December 01, 2019

『日本史の謎は「地形」で解ける「環境・民族篇』竹村公太郎

Takemura-3

 元、旧建の河川局長、竹村公太郎さんの『日本史の謎は「地形」で解ける』シリーズの三冊目。

 さすがにネタ切れ感はあるけど、小麦・大麦が土地を疲弊させ原因はリン不足というあたりからの渡り鳥の話しにもっていく呼吸は大したもの。

 土地の疲弊はヨーロッパの小麦・大麦文化圏の問題点として指摘されているけど、稲作の場合、肥料となるリンは鳥の落とし物として蓄えられるから疲弊が少ないのか、と。しかも、リン鉱石は鳥の落とし物の化石だというのも驚きました。

 日本の農業が下肥の循環に支えられていたのも人と鳥の違いはあれ同じ構造。米中もリン鉱石の輸出制限をかける中、日本列島には渡り鳥による生きた落とし物のリン鉱脈がある、というのは面白かった。

 『星逢一夜』という作品は渋川春海が保科正之の元で研究した貞享暦の改暦が物語のベースにしていますが、会津藩主、保科正之は二代将軍秀忠の庶子で家光の弟で、四代将軍家綱の後見もつとめていたのか、というところまでは思い至らず。

 しかも、振袖火事で焼け野原となった江戸の再建で、それまで北の守りの最終防衛ラインとなっていた隅田川に防災のために両国橋をかけるとか、主要道路の拡幅、広小路の建設などの資金を捻出するために、天守閣を再建しない決断を下したのも保科正之だったとは知りませんでした。

 大阪は五十日に道路が東京などよりも混む。その訳は、五十日に取引先の顔を見に行くことで、商売のリスクマネージメントをしているから、というあたりも面白かった。

 廃藩置県で大名が版籍奉還したのは、自分のアイデンティティーは母親が住う江戸で、百姓が時には一揆を起こすような自領ではなかったので軽く捨てたと言われているけど、殿様たちは考えてみれば、ほとんど妻が人質となっている江戸の生まれ。ということは、友人の大名も江戸生まれ。まあ、地方は江戸と比べて娯楽なども少ないし、一極集中の弊害とかいっても、そういうことは今始まったことじゃないな、と。

| | Comments (0)

November 19, 2019

『源平合戦の虚像を剥ぐ』川合康、講談社学術文庫

Genpei

 「呉座勇一が選ぶ日本の戦の本6冊」で取り上げられていたので読んでみたのですが、収穫でした。

 日本史は素人なので、石母田「武士=在地領主階級」をずっと、そんなもんだろうな、と思って、その後の東国国家論、二つの王権論を権門体制論より正しいのではないかと思っていたのですが、それは、やっぱりマルクス主義的な階級闘争歴史観を自然なものとして取り入れていた結果なんだろうな、みたいなことも考えさせられました。

 武士を在地領主と考えると、貴族と荘園を打破して封建制を確立していく過程というのは、いかにも階級闘争的に正しい見方ですが、それより武士は職業的戦士だ、みたいな。現在では清盛、頼朝などは軍事貴族であり、官司請負制が公家社会内で次第に確立されていく中で、軍事の専門家が育ち、保元の乱・平治の乱と治承・寿永の乱(源平の争乱)で武家棟梁の地位が確立された、みたいな感じが正しいのかな、と。

 当時の合戦は騎射戦が最も貴ばれ、職業的戦士である武士は流鏑馬のような訓練や狩りなどでその鍛錬に励んだが、源平の争乱で馬を使った訓練などを日常的には行えないような武士も動員しなくてはならなくなり、取っ組み合いでの決着などが多くなり、相撲が武家社会に定着した(p.26)、と。

 鎌倉時代の大鎧は22-26kgとなり、鞍に分散させることでどうにか戦闘ができるようになるという扱いにくいものでしたが、馬はポニー程度。背の高さが140cmを超えれば名馬だったとのこと(p.53)。大鎧を着た武者を乗せて全力疾走できるのは200-300m程度だったろう、と。名馬に乗った武者はわずかであり、源平の争乱ではわずかな下人・所従を連れて農耕馬に乗ったような「小名」階層が動員されていった、と(p.74)。

 また、戦闘の規模が大きくなったことで、馬の運動能力を減少させる目的で道路を逆茂木などで遮蔽した「城郭」も発達、と。

 徒然草にも報告されている1180-81年の天候不順による飢饉で戦線が膠着し、東日本の被害が少なかったから頼朝陣営が強化されたそうです(p.118)。他の戦乱ではどうなんでしょう。さらに、農閑期の稼ぎ場として農民も戦闘に参加したほか、人夫に近い歩兵も出現した、と(p.136-)。

 後半では頼朝の政治力が描かれます。特に奥州藤原氏を攻め滅ぼしたのは、上総介広常らを粛清した後、自分への忠誠を求めるものであったと。それは祖父である頼義が前九年の役で確立したヘゲモニーを再確認するものでしたが、北条時政が平賀朝賀を実朝の代わりに擁立しようとしたのも、頼義の血を引いているからだ、というのは蒙を啓かれました(p.238)。

 「呉座勇一が選ぶ日本の戦の本6冊」では『戦国の軍隊』西股総生・角川ソフィア文庫も購入したのですが、それも面白かったら、『古代国家と軍隊』笹山晴生・講談社学術文庫、『世界史の中の日露戦争』山田朗・吉川弘文館も読んでみようかな、と。

| | Comments (0)

November 07, 2019

『海老蔵を見る、歌舞伎を見る』中川右介、毎日新聞出版

Ebizou-miru

 泣いても笑っても2020年5月、6月、7月の歌舞伎座では十三世市川團十郎襲名披露興行が行われ、歌舞伎界は新しい時代に入ります。近著『玉三郎、勘三郎、海老蔵』では《初代市川團十郎が始めたものが現代に続く歌舞伎であり、代々の團十郎がそれぞれの時代の歌舞伎を作ってきた。今後は十三代目團十郎の歌舞伎が歌舞伎となる。それを認めたくない人は、別の歌舞伎を作るしかない》と書かれていますが(あとがき、p.243)、それは九世團十郎の活歴以来の大改革になるのではないでしょうか。

 海老蔵=團十郎が目指す歌舞伎は《「昔ながらの歌舞伎」を「昔ながらの方法」で作るというものなのだが、単なる復古調ではない。ストーリーもセリフも古典なのだが、舞台装置や照明には最新技術を使い、テンポも速くして、飽きさせないようにするというものだ》(p.115)。少し補足すれば、海老蔵のつくる古典は、本人が幕前で芝居の概要を説明して初見の見物でもわかるようにして、途中でケレン味をたっぷり入れて飽きさせず、ちゃんと通しでやることによって起承転結をハッキリさせて最後に観客がカタルシスを味わえるようする、という感じでしょうか。見物が物語全体を分かっていることを前提にした見取り狂言が現在では主流ですが、それは幹部俳優に満遍なくいい役を与えるという役者のわがままが生んだもの。しかし、通しでやると1日あるいは2日もかかるようでは現代のテンポに合わない。だからカットできるところは大胆に省略するのが海老蔵流。

 そうした作風が見事に結実したのが『星合世十三團 成田千本桜』だと思います。本寸法の『義経千本桜』にはほとんど出てこない義経を要所要所に入れ込んだり好き勝手につくっているのですが、分かりやすくするためのこうした改変を三大狂言と言われる『義経千本桜』に加えられるのは、團十郎襲名が決まった海老蔵だから。《古典は守らなければいけないが、いまの観客が楽しめるものでなければならないという考えが、海老蔵にはあるようだ。十八番も大胆に作り変えていく。他の役者がそんなことをしたら古典への冒涜と批判されるが、歌舞伎十八番を守っている宗家自身が改革しているのだ。逆に言えば、十八番の作り直しは海老蔵にしかできない仕事なのだ》(p.60)ということなんでしょう。

 海老蔵は時代にあった新しい歌舞伎を、先代の猿之助から学んだとされていますが、《スーパー歌舞伎などの新作では録音された洋楽器の音楽を使うことが多いが、海老蔵・勘十郎の新作は邦楽器の生演奏である。その音楽に関わっているのが、三響会の三兄弟のひとり、田中傳次郎だ。海老蔵の「歌舞伎十八番」復活や新作は、海老蔵・勘十郎・傳次郎の共同作業があって成立している》(p.66)という違いがあります。海老蔵の方が本格的。

 このうち藤間勘十郎は藤間宗家の八代目。田中傳次郎は田中傳左衛門の弟で、この兄弟は歌舞伎長唄囃子方で、歌舞伎公演の「音楽監督」。また、その兄の亀井広忠は能楽師葛野流の宗家預り("かどのりゅう"の贔屓では家康などが有名)。この三兄弟は三響会という会を立ち上げていますが、海老蔵は自身の企画する外部公演シリーズ「古典への誘い」で歌舞伎と歌舞伎の演目の元となった能、文楽などを同時に上演するなどの試みを続けています(p.44)。海老蔵の考える古典改変の射程距離の長さがうかがえるというか、細かな所作ごとなどよりも、もっと深く歌舞伎の演目を考えていることがわかります。

 海老蔵は市川宗家として澤瀉屋一門を引き連れて、菊五郎、吉右衛門劇団に続く團十郎劇団をつくっていくのではないか、というのが筆者の見立てのようですが、十一世のような「役者バカ」ではないので、うまく体制内改革を進め、古色蒼然とした歌舞伎界を刷新していくのではないかと期待できます。海老蔵=團十郎のつくる新しい成田屋古典歌舞伎や中村屋兄弟の演目が木挽町でもっと上演されれば、動員力の落ちた菊五郎、吉右衛門劇団のかける芝居も「たまにはいいもんだ」ということになるかもしれません。歌舞伎界全体にとっての相乗効果も期待できたりして。

 「あとがき」で筆者は「海老蔵がいいと言うと歌舞伎が分かってない奴の代表となる」と自虐的に書いています。確かに、自称評論家や自称見巧者たちは海老蔵の舞台をけなすことが「分かっている」証拠だと勘違いしているフシがあります。それは恐らく、海老蔵の古典解釈の深さが理解できず、目に見える所作事に気をとられすぎているからなのかな、と。

 筆者と違って、ぼくは歌右衛門さんがいいというか、歌右衛門さんの歌舞伎で育ったので、良い悪いもなく、あれが歌舞伎だと思っていたのですが、それでも海老蔵はずっと見物してきた俳優の中で圧倒的な存在だと思っています。個人的に立役は八世幸四郎がダントツでしたが、今や海老蔵は映画の世界でいえばクリント・イーストウッドのような屹立した存在といいますか、不世出の役者であり演出家となりました。これまで観てきた、歌舞伎俳優のすべてを凌駕する存在にすでになっていると感じています。

 ということですが、この『海老蔵を見る、歌舞伎を見る』は近著『玉三郎、勘三郎、海老蔵』と同じく、編年体のように海老蔵の踏んだ舞台のあらましが最初に続きます。

 ここで思い出したのが宝塚。宝塚でトップスターの退団が決まると、そのスターの足跡が音楽学校入学から初舞台、新人公演主演、外箱主演と振り返る番組がつくられ、その時々の気持ち、何を考えて舞台に立っていたかが語られますが、あまりに舞台の喚起力が高かったためか、そうした「ふり返り番組」を海老蔵で見ているような錯覚におちいりました。

 宝塚も西洋近代のベタな演劇理論からは自由に舞台をつくっていますが、そこに共通するスターシステム=スターこそ全てが見物客を呼び、興業を成り立たせています。

 歌舞伎は細かな所作ごとや先輩から教えられた見物には見えない仁の集積ではなく、生きている役者、子どもの頃から知っている役者が様々なゴシップに巻き込まれながらも生きる人生という舞台を赤裸々に見せているから続いているんだろうとも感じました。海老蔵がブログを公開するのも新しいメディアには必ず乗ってきた歴史があるわけだし(p.112)、宝塚も生徒の入出の写真を撮らせるのは役者=生徒の成長の軌跡がメシの種だと知ってるからだろうな、と。

 だから、歌舞伎も宝塚も、本番の舞台は劇中劇なのかもしれません。

 歌舞伎役者は歌舞伎座や他の小屋で歌舞伎や演劇に出るけど、それは劇中劇で、本当に見物が注目している舞台は彼らの人生という芝居なんだろうな、と。もちろん一緒に食事したり、話しをしたりすることはなかなかできないから、フツーの人たちにとっては、ほぼ唯一のリアルな接点である舞台の出来不出来は重要でしょうが、それを見るのは、役者の人生という筋書きのない芝居が前提としてあるから。

 宝塚のシステムもファンが息を凝らして見つめるのは生徒が育つ課程です。それが本当の芝居で舞台は劇中劇なのかも。宝塚も新作は全て主演するトップなどスターさんへの当て書きなんですが、『海老蔵を見る、歌舞伎を見る』で指摘されている海老蔵が新作をどんどん変えて行ったり、十八番さえも改変してるのは、全て海老蔵という人生を生きる自分をその時々に表現するためだったりして。

 逆に古典芸能が国からの援助で一部のファン向けの伝統芸能と化すのは演者、奏者などの人生が物語として売れないからなのかもしれません。古典芸能の名人が浮気をしようが、離婚を繰り返そうが、衆道の道に走ろうが興味を持たれないなら、それはもはや興業として成立してない証し。

 そして歌舞伎界いや演劇界で一番の物語を持っているのは海老蔵。

 そう考えると御曹司は親父、爺さんあたりの醜聞まで財産として持ってるから強いんだな、と改めて思います。染五郎なんか、いつ子どもつくって認知するんだろ…と思いながら見てくれるわけだし。中村屋兄弟も父親の早世、弟の不祥事も含めて物語を豊富に持ってるから、舞台を見ていても、四次元的な深さを感じるから飽きないのかも。松貫四あたりの政治性剥き出しのやり方なんかも、もしかしたらセルフプロデュースによる物語づくりだったりして。大好きな松也がもう一回り大きくなり、紀尾井町あたりの出番をかっさらうためには、何か大きな物語が必要というか、セルフプロデュースするしかないのかもしれません。

 今月の顔見世興行も見物してきましたが、梅丸改め莟玉の襲名披露となった『菊畑』は狂言半ばに養子縁組、襲名披露口上がありました。こんなことは、「作者が訴えたいテーマにそった台本を元に、演出家が役を生きることのできる俳優をつかって舞台に仕立てる」という近代の演劇原理からはありえません。テーマに沿った芝居が前提なら、「狂言半ばではございますが、口上をもってご挨拶申し上げます」というのは説明できませんから。それは歌舞伎が西洋の演劇とは別物であることの証し(ちなみに宝塚でも100期の初舞台披露は狂言半ばで中断して行われました)。『菊畑』は8歳で部屋子になって15年、東西の成駒屋一門から祝ってもらう梅丸改め莟玉こそドラマの主人公だということなのでしょう。梅玉は先代芝翫の義従弟で、奥さんが自殺してしまったし元々そんな気はなかった六代目歌右衛門さんの養子になったという、なかなか覚えられないほど複雑な系譜ですが、莟玉というのは大成駒に由来の名前なので期待してます。

 本に戻ると、後半では雀右衛門さんのあたりが面白かった。雀右衛門さんは結構好きで、そういえば襲名披露以降、歌舞伎座によく出るなと思っていたんですが、福助が病に倒れ、玉さまがあまり木挽町に出なくなったので立役を支えるのが上手い時蔵、雀右衛門さんの二人が幹部から指名されるという図式だったのかと明快に分からせてくれます(p.185)。

| | Comments (0)

November 06, 2019

『20世紀アメリカの夢 世紀転換期から1970年代』中野耕太郎、岩波新書

20-century-american-dream

 シリーズ アメリカ合衆国史の3巻。中国史、西洋史、日本史などと比べると「浅い」と感じてしまいますが、停滞してる国の歴史よりダイナミック。日本もそうだけど、左右のブレが大きく、しかも戻りが速い。自分たちの底の浅さを補おうとする健気さも感じられて「可愛い」歴史というイメージです。

 『20世紀アメリカの夢 世紀転換期から1970年代』では、アメリカ流の合理的な社会の改善策が実行される中で、そこからこぼれおちた貧困など様々な問題がエスノ・レイシャル(Ethnoracial、人種・民族的)な問題だと解釈され、黒人差別などが1960年代まで解決されなかったことが描かれているとも感じました。

 そして、ニューディーラーたちが目指したエスノ・レイシャルな問題を除いた「偉大な福祉国家」が実現したのは、テキサス出身ながら若い頃からの根っからのニューディーラーだったジョンソンが引いた後に大統領となったニクソンだったという評価は驚きました。考えてみれば、ニクソンは「名誉ある撤退」というキャッチフレーズでベトナム和平を公約して大統領選挙を戦いました。意外と民主党政権は好戦的で、中東からの撤退を進めるトランプや古くはアイゼンハワーも含めて共和党政権は意外と平和志向なのかもしれません。

【はじめに】

 テキサスで史上最大級の油田が発見され、モルガンとカーネギーはUSスチィールを合併。再選されたマッキンリーが暗殺され、米西戦争の英雄T・ローズヴェルトが42歳で大統領になったのが1901年。年末に発表されたローズヴェルトの年次教書は暗殺犯だったアナキスト排除で治安ナショナリズムをうたい、良質な移民の選別を志向。フィリピンについては米国が支配しなければ「人々を残酷な無政府状態へ堕すことになる」と正当化。パナマ運河やカリブ海諸国でも「人類の国家警察」の役割を担うことは、モンロー主義の発展としました。また、社会的なという意味のsocialを16回も使っていることも特徴。これは自由放任と地域コミュニティまかせの共和主義からの大きな展開で、20世紀のアメリカは総じて「大きな政府」を選択してきたというあたりはなるほどな、と。

 実は、ニクソンがニューディール以降の福祉国家を完成させたという後半の指摘には感心したのですが(「小さな政府』が支持を集めるのは1973年から)、そうした大きな政府のセーフティ・ネットから抜け落ちた黒人差別の問題は60年代半ばまで浮上せず、国内の差別問題も解決できなかったことはアメリカの外交政策の足かせにもなっていた、と。

【第一章 革新主義の時代】

 19世紀に繁茂した「アメリカの自由」に対して、20世紀のアメリカは積極的に修正を試みる革新主義の時代に入った、と。ワイルの『新しい民主主義』では財産権への固執が問題視されたほど。しかし、貧困が社会的な問題として意識されると、それはエスノレイシャル(Ethnoracial、人種・民族的)な問題だと認識され、投票要件に識字テスストが導入される結果につながる、というのは清廉さが黒人差別などの問題を先送りしたことにつながる、という指摘になるのでしょうか(p.17-)。地獄への道は善意で舗装されているとは良く言ったものですが、NAACP(全国有色人種向上協会)も異人種間結婚に反対する立場でした。

 リンカーンによって奴隷から解放された黒人は、南部では再び人種隔離が強まり、北部の工業地帯に移動すると白人労働者から敵視される八方塞がりの状況になります。映画『イージーライダー』で撮影された南部の黒人居住区は、まるでアフリカの開発途上国のスラムのようで驚きましたが、そうした状況は長く放置されることになります。

 理想主義的な革新主義は国内でこうした矛盾を抱える一方で、対外的には帝国への道を歩せます。

 1902年にベネズエラは経済破綻し、欧州列強は海上封鎖を行いますが、ローズヴェルトはこれをモンロー・ドクトリンに対する挑戦と受け止め、地域の公益のために秩序維持のための行動をとる方向に動きます。それは西欧のような垂直統治的な支配ではないものの、親米的な政権育成と軍事拠点のネットワークづくりを目指します。そしてフィリピンやドミニカなどの破綻国家での改良事業は、やがてアメリカ国内にも影響を与え、それは貧困対策だけでなく、保安ノウハウの蓄積はFBIやCIAも生む、と。


【第二章 第一次世界大戦とアメリカの変容】

 オアフ島真珠湾の軍事要塞化、パナマ運河の完成はアラスカ-ハワイ-パナマ-カリブ海の防衛ラインを生みます(p.47)。

 第一次世界大戦に参加した契機は巷間言われるルシタニア号撃沈ではなく、パンチョ・ビラの反乱や南アメリカとの世界秩序づくりにドイツが邪魔で、専制的なツァーリも倒れたので民主主義の戦争というお題目を唱えやすくなったから、という指摘はなるほどな、と。ルシタニア号撃沈によるドイツへの復讐感情からの参戦は、後のプロパガンダによって書き換えられた集合的記憶だ、と。

 ウィルソンは1916年の選挙で組織労働との提携を行い、総力戦体制と必ずセットとなる福祉国家を実現させる方向で、徴兵制に道を敷きます。鉄道や鉱山などは国の管理下におかれ、国内諜報による監視体制強化とともに、戦時国家を背景に企業が労働協約を結ぶように促します。「明白かつ現存する危機」があれば憲法上の市民権も制限可能だという考え方は、ここで出てきます。

 当時の徴兵制は1)登録2)免除3)抽選という三段階で抽出されましたが、「父親」が免除される条項に入ったことは、専業主婦を拡大したり、月50ドル以下の賃金では家族を扶養できないので、小作人や日雇い労働の黒人が多く選抜されるとにつながります。また、地域の名望家はこうした選抜の生殺与奪権を持つことで、古い権威が新しい改革主義に浸透してきます。

 労働力不足の北部に黒人たちは移動しますが、白人労働者が150人をリンチ殺人したことに端を発する人種暴動なども発生していたとは。

【第三章 新しい時代 一九二〇年代のアメリカ】

 それでも、黒人兵士は歴史的にアメリカ正規軍の精鋭だったそうですが、戦後は非白人の不動産取得禁止が広がったり、労働運動に対しても反動が蔓延します。いったん撲滅されたKKKも映画『国民の創生』の影響を受けて復活。第2次KKKは反移民も掲げますが、新移民の到来前の1890年以前の状態に戻す動きが広がり、イタリアやポーランドからの移民も制限されます。しかし、ホワイト・エスニックが少なからず「白人の報酬」を受け取れたものの、アジア人は帰化不能外国人となっていきます。

 コミュニティが活力を失い消費のもたらす快楽と宣伝によって受動的に結びついただけの大衆文化は、主体的なコミットメントを必須とする民主政治と両立できるか?とアパシーが1920年代に問題視されていたのですが、こうした状況は100年前と変わらないな(p.108)、と。

リップマン『世論』の
・大衆は自分が望ましいと考える疑似環境を創作し始める
・たいてい定義してから見る
・そうして得られる情報はステレオタイプ化された歪みと断片化を伴う
あたりも100年前と一緒(p.109)。

 ワシントン体制の平和は現状維持を強いるものと中国のナショナリストからは受け取られ、反帝国主義を主導する国民党が25年に政府を樹立、北伐を開始します。九カ国条約加盟国は関税などを個別に交渉することになりますが、元々、ワシントン体制に不満を持っていた日本は反発、31年には満州事変を起こします(p.118)。アメリカのフーバー政権は日本を批判しましたが、軍事行動で応じる気はなく、満洲国の建国を許すことに。アメリカが掲げた相互依存理念、普遍主義は現実的な対応能力を欠いたbyアンブロシウスと評されますが、国際秩序はアジアでは中国のナショナリズムと日本の帝国主義、ヨーロッパではドイツから挑戦を受けることになります(p.119)。

【第四章 ニューディールと第二次世界大戦】

 1938年、非米活動委員会なる反共、反リベラルの調査機関が下院に創設され、ニューディールの芸術家支援プロジェクトを攻撃の対象とするなど過酷に抑圧って、あいちトリエンナーレに補助金出さないとかにソックリ。右翼は洋の東西を問わず似たような性癖を持つな、と(p.152)。

 「(経済的な)セキュリティの要求こそが現代人の生活の中心的な論点だ」とCIOの幹部が発言する方向に労働運動も変化していき、ニューディール政策以降は半世紀にわたって連邦最高裁は社会保障法について違憲判決を出すことはなくなります。ニューディールはいったん最悪な景気後退を経験しますが、参戦によって1942年にはバブル景気となり、10年以上続いた景気後退はついに克服された、と。

【第五章 冷戦から「偉大な社会」へ】

 黒人運動からするとニューディール・リベラルや労働組合は信頼に足る提携相手ではない状況がつづいたが、トルーマンが再選のため人種問題を取り上げて勝利したことは、民主党の地盤だった南部を共和党支持に移行させる一方、共産主義封じ込めを強化
します。一貫してアメリカ政治を担った民主党は、妙に理念的な外交を展開してきましたが、こうしたところを共和党穏健派を背景とするアイゼンハワーは批判、当選します。

 当時の大衆社会を評する『孤独な群衆』(リースマン)という表現は、いまも当てはまる気がします。伝統指向から内的指向、そうして他人指向へと社会が変遷する中で、自分の可能性に目を向けようという解決策も大して変わらないな、と。

【第六章 過渡期としてのニクソン時代】

 メディケア、メディケイドに多額の資金を投入して、事実上、ニューディール政策を完成させたのはニクソンだったという指摘は新鮮でした。そういえばニクソンはベトナム戦争終結を訴えて当選したんだったな、と。

【おわりに】

 トランプは「忘れられた人々」といレトリックをつかっていますが、これはローズヴェルトが「経済の最底辺にいる人々」、ニクソンが「カウンター・カルチャーの台頭に不安感じるサイレント・マジョリティー」という意味で使ったことに続くものという指摘も面白かった。トランプが、学校間の競争を促す目的のschool choiceについて、格差が拡大するとして反対している民主党のウォーレン候補に対して「自分の息子はエリート私立校に通わせたくせに」と揶揄していることを思い出しました。

| | Comments (0)

October 19, 2019

『日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】』竹村公太郎、PHP文庫

Nikaryo-yousui 

 台風19号では、河川への意識の高まりというか、治水レベルが向上したため、普段はほとんど意識もしなかった河川が、ひとたび大雨が降ると、甚大な被害をもたらすということが改めて認識されたのは、不幸中の幸いだと思います。

 台風19号の減災は徳川家康の利根川東遷からの長い歴史があって、八ッ場ダムが奇跡的に間に合ったという僥倖が大きいと思いますが(八ッ場ダムが役に立たなかったというのは愚かな考え方です)、多摩川や相模川の城山ダムの件も家康以来の治水の取組みに端を発するのかもしれないと感じました。

 竹村公太郎さんは国交省の元河川局長なんですが、近代的な治水の常識として

1)河川の氾濫を防ぐの流れの直線化=ショートカットが基本
2)台風の進路は正確に把握できるので、上陸3-4日前から計画放流して貯水池を下げる洪水調整操作が行われる

 ことがわかります。

 八ッ場ダムが役に立たなかった(利根川最上流で一気にため込んだ今回の貯水が役に立たないわけがないのに)という暴論だけでなく、多摩川のショートカットついて様々な方がインターネット上で独自の見解を示されていますが、全長100km、30%もカットした石狩川については増水時に海へ素早く流すだけでなく、川底を深く掘り、地下水を下げるという効果も直線化にはあるということも書かれています。

 洪水対策はどこかで水を溢れさせる、ということが古今の知恵だということは前著の『日本史の謎は地形で解ける』でも繰り返し書かれていましたが、渡良瀬遊水池や横浜スタジアムの遊水池の写真をみても設計通りだったことがうかがえます。

 多摩川については、以下のような流れがこの本では書かれています。

 家康の関東移封→関ヶ原の戦いの3年前に多摩川の測量開始→二ヶ領用水を川崎領と稲毛領にわたって開通させる→幕末に横浜開港→急激に発展した水源のない横浜は二ヶ領用水からもらい水→川崎が嫌がらせ&芦ノ湖の水は静岡に取られる→横浜はパーマーを招聘して1885年に相模川を水源に水道の建設に着手→さらに発展して人口増加→相模ダム、城山ダムを戦前から戦後にかけて建設→高度成長→酒匂川で三保ダム建設→さらに相模川に最大級の宮瀬ダムを2001年に完成

 しかし横浜に発展の産湯を与えたのは家康の二ヶ領用水だった、と。

 また、前著では家康が利根川を東遷させたのは湿地を耕地にするためだとしていましたが、この本ではさらにエネルギー源としての森林に注目したからだ、とも付け加えています。とにかく、結果的には利根川東遷の結果として乾いた耕作地が生まれ、人口増加、明治の首都となって荒川放水路も完成したわけですが。

 日本は春から秋にかけての半年間で一年分の食糧をつくらなければならなかったので、働きモノでせっかちな民族性が生まれたとか、ピラミッドはすべてナイル西岸に並んでおり、それは砂を貯めて流れを下流まで持たせる堤防づくりのための「からみ」だった、という仰天の新説を唱えていたりします。

 既存ダムを10mカサ上げして電力不足を補うという考え方も面白かった。

 面白くてタメにになるという本ですので、ぜひ、ご一読を。

| | Comments (0)

October 12, 2019

南粤美食の腸詰干し肉貝柱釜飯

Nannetsu-bishoku

南粤美食 神奈川県横浜市中区山下町165-2 INビル  045-681-6228

昨日は神奈川kaatで宝塚雪組公演の『ハリウッド・ゴシップ』初日を観た後、中華街の南粤美食を訪問してきました。

「なんえつびしょく」と読みます。南越=南粤。

中華街で新しい店を開拓したくなっていて、孤独のグルメでやっていたので観劇後に訪問したのですが、台風来ているのに30分待ちでした。腸詰干し肉貝柱釜飯んまかったです!


このほか、腸詰とビールを頼んで3200円でした!リーズナブルなお値段というか、さすが台風でも行列できる店!このほか丸鶏の塩蒸焼きとアヒルの揚げ焼なんかが有名みたい。


ちなみに、中華街のお勧めは
秀味園の台湾家庭料理
清風楼の焼売(オミヤもあり!)
保昌の中華カレー
この三店しかここ十数年行ってないです。全部、安くて美味しいですよ。ご参考までに。

| | Comments (0)

October 10, 2019

『行動経済学の使い方』大竹文雄、岩波新書

 
 
 経済学は一時期、数学の方向に走って、社会を対象にして変数を変えたらどう動くか、みたいな理論経済学の方向にいきましたが、後付け説明以外にはあまり有効ではないと認識されているのではないでしょうが(もちろんマクロ経済では、動学的一般均衡モデル=DSGEモデルなどでパラメーターを変えつつ、現状報告的なことはしなければならないのでしょうが)。こうした自然科学的アプローチは、有効化もしれませんが、おそらく変数が多すぎて入力と出力の時間差なども含めて、今の技術では役に立たないという認識が広まる中で、それまでの主流派経済学に対する批判として行動経済学は出てきたんだと思います。
 
 セイラーのナッジの例などを断片的にみると、確かに面白いのですが「それって心理学の応用じゃないのかな」と感じていました。といいますか、個人的に行動経済学的センスを最初に感じたのは80年代に「問題解決の人間学」と副題がついた『ライト、ついてますか』ゴース、ワインバーグ、共立出版。
 
 トンネルの出口でライトをつけたままの運転手にバッテリーあがりを含めた注意を呼びかけるとしたら
 
・もしいまが昼間でライトがついているならライトを消せ
・もし今暗くてライトが消えているならライトをつけよ
・もし今が昼間でライトが消えているならライトを消したままとせよ
・もし今暗くてライトがついているなら、ライトをついたままとせよ
 
という4つの場合に分けなければならないのですが、それより「ライト、ついてますか?」で十分なのだ、というあたりは実に効率的だと感心しました。このほか「人が問題だと言っていることが本当の問題とは限らない」とか「誰の問題か?」「問題はどこから来たのか?」「最も重要なことは問題は解決されることがないと知ること」というあたりも含めて印象に残っています。
 
 ワインバーグのコンサルタントの第二法則に「一見どう見えようとも、それはつねに人の問題である」というのがありますが、こうしたエッセンスを統計的によって説得力のあるものにしたのが行動経済学なのかな、と個人的には感じています。『ライト、ついてますか』は試行錯誤を通じて解決しようとするのですが、行動経済学は個々人の行動を統計を元に予測可能だとして、人々をナッジによって自発的に望ましい行動を選択するよう促すことができるというものなのかもしれません。
 
 前置きが長くなりました。とにかく、そんなことを考えながら読み始めたのですが、「はじめに」によると、で人間の意思決定のクセを理解することで、金銭的なインセンティブや罰則付きの規制を使わないで人々の行動をよりよいものにするのが行動経済学の目的だということでしょうか。そして、それが使える段階にあり、実用段階にきいてる、というのが著者の主張。
 
 生意気にも知ってる事ばかりじゃない…と読み進んでいったんですが、確かに使える!と思ったのは、人間は確率0%の状況から小さい確率でも発生する可能性が出てくる思うとそれを過大評価し、100%から僅かに下振れのリスクが生まれると確実性が大幅に低下すると感じるというあたり。東日本大震災の福島第一原発事故では、班目春樹・原子力安全委員長が菅直人首相らに「再臨界の可能性はゼロではない」と答えて海水の注入が一時中断されたといわれていますが、これも「ほとんどありえない。真水が無くなれば海水を入れるしかない」と答えれば、燃料棒が溶けて水に触れる水蒸気爆発までには至らなかったのではないか…と考えてしまいます。
 
 また、株で負けてる時に損切り出来ずに損失を拡大し、逆に上がっている時には僅かな利益確保を急いでしまうという個人投資家の行動のそのパリエーションだな、とも感じました。本文では、利確は出来るけど、損切りは出来ないと一般的に書いているだけですが、もう一歩進んで、利確が小さいというのが、こうした場合のパターンだと思うんで、研究してほしいと感じました。
 
 また、現状維持バイアスは確かにつよいとも感じます。株でも一旦買ったら、持っているということだけでその価値が倍以上に感じるから、なかなか損切りできないんじゃ、と。保有する前後で価値は倍になると感じるとか、企業のキャンペーンの試供品配布は保有という現状維持バイアスに働きかけてるというの納得的(p.20)。
 
 とにかく、人生にとって大切なのは命とカネだから、医療関係と金融関係の例を増やしていってもらいたいな、と。ただ格差の問題でそうした医療にしても金融でも、選択のシチュエーションにすら到達出来ない層があるという問題はあるかもしれません。ということは、実験をするにしても、前提として保有する資産別の研究なんかも必要ではないか、というか、そうした方向で深められないか、とみたいなことも考えました。
 
 他人から損失をこうむったら自分が得にならなくても仕返しや罰を与えたくなる性向(まるでホワイト国をめぐる最近の対応…)、回収できないサンクコストを理解できない誤謬、精神的・肉体的に疲労していたり金銭的に不如意だと意思決定能力が落ちるとか、納得的な話しが続きます。
 
 サイコロで6が連続して出るなど平均から乖離した後は、平均に回帰する確率が高くなりますが、こうしたことから、人の健康が悪化した場合、たまたま健康を回復する過程で民間療法を試すと「効果がある」と錯覚されやすいというのも面白かった。さらには、仕事や子育てスポーツでの失敗の後に叱責すると効果が出るというのも同じ錯覚といのには唸りました。たまたま失敗しただけで、普段は出来ているわけで、その時に叱って次にうまくいったとしても、実は平均へ回帰しただけというのは、実に説得力がありすす(p.38)。スポーツの世界では口で言ってもわからない時は…というのも少しはアリなのかなと思ってはいたんですが、確かに、失敗する方が少なくなるほど上達した後の習熟訓練などでは、たまたま失敗されたのをいちいち怒られては気分悪くなりますし、出来るようになるための上達訓練の時には、褒める方が効果ありそうで、叱るというのは良くない選択なのかな、と。
 
 証券ディーラーが半日単位で成績を確定する会社と一日単位で確定する会社では、行動が異なるという話しも面白かった。午前中に損失を抱えたディーラーは、午後によりリスクの高い投資をする傾向があるそうです。こうした一発逆転はたいてい上手くいくはずないので、長期的には問題に鳴ってくる、と。どちらも同じ人間がやるわけですから、いくらプロとはいっても、こうしたところは損切できない個人投資家と同じだな、と。長期的な目標のためにはその時点その時点で最適な行動をとるのがベスト。もし、出来なかったら、次善の計画をたてるべき、というのも納得的(p.139-)。
 
 あと、インターネットで放射脳みたいなことを撒き散らすヒトたちは本当にどうしようもないな…と思っていたんですが、そうしたヒトたちは考え方にバイアスがあり、計算能力に限界を持ち、自制力もなく、損失回避の傾向が強い(ケチくさい)ために、合理的な意思決定ができないと考えれば優しく対応できるかも、と申し訳ないですが思いました(p.199)。
 
 大竹文雄さんは、あとがきで『医療現場の行動経済学』を紹介していて、それも読もうと思いました。そこでは、医師がどうして患者は合理的な意思決定が出来ないのか疑問に思っていた、と書かれています。待合室などでも、精神を病んでるんじゃみたいな方に会うことがありますが、それはただでさえ低下している能力が、病気による不安でさらに低下するからかな、とか。とはいっても、病気だけでなく、加齢でも人間的な能力は低下していくわけで、他山の石としなければ…
 
 政策ミックスで法案のイメージが変わるあたり(p.189-)は知り合いの先生に紹介しようかと思いました。バカにされてる軽減税率も、よく考えれば、政策ミックスによる効果を狙ったものなか、それか!なんて思うほど。よく、昔の自民党の政治家は「足して二で割る」みたいな解決策で乗り切ってきただけ、なんて馬鹿にされていましたが、意外と、それは正しい方策だったのかな、と。

| | Comments (0)

October 02, 2019

『都市国家から中華へ(殷周 春秋戦国) (中国の歴史 2)』平勢隆郎、講談社

 殷から戦国末、秦の成立に至る流れを
1)新石器時代以来の8つの地方的文化圏が春秋時代に徐々に統合されて都市の連合体となり
2)戦国時代に至って文化圏ごとの中央集権が達成される
という過程として捉えた史観でしょうか。

 80年代ぐらいに黄河文明と長江文明の違いを初めて知ったのですが、今は化旧石器時代の文化的影響が、ここまで細かく分かってきたのかと、すでに10年以上前の本ですが、感動。

 特に『春秋』の各バージョンに各文化圏が反映されているという推論に感動しました。その後に成立した『史記』には、中央と途方を結ぶ文書行政が開始され、それを支える律令が整備された前の時代のことがまったく念頭におかれていない、と批判。それは、春秋時代までは、中央も地方も独立した国(都市国家)だったが、鉄器が普及した戦国時代から変わってきたからだ、と(p.31-)。

 漢字は西周まで殷、周で使用される文字に過ぎなかったが、周の分裂によって西周は混乱。やがて秦が西から侵入。この混乱の中、青銅器に銘文を鋳込む技術が拡散。また、鉄器の格段によって農業生産に不可欠な歴が発達した、というあたりもスリリング(p.202-)。

 また、黄河は600年に1回ぐらい、大規模に氾濫するんですが、機械などを使えなかったので抜本的な対策は出来なかったんですね。結局、氾濫地域での生産をあきらめて、別な地域に農民が移動して、それが政情不安に…みたいなサイクルだったというあたりも興味深い。

 ふと、覡(げき=かんなぎ、男のミコ)は性的なサービスを与えたのだろうか、とつまらぬ疑問が…(p.212)。巫女的な職業はお参りした後に男性相手に性的サービスを提供していたのは世界共通でしょうが、覡は男性。覡は男性それとも女性を相手にしていたんだろうかという疑問も。

 践祚の祚は月偏もあり「ぎょうにんべん祚を践む」と読み下せる儀式。この儀式を行うにあたって登る階段が「ぎょうにんべんの祚階」。ヤマト朝廷は高御座に登る儀式に変えることで換骨奪胎したんでしょうか、元々は中国の戦国時代の儀式で、秦から漢に継承されたが、楚では「覇道の証し」とくさすそうです(p.246-)。

 諸子が「天下」を語る議論は、官僚統治を基礎とし、戦国時代にできあがった理論を縦横に駆使しますが、九・六・八、天・地・人・陰陽五行、周易、いずれを論じても、戦国時代にまとまった、と(p.306)。

 荀子と性悪説についての説明も、それだけで面白かった。長くなりますが、引用します。

 《後漢の王充によれば、孟子は中人以上を述べ、荀子は中人以下を述べたという(『論衡』本性篇)。後漢時代の認識が『漢書』(後漢時代に前後漢時代をまとめた史書)の古今人表に示されているが、古今の人を上上聖人・上中仁人・上下智人・中上・中中・中下・下上・下中・下下愚人の9等に分かつ。これらを3つにまとめなおせば、上人・中人・下人となる。この中人以上について性善をとなえたのが孟子、中人以下について性悪をとなえたのが荀子だというのが王充の説明であった。これに沿って述べれば、道家は上人のみを語り、法家は中人以下を管理しようとした(徹底すれば上人までいく)、ということになる。眼目とする階層が異なれば、諸子の言説は、互いを補完しつつ共存することができる。

 王充の上人・中人・下人に関するまとめは、従来の理解が的を射たものではないことを教えてくれる。孟子の性善説と荀子の性悪説が同じ人の性の理解として対立していたのではない。孟子は中人以上を論じ、荀子は中人以下を論じていて、どの階層に焦点を当てるかが異なっている。同じ国家に両者の議論が混在することも可能であり、いわば「棲み分け」の議論をしていたのである》
(p.307-)

 中国のメインランドでも新石器時代以来、絶え間なく戦争は起き、夏・殷・周3代の世もそうだったわけですが、鉄器は青銅器と違って原料を大量に確保できたので一気に普及。森林伐採、開墾、車と畜力を使った耕作も軌道に。耕作可能面積は劇的に拡大、都市の人口も多く養えるようになり、成長しつつあった国家の管理を受けることになります。変法を進めた者は戦争が続く中で、耕作民確保など富国強兵を目指していくわけです(p.336)。

 中国の度量衡の九・六・八は天地人を表し、単位が繰り上がるんですが、楽器の基準とも関わっているというのは、ピタゴラスの60進法にも似てるんだろな、と感じました(p.332)。

 山本義隆『小数と対数の発見』は難しくて、なかなか読み進めていないのですが、木星の公転周期12年、手の指から由来する十進法、手足の指の二十進法と共通の倍数が60だからというあたりなんでしょうか。もっとも、中国由来の十で繰り上がる数の数え方は便利な十進法に整合的で、和算が高度だったのも、そのおかげなのかな、とか色々考えさせられます。

 「國(国)」は中国の戦国時代になってできた字、つまり春秋時代にはなかった、という指摘も新鮮。それまでは都市を「邦」と言い、邦を含む一定の領域を西周以来「域(或)」と言っていたが、領域国家の出現で、その領域を囲む境界が意識され、結果として「國(或を囲む)」「国」という字ができた、と(p.363)。

 科挙の定着には中国でも文書行政が根付いてから1000年と唐宋改革と出版事業の進展が必要だったというあたりも、なるほどな、と(p.388)。殷、周王朝でも複数の血縁集団が王を出していた、ということも含めて、ヤマト朝廷も複数の血縁集団から大王を出していたんだろうし、聖徳太子の苦労も分かります。万世一系は後進国を支える幻想だったんでしょうね。

 伊藤仁斎など江戸時代の儒学者たちを《中国皇帝の大領域ではなく、日本という領域国家の時点でものを見ていた》(p.395)というあたりの指摘は現代の政治でも通じるかもしれません。個人的に中共はもちろん批判しますが、どこか習近平の悲しみも理解できそうな気もしますから。

| | Comments (0)

September 25, 2019

『玉三郎 勘三郎 海老蔵』中川右介、文春新書

 昭和末期から辰之助、十七代目勘三郎、二代目松緑という六代目菊五郎の芸の継承者が一気に去ってしまうという「第一話 神々の黄昏」に続くのが「二人阿古屋-歌右衛門から玉三郎」。この問題意識の流れは共感できる。

 プロローグのような第一話に続くのが「第二話 二人阿古屋」。近現代の5期の歌舞伎座はいま、敗戦から70年以上、震災や爆撃で焼失していない平和な時代を享受していますが、その木挽町を頂点とする歌舞伎界には二人の女帝が君臨していました。

 太平洋戦争の敗戦で歌舞伎座と歌舞伎の興行システムは灰燼に帰します。映画やテレビなどのメディアの勃興もあり、国などからの評価を自らのトップとして価値に変えることで興行価値を保ち、歌舞伎を文楽のような「国から支援されることで興業という交換価値を失った伝統芸能」にさせなかった歌右衛門さんの時代から、梨園の外から女帝となったものの、陰りの出てきた人気のなかで改めて内省を要求された玉三郎への変化を描いたのが全体でも最も長い第二話。

 著者は、おそらく歌右衛門さんと玉三郎で歌舞伎の現代史は描けると確信しています。幻冬舎新書の『十一代目團十郎と六代目歌右衛門―悲劇の「神」と孤高の「女帝」』で敗戦から昭和の時代、『坂東玉三郎―歌舞伎座立女形への道』では第四期歌舞伎座の末期まで、そして今回の『玉三郎 勘三郎 海老蔵』で平成末までの歌舞伎を描いてきましたが、その骨格はあくまで歌右衛門さんと玉三郎。立男役である高麗屋や松嶋屋、音羽屋などはその周りを回る衛星という感じ。しかし二代続いた女帝の時代の後半では、玉三郎が歌舞伎界の権力闘争にしがみつくよりも、幽玄の世界に遊ぶことを選んだため、海老蔵が九代目の成田屋や六代目みたいな存在になる下地がつくられていった、というのが著者の見立てのように感じる。

 しかし海老蔵の時代が来るにしても、歴代の成田屋は健康に恵まれてない役者が多い。海老蔵にそのようなことがあれば、その時こそ本当の歌舞伎の危機かもしれません。君臨する女帝もトリックスターのような十八世勘三郎もいない中で、歌舞伎座と全国の劇場を埋めていかなければならないわけですから。

 それを無意識に感じているためか、「第二話 二人阿古屋」の後半では玉三郎が若手の女形を「マスターコース」方式で育てた軌跡を丁寧に描いています。マエストロ玉三郎が公開スクールのような形で自分の役を若手に伝えているのは、海老蔵を輝かせる脇役を揃えるためかもしれません。七代目歌右衛門は誰がなっても先代や自分のような存在にはなれないから、という諦めがあるのかもしれませんが、歌舞伎界全体を考えて、海老蔵を支える役に合った女形の数を揃えておこうという強い意思が感じられます。この「二人阿古屋」は阿古屋という役を歌右衛門さんと玉三郎の二人だけで独占してきた時代と、玉三郎が二人の若手女形にマスターコース方式で伝えた2018年末の舞台のことを意味しています。

 泣いても笑っても2020年には十三世團十郎の襲名披露興業がやってきます。十一代目は早世し、十二代目は器ではなかったので、今の海老蔵は劇聖と言われた九代目團十郎以来の帝王にして改革者となるわけで、それは《初代市川團十郎が始めたものが現代に続く歌舞伎であり、代々の團十郎がそれぞれの時代の歌舞伎を作ってきた。今後は十三代目團十郎の歌舞伎が歌舞伎となる。それを認めたくない人は、別の歌舞伎を作るしかない》という時代の幕開けにもなります(あとがき、p.243)。どの世界でもWinner takes allなので、これは避けられない道。《だからこそ、困難な道でもある》わけですが(p.242)。

 海老蔵は「声よし、顔よし、姿よし」で歌舞伎界最高の名跡である團十郎を名乗り、しかも新之助→海老蔵→團十郎となるであろう息子も持つという不動のポジションを築きましたが、すでに父をなくし、妻にも先立たれる不幸に見舞われています。《團十郎が男系男子で四代続くのは、この家の三百五十年にわたる歴史のなかで初めてのこと》であり、團十郎の家にまつわる悲劇を本人もよく知って上での襲名でしょう。

 海老蔵は若い頃からの暴力的な性格、振る舞いで、劇場内外でハラハラさせながらも、舞台上では最も光輝いてきました。こうしたアンバランスなゆえにいっそう輝くというスター性は他の御曹司系の役者にはないもの。せいぜい十世幸四郎が高校生の頃に子どもを産ませたぐらいでしょうが、それは歌舞伎役者という職業からすれば、これっぽっちも逸脱ではありません。昔ながら褒められたぐらいの話しです。問題行動という視点でいえば、海老蔵の起こした事件は、八世幸四郎への思いが届かずに初代吉右衛門の娘にとられたり、玉三郎の養父勘弥が水谷八重子と結婚したことに絶望して、使用人と駆け落ちした歌右衛門さんの事件以来ではないでしょうか。そうした潔さ、勇ましさがあるから、目が離せないのが海老蔵なわけです。ちなみに、歌右衛門さんと海老蔵の祖父十一世團十郎のふたりはほとんどカップルのようなこともあり、さらに團十郎は片岡我童とも「ラブラブの時代」があったようです(by十二世團十郎)。もっとも歌右衛門の方でも、初代吉右衛門に老いらくの恋をさせてしまったりと色々あったようですが…。

 とにかく考えられる限りのポジションを確保し、役者ぶりも申し分のない海老蔵は、さらに二代目猿之助から学んだ《古典を現代に通じるように作り変えるプロデューサー兼主演者》としての才能、センスも持ちあわせています。海老蔵は古典復活の際の監督兼プロデューサーでもセンスが光ります。映像や舞台機構をフル活用した成田屋千本桜などはその典型。

 これと比べると十八世勘三郎はコクーン、平成中村座など歌舞伎を演じる場を水平的に広げたものの、作品自体は丸投げだったように感じます。古典でも『魚屋宗五郎』のような作品を愛していたというのではセンスも古い。個人的には野田某を起用した作品を面白いとは感じられなかったし、宗五郎に関しては談志師匠が「来いというから見に行ったが何が面白いんだか。妹を手打ちにした殿様を叩っ斬るんだったら分かるがぬるい」と書いてたけどその通りだと感じます。恐らく談志師匠が観たのは勘三郎になってからの2007年ですが、これが酷評されたためか、勘九郎時代には1994、96、2000年と演っているのに、それ以降はかけていません。

 《歌右衛門がたたんでしまった風呂敷を、玉三郎が広げた》(p.240)平成の歌舞伎は、勘三郎というトリック・スターが通人で團十郎から海老蔵への助六を仲立ちするという大きな流れだったのかなとも感じます。

 文章は年代と劇場、演目、役名がズラッと続き、歌舞伎に不慣れな読者にとって読み通すのが辛く感じるところもあるかもしれませんが、ずっと観てきた読者にとっては、固有名詞だけで脳内の役者が踊り出すぐらいの喚起力を構成と流れでつくっています。とにかく面白かった。立役中心で考えている自称歌舞伎ファンにはみたくない真相(ますがた)かもしれないけど、これが本当の真相かな、と。

 中川さんが他の歌舞伎の評論家と違いズバッと本質に迫ってると感じるのは、第四期歌舞伎座のさよなら公演で、スタンディング・オベーションに出なかった勘三郎、玉三郎と藤十郎の対比を描いた以下のようなところ。

 《第二部の終わりは、藤十郎の『藤娘』で何の熱狂もなく淡々と終わった。人間国宝も文化勲章も客には関係がなかった。容姿の衰えた女形が懸命に無理をしているのは分かるが、そこに感心はあっても感動はない》(p.167)。

 藤十郎さんには申し訳ないけどクリアカットな素晴らしい書きっぷりです。こうした姿勢は播磨屋が演った幡随院長兵衛が《新聞などの劇評では、この『鈴ヶ森』が絶賛された》(p.179)といったあたりの呼吸でもうかがえます。なんというか演劇の本場、英国調の慇懃無礼さというかdisり具合なのでは…と感心するばかり。

 それにしても、もしほ勘三郎や歌右衛門さんの芸談が「芸」になっていたのは戦争を経験していたからだな、と改めて感じます。ああした人生の大どんでん返しを経験してない御曹司が語る「形」をいくら聞いて仕方ないと思うんです。それは、スポーツ雑誌などでよく見かけるバカがバカをインタビューしたみたいな記事と変わりないから。御著書はそんなことよりも、観客席からの風景と、公開情報から推察できる歌舞伎役者の政治性などを重視、プロデュース能力などに力点を置いているようで、いまのところ、そうした描き手としては唯一無二の存在だと思います。これからも、歌舞伎をどう読み砕いていくか、楽しみです!

| | Comments (0)

September 19, 2019

『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』村上春樹、中公文庫

 短編の傑作『リッチ・ボーイ』が80年代という若い時代の村上春樹によって翻訳されています。。

 《個人というものを出発点に考えていくと、我々は知らず知らずにひとつのタイプを創りあげてしまうことになる。一方タイプというところから考えていくと今度は何も創りだせない―まったく何ひとつ。たぶんそれは人というものが見かけより異常であるせいだろう。我々は他人や自分自身に対してかぶっている都合の良い仮面の裏では、どうして風変わりでねじくれているのだ。「私はごく当たり前の、包み隠すところのない、あけっぴろげの人間ですよ」と言う人に会うたびに、僕はこう思う。この男には、おそらく身の毛もよだつようないかんともしがたい異常な部分があって、意識的にそれを押し隠そうとしているのだろう、と。そして自分をありきたりの包み隠すところのないあけっぴろげの人間だといちいち断るのは自分の異常性をうっかり忘れぬための方便に違いあるまい、と》という書きだしはうなってしまいました。

 おそらく自身の小説のように書きだしには凝ったと思ったのですが、原文を読むと、さらに驚きました。

"Begin with an individual, and before you know it you find that you have created a type; begin with a type, and you find that you have created--nothing. That is because we are all queer fish, queerer behind our faces and voices than we want any one to know or than we know ourselves. When I hear a man proclaiming himself an "average, honest, open fellow," I feel pretty sure that he has some definite and perhaps terrible abnormality which he has agreed to conceal--and his protestation of being average and honest and open is his way of reminding himself of his misprision."

 なんと簡潔な文章でしょうか。それを普通の日本語に小説として訳すとすると、この翻訳のようにかなりの敷衍が必要なんだろうな、と。

 主人公はニューヨークの上流階級の一族で育ったアンソン。彼にについて思い出したのは『紳士は金髪がお好き』に出てくる人生に絶望している6歳の少年、ヘンリー・スポフォード三世のようだな、と。そんな何不自由なく生きているリッチボーイでも、人生に痛々しいものが突き刺さっていきます。表面的には少しばかりプライドが高く(『春の海』の清顕のように)、冷笑的でもあるため、真の愛を手に入れることの出来なかった青年の物語とも読めますが、全体の雰囲気、二度と帰ることのない時代の空気が描かれているのかな、と。

 《リッツ・ホテルにはポーラの従姉も同泊していた》(p.247)という一節がありますが、『夜はやさし』やタイトルそのものに使われた『リッツくらい大きなダイアモンド』のように、フィッツジェラルドはリッツが好きなんだな、と。イェールや自身の卒業したプリンストンなどアイビーリーグの生活、同窓生との交流など狭い世界を描いていた彼にとって、『グレート・ギャッツビー』は少し世界を広げた小説だったのかな、ということも感じました。
 
 『ゼルダ・フィッツジェラルドの短い伝記』では「朝食には桃ね」という夏の過ごし方が印象的。5ドル札でタバコに火をつけていた時期からの転落振りは、非現実性を感じてしまうほど。

| | Comments (0)

«『熱学思想の史的展開3』山本義隆、ちくま学芸文庫