June 20, 2022

『ビーバー: 世界を救う可愛いすぎる生物』

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『ビーバー: 世界を救う可愛いすぎる生物』ベン・ゴールドファーブ、木高恵子(訳)、草思社

 久々に読書を純粋に楽しみました。

 他の本も読みながら、ゆっくりと。

 出かける時に、註を含めると500頁を超えるぶ厚い本を持ち出すのは大変でしたが、それ以上の喜びを得ることができました。

 なにしろビーバーは健気で可愛い。

 北米大陸の生態系をつくっていたビーバー(カストル・カナデンシス)が欧州からの移民と西部開拓によって米国内ではほとんど絶滅寸前となり、その結果、イエローストーン国立公園を流れる河川も修復不可能なほど痛めつけられていたというのは驚きでした。

 ビーバーダムは夏には干上がってしまうような川でも地下水涵養能力を高めるとのことですが、ビーバーがいなくなったイエローストーン国立公園は、いま大雨による洪水と大規模な土砂崩れが発生。公園内の道路が濁流によって崩落したほどだそうです。

 それは、シカの異常繁殖によって河川を守る草木が食べ尽くされ、土が浸食されて潰滅的な状態となり、保水能力を失っていたからなんだろうな、と(第八章によると実際、ビーバーを移転させようとしても難しいほどだそうです)。

 アメリカの西部開拓は高価なビーバーの毛皮目当てという側面も大きかったというのも初めて知りました。

 河川を自然状態に保ち、魚や鳥、両生類などの住み処を与えていたビーバーダムがなくなると、大地と川は保水能力を失い、カリフォルニア州などは慢性的な水不足に悩んでいるんだな、というのも納得です(映画『チャイナ・タウン』あたりでも水不足が描かれていましたっけ)。

 同じようにグレートブリテン島からもヨーロッパビーバー(Castor fiber)はいなくなり、水不足に悩んでいるのかな、と。

 家畜の管理放牧(河川に近づかせない)とビーバーの移転によって荒廃したネバダ州の川が復活していった写真は感動的です(p.81の反対側のカラー頁)。

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 人間の手による土木的生態系復元には、全米で12万6000人が従事しているそうですが、時として短期的な目標設定によって失敗するよりも《高い能力と労働力を無償で提供し、高価な介入の必要性を排除する》ビーバーに任せた方がいい、というのが著者の結論。《彼らは、人間が常に最善の方法を知っているわけではないということを、四本の脚で証明している。生態系に対する私たちの記憶は短期的で間違っていることが多いが、彼らの本能は確実で永遠である》と(p.466)。

 日本列島にはユーラシア大陸経由のビーバーはやって来なかったようですが、愛らしい姿を野生で見たくなりました。

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May 29, 2022

『NHK 100分 de 名著 アリストテレス『ニコマコス倫理学』』

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『NHK 100分 de 名著 アリストテレス『ニコマコス倫理学』』山本芳久、NHK出版

『ニコマコス倫理学』は社会的生活において徳を身につけて幸福になる方法について書かれています。いわば古代のハウツー本みたいな印象。しかも「幸福」は遠くにあるものではなく、「いま、ここ」の自分の行為に関係してくる、みたいな。そして《アリストテレスは、「よい人間」は「よい共同体」のなかではじめて生まれてくるものであり、「よい共同体」を担う存在は「よい人間」であると考え、倫理学と政治学を不可分のものと捉えていました》とクリアカット説明してくれたのが「100分で名著」。

それはそれとして何ヵ所かギリシア語のサビ落としをしていて気になったところを書いてみます。

「倫理学」は、ギリシア語の「タ・エーティカ(τα ηθικα)」で、人柄(エトス、ἔτος)や習慣(エートス、ηθos)」の積み重ねから生じてくるというアリストテレスの考えから生じると説明されていますが、このηθosは1コリ13:33の「悪い交わりは、良い習慣を損なう」で使われていて、それはメナンドロスの喜劇『タイス』(あるいはエウリピデス、ディオドロス)の引用とみなされています。パウロは古典ギリシア語の教養を確かに持っていんだな、と説明されるところ。

習慣を重要視するアリストテレスにとってアクラシア(ἀκρασία)「自制心のなさ」は大敵となります。「意志の弱さ」「悪い行為だと自覚しているのに手を染めてしまう心の傾向」とも訳されますが、新約ではここでも1コリの7:5が有名でしょうか《互いに相手を拒まないように。ただ、祈りに専念するため、合意の上しばらく禁欲し、また一緒になるというのならかまいません。これは、自分を制する力がないのに乗じて、サタンがあなた方を誘惑するようなことになるといけないからです》の「自分を制する力」が「アクラシア」です。

賢明に判断できる能力を指すフロネシス(φρoνησιs)はアリストテレスが重視した概念ですが、パウロはロマ11:25でも「兄弟たちよ。あなたがたが自分で賢いと思わないために、この奥義を知らないでいてもらいたくない」で、否定的なニュアンスにしても使われています。古典ギリシア語の素養は持ちつつも、自力救済は否定する、みたいな感じでしょうか。

個人的には山本芳久先生がハイデガーもスピノザも何ページ目かで読めなくなりました(k.63)と「はじめに」で書いているところは共感しました。『哲学者廣松渉の告白的回想録』廣松渉、小林敏明、河出書房新社でもヘーゲルの『小論理学』『大論理学』『法哲学』などは「要するに、何も分からないけれども、ただ一生懸命読んだ(笑)」(p.125)と告白していますが、個人的に勇気づけらますw

学生の頃読んだ本はなかなか読み返す機会がないし、哲学書は無手勝流で読んでいたので、NHKの「100分で名著」でアリストテレス『ニコマコス倫理学』が取り上げらたのは嬉しかったです。昔読んだ時には、有用性に基づく友愛は老人たちの間に良くみられるなんていう箇所(八巻三章)は読み飛ばしていたな、とか考えながら読めたのは本当にありがたかった。

以下は印象に残ったところを箇条書きで(k.はkindleの位置No.)

倫理学は哲学の一分野で、ひと言で言えば「いかによく生きるか」を考える学問です。単に考えるだけでなく、それを実践に応用することに力点を置く学問でもある。そうした意味で、倫理学は「実践哲学」と呼ばれることもあります(k.54)

哲学においては、入門的な本と、本格的な哲学書を読むこととのあいだに大きなギャップがあり、そこを埋める機会が非常に少ないという問題がある(k.82)

アリストテレスは、人は徳を身につけてこそはじめて幸福を実現できると考えました。そのため、彼の倫理学では、人間としての力量である徳を身につけることが核になってきます(k.157)

(目的論的倫理学)では「善」が一つの大きなキーワードになります。「幸福とは最高善である」と(k.166)

最高によいものを探究していくという立場が幸福論的倫理学です。これとしばしば対比されるのが、「義務論的倫理学」です。これは読んで字のごとく、「〇〇すべきだ」という義務や、「〇〇してはいけない」という禁止に基づいて倫理を考える学問です。その代表的論者がイマヌエル・カントです。カントは、人間は義務に基づいた行為をする必要があり、道徳法則に対する尊敬が重要であると主張します(k.169)

「何のために幸福になるのか」とは問わず、「幸福になる」ことが人間の行為のすべてを支えている究極的な目的としてあるのだと考える。(k.244)

アリストテレスは、こうした様々な学問を大きく三つに分類しました。理論的学、実践的学、制作的学の三つです(k.256)

アリストテレスは、「よい人間」は「よい共同体」のなかではじめて生まれてくるものであり、「よい共同体」を担う存在は「よい人間」であると考え、倫理学と政治学を不可分のものと捉えていました。実際、『ニコマコス倫理学』の最後は「それでは、最初のところから論じることにしよう」という一文で結ばれており、これは『政治学』という本に橋渡しする役割を持っています。(k.263)

世の中には必然的な真理を求めるべき対象もあれば、そうではないものもある。そのことを柔軟に捉えきれていないのです(k.318)

人生経験の少ない若者にはそれを的確に学ぶことはできないのだ、とアリストテレスは述べている(k.356)

アリストテレスの倫理学は、「徳」を身につけることで「性格」をよりよい方向に変容させていき、それによって「幸福」を実現するという基本構造を有しています(k.373)

〈性格の徳〉の方は習慣から形成されるのであって、ここから「性格の(エーティケー)」という呼び名も「習慣(エトス)」という言葉を少し変化させてつくられた(k.376)

「タ・エーティカ」という名詞形が『ニコマコス倫理学』の原題(k.393)

倫理学の原点であるアリストテレスの著作のタイトルは「タ・エーティカ」、つまり「人柄に関わることども」の探求という意味(k.396)

究極目的としての「幸福」は、単にはるか遠くにあるのではなく、「いま、ここ」の自分の行為に常に意味を与え続けている(k.451)

アリストテレスが使う「善」という言葉には、大きく分けて三つの意味が含まれています。「道徳的善」「有用的善」「快楽的善」の三つ(k.470)

実際に私たちが「よい」という言葉を使うとき、かなり多くのケースで「快楽的善」や「有用的善」の意味になっている(k.487)

「悪は、善の観点のもとにでなければ愛されることはない」というトマスの一節であり、アリストテレスが『ニコマコス倫理学』の冒頭で述べている、「あらゆる技術、あらゆる研究、同様にあらゆる行為も、選択も、すべてみな何らかの善を目指していると思われる」という一節(k.509)

カントは善悪に関わるラテン語の二義性を指摘したうえで、(道徳的な)善(Gute)、幸福(Wohl)、(道徳的な)悪(Bose)、不幸・禍い(Weh)を意味する言葉が別個に存在するドイツ語のほうが、倫理学について考えるにふさわしいと言います。なぜならば「われわれがある行為について、その行為の 善悪 を考慮するか、それともわれわれの 幸不幸(禍い)を考慮するかということは、二つのまったく別の価値評定となる」(同前) から(k.523)

「よく生きる(エウ・ゼーン)」ということ、あるいは「よくなす(エウ・プラッテイン)」ということを、「幸福である(エウダイモネイン)」ことと同じものと見なしているからである。しかし、幸福について、それが何であるかということになると、人々の意見はくい違い、大衆は知者たちと同じような説明を与えてはいない。なぜなら大衆は、幸福について快楽や富、名誉などのような、何かはっきりとした目に見えるようなものを考えているからであり、さらに彼らの間でもそれぞれに見方が異なっていて、しばしば同じ人でさえ、たとえば病気になれば健康を、貧乏なときには富をというように、自分の意見をくるくると変えるからである(k.544)

享楽の生活(アポラウスティコス・ビオス)」を愛好するのである。このように言ったのは、生活の種類には、今挙げられたもののほかに、「政治の生活(ポリーティコス・ビオス)」、そして第三に「観想の生活(テオーレーティコス・ビオス)という、およそ三つの主要な類型がある(k.557)

テオーリア」という名詞に由来します。「テオーリア」は英語の「セオリー」の語源で、「セオリー」は学説や理論という意味ですが、ギリシア語の「テオーリア」は「見ること」というくらいの意味です。「観想」と「観」の字を当てているのはそのため(k.574)

「観想的生活」と言われても、ぴんと来ない方が多いかもしれません。アリストテレスの幸福についての考え方は、現代的な言葉で言うと「自己実現」に重なる部分がかなりあります(k.584)

「可能性」や「現実化」という概念を最初に本格的な仕方でつくり出したのがアリストテレスなのです。日本語で「可能態」「現実態」と訳されるアリストテレスの用語がまさにそれです。 「現実態」は「エネルゲイア」というギリシア語の訳語であり、「可能態」は「デュナミス」というギリシア語の訳語です(k.589)。

人間が持っている能力・可能性で最も優れたものは何か。それは「理性」です。動物は持っておらず、人間だけが持っている「理性」という優れた能力をできるかぎり開発し、花開かせる(k.600)

分量的に『ニコマコス倫理学』の大半を占める内容、社会的生活において徳を身につけて幸福になる方法(k.649)

「アレテー」という言葉の意味をもう少し深く考えてみましょう。Liddell & Scott というギリシア語-英語辞典を引いてみると、一番目に「あらゆる種類のよさ、卓越性、とりわけ男らしい性質、力強さ」という意味(k.652)

徳はそういうもの(上から押しつけられるようなもの)ではなく、むしろ内に 漲っている力という意味なのです。人間が生まれながらに持っている可能性が実現し、より充実した力強い人間として優れた働きができるようになる、それを可能にするのが徳(k.656)

アリストテレスは、様々な徳のなかでも、極めて重要なものが四つあるとします。これはのちに「 枢要 徳」と呼ばれるようになるもので、「賢慮」「勇気」「節制」「正義」の四つ(k.664)

「賢慮」は「思慮」や「知慮」などとも訳され、ギリシア語では「フロネーシス」と言います。アリストテレス倫理学における最も重要な用語の一つ(k.667)

編者が自然学(ピュシカ)のあと(メタ)に置いたので「メタピュシカ」と呼ばれるようになり、明治期の哲学者・井上哲次郎は、『易経』の「形而上者謂之道」(形より上なるものはこれを道と謂い)を基に「形而上学」という訳語を創出(k.690)

「倫理学」という言葉は、ギリシア語で「タ・エーティカ」で、これは「性格の」「人柄の」といった意味の形容詞「エーティコス」に由来します。この形容詞は「エートス」という名詞に基づいています。「エトス(習慣)」と「エートス(性格、人柄)」が似ているのは偶然ではなく、人間の性格や人柄は習慣の積み重ねから生じてくるというのがアリストテレスの見解でした。どのような人柄を形成すれば全体として幸福な人生を送ることができるかを考察する学問が「倫理学」であり、その中心にあるのが「アレテー(徳)」というものなのです。
 徳のなかでも極めて重要なのが、 後の時代に「枢要徳」と呼ばれることとなる「賢慮」「勇気」「節制」「正義」の四つ(k.701)

思考の徳はその生まれと成長とを主として「教示(ディダスカリアー)」に負っており、まさにそれゆえに経験と時間とを要するが、それに対して〈性格の徳〉の方は習慣から形成されるのであって、ここから「性格の(エーティケー)」という呼び名も「習慣(エトス)」という言葉を少し変化させてつくられたのである(k.708)

古代の自然学においては、ものにはそれぞれ「固有の場所」があると考えられていました。重いものの「固有の場所」は下、軽いものの「固有の場所」は上といった具合です。重いものは手から離すと自ずと下に移動し、軽いものは上に移動する。石は重いものなので、自然によって下に落ちるように傾向づけられている(k.732)

ここでは、「徳」と「技術」の類似性という、重要な話が展開されています。アリストテレスは、技術に関する話として、「人は家を建てることによって建築家になり、竪琴を弾くことによって竪琴奏者になる」と言い、また徳に関する話として、「正しいことを行なうことによって、われわれは正しい人になり、節制あることを行なうことによって節制ある人になり、また勇気あることを行なうことによって、勇気ある人になる」と述べています(k.753)

アリストテレスの徳論は、一見すると個人の修練のような話ですが、そこには共同体や他者との関わりが含まれています。第1回で、アリストテレスにおいては倫理学は政治学の一部だと言いました。そのことは、徳と技術の話からも明らかでしょう。つまり、善き共同体(そこにおいて師匠やモデルが見出されます)があるからこそ、はじめて善い個人(徳を身につけた人)が生まれ、その善い個人が今度は共同体を支える軸になっていく(k.846)

「抑制のなさ」はアリストテレスの重要な概念で、ギリシア語で「アクラシア」(k.887)

アリストテレスは、人間には「わかっちゃいるけどやめられない」ことがあるとし、それを「抑制のなさ」と呼びました(k.889)

「放埒」は、ギリシア語で「アコラシア」と言います。
 これらを整理すると、「節制ある人」と「抑制ある人」においては理性が支配し、「抑制のない人」と「放埒な人」においては欲望が支配していると見ることができます。また、「節制ある人」「抑制ある人」「抑制のない人」は健全な理性を持っていて、「抑制ある人」「抑制のない人」「放埒な人」は悪しき欲望を持っているという共通点(k.891)

アリストテレス倫理学には「エンドクサ」という概念があります。「常識」とか「通念」などと訳されることもありますが、単なる一般常識や社会通念というよりは、むしろ、「優れた人々の共通見解」「(最終的な真偽はまだはっきりしないが)もっともらしいところのある見解」とでもいった意味(k.1010)

ホッブズは、「万人の万人に対する闘争」が人間の「自然状態」だという観点から、近代政治哲学の基盤となる『リヴァイアサン』という本を書きました。ホッブズはこうした人間観を、ローマの喜劇作家プラウトゥス(*2) の Homo homini lupus というラテン語を引用しながら表現しています。このラテン語は、「人間は人間にとって狼である」と訳されるものです。これに対し、『ニコマコス倫理学』におけるアリストテレスの人間観は、ラテン語で表現するならば、Homo homini amicus となります。日本語に訳すと、「人間は人間にとって友である」という意味(k.1035)

「類は友を呼ぶ」と日本のことわざに訳されている箇所は、直訳すれば「からすはからすのところに」となります。それとは反対に、ある人々は「相似た人たちはすべて、あの争い合う陶工たちである」と言う。同業者同士は嫉妬し合い、利害が衝突するのでうまくいかない。そういう見解(k.1061)

「愛されるもの(ピレートン)」とは何であるかが知られたなら、事情は明瞭になるであろう。なぜなら、すべてのものが愛されるわけではなく、愛されるものだけが愛されるのであって、愛されるものとは、(1) 善きものであるか、(2) 快いものであるか、(3) 有用なものであるかのいずれかだと考えられるから(k.1090)

『ニコマコス倫理学』の冒頭には、あらゆる行為は「何らかの善を目指している」と書かれていましたが、その「善」には、「道徳的善」「快楽的善」「有用的善」という三つの意味が含まれているという話をしました。それと同じことです。要するに、広い意味での「善」すなわち価値のあるものこそが「愛されるもの」であり、その「愛されるもの」の一つとして挙げられている「善きもの」とは、狭い意味での「善きもの」すなわち「道徳的善」に対応しています。「快いもの」が「快楽的善」に対応し、「有用なもの」が「有用的善」に対応しているのは、見て取りやすい(k.1098)

友愛とは、「応報(アンティペポントス)」が行なわれる場合の「好意(エウノイア)」だと考えられている(k.1113)

友愛が成立する条件は①相手に好意を抱く、②その好意が相互的なものである、③気づかれている、の三つが揃ったとき(k.1123)

「相手に好意を抱く」は、アリストテレスに特徴的な言い方では「相手に善を願う」となります。無生物に対して善を願うということはありえない。しかし、友に対しては善を願わなければならない。この「相手に善を願う」が、アリストテレスが考える友愛の核(k.1128)

『弁論術』のなかに「 妬み」についての記述があるのですが、そこでアリストテレスは、嫉妬とは他者の善を悲しむことだと言っています。たとえば、他者が価値あるものを手に入れたとき、一緒に喜ぶのではなく、「なんであいつがあれを手に入れたんだ」と悲しむ。それが「妬み」と呼ばれる感情だというわけです。妬みについて、これほど見事で簡潔な定義をほかに知りません。  それに対し、友愛とは「相手が価値あるものを手に入れるといいな」と願い、それをお互いに願い合うことです。『ニコマコス倫理学』においては、「善」が大きなキーワードの一つになると再三述べてきましたが、友愛の議論においても「善」が中核的な役割を果たしている(k.1133)

アリストテレスは、愛されるものが三種類あることに対応して、友愛にも三つの種類があると言います。①人柄の善さに基づいた友愛、②有用性に基づいた友愛、③快楽に基づいた友愛(k.1141)

このような友愛〔引用者註:有用性に基づいた友愛〕 は、とりわけ老人たちの間に見られ(なぜなら、そうした年齢の者たちは、快いものを追い求めるのではなく、有益なものを追い求めるからである)、また壮年の者たちや若者たちにおいても、利益を追求するかぎりの人々の間に見られるように思われる。
 のみならず、そのような人たちはお互いあまり生活を共にすることもない。なぜなら、時には、互いに相手を快く思わないことさえあるからである。(k.1169)

勇気であれ節制であれ正義であれ、習慣の積み重ねで築き上げられた徳には持続性があるため、善い人柄も同じく持続的で堅固なものであるとアリストテレスは考えている(k.1212)

アリストテレスの言う人柄の善い人というのは、単なる「お人好し」ではありません。人間として充実した在り方をしており、そのことに「喜び」を抱きつつ日々の生活を送っている人のこと(k.1221)

ここまで、アリストテレスの友愛に関する議論を、『ニコマコス倫理学』第八巻の冒頭三章を通して 瞥見 してきました(k.1232)

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May 12, 2022

『世界史の考え方 シリーズ歴史総合を学ぶ①』岩波新書

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『世界史の考え方 シリーズ歴史総合を学ぶ①』成田龍一、小川幸司、岩波新書

今年の4月から高校では18世紀以降の近現代史を日本史と世界史にわけずに教えるということで、岩波新書から「歴史総合を学ぶ」シリーズ全3巻が刊行されることになり、その第1巻がこれ。各章のテーマに関連した基本書3冊を紹介し、それを成田、小川氏とゲストが読み解く、という構成。

これまでの歴史研究者は専門とする時代や地域の歴史像を提供していればよかったのですが、いまや同時代の各国史や経済などの分野との対話が求められるようになり、総合的なビジョンを提供しなければならなくなってきたのかな、と。

第一章のテーマは「近代化の歴史像」。紹介されている本は大塚久雄『社会科学の方法』、川北稔『砂糖の世界史』、岸本美緒『東アジアの「近世」』。

第二章「近代の構造・近代の展開」で紹介されているのは遅塚忠躬『フランス革命』、長谷川貴彦氏『産業革命』、良知力『向う岸からの世界史』。

第三章「帝国主義の展開」で紹介されているのは江口朴郎『帝国主義と民族』、橋川文三『黄禍物語』、貴堂嘉之『移民国家アメリカの歴史』。

第四章「二〇世紀と二つの世界大戦」で紹介されているのは丸山真男『日本の思想』、荒井新一『空爆の歴史』、内海愛子『朝鮮人BC級戦犯の記録』。

第五章「現代世界と私たち」で紹介されているのは中村正則『戦後史』、臼杵陽『イスラエル』、峯陽一『2001年の世界地図 アフラシアの時代』。

紹介されている15冊は新書、ジュニア新書、山川世界史リブレットや文庫がほとんどで、高校生でも読み解けるものでありつつ、遅塚忠躬『フランス革命』や川北稔『砂糖の世界史』など大人の読者にとっても必読の読書案内にもなっています。個人的には山川世界史リブレットを知りませんでしたので、何冊か読んでみることに。

大学の教科書レベルでも有斐閣アルマから出ている佐々木卓也『戦後アメリカ外交史』、久保文明ほかの『アメリカ政治』などは感心して読ませてもらったのですが、ぼくが若い頃に読んだ社会科学系のイデオロギッシュな内容とは次元の違う、晴々とした歴史像を得られるようになってきているのは、本当に素晴らしいことだと感じます。『アメリカ政治』では、日米安保が両国国民にずっと広く支持されてきた、みたいなことがサラッと書かれていて、そのクリアカットぶりに驚いたんですが、時代は変わったな、と。

さて、本書。

近代は後戻りの出来ない「革命の時代」という言い方にしびれました(p.52)。各地で自由や所有権、公論と代表議会、戦争と平和のルールなどの生徒や規範が「近世」に各地で蓄積されたが、ヨーロッパは覇者のように振る舞った、と。

「産業革命」は、アドルフ・ブランキ(ブランキストという名の元祖であるオーギュストの兄)がフランス革命のアナロジーで表現、エンゲルスが広めた。イギリスでは進歩、発展が選ばれて定着しなかったが、トインビーによって一般化され、世界史の画期として扱われるのは第二次対戦後だったというのは知らなかった(p.92)。

「高校の世界史の授業で、最初に教わったのが帝国主義でした。それで父の本棚にあった『帝国主義の時代』を手に取ったのですが、教科書に書かれていないことも載っていて面白い」と『アメリカ政治』の中心的筆者である久保文明さんが最近、日経の書評欄で語っていて時代を感じて面白かったんですが、『世界史の考え方』でも第三章に『帝国主義と民族』が取り上げられてます。江口朴郎は代々木のイデオローグという第一印象で、まともに読んだことなかったんですが、民族主義とマルクス主義をつなげ弟子たちが民衆の戦争責任を追求していった過渡期の考察としてだけでなく、一周回って、割と大切なことも言ってるんじゃないかと感じたので読み返してみるかな(多分しないと思うけどw)。

ロー対ウェイドの最高裁判決の文章がリークされて大問題になっていますが、今アメリカで共和党支持者のプロライフは、女性の自己決定権の否定につながるとプロチョイス側は否定するんですけど、19世紀後半から20世紀前半の米国の人種主義の歴史から見ると、衛生学という科学的知見を装った断種法や異人種間結婚禁止法の問題がみえてくる、というあたりは皮肉で面白かった(p.186)。女性解放の英雄的存在だったマーガレット・サンガーは貧しい移民や黒人に「劣等な子孫」をつくらせないことが重要と主張。1944年までに全米で4万2000人が断種された、というのは知らなかったな(p.185)。キャンセルカルチャーの暴挙はサンガーにも及んでいるということで、いやはや、と。

こうした問題に関連して、カルフォルニアでも戦前は異人種間結婚禁止法が施行され、帰化不能外国人とされた中国人に変わって海を渡った日本人も、家庭を持とうとすれば、日本との間で写真のやり取りで決める「写真婚」しか方法がなくなり、それが「恋愛至上主義」の米国人から野蛮視され、文化摩擦の要因になった、という視点は新鮮でした。米国の衛生法などの法体系は誰を国民とし、誰を排斥するかの選別の歴史でもあり、それはナチスのニュルンベルク法のモデルにもなった、と。

ここで思い出したのがシヴェルブシュの『三つの新体制 ファシズム、ナチズム、ニューディール』。『三つの新体制』はファシズム、ナチズム、ニューディールが似ていることを説き明かした本です。ルーズヴェルトのニューディールは私益に対する公益の優先が主張されており、彼の『前を向いて』はナチスが書いたとしてもおかしくない、と見られていたという議論や、ドイツ、イタリアだけでなく、アメリカ、ソビエト・ロシアでも第一次世界後にはナショナリズムが高揚し、先立つレッセ・フェールの50年間に破壊されたものを取り戻すことが主張されたそうです。それは個人主義によって廃棄されそうな共同体や工業によって脅かされる手工業、文化だった、と(p.98)。結局、ナショナリズムはグローバル経済に対する抵抗として組織されていったのかもしれないな、と。

経済だけでなく、文化面でも米ニューディールとナチスとの親和性というのはあったんだな、と改めて『世界史の考え方』と『三つの新体制』には考えさせられました。

後半では荒井信一『空爆の歴史』についての議論からの、アフリカ史を専門とスル永原陽子先生の議論が素晴らしかったです(p.244-)。空爆は1911年からのイタリア・トルコ戦争から、毒ガスはエチオピア戦争から第一次世界大戦前に使用開始された、と。また、民衆に対する無差別暴力はアフリカでの植民地戦争や米西戦争での地上での焦土戦で生まれたそうです。野蛮な集団に対する無差別大量虐殺と一定数を労働力として使うための収容所はスペインのキューバ、米のフィリピンでのゲリラ戦がルーツだ、と。アウシュビッツには植民地的なルーツがあり、日本も日清戦争で東学党に対して行っているのですが、ゲリラへの殺戮思想は植民地戦争と関係がある、と。

これに関しては「戦争責任」についても考えさせられました。『世界史の考え方』でも「戦争責任」という日本の言葉は訳し難いという議論もありましたが、語源的にも「責任を取る」とは謝罪を意味するのでもなければ、義務の遂行を意味するのでもない。むしろ、各自が自分の判断で自分の行動を律する態度のことですから*1。

イスラエルがグローバルな多文化主義の流れの中で「純粋なユダヤ性」を、強調せざるを得ないのは「国民国家の最大のジレンマ」であり、それは他の国民国家すべてが直面している問題だ、というあたりもなるほどな、と(p.310-)。

しかし、最後の最後で編者の小川さんが、民主主義の旗手のような国が人種主義や植民地主義の抑圧を生み出したことが、ジェノサイドや難民問題などを産んでいると一昔前のような感じでお気楽なことを言ってるのにちょっと呆然としました(p.355)。こんな綺麗事で締めるんなら、新しい世界史観とかも適当にwとかいう高校生の本音が聞こえそうで残念でした。

[目次]
刊行にあたって(小川幸司、成田龍一)
はじめに(小川幸司)

Ⅰ 近代化の歴史像
 第一章 近世から近代への移行
  1 近代世界の捉え方
  2 中国史(岸本美緒)から見ると
  3 岸本美緒との対話

第二章 近代の構造・近代の展開
  1 国民国家の捉え方
  2 イギリス史(長谷川貴彦)から見ると
  3 長谷川貴彦との対話

Ⅱ 国際秩序の変化と大衆化の歴史像
 第三章 帝国主義の展開
  1 ナショナリズムの捉え方
  2 アメリカ史(貴堂嘉之)から見ると
  3 貴堂嘉之との対話

第四章 二〇世紀と二つの世界大戦
  1 総力戦の捉え方
  2 アフリカ史(永原陽子)から見ると
  3 永原陽子との対話

Ⅲ グローバル化の歴史像
 第五章 現代世界と私たち
  1 グローバル化の捉え方
  2 中東史(臼杵陽)から見ると
  3 臼杵陽との対話

あとがき(成田龍一)

*1
「責任」に対応する英語てはresponsibility で語源は、respondere(レスポンデレ) というラテン語。意味は「応答する」。ある行為に対応しようすると必然的に結果が伴いますが、だいたい行為を行わないと何の結果も生まれませんし、それは「責任」という言葉ではないんじゃないのかな、と。

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April 30, 2022

"Why Liberalism Failed"Patrick Deneen

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"Why Liberalism Failed"Patrick Deneen

ジムで筋トレ後の有酸素運動でエアロバイクをこぎながら、英語のサビ落としを目的にAudibleで聞いている本の15冊目は"Why Liberalism Failed"Patrick Deneen。

パトリック・デニーンはノートルダム大の保守的な政治学者でカトリック・コミュニタリアンとしても有名な教授らしいです。

この本では古典的リベラリズム(Classical liberalism)と単に「自由主義」と呼ばれている進歩的リベラリズム(Progressive liberalism)は同じようなものであると批判しています。さらに、日本を含めて先進諸国の問題としても考える場合、前提となるのはヨーロッパ流の社会民主主義や日本の左派は、アメリカのリベラリズムとほとんど同じということでしょうか。細かな自己主張はいろいろあるでしょうが、ざっくり同じだと考えれば分かりやすいし、実際にやっていることは似ているな、と(すぐ分裂したり、攻撃的だったりすることを含めて)。

著者の主張をひとことであらわせば、いろんなことがあったにせよ、リベラリズムが成功しすぎたために文化と伝統が危機に陥るだけでなく、目標とは反対の結果を生んでいるという感じでしょうか。社会を改善するための平等と多元主義、自由度を高める手段としてリベラリズムは素晴らしいんだと喧伝されてますが、実際には不平等を助長し、自由を損なっている、と。

リベラリズムは本来、平等を進め、信念と文化の多元性を受け入れ、自由を広げ、個人の尊厳を保護する手段として確立された政治的イデオロギーです。自分自身の良い人生を可能性の束の中から最適なバージョンを選択して追求するため、自律的かつ無制限の選択を行う能力は、個人個人の自律にも深くコミットしすぎるために、かえって弊害を生むんじゃないか、という感じ。

さらに、リベラリズムは左に傾いているか右に傾いているかにかかわらず、その成功が故に政治エリートの正統性を包含するようになり、そうしたところからも底辺の人々の反発を生んでいます。この本は市場(共和党)と個人の道徳(民主党)のリベラリズムの双方を批判するのですが、結局、二大政党によって社会的連帯は断片化され、コミュニティは喪失し、近年の感情的すぎる選挙にみられるように失敗に近づいている、みたいな。自由主義は個人主義に基づいたものであり、どちらにせよ、それは崩壊につながり、さらには専制的な政府にもつながる恐れがある、と警告しています。

ヘーゲルは「ミネルバの梟は黄昏に飛び立つ」と『法哲学』序文で書きましたが、この本では、リベラリズムで官僚化された政府(民主党的)とグローバル化された経済(共和党的)に対して批判を行い、虐げられていると感じている人々に支配を取り戻すと約束するような専制的な指導者への憧れは、本来、自治に不可欠な文化的規範と政治的習慣のリベラルな解体の後に来る、という感じでしょうか。こうした暗い予測は少なくとも欧米での近年の選挙でみられる有権者の怒り、幻滅を表現しているな、と。

経済の自由化によって多くの人々の生活が不安定となっていますが、一方で文化的自由化は保守的な信条を動揺させなかったのかもしれません。それをリベラル派が遅れていると批判するところにさらなる軋轢が生じるのかな、とか*1。

著者は自称リベラルたちの自身に満ちたおせっかいといいますか、自分たちは欲求の束ともいうべき人間性自体をも変えることができるという傲慢な「信仰」だけでなく、右派の自己愛的で暴力的な思考にも苦言を呈しています。そしてどちらにせよ窒息死されているのはアメリカの草の根の民主主義だ、と。

批判されているオバマも2018年の読書リストに入れています*2。

以下、断片的に。

コミュニティ、相互のケア、自己犠牲、小さな民主主義の文化の育成などを通した草の根のコミュニティ再び構築が必要だが、残念ながらリベラリズムはこうしたコミュニティと連携して機能することはできない、と。

著者な主要な主張は、自由民主主義は自然界の敵対関係に基づいており、人々を安定した法に支配された社会に組織化するという自由主義の考えは、自然の征服という概念に対応しているということで、これは東洋的な自然観に近いものを感じます。もちろん奴隷制、資本主義、帝国主義などの体制だけでなく、資源開発の経験的歴史からも真実味は感じられます。これはフランシス・ベーコンの、人間は自然を拷問にかけることによってはじめて知識を手に入れ、自然を支配できるというマッチョな哲学批判として展開されます。本来、自由主義以前の人間にとって、文化と自然の分裂の可能性は理解できなかったのに、と。

ギリシャ哲学に関する論議は煩瑣になるので省きますが(少しナイーブするぎると感じましたし)、自由主義以前の世界では、文化は自然秩序の繁栄の集大成として理解されていましたが、いまや文化は人工的で疑わしいものであると思われるようになった、と。著者は「リベラリズムが失敗した理由」を繰り返しトクヴィルに求めます。トクヴィルは民主主義が個人主義、唯物論、落ち着きのなさ、短期的思考によって崩壊するとしています。

保守派なのに環境保護などを熱心に説くあたりは新自由主義とリバタリアン批判にもなっています。

著者は最近の学生に西洋文明の歴史の知識が欠如していることを嘆いているので、いまは"The World"をAudibleで聞いています。芸術、文学、音楽、建築、歴史、法律、宗教などの個別の人間の遺産に保存されている文化は、人間の時間の経験を拡大し、過去と未来を人類に示すのに、いまは現在の瞬間だけを経験すればよくなっているとリベラルアーツの衰退も嘆いています。

この本で一躍有名になったデニーンはハンガリーのオルバーンやトランプ支持で失速しているのですが、個人的にはリベラル・レフトは資本主義の権化であるみたいな主張が面白かったというか、こうした部分がヒラリーや民主党への批判となって2016年の選挙ではトランプが勝ったんだろうかな、と改めて思いました。もちろん、こうした主張がポピュリズムへの道をさらに進めたという批判もあるでしょうが。

こちらもAudibleで聴き流しただけで、聞き直し、読み直してはいません。再び書きますが、談志師匠が『談志映画噺』での『絹の靴下』の語りで、シド・チャリシーにからんでくる3人組について《一人はピーター・ローレ、もうひとりがジュールス・マンシンでしょ、あともうひとりがジョセフ・バロフ? えーと、家元はね、記憶力は凄いんだけど、資料ってもんを見ないで書いているので不完全さにおいても、これまた凄い》(p.74)と資料をみないと公言してるんですが、ま、そんな感じですんで、お許しください。
 
*1『世界史の考え方』成田龍一、小川幸司を読んでいて思い当るところがありました(p.186)。

今でも共和党支持者のプロライフは、女性の自己決定権の否定につながるとプロチョイス側は否定しますが、19世紀後半から20世紀前半の米国の人種主義の歴史から見ると、衛生学という科学的知見を装った断種法や異人種間結婚禁止法の問題がみえてくる、という指摘はハッとさせられます。

最初の避妊クリニックを開設したマーガレット・サンガーは女性運動の英雄でもありましたが、貧しい移民や黒人に「劣等な子孫」をつくらせないことが重要とも主張。優生学を支持していると批判されるようになりました。実際、米国における優生学の浸透によって1944年までに全米で4万2000人が断種された、と(p.185)。

カルフォルニアでも戦前は異人種間結婚禁止法が施行され、帰化不能外国人とされた中国人に変わって海を渡った日本人も、家庭を持とうとすれば、日本との間で写真のやり取りで決める「写真婚」しか方法がなくなり、それが「恋愛至上主義」の米国人から野蛮視され、文化摩擦の要因になった、と。
米国の衛生法などの法体系は誰を国民とし、誰を排斥するかの選別の歴史をであり、それはナチスのニュルンベルク法のモデルにもなった、と。

シヴェルブシュの『三つの新体制』はファシズム、ナチズム、ニューディールが似ていることを説き明かしたけど、それを思い出しました。ルーズヴェルトのニューディールは私益に対する公益の優先が主張されており、彼の『前を向いて』はナチスが書いたとしてもおかしくない、と見られていたという議論や、ドイツ、イタリアだけでなく、アメリカ、ソビエト・ロシアでも第一次世界後にはナショナリズムが高揚し、先立つレッセ・フェールの50年間に破壊されたものを取り戻すことが主張されたそうです。それは個人主義によって廃棄されそうな共同体や工業によって脅かされる手工業、文化だった、と(p.98)。結局、ナショナリズムはグローバル経済に対する抵抗として組織されていったのかもしれないな、なんてことを思いながら読んだんですが、経済だけでなく、文化面でも米国とナチスとの親和性というのはあったんだな、と『世界史の考え方』と『三つの新体制』には改めて考えさせられました。

*2FaceBookでオバマは「不平等が拡大し、変化が加速し、過去数世紀にわたって私たちが知っていた自由民主主義の秩序に対する幻滅が高まっている時代に、私はこの本が示唆に富むものだと感じました。著者の結論のほとんどには同意しませんが、この本は、西側の多くの人々が感じるコミュニティの喪失、リベラリズムが自らの危険を無視している問題についての説得力のある洞察を提供します」と書いています。

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April 10, 2022

『アメリカ政治』久保文明ほか

American-politics

『アメリカ政治』久保文明、砂田一郎、松岡泰、森脇俊雅、有斐閣アルマ

 有斐閣アルマの『戦後アメリカ外交史』が面白かったので同じく大学の教科書になってる『アメリカ政治』も読んでみました。

 はしがきの《「知っている」という思い込みや決め付けと裏腹に、じつはアメリカ政治のきわめて基本的な事実や特徴すら知らずに、あるいは誤読している人が非常に多い》というのは自分も含めて思ったので、そんなところを中心に。

 権力の分立のため上院議員は当初、州議会が選出基盤だったが、1913年から直接選挙に(p.9)

 北米大陸の入植者は自分たちの価値観に沿って新社会を建設しようとした点で移民や先住民搾取を目的としたスペイン、ポルトガルと異なっていた(p.16)

 移民が多かった大都市の政党政治家は様々な手助けを行う代わりに投票を求めたが、当初は投票所の入口で受け取る投票用紙の色で投票先が分かったので、集票マシーンとなることができた(p.22)

 《アメリカの福音主義(evangelicalism)は世界最大の社会運動の一つとすらいえる》(p.41)

 州兵だったブッシュと大統領を争ったケリーはベトナム戦争の英雄としてアピールしたが、高速艇の退役軍人がTVコマーシャルでケリーの行動を非難、イメージを傷つけられて敗北(p.58)

 その前のブッシュvsゴアでは高卒未満にゴア支持者が多かった(p.61)

 予算案を握るのは下院(p.64)

 現職議員には無料郵便制度など様々な特典があり2014年の下院再選率は96.4%(p.67)

 大統領選挙のテレビ討論は女性有権者連盟など民間団体が主催(p.73)

 初代財務長官のハミルトンはヨーロッパ列強に対抗するための強力な連邦政府を唱え『フェデラリスト』を発行(p.76)

 ニューディールでは対立してきた北部労働者と南部農民、黒人が民主党支持で結集して「ニューディール連合」を形づくり、上院下院とも長く優勢だったが、これを打破しようと南部に攻勢をかけたのがニクソン(p.78)

 大統領選の第三の候補では支持基盤が重なるペローが父ブッシュの、ネーダーがゴアの敗戦を招いた(p.80)

 二大政党は入党に資格審査もなく離脱も自由(p.80)、党首もおらず、全国委員長は事務局長的な存在(p.81)

 ロビイストの重要な仕事は政治家への働きかけではなく、情報収集や相談(p.87)

 企業・団体からの献金は禁止されているが政治活動委員会(PAC)が抜け道となってる(p.89)

 支持する候補者や政党から関係なければ献金額には制限を付けないという最高裁判決で、いまやスーパーPACが選挙戦に大きな影響力を持つようになった(p.91)

 1960年代の運動は黒人による公民権運動と、高学歴のミドルクラス以上の改革運動からなっていた(p.97)

 かつては業界団体と議会の委員会、予算執行の行政部門の担当部署が「鉄の三角関係」をつくっていたが、特定の争点に関する専門家と運動家による「争点ネットワーク」がメディアや議員と結びつき、強い影響力を持つようになっている(p.100-)

 政府の上位3500人が入れ替わるアメリカの政権交代は革命に等しい(p.107)

 ジャクソンからリンカーンまでの大統領は凡庸で儀礼的な役割しか果たさず、有力政治家は上院議員として活動した(p.123)

 民主党の大統領はケネディ、ジョンソンとも首席補佐官は置かなかったが、共和党はアイゼンハワー以後も首席補佐官を置く運営方式をとった(p.128)

 議会の議席数が接近し、副大統領が上院議長として決定的な一票を投じるようになったのはゴアから(p.129)

 クリントンは頻繁に全国遊説を行い人々の生活上の問題を取り上げ「市長の総代のような大統領」と呼ばれた(p.135)

 レーガン時代までは民主党内南部保守勢力共和党大統領に協力したが、1990年代には退潮し、それ以降の民主党はリベラル派とニュー・デモクラットが支配的となる(p.138)

 居住地域が人種や所得によって異なってくるようになると、納税者とサービス受給者が乖離し、ミドルクラス以上の納税者の不満が減税による「小さな政府」を求める運動につながる(p.193)

 民衆の平等主義を求めるポピュリズムは、経済的特権に対して向かうと左翼ポピュリズムになり、進歩的エリートに向かうと右翼ポピュリズムになる(p.207)

 マクガバン指名を機に保守的な労働大衆や軍事タカ派のエリートがリベラル派と縁をたち、民主党から離れた(p.211)

 政治的自由主義と資本主義からなる体制を正しいものだとするのは国民共通の信条(p.250)

 黒人だけでなくユダヤ人も1964年の公民権法が成立するまで入学、就職で差別され、立ち入り禁止の場所もあったとか(p.265)

 オバマは白人の母や祖父母に育てられたので価値観や生活習慣、言葉づかいは白人中産階級のもの(p.271)

 独立戦争は民兵によって勝ったという誤った見方で、建国以来、常備軍は小さな規模だった(p.281)

 ネオコンはウィルソン主義の末裔で、イラク戦で下手打ったけど、ウィルソン主義が浸透しているから注意(p.283)

 アメリカの外交は大統領の安全保障担当補佐官や議会の影響力(条約批准には2/3が必要)が大きい(p.285)

 第一次世界大戦でアメリカが200万人の大軍を送ったのはヨーロッパにとって衝撃だったが、第二次大戦時には1000万人となる(p.286)

 中国を「戦略的パートナー」とした中国政策を厳しく批判したのは子ブッシュ(p.292)

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April 09, 2022

『夢介千両みやげ』山手樹一郎

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『夢介千両みやげ』山手樹一郎、廣済堂文庫

 『夢介千両みやげ』は『桃太郎侍』などを生んだ山手樹一郎の代表作の一つらしいのですが、まったく知らない作品だったので、最初は御大・市川右太衛門が演じる侍みたいに悪人を追っかけてる途中で衣装替えをするようなものになるのかと思いましたが、主人公は農家の倅でした。

 これには時代背景もあるようです。『夢介千両みやげ』は敗戦直後の1947年から連載が始まりました。GHQの占領は1951年のサンフランシスコ講和条約まで続きますので、その真っ只中。血なまぐさいチャンバラものや仇討ちものは御法度ということで、素封家の百姓のひとり息子が大金を持って江戸に道楽修行の旅に出るというのは苦肉の設定だったのかもしれません。

 それにしても千両は今の円換算にして約1億円。夢介は二宮金次郎を生んだ小田原の素封家のひとり息子という設定ですが、そこまでの金持ちがいたかどうか。時代は赤穂浪士の討ち入りから約百年後というセリフがありましたので、19世紀初頭でしょうか。やがてペリー来航から激動に向かう直前。そんな時代にユーモラスな物語が展開されるわけですが、ひょっとして千両は占領にかけていたのかもしれません。心は錦だ、と。

 実際、人を疑わず、正義を貫く夢介の活躍に日本中が熱狂、国民的なヒーローになっていったそうで、続篇『夢介めおと旅』も書かれます。

 ということで、宝塚の原作ものでは、いつものようにファン心理をくすぐる全面カバーによる再版もされたので、廣済堂文庫のを買って読みました。せっかくなので、ご紹介させていただきます。

 驚いたのが厚さ。なんと821頁。でも、読みやすい!というのが第一印象。wikiの「日本の大衆文芸史上、最も安心して結末まで読む事のできる作家」という評価は納得です。

 二番手あーさの役は、やっと66頁になって登場したんですが、あまりのクズキャラぶりが凄すぎて心配になるほどでした。主演・彩風咲奈演じる夢介はカネはあるが色恋には興味のない前公演『City Hunter』の冴羽リョウとは正反対のキャラだけど、とぼけた性格は通底。ヒロイン朝月希和のお銀は色っぽいがやきもち焼きは『City Hunter』の薫と同じ。朝美絢演じる総太郎だけは救いようのないクズキャラという感じでした。

 あと、結構、色っぽいのも読者を飽きさせない人気作家の工夫なのかな、と思いました。あーさ総太郎のクズキャラっぷりが暴走する中、花組公演『元禄バロックロック』の綱吉の母・桂昌院に話しが及び、将軍様の風呂場の下女へのお手付きへと宝塚ワールドが拡大していくような場面もあり「すみれコード大丈夫か」と心配に。

 300頁超であーさ総太郎が最悪のクズキャラっぷりを発揮した後、320頁ぐらいで大人しくなって、もう出てこなくなってきました。和希そら演じるスリ小僧が大活躍はするんですが、半分超えて、もう配役的に新しい展開もなさそうかな、と思って、そこで読むのはやめました。

 にしても…『夢介』で咲奈に「おら」とか「ねえだ」とか言わせるのか…と不安になっていたんですけど、前トップの望海風斗さんも星逢と壬生で九州弁と東北弁で訛りまくっていたな、と雪組の宿命を感じて諦めました。

 咲奈は尻っ端折りしてるから、黒い股引を履いてるけど、おみ足のアウトラインはみんな結構味わえるんですが、江戸時代にあんなに脚の長いお百姓さんはいないんじゃw

 実は夢介の舞台には不安しかなかったんですけど、見事な痛快時代劇に仕上がっていました。脚本・演出担当の石田先生の見事な設定変更が素晴らしいな、と。

 まずヒロインお銀と和希そら演じる三太を「お救い小屋」で知り合った古い仲間に設定しているところが素晴らしかった。石田先生は三太の年齢を少年から青年に引き上げるとともに、二人の人物像に戦災孤児が劣悪な環境ゆえに盗みを働かざるをえなかったという裏設定を読み込み、さらに幕府が災害時につくった「お救い小屋」で知り合った古い仲間とすることで違和感なく物語の流れに乗せていました。

 捨てキャラが次々とダラダラ登場してくるだけの長い原作を95分に収めるため、テンポ良すぎる台詞回しで物語を進め、ラストに「痛快時代劇」そのもののカタルシスを持ってきて全体をうまく完結させた感じ。あと、宝塚的だな、と感じたのは二番手あーさ総太郎については主な三つのエピソードを全て盛り込んでいるところ。原作では省かれていた改心のシーンも入れて男役ファンの想いに応えています。四番手縣千の役はネタバレになるので書きませんが創作。見事!その分、手妻師春駒太夫や芸者浜次のエピソードなんかかは手短にまとめている感じ。娘2の夢白さんは原作の2人の人物像を合わせた感じ。

 とにかく原作の書かれた終戦直後のような暗い話題の多いこの時期に、楽しんでもらうだけの「痛快時代劇」を投入した意図は伝わってきました。宝塚の「和物」は傑作か駄作かの両極端が多いと思うけど、『夢介千両みやげ』は咲奈のキャラクターを生かした傑作になっていると思いました!

 『夢介千両みやげ』の分厚さにめげている方々には、廣済堂文庫なら総太郎の鬼畜エピソードが丸く収まる315頁まで読めばOKだとおもいます。講談社文庫では頁が違ってくると思いますが、副題でいえば「仲人嘘をつく」までですかね。簡単に読めると思いますので、ぜひ。

 相州(そうしゅう、相模)、道中師(旅人から盗む者)、切餅(二十五両)、紙入れ(財布)、肩書き(前科、悪名)みたいな今ではあまり使われない分かりにくい言葉も出てきますが、なんとなく意味は通じると思います。

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April 06, 2022

"Why we sleep: Unlocking the Power of Sleep and Dreams" Matthew Walker

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"Why we sleep: Unlocking the Power of Sleep and Dreams" Matthew Walker

ジムで筋トレ後の有酸素運動でエアロバイクをこぎながら、英語のサビ落としを目的にAudibleで聞いている本の14冊目は"Why we sleep"。

邦訳は出ていないようですし、周りでも睡眠障害に悩んでいる方が多いので、チラッとまとめてみようと思います。

強調されているのは睡眠の重要性。5時間以下の睡眠で障害なく生き残ることができる人はほぼゼロで、睡眠は免疫システムの武器を補充し、悪性腫瘍との戦いを助け、感染を防ぎ、あらゆる種類の病気を防ぐ、と。

ぼくはありがたいことに、まだ子どものように眠ることができるのですが、そうでない方に、ざっくりとした良い睡眠を得られる方法をまずご紹介しますと…

・プルーライトを発するLEDの電球、ガジェット類を寝室からとり除く

・睡眠を正常に開始するため室温は摂氏18℃ぐらいに下げる

・アルコールは睡眠補助剤ではなく、レム睡眠を抑制するものだと心得る

・昼寝は健康を改善し寿命を延ばす(ただし午後3時前まで)

となります。

とにかく睡眠は学習、精神状態を改善し、ホルモンを調節し、癌、アルツハイマー病、糖尿病を予防し、老化を遅らせ、寿命を延ばす。と。

ヒトは覚醒状態で周囲の世界を経験的に学習し受容するのですが、ノンレム睡眠によって新しく得られた事実やスキルの原材料を保存、強化。さらにレム睡眠によってこれらの原材料を過去のすべての経験と相互接続して統合。革新的な洞察や問題を解決する能力を生む、と。

途中、ピテカントロプスエレクトゥスが火を使うようになって、比較的安全に地上で眠ることができるようになったことに触れられています。ぐっすりと地上で眠れることになったことにより、覚醒時のサバイバルスキルが向上し、創造性と革新が促進され、記憶の統合が促進された可能性がある、と。こうした睡眠の変化が類人猿の認知的進化にとって重要であったかもしれない、と。

睡眠に重要なのはサーカディアンリズムとアデノシン。

覚醒と睡眠を決定するのはサーカディアンリズム(概日リズム)。

メラトニンは体内時計に働きかけることで、覚醒と睡眠を切り替えて、自然な眠りを誘う作用があり、「睡眠ホルモン」とも呼ばれていますが、暗闇を知らせることによって睡眠が発生するタイミングを調整するのには役立つものの、睡眠の生成自体にはほとんど影響を与えません。

眠気に影響を与えるのは脳内のアデノシンの蓄積によって引き起こされる睡眠圧です。カフェインは、アデノシンが影響を与える受容体をブロックするので、飲むなら午前中。カフェインを体内で速く処理できる人もいますが、加齢とともにその効率は低下します。

個人的には「第3章 睡眠の定義と生成 Defining and Generating Sleep」の睡眠と情報処理のシステムが面白かった。

・覚醒状態は受容(周囲の世界を経験し、絶えず学習)

・ノンレム睡眠は反射(新しい事実やスキルの原材料を保存、強化)

・レム睡眠は統合(これらの原材料を過去のすべての経験と相互接続し、革新的な洞察や問題を解決する能力を生む)→レム睡眠中に筋肉の活動がされるのは夢が妨げられるから、と。

狩猟採集民はいまでも夜に7-8時間の長い睡眠時間を取るとともに昼寝をするそうです。さらに先進地域でも、ギリシャのイカリア島のようにシエスタの習慣が残っているところの男性の寿命が90歳に達する可能性はアメリカ人男性のほぼ4倍ある、と。このように夜の1回の睡眠の他に、昼寝をすることは重要で、我々がそれを失ったことの影響は大きい、と。

第5章-ヒトの生涯と睡眠の変化

アルコールはレム睡眠の最も強力な抑制剤。

子ども時代の深い睡眠は脳成熟の原動力である可能性があります。思春期の若者の睡眠時間も守らなければなりません。

高齢者は必要とする睡眠が少ないというのは神話。高齢者は中年期と同じくらい多くの睡眠を必要としているのですが、そのまだ必要な睡眠を得ることが難しくなってきます。ヒトは40代に入ると、深いノンレム睡眠の質が明らかに低下します。

年をとるにつれての睡眠の変化は断片化です。年をとるほど、夜通し目覚める頻度が高くなります。健康なティーンエイジャーは約95パーセントの睡眠効率を誇りますが(睡眠効率は就寝中に実際に眠っていた時間の割合)、高齢者は睡眠の断片化によって睡眠効率の低下に苦しむことになります。

 残りのパートをこの勢いでまとめると長くなりますので、全体のポイントをおさらいすると以下のようになります。でも"Why we sleep"はAudibleで聴き流しただけで、その後、いろんな資料なども読みましたが、それらを読み直してはいません。談志師匠が『談志映画噺』での『絹の靴下』の語りで、シド・チャリシーにからんでくる3人組について《一人はピーター・ローレ、もうひとりがジュールス・マンシンでしょ、あともうひとりがジョセフ・バロフ? えーと、家元はね、記憶力は凄いんだけど、資料ってもんを見ないで書いているので不完全さにおいても、これまた凄い》(p.74)と資料をみないと公言してるんですが、ま、そんな感じでお許しください。

・レム睡眠はヒトの感情回路を微調整して創造性を刺激するだけでなく、睡眠は学習に有益

・質の高い睡眠は年をとるにつれて難しくなるが、それでも重要

・失われた睡眠を埋め合わせることは不可能

・内部時計である視交叉上核はすこし長く、深部体温もサーカディアンリズムに関係する

・アデノシンは1日を通じて脳内に蓄積して睡眠圧を増加させる化学物質

・視交叉上核のサーカディアンリズムとアデノシンの睡眠圧信号は別個のシステム(通常は平行)

・間脳の一部を占める視床は脳の感覚ゲートで、眠っている間に入ってくる感覚信号をブロックする

・NREM(Non-rapid eye movement、ノンレム睡眠)は不要な神経接続を取り除く

・REM(Rapid eye movement、レム睡眠)は目覚めているときとほぼ同じ脳活動を示し、夢に関連して経験などを統合する

・サーカディアンリズムの発達は遅く、自閉症児はレム睡眠が少ない

・ティーンエイジャーのサーカディアンリズムリズムは前にシフトするので午後10時に就寝するのは大人に7時に眠れと言っているようなもの

・ノンレム睡眠の衰退は20代後半から進行。高齢者は睡眠効率スコアが低いほど死亡リスクが高まり、うつ病に苦しむ可能性が高くなり、認知機能が低下する

・睡眠は脳の学習能力を回復させ、新しい記憶の余地を作り、記憶の「保存」ボタンをクリックするようなもの

・深いノンレム睡眠の遅い脳波はメモリパケットを一時的な保管場所である海馬から皮質に移す

・睡眠は短期記憶のキャッシュをクリアする

・睡眠は運動能力も高め、怪我に対する保険にもなる

・夢の時間はリアルタイムに比べて長くなる

・睡眠不足による自動車事故は、アルコールや薬物による事故を上回っている

・睡眠不足は低レベルの脳損傷であり、睡眠は神経的衛生管理

・睡眠が少ないとアルツハイマー、癌、聴覚障害の発症リスクが大幅に高まり、短命となる

・夏時間への切り替えで心臓発作が急増する

・睡眠不足は筋肉を消費すると同時に食べる量を増やすので体重増や糖尿病の原因となる

・レム睡眠は感情を経験から切り離すのに役立つ

・悪夢のようなライフイベントを夢見ることで、人々は絶望から臨床的解決を得られ、脳の感情を調整する

・睡眠は目覚めている時に気付いていない遠くの関連情報を接続する

・睡眠障害には夢遊病、夢遊病、ナルコレプシーがある

・不眠症はアメリカ人の1/9、4000万人が苦しんでいる

・ネズミは眠らせないと15日後には死亡する

・アルコールはレム睡眠を抑圧する

・睡眠薬による睡眠の質は不十分で、癌を発症する可能性が非常に高くなる

・脳はウィークデイに奪われた睡眠を週末に回復するようにはできいない

・6時間以下の睡眠だとヒトは嘘をついたり、騙したり、盗んだり、他人への非難をするようになる

・学校の開始時間を遅らせて睡眠時間を増やすことで、ティーンエイジャーの心身は改善さる

・ADHDの50%以上が睡眠障害

・誤診は心臓発作や癌に続く3番目に多い死因で、研修医の5人に1人は睡眠不足に起因する誤診を犯し、20人に1人は睡眠不足のために患者を殺す

・手術を受ける場合は、担当医師に「どのくらいの睡眠をとったか」と尋ねるべき

・人々が睡眠を優先するようになば社会保険料は下がる

あとは、印象に残った章を…

第8章 癌、心臓発作と短命

 睡眠が短いほど短命になる。現代の主な死因である心臓病、肥満、認知症、糖尿病、癌などはすべて睡眠不足と因果関係を持っている。睡眠不足は、空腹感と食欲を増加させ、脳内の衝動制御を危うくし、高カロリー食品の食欲を増加させる。痩せて健康な若い男性でも睡眠時間を5時間に制限するとテストステロンが低下する。、睡眠不足は感染の可能性を大幅に高め、インフルエンザワクチンなどへの反応を低下させる。

第10章 療法としての夢

 レム睡眠は脳が不安を誘発する分子を取り除く唯一の時間であり、レム睡眠を欠いた脳にとって外の世界の刺激は脅迫的で嫌悪的なものになる。

13章

お時間ない方はここだけでも!

iPadでの読書は、印刷された本を読んだときと比べてメラトニンの上昇を最大3時間遅らせる。

夕方の時間を過ごす部屋に低くて薄暗い光にし、天井からの照明は避ける。

アルコールを飲んだ後の睡眠は継続が難しくなり、レム睡眠を抑制する。

お風呂から出ると、表面の拡張した血管がすぐに内部の熱を放出し、コア体温が急降下するで、より早く眠りにつくことができ、健康な成人は10~15%程度の深いノンレム睡眠を得られる。

14章

現在の睡眠薬は自然な睡眠を誘発しない。

睡眠薬を服用している人は、睡眠薬を使用していない人よりも、死亡する可能性は4.6倍高く、年間132錠以上を服用しているヘビーユーザーは5.3倍高い。

こうした人はセラピストと協力して悪い睡眠習慣を打ち破り、睡眠を妨げてきた不安に対処することが重要だが、簡単なのはカフェインとアルコールの摂取量を減らし、寝室からガジェットを取り除き、涼しい寝室を作ること。

第15章 睡眠と社会:医学と教育が間違っていること

健康的な睡眠のための12のヒント

睡眠スケジュールに固執する

運動は素晴らしいが、就寝時刻の2~3時間前までにすませること

カフェインとニコチンは避ける

就寝前の飲酒は避ける

夜遅くに大量の食事や飲み物を避ける

可能であれば、睡眠を遅らせたり混乱させたりする薬は避ける

午後3時以降は昼寝をしない

寝る前にリラックスする。読書や音楽鑑賞などのリラックスできる時間は、就寝儀式のひとつとして意識する

寝る前にお風呂に入る

暗い寝室、涼しい寝室、ガジェットのない寝室をつくる

身体を日光にさらすことは重要で、日光は毎日の睡眠パターンを調整するための鍵。毎日少なくとも30分間、自然光の中で外に出るようにすべき。可能であれば太陽で目を覚し、朝は明るいライトを使用する

起きてベッドに横にならないこと

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『前だけを見る力』松本光平、宇都宮徹壱

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『前だけを見る力 失明危機に陥った僕が世界一に挑む理由』松本光平、宇都宮徹壱、KADOKAWA

 テレビの「激レアさんを連れてきた」にも出演した松本光平選手のレアすぎるというかアップダウンの激しすぎる半生を、宇都宮徹壱さんによる構成と語りおこしと周辺の人物へのインタビューでまとめた本。

 なにせ19年FIFAクラブワールドカップに念願かなってオセアニア代表として出場を果たした直後に、自宅でのトレーニング中の事故で失明の危機に直面し、コロナ禍で世界一厳しいと言われたロックダウンを敷いていたニュージーランドから「脱出」。世界的にも有名な横浜の深作眼科・深作秀春ドクターの手術をクラウドファンディングを元にした資金で受け、なんとか眼球摘出は免れ、右目はほぼ失明で左目も弱視に近い状態から「再びクラブワールドカップの舞台に立つ」ため動き始めるという波瀾万丈ぶり。

 しかし、感動を誘おうとするいわゆる「難病もの」とは違い、それまでの人生は波乱爆笑の連続。

 最初渡った英国では、英語が分からないフリをして相手が何を言ってきても「笑顔でサンキュー」と答えてサッカークラブのセレクションや練習に参加したり、ニューカレドニアのチームメイトは野生動物を狩って暮らしていたり、フィジーでは他人がいつのまにか家で寝ていたりご飯を食べているのが普通だったりと、聞いたこともないエピソードばかり。バヌアツでプレーしていた時には現日本代表の森保監督の長男もいたとか。

 だいたいユースの時にもセレッソからガンバへの禁断の移籍を行い、結局はトップチームに上がれず、いきなり海外に飛びだすというんですから、その行動力は驚きます。

 どんな想定外の事態に立ち至っても新しいモチベーションを自らつくってを奮い立たせることのできる松本選手は「ポスト・コロナの時代を生き抜くためのヒント」(プロローグ)かもしれませんし、「しなやかなメンタリティ」が失明寸前となり、白杖を使っていても再び世界を目指すポジティブな生き方を支えているのかもしれません。松本選手のマネージャーでメンタルトレーナーでもある宮島さんの「人が落ち込むときって、自分でコントロールできないことに、ついフォーカスしてしまう」という言葉はなるほどな、と思うと同時に、松本選手にはそうした自分でコントロールできないことへの免疫ができているという評価は面白いと感じました。

 「激レアさん」に出たこともある元サッカー選手の経営者に帰国やクラファンで助けてもらったというんですが、その方の「松本さんの方が、よっぽど激レアさんですね」という感想が全て物語っている感じ。

 東京パラリンピックでブラインドサッカーは有名になりましたが、弱視者を対象にしたロービジョンフットサルという競技もあるのも、松本選手のチャレンジの中で知りました。この本ではありませんが、障害者で人口が多い聾唖者はパラリンピックから外れたデフリンピックを開催しているそうで、そこでもサッカー日本代表があるそうです。サッカーという入口だけで、色々な世界と広がっているんだな、と改めて感じました。

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February 28, 2022

ティモシー・スナイダーで読みとくウクライナ

Bloodlands

 『赤い大公 ハプスブルグ家と東欧の20世紀』ティモシー・スナイダー、池田年穂(訳)、慶應義塾大学出版会は、ハプスブルグ君主国の黄昏を描いています。

『赤い大公』ティモシー・スナイダーをパラパラと再読してみると、第一次大戦では開戦初期にはハプスブルク、ロマノフ、ホーエンツォレルンがあって、終戦で全部滅びたというのは、改めて歴史の画期だな、と感じました。

ハプスブルクは東欧に進出したかったけど、ロマノフを排除しなければならず、それがロシア革命ではからずも実現してしまった、と。そこにポーランド、ウクライナを独立させ、ハプスブルク家の一員を王にして…というのが一時期は実現しそうになっていた、というのが凄い。

オーストリア・ハンガリー二重帝国の皇帝であるフランツ・ヨーゼフ1世がハプスブルグの本家であるのに対し、スペイン王家につながる大きな分家に生まれたヴィルヘルムがこの本の主人公。ヴィルヘルムの父シュテファンはいまもスペイン王家につながるアルフォンソ12世の弟で、民族主義が高まる中で、「部屋住み」から脱するための君主となる地をポーランドに求めます。そしてその末っ子であるヴィレヘルムは、自分でも王になりたくて、ウクライナ語を学び、ロシア革命に乗じて独立を目指します。いまとなっては信じられないのですが、例えばギリシャもバイエルン王の次男オットー(ギリシャ名オトン)を王として迎え、フランツ・ヨ-ゼフ2世の弟マキシミリアンはメキシコ皇帝になりました。貴種であれば誰でもよかったんですかね(パンチョ・ビリャなども活躍したメキシコ革命に巻き込まれて処刑されます)。

 ヴィレヘルムは社会主義を標榜するウクライナ民族主義者などのウクライナ人部隊を率い、ウクライナ人民共和国が成立しますが、その後、ウクライナ西部のリヴィウを中心に西ウクライナ人民共和国が成立。しかし、ポーランドに西ウクライナは併合され、ウクライナ人民共和国もボリシェヴィキに敗れます。

 このようにハプスブルグが欺瞞ではあるにせよソフトな対応とろうとしたのに対し、ヒトラーとスターリンの時代は苛酷です。なにせまずポーランドを分割するわけですから。ヒトラーはスターリンは分割の際にポーランドとウクライナ人をそれぞれの居住地に移住させ、ユダヤ人のコミュニティも根絶やしに近い形で破壊。ポーランド領にもウクライナ語を話してウクライナ・カトリック教会に集まる人々がいたため、ハプスブルグは「ポーランドを独立させた場合、こうした人々をどうしようか」と捕らぬ狸の皮算用をして悩むんですが、ヒトラーとスターリンは有無を言わさず移住させます。現状はこうした他人頼みで「浄化」された後にできた民族国家だった、みたいな感じでしょうか。

http://pata.air-nifty.com/pata/2015/01/20-7a17.html

 ウクライナ人民共和国が1921年に崩壊した後、ヒトラーとスターリンがこの地域に何をやったのかを描くのが『ブラッドランド:ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 上』ティモシー・スナイダー(著)、布施由紀子(翻訳)。

 33-38年にドイツとソ連の間に挟まれたブラッドランド(ウクライナ、ベラルーシ、バルト三国、ポーランドなど)で起きた大量殺人はほとんどがソ連によって行われ、39-41年には独ソが手を携えて同数の人々を殺害。42-45年にはドイツによる政治的な殺人が大半を占めたというのが上巻のサマリーでしょうか。

 ブレスト=リトフスク条約でレーニンは多くの国土をドイツに割譲したのですが、それはやがてドイツが革命に倒れると予想したから。しかし、赤軍を展開できたのはウクライナぐらいまでだったため、フィンランドやバルト三国、ポーランドが独立してしまい領土は東よりになってスターリンは不満を持った、と。

 さらにヒトラーもスターリンも、ウクライナを食糧生産基地とすることで、ヨーロッパを思い通りのイメージに作り変えることができると考えていました。しかし、そんな豊かな土地で、スターリンは1933年に世界史上最大の人為的な飢餓によって何百万人ものウクライナ人を死亡させ、ヒトラーは41年にユダヤ人と捕虜を餓死させました。

 「トロツキー、ジノヴィエフ、カーメネフ、ゲシュタポ」という見出しでプラウダはスターリンの政敵を非難したのですが、3人ともユダヤ人の血を引く共産主義者でした。ちなみに、現ウクライナ大統領のゼレンスキーもユダヤ系です。

 ソ連への電撃作戦が失敗して、ヒトラーの取巻きはご機嫌をとるためにユダヤ人の身体的抹殺を進めます。当初、ナチスはマダガスカルに追放しようとしたんですが、イギリスの了解を得ることができなかったために果たせず、ソ連占領後はウラル山脈以東に追放しようとしていたが強烈な反撃にあい、膨大になったユダヤ人を持て余したんですが、これが下巻に続きます(p.295)。

http://pata.air-nifty.com/pata/2015/12/post-0275.html

『ブラッドランド:ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 下』ティモシー・スナイダー、筑摩書房

 ナチスが死の工場をつくってユダヤ人たちを最終解決と称してガス殺しまくったのは、スターリンをウラル山脈以東に追いやって、そこにヨーロッパに住んでいるユダヤ人たちも追放しようという計画がソ連軍の抵抗で頓挫してしまったから。

 ナチス・ドイツとソ連が故意に行った大量殺人政策によって1400万人が流血地帯(ブラッド・ランド)で殺害されました。厳密に考察を進めるためにハンガリー、ルーマニアのユダヤ人を含めないため、この数字はかなり限定的だそうですが、それでも第二次世界大戦における米英の戦死者を1300万人上回り、アメリカが過去戦った外国との戦争で戦死者すべてよりも同じく1300万人多いそうです(「数と用語について」p.283)。

 また、ロシアが最初に侵攻したクリミア半島はムスリム勢力が支配していたんですが、それがソ連によって一掃されたのが1943年。そこにユダヤ人国家をつくるという案もあったのですが、スターリンはユダヤ人を極東地域に強制移住させたそうです。

 ちなみに、イスラエルの初代ソ連大使、後には首相となるメイアはキエフ生まれです。

http://pata.air-nifty.com/pata/2015/12/post-a305.html

 ティモシー・スナイダーのこんな寄稿も見つけました。箇条書きでサマリーすると…

・ウクライナには前回のロシアの侵略から約14,000人の戦死者と約200万人の国内難民がいる

・今回はロシアのプロパガンダ効果は低い

・トランプは2期目に米国をNATOから撤退させると述べたからバイデンを揺さぶっている可能性がある

・プーチンのロシアのアイデンティティ(1000年前にキエフで起こったことのためにロシアがウクライナへの権利を持っているとの主張)は根本的に不確実

・プーチンはウクライナ人はロシアとのより大きなコミュニティに属しているが、西側の背信行為に惑わされていると主張している

・前回の侵攻ではクリミア半島こそ占領したものの、他の地域の占領面積は小さかった

・ウクライナ大統領のゼレンスキーはウクライナ東部出身で、彼の主な言語はロシア語でユダヤ系。就任時は首相もユダヤ系で、当時のウクライナはイスラエルを除いてユダヤ人の国家元首とユダヤ人の政府の長を持つ唯一の国だった

・試してみる価値があるのはシアの特定の主張や野心に限らず、ヨーロッパの安全保障システムに何か問題があるという基本的な前提を受け入れるより広範な交渉ではないか、と


 

さらにMSNBCのティモシー・スナイダーへのインタビューで「なぜ欧州はノルドストリーム2停止など強い措置をとるようになったのか?」という質問に対して「プーチンは今回の侵攻を第二次世界大戦を引き合いに出して正当化しているが、それが誤用であると見抜いたから。第二次大戦のレトリックを使うことはプーチン自身に跳ね返ってくるようになった」と語っています。

つまり、スナイダーがプーチンの侵攻について「第二次大戦のレトリックを使っている」と欺瞞性を指摘しているわけなんですけど、それって"How to think about war in Ukraine"で書いていたことだな、と思い出しました。

そこではプーチンがウクライナ政府を東部2州のロシア語話者を「ジェノサイド」していると非難し、「非ナチ化」するとしている意味は、彼がウクライナのリーダーを逮捕、見せしめ裁判を実施し、処刑することを計画していることを意味している、と。ロシアではナチス呼ばわりすることが最悪の罵倒語で、ウクライナをファシスト呼ばわりして、国自体が国際秩序の非合法な創造物であるというのは、全てヒトラーが1930年代後半に使ったものだと西欧の人々には思い起こさせている、と。

だいたいゼレンスキーは、穏健な政治的見解を持つユダヤ人であり。彼の祖父は赤軍でドイツ人と戦ったが、その家族はホロコーストで殺害された。そんな人物をナチス呼ばわりすることで、ポストモダンの独裁者の遊び道具にしてしまった、と。そして、プーチンがゼレンスキーをナチ呼ばわりし、架空の犯罪を罰するという名目で本物の犯罪を犯そうとしていることを想起させる、と。簡易裁判による処刑など戦争犯罪も念頭か?みたいな。

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February 26, 2022

『東京23区×格差と階級』

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『東京23区×格差と階級』橋本健二、中公新書クラレ

 この本の存在を最初に知ったのは東洋経済書評欄で割りと大きく取り上げられていたから。これによると、東京は都心部、山手、下町に大別され大卒者は中心部と山手に多く分断は深刻化している、と。著者は処方箋として都営住宅の建設をあげているのですが、都営住宅は20年以上建設されていない、みたいな。都営住宅の建設はちょっと現実離れしている感じはするものの、渋谷区に生まれて育ったので「そういえば恵比寿、広尾には都営住宅があるから白金みたいな極端な街づくりが回避され、町内会活動なんかも残ってるのかな?」と興味を持って読んでみました。

 著者の手法はブルデューの社会空間。経済資本と文化資本を縦軸横軸とした平面でみてみると、23区はもっとも経済資本と文化資本の多い人々から少ない人々までが狭い範囲に居住している格差の宇宙だ、と。経済格差は約4倍で兵庫の芦屋と淡路島の2.87倍より大きいというのには驚きました。

 また、敗戦時に20代だった人の兵役率は、小学校卒で37%、旧制中学・実業高校卒では21%、旧制高校以上では11%。空襲による死亡率は東京全体では1.91%だが江東区は14.3%、墨田区は8.9%、台東区は4.2%で(外周部の足立、葛飾は少ない)、階級というのが固定化、強化されているな、と(p.61-)。

 さらに良い学校に通う子どもたちは、町人文化は排除され、祭礼でお神輿を担ぐことは下品とされていたというあたりは、わかるな、と(p.71)。ぼくの通っていた小学校はいわゆる高台にあったのですが、お神輿とかかついだことないし、かつげと言われたりしたこともありませんでした。ところが、近くの商店街の多い低地にあった小学校出身の地域では御神輿を担ぐ人たちが多く町内会活動も盛んです。

 都営住宅の建設を処方箋にあげるあたりもちょっとな、とは思ったのですが、著者が石川県出身か…と感じたのは《かつては商店街だった地域の一部が「単身男性繁華街地区」「ホワイト女性特区」に転換して》(p.105)とサラッと書いているあたり。なんで商店街が「単身男性繁華街地区」「ホワイト女性特区」に変わったのかというと、道路拡張や区画整理で道に面していた商店が買い上げられて、そこの人たちが郊外に移転していったからという視点が抜けているかも。

 戦争や巨大災害がないにも関わらず、これだけコミュニティが破壊されたのは世界の中でも特筆すべきものではないかと感じているのですが、そこらへんをもう少し感じていただければな、と。実際、ぼくの出た小中学校では同窓会が開かれていません(皆んなが大学に入ったぐらいの時に1回だけ小学校の同窓会が2クラスだけだったので、合同で開かれたぐらい)。

 また、同じ地域でも商店街の子とホワイトカラーの子の域内格差もあったけど、そこまで社会空間のマス目を細かくすると分析できないから仕方ないのかな(後述)。

 渋谷に関しては、所得水準が75~80年にかけては世田谷、杉並とほぼ同水準だったが、その後の伸びが著しく港区と千代田区とともにベスト3になっているというあたりに違和感(p.229)。ぼくは子どもの頃、三軒茶屋から先の畑の残る世田谷は田舎だと思ってだけどな、と。いわんや杉並区をや、と。

 また、新宿の所得が意外に低いな、と感じたんですがど、応援している区議や都議の先生方と渋谷区を歩いていると、オペラシティに近い渋谷区の本町、幡ヶ谷、笹塚あたりが下町っぽいのに驚いたことを思い出しました。かつての中央線沿線のように木造モルタル二階建てが集まったような風景が広がっていて、港区に近い広尾や東とは雰囲気が違うな、と。

 なんでかな、と思っていたんですが、年収200万円以下の世帯が多いのは、神田上水と玉川上水に挟まれた低湿地で、住宅も工場が混在。開発から取り残されたからだというんですね。また、ここでも渋谷には都営住宅があるから庶民的な商店街が高級住宅地と混在する「平和な風景」を生み出しているとしています(p.243)。

 渋谷ではまだ庶民的な商店街が残っているのですが、高級住宅地に取り囲まれた地域には、低価格の商店街がなくなるというフードデザート問題が出てきたのはなるほどな、と。

 さて、後述部分。

 著者は高校が学力レベルで序列化されているだけでなく、小中学校でも同じような問題があり、それが階級の固定化を招いているとしています(p.309-)。小中学校の大半を占める公立学校でも地域の親の大卒率が違えば、「隠れたカリキュラム」を生む、と。ブルーカラーの多い地域ではブルーカラーにとどまる価値観が強く、ホワイトカラーの多い地域では競争的個人主義のイデオロギーに染まり、進学意欲が高まると。

 極私的な経験ですが周りの小学校には常盤松(高台)、加計塚(高台)、広尾(高台)、臨川(低地)、長谷戸(低地)があり、そこから中学は広尾(高台)、鉢山(低地)に進みます。

 そして、広尾中学の成績上位者は常盤松と加計塚が多く、高台には位置するものの商店街出身者も多かった広尾小学校や、その名からして低地に位置する商店街出身者の多い臨川小学校出身者は振るいませんでした。そして常盤松からは成績の良くない生徒が、商店街出身の多い長谷戸出身者とともに鉢山中学に進んだ、というような、著者が何回も語る等高線による差の傾向があったと思います。

 あと、焼け野原の渋谷の風景を捉えた終戦直後に撮られた『東京五人男』斉藤寅次郎監督という映画があるみたいなので観てみたいと思いました。

 ま、生まれは貧乏な家でしたが、映画館やジャンジャン、天井桟敷などの小屋もあった渋谷という文化的な環境の街に生まれ育ったことは、本当にありがたいことだったとは思います。

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