度経済成長」のなかの女性/マクドナルド化する社会/村上春樹,および『ねじまき鳥クロニクル』
むすびにかえて 「戦後歴史教育」の軌跡のなかで
あとがき
「歴史総合」に役立つブックリスト

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September 18, 2022

『歴史学のトリセツ』小田中直樹、ちくまプリマー新書

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『歴史学のトリセツ』小田中直樹、ちくまプリマー新書

今年の後半の読書は高校で必修科目となった「歴史総合」について意識的に読んでいこうと思っていまして、山川の教科書も3冊揃え、岩波新書の「シリーズ歴史総合を学ぶ」も読み進めているんですが、山川歴史総合の『現代の歴史総合』も書かれている小田中直樹先生の『歴史学のトリセツ』も読んでみました。

素人考えでは、近現代史を日本史、世界史というこれまでの区切りではなく、総合的にみていこうという流れは、世界システム論が定説化されて、近現代以降はナショナルヒストリーではなく「世界まるごと」で考えるものになってきたんだろうな、と漠然と考えていたのですが、『歴史学のトリセツ』ではランケ以来の近代歴史学史をわかりやすく解説してくれることで、今現在の歴史学の立ち位置をより深く理解することができました。

『世界』2022年9月号でも「歴史学(者)の役割とはなにか」という小論でも小田中先生は歴史学を学問たらしめている実証主義(同時に記憶の排除)、公文書至上主義(それはナショナル・ヒストリーに)、資料批判(欠如モデルにつながる)と史学の特徴と限界をまとめておられますが、こうした大きな見取り図を示してくれることが歴史に興味のある非専門家にとってどれだけありがたいことか。

学説史をまとめてもらうと、その分野の学問領域がおおまかに捉えられやすくなると思うのですが、『歴史学のトリセツ』は小田中先生自身がつぶやいておらるように「ランケ以来の史学史を追うなかで現在の歴史学の特徴と限界を考える一冊」となっていると思います。

二章ではその《ランケのスタンスを一言で表現する言葉があります。「それは実際いかなるものだったか」(wie es eigentlich gewesen)》。そして実証主義は今日に至るまで、歴史学の主流をなしています、と説明(p.45)。そして、出発点となる資料は口述より文書、私文書より公文書が重視されるようになり、公文書を作成するのはたいてい国家であるために、公文書至上主義はナショナル・ヒストリーにつながっていく、というあたりは、歴史学では常識なのかもしれませんが、うなりました (p.49)。

これによって《資料という研究対象をもらい、資料収集、資料批判、事実記述という研究手続きを踏むという学問領域》が成立し、歴史学は科学となった、と(p.54)。さらには《弟子など複数の歴史学者が特定のテーマや資料について議論しあうゼミナール(演習)という教育方式を導入》したというんですからランケは大したもんです (p.57)。こんなに偉い方とはまったく知りませんでしたwそして東京帝国大学の史学科の初代教員として招かれたのがランケの弟子、ルードヴィヒ・リースといので、ランケ~東大~史学会という流れが確定、と(p.60)。

さらに付け加えれば、戦前の東大の研究者は国定教科書の編纂に携わっていて、戦後も東大史学会が編集していた「史学雑誌」を支援してもらった経緯もあって「山川の教科書は東大の先生方が執筆」(野沢伸平山川出版社社長、日経2019年3月6日「歴史書ひと筋70年(3)」から)するとようになった、というさらなる流れも出来たんだな、と(ちなみに高校の教科書は学校ごとの採択なので、大手出版社が得意の小中学校向けの教員向け広域接待が非効率なため、山川の独壇場になっているらしいですw)。

三章は、単なる歴史愛好家の本好きにとっては、かえって馴染みのあるアナール派、労働史学、世界システム論などの流れの解説。イギリスなどでの《福祉国家の成立は、歴史学の領域では、民衆に対する関心が高まるという現象をもたらしました》として、労働者など民衆の生活や意識などが歴史学の重要な研究対象になっていった背景をスッキリ説明してくれています (p.71)。

四章は「ソシュール、登場」以降の言語的転向と歴史学についてのおさらい。個人的にはそれが社会的、言語的につくられているジェンダーという概念で性差を研究することにもつながっているのか、と蒙を啓かれました (p.103)。また、遅塚忠躬先生の本は大好きですが(とは言っても3冊しか読んでませんけど)、真実(トゥルース)と事実(ファクト)は違っており、歴史学者は真実にたどり着けないかもしれないけど、「まあだいたいこんなものだろう」という多くの学者が認めるコンセンサスは事実として確定されるだろうという見方を示していたというのは知りませんでした。コンセンサスが変化すれば事実は変わるが、それは歴史学の進化であるという遅塚忠躬先生は偉いもんですね(p.107-)。

あと、昔、友人に勧められて読んだ『ラディカル・オーラル・ヒストリー』の保苅実さんのことも思い出しました(p.130)*1。

ということでいつもの小田中先生の本のように読みやすく、もっと深く知りたいという方への案内もある、実に素晴らしい本なので、ぜひ。

【目次】
第1章 高等学校教科書を読んでみる
原因は高等学校歴史教科書か?/ナショナル・ヒストリーではみえないもの/欠如モデルの問題点/記憶が排除される背景/つまらないのにも理由がある

第2章 「歴史を学ぶ」とはどういうことか
歴史学の父といえば?/実証主義と「記憶の排除」/公文書至上主義とナショナル・ヒストリー/資料批判と欠如モデル/科学としての歴史学の功罪/ランケ以後の歴史学

第3章 歴史のかたちはひとつだけじゃない
科学としての歴史学は良いとして/アナール学派の成立 フランス/労働史学の誕生 イギリス/世界システム論 アメリカ合衆国/「マルクスとヴェーバー」から 日本・その1/「下からの歴史」としての社会史学へ 日本・その2/モダニズムがもたらしたもの/歴史学に対するポスト・モダニズムの影響とは?

第4章 歴史の危機とその可能性
言葉とモノ/ソシュール、登場/言語論的転回と歴史学/歴史学者たちの対応・その1 受容/歴史学者たちの対応・その2 批判的考察/歴史学者たちの対応・その3 無視/ポスト・コロニアリズムも忘れてはいけない/ポスト・コロニアリズムは、守備範囲を広げてゆく

第5章 世界がかわれば歴史もかわる
時代の節目、一九八九年/理論から実践へ/記憶研究(メモリー・スタディーズ)と個人的記憶/記憶研究と集合的記憶/ナショナル・ヒストリーとナショナリズム/グローバル化とグローバル・ヒストリー/一般のひとの位置と役割とは/コミュニカティヴな実践としてのパブリック・ヒストリー

*1
http://pata.air-nifty.com/pata/2004/12/post_8.html

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September 17, 2022

『ジョン・フォード論』蓮實重彦

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『ジョン・フォード論』蓮實重彦、文藝春秋

夏にはいつも映画の本を1冊読むことにしているんですが、今年はこれかなと思って『ジョン・フォード論』を読みました。

ぼくは子供の頃から名画座の多い渋谷で育ったことや、中学生の頃に有楽町スバル座で『駅馬車』がなぜか再ロードショー公開されたのを観に行くことができたり、その後もハワード・ホークスらとの再評価もあってフィルムセンターなどでも観ることができたという幸運に恵まれました。

その後、さらにレーザーディスクでRKOなどの作品が大量にリリースされる時期などもあり、太平洋戦争前後の、それまで観ることのできなかった作品も今はなきWaveで買ったりして、割と長い期間、意識して観てきたと思います。とはいっても、1917『誉の名手』(Straight Shooting)からのフィルモグラフィをみるとほんの一部だな…とは思いますが。

とにかく、まあまあ意識してジョン・フォードは観てきた中で出会ったのが蓮実重彦さんの『映像の詩学』年所収の「ジョン・フォード、または翻る白さの変容」でした。その批評に驚いて、もう40年か…と驚くと共に、白いエプロンとともに「投げる」所作がフォードの主題だ、と指摘したのが本書。しかし、その解明に相応しい言葉を批評する言葉は手にできていない、と道半ばであることも正直に告白していることにも感動します。

とにかく、本書の魂は第5章「身振りの雄弁 あるいはフォードと「投げる」こと」にあります。

そこで蓮實さんは《映画では可視的なイメージだけが意味を持つと高を括り、不可視の説話論的な構造へと思考を向けまいとする者の視界の単純化をみじめなまでに露呈させている》として、凡庸な批評を批判。《映画は、可視的なショットの連鎖と不可視の物語の構造という厄介な問題を見る者に提起する》するのだとします。蓮實さんが1970年代に提起した白いエプロン問題、2000年代になって言及した投げる動作という「可視的なイメージ」だけでなく、それこそ処女作のショットとの関連なども含めた「不可視の説話論的な構造」に想いをはせることが映画を観たことだ、という主張には深くうなずかされます(p.302)。

そして映画を見るとは一瞬の変化をとらえる動体視力の体験でありもフォードの「投げる」アクションは《そのつど変化するまごうかたなき誘惑の記号にほかならない》と(p.272)。

このほか『わが谷は緑なりき』(1941)と『リオ・グランデの砦』(1950)と10年の間隔を置いても男性がマッチでランプに火を灯すと闇のなかからモーリン・オハラが現れるという演出を再現しているという指摘は驚きしまた(モーリン・オハラがたった5本しかフォードの映画に出ていないのにも驚きましたが)。《太い木をめぐって演じられた身振りのことごとくが生命の維持につながるというフォード的な主題体系の見事というほかはない一貫性》(p.112)が語られた後にも『わが谷は緑なりき』で歩けなくなったロディー・マクドウォールが再び自ら立つ場面に言及されるところなども感動的でした。

このほか鏡の不在(p.152)、死をひきよせるダンス(p.180)、システム不全に陥った社会の犠牲者たちを幽閉された存在として描くが、そうした人間が現状を打破するヒーローとなること(p.201)などが指摘されます。

それにしても、『アパッチ砦』はインディアンへの悪辣な工作に憤ったジョン・ウェインがかたくななヘンリー・フォンダを諫めるという作品であり、どうしてジョン・ウェインが救いようのない人種差別主義者のレッテルが貼られるのか疑問です。

フォード自身も作品ごとに軍国主義者、差別主義者、リベラル、人道主義者とみなされてきましたが、そもそも《ハリウッドはその種の道徳的価値判断の共有を糧に生きのびてきた文化産業》だ、という偏見はアメリカでも根強いようです(p.228)。こうした傾向は、人は所詮見たいようにしか現実を見ないし、他者への想像力はないし、コミュニケーションを望んでいるようで実は自らの信じるストーリーを繰り出すだけの存在でしかない、ということを改めて知らされます。こうした傾向はフェミさんたちの批判も含めて、どんなジャンルの作家の批判にも当てはまるし教条主義的批判の虚しさを表すな、とは思いますが、それにしても悲しいな、と。

とにかくジョン・フォードの映画を観て人種差別、軍国主義、家父長制、愛国主義だけしか感じないような方々は、コミュニケーションの中から言語や誇張された絵画表現などの一要素ばかりに注目して《何かを何かとして見ることのできない》ような「意味盲」なのかな…と思ってしまいます。

未見の古い作品を見直すことは難しいけど『アパッチ砦』、『静かなる男』、『荒野の女たち』ぐらいは見直したいな、と感じました。

読了後、斜め読みした『捜索者』だけを論じた"The Searchers"がAudibleにあればエアロバイクこぎながら聴こうと思ったけど、Audible版はなかった…残念。

 これから、ジョン・フォードの作品を見てみようという方には、比較的見やすい作品として『捜索者』『リバティ・バランスを射った男』『シャイアン』あたりをお勧めします。

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『裏横浜 グレーな世界とその痕跡』

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『裏横浜 グレーな世界とその痕跡』八木澤高明、ちくま新書

 個人的には横浜に住むようになったのは90年代前半からで、それまでの横浜というのは中華街ぐらいしかイメージがありませんでした。住んでいた渋谷からは東横線で一本ではありましたが、わざわざ遊びに行く必然性は感じなかったというか。あとは横浜市制100周年・横浜港開港130周年を記念して1989年に開催された横浜博覧会に出典する企業のブースを担当してみなとみらい21地区(当時はMM21という言い方をよくされていました)に通ったことがあったぐらい。

 その時以降、荒廃していた赤煉瓦倉庫がオシャレなスポットとして蘇っていったように思うんですが、それでも再開発が始まっても10年以上はまだまだ港町的な猥雑さというか、荒んだ感じが色濃く残っていたように感じます。

 ということで、横浜のディープなスポットをアンダーグラウンド方向の取材を得意としている八木澤高明さんが紹介してくれたこの本は、一度ぐらい住んでる街の成り立ちを知りたいな、と思っていたので、ハウツー本みたいな感じで読ませてもらいました。

 一章から四章までは山下公園、みなとみらい、中華街、黄金町、寿町と関内周辺を扱っています。

 よく、横浜の地名は黄金町や寿町など縁起の良い名前ほど危険な雰囲気が漂っていると言われていて、横浜を舞台にしたテレビや映画でもほとんど触れられることのなったことのなかった土地です。ということで印象的だったのはやはり山谷、西成と並ぶ三大ドヤ街の寿町を扱った第五章でしょうか。

 横浜には孫文やフィリピン革命の闘士などが身を隠していたそうですが、元連赤の植垣さんは一時寿町に身を隠していたということで、一緒に訪ね歩いているうちに、警察に包囲された時も支援者たちによって逃げ切ったなんていうエピソードも披露しています(p.165)。連赤といっても植垣さんは毛沢東主義の京浜安保共闘の方ではなかったので、妙義山をベースするのではなく、ドヤ街を拠点にしたかったとも語っていて、逮捕された時にもバッグには背広を入れていたと語っています(p.167)。

 とにかく横浜は三業地(芸妓屋、待合、料理店からなる三業組合)が組織されていた区域であるとともに、産業地でもあり、必然的に海外からの輸出入物資を取り扱う入津貨物駅でもあったところ。開港以来、多くの外国人を受けいれ、かつ多くの移民を送り出し、それから一周回って帰国二世、三世の受けいれ地にもなった場所。リュウ・アーチャーのように「入って出ていく」人々の物語を受けいれる街なのかな、と。

 せっかく横浜スタジアムに残る「岩亀楼」の石灯籠にふれているんだから、『ふるあめりかに袖はぬらさじ』にも言及して欲しかったな、とは思いましたが、目次が素晴らしいというか、これだけで雰囲気が掴めますんで、ぜひ。

【目次】
第一章 横浜スタジアムの足元
ダフ屋がいた風景
大洋の二軍選手がいた店
捕鯨の歴史
「クジラ一頭、余分に獲れれば野球選手の給料は賄える」
ホームを横浜へ移転する
横浜スタジアムのルーツはクリケット場
横浜公園に残る遊廓の跡
岩亀楼に行き交う人々
戦争による都市変化
ベーブ・ルースに対する苦い記憶

第二章 海上の楼閣 山下公園、みなとみらい

昭和の臭いがする港
洗浄された赤レンガ
埋め立てられた海上の楼閣
倉庫に保管された生糸の産地へ
廃娼令と女性労働者の確保
名もなき娘たちが通った道
生糸がもたらすもの
外国からの要求で作られた屠畜場
肉屋をはじめた理由
伊勢商人が横浜へ

第三章 消えた大陸の空気 中華街

はじまりは外国人居留地
大陸の匂いと生活感にあふれる街
インドと横浜のつながり
淫靡な空気が残るバンコクの中華街
革命家の隠れ家
売春と麻薬の巣窟
地球の裏側の華僑
貨物船で密航してきた中国人に出会う

第四章 日の当たらない人の居場所 黄金町

得体の知れない匂いを発している町
黄金町に部屋を借りる
劇場がしがみつく杭
「劇場に命を救ってもらったようなもの」
劇場主の破天荒な来歴
突如劇場の幕は閉じた

第五章 デラシネのゆりかご 寿町

日本三大ドヤ街のひとつ
タイ人娼婦の住むマンション
タイ国王の写真が飾られている部屋
横浜に流れてくる麻薬の源流
埋め立てが完成し問屋街へ
足を踏み入れられない船の宿
ある手配師の話
元連合赤軍兵士と寿町を歩く
今日のフロント企業の走り

第六章 世界との架け橋 鶴見

一九八〇年代のアントニオ猪木
鶴見にある猪木の生家
丘の上の屋敷からブラジルへ
出稼ぎに来たものが集う街
奴隷が生んだ食べ物
日系ブラジル人の男娼との出会い
京浜工業地帯が生み出したもの
劣悪な環境の移民宿
懐かしい大桟橋
海路は閉ざされる

第七章 高低が織りなす風景 山手、元町、その周縁

偶然迷い込んだ米軍住宅
日本へ戻ったことの安堵感と屈辱感
崖の上と崖の下の圧倒的な格差
屋根なし市場で生まれた昭和の名歌手
地獄から抜け出したその先には
開港以前で横浜に暮らしていた人々
外国人を魅了したチャブ屋
谷崎潤一郎が足しげく通った店
外国人が眠る場所
歪められる悲しい歴史

第八章 夜の街に吸い寄せられる 伊勢佐木町

グローブの記憶
遊郭・芝居小屋・映画館
時代は変わっても色街はある
曙町で働いていた風俗嬢の思い出
友達に誘われて働くことに
奨学金返済のために風俗で働く
耳の聞こえない娼婦
あとがき
参考文献

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August 21, 2022

『陸・海・空軍人によるウクライナ侵攻分析』

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『陸・海・空軍人によるウクライナ侵攻分析日本の未来のために必要なこと』小川清史、伊藤俊幸、小野田治、桜林美佐

Youtubeで配信されている「陸・海・空 軍人によるウクライナ侵攻分析」の1-5回をまとめて加筆したもの。

改めて読んでみると、軍事は政治の延長というクラウゼビッツの視点の重要性というのは今でも変わっていないんだろうなということと、ウェストファリア条約以降、それまでの殺し合いの戦争から、文明の利器としての軍隊にするため、さまざまな国際法もつくってきた上での戦争なんだ、というベースを認識させられました。

ロシアのやっていることは非道ですが、それでも国連の「加盟国が攻撃を受けた際の個別的・集団的自衛権を定めた憲章51条」を元にした侵攻だと主張しているわけですし。

それを前提に考えると、ロシア軍が開戦劈頭で虎の子の空挺部隊を失ったり、無駄なリソースをキエフ方面に使って損耗したり、その後も南部でCulmination point(攻撃の限界点)を超えて攻撃して無駄な戦闘を行っていることは、戦略的にもおかしいし、それが本来のエンドステート(具体的に成し遂げるべき目標・結果・状態)も混乱させているんじゃないか、と感じます。

この手のチャンネルって右翼っぽくてキモいので近付いたこともなかったのですが、自衛隊のプロを集めたこのシリーズは本当に面白かったし初めてYoutubeって勉強になると思いました。

湾岸戦争時にTVで解説していた江畑謙介さんなどに関して、司馬遼太郎が《湾岸戦争で、軍事評論家たちがテレビに出ている。民間に軍事評論家をもっているということは、自由な社会でいることのあざやかな証拠といえる。テレビをみながら、ふと、(こんな分析家たちが昭和一けたに五、六人もいたら、昭和は変わっていたろう)と妄想した。むろん、たわごとにすぎず、昭和一けたの時代にそんな自由はなかった。せめて大正デモクラシー時代にこういうひとびとが出て、前時代の日露戦争を徹底的に解剖してくれていたら、とも思ったりもする。以後の日本人の理性-国家を等身大でみる能力-が大きく成長したに相違ない》(風塵抄、中央公論社)と語っていましたが、あれから30年が経過して、評論家ではなく、自衛隊の元将軍たちによる解説が聞けるようになったんだな、という時の流れも感じました。

[ユスアドベルムとユスインベロ]

まず学んだのは、伊藤海将が解説してくれた「ユスアドベルム」と「ユスインベロ」。近代国際法のjus ad bellum(武力行使を開始する権利)とjus in bello(戦争の方法手段)の考え方の進展も含めて詳しく語られているのが[第2章]。

《第二次世界大戦までは「自衛権」の名の下に戦争が起きていたので、戦後は、第三次世界大戦を起こさないよう、その武力行使が「自衛権」ではなく「国連の目的」と合致することが求められるようになりました。したがって、国連憲章2条4項には、国の領土保全・政治的独立に対する武力行使と国連の目的と両立しない武力行使の2点が「違法」であるとはっきり明示されているわけです。今回のウクライナ侵攻では、ロシアはこれに明確に違反しています》(p.96)が、逆に《「合法な武力行使」は何かといえば、①国連憲章7章(国連安保理理事会の決定による武力行使)、②51条(自衛権の行使)、③自国民保護、④人道的干渉》(p.99)である、と。

ロシアの軍人でも高級幹部はその重要性を認識しているが《2014年のクリミア侵攻と同じように特殊部隊やサイバー部隊がまず計画案を出す。「その計画が失敗してダメだったらどうするんだ。ウクライナ東部への攻撃だけでいいのか」とプーチン大統領に返されると「通常戦で首都に向かって空挺砲撃し、地上戦で囲みます」「それだけか?」「核の脅しも入れます」という流れになる。そこまでが計画だと私は思います。 そして、その上で部下がプーチン大統領に対して「でも、本当にやるんですか? この計画は即断即決をしなければ相手国の意思を変えることなどできないと思います。大統領、ここはステージを上げるために大統領が決心してください」というくらいのやり取りは、あるんだろうと思います。つまり、部下は、最終的な判断をすべて独裁者が決心するようにもっていく。これがハイブリッド戦や超限戦において国家の指導者に情報が集まってくるメカニズムであり、それを組織的に作り上げているのだと思います。ハイブリッド戦、超限戦を展開する国の、迅速に意思決定できる指導体制にある国の怖さです》(p.105)だったんだろう、と。

ウクライナの作戦では開戦時のキエフ侵攻は東部方面軍によって行われたのですが、航空優勢を重視しないやり方や、そもそも、本来の目的であるガンスク、ドネツク、クリミア半島、を確保するためには不必要な作戦であり、そこで兵力を失って、再編成して東部と南部で攻勢をかけたけど、NATOの支援などによって、徐々に追い込まれた結果を招いているんじゃないのかな、と。

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この図でいう①のキエフ方面を目指した作戦や②は認知領域での戦いでウクライナの戦意を喪失させることが目的だったけど、それは今考えると無理筋だったんだろうな、と。

さらには東部と南部の戦いだけなら「自衛権の行使」や「自国民保護」という形で国際法上は合法とされる戦いになりますが、キエフ方面の作戦はユスアドベルム(武力行使の合法性を判断する国際法)上の「違法な戦争」になるので、伊藤海将などは「プーチンはおかしくなったんじゃないの?」とまで語っています(p.43)。

また、小川陸将も《そもそも空挺部隊は、戦争の最終局面で戦略的な決着をつけるために投入します。通常であれば降着後に地上軍と連動(リンクアップ)できるタイミングを見計らって空挺部隊は戦略的に兵士を降ろさなければなりません。兵站能力や火力は限定されているので、味方による対空援護がない状況で単独で降りれば、降着後に簡単に潰されてしまいます。 それにもかかわらず、今回の侵攻でロシア軍はその空挺部隊をあたかも〝特殊部隊〟のように単独で投入して、「ゼレンスキーや住民の意識を変えさせる」「NATOに加入させない」といった〝認知領域の戦い〟を挑んでしまった。しかも、緒戦で投入し、ウクライナ軍が組織的に守りを固めている場所付近に先遣の空挺部隊を降ろしたため、待ち構えていたウクライナ軍によって早々に撃破されています》という評価なわけで、ロシアは最初から相当、間違ったのかな、と(p.214)。

[クラウゼヴィッツの重要性]

戦争は政治の延長線上にあるというクラウゼヴィッツの考え方を米軍が学んだのは1965年からだったというのは驚きでした。

《陸軍に関して言うと、南北戦争(1861~1865年)時代までの米陸軍は、ジョミニ(アントワーヌ=アンリ・ジョミニ:スイス出身の軍人、軍事学者。フランス第一帝政、のちにロシア帝国に仕えナポレオン戦争に参加。1838年の著書『戦争概論』で知られる)の本をみんなこぞってポケットに入れて、ジョミニを参考にして戦っていました。ベトナム戦争が終わった頃からは、クラウゼヴィッツを学ぼうとする米陸軍の姿勢が鮮明となりその教えの影響が大きくなっていきました。 ジョミニの本はどちらかと言えば「HowtoWin」、すごくざっくり表現すると戦争のノウハウ本に近いものです》(p.241-)でしたが、”CLAUSEWITZINENGLISH”1994 by OxfordUniversityPressIncによると、クラウゼヴィッツが『戦争論』の研究者であるピーター・パレットによって英語に翻訳されたのは南北戦争後の1870年代以降で、そかも受容というか米国で広く行き渡り始めたのが1965年という遅さだったため《アメリカには伝統的にも消耗戦に向かってしまう、勝ちに行ってしまう、という〝癖〟のようなものがどこか残っているような気がします》という小川陸将の指摘は面白いな、と(p.242)。

ただし《小川(陸):大東亜戦争(1941~1945年)を例にあげると、アメリカの主な戦争目的は「中国の市場を獲得したい」「フィリピンの植民地を保持したい」それから、「ヨーロッパ正面をドイツの好きにさせない」という3つほどでしょう。 それを評価すると、フランスがドイツに完敗したヨーロッパ正面については、せいぜい引き分け程度。残り2つの目的は達成できていません。つまり、アメリカの目標達成は1分け2敗です。戦争に勝ちにいった結果でそうなってしまった。 一方で日本が目的としたのは、「ロシアの南下を止めたい」、これは江戸時代から変わりません。次に「植民地を解放したい」と「自由貿易体制の確立(ポツダム宣言にも記述あり)」、これは資源がない日本にとっての活路です。そして「民族間の差別撤廃(ヴェルサイユ条約に記述を主張するも却下)」の大きく4つだったのでしょう。 実はこれらの目標は大東亜戦争以降にほぼ達成しているんです、結果的に。つまり、日本の目的達成としては4勝0敗です》《戦争に負けて、失ったものも当然多くありましたが、戦争時に考えていた目標(「大東亜を英米から解放、人種差別を撤廃」などを盛り込んだ『大東亜共同宣言』を大東亜の諸国家会議[1943年11月]で共同発表。一方、英米は二国のみで大西洋憲章を発表)は、実は戦後に偶然のように達成されているのです》(p.242-)というあたりは牽強付会な議論だとは感じましたが。

このほか《エスカレーションの弾をロシアはいっぱい用意して、それを平気で使うというのがプーチン大統領のやり方です。その点、西側は受け身に立っています》(p.93)とか《中国が武力で台湾を攻めたとすれば台湾は堂々と独立宣言できるでしょうから、そうなれば今度は対台湾のレンドリース法が成立するかもしれない。そういう視点で見れば、今回のアメリカによるウクライナ支援は中国にとっては非常な脅威だと思います》(p.172)あたりも面白かったです。

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August 20, 2022

"Sea Stories" William H. McRaven

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"Sea Stories" William H. McRaven

 ジムで筋トレ後の有酸素運動でエアロバイクをこぎながら、英語のサビ落としを目的にAudibleで聞いている本の17冊目は"Sea Stories" William H. McRaven。『ネイビーシールズ:特殊作戦に捧げた人生』ウィリアム・H・マクレイヴン、伏見威蕃(訳)、早川書房で邦訳も出ています。

 内容を紹介する前に驚いたのが、ナレーションに音楽がかぶさってくるとか、派手な演出がなされていること。内容が内容だけにヒーローが活躍する戦争映画みたいで笑ったというか微苦笑。

 ということで著者のウィリアム・H・マクレイヴン(William H. McRaven)は米海軍特殊部隊SEALsとして37年のキャリアを積んだ元海軍大将。2003年、イラクにおける「赤い夜明け作戦(Operation Red dawn)」でサダム・フセインを捕獲、拘束。2011年にはウサマ・ビン・ラディン殺害作戦を指揮。四つ星大将(four-star general)として米国特殊作戦部隊の司令官を務めた人物。four-star generalは表紙にもあつらえられてますw

 マクレイヴンはフランスのフォンテーヌブローに駐留するアメリカ空軍将校の息子として生まれましたが、父親は脳卒中を患いテキサスに移転。移転先の軍施設ではセキュリティ領域への侵入を試むなどの冒険を楽しんだ、と。長じて米テキサス大学の予備役将校訓練課程から米海軍に入隊。さらには海軍特殊部隊に入る、と。半年間の訓練ではボートを誤って転覆させてしまったり、CH-46ヘリコプターから海に飛び込んでロープラダーを使って戻る訓練では、ヘリコプターの墜落なども経験。訓練生155人のうち、脱落せず入隊できた33人だったそうです。

 実戦での最初の冒険は第一次イラク戦争。強襲揚陸艦USS Okinawaに乗船、イラクのスーパータンカー「アムリヤ」が化学兵器か核兵器を輸送しているとの情報からヘリコプターで乗り込み、いったんは解放したものの、アラビア湾に生態学的災害を起こそうとしているという情報が入り、米軍は結局、爆撃した、と。

 2001年、ウィリアムは海軍特殊戦グループの准将から提督に昇進したんですが、落下訓練で大事故に遭い、9.11の時もリハビリ中でした。

 ホワイトハウスはThe Office of Combating Terrorism(テロ対策局)をつくり、そこではフィリピンで誘拐事件などを起こすアブ・サヤフに対する人質奪還作戦などを発案。さらにはサダム・フセインをティクリートの料理人の家で発見する作戦を指揮(ジャックポットを見つけた!というあたりはなんとも…)。

 さらにはオサマ・ビンラディンの殺害作戦も立案、モックアップをつかった綿密な訓練をつんだSEALsとヘリコプターの強襲部隊と共に、アフガニスタンのジャララバードにある米軍基地に到着。急襲作戦中、ホバリングしていたブラックホーク・ヘリコプター1機が墜落、爆破処理するトラブルはあったが、すぐに代替のヘリコプターが駆けつけ作戦は続行され、ジャララバードの基地に戻ることができた、と。シチュエーションルームでキャリアについて質問してくるヒラリー・クリントンを「マム」と呼んだりするところは面白かったというか、ヒラリーというクリントン夫妻は軍から嫌われているんだろうな、とか。

 その後、37年という最長キャリアでSealsを引退、みたいな。

 ま、飽きずには聴けましたw

CHAPTER 1: WILLIAM’S CHILDHOOD
CHAPTER 2: NEVER GIVE UP
CHAPTER 3: OPERATION DESERT STORM
CHAPTER 4: A NEAR-DEATH EXPERIENCE
CHAPTER 5: THE WAR ON TERRORISM
CHAPTER 6: THE CAPTURE OF SADDAM HUSSEIN
CHAPTER 7: THE CAPTURE OF OSAMA BIN LADEN
CHAPTER 8: LESSONS LEARNED OVER A 37-YEAR CAREER
CHAPTER 9: FINAL SUMMARY

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August 13, 2022

『ぶっちゃけ、誰が国を動かしているのか教えてください』西田亮介

Buchake

『ぶっちゃけ、誰が国を動かしているのか教えてください 17歳からの民主主義とメディアの授業』西田亮介、日本実業出版社

副題は「17歳からの民主主義とメディアの授業」。著者は本来こちらをタイトルとして考えていたといいますが、今夏の参議院選挙でも10代は43.21%、20代では36.50%と投票率は低いまま(全体では55.93%)。こうした若い層に向けて、改めて投票や自由民主主義の価値などを平易に、しかもメリットやコストも含めてしっかり説明しながら語るという内容。

東洋経済書評欄の著者インタビューで「SNSは権力者の優位を強化し、告発のツールにはなり得ても監視はできない」「意見に偏りがあるとか、代案がないという批判を恐れるな」というあたりが面白かったし、日本全体で記者が全体で3000人減っており、権力監視機能が弱まっているという、新聞社への高い評価を前提とした指摘などが「バランスが取れている」と感じて読むことにしました。

それにしても安倍政権から菅政権にかけて、公文書やデータの改ざんが平然と行われたのは、戦後政治の大汚点だったと思うし、なぜ日本社会がこうしたことに寛容なのか理解できませんが、参院選も結局は弔い合戦みたいな雰囲気になって与党が圧勝してしまったのは残念な限り(アベノミクスは戦後の経済政策で、所得倍増と並ぶ素晴らしい経済政策だったと思いますが)。そして、勝たせすぎたという意識が、現在の統一教会がらみの政権批判につながっているんでしょうが、3年間のフリーハンドを与えたことは後の祭り。

最初に《危機のときにも、政治や行政への関心や忠誠心が高まると言われています。旗下集結効果などと学説では呼びます。でもコロナ禍の日本では必ずしもそうなっていないのも興味深い》(p.3)という日本の政治風土から説き起こし《最近は「偏らない」ことに教育や若い人の関心が向いています。しかし、「偏らないこと」もまたある種の偏りを選択しています。そのことは忘れられがちです。本書はなるべく複数の議論を紹介しながらも、積極的に特定の立場を表明しています。多様な「偏り」こそ人間性の源》(p.6)なんだと批判そのものを肯定。さらに《多くの人が生活のことや仕事のことなどに集中できる社会は「幸せな社会」です。でも、自由民主主義の社会であるからこそ生じるコスト負担なしで、それを維持している国は歴史的にもほとんど見当たりません》(p.15)と、今ここにある自由民主主義の価値から語りはじめます。

《国によっては投票を「義務」と位置づけ、投票に行かないことに対して、罰則を課す国も少なくありません》(p.51)と投票価値を高く見積もり、それでも何か大きく変わるかものではないかもしれないが《自由民主主義における政治はあくまで「皆で議論して定める」ことに価値を見出》し、《権威主義国家とか、独裁国家とか、そういった世界中の国々と比べてみると、確固とした自由民主主義というあり方自体が一つの貴重な価値》(p.57-)なんだ、と。

自民党の凄さについて多くの地方議会でも多数派を形成し、党の予定がホームページで公開されている勉強会の情報が一応公開され、朝から晩までいろんなことをやり続けている、なんてあたりや(p.95-)、PDFやExcelという形式にせよ、基本的な政府統計が継続して公開されていることも、それほど当たり前のことではないという指摘(p.112)も若い世代には貴重な情報だと思います。

個人的になるほどな、と感じたのは《自由とは、選択をしなければいけないということです。選択するということは、考えなくてはいけないということでもあります。だから選択できること自体が価値だと認識しにくいような状況下では、自由はコスト》(p.170)という流れからの《ぼくは、本当に豊かな社会とは選択肢が豊富にあって、その選択肢を実際に選ぶことができ、仮に選択を間違えた場合にもやり直すことができるような社会だと考えています。 多くの人が閉塞感を覚えるのだとしたら、日本の社会において選ぶことができる選択肢が少なくなっているのかもしれません》(p.175)というあたり。

また、ネットメディアの問題点は訂正記事などに熱心でなく、コストを意識するために品質管理がなされてなく《玉石混淆で圧倒的に石が多いような状況が日本のネットメディアです。残念》という評価はクリアカットで納得的(p.211)。

著者の新聞社への評価は高いのですが《新聞社の経営が苦しいので、たとえば体力のあるIT企業が全国紙を買収するようなことがあるとおもしろいと思いますね。それで完全DXで復活させるとか。具体的には産経新聞や毎日新聞をYahoo!が買収してDXさせながら再生するとおもしろいですよね。まあ規模の割に利益率が低いので非現実的》と悲観的でもあります(p.246)。

最後のあたりに出てくる投票の価値の非対称性は面白かった。《ポイントは投票の価値は非対称的であることです。つまり一般的な有権者が体感できる利得という意味では、投票にはほとんど価値がありません。でも、政党と政治家は1票をめぐってしのぎを削っているわけです。だから彼らは票と票になる行為と機会をいつも求めています。彼らにとっては価値があります。有権者と政治家には、ものすごい非対称性がある》(p.326)と。あと《世論の反応や受け止められ方を分析して、コミュニケーション戦略を設計する専門家のことを「スピンドクター」などと呼》ぶというあたりとか(p.87)。

後で知ったのですが宮台真司さんが師匠というのは、なんか納得。若い世代向けへのお勧めですが『もういちど読む山川戦後史』は読んでみようかな、と。

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August 08, 2022

『アドレナリン ズラタン・イブラヒモビッチ自伝』

Zulatan

『アドレナリン ズラタン・イブラヒモビッチ自伝 40歳の俺が語る、もう一つの物語』ズラタン・イブラヒモビッチ、ルイジ・ガルランド(著)、沖山ナオミ(訳)

2000年代ヨーロッパサッカーの歴史を選手や監督といった現場レベルの話しだけでなく経営者たちの姿も俯瞰できる内容。

ズラタンは地元クラブを出てからはオランダ、フランス、イタリア、イングランド、スペイン、米国でプレーして、5度の得点王となっているのですが、怪我による治療もあって移籍した米国を除けばいずれもメガクラブ。さらにユヴェントス~インテル~ミランというライバルチーム間の禁断の移籍を繰り返します。

こうした派手な移籍を繰り返すことが出来たのは、彼がスウェーデンというサッカー大国ではない国の移民二世という出自だからでしょうか。もちろん代理人の腕もあると思いますし、自分でも「高く売られるのが好き」だからと公言しているからなのかもしれませんが、ヨーロッパのメガクラブを渡り歩き、アメリカのMLSから再びミランに戻るというキャリアは誰も成し遂げてはいないと思います。

そういった意味では、自伝という形式はとっているものの、移民二世のムスリムが貧しい環境から這い上がって、世界のメガクラブを渡り歩き、それでも自分を見失わずに成長する姿を語った、新時代のBildungsroman(自己形成、教養小説)という感じもします。

ただし、古い教養主義的な自己形成小説とは違い、ズラタンは内面での成長をあまり語らず、自分は自分であることをどこまでもド派手に貫き通しているところが新しい感じ。

インテルの下部組織を描いた映画『サンシーロの影』では、チームのマネジャーがかつて所属していたズラタンに関して「彼には欠けているところがあったが、それが彼をスーパーな選手にした」と若手有望株に語るシーンが印象的でした。この『アドレナリン』を読むと、その欠けているものは、多分「自意識」なのかな、と感じます。

彼は自分のことをズラタン、イブラと呼んでるし、サッカーゲームをプレイする時にも自分のキャラクターを使うらしいのですが、それはあまり自分を客観視することをせず、あえて第三者の目で自分を見ないようにしているからなのかな、とか。

極貧地区で育ったズラタンは、笑われるのがイヤだからという理由でチームメイトからシャツその他を盗んだり、あるいは自転車も盗んで乗っていたんですが、もちろん子どもの頃のこととはいえ、自他の区別もあまりついていなかったのかな、とか。

もちろん、前の自伝『I AM ZLATAN』からの10年間という時間は、サッカーでもドリブルよりはパスを多用するようになるとともに、チームリーダーとしての自覚も語るようになります。PSGの状況に関して、たくさんのスター選手はいるが、犠牲的精神に欠けていると批判するところなどは驚きました。

また、マンチェスターユナイテッドに関して、遠征先のホテルのミニバーのフルーツジュース代1ポンドが給与から差し引かれているあたりを赤裸々に書いているあたりは初めて読む内容なので驚きました。最近の低迷は、こうしたクラブのセコさがあるのかな、とか(p.173)。

翻訳が乗りに乗ってるというか《もし、ドリブルが自由への逃避なら、パスは自分と仲間をつなぐものだ。山を登るときのザイルのようなものだ。ドリブルは孤立を与えてくれるが、パスは友情を生み出す》あたりは見事(p.297-)。

ヨーロッパのサッカーシーンが好きな方の夏の読書にぜひ。

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August 04, 2022

『危機の外交 岡本行夫自伝』岡本行夫

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『危機の外交 岡本行夫自伝』岡本行夫、新潮社

自伝は多くの自伝がそうであるように父母から描き始められるんですが、父親の脩三氏は中学時代に農業の重要性を説く折口信夫に感化され、折口が終生の師と仰いだ柳田國男を慕って農商務省のキャリアとなったということに驚く。

さらに農水省のキャリアだった父が二等兵で徴兵。それは小作擁護や反軍思想のためで輜重兵となったというのも信じられなかったのですが、そこまでは明確に書いていないにせよロシア語を学んだ後、京大閥の多かった731部隊に配属されることを前提にしていたのかもしれない、と続く展開は二転三転の驚愕。
 
 敗戦直前、731部隊は全ての証拠を隠滅し、先に撤退でき、父・脩三も亡霊のような姿で復員したというが、戦後は人格が変わってしまったというのが、外交的にはハードライナーなのに中国や韓国に対しては「あれだけのことをやったんだから仕方ない」という岡本さんの姿勢に現れていたんでしょうか。

また、硫黄島の玉砕には八百屋、パン屋、新聞配達店主などが多く、職業軍人の数は少なかったのは大本営が硫黄島の運命を知っていたからだったとか、沖縄戦について全島民の4分の1の12万人が死亡し日本軍の死者は9万4000人を上まわったのは酷すぎるなどと指摘しているのも印象的。

このほか、京浜安保共闘の一員として東京の下町の上赤塚交番を襲い射殺された柴野が子ども頃からの親友であったというも時代だな、と(k.1329)。

「ハル・ノート」を受諾していれば、日本とアメリカは開戦に至らず、しかも朝鮮半島、台湾、南樺太、全千島は、そのまま日本の領土、ないし植民地であり続けることができた(k.1039)というあたりは外交官的感想なんでしょうか。

以下は箇条書き的に(kはkindle番号)。

岡本さんのメンターであった牛場信彦氏は一時、外務大臣にもという声があったが、戦前、ベルリンに勤務して大島浩駐独大使のもとで「枢軸派」に強く傾いていたという過去を理由に固辞したというのは、なるほどな、と(k.1524)

《日本の首相が発言を始めるとジスカール・デスタン大統領は、これ見よがしに新聞を取り出して読み始める》というのも情けないけど、凄い話しだな(k.1680)。ちなみに、ジスカールが出席していたときの日本の首相は三木、福田、大平でした。ミッテランも鈴木首相の話しは退屈だったろかな、とか。

《ミサイルを格納するサイロは、敵の攻撃でいっぺんに破壊されないように広大な地域に散開している。林や農地や山間などにサイロが分布する。その広がりは日本を構成する四つの大きな島の一つである四国の面積に匹敵する。このことだけをもってしても、日本の核武装などは非現実的》(k.2099)というあたりはハッとさせられる。

《日本に向かって発射される北朝鮮の最初のミサイルを撃墜することは実際上、難しい。第二撃以降のミサイルを北朝鮮の発射基地内で破壊するのが「敵基地攻撃能力」だ。そうなれば、北朝鮮は、日本への第一撃も思いとどまらざるを得ない。つまり、敵基地攻撃能力とは、「北朝鮮を攻撃する能力」ではなく、「北朝鮮に日本を攻撃させない能力」なのである。それが抑止力》という説明も納得的(k.5699)。

今回のペロシ訪台でも出動した空母ロナルド・レーガンについて《横須賀にある第7艦隊の原子力推進空母ロナルド・レーガンは、艦載機を含めれば1隻2兆円もするだろう。随伴艦を含めれば3兆円近いはずだ。これだけの軍事アセットを日本の首都のすぐ隣に置くアメリカの戦略が、周辺諸国にアメリカの日本防衛の強い意思として伝わっている》(k.2265)というのはなるほどな、と。

湾岸戦争の時《海上保安庁から、「橋本大臣は巡視船派遣に賛成した、ただし自分が最初の船に乗っていくことが条件だ、と言っておられる」と連絡がきた。いかにも橋本さんらしい歌舞伎役者のごとき対応》(k.2637)というのまでは知らなかった。この派遣は後藤田官房長官が閣議でサインしないとツッパねて幻に終わったんですが(k.2656)、そりにしても橋本さんは海保庁が大好きで、行政改革の時に国交省から米国の沿岸警備隊みたいに独立させてやろうという申し出さえ行ったんですが、なぜそこまでシンパシーがあったのかまでは探れませんでした。

イラク戦争後、日本の自衛隊はサマワに駐屯しますが《ある日、僕と奥は南部の牧歌的な地を訪れた。僕らがまわってきたほかの町に比べて驚くほど静かで、戦争とは無縁だったので被害も受けていない。サマワという場所だった。  僕は言った。 「こういう場所にはどこの軍隊も必要ないね。自衛隊だってくるわけがない」  奥がニヤッと笑った。 「だから、ここに来ますよ。岡本さん賭けますか?」  僕は賭けに負け、バグダッドで夕食代を払わされた》ということだったのか(k.4434)。

《僕の外務省の先輩たちは中国の友人たちから、こう言われていた。 「日本は600万の中国人を殺傷したが、日本はラッキーだよ。その後、共産党の大躍進と文化大革命の時代に4000万人の犠牲者が出たのでみんな日本のことは忘れてしまったよ」 これは共産党の最も深刻なアキレス腱である。1950~ 60 年代の共産党の大躍進と文化大革命の時の記憶を国民から一掃するためには、それ以上の規模での蛮行が日本軍によって行われ、共産党がこれを撃退したと国民を教育する必要があった》というのもなるほどな、と(k.5217)。

《文在寅は人口わずか 28 万人の 春 川 市のローカル裁判所の判事を最高裁長官に抜擢し、「 65 年の日韓合意は個人としての韓国人犠牲者を拘束しない」という判決を出したのである。韓国には罪刑法定主義や法の不遡及は存在しない。民族の怨念が晴れない限り、日韓関係の前進はない》(k.5585)というのもなるほどな、と。

[目次]

刊行に寄せて 岡本さんの思い出 北岡伸一

第1章 父母たちの戦争
父・脩三の戦争
太平洋での戦争
母・和子の戦争
日本の降伏

第二章 日本人とアメリカ人
新しい日本の出発
日本人とアメリカ人
押し進む人々

第三章 敗者と勝者の同盟
日米同盟:有事は日本に有利、平時はアメリカに有利
日米同盟の金字塔――米ソ中距離核(INF)交渉
日本に駐留するアメリカ兵たち

第四章 湾岸危機――日本の失敗、アメリカの傲慢
失敗のプレリュード――ペルシャ湾への巡視船派遣
日本は湾岸戦争への対応になぜ失敗したのか
米中央軍に送り出した膨大な資機材
日本の屈辱

第五章 悲劇の島――沖縄
退職と新ビジネスの失敗
沖縄が僕の仕事になった
普天間

第六章 イラク戦争――アメリカの失敗、日本の官僚主義
成功したプレリュード――インド洋への給油艦派遣
イラク戦争と復興
日本のイラク復興支援
失敗したアメリカのイラク統治
兵士たちの献身
敗北

第七章 難しき隣人たち――日本外交の最大課題
日本の半永遠のくびき
困難な隣人・中国――日中は関係改善へ
さらに困難な隣人・韓国

第八章 漸進国家・日本
脆弱な安全保障哲学
周辺国から日本への脅威
分かれ道
超安全主義から決別できるのか

さいごに 日本の目指す道

あとがきにかえて 岡本代表のライフワーク 澤藤美子
刊行に寄せて 岡本さんの思い出 北岡伸

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