November 18, 2020

『フットボール風土記』宇都宮徹壱、カンゼン

Fudoki

 SDGs(持続可能な開発目標)なんかはセミナー屋さんのメシのタネだと思って、真剣には考えてこなかったのですが、愛するサッカーの世界でも、こうした考えが基本にないと、そもそもクラブという組織の存立基盤が危うくなってきている、と感じた本でした。

 具体的には、地域おこしで遮二無二Jリーグを目指すという方向ではなく、改めて地域密着で地元社会の健全な発展を最優先に考えるみたいな。そうなると、Jを目指す目指さないというのは相対的な問題になります。それより大切なのは、生き残り。

 三菱自動車といえばダイヤモンドサッカーのスポンサーだったのに、いまの三菱水島FCは不祥事を抱えた親会社の判断からJFLにも行かせてもらえないし、グラウンドは土で野球などと共有のまま。あきらかに撤退戦だけど、簡単には討死はしない、みたいな。

 FC今治も岡ちゃんがつくったのではなく、早稲田の先輩などが40年以上も守ってきたチームが母体になっているというのは初めて知りました。日本企業は発展を諦めているのでは?という外資からの厳しい視線が注がれることもあるのですが、逆に1000年企業もあったり、江戸創業の企業も500社弱あるというのは凄いことなのかもしれません。

 グローバル経済からは緩いと言われようが、ゴーイングコンサーン(継続)を選択する傾向が列島住民には強いし、その選択の可否はまだ決着していないのかもしれません。

 この本にはフィジカルで世界を目指すといういわきFCみたいなチームも紹介されているのですが、共通するのは地域のエリートが、地域にとどまり、なんとか所与の条件を活かして頑張っている姿。それは尊いと感じるし、ロシアや中東、アジアの成金たちがヨーロッパのビッグクラブに目を向けるのと比べれば、品もいい。

 宇都宮さんは、日本各地のさまざまな草の根出自のサッカークラブを取材してきて、代表たちにインタビューを重ねてきました。そうした人たちが語る理念などは色々あるし、真新しい考え方やフレーズなどを取り入れて、様々とりつくろうことはできるのですが、具体的に実現しなければいけないのはスタジアムだということもわかります。

 J1で1万5000人以上、J2では1万人以上、J3では原則5000人、そして登竜門であるJFLでも5000人以上が推奨されているからです。サッカー愛、地元愛が横溢しタニマチ気質にもあふれた地元名士の篤志家が「Jを目指せ」と大号令をかけても、不況、災害、人の寿命などによって挫折するケースがほとんどなのは、この具体的すぎるシビアな目標をクリアできないため。

 そして、Jという「坂の上の雲」に辿り着いても、そこは通過点でしかなく、不断の努力を継続しなければ、4部のJFLからやり直さなければなりません。まるでシジフォスの神話。IT系の大企業の経営者クラスの資産、才覚がなければやり通せる事業ではありません。

 そうした成功体験、失敗体験が積み重なり、「いつかはJリーグへ」という上ばかりを見ていた夢中心のチームづくりが、「持続可能なクラブづくり」に方向転換してきている萌芽をこの本では感じとることができたかな。このままいけば、イングランドの下部リーグのような、というか、川淵さんが衝撃をうけたドイツのスポーツ・シューレのような地に足のついたクラブが誕生していくかもしれない。「持続可能な開発目標(SDGs)」がきれい事ではなく、それなくしてはビッグクラブも存立できなくなる時代なのかも(いまのJ1だって、あからさまに名前を出してはいけないかもしれないけど、日産出自のチームなどは20年後も生き残れるのでしょうか?)。

 最近読んでいる本でもアメリカの裕福な家庭でさえ公立学校に進学させる親が増え、親たちのボランティア的な貢献が学校の質を決めるようになってきているというのですが(Robert Putnam "Our Kids")、これからはチームのサポーターにどこまでボランティアで参加してもらえるかなんていう指標の方が、観客席を覆う屋根の比率よりもっと重要になってくるんじゃないかとも感じます。

 とにかくもこの本は《地元愛とサッカー愛に溢れ、タニマチ気質たっぷりの経営者が、遮二無二Jリーグを目指したらどうなるが、勘のいい読者なら、すでに暗澹たる気分にはなっているだろう》という時代の終わりをうつしとったのかもしれません(p.191)。

 もちろん、若手が脱サラして生きがいを求めて立ち上げるパターンだけではなく、三菱水島FC、FCマルヤス岡崎、ホンダロックのように企業が支える地元クラブも一周遅れのトップランナーのように浮上してきます。そこには《Jクラブとは違ったプロフェッショナリズム》が確かに根づいていますし(p.162)。

 宇都宮さんが臨海鉄道に乗って取材した水島と岡崎が共にアマチュアのままなのは象徴的。臨海鉄道は高度成長を支えた臨海工業地帯と全国の出荷先を国鉄貨物とつなぐために設立された第3セクター。バブル期に乱立された三セクが、この本でもとりあげられたフェニックス・シーガイアのように巨額な負債を残して外資に買われたのと違い、今でも大部分が生き残っているのとパラレルのように感じます。

 臨海鉄道は地元自治体と進出企業が現物出資して、旧国鉄が運営するという「上下分離」のような形で設立されたのですが、サッカースタジアムもガンバの吹田のように上下分離による整備が流行っているのも似ています。上下分離(民間と公共団体の協業)によるインフラ整備は最近では病院にまで及んでいまするが、これからスタジアム建設のデファクトスタンダードになっていくんでしょうね。

 少し生意気なことを言わせてもらいますと、某アルビはワールドカップ開催をキッカケに誕生しましたが、この土地にも新潟臨海鉄道がありました。しかし、まさに日韓W杯が開催された02年に解散してます。アルビの最近の迷走は、SDGsを体現しているような臨海鉄道みたいな存在が身近になかったからだったりして…。

 個別の話しでは、市長などの女性トップが多いから監督も女性という鈴鹿アンリミテッドFCが面白かったのですが、ここもポイントゲッターズにチーム名が変わっている。市原の豪華な陣容みて、これを維持できるか、出来ずに尻すぼみになるかとか、奈良の問題なども取り上げられていて、いつか、Jに届かなかった「失敗の本質」みたいなのを読みたいかも。

 とにかく宇都宮さんは「街道をゆく」の司馬遼太郎さんのように全国を歩き、Jリーグを目指すクラブや目指さないクラブまでも取材してくれます。そしてたどりついたのは、SDGs(持続可能な開発目標)の時代を先取りしているようなサッカーの現場だったのかな、と。

 Jリーグは世界的な大企業をベースにしたオリジナル10の創生期から、地域おこしでJを目指す時代を経て、繰り返しになりますが、いまや《地元愛とサッカー愛に溢れ、タニマチ気質たっぷりの経営者が、遮二無二Jリーグを目指したらどうなるか、勘のいい読者なら、すでに暗澹たる気分になっているだろう》という時代の終わりに突入しているのがわかります(p.191)。

 そこには脱サラして生きがいを求める若者がクラブを立ち上げるパターンだけではなく、三菱水島FC、FCマルヤス岡崎、ホンダロックのような企業が支える地生えのクラブも古いながらもロールモデルとして浮上してきます。それは「いつかはJリーグへ」と上ばかりを見ていた夢物語の時代から、「持続可能なクラブづくり」に方向転換してきている萌芽だろうし、「百年続く構想」はJのビッグクラブこそ求められるものかもしれない。

 よくも悪くも、たとえ緩いと言われようとゴーイングコンサーン(継続)を重視する「この国のかたち」もかいま見せてくれる。そこには地域や企業の栄枯盛衰だけでなく、列島に住む人々の心性も鮮やかに浮かび上がる、みたいな。

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November 01, 2020

"Bullshit Jobs: A Theory" David Graeber

Bullshit-jobs-david-graeber
ここにはアップするつもりはなかったのですが、白井某がへんな解釈をしているのが気になったので…。
ということで、筋トレしてプロテイン飲んだ後、200kcalぐらいバイクをこいで有酸素運動やってるんですが、その間、テレビやYoutubeを観ていても仕方ないのでAmazon Audibleで"読んで"います。
気になってはいたのですが、翻訳(『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』)を読むほどではないかな、ということで放っておいた本。引用先のようなまとめもあるし、最初の序章はアメリカンな本らしく、きっちり要約されているから大意がつかみやすい。
・聴き終わるまであと12時間とか、「あ、有酸素を20回ぐらいやれば"読了"か」とか分かる感じが新しい
・当たり前だが滑舌のハッキリした英語で、少しゆっくり目なので聴き取りやすい。
聞いているだけで忘れてしまいそうなのでメモをつづっていきます。正しいかどうかは保証できませんがw前も普通に書いて、そこにコメントつけていたんですが、埋もれてしまうのでこっちにしました。
序章
シットジョブ=ブルーカラーの汚れ仕事
ブルシットジョブ=ホワイトカラーのどうでもいい仕事
マフィアのヒットマンの仕事はブルシットジョブではない。なぜならボスから直接、指示が来るから
多くのブルシットジョブは下請けの下請けの下請けの仕事を、最終的には個人が請け負うような契約になっている
しかも、銀行員の仕事でさえ80%はブルシットジョブ
一章
ソ連ではプロレタリアートを失業させないために、ダミーな仕事を用意しましたが、現代資本主義社会でも、同じようにダミーな仕事がほとんどではないか
『銀河ヒッチハイク・ガイド』ダグラス・アダムスは、AとBとCという三つの宇宙船で出発するという構想で、経営管理者や会計士や広告担当者や美容師といった連中をまとめて先に宇宙に送り出し、残りのもっと創造的で生産性の高い人々はあとから行くよ、と言っておきながら出発しないというプロットですが、経営管理者や会計士や広告担当者は美容師とおなじぐらい大して役に立たない仕事だという意味でしょう。それらはフランキーな(おべっか使い)仕事といえる。
二章は様々なブルシットジョブに関するアンケートを元にした流れ
例えばオフィスビルの中にもエレベーター係などもいる
オフィスに入っても上司のスパムメールを削除する係
1時間半ぐらいしかマトモな仕事がなくほとんどの時間をYouTubeみて過ごす女性
映像のポストプロダクトで凄いSFの場面をつくれるのに、CMの俳優を痩せさせたりするような下らない映像処理ばかりやらされるプログラマー
クリーニング店のようなダクトテープみたいな仕事は確かに必要だが…みたいな
謝るだけの仕事をする人の表情にはメランコリーが浮かぶ
様々な調査も調査のための調査が多い
企業や組合の出す雑誌、テレビ番組なども下らないことが多い
タスクマスターの仕事も無駄な戦略づくりなど、おべっかつかいで、ブルシットジョブを管理しているだけのようなものが多い
なぜ効率化を追求する資本主義がブルシットジョブをうむのか?
Subjective Element(主観的)な見方かもしれないが、働いている人が本当に何のために働いているのかわからなくなるブルシットジョブが生み出され続ける、と。
三章
社会的な意味があるかどうか、正しい仕事かどうか、働いている人が判断できない、と。
なぜブルシットジョブは悲しいのか
会社内のコミュニケーションを改善させたり、UIを改善するためだけのコンピュータ技術者の仕事などは、金は稼げるけど無意味に感じる。
ヒマでマインスイーパをプレイするか、ポッドキャストを聞くだけの仕事
最悪のことは、知的需要が非常に不足していたため、考える時間が非常に多くなること
教育職では授業や授業の準備に費やす時間が減少し、管理タスクに費やされる時間が増加していることに似ている
ホモエコノミスト「経済人」の仮定、minimax(コストを最小化し、利益を最大化する)は間違っている
監獄で一日中テレビを見ているのは、過酷な労働よりも悪い運命だと感じている
ドイツの心理学者カールグルースがいう「遊びの理論」が必要
ニーチェ的「権力への意志」の背後には、自分とは違った外の世界があり、そこでゲームで勝ったり負けたりする喜びの認識がある
ペースを大まかに自分で計画するような仕事が伝統的だった
男は自分が物語をつくることができるような仕事を取って、残りを女性に割り当てようとする
また家父長制社会での女性の監督は他の女性によって行われていた
奴隷になることは自由意志を放棄することを求められていたので、芸術家を囲うことは難しかった
ピューリタン、メソジスト派、福音派の説教者たちは近代の始まりに「時間の浪費」についての説教を始めたのは、迎合的であることを示している
他人の権威の下で無意味な仕事と思っていても、それに服従することは、より良い人にする道徳的な規律であるという考えはピューリタニズムの現代的な変形
無意味だと思う仕事に毎日就くことは落ち込む
四章 精神的暴力について
ブルシットジョブをしている人は一様に惨めではないし、ブルシットジョブにに満足している労働者もいる
政府の雇用の尊重は馬鹿げたショーになり、誰もが代理教員(アメリカ)や税務官(フランス)はブルシットジョブであることを知っている
また中流階級の人々が仕事に多くの時間を費やしているため、外での社会的つながりはほとんどない
英国の労働者の37%が自分の仕事は役に立たないと感じている
キャビンアテンダントのような仕事でさえmake-believe(ごっこ)と感じられている
州の臨時雇用者として雇われたが、任務は割り当てられていないため、ウィキペディアのページの編集に費やすような仕事
何千ものファイルに手動でラベルを付け直すような法務の仕事
毎月1〜2回、何かがうまくいかないときのためにそこにいるような仕事だとチームマネージャーは状況を把握していても、放っておかれる
怠惰を処理できなくて悩む労働
権限がなく、何も制御できないプロジェクトマネージャーという役割
実際には課題を提示されていないという事実に立ち向かうという課題
こうしたことに悩むのは、思春期に片思いの対象となっていた人が罪悪感と混乱に苦しむことに似ている
プログラマーなのに義務がスタッフのために夕食を注文する仕事だったが、プログラマーたちは、好きなことをする自由があるので無能なプロデューサーを持つことを楽しむ
スキャン不良を訂正するためのデータ・パーフェクター
デジタル広告のデザイナーは複雑すぎるストーリーボードが要求され、実際に効果がそれに対応せざるを得ない
無意味な仕事は周囲の緊張のレベルを高め激怒させる
すでに修正されている問題を修正するように指示することで実際に何も達成されないような仕事をしている上司は、部下を精神疾患に追い込む
企業全体が巨大なダクトテーピングのような仕事
自分たちが信じるゲームをプレイしているようなサディズム
独房監禁の囚人が脳に損傷をおうように、目的を奪われた労働者は精神、肉体が萎縮する
あるプログラマーは無意味な仕事によって風邪を引きやすくなり、抑鬱状態になったと日記に書いている
高級な職場でも不必要な専門家であることはそれほど充実感を与えない
中間管理職は自分の役割を仕事の士気と規律を維持することと見なしている
領事館、国連、ブレトンウッズ体制で生み出された高額で快適な雇用は何の役立つのか
右翼は産休などの新しい制度によって自分たちの権利が犯されていると感じ、左派は貧しく抑圧された人々は、自分たちが持っていないものはほとんど何でも受ける権利があると主張する
NGOの仕事も人類に何らかの利益を提供しているふりをしなければならないという悲惨さがあるだけでなく、不平等によって生じた悲惨さからヒモのように利益を得ている
公務員は自分のしている仕事がいかに役に立たないばかりか破壊的であるかを理解している
最も恐ろしいモンスターは人をモンスターに変えることであれば、無意味な仕事をしている公務員は恐ろしい
あるスキルのために雇われた労働者がそれを行使することが許可されず、自由な時間があることを発見したときには芸術などの別の方向の活動を行う
オフィスでヒマをもとあます人が増えたことがソーシャルメディアの台頭の理由
それはフィスワーカーが職場で自由に使える時間の断片で生み出した大衆文化の高まり
第5章 でたらめな仕事が急増しているのはなぜか?
第5章 でたらめな仕事が急増しているのはなぜか?
世界経済はナンセンスを生み出すための巨大なエンジンになっている
多くの人々が何もせずに給料を支払われているという事実は仮定に反している
社会主義政権が公共政策で生み出した偽の仕事、ヨーロッパなどの社会民主主義による公共部門の請負などは90年代で終わったのに
それはサービス業の雇用が伸びたから
米国の製造業の労働人口は南北戦争当時の数に戻り、雇用は外国に輸出された
サービス業ではエコノミストがFIREセクター(Finance, Insurance, Real Estate)と呼び、ロバート・テイラーが information workと呼ぶ仕事が増えている
理髪店や店員などの仕事はずっと20%程度の水準で推移していた
情報化社会の知識労働者の増加は金融資本の台頭と関係があると想定され、抽象的な金融業務にあたっていると考えられてきた
天体物理学者しか理解できない金融商品のバブルは弾けましたが、金融セクター全体が一種の詐欺かもしれません
そして部下数と同じぐらい増えたマネージャーの数の問題などは誰が誰を詐欺しているのかという疑問となる
それはホームレスの増加という問題につながっている
世界で最も裕福な国であるアメリカの子どもたちが裕福になる可能性はスウェーデンの普通の子どもよりも低い
More Jobsは、左右両派が同意できる1つの政治スローガンだからムダな仕事が生み出され続ける
既存の市場システムは、紙ベースの非効率性によって何百万もの役に立たない事務職を維持するから実は良いのかもしれない
「雇用創出」がすべてであるような政治文化がそのような結果を生み出す可能性がある
生産プロセスが複雑になって事務職が増え、政府規制により無益な官僚が増え続けている
米国の大学では授業料が高騰した中で教員は増えず、管理者が膨れあがった
米国の州の最高の公務員は州立大学のフットボールかバスケットボールのコーチ
複雑なグローバルサプライチェーンを管理していると信じている人が、実際には管理していない場合、彼らは何をしているのか
サッチャーの持家政策で誕生したPPI保険で、銀行側が不利だと感じたら支払いを停滞させていた事件があった
補償のために多額のお金が確保されるときは請求処理と分配のために官僚機構を設立しなければならない
そして請求者に保証金が届く前に多くのお金を事務作業として吸い上げる寄生虫のような企業がでてくる
これは基本的にFIRE(Finance, Insurance, Real Estate)セクターが行うこと
銀行は規制ごっこで遊ぶだけでセクター全体として付加価値をもたらしていない
しかも金融機関で働く人々の数はほとんどの大企業よりもはるかに多い
バミューダ、モーリシャス、ケイマン諸島などオフショアは賄賂が安くてすむから選ばれた
コンピュータのブロセス分析の専門家はほとんどの銀行員は自分たちがなぜそうしているのかわからないはずだという
つまり銀行員の80%は不要
古典的な資本主義の利益は生産の管理から得られるので、不必要な労働者を雇うことはない
これは正統派マルクス主義者が経済はでたらめな仕事だらけにならないと主張する理由でもあるが、実はある種の幻想にすぎないかもしれない
JPMorganでは利益の約3分の2が法廷で執行可能な借金などの賠償で得ている
GMもクルマの販売ではなく自動車ローンの利子で稼いでいる
管理者などの「効率の専門家」に権限を与えることで生産者の自律性はほぼゼロになっている
労働者自身が可能な限り効率を高めた生産性の向上は管理者など事務員の雇用に向けられ、彼らは工場移転を提案する
1945年から1975年まで労働者の生産性の向上は労災補償の増加と一致し、それは「Keynesian bargain ケインズによる掘り出し物の成果」と呼ばれた
しかし、70年代以降、生産性の向上は最も裕福な1パーセントの財産を膨らませることになった
こうした組織の重層化は中世の封建権力と似ている
芸術の世界でもキュレーターが台頭してきて、芸術家そのものと肩を並べている
ハリウッドでもメールを書いたりパワーランチをとったりすることが仕事の人間が多くなった
プロセスに時間がかかるほど実際の仕事をしている人に届く前にカネが吸い上げられる
プロセスに時間がかかるほど実際の仕事をしている人に届く前にカネが吸い上げられる
実はオバマケアも不必要な管理職と管理職が無限に発生している
金融セクターと行政が企業トップになりはじめたのは70年代からで、彼らが解雇した従業員の数を誇りにすると、労働者は忠誠心をなくし、それが管理者を増やしたが、まだコンピューターが導入されていたのは銀行だけ
Bullshit Jobが大量に生み出されるのはスミス、マルクスやフリードマンまでが考えていた資本主義とは違う
第6章
なぜ私たちは社会全体として無意味な雇用の成長に反対しないのか?
労働時間の大幅な削減はおそらく地球を救うために実行できる最も迅速で簡単なことなのに、実際に行われていることはすべての人がより多く働くこと
アダム・スミスは道徳哲学の教授で、道徳哲学はもともと神学の一分野だったので勤勉が賞賛される
そして私たちの社会は仕事の社会的価値が高いと経済的価値が反比例して報酬は低くなる
年老いた親戚を訪問はる価値は「ニーズ」という言葉からは計れない
価値のある仕事はニーズを満たすが、200ドルの超高級靴下や、逆にピエロの鼻のような使えば捨てられるノベルティに意味はあるのか?
労働価値説に問題はないのか?SNSをやっているだけの人に4万ドル払う労働市場は機能しているのか?
パンと水しか与えられない囚人が自分の財産をゆで卵と交換することは自由な選択か?
市場は物事を過小評価あるいは過大評価する可能性があるが、マルクス主義者はBullshit Jobについて私が話しをすると猛然と反論してくる
しかしマルクスの「資本主義」は工場生産に関する抽象的なアイデアで、オフィスの世界はそれよりも複雑
さらに「価値」は他の商品と比較できない価値があり、ユニークで交換不可能なのかもしれない
人生は経済と政治、宗教、家族などとの間で分割されていない
貨幣は見知らぬ人が物質的な利点を目的としてのみ対話できる市場を作り出すことを可能にした
現代では他人を助け利益をもたらし社会的価値が高い仕事ほど支払いは低くなった
看護師、ごみ収集員、整備士く、バスの運転手、食料品店の労働者、消防士、シェフ、小学校の先生がいなくなったら大変だ
ファンドマネジャーがいなくなっても世界は困らないが、彼らは最も高い給与を得ている
ベルギーでは内閣不在が長いが深刻な影響はなく、1970年代にアイルランドで銀行員がストを半年行ったが影響がなかった
しかし、ニューヨークでごみ収集業者が10日間ストライキを行っただけで都市機能はマヒした
費用の社会的利益への波及効果に関する論文では、医療研究者の価値が9倍と最も高く、金融セクターで働く人々はマイナスと最も低かった。また、学校の先生の給与は低い。
•研究者+9
•学校の先生+1
•エンジニア+0.2
•コンサルタントとITプロフェッショナル0
•弁護士–0.2
•広告主とマーケティングの専門家–0.3
•マネージャー–0.8
•金融セクター–1.5
英国の社会的投資収益率分析でも、シティの銀行員は給与1ポンドごとに社会的価値を7ポンド破壊するが、病院の清掃員、リサイクル労働者、保育士は社会的価値を多く生み出すものの給与は低い
米国の博士たちはフードスタンプが必要な非常勤の教育の仕事で生活している
社会に利益をもたらす人々にあまりお金を払われていないのは平等主義の倒錯
逆にお金のためだけに無意味な仕事をしている人々は、そのために賃金面で報われるべきなのかもしれない
左右両派とも無職は悪で、公の救済に値しない軽蔑的な寄生虫とみるというコンセンサスがある
イギリス王室は儀式に追われ私生活を送る時間がほとんどない
(感想)
少し前英国で出勤する看護師を拍手で送りだすことやってたけど、実は緊縮財政で看護師、バスの運転手、消防士、救急医療担当者などの公務員に賃金削減が行われ、チャリティフードバンクで生活している看護師が出るようになった、と
そんな中で命懸けの仕事をさせられていた感じだったのかな…
株が人気投票だと言われているように、職業も人気投票なのかな…

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October 30, 2020

"Hillbilly Elegy: A Memoir of a Family and Culture in Crisis" J.D. Vance

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 トランプが大統領選挙で勝った時に『ヒルビリーエレジー』は注目され、その時はkindleで原書拾い読みしたのですが、ジムで筋トレ後の有酸素運動でエアロバイクをこいでいる時に、Audibleで改めて聴いみました。分かりやすい英語だし、章が短いので読みやすいというか聞きやかったので、「聞いた」記憶をメモみたいにまとめてみます。
“Barack Obama strikes at the heart of our deepest insecurities. He is a good father while many of us aren’t. He wears suits to his job while we wear overalls, if we’re lucky enough to have a job at all. His wife tells us that we shouldn’t be feeding our children certain foods, and we hate her for it-not because we think she’s wrong but because we know she’s right.”
「バラク・オバマの存在は私たちの最も深い不安のど真ん中を叩く。私たちヒルビリーの多くはそうではないが、彼は良い父親だ。私たちが運が良く職にありついて、オーバーオールを着る間、彼は仕事に合ったスーツを着る。オバマの妻は、子供たちに特定の食べ物を与えるべきではないと語る。私たちは彼女が間違っているからではなく、正しいことを知っているから憎くらしく感じる」
“Pajamas? Poor people don’t wear pajamas. We fall asleep in our underwear or blue jeans. To this day, I find the very notion of pajamas an unnecessary elite indulgence, like caviar or electric ice cube makers.”
「(ウォルマートがクリスマスプレゼントに推すのは)パジャマ?貧しい人々はパジャマを着ない。私たちヒルビリーは下着やブルージーンズで眠りにつく。 この日、私はパジャマの概念そのものが、キャビアや電気角氷機のような不必要なエリートの豪奢ではないかと気づいた」
 印象的だったところを抜き出してみました。
 この本は「大学の学位を持たない何百万人もの労働者階級の白人アメリカ人にとって、貧困は家族の伝統であり、裕福な人々は彼らをヒルビリー、田舎者または白いゴミと呼ぶが、私にとっては隣人、友人、家族だ」というスタンスですが、なかなか凄いな、と改めて思います。と同時に彼らがトランプを、初めて自分たちにも分かる言葉で語りかけてくれる大統領だとして熱狂的に支持しているのも分かるな、と。そして、彼らのコミュニティの弱点は子供たちが成功するためのツールを与えられておらず、人々が政府の福祉に満足しはじめたことだと感じて、この本を書いたんだと感じます。
 何回やってもどうせ失敗するから…という無気力を生む「学習された無気力」はヒルビリーエレジーの中心的なテーゼ。
 ヒルビリーエレジー全体を通して、ヴァンスは公共政策は労働者階級の問題に対処するのに効果がないとして、ヒルビリーが苦しんでいるのは文化的危機であることを強調しています。例えば貧しい人々を「中産階級から切り離して、セクション8の住宅に閉じ込めることは問題」だと。ヒルビリーが直面している問題は「心理学とコミュニティ、文化と信仰にも関係している(psychology and community and culture and faith)」だ、と。
 こうしたオープンマインドの大切さを説きながらも、自らはそのアイデンティティー(ヒルビリーの正義、hillbilly justice)を捨てたことはヴァンスを苦しめます。ヒルビリーエレジーは家族の価値観の重要性を書いてきたのですが、「自分の忌まわしきゲーム」で負けている、と。ヒルビリーたちの行動の不安定性、暴力、薬物乱用、自己満足、職がないことは家族志向の強い価値観を守ろうとするコミュニティの能力を妨げている、と。克服すべき社会的障害はイェールでもあったのですが、恋人などの社会資本(ソーシャル・キャピタル)によって彼自身は助かります。そうした
 ヴァンスは、アメリカの貧困を乗り切るツールとして教会を推していて、ユタ州の成功を伝統的教会からは異端とされている新興宗教のコミュニティだとしているのですが、PTSDのように母親が暴れる夢を見るというのは、やはり大問題かな、と。コミュニティを置き去りにして「裏切った」ことは罪悪感、上流への適応の無限のプロセスとしてつきまとう、みたいな。
 貧しい白人労働者階級について最も変えたいことは「自ら選択は重要ではないという気持ち」と言うのは、やはりキリスト教的な自由意志が大切だと言いたいんでしょうが、それは意味ないとは感じます。
 後は印象に残ったところを…。
 六章の最後のあたり、生活が厳しくなってきて、ヴァンス少年は教会に通い始めるんですが、そこで牧師から「ホモは地獄に堕ちる」と説教を受け衝撃を受けるわけです。いつも一人でいることが楽しいし、男の子と遊んでばかりいる、と。「地獄堕ちか」と悩んでお祖母さんに相談すると、「お前がSuck Dickを好きじゃなければ大丈夫だよ」と言われるんですね。もちろん「そんなもん好きじゃない」と答えると、「なら安心だ」ということでお祖父さんの死が語られる7章に続くんですが、それにしてもですよ。ホモは地獄行きだけど、Suck Dickが好きじゃなければ大丈夫だし、それでも神は愛してくれるという祖母の語る中西部のハードボイドルさ(対照的だな、と思ったのは日本。朝、たまたまテレビをつけたら朝ドラがやっていたことがあって、薬師丸ひろ子が敗戦直後の廃墟で賛美歌を歌っているわけですよ。ああ、日本というのはこういう風に教養主義的に浄化してくれるものとしてキリスト教を受容しているんだな、と改めて感じるとともに、『このより片隅に』と同じように、侵略されて食料を奪われた側のことなどは考えずに「戦争の被害者」として一億総懺悔すればすむと思っているんだな、とか)。
 kindleで原書を拾い読みしたのは9章~11章でした。ここら辺から、母親が薬物に染まり、ヘロインまで手を出してイェールの卒業式にも出らなくなるのですが、最初に雇用主から尿検査を求められ、ヴァンスに代わりの尿を要求するあたりはたまらんな、と。しかし、そこが底となって、ヴァンスは祖母と暮らし、アルバイトもし始めます。落ち着いて勉強できるようにもなり、最終的にはアイビーリーグのイェールのロースクールの道がひらけるんですが、ヒルビリーの問題を家族だけでなくコミュニティとして考えるキッカケにもなります。
 そこで彼がみたものは、貧しくとも正直に暮らすことがアイデンティティーだったヒルビリーたちだったはずなのに、フードスタンプを裏取引したり、麻薬中毒患者の隣人が補助金で豪勢なTボーンステーキを食べていることでした。ヒルビリーたちは長年、「労働者のための党」として民主党を支持してきたのですが、その政策を疑い始めるんです。
 Section 8と呼ばれる低所得の家族、高齢者、障害者が民間市場で住宅を購入できるよう支援するプログラムも悪用され、働かずに暮らす人々が増えてました。
 また、虐待的な配偶者から離れられず、薬物に依存するのはなぜか。働く高校生として自立したブァンスは社会学の本を読むのですが、ヒルビリーが直面している問題は「心理学とコミュニティ、文化と信仰にも関係している(psychology and community and culture and faith)」と気付きます。彼らのコミュニティの弱点は子供たちが成功するためのツールを与えられておらず、人々は政府の援助に満足していていることだ、みたいな。
 祖父と祖母は彼に「地球上で最高で最高の国」に住んでいることを教えたが、民主党は金持ちのための党となり、労働者階級の白人には政治的英雄がいなくなり、オバマは全国的に賞賛されていたのですが、ヒルビリーは疑っていたと書いています。
 オバマはアイビーリーガーだったことも信用されなった理由のひとつでした。オバマは「素晴らしく裕福で、憲法の教授のように話し」「良い父親であり」「スーツを着ている」ことはヒルビリーの生活から遠く離れている、とヴァンスは主張。さらに、オバマのアクセントが完璧なことや、妻のミシェルが身体に悪いものは食べさせないようにと語ったことも「それが正しいことだからこそ」反感を買った、と。ヒルビリーたちは夕方のニュースのように全国的に受け入れられているものには不信感を抱き、孤立と悲観論が白人労働者階級全体に広がった、と。
 正直、隣人にはしたくない人たちばかりですが、その絶望感は共有できるし、マジメにやってきたのに、なんでこんなことになってしまったのか…という思いがトランプを生んだのかな、とも感じます。
 ヴァンスは祖母の家に落ち着けたことで成績が向上し、オハイオ州立大学に入学できたが、確実に卒業するために海兵隊に入隊することにしたのですが、13週間のブートキャンプを追えて故郷を訪問した後、海兵隊員だった床屋は彼の髪を整え、カネを受け取らなかったあたりは感動的でしたね。
 経済的に安定するまでやりがいのある仕事を延期するという彼の決定は、海兵隊で培った規律を示していて、海兵隊を批判した学生たちと長くは一緒にできないということで、1年11ヵ月で卒業することを選ぶんですが、そんなことが出来るんだな、とか。

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October 20, 2020

『古代史講義【宮都篇】』佐藤信、ちくま新書

Kodaishi-kogi-miyako

 加藤陽子先生曰く「講義」本を早くから揃えてきたちくま新書ですが、古代史講義は【邪馬台国から平安時代まで】と【戦乱篇】に続く三冊目。

 「はじめに」で《大王の代替わりごとに大王宮が移転した時代には、王位を継承した新大王の皇子宮が新たに大王宮となった。七世紀に入って飛鳥に大王宮が集中するようになると、飛鳥の地に国家的施設が集中し、また大王宮と国家的大寺院がセットで営まれるようになる。そして、中国の都城にならって藤原宮(649-710)が営まれると、天皇の住む内裏や政庁かせ位置する宮の周りに条坊制をもつ京が置かれ、天皇の膝元に王族・貴族・官人が集住するようになった》とまとめられています。

 以下、基本、章ごとに。

 かつては代替わりごとに宮を移すと考えられていたが、飛鳥宮では同一の場所に宮が造営され続けるなど、従来の考え方は再検討を迫られている、と。飛鳥板葺宮の造営では全国から材木を調達したが、既に大化改新以前に地域ごとに労働者を動員する体制は整っていたとのこと(飛鳥の宮々)。

 上町台地北端は大阪城が建てられたが、古代から流通や支配、外交の拠点であり、そこに難波宮が建てられ、奈良時代でも都の機能を引きうけられるほど充実していた(難波宮)。

 白村江の戦いを指揮した唐の武将、劉仁願が664年に郭務宗を派遣してきたものの、入京を拒んだが、翌年、再び来航すると宴会を開いて遇し、遣唐使も送るなど動きが急になり、第3次高句麗討伐の命が下ると高句麗から使者が来るなど大津宮は白村江の戦いと切っても切れない関係にあった、と(大津宮)。

 倭国では、大王・天皇の代替わりごとに王宮が移動する「歴代遷都」だったが、礎石の上に瓦葺で建てられた藤原宮は恒久的な王宮として造営され、官人には宅地が与えられた。また、新元号「日本」を認めてもらうための遣唐使もここから出発した(藤原宮)。

 しかし、遣唐使の帰国で長安の様子が伝えられると藤原宮の造営は中止され、平城宮が造営されるが、739年の天然痘の流行、藤原不比等の四人の息子の死亡などにより、恭仁宮・難波宮・紫香楽宮へと遷都が相次ぐ。これは唐が三都制をとったことに習ったものと考えられる(平城宮)。

 恭仁宮時代には墾田永年私財法が発布される(恭仁宮)。

 紫香楽宮は大仏建立とのセットで考えられていた(紫香楽宮)。

 渡来系の桓武天皇は新皇統の樹立を示すために長岡京に遷都した(長岡京)

 平安宮では大極殿が不要になるほど、政務が略式化された。また、当時は宮仕えの若い女は、病気になると主人の家から追い出され、路頭に遺棄された(p.207)。

 十世紀以降、国司となって赴任する者を受領と呼んだが、蓄財に余念のない受領層に目をつけ、造営させて、その成功報酬として官位を与える方式を定着させたのが院政期(p.237)。

 太宰府は都や難波を除けば地方最大の都市だった(p.255)。

 多賀城は荘厳な行政府で軍事的要素は虚飾(p.261)。

 平泉は京都や鎌倉とは別の仏教色豊かな政治都市としての新たな展開を示す可能性があった(p.295)。

【目次】
1.飛鳥の宮々──大王宮から飛鳥宮へ 鶴見泰寿
2.難波宮──改新政権の宮と天平の都 磐下徹
3.大津宮──滋賀の都の実像 古市晃
4.藤原京──中国式都城の受容 市大樹
5.平城宮──古代王宮の実像 山本祥隆
6.平城京──奈良の都の特質 佐藤信
7.恭仁京──天平の新京造営 増渕徹
8.紫香楽宮──聖武天皇の夢の都 北村安裕
9.長岡京──新都造営の実像 國下多美樹
10.平安宮──千年の都の形成 北康宏
11.平安京──都市の発展と貴族邸宅の展開 西山良平
12.白河・鳥羽──古代宮都の変貌 土橋誠
13.大宰府──対外交渉の拠点 杉原敏之
14.多賀城──城柵国府と街並み 古川一明
15.平泉──奥州藤原氏の首都 佐藤嘉広

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October 14, 2020

『「中国」の形成』岡本隆司、岩波新書

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 岩波新書の「シリーズ中国史」は、中国史を中原中心ではなく、草原と砂漠と海洋から見るという三次元的な歴史把握によって、新しい視点を得ることを目差しましたが、その完結編となる『「中国」の形成』は掉尾を飾るに相応しい印象的な一冊となっています。

 中共は現在進行形でチベット、ウィグル、モンゴル、香港、台湾で問題が発生していますが、それは清代にたまたま確立された最大版図を維持する困難さを表していて、偶然がもたらした産物にほかならない、というのが著者陣の共通理解のように感じます。そもそも新疆ウイグル自治区は、1758年に服従しないオアシスのムスリムを征服、天山南北路と合わせた「新しい彊地(境地、テリトリー)」でした。

 特に、最終巻を担当された岡本隆司先生は、清朝が中原に覇をとなえられたのは偶然が重なったためだと何回も指摘し、明代までに山積した中央集権の制度疲労を改革できる能力もパワーもなかったと書いています。康熙帝が版図を広げたのも幸運の賜物で、雍正帝必死の奏習も衰運を防げなかった、と。

 それを規定しているのは岸本美緒先生が示した貯水池モデルという下部構造。これは、明末から清代にかけての中国の経済を説明しようとするモデルで、地域市場が連鎖的につながり、海外貿易や財政を基点として放出される銀が地域市場の間を枝分かれしながら流れ広がっていくような概念を示した開放的市場モデル。

 《上から水が貯まるように市場に銀がいきわたると、商品に対する需要が高まり、購買も増え、連鎖的に全体として好況になる。逆にいえば、貯水池に水が流れ込まなくなったとき、地域市場に銀の流入が止まったとき、商品の需要・購買も落ちてモノが売れず、不況に陥》り、地方間の分業全体が連鎖的にデフレとなる、と(p.80)。問題は貯水池の底が浅いため、外からの供給がないと枯渇しやすいこと。外部需要で経済景況が上下する構造は明、清朝から克服されておらず、現代中国の経済発展も同じ構造、としています(p.187)。

 いま現在、アメリカが中共から資本を引き揚げさせようとしている狙いはここなのか、とも思いました。もちろん中共も内需拡大を目指してはいますが、果たして成功できるかどうか。日本も貿易摩擦でアメリカから言われて内需拡大を目指したけど、結局、道路網だけが整備されて終わりました。アメリカでさえ中西部は取り残されているのに、中共の西部開発もそんなに成功するとは思えないんですよね。だいたい、アメリカでさえ発展しているのは西海岸と東海岸。中国も沿岸部しか発展できないわけですし。

 しかも、こうした政策は中華民族という幻想の上に進められているのですが、『「中国」の形成』を含む「シリーズ中国の歴史」は、中華民族はかつても実現されておらず、これからも現出されそうにない国民国家の夢を語る中共への、根底的な批判になっています。

 なぜ中国で産業資本が発達しなかったかについては私見ながら、投資できなかったのは貸借のリスクが大きく資金回収が難しかったから、としています。民法、商法の領域に権力が介入できなかったから清朝では富民も運転資金の欠乏に苦しんでいた、としています。

 以下、箇条書きで。

 清朝にとってロシアは対等のニュアンスの強い隣国だったが、「隣国」というのは漢語圏では、概念じたいあまり想定されてない語彙である、と。それは《儒教は上下関係で人間世界を秩序づける思考様式だから》。中共の台湾や東シナ海を巡る対応の根底はこれかもしれません(清朝は朝貢だけでなく互市を認めたけど)。

 雍正帝はたまたまラッキーが重なった康熙帝の治世のほころびをつくろおうと奮闘するのですが、もちろん康熙帝も「臣鞠躬尽力、死而後已(臣は鞠躬尽力し、死して後に已む)」という諸葛亮の言葉を康熙帝は座右の銘にして政務に励んでいました(p.47)。

 雍正帝は個々の官僚との結びつきを強化するために直接指導する奏習制度によって深夜まで執務をこなし、わずか治世は13年間。雍正帝に、ローマのティベリウスみたいなヤル気のなさというか、自己愛ががあれば、もう少しは漢人社会を変えられたんじゃないかと思うのですが、致し方ない。

 日清戦争は東アジアの分水嶺で、清朝トップの「垂簾聴政」と地方自治の「督撫重権」で安定していた漢人統治の体制が中国で崩れ、同時代のアフリカのように列強から「瓜分」された、というのがよくわかるのがp.159の図です。そしてイギリスがロシアの南下を嫌って、新興国にすぎなかった日本と日英同盟を結んだのは、江蘇、浙江、安徽、湖北、四川まで長江流域を奥まで勢力範囲にしていて、台湾から福建を抑えた日本が、インドシナから広東を抑えたフランスとのクッションにもなっていたからなのかな?とも考えました。

 外国に領土を分割される「瓜分」を恐れた人々が自らを定義したのがChina/Chineを漢字に置き換えた「支那人」「支那」であり、この外来語を改めて由緒ある漢語に置き換えたのが「中国」。にわかに中国一体化論が説得力を持つようになったのも、日本が西洋近代国家から新しく生み出した日本漢語の「領土」「主権」という概念とのこと(p.162-)。

 日露戦争で戦場にされた東三省は元々、清朝の祖、ヌルハチが興起した満州人の故地で、漢人は足を踏み入れられない聖地だった、と。日露相くだらなかったためにかろうじて清朝は領土として保持できたが、日本には周知の通り、円滑に「中国化」はされなかった、とも(p.164-)。

 新疆ウィグル自治区、チベット自治区、内モンゴルで中共が問題を抱えている根っこが丁寧に解説されているのは、やはり時代を反映しているんでしょうか。新疆は1758年に服従しないオアシスのムスリムを征服、天山南北路と合わせた「新しい彊地(境地、テリトリー)」でした。その後もヤークーブ・ベクの反乱などが続き、李鴻章などは「独立させて朝貢させた方がコスパがいい」と朝鮮や台湾のような「属国」化が良いとしていたほど(p.148)。李鴻章は下関条約でも台湾は「化外の地」として日本に割譲し、朝鮮も形式的に独立させて日本の属国となることを認めていますが、そうした思考回路の人なんでしょうね。

 ダライ・ラマも生臭い。五世はオイラトのガルダンが修行を終えて故郷に戻って兄を殺して統率すると「天命を受けた王」称号を与える。幼い六世の摂政が判断ミスで失敗すると、ジュンガルは六世を廃し、康熙帝が七世を立てるといういい加減さ(p.128-)。

 康熙帝以後、清朝皇帝はダライ・ラマの大施主として輪転聖王となり、乾隆帝は「菩薩王」と称されたほど。しかし、ロシア南下を恐れたインド政庁はラサ遠征で直接、条約を締結したことに領土主権意識の出てきた清朝は驚愕。入植を進めるなど統治強化、西蔵省と西康省を建てようとすると、ダライ・ラマはインド亡命。ところが亡命翌年の1911年に辛亥革命が発生し、チベットの清軍は駆逐された、と(p.165)。実は内モンゴルは清朝皇室と婚姻関係を持って一体化していたのですが、外モンゴルも辛亥革命をキッカケに三多を追放(p.167)しています。

 辛亥革命は、宣統帝溥儀から正式に遜位を受けて中華民国が発足したのですが、その時の条件が「満漢蒙回蔵の五族を合わせ、領土を完全して一大中華民国となす」だったというのは、なんとも現代に禍根を残します。漢民族でさえ通貨がバラバラで一体感はなかったのに。

 香港ドルが流通していたのはHSBC発行の元もある遠因なのかな?とも思いました。

 辛亥革命から中共の成立、文革までは、シリーズ全体でも白眉。孫文が挫折を繰り返す中、三民主義は社会主義を包摂するようになります。24年にはこの理念でボリシェビキにならって組織を改組、国民党と国民革命軍に。中共もコミンテルンの支部だったので、国共合作は双生児のようなものだった、と。しかし、蒋介石は軍閥が割拠し、貧富の格差が懸隔した社会を統一国家につくりかえることには失敗、統一が出来ませんでした。

 そうした中、日中戦争でエリート層は日帝という共通の敵によってまとまり、貧富・上下が乖離した状態から一元化が視野に入った、と。抗日戦争では国共とも民間人を動員したのですが、民間社会の直接統治は従来なし得なかった、と。

 中共はその存立も危ぶまれたのですが、それは国民国家「中国」の形成には有利に働いた、と。従来の軍閥はなくなり、世界経済とも隔絶されたので、強力な経済統制が可能となり、人民元による全国一律の管理通貨体制を布くことができた、と。また、農村では格差が解消された、というのですが、この発想はなかったですね(p.182)。

 しかし、中国社会の二元構造は残り、大躍進で政権を奪われた毛沢東は、農村出身の下層民を紅衛兵として動員して、上層のエリート層に凶行の限りをつくした、と(p.185)。紅衛兵運動を下層が上層を撃滅したもの、とクリアカットに描いているのは凄いかも。そして、上下一体はあきらめ、二元構造のまま、中共の支配を維持し、経済を再生しようとしたのが鄧小平、というのは見事なロジック(p.186)。

シリーズ中国史。
第1巻『中華の成立 唐代まで』渡辺信一郎
第2巻『江南の発展 南宋まで』丸橋充拓
第3巻『草原の制覇 大モンゴルまで』古松崇志
第4巻『陸海の交錯 明朝の興亡』檀上寛
第5巻『「中国」の形成 現代への展望』岡本隆司

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October 08, 2020

加藤洋子先生の本など読んだことのない、基礎的な教養に欠ける恥ずかしい官僚たちへのブックガイド

Showashi

 加藤さんは『戦争の論理』のあとがきで印象的なエピソードの対比を教えてくれています。日米開戦が不可避となった1941年9月6日の御前会議で昭和天皇が「四方の海」の和歌を披露したのに対し、キューバ危機の時のケネディ大統領は第一次世界大戦の最初の1ヵ月を描いたタックマンの『八月の砲声』を引用して戦争回避の必要性を訴えました。

 学術会議の任命を拒否したような官僚は、きっと歴史小説や大河ドラマぐらいしか読んだり見たりしていないから、加藤先生の業績など読んでいないと思いますので、せめて以下のブックガイドでも読んで不勉強を恥じてもらいたいと思います。

 また、日本学術会議のあり方みたいなところの議論にもっていくムキもありますが、ああいった組織に、カネを出さなくても良いという判断というか、気に入らないのにはカネを出さないというのは、国民政党としての自由民主党の自己否定になるのではないでしょうか。

 器が首相として小さいとか言う問題ではなく、器が地方議員レベル。

 国民国家が価値源泉だと思うなら、長年研鑽してきた研究者に報いるのは当たり前。本当に評価を下げたと思います。

(1)『戦争の論理 日露戦争から太平洋戦争まで』加藤陽子、勁草書房
http://pata.air-nifty.com/pata/2009/10/post-a3f7.html

(2)『天皇と軍隊の近代史』加藤陽子、勁草書房
http://pata.air-nifty.com/pata/2020/02/post-1013b4.html

(3)『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』加藤陽子、朝日出版社
http://pata.air-nifty.com/pata/2009/09/post-f00c.html

(4)『満州事変から日中戦争へ』加藤陽子、岩波書店

http://pata.air-nifty.com/pata/2007/06/post_692b.html

(5)『昭和天皇と戦争の世紀』加藤陽子、講談社
http://pata.air-nifty.com/pata/2011/09/post-fb34.html

(6)『戦争を読む』加藤陽子、勁草書房
http://pata.air-nifty.com/pata/2009/10/post-5036.html

(7)『天皇はいかに受け継がれたか: 天皇の身体と皇位継承』加藤陽子責任編集、歴史学研究会編、績文堂出版
http://pata.air-nifty.com/pata/2019/04/post-967dae.html

(8)『あの戦争になぜ負けたのか』半藤一利、中西輝政、福田和也、保阪正康、戸高一成、加藤陽子(著)、文春新書
http://pata.air-nifty.com/pata/2007/07/post_2a1f.html

(9)『昭和史裁判』半藤一利、加藤陽子、文芸春秋
http://pata.air-nifty.com/pata/2011/09/post-bd0a.html

(10)『戦争と日本人 テロリズムの子どもたちへ』加藤陽子、佐高信、角川ONEテーマ21
この本だけは独立して書くのを忘れていたみたいなので、チラッと紹介。この本の問題意識は、以前の日本は世界全体の8割ぐらいの発展途上国を搾取すればよかったけど、グローバル化によって国の中で2割の富裕層が8割の低所得者層を搾取するしかなくなった、ということ。原敬が19歳の少年に暗殺された時、大杉栄は「やったのは子供なのだね」とつぶやいたが、去年の尖閣事件で騒いだ日本人も、協調路線を唱える人々を中国に屈したと非難しまくった点で似ている、と。原敬だけでなく、満州事変を日中間の二国間交渉で解決しようとした犬養毅や浜口雄幸、高橋是清、井上準之助なども「子ども」に殺されたわけで〈天をめぐらす器をもった回天の政治家が、「子ども」たちに暗殺されてしまうことなど一切ないように願いたい〉としています。

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September 21, 2020

『パイドン 魂について』プラトン、納富信留訳・解説、光文社古典新訳文庫

Phaedo

 この夏、五冊目のプラトンは『パイドン 魂について』プラトン、納富信留訳・解説、光文社古典新訳文庫。


《それぞれの魂は多くの肉体を着つぶしていく。とりわけ長年生きるとそうなのだが、それは人間が生きている間もなお肉体は流動し滅びつつあり、魂はつねに着つぶしたものを織り直すからである。しかしながら、魂が滅びる時には、魂はちょうど最後の織物を着ているはずであり、その着物だけよりは先に滅びるのが必然であろう》

《シミアス君の方は、私が思うに、魂は肉体よりも神的で立派なものであるとしても、それにもかかわらず、調和の種族に属しているので、肉体より前に滅んでしまうのではないかと、不信と恐れを抱いている。他方でケベス君は、魂が肉体よりも長い時間存続する点は私に合意してくれているように私には思われるが、しかし次のことはだれにも明らかでないと主張する。即ち、魂が多くの肉体を何度も着つぶして最後の肉体を後に残すと、今、魂そのものは滅んでしまうのであり、まさにそのこと、つまり、魂の破滅が死なのではないかということだ( 254)》

 とあるように『パイドン』は魂とその不死についての対話です。

 エピクロスが《死は、悪いもののなかでもっとも震え上がらせるものだが、私たちにとっては無である。なぜかと言えば、私たちが存在する時、死は現に存在せず、死が現に存在する時、その時私たちは存在しないからである》と『メノイケウス宛書簡』一二五で書いたことは、その後の西洋哲学の死生観の基礎になっているのではないでしょうか。

 解説でも《死んでいくソクラテスこそ、「知を愛し求める者(フィロソフォス)」、つまり哲学者の究極モデル》というあたりは、福音書を思い出しましたし、ソクラテスの死が哲学の形成に大きな影響を与えたのは、哲学というのは、やはり死の解釈だからなのかな、と。

 ちょっと思いつきですが、ナザレのイエス運動の主人公は、最も新しく書かれたヨハネ伝では、ソクラテスが美少年を誘うような寝椅子に寄り掛かって食事をしている場面が描かれていますが、そこの部分は舞文曲筆かもしれないけど、寝椅子に寄り掛かって飲み食いしながら議論するというのは、ソクラテスのスタイルに影響を受けているのかな、とか。

 一番たどたどしいギリシャ語を書くヨハネが支配者の風習を主人公にまとわせたのは、そうまでして、反発していた同世代の他のグループ(主人公の弟のヤコブ、なりゆきでNo.1におさまったペトロ、観念的なパウロ)みたいなのと違った姿を描いて独自性を発揮したかったのかな。

 ただし、ソクラテスがジムの周りや、友人宅、散歩道ぐらいしか出歩かないのに対して、イエス運動の登場人物は、ナザレからエルサレムまでの空閑を歩き回り、癒したり、結婚式に出たり、暴れたりしていて「旅には(護身用の)杖を」と具体的なアドバイスも残してるのは印象的。引きこもるソクラテスや同時期のエッセネ派とは大違いだし、同じように行動的な熱心派のパウロがナザレ派の運動に寝返ったのも、実は行動的だったというところが似ていたからなのかな。

 あと、パウロのホモホヴィアは、同性愛が高尚とされたグレコローマンの文化に対する、エスニックな脊髄反射なのかもしれません。他の新約文書では、そこまで同性愛は忌避されていないのに。

 家父長主義的な偽パウロ文書は、すでに教会の礼拝でも余り読まれなくなってきていると思うのですが、真性のパウロ文書も、こうした傾向からだんだん読まれなくなっていくのかな…。

あと、《私たち人間は神々の持ち物の一つにすぎない》の註で《人間の関係を羊飼いと羊(持ち物)に喩えることは、ギリシアでは普通であった》というのはなるほどな、と。

 もちろん新約の主人公と違い、死の間際でもソクラテスは《命令が伝えられても、大いに飲んだり食べたり、欲望を抱く相手と交わったりして、すっかり遅くなってからようやく薬を飲む者たちがいるのも知っている。いや、なにも急ぐことはない。まだ猶予はあるのだ》と現世的な欲望を肯定するのですが。

 あと「一」に関する考察で「私は驚きを覚える」の「驚きはギリシャ語の thaumazein」が哲学の始まりであるというの「、プラトン自身とアリストテレスの言葉を思い出す」と註されていますが、θαυμaζωは新約にもよく出てくる動詞です。

 ということで、このシリーズは解説が素晴らしいので、それにそって、ほぼ引用でまとめられます。以下、ほぼ引用のつなぎです。

.........訳者による『パイドン』解説のQUOTE..........

プラトンが師ソクラテス(前四六九年頃~前三九九年) の死を描く『パイドン』は、「魂(プシューケー)」を論じたもっとも古く、もっとも基本的な哲学書である。アリストテレスの『魂について(デ・アニマ)』も、その伝統の上で、自然学の領域において魂のあり方を論じた。『パイドン』は魂が肉体から切り離されて存在し、イデアという実在と関わるあり方を論じる。では、主題である「魂」とは何か。

<魂が独立して存在するという考え方は古代からあったが>「私」という存在が脳や身体の機能や生理反応に過ぎないとすると、人格や生命の尊厳やかけがえのなさ、生きる価値は説明できるのか。身体の死とともに個体が完全に消滅するのであれば、個々の生命は単に遺伝子を運ぶ物質的な乗り物に過ぎなくなる。あるいは、有限な人生を超えて倫理を構築することが困難になる。だが、遺伝子とて、時間的に有限で可変的な物質構造に過ぎない。自然科学や技術が発達した現代でも、私たちのあり方としての「魂」について、それをどう考えるべきかは、根本的にはまったく解決されていない。

この問題に初めて本格的に挑んだ哲学が、前四世紀前半に書かれた『パイドン』である。

「魂(プシューケー)」は、ギリシア文明最初期に成立したホメロスの叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』でも語られていた。『オデュッセイア』第一一巻「冥府行」を読むと、ギリシア人は、人間が死ぬと肉体から魂が抜け出し、地下の冥府(ハーデース) へと下ってそこに留まると信じていたことが分かる。死者の魂は冥府でほとんど意識もないまま影のようなあり方をするが、その後どうなるかは語られない。ただし、この時代には「プシューケー」以外にも魂の機能や役割を表す言葉が複数用いられていた(1)。

だが、ホメロスの時代からしばらく後に、魂が別の生命に生まれ変わるという新しい宗教思想がギリシアに普及する。それは、ゼウスから生まれた新しい神ディオニュソスへの信仰、また、伝説の英雄オルフェウスが創始したとされるオルフェウス教という秘儀宗教であった。古典期の扱いは、例えばエウリピデスの悲劇『バッカイ』に見られる。

同様に、六世紀後半から前五世紀初頭に南イタリアに渡って共同体を創設したピュタゴラスも魂の輪廻転生を唱え、彼自身も過去の人生の記憶を保持していると主張していた。彼はその魂観を、エジプトで学んでギリシアに伝えたとされる。オルフェウス教とピュタゴラス派は類似した死生観を持ちながら独立の関係にあったようであるが、東方に起源を持つこれらの新しい魂観は、前五世紀後半にはギリシアで広く知られるようになった。

死後冥府に留まり続ける魂と、生物から生物へと転生する魂という相異なる魂論の狭間に、ソクラテスとプラトンは位置していた。クセノフォンら他の弟子たちから知る限り、ソクラテス自身がピュタゴラス派の輪廻転生を信じていた節はない。他方で、南イタリアに赴いてピュタゴラス派哲学に大きな影響を受けたプラトンは、魂の転生と不死を基礎に据えた哲学を展開する。

プラトンの哲学は、ソクラテスの死という衝撃的な出来事に向き合うなかで、私たちの生と死の問題を共に考え、哲学の意義を見出そうとする。それは単なる古典という範囲を超えて、哲学の実践として現代の私たちに強く訴えかけてくる。

『パイドン』が問題として示そうとするのは、「魂」という名称で語られる曖昧で神話的な実体が、死後に肉体から離れて冥府で存在するというお伽話ではない。むしろ、「魂」という言葉によって初めて哲学として語られる 私自身 のあり方、いや「この私が ある」とはどういうことかが、根本的な次元に遡って徹底的に問題化される。それは、現代にもはや問題にする余地がない古い謬見ではなく、現代でも解かれてはいない謎としての「私自身」、そして「私が ある」という哲学的難問なのである。ここに問題の核心があり、これを黙過して死後の魂云々を語っても、意味はない。

「時間」ですらイデア的位相である「永遠」の像に過ぎない。

『パイドン』は最終的に、「私自身」という魂のあり方が定位するイデアの地平を論じ、それを超える彼方を指し示す。そこでは、個々人という縛りや時間の限定も消失し、宇宙や万物の「ある」の根拠へと私たちの知性を超出させる。後にプロティノスら新プラトン主義の哲学者たちが「一者との合一」として目指す存在の彼方、自己の消失点が、『パイドン』にすでに暗示されているのかもしれない。

死んでいくソクラテスこそ、「知を愛し求める者(フィロソフォス)」、つまり哲学者の究極モデルであり、私たちに絶対を顕現する存在である。この対話篇が、ソクラテス裁判を舞台にした『ソクラテスの弁明』の言論を完成させる。プラトンの哲学は、まさにこの二つの対話篇の間で始まった。その内容を確認していこう。

ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』に収められた小伝(第二巻第九章) によれば、彼は少年の頃に戦争捕虜としてアテナイに売られ、男娼として不幸な生活を送っていた。その才能を惜しんでクリトンの援助で自由身分に解放してくれたのがソクラテスであるという。パイドンにとってソクラテスは、哲学の師であるだけでなく、肉体の汚れた欲望から魂を救ってくれた恩人であった。プラトンは仲間のパイドンを語り手に選ぶことで、「魂の浄化」という主題を見事に描いた。

<『ソクラテスの弁明』で表明された>「死を恐れるということは、皆さん、知恵がないのに ある と思いこむことにほかならないからです。それは、知らないことについて知っていると思うことなのですから。死というものを誰一人知らないわけですし、死が人間にとってあらゆる善いことのうちで最大のものかもしれないのに、そうかどうかも知らないのですから。人々はかえって、最大の悪だとよく知っているつもりで恐れているのです。実際、これが、 あの 恥ずべき無知、つまり、知らないものを知っていると思っている状態でなくて、何でしょう。

ソクラテス死刑の一世紀ほど後にアテナイで活躍したエピクロスも、やはり「死」をテーマとして原子論の立場からこう述べた。

死は、悪いもののなかでもっとも震え上がらせるものだが、私たちにとっては 無 である。なぜかと言えば、私たちが存在する時、死は現に存在せず、死が現に存在する時、その時私たちは存在しないからである。(『メノイケウス宛書簡』一二五)

私たちが自身の死を経験しておらず、「私は ない」と考えることが自己矛盾になる以上、死は生ある限り謎に留まるであろう。

配慮によって目指すべき魂のあり方とは何か。それは宗教的な語りで「浄化(カタルシス)」と呼ばれる、魂が純粋になりそれ自体で ある 状態である。その境地において、魂は「叡智(フロネーシス)」というあり方で実在と関わる。そこで開示される真の実在が「イデア」と呼ばれる「それ自体で ある」あり方なのである。この浄化を実際に遂行する生きた言論が、第一部の対話であった。

マルティン・ハイデガーは古代ギリシアにおける「アレーテイア(真理)」の本質を「非秘蔵性」、つまり隠されてあるものを露わにすることと解する。それは、この世に生まれる折に喪失する(七五E[二〇節]、七六D[二一節終わり])、つまり忘れてしまうという「忘却(レーテー)」からの取り戻し(七五D-七六A[二〇節])、即ち「想起=学び」である。『存在と時間』が出版された一九二七年の夏学期にマールブルク大学でなされた講義「現象学の根本諸問題」は、『パイドロス』二四九B-Cと並んで、『パイドン』七二E[一八節]以下の想起説に言及する( 11)。現存在である人間は、存在をすでに了解していなければならない。かつて見られていたが忘却してしまった存在に眼差しを向ける可能性、それがプラトンの言う想起であった。

また、世紀の後半には、ノーム・チョムスキーが生成文法の理論で再度注目を促した。チョムスキーは、人間の言語能力が生誕後の経験の蓄積からだけでは説明できないことを、「刺激の貧困」という議論で示した。文法の基本的な部分は生得的に決まっており、「普遍文法」と呼ばれるが、それがプラトンの「想起説」にあたると考えたのである。

<『饗宴』では美のイデア、『ポリティア』では哲人統治論と>詩人追放論(第一〇巻前半) という限られた文脈で本格的なイデア論が登場する。弁論術を論じる『パイドロス』ではその中途で挿入される魂のミュートスで、イデアの世界が登場する。

私たちはプラトンの「イデア論」を一つの哲学理論、あるいは形而上学体系と捉えがちであるが、それは基本的にアリストテレスが『形而上学』 Α 巻第六章などでまとめ、紹介した理論をそう呼んでいるに過ぎない。プラトン自身はどこにも「論」を提示してはおらず、プラトン対話篇で「イデア」を語るのも、ソクラテスだけでなく、ディオティマであったりする。『饗宴』の秘儀宗教の経験、『パイドロス』のミュートスなど、語られる文脈も単純に哲学理論として受け取りにくいものである。現代の私たちは、プラトンのイデア論とは何かを、既成の解説からではなく、元の文脈に立ち返って慎重に見ていかなければならない。

『パイドン』では、イデアが比較的早い段階で議論に導入された後、計四箇所でその議論が用いられる。

対話篇では、最初に、魂がそれ自体で触れる真理と実在、それが「正しさそれ自体」等とされる(六五D-六六A[一〇節])。ここではまだ「イデア」という表現は使われないが、シミアスとケベスら仲間たちにはすでに馴染みの考えとして導入されている。第二に、「想起説」で「等しさそれ自体=等しさのイデア」(七四A[一九節]) などが想起する対象となる。私たちが感覚し経験する事態から、その根源にあるイデアへの遡行が、ここでの主題となる。第三に、「類似性の議論」でイデアが、常住不変の実在として持ち出され、つねに流動変化する生成と対比される(七八C-七九A[二五節])。こうして前提され議論されたイデアは、第二部で改めて「基礎定立」として提示されることとなる。

プラトンがイデアを語る仕方は単一ではないが、『パイドン』第一部の特徴は、その存在が措定されることが、魂の不死を認めることと重ねられる点にある。

私とは通常は肉体を伴った魂であり、それが感覚を通じて出会う事物のあり方が、「あり、かつ、ない」という感覚界である。「美しい」と思った人や物が、別の関係で「美しくない」と思われたりすることが、相反する現れであるが、その状況から離脱すること、「 ある それ自体」を離在させることが、イデアの認識であり、その過程は、私が肉体から魂をできるだけ切り離す浄化と相即的である。言い換えると、純粋な私自身で ある 知性が、それ自体である「実在=イデア」と関わるあり方が叡智なので。

ここで疑いが向けられるのは、流動説によって危機に晒される「ある」の可能性であった。ソクラテスはその反論に向き合い、問題の根源性を前にしてしばし立ち止まらざるを得なかったのである。  そうしてソクラテスが語り始めるのは、自身の若い頃の思索経験であった。「生成と消滅の原因」を総合的に考察する必要がある。それは、「ある」ことの原因の探究であった。「原因」と訳される語「アイティアー」は、人に用いられる場合は「責任」を意味する。何かの出来事について「その責任は、誰にあるか」を問う問いが、「原因は何か」の問いの原型であった。

探究を通じて生成・消滅・存在の原因を見出すことが出来なかったソクラテスは、「第二の航海」と呼ばれる次善の策に向かう。それが「基礎定立(ヒュポテシス)」としての「イデア原因論」であった。宇宙全体のあり方を「最善」という仕方で説明するというここでの淡い期待は、やがて後期の対話篇『ティマイオス』で、デーミウールゴス(制作神) による宇宙生成の自然哲学として、プラトンが改めて挑戦する課題となる。

ものが生成変化する原因をめぐって、感覚によって真なる あり方を捉えることはできなかった。そこで、言論で原理を仮に定立することで(基礎定立)、その原理から論理を通じて事柄のあり方を明らかにしていく方法が採用される。「美それ自体が、 ある」というイデア存在を基礎定立し、「他の美しいものはすべて、美のイデアを分有することで美しい」というイデア原因をさらに基礎定立すると(一〇〇B-C[四九節])、今まで混乱のうちにあったこの世界の生成変化が、鮮やかに説明される。

..........End of QUOTE............

以下はギリシャ語の復習みたいな意味での引用。

対話篇最初の一語、「自身・自体 autos」は、パイドンが自分自身でソクラテス最期の場面にいたことの確認であり、同時に、対話篇が「自分自身=魂」と「それ自体=イデア」を主題にすることを示している。

「毒ニンジン」と呼ばれる植物から作る毒薬であろうが、本篇では「薬 pharmakon」(毒薬/医薬)と呼ばれている。生という病から解放する薬という意味も込められているのかもしれない。

「余裕、暇(スコレー) schole」は、哲学を遂行する人間の条件である。「学校 school」の語源。『パイドロス』二五八E、『テアイテトス』一七二D、一七五E参照。パイドンはプレイウスに立ち寄っただけで、どこか(おそらく故郷のエリス)に赴く途上であった。


「愛し求める営み(フィロソフィアー) philosophia」はピュタゴラス派に由来する語で「哲学」のこと。「愛知者 philosophos」は「知者 sophos」から区別される。

それは、夢を信じて詩の作品を作り、敬虔に振る舞ってからこの世を立ち去るのが、より安全だと思われたからだ( 32 註・新訳との対比)。


それはつまり、まさに知を愛し求める哲学に正当に携わっている人々は、死にゆくこと、死んでしまっていること以外の何物も追求していないということ、このことはおそらく他の人々には気づかれずにいるのだ。それで、もしこれが真実なら、全生涯でこのこと以外の何物も熱望していないのに、長い間熱望して追求してきたそのことがやってきたその時に嫌がるのは、奇妙であろう。」

つまり、本当に、知を愛し求める哲学者は死にかけており、死を被るのが相応しいということは、彼らに気づかれていないなんていうことはありません。」(55 メモ・アオリスト?)

戦闘も、肉体やその欲望が生じさせるものにほかならないからだ。つまり、金銭の獲得のためにあらゆる戦争が生じるのだが、それは私たちが金銭を獲得することを肉体によって強いられるから

離れるのはまさにその時であり、それ以前にはそうでないからだ。私たちが生きている間に私たちが〈知る〉ということにもっとも近い状態にあるのは、どうやら、最大限肉体と親しくすることなく、どうしても必要な場合を除いて共同することもなく、また、肉体の性に感染することもなく(75)、肉体からの浄化を遂行している時のことなのだ。

魂の肉体からの解放と分離が(79)、死と名付けられているのではないか」(メモ・コウリスモス)

正しく知を愛し求める哲学者たちは、死にゆくことを練習している(メモ・メノス)

恋する人たちが、彼らの愛する少年がふだん用いている竪琴や着物や他の持ち物を見ると、このことを経験する

魂は、見たり聞いたり他の感覚を通じて考察するために肉体を合わせて用いる時――感覚を通じてなにかを考察するのは、肉体を通じてなのだから(176)――その時、魂は肉体によって、けっして同じものに即したあり方をしないものへと引きずられ、魂は 彷徨いかき乱されて、あたかも酩酊しているように 目眩 を起こすのではないか。

一方で、神的で不死で知性的なもので、単一な相をなし、分解不可能で、つねに同じ仕方で同じものに即したあり方をするもの、そのもの自体にもっとも似ているのは魂である。他方で、人間的で死すべきものであって、多くの相からなり非知性的で分解可能で、けっして同じものに即したあり方をすることがないもの、そのもの自体にもっとも似ているのは、今度は肉体である。

つまり、重く土のような性質で、目に見えるものだと考えなければならない。それを所有することで、そんな魂は重くされ、 見えざるもの と 冥府 を恐れて、目に見える場所へと再び引き戻され、一般に言われているように、墓碑や墓場の周りをうろついている。

劣悪な人々の魂である。その魂は、生前の過ごし方が悪かったため、その償いをするためにこんなものの周りを彷徨うことを余儀なくされている。

例えば、大食いや傲慢さや酒の飲み過ぎを練習して危険性に注意を払ってこなかった者たちは、ロバやそういった畜生の種族に仲間入りするのが、ありそうなことだ。

知を愛する者は《金銭を愛し求める大勢のように破産や貧窮を恐れてそうするのではなく》《肉体を作り上げる生き方をせず、自分自身の魂に配慮を向けるあの人たちは、彼らはみなどこへ行くのか知らないのだからと別れを告げて、その人たちと同じ道を歩むことはないのである》

縛られている者自身がとりわけ縛られることの協力者となるように出来ている(メモ・マルクスの内部統制、外部対抗)

「考察をめぐらす」が哲学的、「物語る mythologein」が神話・宗教的な語り方に対応する(39)。

人間の関係を羊飼いと羊(持ち物)に喩えることは、ギリシアでは普通であった(44)。

理性的に推論する logizesthai」は、推論や計算を行なう理知的営み。

「死にかけている」とは、死んだのと同然という意味と、死を求めているという意味をかけている。アリストファネスの喜劇でも、哲学を行なう仲間は「半分死人だ」と 揶揄 われており、男らしく生きている状態とされる政治や実業の場面での活動との対比で、哲学者は「死んでいる」も同然だとされるのは、一般人に共有されるイメージであった(55)。

「分離 apallage」という語は「解放」という意味も持つ(56)

肉体からの魂の分離という「死」の規定は、常識的な見方にも見えるが、実際には哲学的定義となっている。魂が「それ自体で ある」という状態の実現は、哲学の目標である(57)。

ここで語られる「配慮 therapeia」は、『ソクラテスの弁明』の「配慮 epimeleia」と同義で、魂と肉体(金銭・名誉を含む)の二方向に分岐する(58)。

配慮は「何に向かって生きるか」という 方向 の問題であり、哲学者には魂の目の向け変えが求められる(59)。

「叡智」と訳す「フロネーシス phronesis」はプラトンでは一般に知を意味する語で、アリストテレスが術語化した「実践知」の意味ではない。この対話篇では特に、浄化された魂が真実在を認識している状態を指す。通常の用例では「思慮」と訳す(61)。

真理(アレーテイア)」は叡智が関わる状態である(62)。

古代から、エピカルモスの言葉「知性が見、知性が聞く。他は盲目で聾である」(断片一二DK)が引かれる。これはクセノファネスが神について語った「全体として見、全体として考え、全体として聞く」(断片二四DK)とも関わる(63)。

視覚と聴覚は、外界を把握するために最も有効な手段であると考えられていた。この二者以外の、嗅覚、味覚、触覚は、より曖昧な感覚である(64)。

魂が関わるのは、あらゆるものの「ある einai」というあり方、つまり実在・現実である。訳では「 ある」に傍点を振って示す(65)。

魂の叡智の対象として導入される「それ自体 auto」はイデアを指す。最初にイデアが認められるのは「正しさ、美しさ、善さ」という三つ組である。唐突な導入にすぐ同意する様子からは、シミアスやケベスがソクラテスとの議論で以前からイデアという考え方に親しんでいたことが窺われる(66)。

「あり方、ウーシアー ousia」は「ある einai」の抽象名詞形で、アリストテレスが術語化して「実体、本質」の意味を担わせた(67)。

[第一議論:六四C-六五A(九節)]哲学者は肉体の欲望を軽視し、それを退ける。
[第二議論:六五A-D(九節、一〇節)]肉体は叡智の獲得を妨げる。
[第三議論:六五D-六六A(一〇節)]自体的存在(イデア)は肉体の感覚を通じては把握されない。

この二者択一は、生きている間は肉体と一緒にあるという前提の上で、 ① 死が無になることであれば、結局知の獲得は不可能となる、 ② 死後に魂が存在すれば、そこで知を獲得する可能性がある、という考えであろう。この選択肢は『ソクラテスの弁明』四〇C-四一Cでソクラテスが語る死後の二つの可能性、 ① 無になること、 ② 魂があの世に行くこと、に対応する(74)。

「感染する」と訳した動詞は、「満たす」という一般的な意味もあるが、疫病の伝染も意味する(トゥキュディデス『歴史』第二巻五一)。「浄化」とともに、病気の比喩である(75)。

ここで「分離」と訳した「コーリスモス chorismos」は、アリストテレスがプラトン「イデア論」を特徴づけ批判する際のキーワードであり、感覚物からイデアを切り離す「離在」を指す。プラトン対話篇では、本篇のこの箇所(六七Dに二例)で使われるのみだが、ここでは身体からの魂の分離を指す(79)。

知の愛求、名誉の愛求、金銭の愛求は三つの生の型であり、『ポリテイア』第九巻では魂の三部分説で説明される(80)。

「カタルシス katharsis」を浄化の過程、「カタルモス katharmos」を浄化の目標と解する(92)。

ケベスが提起する疑問、即ち、死後の魂の存在と能力の保持が、以後の議論の焦点となる。彼が証明をもとめる死後の能力は「フロネーシス」と呼ばれ、弱い意味では「思慮」、究極には「叡智」を指す。その回答は「想起説」で与えられる(97)。

「語り合う」と訳した動詞 mythologein は「ミュートス・物語を語る」という意味もあるが、これから証明が始まるため、「ミュートス/ロゴス」の対比は当てはまらない(98)。

魂が死後冥府に存続することは、ホメロス叙事詩でも語られるギリシア人の死生観であったが、そこから再び生まれるという輪廻転生の思想は、ピュタゴラス派やオルフェウス教など、東方起源の宗教に限られる(100)。

ギリシア語で「より大きなものが生じる」とは「より大きく なる」と同じ表現である(103)。

「再び生きる」を意味する動詞 anabioskesthai が適用される(113)。

この帰結は、七〇C-D(一五節)の議論の出発点に応えるものである。「生じる」と訳す動詞 gignesthai は「生まれる」も意味することから、魂が生まれる、つまり肉体と結びついて生者となるという帰結が生まれる(115)

本篇の主題となる「不死 athanatos」という語はここで初めて用いられる(123)。

「別に para」は、感覚物と切り離してイデアがある様を示す表現(134)。

「風」は「プネウマ」という語で、生き物の息も意味する(158)。

ここでは「冥府 Haides」と「不可視 aides」との通俗的な語源連想が使われている。『クラテュロス』四〇四Bでは、その語源説は否定されている(186)。

ギリシア語の「ソーマ soma」は「肉体」と同時に「物体」の意味を持つ。ラテン語の corpus、英語の body も同様である(190)。

欲望の権力構造は、自身が被束縛者であると同時に束縛者として協力することにある。この洞察は様々な場面で確認されるが、例えばフーコーの監獄の考察が思い起こされる(199)。


「行き詰まる aporein」(名詞形はアポリアー aporia)は探究の途上で困難が生じて立ち往生してしまうこと。ソクラテスの探究論では否定的なものではなく、むしろ不知の自覚への重要なステップである。『メノン』八四A-Dを参照()

これから提示される「調和、ハルモニアー harmonia」を使った議論には、音楽や宇宙の理論にこの概念を用いたピュタゴラス派の背景が推定されている(213)

「流動する rhein」という語は、ヘラクレイトス流の万物流動的世界観を示唆する。恒常不変な実在を認めないという立場がケベスの反論の基盤にある。魂と肉体には程度の違いしかないと考え、前者の存在身分を引きおろす流動説が、イデア論が対決する相手となる(226)

ソクラテスは、魂の病としての言論嫌いを治療する医者である。ここで用いられた「勧める protrepein」という語は「哲学の勧め、プロトレプティコス」の動詞形(233)

「言論嫌い、ミソロゴス misologos」は、「人間嫌い misanthropos」をもじったプラトンの造語。抽象名詞は「ミソロギア misologia」。なお、人間嫌いで有名なアテナイのティモン(シェイクスピア『アテネのタイモン』のモデル)は、ペロポネソス戦争の頃の人物とされる。その場合、ソクラテスやプラトンと同時代人である(239)

人間嫌いが欠いているという「技術 techne」とは、人と付き合う心得としての社交術や、相手の考えを推察する心理術のようなものも考えられるが、哲学的には、人間とは何かの理解であろう(240)。

この注記は有名な「パスカルの賭け」(『パンセ』B二三三)を思い起こさせると同時に、ソクラテスが魂の不死を無条件に信じているのではなく、不知の立場に留まることも示唆する(250)

「はったり alazon」という批判は、しばしばソフィストの 似而非 知識に向けられる(261)。

ここで登場する「基礎定立 hypothesis」は「下に hypo 立てる tithemi」から作られた語で、幾何学の方法として用いられた(『メノン』八六E-八七B参照)。後に一〇〇A(四八節後半)で定式化される哲学の方法を先取りしている(262)

「与る metechein」という語は、イデアと感覚物の分有関係にも用いられる。悪徳が不調和であれば、調和である魂が反対の不調和を分け持つことになってしまい、存立不能になる(270)

「原因 aitia」は、元来は「責任」を意味し、「根拠、理由」にあたる。この概念は、アリストテレスの四原因説に受け継がれるように、近代以降に論じられる「因果」(作用因にあたる)より広い(282)

「自然について peri physeos」は初期ギリシア哲学者に共有されていた問題関心であり、「探究 historia」という語はイオニア自然学で用いられた(284)

ここで「ある」の原因が考察対象に加えられている点が重要である。ソクラテスは「なにかになる」(生成)と「なにかでなくなる」(消滅)の原因のために、「なにかで ある」の原因を知ることが決定的だと見て取っている(285)

「驚き thaumazein」が哲学の始まりであるという、プラトン自身とアリストテレスの言葉を思い出す(296)


大地(地球)の形状は、イオニア以来の自然学の主要関心であった。タレスやアナクサゴラスらは平面を、アナクシマンドロスは円筒形を、ピュタゴラス派は球形を提案していた(303)

ここでソクラテスが期待したのは、そのあり方がそうでないよりも「より善い」という比較による説明であった。「善かった」という「ある」の未完了過去形(エーン)は、現にあるあり方がすでにそう定められているという本質を示す。アリストテレスの「本質」(ト・ティ・エーン・エイナイ)概念の先駆けとなる表現(304)

「犬にかけて」とはソクラテスが時折用いる誓いの言葉。特別の意味はないかもしれないが、やや剽軽な印象を受ける(312)

「必然 deon」とは、元は「結びつける」という意味を持つ(320)

「示して見せる、演示 epideixis」は通常ソフィストが弁論を人前で披露する際に用いる(322)

「基礎定立 hypothesis」の方法は、やや異なる形で『メノン』第三部、『ポリテイア』第六巻「線分の比喩」と『パルメニデス』第二部で用いる表現(329)

「イデア idea」と同義の「形相 eidos」という語は、ここで初めて用いられる。感覚される事物はイデア=形相を分取し(変化)、分有する(状態)ことで、それに派生する名で呼ばれる。例えば、「美のイデア」に与るものが「美しい」と呼ばれる(347)。

「シミアスが持つ大、シミアスの内なる大」は「大それ自体=大のイデア」と区別され、それを分有して生じるもので、現代では「内在形相」とも呼ばれる。『ティマイオス』四八E-五一Bではイデアの「像」として論じられる。ここでの「持つ echein」は感覚物と内在形相間との関係を表し、感覚物とイデアとの関係を表す「分有する」から用語上区別される。内在形相の存在論的身分については、研究者の間で議論が続いている(349)。

内在形相同士に起こる事態は、軍事的な比喩「退却、滅亡、降参」で語られる。ここでは、内在形相がその場からなくなることは、「逃げ出す」か「滅びる」かどちらかの事態として説明される。内なる形相も超越イデアと同様に、それと反対のあり方をすることはけっしてない。(351)

以前の議論では使われていなかった「事物 pragma」という語が明示され、なにかのあり方それ自体(イデア)と、それに与る事物の状態が区別されている(355)

「美のイデアはつねに美しい」のように、イデアはつねにその名で呼ばれるが、それに与る事物も、イデアと恒常的な関係にある場合、同様にその名で呼ばれる。「つねに」というイデアの永遠性への言及が、重々しさを醸し出している(360)。

「奇数」と「偶数」を二つの列に数えるのはピュタゴラス派の「双欄表」であり(アリストテレス『形而上学』第一巻第五章など)、この議論にはその背景も推測される(361)。

ここでは「イデア」という語が使われているが、「持つ」という動詞の目的語となっているため、内在形相にあたると理解すべき。「イデア/形相」の語は、区別して用いられてはいない(362)。

「持つ」の目的語となっているため、内在形相を指す(364)。

ここでも「イデア」は「占拠する」ものであり、内在形相を指す(366)。

奇数であることの定義は、割り切れる数を「一」だけ超過することであり(アリストテレス『トポス論』第六巻第四章一四二b)、それゆえ「一、モナス」は奇数性の根拠とされる。なお、ギリシア人は一般に、「一」は数の単位であり、数のうちに入らないと考えていた(372)

内在形相にあたるものが変化の後でどうなってしまうかという問いをめぐって、退却か消滅かという選択肢が吟味される。ここから始まる三つの「もし仮に」という議論は、反実仮想であって、実際にはそうではないという含意で語られる。従って逆に、三、雪、火の場合、退却が必然ではないことが示唆されてた(377)

「永遠である aidion」という条件は、一〇五D(五四節終わり)で同意された「つねに aei」から確保される。「永遠にある」ものが「不滅である」ことは、一見証明の必要のない真理に見える。だが、ケベスのこの発言には、性急さや不十分さの恐れもある(380)。

〈生〉のイデア、およびその内在形相は消滅を受け入れないという考え。そこで「神」が並べられることに意味がある。神こそ不死で不滅の存在だからである(381)。

死が万事の終わりなら、生きている間にどれほど悪いことをしてもそれで終わりになる。それは恵みだと皮肉で言われる。ヘルメスは冥府に同道する役割の神である(389)。

「壮観 theama」は「観想 theoria」がなされる光景であり、イデアの世界を連想させる(412)。

窪地の中にある島々というのは、私たちの大地にある高山の頂が空気の層を突き抜けている部分と考えられる(413)。

生前の行ないや生き方に応じて、まず善・悪・中間の三グループに大別される。悪しき行ないをした者がその程度に応じてさらに三種類の道を辿る。アケロン川は中間の者に、コキュトス川とピュリフレゲトン川は治癒可能な悪者に対応し、善者と極悪人はさらにその上下、つまり大地の上方とはるか奥底のタルタロスへと送られる(433)

「コスモス kosmos」には「装飾、化粧」という表面的な飾りの意味と、「秩序」という内面的な整いの意味があり、ここではその二義がかけられている(442)

「浄化、カタルシス katharsis」は、不純な物質の除去という医療行為、及び、宗教的な浄めを意味する。ここでの「古くからの言論」が、 ① オルフェウス教の教えを指すのか(オリュンピオドロスの古注等)、 ② ソクラテスがこれまで語ってきた議論(六四E-六五A[九節]、C-D[一〇節]、六六A[一〇節終わり]、六七A-B[一一節終わり]) を指すのかで論争がある。ここでは ① で訳しているが、 ② の場合「前にこの議論で語られている」となる。 ① の論拠としては、「一つに集結し凝集する」という表現が物質主義的であること、「古くから」は通常伝統を意味することが挙げられる。

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August 17, 2020

『メノン 徳(アレテー)について』プラトン、渡辺邦夫訳、光文社古典新訳文庫

 

Plato01  この夏、四冊目のプラトンは『メノン』。《たぶん他の国でも、人に親切にするよりも危害を加えるほうが容易だろうが、この国ではとくにそうなのだ》なんてあたりは2000年以上たっても人間社会は変わってないなと感じます。

 1995年刊の藤沢令夫訳でも「おや、ソクラテス、いったいあなたは、それが何であるかがあなたにぜんぜんわかっていないとしたら、どうやってそれを探求するおつもりですか?」(岩波文庫、p45)とか、哲学的難文ではなく鮮烈でしたが、90年代に進展したというプラトンの研究をふまえた渡辺邦夫訳、解説の本書も素晴らしかった。

 上記の部分の渡辺邦夫訳は《それで、ソクラテス、あなたはどんなふうに、それが何であるか自分でもまったく知らないような「当のもの」を探究するのでしょうか?》となっていまして、正確を期すためにやや硬いけど、読みやすいし意味も正確にとれる感じ。

 さて、当時のギリシャにはソフィストや弁論家といった紀元前五世紀に登場した新しい職業の人々がいて、アテネでも、言論の力で出世できるようになり、また世の中を政治的に動かすことも可能になっていました。ソフィストたちは、自分は知恵があり(賢者、ソフォス、σοφοs)、徳を教えることができると称しており、それに影響を受けた若きエリート、メノンが「徳」についてソクラテスと話しに来た、というのが舞台設定。

 しかし、《ソフィストを名乗ったプロタゴラスをはじめとする人々は、自分の「知恵」をひけらかすものではないという正統的な態度に逆らい「自分は賢い」と主張したことで、一部の熱狂的支持を得る反面、伝統派はもちろん多くの常識人に憎まれ、徳を教える職業を始めたが実際にはできていない、嘘つきだという反発・懐疑の的になった》そうで、後半になると、やりこめられたメノンに変わって、こうしたアンチ・ソフィストの代表とも対話することになります。

 しかし、当のソクラテスは《きみは、議論においてああしろ、こうしろと言ってばかりではないか。それは、若くて美の盛りである間、讃美者に対しずっと専制君主のようにふるまえたために、甘やかされ、わがままになってしまった人々がやることなのさ。それに、きみは同時に、わたしが美少年にはからきし弱いということに、どうやら気づいたようだね》というBL好きなオヤジとして登場。相変わらず「何にもわからない」と煙に巻きます。

 ソクラテスにやり込められる中、「難しい問題」は悪いことで、徳が難問を持たないことは当然の事実であるとメノンは考える。「難しい問題」の原語はアポリア、αποριαで対話篇の主要テーマのひとつ。αποριαはπαροs(渡し、道)に否定の接頭語αが付いた単語で、直訳すると「道がない(途方にくれている)」。

 本文には「優れた」と訳されたアガトスαγαθοsという形容詞がよく出てきますが、それは《「アガトスな(優れた)」人はアレテー(徳・卓越性)をもつという関係が理解される。優れた建築家は、建築家のアレテーをもつ。優れた牛は、牛のアレテーをもつ。優れた人間も、人間のアレテーをもつ》からだ、と註が付けてられいます。

 さらに「美しい」ないし「立派な」の原語καλλοs「カロス」もよくでてきて、「よい」のagatosと共に良さ、悪さが議論の中心となっていきます。

 させには「美しくて立派な(カロス)」と「優れた、よい(アガトス)」を「καi(英語でいえばandにあたる接続詞)」で結んだ形容句「カロスカーガトス」という単語も出てきます。καλοκαγαθοsはκαλοs καi αγαθοsという3つの言葉をまとめたもので《「善美の人」のようにも訳される。非の打ち所のない立派な人を褒めるときに使う、ギリシャ語表現》と註がつけられてます(3つにまとめられた単語は新約には出てきませんが、καλοs καi αγαθοsはルカ8:15の「立派な良い(心)」で出てきます。古典ギリシャ語ではお馴染みの表現を使うのはルカ的ですよね。

 メノンとソクラテスの対話は《それで、ソクラテス、あなたはどんなふうに、それが何であるか自分でも まったく知らない ような「当のもの」を探究するのでしょうか?》《たとえどんなものについて知らないにせよ、ものを知らない人の中には、その人が知らないその当のことがらに関する、 正しい考え が内在しているのである。そうだね?》《そう思えますね》と続き、《人間にとって他のすべてのものごとは魂に基づいており、そして魂そのものに属することがらがよいものであるためには、それらは知に基づくのようにね?こうしてけっきょく、この議論によれば、有益なものとは知であることになる。しかもわれわれは、徳は有益なものであると主張しているのだね?》という方向になっていきます。

 このほか「知識」と訳された「エピステーメー( episteme)」。「学問」「知」と訳された「フロネーシス( phronesis)」。「理性」とも訳された「ヌース( nous)」などもあとで調べてみようかな、と。ヌースはるグノーシスとも関係する「思考する noein」に対応する名詞で、エピステーメーの「知識」、フロネーシスの「知」と重なりますが、知的思考を示します。ちなみに《「知識・エピステーメー」の学問というニュアンスは、「フロネーシス」にはない》とのこと。

 次は『メノン』に続いて想起説(アナムネーシス、αναμνησιs)が取り上げられ、イデア論も初めて明確な形で書かれている『パイドン』を納富信留訳で再読しますかね。αναμνησιsは新約でも1コリ11:24-25で「記念」、ヘブ10:3では「記憶」として使われています。

 『パイドン』は「魂の不死について」という副題が付いていて《死者が生者から生じるのと同じように、生者は死者から生じるのである、と。こういう事情であれば、それは、死者たちの魂が必ずどこかに存在していて、そこから再び生まれてくるはずだ、ということの充分な証明になる、と先ほどわれわれは考えたね》《生き返るということも、生者が死者から生まれるということも、死者たちの魂が存在するというも、本当に有りうることなのだ》(岩田靖夫訳、岩波文庫、p52-54をアレンジ)とか印象的でした。『メノン』でもソクラテスは《もしも存在するもろもろのものの真理が、われわれの魂のうちにつねにあるなら、魂は不死であろう》と語っていました。

......以下は解説の引用です......

『メノン』の解説を書くとき、主題が「徳」なのか、それとも「知識とドクサ」なのかについてどのような態度をとるのかは大きな問題です。

(メノン)以後のプラトンの作品では、倫理や人生の領域の「徳とは何か?」というより、存在全般に関わる「善とは何か?」「ほんとうに存在するものはどのようなものか?」のように問いがおもに立てられるようになります。中期という時期の作品の特色ですが、この点も『メノン』における哲学のいろいろな主題が関係しあう仕方から、或る程度説明されると思います。つまり、一貫して徳を問題にして徳以外のことはあまり問題にしなかったといわれる、ソクラテスというひとりの人間の個性が、『メノン』の全体で問題なのだろうと思います。

「徳」は「アレテー」の訳ですが、「卓越性」のように訳す訳者もいます。「眼のアレテー」は見る力が優れていることで、「建築家のアレテー」は立派な家を建てることです。「土地のアレテー」は作物がよく育つということですし、「馬のアレテー」は馬としての働きが優れていることです。同様に人間のアレテーが問題になります。そしてこの人間のアレテーが『メノン』の主題ですので、「卓越性」は誤訳でなく、立派な翻訳です。しかしその内容として、ギリシャでは勇気、節度、知恵、正義、敬虔のような「徳」が考えられ、他にも、無数のマイナーな「人間の徳」がありました。

『メノン』は初期対話篇のなかでも、最後の作品です。そしてここで取り上げられるテーマや考えは、すべて次の『パイドン』と『饗宴』に受け継がれて展開されます。ただしこの二作品はもう、次の「中期」と呼ばれる時期のはじめの著作です。中期になると哲学の方法が重要になるとともに、プラトン独自の哲学が展開してゆきます。

『パイドン』では理論的な可能性が本格的に検討されて、死後も魂が不滅であるということ、したがって自分がやがて死んでしまうことを言い訳に探究や吟味から自分の注意と熱意をそらすのは、誤りであるということを論じようとします。

『メノン』以前では「勇気とは何か?」(『ラケス』)「節度とは何か?」(『カルミデス』)「敬虔とは何か?」(『エウテュプロン』)「美とは何か?」(『大ヒッピアス』)などは話題になりましたが、いろいろな徳目を すべて 束ねた「徳とは何か?」のような、ことばの意味において 非常に一般的な意味合いの 問いは、いちども対話篇全体の公式主題になっていませんでした。同時に『メノン』では徳を 一般的に扱うので、「人間とは何か?」「なぜ人はそもそも徳を積む必要があるのか?」「善とは何か?」

『メノン』の主題は「徳」です。この話題をひとつの副題のようにして、プラトンはすでにこの作品の直前に、ソフィストの技術について考える『プロタゴラス』と、弁論術と弁論家についてこれをどう考えるべきかという議論を示す『ゴルギアス』という、比較的長い二作品を書いています。

徳は教えられるものでしょうか?」と尋ねるところから始まります。これに対してソクラテスが、もっと根本的ではじめに答えられなければならない「徳とは何か?」さえ自分は答えられない と言って、全体の主題がはっきりと示されます。

作家クセノフォンが、キュロス軍のもう一人の武将クレアルコスの友人であり、クセノフォンは、この戦いにおけるメノンを酷評しました(『アナバシス』 2. 6. 21-29)。

上昇志向と政治的野望の強いメノン自身の中に、その非常に強い野望と社会の中での上のポジションから見下ろす「格差」の意識ゆえの「理解の壁」があって、その壁のために、このままではメノンは「徳とは何か?」という問いを、一定以上は真剣に追求してくれなそうだということが分かります。

正義は徳のひとつにすぎず、節度や勇気や知恵も徳なので、「正義イコール徳」ではありません。第二に、ここからの長い箇所全体でソクラテスは、適切な定義において「循環してはならない」という基本ルールをメノンに分からせようとします。「循環」とは、たとえば徳を「徳」ということばを使って定義して説明することです。あるいは勇気を「勇気」ということばを使って、円を「円」ということばを使って、それぞれ定義することです。

ソクラテスが言いたい最終的な主張は、知識と離れた別の「よいもの」など存在しないというものです。

「勇気」が知でなく、或る種の「元気」のごときものであるとすると、「人が知性なしにただ単に元気を出すという場合には、害をこうむるが、 知性を伴って元気を出す場合には、ためになり有益」であるというわけです。

意志の弱さの問題は、『メノン』以後に残される、重要な「宿題」ということになります。

「〈批判〉だけする」ソクラテス的な「教育」自体の正当化をおこなう場面をプラトンが設定したということであるように、わたしには思えます。次に想起説の説明に進んで、プラトンがおこなう正当化の評価を試みながら、パラドクスの運命をみてみましょう。

「事物の自然本性」と訳したのは、ギリシャ語の「フュシス」です。ギリシャの文物にあこがれた古代ローマ人は、ギリシャ語のこのことばを翻訳するために、母語のラテン語から「ナートゥーラ( natura)」を宛てました。やがてそこから、近代語の英語の nature や、それに類する各国のことばが生まれました。日本語の「自然」にあたる意味内容も含みますが、ものやことがらに内在して、そのものを支える「本性」「本質」のニュアンスが強いことば

「徳のフュシス」は「『徳とは何か?』への答」であると言えますし、「人間のフュシス(= human nature)」といえば、「『人間とは何か?』への答」のことであると言えます。さまざまなものの「何であるか?」という問いを、ソクラテスが倫理的徳目や価値について探究し始めたようにだれかが探究してゆくとき、最終的に、問題にしている複数のことがらの理解は、芋づる式に、あるいは数珠つなぎに得られるはずだ、なぜならこうした問いへの答は、ひとりひとりの人間のいまの人間身体における「誕生」以前の〈本来の高貴な状態〉において、 すでに 知られていたものだから──想起説は、ほぼこのようなメッセージであるように思われます。

エピステーメーというギリシャ語の「知識」は、ここの説明では、原因にさかのぼって考えたうえで、原因からの推論結果として内容を導き出したものなので、その点でただの〈正しい考え〉とはちがっていると言えると思います。

このことをメノンが理解するには、知識のイメージを一新する必要があり、そのために対話者ソクラテスが用意したのが想起説であるとわたしは思います。

ひとつは、他人から伝聞的に聞き知る意味での「知る」に対し、「理解して知る」という意味の「知る」ことこそ、人が 本来的に「知るに至る」ことであるという考え方です。もうひとつは、まったく新たに学ぶことに対する、 むかしの 経験の記憶に基づく知の 再 獲得こそ「学び」なのだという主張です。

「仮説」の議論で、対話者ソクラテスはメノン相手に、知識が「よいもの」を真によいものたらしめる究極の要素であると論じて納得させます。この説得においてソクラテスは、「知識(エピステーメー)」も使いますが、「知性(ヌース)」という関連する別の重要なギリシャ語も使うし、「知(フロネーシス)」も使っています。

対話者ソクラテスと著者プラトンは今、一言で「知識」と言っても、徳が「知識」であるのは、そういう「外化」が可能なことを意味 しない ことが明確な場合にかぎられる、と示しておく必要があったのでしょう。

なぜ若い人は、じゃまになる考えを取り除いて頭の中をきれいにしてあげさえすれば、次々と壁と思われたものを越えて、次の段階にジャンプして成長するように学んでゆけるのか? それは、自分の中にそれを越えさせるくらいのたいへん豊かな財を、もともともっていたからだ。──こんな発想をプラトンは『メノン』執筆当時、もっていたのではないかと思います。

メノンは「学習による」とソクラテスが言ったことを「教えられる」のように言い換えており、ソクラテスが結論の必然性や強さを明言しないところで「必然に思えます」「仮説に基づいて」のように、あたかも絶対確実な学問的推論の力で完全に立証できたかのように主張しています。

まず徳は知識であるという仮説からは、徳は教えられるということになった。自分はこの結論は確実と思ったが、ソクラテスにそうでないと言われ、かれが詳しく説明してくれたように徳の教師は現実にはどこにもいないということに自分も納得した。したがって徳は教えられないというのが結論である。だから徳は知識ではない。行動を導くもうひとつのものである、正しい考えが徳なのだろう。そうすると自分には、徳をもった優れた人がほんとうにいるのかが疑問に思えてくる。 優れた人があらわれ出てくるとしたら、それはどのようにしてなのだろうか?また、徳が知識でなく正しい考えだとすると、 なぜ知識は正しい考えより優れているとされるのか、この点も、いまは、自分はよく分からなくなってしまった。

かれは仮説という「幾何学で通用している立派な方法」によって徳は教えられるという結論が出たと一回確信しました。ソクラテス自身のようにここを少し緩く、もし徳が いわゆる 知識なら、徳は生まれつき備わるのではなく学ばれるものである、しかし徳は いわば 知識 のようなもの なのだから、それは学ばれるのだ、という程度に理解するとき、この結論は、徳の教師は存在しないので徳は教えられないという第四~五章の結論と、矛盾しません。つまり、徳は「他人から教えられない」 というしかたで 学ばれるという結論になります。

幾何学から現実の具体的生活に関わる徳の問題に話を進めるということは、だれがどうみても大きな冒険なので、「例外」の可能性への注意が必要になるはずです。そして、ここはそうした例外に当たるので、われわれはこの「場合分け」の 意味自体 に吟味を加えていくことをこの特殊な「仮説」では問題とせざるを得ないということになります。これが、ソクラテス=プラトンの隠れメッセージだと思います。

徳が「知識である」と 言える のは、それが 生きた「魂」ないし「心」の力として、或る人の間違いのない判定能力・判断力であると言えるといった程度の意味におけることです。ギリシャ語で言うと、「エピステーメー」という、「知識」と訳せて教示可能性と結びつきやすいことばよりも、「フロネーシス・知」という、行動や実践での「頭の良さ」「知力」「思慮深さ」といった意味合いのことばのほうがぴたりの表現であるような内面的な力です。このことばにも、「ヌース・知性・理性」にも、それが人から人へと教えられるものであるというニュアンスは欠けています。  実際には、導き出せるのは、徳は知 ないし 知識 ないし 知性だから、生まれつき人に宿っているものではなく、後天的に「学習」されるものであるという穏当な結論のみです。それをソクラテスも結論にしています。この「学習」は非常に広い意味内容をもちます。本を読んで勉強したり、優秀な教師からレッスンを受けて教わったりする意味での「学習」も学習の一種ですが、それよりはるかに広く、自分で経験して学ぶこと、自分でよく考えて行動するうちに学ぶことなどの、「実技科目」のように学ぶことも含まれます←エピステーメー、フロネーシス、ヌースとの関係

(A)有益なものとは 知 である(B)徳は有益なものである という二つの前提 の組み合わせで、(C)徳とは知である という結論を得る

この点を、この箇所の趣旨に或る程度似ている「太陽の比喩」という、中期対話篇の中の、『国家』第六巻の印象的な議論の説明を利用して、描写することができます。『国家』の議論によれば、 善のイデア こそ美や正義に比べ最高のイデアで、前途ある若者のための最大の学習課題ですが、これが最重要のものであるのは、「太陽との比較」で明らかになると対話者ソクラテスは言います。つまり、太陽が〈見る・見られる〉という関係全体において光を提供することでその全体の原因とみなされるように、そのように〈知る・知られる〉という関係の全体を検討するとき、善こそ「知られるもの」真理性を付与し、「知るもの」に知る力を与えるものだというのです( 506B-509B)。

野心家や目立ちたがりの人がきらう地味な徳の学習に努めないと、自分の 内部の状態が原因となって、認識そのものが「遮蔽物」や「暗さ」や「濁り」に類したもので妨げられることになる、ということが、『メノン』でも、そして『国家』でもプラトンの主張のポイントになっていると思います。 より重要なのは、積極的な帰結のほうだと思います。このような「自分自身の問題」を乗り越えて徳の問題の重要性に気づき、人一倍徳の学びに励んだ上、その徳に基づいてよいものを事柄どおりによいものと人々にまさって認知できる人が出てくれば──ソクラテスの否定的論駁はまさにこのような人を生むことを目標にしていたように思われます──、その人の場合には 内的なものの力で 自分や他人の幸福とほんとうの繁栄、人々の福利について、他の人の及ばない力を発揮できるだろうということになるはずです。これが「仮説の方法の議論」の最終的なメッセージになるように思われます。

第五章のテーマは、知識だけが統率するものではなく、正しい考えも統率するものなので、「徳」と呼ばれるものは、実際には知識ではなく正しい考えであるという新しい論点です。

正しい考えは、 行為の正しさに関しては、知にまったく劣らず正しく導く」と主張します。したがって徳に関する第三章の「仮説の方法」の議論のところで、徳が知であるとして、知のみが正しい行為を導くとしたのは誤りであったと、 前の主張を修正します。この修正の意味が、解釈の大問題です。 「正しい考え」は「アレーテース・ドクサ」を訳したことばです。「アレーテース」は直訳すれば「真実の」「真なる」ですが、本訳では「ドクサ」を形容する場合はより自然な「正しい」で訳しました。「ドクサ」には、さまざまな訳語が考えられます。中期のイデア論の文脈のように、イデアという「あるもの・存在するもの」を捉える心の能力としての「知識・エピステーメー」との厳しいコントラストがついて、真ではあるが次元的に劣った心的状態・力のニュアンスが強い場合、「思わく」(もっとかたい日本語ですと「臆見」になるでしょうが)のような専用の訳語にする慣習があります。いっぽうそのような文脈にかぎらない、たとえばイデア論が出てこない、後の『テアイテトス』や『ソフィスト』のような対話篇では、心が一回でくだす「判断」のように訳すのが適切な場合もあります。第五章の議論は、次のように進んでいるように思われます。 徳は教えられない。ゆえに徳は知識ではない。徳は結果的に正しい行為を導くものである。正しい行為を導くのは、知識か、正しい考えである。ゆえに徳は正しい考え

ソクラテスが善や美や正義などの大切なことに無知であることと、ほんとうの 徳 ならばそれは 知であるという主張は、論理的に両立するからです。

ソクラテスの場合には、神ならぬ自分がほんものの知をもっていないということは絶対の前提であって、要するに 近似的な 知である「徳」でもって生きていく、そして つねに 徳の点での 向上をめざす という態度を取っていると思います。したがって第五章で徳が正しい考え程度のものにすぎず、知識でないという「修正」をおこなったことは、ソクラテスにとって第三章の議論の受け取り方に関する、いわば〈適切な注〉がついたということを意味したはずです。われわれは生きている間、どんなに進歩したところで、完全に「透明に」よいものを知るにはいたれないということの原因にかかわる仮説(合理的推測)を立てる作業をおこなってゆく精神、そして自分の徳に基づいて原因をつねに探りそれに基づいて行動しようという精神によって、こうした、建設中の 知識というものを中心に 動く活動のもとでしか、ほんとうは国家もよくならないし、全体の福利を考えながら国家を動かす人材も働けないはずだということは、動かないように思えます。

じつは『メノン』に関する論文や著書は、プラトン研究全体の中でも重要な一部分を占めており、いま現在、次々と新発見や新しいタイプの解釈論争が起こっているというのが実情なのです。  重要な解釈論争が、第一章の「だれも悪いものを欲しない」という趣旨の議論(「けれども、今度はきみのほうで」~「悪いものを欲しないのでしょう」)に関して起こりました。これは、著名な研究者同士の論争です。サンタスによれば、「悪いものを欲する」人がそのもの自体をよいと考えている場合、一種の「間接話法」のような具合になっていて、その人は現実に欲することと区別されるような「よいもの のつもりで 欲する」という意味合いでは、よいものを欲していると解釈されます( G. X. Santas, Socrates, London 1979, 183-189)。これに対し、ペナーとロウが共著論文を書き、サンタスのような『メノン』解釈は『ゴルギアス』における、欲求され願望されるのはよいものであるという主張(単によいと思われる、あるいはよい つもりの ものではなく、 実際に よいものであるという主張)に矛盾するので、ここでも「よい」は、行為者の頭の中でよいとされるものというより客観的によいものであると解釈すべきであると主張しました( T. Penner and C. Rowe, ‘The Desire for Good: Is the Meno Inconsistent with the Gorgias?’, Phronesis 39 (1994), 1-25)。サンタスのようにただ単に「よいもの のつもりの」ないし「よいと 思われる」ものだけをよいとすると、それはたしかに、プラトン的ではないように思えます。しかし、逆にペナーたちのように『メノン』の議論を解釈するのは、不自然で無理があります。  わたしは、本訳の「解説」一(三)では、両者のいずれとも異なり、〈行動の観察結果から推測される、行為者本人にとってよいもの〉という意味の理解を提案しています。

「探究のパラドクス」とは、「まったく知らない対象を探究できるわけがない」というものです。ファインの問題提起( G. J. Fine, ‘Inquiry in the Meno’, in R. Kraut (ed.), The Cambridge Companion to Plato, Cambridge 1992, 200-226)などを経て、スコットは最近の出色の研究書の中で、主張を、想起説は探究のパラドクスの問題に答えるために導入された説ではないという新しい解釈にまとめました( D. Scott, Plato’ s Meno, Cambridge 2006, 79-83, 121-125)。──賛成にせよ反対にせよ、現在の『メノン』解釈は、このスコット説への態度表明をする義務を持っていると思います。わたしはスコットの主張のうち、想起説は論理的ないし理論的に探究のパラドクスを解くものではないという部分を承認してもよいと思います。しかし探究する人々と「 知識」との深い関係を語る想起説のような形でなければ、探究のパラドクスのもたらす 心理的脅威 は排除できなかっただろうと考えています。なぜなら、ファインやスコットや他の多くの解釈者のように、 知識 でなく正しい 考え からでも探究を始められるという答でかまわないというとき、「 まったく知らない 対象を探究できるわけがない」というパラドクスの、 ことばの文字通りの力 があまりに軽視されているからです。

「想起説」は、じつは「過去の経験の想起」よりも「『知識』を『理解』で解釈すべし」

偶然かもしれませんが、こうした新しい『メノン』解釈の流れの多くは、そろってみな一九九〇年代からのものです。藤沢訳の文庫版は一九九四年出版で、これらの新傾向が定着して、そのエッセンスを安心して一般書にも取り入れうるステージ以前

読者が自分でものを考えるために使いこなす「素材」のようなものとして、『メノン』は書かれたと考えます。思想内容の単純な伝達を、志していないと思います。学びに関して他人の知識をあてにするばかりのメノンのあなた任せの受動性を、プラトンは悪い見本と考えていますが、この点でかれの書き方そのもの

「あいまいさ」の積極的重要性も、じつは案外新しい主題なのです。ロイドの解釈( G. E. R. Lloyd, ‘The Meno and the Mysteries of Mathematics’, Phronesis 37 (1992), 166-183)が、この点を最初に指摘した文献です。

考え方のちがいは、『メノン』解釈にも深い部分で影響してきます(今回わたしは、プラトンの哲学という観点では、この発展主義派にも固定的体系派にもすぐには行かないようにして、まず作品を「味わう」ことを中心に考えたいと思って「解説」に取り組みました)。

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August 09, 2020

『ソクラテスの弁明』プラトン、納富信留訳、光文社古典新訳文庫

Apology-of-socrates

 『饗宴』『プロタゴラス』がよかったので引き続き、光文社古典新訳文庫のプラトンを読んでいます。もう、今年の夏はプラトンを読み直す夏でいいかな、と。

 ソクラテスの弁明は「人間たちよ、ソクラテスのように、知恵という点では真実にはなににも値しないと認識している者が、お前たちのうちでもっとも知恵ある者なのだ」という宣託に関するものが核。解説では《この言葉を聞いたソクラテスの最初の反応は、次のような思いであった。「神は、一体何をおっしゃっているのだろう。何の謎かけをしておられるのだろう。私は、知恵ある者であるとは、自分ですこしも意識していないのだから。」(二一B)「意識する」と訳したギリシア語“synoida”は、「~と共に知る」という語義に由来する動詞で、ここでは「私自身と」という語句を伴っている。この語は、ラテン語の“conscientia”をへて、近代語の「意識、良心」“consciousness,conscience”という概念に発展する》。

 《犬に誓って申しますが》というあたりの言いまわし、マルコ7:28の「食卓の下にいる小犬も、子供たちのパンくずは、いただきます」を思い出す。《もし神霊が、ニンフから、あるいは、言い伝えにある他のなにものかから神がもうけた子だったら、どうだろう。神の子供が存在すると考えているのに、神が存在しないと、どんな人間が考えるだろうか》というあたりも、新プラトン主義のキリスト教神学との親和性がほのかに感じられるところなのかな。

 プラトンの対話編では《兄弟がこの営みに従事していた人たちがいます。テオゾティデスの子ニコストラトスは、テオドトスの兄です。そのテオドトスは亡くなっているので、兄に口止めの依頼をすることもできません》など兄弟がよく出てきますが、新訳でも兄弟はよく出てくるな、とか。

《死を恐れるということは、皆さん、知恵がないのにあると思いこむことに他ならないからです。それは、知らないことについて知っていると思うことなのですから。死というものを誰一人知らないわけですし、死が人間にとってあらゆる善いことのうちで最大のものかもしれないのに、そうかどうかも知らないのですから》というあたりは、ヘーゲルの死は認識できないのだから不安になることはないあたりに影響を与えてるんだろうな。さらには《ナザレのイエスが十字架に掛けられたことにより「キリスト教」が成立し、彼の教えが全世界に広まったように、ソクラテスの裁判とが「哲学」の意味を開示し、その営みを継承する人々によって西洋の哲学が成立して、今や日本をふくむ全世界で人々は哲学に従事しようとしているのである。彼の予言は、遺されたすべての人間へのメッセージとなった》という解説にもつながっていくのかも。

《真実を語っても、どうか私に怒りを向けないでください。皆さんや民衆に対して正当に異議を唱え、ポリスで多くの不正や違法行為が生じるのを阻止して生き残ることができるような人間は、だれもいないのです。いやむしろ、本当に正義のために戦う人は、もし短時間でも生き残りたければ、公人としてではなく私人として活動する必要があるのです》あたりは現代にも通じる感じ。


《知恵があると思っているが実際はそうでない人々が吟味されるのを、彼らは聞いて喜んでいるのです。実際》というあたりはSNSの世界も同じだな、と。

《あなた方は、私が空とぼけていると考えて、私の言うことを信じはしないでしょうから》←空とぼけ=エイロウネイア(ειρωνεια)はイロニー。新約には出てこない単語。ソクラテスの問答法は無知を装いながら、知者を自認する相手と問答を重ね、かえって相手が無知であることをあらわにし、その知識が見せかけのものでしかなかったことを悟らせる、というメソッドですから、新約のイエス的問答では使えないのかな。解説では《「空とぼけ」(エイローネイア)はしばしばソクラテスに帰される性格であり、「本当は知っているのに、知らない振りをする」といった意味である。ただ、この性格づけはソクラテスの敵対者から言われるのがほとんどであり、真相を理解しない者の側の言い訳となっていた》としています。さらに《論敵がしばしばソクラテスに帰す「空とぼけ(エイローネイア)」という性格も、「本来は知っているのに、知らない振りをすること」を意味する以上、彼に対する完全な誤解なのである》とも。

《私はもう人間がとりわけ予言を行う時、すなわち、まさに死んでゆく時にあるのですから》というのは有名な死の予言。解説では《古代では、死を前にした人には予言の能力があると信じられてきた。ホメロス『イリアス』でパトロクロス(第一六巻八五一行以降)やヘクトル(第二二巻三五八行以降)がそういった予言を語り、プラトン『パイドン』八四E~八五Bで、ソクラテスは「白鳥の歌」と呼ばれる言説を語っている》としています。

.....以下は訳注あるいは解説からの引用.........

「認識している」と訳した“egnoken”は、この前後の文脈で使われる「知る」とは異なる動詞である(解説)

ソクラテスはここで「存在する」(エイナイ)という語を付け加えることにより、「神々を信じる」という内実を追究していく(解説)

写本に基づいてバーネット版が印刷していた否定辞“ou”を、オクスフォード古典叢書新版等は、意味が取りにくいという理由で削除している。後者に従う(解説)

ソクラテスが〈前置き〉で強調するのは、語り手の徳(アレテー)が「真実を語ること」にあるという点である。「徳」(アレテー)とは、その者の本領が発揮される優れたあり方である。

当時の知識人への漠然とした疑念や嫌悪がある。知識人にはおもに、新たな知の潮流をなした自然哲学者と、当時のアテナイで人気を博したソフィストが含まれる。ソクラテスは自分の営為をそれらの「知者」から区別をしながら、本当の「知恵」とは何かを明らかにしていく。

アリストファネスの『雲』でソクラテスが学校「思索所(フロンティステーリオン)」で教えるのは、「邪論(弱論)」で「正論(強論)」を打ち負かすそのような技術であった。

知恵ある者であるとは、自分ですこしも意識していない」ソクラテスは、「神」のこの言葉にさえも一旦疑いの目を向けて、徹底的な吟味を開始する(二一B)。つまり、神託を「謎かけ」として受け取り、自他吟味の探求を始めたのである。これが、ソクラテスの哲学──知を愛し求める営み(フィロソフィアー)──の原点である。

私たちの日常では、なんとなくそう思ったり、それなりの確信があったりする時にも、「知っている」という認定をすることがある。しかし、厳密に言えば、「知る」とは、明確な根拠をもって真理を把握しているあり方を指し、「知っている者」は、その内容や原因を体系的に説明できなければならない。

日常ではあまり重要とは思われない、この「知る/思う」の明確な区別こそ、「知を愛し求める」(フィロソフェイン)営みとしての「哲学」の出発点となる。

ソクラテスはその人たちに共通の誤解があることを発見する。彼らは、本当は大切なことを知らないにも関わらず、地位や評判や技量によって自分こそ知恵ある者だと思いこんでいる。この「無知」(アマティアー)、つまり「知らないこと」(不知、アグノイア)を自覚していない状態こそが、最悪の恥ずべきあり方であった(

罪状は「ポリスの信ずる神々を信じない」こと、つまり「不敬神」(アセベイア)に向けられている。古代ギリシア社会において「神を敬わないこと」が重い罪にあたるのは、ポリスが祀る神々の加護のもとでポリスに繁栄がもたらされると信じられていたからであり、逆に、ポリス成員の不敬な行動や穢れは、ポリス共同体に大きな災悪をもたらすとされていた。古代の宗教とは、個人の内面や信条を問題にするのではなく、共同体の祭祀や行動規範に関わるものであった

ポリスの内乱を終息させる「恩赦」によって「既往は問わない」ことになっていた。民主派に与してクリティアスと戦ったアニュトスらは、ソクラテスと彼ら反民主的政治家との関わりを糾弾したかったのであろうが、公式にはそれは許されていなかったのである。

ソクラテスがメレトス相手に行う尋問は、彼が通常の哲学議論で用いている「対話」(ディアロゴス)の形式を採る。そういった対話でのやり取りは、一方的な長い弁論とは異なり、共に吟味することで真理を明らかにするのに適しているという(『ゴルギアス』篇

尋問では、ソクラテスは得意な「論駁」(エレンコス)の方法も用いている。その方法では、まず相手に自分のテーゼ(立論)を語らせて、その後質問をつづけていくつかの前提を認めさせる。それらの前提から論理的に帰結する命題が当初のテーゼと矛盾していることを示すことで、相手を論駁するのである。

「恥ずかしく思う」(aiskhynomai)という心理上の表現は、「醜い」(aiskhron)という価値判断の語と同根であり、後者の語は「恥」とも訳される。「醜い」の対義語は「美しい、立派」(kalon)である。美醜はまずは見かけの好ましさに関わり、愛求や嫌悪といった反応を惹き起こす。「美しい、立派」は、人の外面だけでなく行為や人生にも用いられ、私たちに見本を提供して自身の生き方を形づくる基本語となる。他方で、「醜い、みっともない」と感じるから、「恥ずかしい」のである。

そして、ソクラテスがもっとも厳しく批判するのは、「恥ずべき無知」、つまり「知らないものを知っていると思っている」状態であった(二九B)。実際、本当はよく知らないのに、知ったか振りをして自惚れる姿ほど醜悪なものはない。

すると、「魂への配慮」を怠るというみっともない状態にありながら、そのことに気づいていない「恥」こそが、最大の醜態ということになる。

わたしたちがしがみついているのは、結局「肉体」(ソーマ)であり「物」(ソーマ)ではないか。それに対して、真に配慮すべきなのは、思慮が働き真理が求められる場、つまり「魂」(プシュケー)とでも呼ぶべき地平ではないか。

「ポリス」とは、大きくて数万人の市民からなる、都市や領域の小国家であり、古代ギリシアに特有の政治単位であった。プラトンやアリストテレスは、この「ポリス」を人間生活の基本として、善きポリスを構築する「政治学」(ポリティカ)を打ち立てていった。

第一部の「環構造(リング・コンポジション)」を成している。

ミノタウロス殺しに由来するアポロン神への祭祀のため、毎年デロス島に派遣する船に儀礼の飾りを付けた時から帰還するまでの期間には、一切の不浄がなされてはならない決まりになっていたからである。その間、公的な処刑もすべて回避されていた。それゆえ、死刑までの一ヶ月の間、ソクラテスは牢獄で過ごすことになるが、そのことをこの時点で知る由もない(牢獄でのありさまは、『クリトン』、『パイドン』篇で描かれる)。

ギリシアにおいては文学でよく描かれていた。ここでは、無論、著者プラトンが後の事態を見据えて書いていることも推測される。

ソクラテスの仲間たちはソクラテス対話篇を競って著し、計二百冊、三百篇におよぶ作品が著されたと推定されている。それは前四世紀前半に「ソクラテス文学」と呼ばれるジャンルを成す

より自由で有意義な対話を交わすためには、特別な場面を設けて、ルールに則って議論するのがより適当ではないか。なによりもそうしてこそ、論者の自由と安全が保証され、結果としてより真理に近づけるはずなのである。こうして創られた対話の空間が「学園アカデメイア」であった。

プラトンの「対話篇」は、おそらく学園アカデメイアやエジプトのアレクサンドリア図書館等で保存、伝承され、やがて後一世紀頃にトラシュロスという学者によって 編纂 され、九つの「四部作」にまとめられて「プラトン著作集」( Corpus Platonicum)となった。そこには、一三通の『書簡』を一まとまりに数えて、計三六の作品が収められている。今日でもプラトン全集が編集される時には、基本的にその配列が踏襲されている

プラトンが生前に執筆したと記録されている作品は、現代にまで すべて が伝承されており、さらに、プラトン以外の作家の作品(「偽作」)も「プラトン著作集」に入っていることになる。これは、古典期の著者としては奇跡とも言うべき伝承状況であり、歴史におけるプラトンの影響力の大きさ

著作の成立と普及には不明な点が多いが、おそらくプラトン自身が最初「蝋板」に書いた文書がパピルスに書き写されて、それが 巻子本 として流布したのであろう。パピルスの巻物は、巻き取りながら何度も読まれることで摩耗したり破損したりするため、一定の期間のうちに新たに書き写されなければならない。そうして数世紀にわたって伝承されたパピルス巻子本は、紀元後には羊皮紙などに書き写され、新たに書物として伝承

新プラトン主義者たちは、プラトン哲学を学ぶ教程として、一二の対話篇を入門から奥義まで並べて、その順で読んでいた。その頂点には『ティマイオス』と『パルメニデス』の二篇が置かれていた(著者不明『プラトン哲学序説』等

プラトンの著述に経年的な変化があることを示す研究がつづけられ、この「文体統計学」の手法は一定の成果を収めた。それは、『ソフィスト』、『政治家(ポリティコス)』、『ピレボス』、『ティマイオス』、『クリティアス』〔未完〕、『法律』という六つの著作が、他とは明瞭な文体的相違を示し、「後期対話篇」というグループを成す

「初期対話篇」とされるのは、ソクラテスが対話相手に「徳」について「何であるか」の問いを投げかけ、吟味探求の末に行き詰まり(アポリアー)に終る対話篇

登場人物ソクラテスの口から積極的な考えが提示され、とりわけ「イデア論」と呼ばれる学説が登場する対話篇が、「中期」とされる。そこでは、ソクラテスというより著者プラトン自身の思想が語られている、と 看做されている。「中期対話篇」には、『饗宴』、『パイドン』、『ポリテイア』、『パイドロス』といった代表的哲学著作が属し、多くは報告や伝達という「間接対話篇」の形式による凝った文学形式をもち、壮大なミュートス──論証でない、神話の語りで、死後や天上の様子を描く──

近代日本ではすでに一世紀以上にわたって、自らの言葉でプラトンを読みそこから哲学の思索を展開する、十分な環境が整っていると

『金銭から徳は生じないが、徳にもとづいて金銭や他のものはすべて、個人的にも公共的にも、人間にとって善きものとなるのだ』と。

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July 28, 2020

『プロタゴラス あるソフィストとの対話』プラトン、中澤務訳、光文社古典新訳文庫

出だしは《おや、ソクラテス、どこに行っていたのだ? 答えは明白かな? 若き美青年アルキビアデスのあとを追いかけまわしていた。そうだろう?》と始まるいつものBL展開。

そして「人間は万物の尺度である」という言葉でよく知られるソフィスト、プロタゴラスとソクラテスの議論は《知恵、節度、勇気、正義、敬虔。これら五つの名前は、一つのものにつけられた名前なのか? それとも、それらの名前のそれぞれには、何か独自のありかたを持つもの、つまりそれぞれが自分だけの働きを持っていて、他のどれとも同様だとはいえないようなものが対応しているのか?》というのが対話の眼目。

当時のアテネはソフィストの時代で《伝統的には、 徳 は生まれのよさによってそなわっているものと思われていたからです。そうした 徳 を、教育によって、(授業料さえ払えば)誰にでも教えるというソフィストたちの宣伝文句は、当時は驚くべきものだった》といいます。

《われわれアテネ人が民会に集まるとき、わたしは次のようなことを目にします。たとえば、国が建築にかかわる何らかの事業をしなければならないとき、彼らは建築物に関する助言者として建築家を 招聘 するのです》の民会は新約では教会の意味のエクレシア(Ekklesia)。ところが外交政策などについては《審議しなければならないときには、誰もが同じように立ち上がり、そうした問題について彼らに助言するのです。その人が大工でも、鍛冶屋でも靴職人でも、貿易商人でも船主でも、また裕福でも貧しくても、家柄がよくても悪くても同じです。 そして、先ほどの場合のように、『この人は、学んだことも、先生に付いたこともないくせに、助言しようとしている』と言って、こうした人たちを非難する者は、ひとりもいないのです。 その理由は明白です。 すなわち、彼らはそうしたものを教えることができるとは考えている》と。

《正義と節度と敬虔、つまり、まとめてひとことで言うなら、人間の徳のことだとしよう》というので徳についての議論になりますが、同じギリシャでも新約の正義、節度、敬虔(ホシオン)、勇気の用法とは大分違うな、と。例えば、四元徳(知慮・正義・節制・勇気)のうち、知恵 (φρόνησις プロネーシス)はルカ1:7とエフェ1:8だけですが、ルカでは「分別」みたいな意味で使われています。

こうした罰[を与える制度]には、きみの国でも他の多くの国でも、〈是正監査〉という名前が付けられているの是正監査(エウテュナイ)は初めて知る単語。役人の任期が終わる時に不正がなかったか監査されたそうです。アリストテレスの『アテナイ人の国政』にそんな記述があったかな…。新約にはエウテュナイという言葉は出てこなかったような…。

このほか《〈望む〉(ブーレスタイ)が理性的な欲求を指すのに対して、〈欲する〉(エピテューメイン)は肉体的な欲求を指す》なども調べてみたい。

《プロタゴラスとヒッピアスは、〈不安〉も〈恐怖〉も、そのような意味だと同意してくれた。しかし、プロディコスは、〈不安〉はそうだが、〈恐怖〉は違うと言った》というあたりも面白い。
不安(Deos)も新約ではヘブ12:28だけで、意味は恐怖、畏敬。70人訳では第二マカバイに集中して出てきますが、やはり恐怖の意味で使われます。中澤務先生は註112で《不安(デオス)は比較的長期間にわたる認知的な気分であるのに対して、恐怖(フォボス)は瞬間的に感じる非認知的な感情》としています。

また、四元徳のうち勇気は、恐ろしいものと恐ろしくないものを正しく計量する能力だということになってしまうからです。この計量の技術とは知恵にほかなりませんから、結局、勇気の実体は知恵であるということになります。

《人間は、こんないきさつで、生きるための知恵は手にしたのだが、しかし政治のための知恵を手にすることはなかった。その知恵は、ゼウスのもとにあったからだ》とプロメテウスなどによって火を得たりしたが、政治の知恵は授けられなかった、というあたりの議論も面白かった。

もう少し、光文社古典新訳文庫でプラトンを再読してみようかな…

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