December 07, 2025

『日本史の法則』本郷和人

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『日本史の法則』本郷和人、河出新書

 東京大学史料編纂所教授を退任する本郷先生は、専門である日本中世政治史の本と研究史のほかに日本史を通じるような本を三冊書きたいとのことで、これはそうした著作の習作という位置づけでしょうか。

 ぼくは、どうも権門体制論というのは当為(建前、理想論)を重視しすぎていると感じているので、本郷先生たちのように、実情に即して武家政権を「東国国家」、朝廷を「西国」の王権と位置づける二つの王権論の方がスッキリしていると感じています。

 二つの王権論に立てば日本は一つの国ではなく、歴史も一つではない、と。しかも、日本の歴史は「ぬるい」。

 本郷和人先生が「日本史はぬるい」と言い始めたのは、『乱と変の日本』あたりからでしょうか。この中でコジェーブが「人間の歴史を学びたいのであれば、日本の歴史を学べ」と述べていることを「はじめに」で紹介し、日本は気候、異民族支配などの影響がないところで歴史が展開されたので、人間がどのように発展するかを見る上で、もっともいい教科書になるとしていました(p.22-)。おそらくここはコジェーヴの『ヘーゲル読解入門』の第2版にある「日本化についての註」からきています。

 世界史は戦争に次ぐ戦争の血で血を洗う歴史でしたが、本郷先生はそれと比べると「ぬるい」と。根絶やしにするぐらいの虐殺は織田信長による一向一揆、徳川幕府による島原の乱など割と限定されています。

 朝廷は朝鮮半島の進出を諦め、唐からの侵略の不安もなくなるとすぐに進取の気質を失い、統治は緩み、不満を抱いた東国武士の叛乱を招きます。

 東国武士たちは自分たちの土地は自分たちで支配することを目指し、源氏の御曹司を立てて独自の政権を打ち立てますが、貨幣経済には対応できず、将軍家、得宗家、執権という二重、三重の権力構造を整理できなかった、と。しかも無学なため、元から丁重に送られた使者にきちんと対応しなかったことから元寇を招いてしまった、と。当時の北条家は有力者でさえ息子に「腹が立ったからと言って部下をむやみに切ってはならない」と教えざるを得ないほど野蛮だったという限界を超えられず、足利幕府が誕生。

 室町幕府の有力者たちは京都に住み、各地の「守護大名」に任じられ、任国の武士や土地を直接支配する領国支配を確立しました。ところが、ここでも京都に住む管領たちが緩み、応仁の乱が起こり、幕府に見切りをつけた守護が任国に帰ろうとしますが、すでに守護代や国人に実質的な権力が移っており、そうした戦国大名たちは自国の統治に専念するようになります。また朝廷側も政治権力の奪取を狙っていましたが、南北朝の混乱を治められず権力に自ら終止符を打つことになります。

 また、日本人は建前の平等よりも平和を選び、神・阿弥陀如来の前では平等とするキリスト教、一向宗は無力化される、と。

 鎖国については様々な議論はありますが、徳川幕府は第三国経由で海外情勢を知りつつ、国を閉じることに成功し結果的に、植民化の波をかぶることなく明治にこぎつけ、富国強兵で世界に互す「緩くない」時代に突入して破綻した、という感じでしょうか。

 なお、これもジムの間にAudibleで聴きました。

[目次]

1 日本は一つ、ではない――この国は西高東低
2 歴史も一つ、ではない――もしも、あのとき……
3 日本の歴史は、ぬるい――変わるときは外圧
4 信じる者は、救われない――信じると大虐殺が……
5 地位より人、血より家――世襲が、強い
6 日本社会は平等より平和を選び、自由をはぐくんでいた

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『となりの史学 戦前の日本と世界』加藤陽子

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『となりの史学 戦前の日本と世界』加藤陽子、モリナガ・ヨウ、毎日新聞出版

 現代の国際情勢を考える際、特に中国やロシアの歴史認識には驚かされます。プロパガンダと一蹴するのは簡単ですが「なぜ彼らはそう考えるのか?」と考えれば、本書は不可解に見える歴史認識の『文脈』を解き明かす方法を紹介してくれます。

 《歴史に学ぶとは、ある事象が生起した文脈、コンテクストを理解する》という加藤先生による本書は《近代日本が一度ならず干戈を交えた相手国、つまり戦争をした相手国との二国間での歴史共同研究の最前線からの実況報告を行っています。[日本と中国][日本とロシア][日本と英国][日本とドイツ]、それぞれの場合において、戦争終結後の和解と共存の真の方向性を探るために開催された国際会議の成果を中心にして伝えようと努めました》とのこと(あとがき)。

[中国]

 まず、日本に対して無茶なプロパガンダを仕掛けている中国に関して、個人的には「なんであんなメチャクチャな歴史認識なんだろう」と不思議に思うわけですが、その背景には《中国では、1911年の辛亥革命時に掲げられた、「建設」(近代化)と「統一」(統一国家の形成)という二大目標が、いまだ達成されていないとの認識があるために、現代を見つめる時は、「1911年の視点」になるという。 そうであれば、中国とその国民の関心は、「建設」と「統一」が未完成である理由へと向かおう。二大目標の達成を阻んだ最大の障害として日本を位置づける見方》があるという説明は納得的(k.227、kはkindle番号)。さらに、こうした夜郎自大な歴史観に民族復興プロパガンダが加わるわけですから、ハチャメチャになるのかな、と。

 最近、琉球王朝に関する虚文を主張していますが、これは日清戦争の原因にもなった、というのは面白かった。《中国側は、「当初は重視されなかった『虚文』を重視し、琉球王の復封」を図ろうと動いた。その理由は、「これを座視すれば朝鮮との朝貢・冊封関係に波及しかねない」との懸念に突き動かされたためという。本来の伝統的な冊封概念は、中国と朝貢国との1対1対応で完結するはずである。しかし、琉球をめぐる日本との競合の中で、対琉球関係を対朝鮮関係と連動するシステムとして捉えるような、新たな国際関係認識が中国側に生まれたと見られる》(k.260)というんですから、何事も歴史的背景があるんだな、と。

 また、太平洋戦争終結後、蒋介石は日本が建設したインフラの維持・活用を目指したんですが、こうした《技術者留用に警戒感を抱いたのがアメリカだったことだ。1945年10月という早い段階でアメリカ海軍の作戦部長によって作成された文書「中日関係:日本の対中国政策」からは、日本人技術者の留用が日本政府主導でなされているのではないかとの警戒感がにじみ出ていた。日中の技術協力関係は、アメリカが疑念を抱くほど良好に動き出していたのだ》というのは知りませんでした(k.721)。

 清末の中国では日本から流入してきた新名詞(東語、和製漢語)が使われていたのですが、中国の民族主義者?厳復は、「拓都」などの新語を編み出したのですが、ほとんど使われることがなかった、というのは面白いな、と。

 「田中上奏文」の偽造も面白かったというか、なんでも偽造するんだな、と思うと同時に《偽書かどうかは措くとしても、日本の現実の行動が上奏文に書かれている通りだとの中国側の対日批判のトーンは、この後も維持された》というのは、今も続いているな、と(k.1291)。

[ロシア]

 《文化面での日ソ関係の結びつきを忘れてならないことは、歌舞伎の最初の海外公演が、1928年、モスクワとレニングラード(現・サンクトペテルブルク)で行われたことを想起するだけでも十分だろう》というのは知らなかったです(k.1721)。スターリンの日本に関する個人蔵書に「エロ・グロ・ナンセンス」に関するものがあるほか、日本の僧侶の腐敗ぶりが女色が生々しく描写されている頁にスターリンの注記がある、というのには唸りました(k.1834)。

 また、1930年代の定義についての《国際経済からみれば、イギリスが金本位制を離脱した1931年から、アメリカが民主主義国家の兵器廠と自ら位置づけた1940年までとまとめられる時代》《あるいは、ヴェルサイユ・ワシントン体制を桎梏だと認めた日本やドイツが、軍事力を背景に実力で国際秩序の改変を図ろうとした10年とも総括できる》という見方はなるほどな、と(k.1747)。こうしたことからソ連を敵として日中英米がまとまろうとする構想と、ドイツを核として反ヴェルサイユ体制国としての日独中ソが連合する構想の二つがあり、各国は二股をかけていた、と。

 ミッドウェー海戦大敗後はドイツの求める日本の対ソ参戦要求に応ずる余力がなくなったが、日本はドイツに対して独ソ和平斡旋をしていたというのは、凄い同床異夢だったな、と(k.1877)。

 《パノフ氏が挙げる、日ロ両国の国民性の類似点には、つい目がいった。いわく、両国民には、力への敬意、他国民への猜疑心及び不信感、集団組織と集団思考への欲求等々、共通項があるという。力への敬意という点は面白い。ロシアと日本を歴史的な視座で眺めれば、ロシアはビザンツ文明、一方、日本は中華文明の影響を周辺部として受けてきたという点で共通項を持つという》というのもなるほどな、と(k.2139)。

 ロシアはビザンツ文明、日本は中華文明の影響を周辺部として受けてきたという点で共通項を持ち、議会制、ナショナリズム、私的所有権といった「近代ヨーロッパ文明」に対抗しようとしてもがいた、と。また、総力戦を主導した日本陸軍と新官僚の中には元共産主義者が多かったのも共通点です。

 スターリンは専門家に個人教授してもらってもヘーゲルを理解できなかったのですが、それは『法の哲学』などで語られる自由とは所有のことであり、自由は外部から束縛を受けないだけではなく、自分の身体、人格、財産などが自己自身のもとに在ることで初めて具体的に自由となるというあたりがわからなかったのかな、とか考えてしまいました。

 また、晩年のレーニンがスターリンの暗殺者から身を隠したのが古儀式派の人々の村だったというのはゾクゾクしました(k.2266)。

[イギリス]

 イギリスとドイツについては印象に残ったところを引用して終わります。

 《アンソニー・イーデン外相は、1945年7月段階で米国に天皇制温存の必要を働きかけはしなかった。その理由を二人の教授はイーデンの記録に語らせていわく、「私は米国側に、天皇は存続させるべきであると、勧告するつもりはない。米国側は必ずや、このような勧告の受入れを望んでおり、不本意ながらもわれわれに同意したと言うだろう」(158頁、傍点筆者)。イーデンは、自国民を説得するのに難しい天皇制温存の問題をイギリス人の口から言わせようとするアメリカの底意を見抜いていた》(k.2450)。

 《日中戦争中、日本側が英米の艦船を長江から追い出したいと考えていた理由の一半は、防諜という側面から説明できる》(k.2615)。

 《第二次世界大戦で日本が連合国に敗北し、占領期間を経て1951年9月に締結された対日平和条約が、サンフランシスコ平和条約であった。話は込み入ってくるが、当時、中華人民共和国を招請すべきとするイギリスと、中華民国を主張するアメリカの意見が対立した結果、「中国」代表は招請されていない。またイギリスは、韓国について、日本と戦争状態になかったとして招請に反対し、これにアメリカも同調した結果、韓国は署名国となれなかった》(k.2690)。

[ドイツ]

《日本とドイツは、その位置ゆえに、ユーラシア大陸にのびるロシアを東西に牽制しうる二国だった》(k.2864)。

 《日露戦争が勃発した少し後の1904年4月、英仏協商が成立するが、この帰結がドイツ外交にとっていかに重い意味を持ったか(162頁)、本論考はよく伝える。中東と北アフリカでの英仏対立が解消し、アジアでの戦争で日本がロシアに辛勝した暁に来るのは、欧州におけるイギリスとドイツの対立しかない。日露戦争を第ゼロ次世界大戦とみる解釈は近年有力だが、この論考からも支持できる見方だと思われる》(k.2900)。

 《第二次世界大戦の決定的要因を、海洋での支配をめぐる争いとナガシマ氏は看破する。中国に対する日本陸軍の戦い、ソ連に対するドイツ陸軍の戦いは、共に中ソ両国が、退却しうる広大な大陸後背地を持っていたために、勝敗の決定要素は、英米からの中ソへの物資を運ぶ海上輸送路をいかに効果的に遮断するかにかかっていたからである》(k.2,993)。

 近代日本が歩んだ『近代ヨーロッパ文明への対抗』という道筋が、ロシアやドイツと共通していたという指摘は、日本の戦前の行動を世界史的な潮流の中で理解する視点も与えてくれるかもしれません。

[目次]

第1章 日中の戦争観――歴史認識を問い直す【日本と中国1】

●海の向こうは……世界の中の日本と中国

●重慶で私も考えた 中国重慶の国際会議で触れた中国研究の最前線

●自国の利己追求に歴史が「使われる」時代

●敗者の帰還と満洲体験 帰還者は帝国崩壊をどう捉えたか

●中国と中国人にとっての1945年

 

第2章 競存から緊張へ変化した日中関係――私たちは今、何をすべきか【日本と中国2】

●苦難の中の日中関係 対立と共存

●日中関係、どこからやり直すか

●歴史の中に存在する多彩な中国像

●日本・中国・台湾 三国関係を追う

●世界政治を揺るがした「田中上奏文」の謎に迫る

●「田中上奏文」はどのようにして作られたか

 

第3章 西洋と東洋を結ぶ架け橋へ――何が日ロ関係を転換させたか【日本とロシア】

●ロシアが残した日本史への刻印

●花も実もある日露関係 拮抗する二国関係において「真実ならざるもの」を見抜く

●日本とソ連、それぞれの1930年代

●ソ連と日本 タフな交渉と戦争の時代

●ロシアの対日参戦の正当性を探る

●日ロの類似点が導く対ロ交渉の到達点

●帝政ロシアからソ連を経てロシアへ

 

第4章 明治日本はイギリスに何を求めたのか――日本人の英国観の変遷【日本と英国】

●一つに収斂(ルビ:しゅうれん)しない日英関係の姿

●ギャップに満ちた日英関係

●現代の米中対立と戦前の日英攻防

●戦後ロンドン金融市場の変容

●イギリスの平和思想と国際連盟への期待

 

第5章 東アジアの国際情勢にみる日独関係――「同盟」の真のかたちとは【日本とドイツ】

●東アジア情勢の中で語られる日独関係

●日独関係における相互イメージ

●日本とドイツ、人と技術の交流

●長期政権を築き、新時代を拓いた桂太郎

●桂太郎の複眼的思考を書翰から読み取る

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December 01, 2025

『新しい階級社会』橋本健二

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『新しい階級社会』橋本健二、講談社現代新書

 アンダークラスは未婚の人が多いため少子高齢化と密接に関係しているので、次は中流階級の落ちこぼれがアンダークラスになるという予想が衝撃的。

 歴史人口学者の速水融さんによると江戸時代、江戸と大阪ではほとんど人口が増えなかったが、これは集まった人々が子どもを残せない今のアンダークラスと同じような賃金しかもらっていなかったから、とのこと。今のアンダークラスの賃金も次世代の労働力を再生産する費用を含んでいません。

 こうした格差拡大は1980年前後に始まり、日本社会は後戻りができないまでに固定化され、いまや「新しい階級社会」が成立し「中流幻想」は過去の夢だ、と。自由、平等、民主主義は結果的に格差を生み、その固定化に寄与したのかもしれません。

 農民や自営業の「旧中間階級」はコロナ禍で没落し、変わって上昇したのが「新中間階級」。安定した雇用で家族や資産を形成できる大企業や官庁のホワイトカラー層で高学歴の持ち主。コロナ禍では日々の労働から賃金を得ていた旧中間階級とアンダークラスが感染を拡大した、という推察には「どうしたら良かったんだ」と考えさせられました。

 格差と政治意識について書かれた第8章が白眉。

 所属階級と思想・支持政党の分析・考察を行うと、保守層とリベラル層はアンダークラス、旧中間階級、正規雇用労働者、新中間階級、資本家階級の全てでそれぞれ2~3割いて、階級と考え方の左右はあまり対応していませんでした。思想傾向で分けると、新自由主義的右翼クラスタは外国人嫌悪を示すのですが、意外なことにそこは高学歴で平均年収も高い、と。

 また、日本に無党派の人が多いのは、リベラル、平和主義、無関心、伝統保守、新自由主義右翼という5つの考え方のクラスタに合った政党がないから、という推論はなるほどかも。

 かつての自民党支持層の中心だった伝統的保守は再分配に寛容ですが、アンダークラスの大量出現により、再分配に否定的な新自由主義的右翼が台頭。こうしたクラスタが参政党や保守党の支持に回り、国民民主には伝統的保守の一部が自民から流出した、と分析。

 新自由主義右翼が新興政党に流れれば、自民党は彼らを切り離して「伝統保守」の立場を取るかもしれないかも、と。

 なお、ジムで運動しながらAudibleで聴きました。

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『渤海国の謎』上田雄

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『渤海国の謎』上田雄、講談社現代新書

 月組公演『雨にじむ渤海(パレ)』の予習として読んだのですが、上田雄先生は名著『遣唐使全航海』の著者だけに、本当に面白かったです!

 唐と新羅によって668年に滅ぼされた高句麗の遺臣たちが建国した渤海国は、唐と新羅に挟み討ちされそうになったので、日本に応援を求めて使節を派遣したのが727年。 ところが使節が着いたところは出羽(秋田から青森あたり)で、そこで使節は蝦夷の民に殺されてしまい、生き残った8人がなんとか都まで辿り着き、ほぼ初めての朝貢使いと感激した朝廷は帰りの船をつくり、渤海と朝廷の<返礼の>使節も乗せて帰らせた、というのが長く続く渤海使の始まりです。朝廷としても、その頃ようやく種子島や屋久島からも使節が来たようなので、外国との朝貢が続いたと大喜びしたわけです。

 その後も冬の季節風に乗ってくるので日本に着いては、たびたび船を失って、新造船で送ってもらうことが続き、あげくには日本に帰る朝廷の使節に便乗して日本に向かうようになるとか、とにかく面白いです!

 唐と新羅に復讐するぞ!と考えていた渤海の勇ましい王も、日本側の野心家貴族<である>藤原仲麻呂も亡くなり、対新羅という面での国交は意味がなくなったけど、平安貴族は冬を凌ぐ革製品が欲しく、渤海も繊維製品が欲しかったので、その後は交易主体のやり取りが続いた、という経緯も興味深いです。

 平安貴族は意中の女房を射止めるための飛び道具として毛皮、特に黒貂の製品に目がなかった、というのはよくわかります。確かに、天井だけしかないような家では重ね着した上に着る毛皮はありがたかったろうな、と想像できます。

 契丹の耶律阿保機によって滅ぼされ、ほとんど痕跡もなく破壊され、その地に再び国家が建設されたのは1000年後の満洲国だったとは…中原からすれば台湾と同じように「化外の土地」by李鴻章だったわけですが…。

 草原しかないような土地を中心にロシアのウラジオストックから北朝鮮、中国の遼東半島までを一時は支配した旧高句麗の遺臣たちがつくった渤海。その都である東京龍原府を発掘したのは、関東軍として出征していた若き考古学者、斉藤優だったそうです。『雨にじむ渤海(パレ)』のファーストシーンはこの発掘シーンだったら…とか妄想を膨らませています。
 
 しかし、唐と新羅に攻め込まれるのを恐れて日本と親交を結び、冬の季節風に乗って日本に着岸、夏の季節風に乗って帰る使節を29回もやりとりしていた、と**<いう事実にも驚かされます。

使節と朝廷側の応接貴族は共通言語であった漢詩を通じて交流し、雅楽にも渤海から伝えられたものが残るほか、ポロの一種の「打鞠」(大河の『光る君へ』でも描かれていた)ももたらされた、というのは知りませんでした。

 やがて唐も新羅も北方民族に滅ぼされ、四方を海に囲まれた日本だけが歴史を紡ぎ、さまざまな記録を残すとともに、東シナ海をまたにかける民間交易により、遣唐使などをわざわざ派遣しなくても文物がやりとりされるようになった、みたいな成り行き腑に落ちました。

 遣唐使たちのカネがなくなると天皇から渤海経由で砂金が届けられるほどの信頼関係があったとは驚きでした!

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November 01, 2025

暇と退屈の倫理学』國分功一郎

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『暇と退屈の倫理学』國分功一郎、新潮文庫

 ジムでエアロバイクを漕ぎながら聴いた本で、スピノザ、ルソー、ニーチェ、ハイデッガー、ユクスキュル、コジェーブらの考察を検討し「暇」と「退屈」の根源的意味を掘り下げています。

 人類は約1万年前に、中緯度帯で遊動生活から定住生活に移ったのですが、定住革命は新たな権力をもたらすとともに、日々刻々と新しい環境に注意する必要がなくなったことで、慣れによる退屈を生み出したとします。人類は「定住革命」によって社会的には経済格差や大きな権力を発生させるとともに、個々には暇と退屈を生んだ、と。

 近代では退屈な時間を何かに熱中・没頭することで、幸福に満たされようとするわけですが、実はこれには苦痛が伴う場合が多いとも指摘。これは慢性疼痛の患者に痛みを与えると、脳内では快感としてとらえられる、と増補版で補強されています。

 第三章と第四章では消費と労働、そして疎外について考察し、第五章では、ハイデガーの『形而上学の根本諸概念』という講義録を元にした退屈論を丁寧に考察します。続くユクスキュルの「環世界」概念とハイデッガーの存在論的分析の批判はこの本の白眉でしょう。

 ハイデガーは退屈を3つの形式に分けます。

 退屈の第1形式は「何かに退屈させられること」。たとえば、列車を待っているけれどなかなか来ないから退屈することなどが1番目の退屈。

 退屈の第2形式はパーティに出るなど気晴らしをも「退屈すること」。気晴らし逃げ込んでもなぜか退屈な気分に支配されることが2番目の退屈。

 退屈の第3形式は「なんとなく退屈」という気分が湧き上がること。これといった理由もなくなんとなく退屈だというのが第3形式の退屈で、第1形式→第2形式→第3形式と進むにつれて、退屈が深まっていくとハイデガーは考えました。なぜなら、第3形式では一時的な気晴らしの可能性すらないから。

 こうした退屈に対するハイデガーの対象方法は現存在として何かを決断し、何か内心に燃えるものを見つけることですが、國分功一郎さんはこれに対して、第2形式からの逃避として第1、第3を考えるのではなく、むしろ動物的に逃避したほうがいい、とします。

 ここで重要になってくるのがユクスキュルの環世界概念。

 ユクスキュルは普遍的な時間や空間などはなく、動物それぞれに独自の時間・空間として知覚される、と主張しました。地球上の生物は時間と空間を共有していると考えられるかもしれませんが、時間の流れ、空間さえも異なるものとしてとらえられている、と。人間は「限界」という丸い球体の中心から世界を眺めている限界球体的存在ですが、自らの世界認識を客観的・普遍的と誤解しているにすぎない、と。こうして第六章でユクスキュルの環世界の議論をしたあと、7章ではコジューブの言う「歴史の終わり」や「動物」としての人間論(『ヘーゲル読解入門』第2版の「日本化についての註」)を勘違いとして批判します。

 コジェーヴはイエナの戦いで歴史は終わり、その後の戦争はフランスで実現された普遍的な革命的勢力の空間における拡張に過ぎないことと考え、哲学者であることを辞め外交官になります。彼はロシア革命、第一次世界大戦、第二次世界大戦も経験しますが、それはもう意味がないと考えたのです。さらにフォードをマルクス主義者とみなし、米国はマルクス主義の「共産主義」の最終段階に既に達しているとみて、ソ連や中共への旅行を通して、アメリカの生活様式は世界を覆うと確信しますが、それは動物性への回帰にすぎないとも考えていました。しかし、外交官として訪問した日本で、彼は「歴史の終わり」の後でも動物としてではなく、人間としての生活様式を発見します。日本では戦国時代を終わらせた徳川幕府は250年の平和を実現し、歴史を終わらせたとコジェーブは考えました。

 《究極的にはどの日本人も原理的には、純粋なスノビスムにより、まったく「無償の」自殺を行うことができる(古典的な武士の刀は飛行機や魚雷に取り替えることができる)。この自殺は、社会的政治的な内容をもった「歴史的」価値に基づいて遂行される闘争の中で冒される生命の危険とは何の関係もない。最近日本と西洋世界との間に始まった相互交流は、結局、日本人を再び野蛮にするのではなく、(ロシア人をも含めた)西洋人を「日本化する」ことに帰着するであろう》(『ヘーゲル読解入門』アレクサンドル・コジェーヴ、上妻精・今野雅方訳、国文社、1987年 246-247頁)。

 自由、平等など価値ある社会を実現するための現存在をかけて立ち上がることは、もう近代の欧米社会ではできなくなっていますが、同じような状態に陥った日本人は動物になることなく、スノビズムによって人間らしく生きようとした、と。

 本書ではアレントによるマルクスの労働に関する悪質な読み替えを批判していますが、こうしたコジェーブの考え方についても観察が浅く、そもそも動物的で何が悪いのか、とまで論考を進めます。

 本書ではノヴァーリスの「哲学とはほんらい郷愁であり、どこにいても家に居るように居たいと願うひとつの衝動である」を印象的に引用しますが、人間にとっての退屈を分析して深めたハイデガーは、人間にとっての「退屈」は分析したが、「愉しみ」や「郷愁」を理解していなかったのではないかと批判します。

 賢い犬種でさえ盲導犬育成は困難だそうで、動物はそれぞれの環世界から移動することは非常に難しいのですが、人間は高い環世界移動能力を持っています。人間は動物のように、何か特定の対象に「とりさらわれ」続けることができないのです。逆に言えば人間は動物とは異なり1つの環世界にひたることができないために、退屈に悩まされてしまうのだ、と。ならば、動物のように「とりさらわれる」ことを楽しめば、退屈から解放されるのではないかに、というあたりが結論でしょうか。

[目次]
まえがき
序章 「好きなこと」とは何か?
第一章 暇と退屈の原理論 ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?
第二章 暇と退屈の系譜学 人間はいつから退屈しているのか?
第三章 暇と退屈の経済史 なぜ"ひまじん"が尊敬されてきたのか?
第四章 暇と退屈の疎外論 贅沢とは何か?
第五章 暇と退屈の哲学 そもそも退屈とは何か?
第六章 暇と退屈の人間学 トカゲの世界をのぞくことは可能か?
第七章 暇と退屈の倫理学 決断することは人間の証しか?
結論
あとがき

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October 25, 2025

『50万円を50億円に増やした投資家の父から娘への教え』たーちゃん

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『50万円を50億円に増やした投資家の父から娘への教え』たーちゃん、ダイヤモンド社

 投資家というのは、生命の危機を感じると、その投資ノウハウを公開するもんでしょうか。山崎元さんは癌で余命宣告を受けた後、18歳になる息子さんに向けて『経済評論家の父から息子への手紙お金と人生と幸せについて』を残しましたし、清原達郎さんもガンで声を失い、投資家を引退して『わが投資術』を書いてくれました。本書も、著者のたーちゃんもガンで余命宣告されたのを機に、残された娘さんたちに投資のノウハウを残そうとした本です。

 基本としているのはバリュー株投資。それを選んだのは《〝バリュー株投資の父〟といわれるベンジャミン・グレアムや、そのグレアムに学んだ〝投資の神様〟ウォーレン・バフェットといった名だたるアメリカの投資家たちが、バリュー株投資をすすめていることを知った》から(k.593、kはkindle番号)。

 この本は資産バリュー株投資→収益バリュー株投資→シクリカルバリュー株投資、という順で説明していきます。

[資産バリュー株]

 まず資産バリュー株ですが、そのメリットは《資産持ちで財務が安定している割安な株を買うので、株価が下落しづらい点にある。軒並み大きく株価が下がったリーマンショックのときでも、資産バリュー株は資産価値が評価され、下落幅が小さかった》(k.777)とのこと。

 株式は割安だと判断した時に買い、高くなったら売って儲けるわけですが、では、そもそもバリューをどう判断するのか。さきほども紹介した〝バリュー株投資の父〟と呼ばれるベンジャミン・グレアムが提唱したグレアム指数で簡易的に判断できます。PER(株価収益率)とPBR(株価純資産倍率)を掛け合わせて算出されるグレアム指数が22・5以下なら「割安」、大きく超えていると「割高」の可能性があると判断できる、と。

[収益バリュー株]

 次ぎは収益バリュー株。収益バリュー株が多い業界は、銀行・金融、商社、鉄鋼、自動車、海運、電力・ガス、建設、医薬品など安定した収益を確保できる企業が多く、PERやPBRは低い、と。

 収益バリュー株で重要なのは営業キャッシュフロー。普通、投資家は損益計算書をじっくり見るものですが、しばしば「厚化粧」が指摘されることもあります。《経営者の目線で考えてみてほしい。「投資家は損益計算書ばかりを重視する」とわかっていれば、なるべく見栄えのする損益計算書をつくろうとしてもおかしくない。実際、損益計算書には法律ギリギリの〝厚化粧〟が施されることがあるんだ(なかには限りなくグレー、あるいはアウトなものさえある)》(k.1439)というあたりも実践的。

 営業キャッシュフローは企業が本業で得た現金の流入と流出を示すもの。商品の販売やサービス提供による収入から、仕入れや営業活動に必要な経費を差し引いた金額を指し、キャッシュフロー計算書の中で「営業活動によるキャッシュフロー」として記載されています。

 また、《収益バリューは、キャッシュフローの現在価値をはかる「DCF(ディスカウントキャッシュフロー)法」というもので計算する。これは、企業が将来生み出すキャッシュフローを現在の価値に割り引いて、企業価値を算出する方法》(k.2294)だそうで、あとで勉強してみます。

 シクリカルバリュー株は「景気敏感(シクリカル)かつ割安(バリュー)」のこと。景気には波がありますが、このサイクルを利用して、景気回復局面で大きな上昇余地を狙います。このシクリカルバリュー株投資については、ぜひ、本書を読んでください。
 このほか、時価総額別のリターンについての《大型バリュー株は12・87%、大型グロース株は10・77%、小型バリュー株は14・87%、小型グロース株は9・92%——というものだった。つまり、大型株も小型株もバリュー株のリターンはグロース株を上回る》(k.648)、《統計データで「中期経営計画は80~90%くらいの確率で達成できない」と証明されている》(k.663)、《岩井コスモ証券によると、個人の株式取引の7割以上が信用取引だというデータもある》(k.2508)、《2025年1月10日現在、信用評価損益率は「マイナス7・48%」となっている。つまり、「信用取引を行っている人の損益はマイナスになっている」ことが、公式に発表されているのだ》(k.2522)、《この信用評価損益率は、プラスに転じることはほとんどない。0%まできたら「天井に近い」といわれている》(k.2524)という数字に基づく情報は貴重。

《日本企業は買収が苦手だからのれん代がかさむことが多い。こんな企業は得てして経営も下手だ》(k.966)というあたりもなるほどな、と。

 売買のタイミングに関して出来高が急に増えた時というのは実践的アドバイスだと思いました。出来高が顕著に増えるタイミングは、株価の天井か底であることが多く、手だれの投資家が抜けて、下手な投資家が入ってくるケースが多いから。

 暴落時の買うべきタイミングは「ストップ安の銘柄が100を超える」「売買代金が東証プライム市場の時価総額の1%を超える」「新聞やテレビで株価がトップニュースになる」が揃った時で、みんなの投げ売りが終わったあとに下落となる二番底がくるのは、信用取引の清算期限の半年後以降、と。

《配当というのは業績が最も高いときに一番高くなる。つまり、そこから業績が悪くなれば、配当も下がり株価も下がる可能性がある。だから、景気後退期に高配当投資をすると痛い目に遭うことがある》(k.2037)《配当性向(企業が稼いだ利益のうち、どれだけを株主に配当として還元するかを示す割合)は最高でも30%くらいまでがいい。それ以上は株主還元をしすぎている》(k.2045)というのも実践的なアドバイス。

 《これまでの僕の経験上、投資に向いていない人は「調べものをしない」「なんでも後回しにしてしまう」という共通点がある》(k.2187)というのは、まったくその通りだな、と。昔から「株ぐらいやった方が良いよ」と勧めてきたけど、実際に証券口座を開いて入金し、売買しているのは5〜6人しかいません。ちゃんと調べて、やるべきことはキチンとやる、ということだけで、人間界では「よく出来た人」なのかも。新NISAの口座保有率は25%だけど、実際に売買しているのは20%ぐらいだと思うから、それだけで勝ち組かもしれません。

[目次]

医師として働きながら
元手50万円を50億円に増やした
個人投資家たーちゃんの投資ヒストリー

PROLOGUE 愛する娘たちへ――父さんの投資法を教えよう
父さんの投資法を教えよう
「シクリカルバリュー株投資」ってなに?

PART0 そもそも「株式投資」って何か知っているかい?
「株」はなぜ生まれたのか?
「株主」になるのは「王様」になること?
八百屋に野菜が並んでいるように、株も市場に並べればいい

PART0.5 父さんは株で50万円を50億円に増やしたんだ
神童扱いからの落第生…最底辺の高校しか受けられない
お金持ちになりたくて医学部を目指したけれど……
ほどほどに働きながら株式投資で儲ける
自分がプレイするゲーム会社に投資して株が爆上がり
ほとんどが合格する「医師国家試験」でまさかの不合格
働きながら29歳で“億り人”になった!
リーマンショック直撃で一時資産3割減
働きながら30代で資産6億円突破!
株よりも子育てを優先した“ほぼ空白の10年”
FIREして“雀荘通い”をしてみたものの……
投資家・フリーランスの麻酔科医・ジム経営、三足のワラジ
ステージ4の直腸がんが判明し4度の手術

PART1割安株を見つけ出そう――「バリュー株」の選定術
まずは「バリュー株投資」を押さえておこう
知っておきたい株の4タイプと攻略法
「グロース株」のトータルリターンは「バリュー株」より低い
実は危うい「グロース株投資」の真実
そもそもバリュー(価値)とは何か?

PART2 安いから買うんじゃない「資産」があるから買うんだよ――資産バリュー株投資
①資産バリュー株の「特徴」
資産バリュー株ってなんだろう?
資産380億円がわずか800万円で放置されている?
「昔からある会社」が有利なワケ
「資産バリュー株」のメリット・デメリット
②資産バリュー株の「探し方」
7つのステップで探してみよう
簡易的に割安株を見つけられる「グレアム指数」とは?
Xの情報は参考になるけれど……
③資産バリュー株の具体的な「探し方」
「決算短信」のチェックポイント(売上高・貸借対照表)
「決算短信」のチェックポイント(土地・有価証券)
▼土地の場合
帳簿価格との差額が1000億円近い土地
▼有価証券(株)の場合
「事業等のリスク」をチェックしておこう
「受注残」もチェックしておこう
④「資産バリュー株」の売りどき
➊シナリオが崩れたとき
❷もっといい株が見つかったとき
➌短期間で上がりすぎたとき
絶対に売ってはいけないタイミング

PART3 安いだけじゃない、「稼ぐ力」を見極めて買おう――収益バリュー株投資
①収益バリュー株の「特徴」
100倍株(ハンドレッドバガー)を逃して反省……
②収益バリュー株の「探し方」
③収益バリュー株の具体的な「探し方」
▼損益通算書のチェックポイント
▼キャッシュフロー計算書のチェックポイント
④収益バリュー株の「売りどき」

PART4 赤字の会社こそ大儲けできるんだ――シクリカルバリュー株投資
①シクリカルバリュー株の「特徴」
「シクリカルバリュー株」の株価はどうやって上がる?
クリティカルヒットが出やすい投資法
景気は4年で循環する
②シクリカルバリュー株の「探し方」
目の前の数字でなく、その先の数字を読む
いま業績が良い会社が「買い」ではない
シクリカルバリュー株で重視する「PSR」とは?
③シクリカルバリュー株の具体的な「探し方」
決算の数字として表れる前に「買いどき」を知る方法
「シクリカルバリュー株投資」を難しいと思わないで!
なぜ韓国の造船会社に投資したのか?
④シクリカルバリュー株の「売りどき」
「シナリオ」を考えて投資をするレッスン
「数量の増加」と「赤字での新規設備投資」がポイント

PART5 儲ける人はちゃんと記録をつけて考えているんだ――「投資レポート」の書き方
僕が作成した投資レポートを見せよう
投資レポートを自分でつくってみよう
「増資」で乗り切ろうとする会社には投資しない
ナンセンスな経営判断をするサラリーマン経営者
▼「資産バリュー株」のチェック
▼「収益バリュー株」のチェック
投資レポートについての補足
「これぞ!」という銘柄があれば集中投資していい

PART6 小さな違いが大きなリターンにつながるんだよ――利益を最大化する「+α」の投資術
●適時開示
●IR担当者への質問
●ネットワークを広げる
●インフレの捉え方
●信用取引
●株価下落時の行動
●株価暴落時の行動

EPILOGUE 50億円を稼いだ先に見えてきたこと
毎月200万円使うと決めてみたけれど……
FIREしたけど退屈すぎた……半年で気づいた“働く意味”
僕がいなくなっても株式投資が力になってくれる
著者について

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October 24, 2025

『世界秩序が変わるとき 新自由主義からのゲームチェンジ』齋藤ジン

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『世界秩序が変わるとき 新自由主義からのゲームチェンジ』齋藤ジン、文春新書

 ジムでエアロバイクを漕ぎながら聴いた本です。

 東西冷戦後の世界秩序を支えてきた「新自由主義」の終焉、アメリカの視点から覇権国家に挑戦した日本のバブル崩壊と中国への締めつけを説明してくれています。

 まず、新自由主義=グローバリズムへの反乱が各国で起こったのは、「システムの信頼(コンフィデンス)の揺らぎ」が生じたから。安い労働力を求めて国内から脱出し、アメリカではラストベルト、日本では氷河期世代を残したグローバリストに対して、明確に政治的なNOが突き付けられています。

 日本が戦後、驚異的な復興をなしえたのは、もちろん勤勉さもあるでしょうが、ソ連と中国を太平洋で食い止める地政学的な役割を期待され、朝鮮戦争、ベトナム戦争では兵站基地となっていたから。

 しかし、東西冷戦が終結してしまえば、自動車と半導体という分野でアメリカを脅かす地位にまで上りつめた日本は落とし込まなければなりませんでした。そして、様々な輸出規制や円高誘導などにより、日本から第二次産業を追い出すことに成功します。また、日本の政財界、労働界も、それまで蓄えてきた富を利用して雇用維持のために「共に貧乏になる」という痛み分けを選択したことで「失われた30年」となりました。

 当時の日米交渉をがん患者に抗がん剤を投入する医師の関係として説明するところは出色。日米交渉で米国側はどんどん目標値や対象品目を変えたりして、そのたびに日本側は「ゴールを動かさないでほしい」と抗議していました。しかし、アメリカ側が目標としていたのは日本の骨抜き=ガン根絶だったので、医師としては必要な抗がん剤をどんどん投入するだけだった、と。

 この構図は米中交渉でも同じでしょう。WTO加盟などを後押ししてくれた米国が、そこまで中国を嫌うハズがないと考えていた中国は、90年代の日本と同じように「ゴールポストを動かすな」と抗議していましたが、目的が中国抜き=ガン根絶なので、そこまでいくんだろうな、と。

 そして、著者の見立てでいけば、次ぎはまた日本の時代となる、と。

 こうした「システムの歪みを見抜く能力」は、著者が性的マイノリティであったこととカミングアウトしているところも面白かった。著者は邦銀につとめていましたが、バブル崩壊直後に見切りをつけ渡米、当時はまだ日本を有力な顧客とみていたファンドに拾われます。

 そんな齋藤ジンさんの有力な人脈のひとりはトランプ政権の経済政策の舵取り役であるスコット・ベッセント財務長官。ベッセント財務長官は元検事のジョン・フリーマンと結婚して二人の子供を育てているゲイです。

 ベッセントはトランプ大統領の宿敵、ジョージ・ソロスの元で1992年のポンド危機で成功を収め、その後の超円高、アベノミクス相場では齋藤ジンさんのアドバイスを受けて信頼関係を築いていったと言われていますが、性的マイノリティの方々はこうした融通が効く性格を持っているというのは面白いな、と。

 日経のインタビューで齋藤ジンさんが「トランプ支持者の凄いところは、補助金をくれとはいわず、仕事をくれ、と要求したこと」と言っていましたが、これからも注目していきたいと思います。

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October 23, 2025

『天才作戦家マンシュタイン「ドイツ国防軍最高の頭脳」 その限界』大木毅

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『天才作戦家マンシュタイン「ドイツ国防軍最高の頭脳」 その限界』大木毅、角川新書

 陸軍の強いドイツで、マンシュタインはロンメルと並んで旧軍の良心、救いのような扱いを受けます。それは島国日本の帝国海軍における山本五十六や山口多聞のような存在なのかな、と。しかも、第二次大戦後の旧ソ連の軍事力と対峙しなければならなかった旧西ドイツにとって、作戦の妙を以てすればソ連軍も撃退可能だというマンシュタインは希望の存在にさえなっていったという生涯を大木「独ソ戦」毅先生がまとめてくれたのがこの本。

 マンシュタインはドイツ陸軍一家のサラブレッドのような生まれでしたが、初戦となった第一次大戦でも今日なお重要な戦術とみなされている「弾性防御」を編み出したロスベルクと邂逅するなど人脈的にもエリート街道を歩んでいき、別格扱いで「半神」とまで称された参謀将校への階段を昇っていきます。

 ちなみに、この《ロスベルクは、前線指揮官が自主的に行動できるようにするため、極力広い権限を認めるべきだと訴えていた。その主張は、「遊動防御」の根本思想と通底していたし、ドイツ軍の伝統である権限の下方移譲により、指揮官に臨機応変の対応を許す方法、「委任戦術」(Auftragstaktik)の線に沿った議論といえる。なお、この「遊動防御」は、第一次世界大戦以降、各国陸軍の防御戦術のスタンダードとなり、現在では英語由来の「弾性防御」(elasticdefense)として知られている》(k.604)。

 前線死守ではなく、必要とあれば一時退却、機動戦力で反撃して失地を取り戻すという戦いは、第二次世界大戦でマンシュタインが自在に使いこなす戦法となりますが、カイザーの命令さえも「将、外にあっては、君命も奉ぜざるあり」という孫子の一節を思わせる戦いぶりで一時はパリに迫る勢いを示したものの、やがて戦線は膠着し、本国で革命が生じ、帝政が倒れてドイツは敗北します。

 《マンシュタインは、講和条約の調印を拒否して、交戦に踏み切るほうが、「長い眼でみれば、守れるはずもないヴェルサイユ講和条約の条件を突きつけられたがゆえに、ヒトラーと第二次世界大戦にみちびかれていった道よりもましだったのでは?」との、死児の齢を数えるがごとき反実仮想を『自伝』に記している》(k.757)そうです。

 やがて混乱の中でヒトラーが政権を奪取し、総統となって軍人にも個人的な忠誠を求めるようになりますが、《かつての参謀総長は「帷幄上奏権」、国家元首に直接意見具申する権利を有しており、政治の責任者に対する軍事の筆頭アドバイザーであった。しかし、ドイツ帝国の崩壊とそれに続く共和国時代の組織・制度の変遷を経て、陸軍参謀総長は、元首たる総統アドルフ・ヒトラーに直属するのではなく、国防大臣(国防軍の最高司令官でもある)ならびに陸軍総司令官がそのあいだに介在するようになっていたのである》(k.1422)。こうしたことがヒトラーによるマイクロ・マネジントを招き、スターリングラード以降の敗戦を呼び込むわけです。

 事態はポーランド侵攻=第二次大戦の勃発に向かっていきます。この過程で、ドイツ国防軍はもしイギリスが軍事的に介入してきた場合には、ヒトラーを逮捕し、権力の座から排するとしたクーデター計画を練るのですが、ヒトラーはソ連との不可侵条約締結という奇策でしのぎます。元々、ソ連との不可侵条約は《日本の外務省と海軍が締結に傾こうとしなかったからだ。業を煮やしたヒトラーは、宿敵であったはずのソ連と手を握り、日本の代わりに英仏牽制の役割を担わせようとした》(k.1968)という背景があったようです。

 ドイツは連合軍の主力を包囲し、イギリス遠征軍もダンケルクに追いつめられたというのに、ヒトラーはドイツ装甲部隊に謎の停止を命じて大魚を逃すのですが、こうしたマイクロマネジメントがやがてヒトラー自身を追い詰めていきます。

 ソ連に宣戦布告したヒトラーはモスクワ前面まで進みながら力尽き《厳冬(一九四一年から四二年にかけての冬は、観測史上稀な極寒であった)のなかに消耗していくのをみたスターリンは、全戦線にわたる大反攻を命じ》、ドイツ軍は敗北を重ねていきます。

 いったんソ連軍の反撃をセヴァストポリの勝利によって覆したマンシュタインは、包囲下にあるレニングラードの攻略に向かいますが、包囲を破ることはできず、ドイツの第六軍は降伏。この敗北によって、ドイツ軍は戦略的な意義を持つ攻勢を実行する能力を失い、マンシュタインは「引き分け」のかたちで戦争終結に持ち込むことを構想していきます。しかし、ヒトラーによるスターリングラード死守命令のような硬直的な指揮はドイツ軍を加速度的な敗北に追い込んでいきます。

 ソ連軍の反抗は《攻勢の主役となっていたのは、ニコライ・F・ヴァトゥーチン大将率いる南西正面軍であったが、彼は、前面のドイツ軍がきわめて弱体化していることを察し、ドン軍集団の後背部、マリウポリめざして突進すべきだと考えた。かかる機動は、ドンバス地域にある敵の退路を遮断し、南部ロシアにおける抵抗を不可能とするであろう》(k.3403)とか《一月二〇日、赤軍大本営は「疾走」作戦を承認した。二九日に攻勢は発動され、南西正面軍の快速部隊は、作戦発動から七日でマリウポリに到達、また、ザポロジェ(ザポリージャ)とドニエプロペトロフスク(ドニプロ)付近のドニエプル川渡河点を押さえた》(k.3411)など、現在のプーチンによるウクライナ侵攻の激戦地をめぐるものでした。

 ここでもいったんマンシュタインは奇跡的な指揮で一九四二年の「青」作戦開始時に保持していた地域をほぼ回復したのですが、戦術次元のことにまで介入したがるヒトラーのマイクロ・マネジメントの弊害はさらにひどくなり、やがてドイツ軍は物量に押されていきます。ソ連軍将兵の損害は50万人に及びましたが、そこからも回復可能であったのに対し、ドイツ軍は攻勢に対応するポテンシャルを失っていました。

 そしてドニエプル川を防御線として戦うことを目指したマンシュタインの作戦はヒトラーからの「ドニエプル湾曲部やニコポリの放棄は戦争遂行上許されない」という命令によって台無しになってしまいます。

 戦後は一時、逮捕、拘留されますが、イギリス人の中からも支持者が現れ、やがて冷戦の緊迫化とともにマンシュタインは再評価されていきますが、これから以降はどうぞ本書をお読みください。

【目次】
序章 裁かれた元帥
第一章 マンシュタイン像の変遷 テーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼ
第二章 サラブレッド
第三章 第一次世界大戦から国防軍編入まで
第四章 ライヒスヴェーア時代
第五章 ヒトラー独裁下の参謀将校
第六章 作戦課長から参謀次長へ
第七章 立ちこめる戦雲
第八章 「白号」作戦の光と影
第九章 作戦次元で戦略的不利を相殺する
第一〇章 作戦次元の手腕 軍団長時代
第一一章 大要塞に挑む
第一二章 敗中勝機を識る
第一三章 「城塞」成らず
第一四章 南方軍集団の落日
第一五章 残光
終章 天才作戦家の限界
あとがき 
主要参考文献

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September 28, 2025

『百人一首 編纂がひらく小宇宙』田渕句美子

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『百人一首 編纂がひらく小宇宙』 田渕句美子、岩波新書 

 これもジムでトレーニングしながらAudibleで聞いた本です。

 聞き終えて、あらためて基礎情報をまとめなおしてみました。

 最初は基礎情報。『百人一首』は小倉山荘で藤原定家が編纂したと一般的に考えられてきましたが、1951年、有吉保によって存在が明らかになった『百人秀歌』との比較で、定家が編纂した『百人秀歌』を元に後代のアンソロジストが『百人一首』をまとめたと考えられるようになってきました。

 藤原定家が編纂した『百人秀歌』は京都在住の鎌倉幕府有力御家人であった宇都宮蓮生に献呈されますが、『百人一首』と比べて97首は同じですが、後鳥羽院と順徳院の歌が『百人一首』には含まれていません。

 具体的に『百人一首』にあって『百人秀歌』にない歌は以下の二つです。

人も惜し人も恨めしあぢきなく世を思ふゆえに物思ふ身は(後鳥羽院)

百敷や古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり(順徳院)

 

 元になった『百人秀歌』は合計101首の歌が収められていますが、『百人一首』にない歌は次の三つ。

夜もすがら契りしことを忘れずは恋ひむ涙の色ぞゆかしき(一条院皇后宮[中宮定子])

春日野の下萌えわたる草の上につれなく見ゆる春の淡雪(権中納言国信)

紀の国の由良の岬に拾ふてふたまさかにだに逢ひ見てしがな(権中納言長方)

 つまり101首の『百人秀歌』からマイナス3で98首となり、『百人一首』を再編集した人物が、そこに承久の乱で退位させられた二人の悲劇の天皇の歌を最後に加えて100首にしたと考えられています。

 承久の乱の記憶がまだ鮮明な時代に、鎌倉幕府につらなる宇都宮家の僧、蓮生に献呈した『百人秀歌』に、いわば下手人の後鳥羽院と順徳院の歌は入れられなかったろう、と推察できます。そして、後の歌道研究者が天智天皇の「秋の田の かりほの庵の苫をあらみ わが衣手は露にぬれつつ」から始まる『百人秀歌』を和歌の歴史全体をより感じやすくするために後鳥羽院と順徳院の歌が締めくくったのではないか、というのがこの本の結論です。

 このほか、42番『契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山波越さじとは契』の「しぼりつつ」に関して「しほる」は「涙などで濡れる」という新しい解釈の可能性の紹介もされていました。

 最後に個人的な話しを。宙組の『宝塚110年の恋のうた』は式子内親王に恋する藤原定家という物語調で和物のショーが進行していきました。

 『百人秀歌』で定家が選んだ式子内親王の歌は『玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする』ですが、これは題詠というバーチャルな歌の世界で、男の視点で歌った歌。

 一方、定家の歌は『来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに 焼くや 藻塩の 身もこがれつつ』も題詠で、ここでは定家が女性の気持ちになって恋のを歌っています。

 つまり、『宝塚110年の恋のうた』は女装した定家が男装の式子内親王が恋におちるという設定にもなるわけで、その奥深さは素晴らしいな、と(大伴家持の元歌も知らずに『海ゆかば』を批判しなくてすんで良かった、と胸をなでおろしますw)。

[目次]

序 章 『百人一首』とは何か――その始原へ

第一章 『百人一首』に至る道
 1 勅撰和歌集というアンソロジー――撰歌と編纂の魔術
 2 八代集という基盤――「私」から複数の人格へ
 3 『三十六人撰』から『百人一首』へ――〈三十六〉と〈百〉の意味

第二章 『百人一首』の成立を解きほぐす
 1 アンソロジスト藤原定家の登場――編纂される和歌と物語
 2 『百人秀歌』と『百人一首』――二つの差異から見えるもの
 3 贈与品としての『百人秀歌』――権力と血縁の中に置き直す
 4 定家『明月記』を丹念に読む――事実のピースを集めて

第三章 『百人一首』編纂の構図
 1 『百人一首』とその編者――定家からの離陸
 2 配列構成の仕掛け――対照と連鎖の形成
 3 歴史を紡ぐ物語――舞台での変貌
 4 和歌を読み解く――更新される解釈
 5 『時代不同歌合』との併走――後鳥羽院と定家

第四章 時代の中で担ったもの
 1 歌仙絵と小倉色紙――積み重なる虚実の伝説
 2 和歌の規範となる――『百人一首』の価値の拡大
 3 異種百人一首の編纂――世界を入れる箱として
 4 『百人一首』の浸透――江戸から現代まで

終 章 変貌する『百人一首』――普遍と多様と

 『百人秀歌』 『百人一首』所収和歌一覧

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September 26, 2025

『平成史 昨日の世界のすべて』與那覇潤

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『平成史 昨日の世界のすべて』與那覇潤、文芸春秋

 なんでも検索できる環境になって、我々は現在のトレンドの波に飲み込まれて、過去の歴史からのつながりから「いま」を考える思考方法を失ってはいないか、という問題意識から、インターネット上の情報があふれるようになった平成史をさぐるのが本書。

 平成はマルクス主義と昭和天皇という「ふたりの父の死」とともに始まり、二つの大震災とコロナ禍を挟んで天皇の譲位で終わりました。

 《昭和の日本で猛威を振るったマルクス主義も天皇主義(?)も、「どう考え、いかに行動すべきか」の指針を示してくれる点は共通なのですが、その学び方には大きな違いがあります。前者(左翼)は『資本論』をはじめとしたテキストの解釈、すなわち「言語を通じた読解」で身につけるものなのに対して、後者(右翼)は天皇というひとりの人格の「身体を模倣した習得」で学ぶ(まねぶ)ところに、それぞれの特徴が表れています》(k.349)が《身体を排除し「言語に徹する」のは怖いことでもあって、「理論的に考えて、不同意の人間は「殲滅」するしかない」といった極論を止められないことがある。たとえばフランス革命中に恐怖政治を展開した元祖・極左のロベスピエールは、パンフレット等の「ことばで書かれたもの」の力だけで、(一時的な)最高指導者に昇りつめた人物とされています(k.368)》。そして《さらにややこしいことに、純粋に言語だけで人びとを組織し続けるのは難しいので、やがて当の左翼の中から「絶対的な指導者の身体」を有する(と見なされる)人物が出てきます。1930年代以降のソヴィエト連邦で人類全体の教師に喩えられたスターリン(53年死去)が典型で、あらゆる学問はむろんのこと、芸術的になにが優れているかの基準まで、全部スターリンに決めてもらうといったことが起きるわけです(k.372、kはkindle番号)》。

 昭和と平成は20世紀から21世紀をまたいだわけですが、その20世紀はナチスとスターリニズムの勃興と滅亡を持ったことで、人間の獣性と悪と直接的暴力に直面する機会を得て、性善説を捨て去ることができ、21世紀はトランプを持ったことで、民主主義を信じすぎることから免れる可能性を得た、ともいえるのかもしれません。やはり歴史は負の部分からの学びが多いわけで、インターネットから抽出される正解から得られるものは限界がありそうです。

 こうして《20世紀末から生じた「言語よりも身体優位」の風潮は、問題を起こす人の心を言語化して理解するというより、生理的な嫌悪感に基づき物理的に排除する方向へと帰着》(k.3747)する、というのが全体の流れでしょうか。

 政治的に平成は《「ポスト冷戦」とともに始まった――とは、この時代を扱うほぼすべての論説に記されています。しかし昭和天皇と社会主義の「死」がともに同じ年に起きたことの意味を、ほかならぬ日本人の視点から掘り下げる作業は、意外にもあまりなされてこなかったのではないでしょうか。 ひとことでいえば、1989年の1年間を通じて、日本人が思考する上での参照軸、「左右」の二つの芯棒がともに折れたのです。平成史とはそこからの再建の物語であり、そしてそれが挫折する悲喜劇でもあります》(k.305)。

 その平成の日本政治については首相たちの寸評が面白かった。

 《田中角栄の時代までは、自民党の側も「補助金で黙らせればいい」という対応ですんだのですが、田中内閣(1972~74年)のもとで生じた財政の膨張により、保守派にも「国民に官からの自立を促し、政府を維持可能な規模に縮小する思想」が必要とされてきます。その機をとらえて活躍したのが香山や、前章でふれた村上泰亮、その共同研究者だった佐藤誠三郎(政治学。32年生で改元時に56歳)らでした》(k.1216)ということですが、『反古典の政治経済学』村上泰亮はいつか読んでみたいと思います。

 細川政権についての《幕藩体制の「分権性」を評価する細川護熙=香山健一のビジョンもまた、そうした視点を共有するものであり、中北氏はこうした―80年代のポストモダン右派的な―ビジョンを「日本型多元主義」と呼んでいます》(k.1224)という視点はなるほどな、と。

 《小沢一郎や、逆に自民党の側で改革を推進した橋本龍太郎らを「六〇年代末からの学生運動や住民運動などの隆盛を、「体制側最若手」として受け止めた」、「運動側が主張する「戦後民主主義の欺瞞」や「体制破壊」には同意できなくとも、体制に内部改革が必要であるという認識は持っていたはず(69)」の人びと》(k.1314)だという政治学者の待鳥聡史(1971年生の団塊ジュニア世代)の指摘はなるほどな、と。

 そして1993年に発足した非自民連立政権は「転向を知らない子どもたち」のクーデターだった、と。

 福田赳夫についての《戦時下で汪兆銘政権の財政顧問を務めた福田は、1967年から都知事として革新自治体の雄となる美濃部亮吉とも、彼を庇護した大陸浪人出身の福家俊一(自民党衆院議員)を通じてコネがあり、国交正常化以前に周恩来首相とのパイプ役を依頼したほか、79年の都政奪還時にも暗黙の合意を得ていました(k.4756)》というのは知らなかったな…。

 このほか、革新自治体の誕生は自民党支持層の変化についての見方も面白かった。《砂原さんが注目するのは意外にも、GHQによる占領下に行われて戦後日本の税制を規定した「シャウプ勧告」(1949~50年)です。そもそも戦時体制下ですでに、戦後の地方交付税交付金の原型となる「都市の富を農村に回す」制度は作られていましたが、シャウプ勧告はそれを追認したほか、事業税・入場税・遊興飲食税など都心部から得られる税収を(市町村ではなく)道府県に割り当てたため、いわば大都市は国と上部自治体(県)から二重に「搾取」される構造が生まれました。 70年代に都市部で勃興した革新自治体は、そうした状況への異議申し立てでしたが、当時はまだ霞が関に比して地元の権限が弱く、また担い手の左派政党が反・資本主義のイデオロギーに固執して柔軟性を欠いたこともあり、やがて住民は「支持政党なし」に陥るか、自民党に回帰してゆきました(k.5505)》。

 《菅首相―仙谷長官が取り仕切った民主党政権中期は、そうした時代に出された「答え」としてのニューレフトがようやく、国の中枢に到達した瞬間でもありました》(k.5591)というのもなるほどな、と思い前田和男『民主党政権への伏流』も読んでみました。個人的に民主党政権は本当に期待しましたが《菅~野田内閣は、「左」が現実主義を取り入れ、「右」は単なる現状追認ではない思想性を持って歩み寄ることが、新たな時代を切り開くと信じられた戦後後期の潮流の残り火(k.6209)》となってしまいました。《1993年5月にも、連合の初代会長・山岸章が改革派の有力知事に書簡を送り、地方自治体から積み上げての政権奪取を目指す「殿様連合構想」があったが、翌月の衆院解散を経てにわかに細川非自民政権が成立したため、画餅に終わったことがあった(前田和男、前掲『民主党政権への伏流』、252-261・305-307頁)。見方によっては、維新の会はちょうど逆の方向で失敗したともいえよう。432 前掲『幻滅の政権交代』、561頁(k.6398)》というのは知らなかったな。

 このほか、面白かったところをあげていきます。

 《カント的とは、「現実としてこういう流れがあるから」といった論法とは完全に切れたところで、ストレートに「全員が従うべき規範、価値観」を追求するスタイル》(k.3993)というクリアカットさは初めて。

 コジェーヴ『ヘーゲル読解入門』の「日本化についての註」に関しての解説で《「進歩」のように万人にとって有意味な物語を紡げなくなると、人間は茶道のお碗を右から回すか左から回すかといった風な、「本質的にはどっちでもいい拘り」に意味を見出して生きていくだろう、という趣旨》(k.858)というのは初めて読みました。

 《ハンチントンの主眼はフクヤマの『歴史の終わり』への批判にあり、西洋的な近代社会を「全人類のゴール」ではなく、数ある文明類型のひとつへと相対化することで、全世界をアメリカの流儀で統治しようといった「世界の警察官」構想を抑止するという趣旨でした(137)。しかしその後の国際政治の展開は、同書をむしろ「多文化共生なんて幻想。異なる文明とは対決しかない」といった、ニヒリズムの書物として受容させていく(k.2331)》

 《1994年春に東大駒場の新科目「基礎演習」のテキストと銘打った『知の技法』が、1年間で30万部を売り上げて話題を呼びますが、編者の小林康夫さん(表象文化論)と船曳建夫さん(文化人類学)はともに東大紛争の闘士でした(70)。かつて大学を「解放区」にしようとした世代が、カリキュラムの内容を公刊し「開放区」を作ることで、内実が見えにくかった象牙の塔をオープンにする試みだったともいえます》(k.1330)というのは知らなかったです。

 この間、個人的に息苦しくなってきていると感じる原因はコンプライアンス界隈の跋扈でしょうか。《この社会は確実に「画一化」もしています。昭和の時代には「政治家なら裏金くらいあって当然」・「芸能人だもの、不倫のひとつやふたつは当たりまえ」ですまされたことが、よし悪しは別にしてもう通らない。 ローカルな慣習や暗黙の合意で処理されてきた事案が、ひとたび白日の下にさらされるや、非常識きわまる利権として糾弾が殺到し、だれも弁護に立つことができない(k.132)》ようになりました。

 平成はアニメや漫画がサブカルの王者として君臨した時代だったとも思うのですが、エヴァとジブリについては紙幅をかなりさいています。

 『旧エヴァ』は14歳の碇シンジの失敗し続けるビルドゥングスロマン(成長物語)であり、父・ゲンドウは暴力をためらう冬月のような甘っちょろい(または、平和ボケした)インテリ教授の権威を転覆して、権謀術数に手を染め「解放区」のように治外法権が許される特務機関ネルフの支配者におさまったが、いかに「父になれない」存在かが主題だった。しかし、ゲンドウの内面は空疎であり、「全共闘世代は父になれるか」こそが、『旧エヴァ』の命題ではなかったか、というのは初めて読みました。

 ジブリについては、満洲国の最高幹部の東條英機・松岡洋右・岸信介らは憲法にすら縛られない放埒な経営を経験したことで、内地の政界に戻って戦時体制を指揮。そして、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』で敵役を演じるトルメキアの遠征軍の描写は満洲国の戯画になっている、という見取りもなるほどな、と。

 《普通なら高畑さんはもう映画を撮れないところですが、作品に流れる「マルキストの香り」を愛して支援を続けたのが、共産党からの転向者で(『もののけ姫』の世界観にも影響を与えた)網野善彦の親友でもあった日本テレビの実力者・氏家齊一郎》(k.2387)で、《2013年の遺作『かぐや姫の物語』では、11年に逝去していたにもかかわらず氏家が製作としてクレジットされましたが、日本古典を民衆の目線で映画化する構想には、朝鮮戦争下で網野らがとりくんだ「国民的歴史学運動」の残響を聞くこともできるでしょう(k.2393)》というのは知らなかったな…。

 他のアニメ作品については《八〇年代は押井守監督の『うる星やつら/ビューティフル・ドリーマー』〔84年の劇場アニメ映画〕に象徴されるだろう。主人公たちは学園祭の前夜の時間の内に閉じこめられてしまう。いつまでたっても学園祭の当日はやってこない。永遠に終わらない前夜祭――。覚醒することのない美しい夢(ビューティフル・ドリーム)。それが八〇年代精神である。 もっともよくその精神を受け継いだ宮台真司は、過酷な九〇年代を闘い抜き、今日へと至った。まるで今夜の宮台の結婚パーティーこそは、その後夜祭のように見えると。〝前夜祭〟から〝後夜祭〟へ。そして……。「結局、〝学園祭〟はなかったんだよ」 そんなふうに私は呟いていた(k.5453)》という見方はなるほどな、と。

 1993年に発足した欧州連合(EU)は中世期のカトリック圏と重なり《EUに至る礎を築いた戦後初期の欧州統合論者――仏外相シューマン、西独首相アデナウアー、伊首相デ・ガスペリらは、いずれもカトリックだった(板橋拓己「黒いヨーロッパ ドイツにおけるキリスト教保守派の「西洋」主義」遠藤乾・板橋拓己) 》(k.2581)というのは知らなかったな…。

 《イタリア共産党が第二次大戦末期のパルチザン活動を通じて、サレルノの転換(44年)とよばれる広範な反ファシズム勢力との提携に踏み切ったのと対照的に(193)、党幹部全員が投獄されていた日本共産党ではむしろ「獄中非転向」の神話が形成され、妥協の拒否こそがモラルとなっていったのです(k.3048)》というのも分かりやすい。

 教育勅語が勅語だったのは《文面上は国家が上から義務を課すというより、君主が道徳的に見て立派なふるまいをし、国民(臣民)がそれに倣って暮らすことで住みよい社会ができるとするタテマエであり、だからこそ法令ではなく「勅語」の形式をとった。いま風にいえば天皇こそが最強の「インフルエンサー」だということですが、こうした発想は明治の盛期に生まれて敗戦直後に東大総長(1945~51年)を務め、社会主義陣営も含めた全面講和を唱えた南原繁(1889年生)の世代までは前提でした。そうした君主崇拝は民主主義にふさわしくないのでは、とする感性が定着するのは、大正生まれだった弟子の丸山眞男(1914年生)の世代からです》(k.325)というのはなるほどな、と。

 ちょっと残念だったのは小泉・竹中の規制緩和、アベノミクスへの評価が浅すぎたこと。専門でないことはわかりますが、それこそネット世論に流されすぎていると感じました。

[目次]
序 蒼々たる霧のなかで

第Ⅰ部 子どもたちの楽園

第1章 崩壊というはじまり:1989・1ー1990
ふたりの父の「崩御」
消えた左右の抑圧/父なき社会への助走
子どもたちが踊りはじめる

第2章 奇妙な主体化:1991ー1992
運動しはじめる子どもたち
気分は「近代以降」(ポスト・モダン)
大学の変容が始まる/昭和の老兵が去りゆく

第3章 知られざるクーデター:1993ー1994
フェイクニュースだった大疑獄?/密やかな「父殺し」
転向者たちの平成
女という前衛を夢みて

第4章 砕けゆく帝国:1995
エヴァ、戦後のむこうに
帝国の造りしもの
連立の価値は
組織のかたち 人のかたち

第5章 喪われた歴史:1996ー1997
「戦後の神々」の黄昏
「戦前回帰」は起きたのか
死産した「歴史修正主義」
イノセントな時代の終わり

第Ⅱ部 暗転のなかの模索

第6章 身体への鬱転:1998ー2000
自殺した分析医
帰還兵の暴走
届かない郵便
「脱冷戦」政治の終わり

第7章 コラージュの新世紀:2001ー2002
エキシビションだった改革
地方への白色革命/崩壊するアソシエーション
SNSなきインフルエンサー

第8章 進歩への退行:2003ー2004
凪の二年間
工学化される「心」
韓国化される日本?
希望の居場所はどこに

第9章 保守という気分:2005ー2006
リベラルと改革の離婚
「あえて」の罠
ノスタルジアの外部
子どもたちの運命が分かれる

第10章 消えゆく中道:2007ー2008
現在の鏡のように
ひき裂かれた言論空間
セカイから遠く離れて
リブートされる平成

第11章 遅すぎた祝祭:2009ー2010
市民参加の果てに
あきらめの倫理学?
軽躁化する地方自治
「後期戦後」の終焉

第Ⅲ部 成熟は受苦のかなたに

第12章 「近代」の秋:2011ー2012
デモへと砕けた政治
「知識人」は再生したか
機動戦の蹉跌
残り火が消えるように

第13章 転向の季節:2013ー2014
知性の経済的帰結
失われた「マジ」を求めて
歴史の墓地
「戦後」という父が、帰る

第14章 閉ざされる円環:2015ー2017
平成知識人の葬送
世界が「セカイ」になるとき
欠け落ちてゆく内面
新時代への模索

第15章 はじまりの終わり:2018ー2019・4
西洋近代に殉じて
再東洋化するルネサンス
令和くん、こんにちは
いまでも平成(あなた)はわたしの光

跋 歴史がおわったあとに

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