September 19, 2019

『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』村上春樹、中公文庫

 短編の傑作『リッチ・ボーイ』が80年代という若い時代の村上春樹によって翻訳されています。。

 《個人というものを出発点に考えていくと、我々は知らず知らずにひとつのタイプを創りあげてしまうことになる。一方タイプというところから考えていくと今度は何も創りだせない―まったく何ひとつ。たぶんそれは人というものが見かけより異常であるせいだろう。我々は他人や自分自身に対してかぶっている都合の良い仮面の裏では、どうして風変わりでねじくれているのだ。「私はごく当たり前の、包み隠すところのない、あけっぴろげの人間ですよ」と言う人に会うたびに、僕はこう思う。この男には、おそらく身の毛もよだつようないかんともしがたい異常な部分があって、意識的にそれを押し隠そうとしているのだろう、と。そして自分をありきたりの包み隠すところのないあけっぴろげの人間だといちいち断るのは自分の異常性をうっかり忘れぬための方便に違いあるまい、と》という書きだしはうなってしまいました。

 おそらく自身の小説のように書きだしには凝ったと思ったのですが、原文を読むと、さらに驚きました。

"Begin with an individual, and before you know it you find that you have created a type; begin with a type, and you find that you have created--nothing. That is because we are all queer fish, queerer behind our faces and voices than we want any one to know or than we know ourselves. When I hear a man proclaiming himself an "average, honest, open fellow," I feel pretty sure that he has some definite and perhaps terrible abnormality which he has agreed to conceal--and his protestation of being average and honest and open is his way of reminding himself of his misprision."

 なんと簡潔な文章でしょうか。それを普通の日本語に小説として訳すとすると、この翻訳のようにかなりの敷衍が必要なんだろうな、と。

 主人公はニューヨークの上流階級の一族で育ったアンソン。彼にについて思い出したのは『紳士は金髪がお好き』に出てくる人生に絶望している6歳の少年、ヘンリー・スポフォード三世のようだな、と。そんな何不自由なく生きているリッチボーイでも、人生に痛々しいものが突き刺さっていきます。表面的には少しばかりプライドが高く(『春の海』の清顕のように)、冷笑的でもあるため、真の愛を手に入れることの出来なかった青年の物語とも読めますが、全体の雰囲気、二度と帰ることのない時代の空気が描かれているのかな、と。

 《リッツ・ホテルにはポーラの従姉も同泊していた》(p.247)という一節がありますが、『夜はやさし』やタイトルそのものに使われた『リッツくらい大きなダイアモンド』のように、フィッツジェラルドはリッツが好きなんだな、と。イェールや自身の卒業したプリンストンなどアイビーリーグの生活、同窓生との交流など狭い世界を描いていた彼にとって、『グレート・ギャッツビー』は少し世界を広げた小説だったのかな、ということも感じました。
 
 『ゼルダ・フィッツジェラルドの短い伝記』では「朝食には桃ね」という夏の過ごし方が印象的。5ドル札でタバコに火をつけていた時期からの転落振りは、非現実性を感じてしまうほど。

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September 15, 2019

『熱学思想の史的展開3』山本義隆、ちくま学芸文庫

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 東日本大震災当時に読んでいた時は、読み飛ばしていた注と文献表に後に収められている「あとがき」「再刊にあたってのあとがき」をじっくり読むことで、山本義隆さん自身の近代科学史三部作との関連性がやっと理解できました。再読大切。

 ギルバートによる地磁気も含めて、当時の科学は《生活環境としての地球を理解するためのもの》という志向があり《熱学的世界像は力学的世界像にならぶ一個の独立した自然観を与え》た、というあたりは、三部作との関連を感じさせます(p.336-)。カルノー、フリーエ、トムソンなども熱循環が人間生活と生命活動に重大だと考えていた、というあたり。こうした志向と、ガリレオがアリストテレスのように直接的経験に寄り掛かるだけでなく、経験を一歩超えたところで成立させ、数学化された自然科学が可能になった、と(p.312-)。

 ギルバートは不活性な地球というアリストテレス以来の自然観を破壊したのですが、熱を物質としてみた熱素論は、熱を原動力としてみたところから発展しいていく、という流れがなるほどな、と。ゲイ=リュサックは気球に乗って大気を収集したみたいな身体を張った研究姿勢にも感動しました。

 1840年代に熱は物質ではなくエネルギーの一形態だと分かるんですが、そのエネルギーの移動は仕事とは異なった特殊性を持ち、第二法則として原理化され、そして第二法則は自然界の核心は非可逆過程が存在することにつながります。

 しかも、熱によるエネルギーの移動は、仕事と異なる、と。この非可逆性は古典力学の可逆性と顕著な対比をなす、なんていうあたりもなるほどな、と(p.393)。

 《熱が物体にもたらすものは、本質的にはエントロピーの増大であり、それが気体の場合には膨張として現れるが、ゴムひもでは収縮として現れる》(p.107)のであり、熱と仕事は単純に等価ではなく、他のエネルギーのように交換可能ではなく、温度差が必要で、高熱源の一部が仕事に変わり、残りは捨てられる、と(p.144)。

 簡単にエントロピーは増大すると自分がさも考えたように扱ってきましたが、こんなにも長い人類の精華たちによる思索と実験の果てに見出された概念なんだな、と。

 《「エントロピーは統計力学で初めて理解できた」というのが、多くの物理屋の口にする台詞である》というなところも、読み飛ばしていた時は理解できませんでした(p.385)。

 このほか、わがエンゲルスは当時の科学を自分で演繹して、さまざまな仮説を書き散らしていたんですが、『自然の弁証法』でも、トムソンの絶対温度の定義を誤解したマクスウェルの著作から引いているようなあたりには苦笑させられました(p.129)。

 

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August 24, 2019

『文選 詩篇 六』川合康三など訳注、岩波文庫

 六巻は雑詩の後、最後の分類である雑擬詩に達します。『文選』収録作品としては比較的後期となる南朝時代の作者が多いのが特徴。親しみやすい表現が多くなるとともに、陶淵明のように日常生活を謳う詩も収録されるようになっていきます。

 詩経などは〈よみびと知らず〉の詩がほんどでしたが、曹丕『典論』を経て作者の個性が認識され、表現も洗練の度を加えて「作者の誕生」につながっていく、という流れが「はじめに」で示されています。

 陶淵明の詩は『文選』に八首収録されていますが、そのうち五首がこの冊に入り、あまりにも有名な「飲酒」其五も収録されています。

結廬在人境(いおりをむすんでじんきょうにあり)
而無車馬喧(しかもしゃばのかしましきなし)
問君何能爾(きみにとうなんぞよくしかるやと)
心遠地自偏(こころとおければちおのずからへんなり)
采菊東籬下(きくをとるとうりのもと)
悠然望南山(ゆうぜんとしてなんざんをのぞむ)
山気日夕佳(さんきにっせきによく)
飛鳥相与還(ひちょうあいともにかえる)
此中有真意(このうちにしんいあり)
欲弁已忘言(べんぜんとほっしてすでにげんをわする)

 普通は「悠然見南山(ゆうぜんとしてなんざんをみる)」ですが、こちらでは「悠然として南山を望む」を採っています。蘇軾による「見る」の解釈を長く引いて紹介した後、《蘇軾以前には「望」の字が通行していたと思われる》と締める呼吸が渋い。

 最後の項目である雑擬は、陸機が最初の「上」を十二首の作品で飾っています。

 ここでは、陸機と陶淵明の擬古詩の解説も素晴らしい。陶淵明の擬古詩は、陸機のようなキッチリした模擬ではなく《テーマを襲ったもの》とのこと。陸機と比べるとフリーダム。さすがというか分かりやすい(p.187-)。

 この解説のすぐ次は、謝霊運が曹操のもとに集った文人の詩を、曹丕が編んだものを元に再現した八首。これも印象に残りました。曹操討伐のための「袁紹の為に予州に檄す」を書いた陳琳のものも。陳琳は曹操が才能を惜しみ配下に加えたが、彼らが曹操政権に帰するまでを描いていきます。三国志好きはこれを読まないとモグリ?

 掉尾を飾るのは江淹の「雑體詩」三十首。長いですが、古詩から南朝宋末期の恵林までの作品を擬し、全体の批評にもなっているという高度な構成。

 この胸つき八丁を乗り越えないと、文庫本で2553頁という文選詩篇という巨峰を制覇できないのか、と必死に読み進みました。

 そして、最後に昭明太子による「序」を持ってくる趣向。その解説は《たとえ内容がすぐれていても、文学たるためには言葉をいかに美しい言葉に練り上げるか、表現を洗練することこそ心しなければならぬというのが、昭明太子の立場であった》とのこと。これを編者たちは言いたかったのかもしれません。

 本文、コラムなどを読了した後、付録の年表が素晴らしいことにも気づきます。秦から南北朝時代時代にかけての主な出来事と、士大夫らがどう動き、詩を書き、それが文選のどこに収められているかが分かる労作であり、漢詩の作り手は大状況に対応していたんだなぁ、と改めて実感します。

 旅先で読むものがなくなったので、kindleで新古今和歌集を読み継いだのですが、「ほととぎす」だけでズラーッと並べ、自然しか歌っていない日本の詩歌と、なんと違うことかと愕然としました。

 さらに六巻には作者別の索引もついています。

 川合康三先生以下の訳注がなければ読み通せませんでした。特に一巻の難解さは印象に残っています。中国史を前提としなければ理解が不可能でした。感謝。

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August 23, 2019

『熱学思想の史的展開 2 熱とエントロピー』山本義隆、ちくま学芸文庫

 近代科学史三部作(『磁力と重力の発見』『一六世紀文化革命』『世界の見方の転換』)の前に書かれていて、山本義隆さんが科学史家として実質的にデビューしたのが『熱学思想の史的展開』だと思います。デビュー作ということで容赦ないというか、数式も多数出てきますし、あまり広い読者を想定していなかった頃の作品です。2010年末に加筆訂正された文庫版の1巻を読んだのですが、その後、東日本大震災などもあって仕事が忙しくなり、読んだものの、まとめるまでにはいたらなかったのですが、この夏の旅行中に再読してみました。

 人類にとってもっとも身近で有益な自然現象である燃焼の原理や熱とは何かについては19世紀になっても分からない状況が続いていた、というのは改めて驚きます。

 1巻では、化学に革命をもらしたラヴォアジェでさえ、焼素(フロギストン、Phlogoston)が空気中に出ていくという燃素説を追放したにもかかわらず、燃焼とは物質と空気のひとつの要素である純粋空気が結合したという熱素(calorique)を提唱するあたりで終わりましたが、2巻は、その熱素説の精緻化と、天才カルノーが完成させたかにみえた熱素説が、イギリス人のエンジニアたちによる蒸気機関の改良と、ジュールによる実験が大陸の理論と結びついて、熱素説を克服する端緒を掴むまでが描かれています。

 1巻ではヨーロッパがアリストテレスの「質の自然学」を克服する中で、「自然を計算し、秤量し、測定する(to number, weigh and measure)」して定量化していくために、ガリレオ(1564-1642)の温度計が発端となったと語られていますが、2巻でもイギリス人のドルトンが膨張なども考慮した《使用する温度計物質によらない普遍的温度目盛りとは何か》を目指します(p.58)。そしてこれが《その後の熱学の発展を貫くものとなる》、と(p.78)。

 熱素説はまるで天動説のように精緻を極めていきますが、真空が多量の熱を含むという方向にいってしまうのが面白い(p.85)。天動説で、どうしても衛星の軌道を説明できなくなって奇妙な運動を導入したのと似ている。

 その後も、様々な実験は積み重ねられていくんですが、クーンが書いたように《科学者が自然を以前とは違った見方で見られるようになるまでは、新しい事実はまだ科学的事実ではまったくない》という状況が続きます(p.152)。

 人類は火砲を除いて、火を熱エネルギーとして直接利用してきましたが、蒸気機関は初めて動力として熱を利用することになりました。こうした中でカルノーは「仕事概念」を導入します。フランス革命は自然の支配と収奪による生産力増大に向かいますが(サン・シモン主義)、それには熱の動力利用が鍵になっていく、と(p.187)。

 《フランス革命では、自由・平等・博愛のイデオロギーとともに、あるいはそれを上まわって、自然の支配と収奪による生産力増大の夢こそが知識人青年を捉えたのではないだろうか。革命後におけるサン・シモンの産業主義というテクノクラートの夢の登場は必然であった》

 こうした観念的な思考が大陸で支配的な時に、英国本土では鉱山の排水・揚水に水蒸気エンジンの開発が進みます。決定的な改良を行ったのはワットで、その鍵は冷却器をシリンダーから分離すること。これによって燃料を75%節約できるようになりますが、冷却水が重要な役割を果たします。

 《仕事を生むためには高温だけでなく低温も必要》で、熱が作業物質を媒介に高温から低温へ流れ落ち、それによる作業物質の体積変化が仕事を生む、と(p.209)。これがカルノーに重要な示唆を与えますが、フランスはイギリスと違って石炭資源に乏しく、蒸気機関の改良が進んでいなかったという事情も関係しているようです(p.216)。

 熱が仕事を生むには温度差が必要というカルノーの基本的な理解は、水の高度差を利用した「水柱機」によるインスピレーションもあったようです(p.228)。そして、カルノーの定理は熱とそれが生み出す仕事の間の定量関係について得られたはじめての表現となっていきます(p.275)。

 カルノーによって絶頂を迎えた熱素説は、その後、急速に衰退しますが、それがすぐに熱運動論にとってかわられたわけではありません。なぜならニュートンによるエーテル説などが根強く立ちはだかっていたから(p.276)。しかし、光と輻射熱の反射・屈折・干渉・偏り・消偏などのふるまいがあまりにも似ていることがわかっていき、徐々にニュートンの権威から離れた熱波動説が受けいれられるようになっていきます(p.295)。

 熱帯地方では体温と外気の温度差が小さいために酸素消費量が少ないから血が鮮やかな赤色をしているというトンデモ的な所見から間違ってエネルギー原理を予言した医師のロベール・マイヤーは「19世紀のガリレオ」と一時は喧伝されたのですが、それは《エネルギー原理の発見が19世紀後半に与えたインパクトの大きさを象徴して》います(p.314)。
 
 マイヤーは運動や熱の原因を「力」と考え、それは消滅することはないとして、エネルギー保存の前提から、熱と運動の変換関係の普遍性というアイデアを導き出します。普遍定数Jの発見は熱と力学的仕事の新しい定量的関係の発見でしたが、このエネルギー保存原理はプランクをして「エネルギーの概念は保存原理を通してはじめて物理学において意味を持つ」とします(p.320)。トンデモ所見から得られたアイデアかもしれませんが、新しいパラダイムはβ-崩壊からニュートリノの発見にもつながります(p.322)。

 中性子が電子(ベータ粒子)と反電子ニュートリノを放出して陽子になる現象がβ-崩壊ですが、当時はエネルギー保存則を逸脱している実験結果しか出ませんでした。しかし、電子と一緒に観測できない未知の粒子が放出されているのではとするパウリの考えによってニュートリノが発見されるわけです。まったく、クーンの言う通りかな、と。

 マイヤーが観念的にエネルギーの原理を発見したのに対し、アマチュア科学者であったジュールはいかにもイギリス人らしい経験主義的な実験を通してエネルギーの原理を追求していきます。ファラデーの伝統もあったのですが、電気・磁気・熱・化学親和力・運動が密接に関係しあっていることが徐々に解明されていく過程は凄いな、と。ちなみにジュールの住むマンチェスターでは1842年に大争議が起こりますが、その年にエンゲルスも父の命令でこの町に来ています(p.347)。そして、この年にエンゲルスは彼の第一バイオンリンとなるマルクスと会い、『イギリスにおける労働者階級の状態』の調査も行います。

 一連の研究によって仕事→熱の変換、熱→仕事への変換があることはわかってきたのですが、トムソンは《仕事の熱への変換は常に可能であるにひきかえ、熱は限られた状況でしか仕事を生まない。具体的に言うと、熱の仕事への変換には温度差を必要とする》ことにこだわります(p.388)。やがて、トムソンは、熱が移動しても場合によっては仕事が得られないのはエネルギーが消失したのではなく散逸の結果であると悟ります(p.403)。ジュールはミクロな分子の回転エネルギーがマクロな仕事を生むと考えていましたが、それには膨大な数の分子が同方向に回転しなければならなかったからだ、ということで2巻は終了。

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August 16, 2019

『武器としての世論調査』三春充希、ちくま新書


 最初に知ったのは東洋経済書評欄。温暖で稲作に適していた西日本は地縁や血縁など共同体が強く、地域密着型の投票が行われるため与党有利だが、明治以降に形成された都市は野党有利。若年層は自民党支持が多いのではなく、野党支持が劇的に減っただけ。新聞社ごとの選挙速報ランクや、「ややリード」などの用語の真の意味の解説もあるということで、読んでみました。

 やはり面白かったのは東西で与党列島と野党列島に分けられるという指摘。これは佐藤進一先生以来の日本中世史の東国国家論を現在も反映しているとも言えそう。元々、三春充希さんは理系の研究者だったらしいけど、データ分析を進めると、東大史学の日本中世史の東国国家論が浮かび上がるというのは凄いな、と。東国国家論は中世に西から独立した東の武家勢力がやがて全国の公家・寺社の荘園を侵食していくという過程ですが、網野善彦先生の東国論にも触れつつ、そうした東西分裂が今でもクッキリと投票行動に現れているという指摘は驚愕しました。

 今は権門体制論の方が強いんで、東国国家論の東大史学が喜んだりして、などと俗なことも考えてしまいました。

 何が良い方向なのか分からないけど、まず社会の姿をキチンと捉えられないと、歪みを押し付け合うようなことが続く、みたいな言い方も好感が持てます。小熊英二の『社会を変えるには』が鬱状態からの復帰の途中でデモに触発されたとか「中学生か!」みたいなことを発端としているのと違って頼もしい。

 三章では、選挙ブーストの話しが面白かった。選挙前になって各党の支持率が上がるのは、無党派という政党がなく、必ず既存の党に投票しなければならないから。この選挙ブーストは報道、資金面でも有利な与党と野党第一党に効くというのは納得的。維新など新党は選挙を重ねるごとにブーストが弱く飽きられている傾向にあるというのも、これまでの選挙ウォッチからは正しそう。

 ただ、維新は関西圏に地盤を固めたような気もするし、与党列島と野党列島という言い方も維新や新党大地、小沢一郎の強い山形を果たして野党に入れるかどうかという問題も含んでいると思います。与党=保守、野党=革新という昔ながらの図式で考えると「ほとんど保守列島じゃない」とも読めるわけで。

 日本の世論調査や報道の分析だけでなく、米国にも言及。トランプへの抗議デモは都市で発生するから比較的取材しやすいので、報道量も多くなるが、アメリカには投票所に行くには何時間もドライブしなければならない土地も少なくない。トランプはそうした地域で集会を開いて、クリントンを圧倒したとして、トランプ支持は大陸だったが、クリントンは諸島だったというのは納得的。

 都市部は駅前などで多くの人に訴えやすくポピュリズム的手法で煽られる無党派層を取り込みやすい、というのは青島、ノック、石原、橋下、小池の勝利を説明したどんな分析よりも納得的。今回の「れいわ」も同じように駅前でのパフォーマンスが多かったのは、そういう分析があったんだろうな、と。熱が冷めるのも速いとは思うが、本当は減少過程に入っているべき維新が今回の参院選で盛り返してるので心配です。

 《少子高齢化を決定的なものにしたのは1990年代の政策です。これは取り返しがつかないほと重い問題》という指摘も大切(p.141)。よく「れいわ」などのポピュリストが小泉・竹中改革を見当違いに批判するけど、こっちの方がより問題です。だいたい総理総裁が経済失策で辞任したのも橋本首相だけだったし、それほどミスマッチの政策だったんだな、と。

 《選挙では個別の政策への意志を満足に示せないからこそ、それを行うデモを民主主義は確保するわけです。ですから「選挙で代表を選ぶ」「デモで政策への意見を表明する」というように、選挙とデモは異なる機能を担う》というのは民主主義における投票行動と直接行動についての簡潔で見事なまとめだと思います(p.177-)。

 55体制以降に中選挙区での総選挙は13回、小選挙区でも8回になもなっているんだな、とp.199の表をみて思いました。どんな制度がいいのか思いつきませんが、もうそろそろ、新しい方式を変えた方がいいかもしれないな、と。

 新聞の情勢分析では、書かれている候補者の順番がそのまま事前調査を反映しているというのはハッとしました(p.219)。

 

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August 13, 2019

『独ソ戦』大木毅、岩波新書

 日の下に新しきものなしというコヘレトの言葉を知っていれば、TVで流れる悲惨なニュースは意味がないことはわかるし、たとえそれがいくら規模が大きくなったとしても、今のところ人類史上最悪の地獄となった『独ソ戦』とは比べものにはならないことが分かります。独ソ戦は70年数前にあった本当の狂気と地獄。それが東部戦線。人類はそれまでも、それからもこんな悲惨な事態は経験してないな、と改めて思います。

 旧帝国陸軍のノモンハン、インパールなどはほんと、「アホな上官、敵より怖い」という感じで、ホラー映画を観るより背筋が凍ります。あまり、こういうことを露骨に言うと尊敬されませんが、「こんな目にあわなくてよかった…」と自分の現状を多少、幸せに感じられるというメリットも正直ありますので、この時期の読書計画に入れることをお勧めします。

 ということでビーヴァーの『ベルリン陥落1945』と『スターリング 運命の攻防戦 1942-1943』、ナゴルスキー『モスクワ攻防戦』などのほか、スナイダーの『ブラッドランド』を含めて大部な独ソ戦の本は時々、読みたくなるので、たまにはコンパクトな岩波新書で『独ソ戦』でも読んでみるか、とあまり期待せずに手に取った本書ですが、これまでの独ソ戦の見方が180度変わりました。

 従来は軍曹あがりで軍事的に素人のヒトラーが無理難題を押しつけたため、優秀なドイツ軍が目的を達することが出来ず、人海戦術のソ連に押されてしまったという認識だったんですが、スターリングラードの独第6軍を逆包囲して殲滅してからは、ソ連軍が見事な連続打撃による有機的な大作戦をみせるですね。

 無傷の日本軍もソ連軍には鎧袖一触で粉砕されるんですが、それはソ連軍の見事なまでの有機的で連続的な作戦にあったんだな、と分かりました。

 本書はいきなり出だしから良いんです。スターリングラードを東京として考えると、戦いの発端となったハリコフは金沢から300kmの日本海の海中、黒海に注ぐドン河の河口という交通の要衝のロストフ・ナ・ドヌーは奈良県という広大さ。ヒトラーが、いくらスターリンがトハシェフスキー以下の軍幹部を粛清していたのを知っていたにしても、よくこんな大作戦を勝利に導けると思ったな、と。まさに「アホな上官、敵より怖い」わけです。

 もちろん、これはイギリス上陸作戦が再建途上のドイツ海軍では不可能なので、空軍力に頼った力押しをしていたのが不可能になったことが遠因。この時点で、リッベントロップはモロトフに日独伊ソ四国同盟でイギリス解体をソ連に提案したんですが、にべない反応だったので、独ソ戦を決断するという乱暴な判断なんですね。

 しかも本来、ヒトラーは独ソ戦を主眼目にしていたんですが、チャーチルが徹底抗戦の方針を固めたため、英本土上陸作戦を指令したが、再建途上の海軍が困難であると難色を示したため空軍力に頼ったという経緯があった上での話し(p.11)。

 こうした動きはゾルゲ電だけでなく、ドイツが攻め込むという情報は百数十件に及んでいたというのに、スターリンは無視(p.3)。自分だけが正しいという今の日共などにも通じる唯我独尊がソ連の国民に2700万人もの死者を出すわけです。

 ヒトラーやスターリンだけでなく、ドイツ軍も全く相手の思惑を読めずに最悪の事態に備えて準備をエスカレートしていったということを含めて、疑心暗鬼によるエスカレートと、思い込みによる現実無視は人類に共通する問題かも。現在でも文在寅大統領が安倍首相の意図を読み間違えたというか読めなかったのは、スターリンがまさかドイツ軍が攻め込むとは思わなかったのと似てるな、とか。

 それにしても、ドイツ軍は41年7月のスモレンスク包囲戦で辛うじて勝利したものの、補給路が伸びきり、部隊の消耗も激しく、この時点で打撃力が足りなくなり事実上ソ連打倒は不可能になっていた、というんですね。まったく、当時の日本の駐欧州武官は何やってたんだ?と思います。12月の日米開戦まで半年もあるのに、まだ「バスに乗り遅れるな」と思い込んでいたなんて。しっかり情報収集していれば、乗ろうとしたドイツのバスはすでにポンコツとなりかけていて、谷底に向かってることがわかったハズなのに(p.62-)。

 当時の情報収集というか、旧帝国陸海軍や外務省は当たり前の公開情報の把握なんかをやっていたのか?と改めて思います。

 ヒトラーはモスクワ侵攻が不可能となるや、今度は戦争継続のために石油を取ると言って、大コーカサス山脈の北麓にあるマイコープを占領したものの、ソ連が退却する前に破壊したため目的は達せられませんでした(p.140)。マイコープ油田は再稼働は戦後の1947年だそうで、これはイラクも湾岸戦争でクウェートの油田でやってるけど、最悪なんすよね。

 こうしたソ連軍の作戦が進展するにつれ、モスフィルムの『ヨーロッパの解放』を再び観たくなりました。当時は単なる大がかりな戦争映画、しかもソ連のプロパガンダじゃないと思いながら見ていたんですが、多少、舞文曲筆はあるにせよ映画『ヨーロッパの解放』は作戦行動通りに描いているんですね。クルスク大戦車戦で、ソ連軍の対戦車砲がやたらドイツの戦車に当たった場面が続いて、子供ながら「そんなわけないでしょ」と思っていたけど、ソ連軍は突出部となっていたクルスクを泥濘期が終わったら必ずドイツ軍が標的にすると踏んで、入念に測定などの準備していたとは知りませんでした。

 p.204の地図はフィンランドからルーマニアに至る長大な戦線を見事にコントロールして、10の軍団から構成される《五つの連続打撃を行う》《攻勢が相互に連関》する見事な戦術を説明しています。これまで東部戦線を描いた本、映像作品は「ヒトラーが口出ししなけりゃ」というドイツ惜しかった史観だったことが痛感されるのが、この独ソ戦の終わりの始まりとなる「バグラチオン」作戦です。

 それにしても、スターリングラードを包囲した独第六軍を逆包囲してからの見事な展開には驚かされます。そして《こうして磨き上げられた作戦術は、翌年の「満州国」侵攻でも猛威をふるうことになる》わけです(p.206)。大事なことなので二度言いますが、ほぼ無傷の旧関東軍が鎧袖一触で粉砕されたのは、相互に連携され、相乗効果を産むソ連の連続打撃だったのかと蒙を啓かれました。

 文献解題で、参考文献としてあげられていた書籍に白水社から刊行されたものが多いのにも驚きました。あまり戦争モノには縁がない版元と思っていたが、読書量不足も実感できました。

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August 08, 2019

『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』小熊英二、講談社現代新書


 新書とはいえ、序章で簡単に先行の研究史と方法論にふれているのもいい感じ。各章の扉にまとめが簡潔に記されているのは分かりやすい。時間のない方は、各章のまとめと3-6章だけでもご覧になったらいかがでしょうか。

 第一章「日本社会の「三つの生き方」で大企業型、地元型はわかるけど残余型という言い方がわかりにくいな、と思ったけど職域と地域という《基本的な単位となる帰属集団》に根ざしていない、という言い方がやっとわかりました(p.35)。大企業型は大卒で大企業や官庁の終身雇用、地元型は高卒で農業や自営業、地方公務員など。大企業型は給与は高いかもしれないが、住宅ローンを考えると使えるカネは少なく、政治力もない。地元型は給与も低いが、家があるのでそこそこやっていけるし、政治力もある。残余型はどっちもない、みたいな。

 第二章では《その社会で「あたりまえ」であるような慣行ほど、本や論文を調べてもよくわからない》《研究書その他で得た情報をもとに書いているので、最新事情とは言いがたい部分もある》というあたり、お、これまではとは違う感じと感じる(p.97-)。

 【三章】

 米英仏独の雇用習慣がどのような歴史を経てかたちづくられたかを説明してくれて、ここから六章までが本書の白眉。日本的雇用システムの特徴を欧米と比較して説明する試みはこれまでも読んだことはあったけど、どれも現象面だけのような記憶だったので、新書ながらもコンパクトにまとめてあって納得的(もちろんぼくが圧倒的に読書量は少ないのが原因かもしれませんが)。

 結論として日本型雇用は「企業のメンバーシップ型」、欧米は「職種のメンバーシップ型」と形容すべきという指摘にはハッとさせられる。この違いは長期雇用や安定した賃金を「社員の平等」で実現するか「職務の平等」を通じるかの違い。ただし、それは経済成長期の人手不足を背景に広がった、と。

 《どこの社会の労働者も、雇用や賃金の安定を求めるし、経済状況が許せばそれが可能になる》(p.205-)わけだが、日本の非正規の問題は、グローバル化にフィットした「職務のメンバーシップ」が不況期に拡大して、日本国内でも改善される見込みがないことなんだろか、とも考えさせられました。

 同時に欧米的な「職務のメンバーシップ」がすべての解決策ではないし、歴史的な必然の束で形成された制度を、欧米で権利意識が強いからと、現象面だけに着目して指摘する自称欧米通は全く役立たずというか《質的に違うものを、量的に比較しても意味はない》(p.147)という指摘は納得的。フランスのストなどを「権利意識が強いから」というひと言では片づけられないわけで。

 米国の場合、現場を丸投げされた職長が恣意的に労働条件を決めたり、解雇出来たことへの反発から職務の平等は勝ち取られたものだし、それを通じての同一労働同一賃金は、日本型でも社員の平等が実現されてないのと同様に実現されてはいない、というあたりはなるほどな、と。

 大学教授でも使う「テュニア」は職務の「保有権」であり、解雇されない立場のこと。米国で大学院が発展したのも四年制大学卒が多くなり、差別禁止もあって採用基準として便利だったから。独仏の大学制度も歴史的な必然で整備されてきたもので、そうなると日本の大学ヒエラルヒーも必然?

【四章】

 いきなりちょっとあやしげな記述に遭遇。それは明治維新後、士族が早々に退潮したことを学歴が身分的指標に転化した理由だとp.224,267で強調しているあたり。224頁では欧州貴族は土地を持っているが、武士は土地と切り離されていたからと、『ドイツ官僚制成立論』と日本近世史意外の資料を典拠に語っているけど、出典も問題だし、指摘も疑問。

 ぼくも専門ではありませんが、Lehen(封土)からPfrunde(俸禄)の移行は欧州でもあったろうし、後半で例にあげられているイギリス貴族は大規模な大名クラスじゃないの?と思いました。明治政府の身分の三層構造が民間企業に持ち込まれたって論旨だけど、幕藩体制の武士の身分だって似たような感じだったのでは?

 単に能力主義選抜による三層構造に変わったといえば分かりやすくていいのにな、と。払い下げで民間企業となっても官営企業時代の影響が残り、そこから広かった子会社にまで波及したですみそう。あと、259頁になってやうやく「職員」という言葉が出てきたが、この言葉の持つ複雑なニュアンスの説明は不足していると感じる。

【五章】

 日本が制度を真似たプロイセンでは大学卒業者が供給過剰で、高級官僚になるには40歳になるまで生計を確保する必要があったため資産家か貴族、あるいは資産家の娘を嫁にもらわなければならず中間層以下は10%に過ぎなかった、というあたりはなるほどな、と。

 ホーエンツォレルン家には「官吏は多ければ多いほど盗っ人が多い」を家訓とするなど、官吏と王政は緊張関係にあり、職務と権限の明確化・文書化がうながされた。出自によらず帝大を出て高級官僚になれた日本は平等だったが、明治維新直後は帝大卒が少なすぎた、と。

 日本の中央官庁では本省の「課」が事実上、日本国政府そのものであり、課長は一国一城の主だが、それはプロイセンの君主やアメリカの世論などの対抗勢力がなかったため。日本の場合、軍隊の影響も大きく「現役」と同じく「定年」も軍隊用語。徴兵制なので日本の男性社会には良く馴染んだ、と。

 1920年の大学令で早慶など10校が大学と認められ、一気に供給過剰となり、成績上位者が必ずしもビジネスで役に立たないことも分かってきたので、企業の採用も人物本位となり、学校の紹介が重要視されるようになった、というあたりは納得の流れ。こうした動向は中学、実業学校にも及んだ。これは学校の制度が州ごとに違う米国ではありえないこと、というあたりも面白かった。

【六章】

 日本で企業別労組が発達したのは大平洋戦争後、食糧難の中で、疎開にも行けずに荒廃した都会に残された、帰るべき田舎を持たない工場の従業員が互助的に工場内の土地や物資を使って自活するなどの経験が大きかった。工場は配給ルートとしても重要だった、というあたりはハッとさせられた。

 愛国的な工員たちは敗色が濃くなると幹部たちが物資を横流しして必需品を得ていたのを知って、それが武器の不良品を生み負けたことを戦後、糾弾した。共通の生活苦を共に味わったこともあり、上級社員と工員を平等に扱えという要求は《日本の労働者が理解した戦後民主義であった》(p.363)というあたりは妙な感動も。

 労働者は家族が食っていける生活給という考えを重視(家族手当など)。経営側の裁量を減らすという目的もあり、効率化を目指す経営陣とは同一賃金同一労働でも対立。やがて経済が成長すると高給を貰える方を選んだ労働者は第2組合をつくっていき、混合組合の弱点があらわになった、と。

 経営側も厳しい対立を続けるより、長期雇用や年功賃金と引き換えに組合と妥協する方を選んだ。軍隊という共通経験は大きく、荒畑寒村は組合委員長として隊伍を組んだ組合員から敬礼をうけた。また、国民皆保険は国民皆兵からもじったというのは知りませんでした。

 地元に住んで親の家を継ぎ、地域社会に溶け込んで…というのが一番ラクそうに描かれていたけど、そうした地域社会がなくなったら、大変なんだろうな、というのは実感できる。ただし、その類型ともいうべき「半農半鉄」にひと言も言及していないのは瑕疵かな、とか。

【第七章】

 ここでも、通奏低音のように大学院進学率は伸びず(p.457)と書いています。一方で米国ではより良い職種に付くために大学院進学率が伸びた、と。今後、この方向で分析を「日本社会のしくみ」の解析を進めていくとしている筆者にとって鬼門にならないかな。

 吉本隆明さんは「不況で就職口がなかったから大学院に進んだし、指導教官もそう心得ていた」と自身の戦争直後の体験の中で書いていたんですが、60-70年代にそうした現象が日米で対照的に起きたとしたら、日本が高度成長期、米国に陰りが見えたからかもしれないかな、とは思いますが。米国の当時の大学院進学状況には、吉本さんが語っていたようなものがあるのかないのか。マクロレベルしたら小さな問題かもしれないけど。

 八章では中井久夫の《論文を読後感によって二つに分け「なるほど」型と「それがどうした」型》に分けられると『私の「本の世界」』筑摩文庫で述べているあたりを思い出しました(p.155)。1-6章は「なるほど」型だったけど、7-8章は「それがどうした」型かな。労務管理のハウツー本に書かれているような内容に、強引に大学院進学率が低いという指摘を付け加えただけのようなというのは言い過ぎにしても。

 会社勤めなど経済の実態の経験の少なさから頭でっかちな浅い分析になっていそうな気もしたので、あまり期待はしなかったんですが、3-6章は面白かったです。文体も変わったというか、重苦しくなくなって、対象により真摯に向き合う姿勢も感じられます。これまでみたいに、最初に結論ありきで書いてる感じはない。『1968』は良かったけど(テキストだけじゃなくて、少しは自分の記憶もあるだろうから)、それより以前の近現代の過去は「書いてないこと」には言及できず、かといって現代は思い込みが過剰な感じがしたんですが、今回は記述もフラットでバランスがとれている感じ。小熊さんはテキストは大量に読むが、確か谷川健一さんにテキストにないからそう言えるとは限らないと柳田国男に関して言われたことを思い出します(『対話の回路 小熊英二対談集』p.239-)。

 ただ、竜頭蛇尾というか、最初から言及している大学進学率は上がったが、大学院進学率は伸びず、日本は国際的には低学歴化しているという見立ては面白いものの、その原因を企業が『地頭の良さ」を求めるからというステロタイプの分析以上のものがない感じ。企業は絶えず変化していく環境に対応しなければならないし、大学院への進学率向上よりも、大学教育の充実など、他の処方箋もあるだうに、という印象。

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July 10, 2019

『考古学講義』

『考古学講義』ちくま新書、北條芳隆(編集)

 全体の責任者である北條芳隆さんによる最後の14講義「前方後円墳はなぜ巨大化したのか」が抜群に面白いので、その章だけでも読む価値があります。

 高句麗など朝鮮半島における同時代と同じように列島では、首長制社会にあり、姉と弟が政務を分かち合ったり、部族間で主張連合の長を決めていた可能性がかなり高いんだな、と感じました。

 そして、いち早く統一的な国家を形成した中国本土では(それまでは部族というか、国々が鼎立していた)その勢いをかって朝鮮半島の北部から中央部にかけて楽浪郡と帯方郡を設置して、中央集権の官僚を派遣して統治していましたが、これが半島と列島の国家形成過程に大きな役割を果たしたんだな、と。

 中国本土との連絡を絶たれた楽浪郡、帯方郡の後漢などの王朝の官僚たちは、半島や列島の王権に雇われ、三国時代以降も中国本土との接近を図るルートとして活躍し、中央集権とまではいかないにしても、統治のシステムづくりをになっていったんだろうな、と。

 例えば、238年に公孫氏政権が滅ぼされ楽浪郡・帯方郡が魏に接収された翌年、卑弥呼が素早く魏に遣使したことが奏功し、列島各地の上位層も卑弥呼を擁する政体と同盟関係を結んだ方が対外交渉もやりやすくなり、近畿中央も鏡の配布や前方後円墳などによって広域な関係がつくられた、みたいな。

 また、なんで、神社では鹿が大切にされているのか、ようやくわかりました。それは《シカの角が春に生えて秋に落ち、来春に再び生え変わることに稲の成長と同一の神聖性を見出した》からなのか(p.129)、と。縄文時代には多産で生命力にあふれる猪の土製品が盛んにつくられたのに、この変わりようというのは、やはり農耕社会への転換がインパクトを与えているんだろうな、と。

 ちくま新書では『古代史講義』佐藤信(編)も面白いので、ぜひ。

 最後の14講義「前方後円墳はなぜ巨大化したのか」をまとめてみると以下のようになります(アレンジあり)。

1)前方後円墳を国家形成過程での「王陵」とみると、徐々に大きくなっていくのはおかしい。なぜなら、先代墓より大きなものをつくるのは祖先の神格化を阻害するから
2)秦の始皇帝と同規模の墓をつくるのは当時の経済力からして不釣り合いにすぎる浪費
3)厚葬は富の消費で、国家ならば治水や利水などの公共事業に傾注すべき
4)前方後円墳で基本構造が似ているものがつくられたのは部族集団が優劣を争ったからではないか
5)巨大墓の造営は蓄財の完全放棄による身分の平準化志向がうかがえる

という5つの疑問を呈し、そこに

1)東アジア一帯を襲う寒冷化と乾燥化
2)後漢王朝の滅亡から魏晋南北朝期に至るまでの中国大陸における南北分断国家群の興亡
3)高句麗の南下による朝鮮半島の流動化および朝鮮三国間の緊張関係

という条件を考えると、それは巨大な前方後円墳の造営は「ポトラッチ」ではなかったか、というんですね。

高句麗は対外的には国家として立ち現れる強国だったものの、内実は五部族からなる連合政権で、人類学的には首長制社会(ピエール・クラストルがいう「国家に抗する社会」*1)だった。しかし、戦時首長としての性格を帯びていた可能性が高い、と(これは旧約聖書でいえば「士師」の時代なのかな、みたいな)。

高句麗は楽浪郡と帯方郡を滅ぼすことによって、部族連合では生まれるはずのない官僚と宗教知識人(仏教)を取り入れたことによって、部族国家となっていった、と。

また、広開土王碑文でも、倭を最大のライバルとして敵意を持って書いており、倭も共進化(とは書いてなかったですが)して国家形成に至った可能性がある、と。

当時、倭も首長制社会だったと考えられますが、首長は民衆に惜しみない富の配分、ポトラッチを強いられます。さらに、列島では大王を輩出した部族が次世代に資産を引き継ぐことのないように注視されていただろう、と。それは近畿の倭王権だけでなく、地域首長でも同様であり、だから300年間にわたり5200基の前方後円墳がつくられたんだろう、と。

卑弥呼墓と推定される箸墓古墳や、最大の大仙陵古墳は当時の貨幣である稲わら換算で平城京と後期浪速宮の維持費と建設費の5年10ヵ月分に匹敵していたであろう、と推定されます。

浪費ではあったのですが、当時、半島からは避難民、国内でも寒冷化による再流動化が起こっており、そうした問題に対する公共事業としての役割は果たしたんじゃないか、という見方もあるそうです。さらに、倭の大王は世襲された可能性は皆無に等しいとみられており、新たに擁立された大王の権威は、血のつながらない先代との比較優位を目指すために、ポトラッチのような競争が生まれたんじゃないか、という推測は納得的でした。

また、寒冷化によって、交易の際の貨幣になった稲束の価値が半島で高まり、鉄も入手しやすくなったのも、武力を伴う国家形成には役立ったのかな、と。

前方後円墳がつくられた時代というのは、たぶん、そうした時代だった、というのは本当に新鮮でした。

*1 国家は必ずしも必然的に立ち現れるのではなく、そうした形態をとることを阻止しようとする権力に対する自律性を守ろうとする自然の仕組みを維持することに失敗した社会において、魔力によって合法化される、みたいな。旧約聖書では士師記の時代でしょうか。

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July 09, 2019

『人生で大切なことは泥酔に学んだ』

『人生で大切なことは泥酔に学んだ』栗下直也、左右社

 扱っているのは大きく分けて歴史的人物、スポーツ選手、文壇の人々だが、ダントツに面白いのは文学者、評論家、出版人など。やはり屈折が入っているからだろう。歴史上の人物やスポーツ選手の場合、酒の上の失敗エピソードは豪快だが、ほとんど記憶喪失としてしか処理されていないというか、忘れさるしかないので屈折として残らないが、文壇の人々は引きずる感じ。そこが面白い。
 《酒をやめたら、もしかしたら健康になるかもしれない。長生きするかもしれない。しかし、それは、もうひとつの健康を損ってしまうのだと思わないわけにはいかない》というのは山口瞳の『酒飲みの自己弁護』というタイトルそのままの言い訳ですが、文学者は《かんがへて飲みはじめたる一合の. 二合の酒の夏のゆふぐれ》(牧水)のはずがいつの間にか度を過ごしてしまい、ウジウジと自己弁護をしながら、毎晩飲みまくります。
 しかも、その自己弁護っぷりが面白い。例えば河上徹太郎。日本芸術院会員、文化功労者で小林秀雄などと近代の超克などを語りながら《足し算も引き算も要らない典型的な「ザ・酔っ払い」》となりトラ箱のお世話になります。《もう、河上などと書かずに「てっちゃん」と親しみを込めて呼びたい》ほど可愛い酔っ払いぶりの河上は、自分を保護してくれた上に家族を呼んでくれた警察に《「あそこのおまわりさんはホテルのボーイさんみたいに親切だね」とよくわからない分析を示》し、さらには御礼にウィスキーで乾杯したいとまで言い出す。これには《斬新すぎて盟友の小林秀雄も言葉を失うであろう》と近代を意外な方向で超越してしまったという筆者の評価には深く頷かざるをえません。《知識人にはときに独特の世間ずれが見え隠れするが、てっちゃんはもはや読み手がリアクションに困る域まで昇華させている》から。
 そのすぐ次に紹介されているのが小林秀雄。水道橋のホームから酔っ払って10メートルほど転落、奇跡的にかすり傷ひとつ負わずに助かった事件の顛末が笑えます。小林秀雄は《母親が助けてくれた、と考えたのでもなければ、そんな気がしたのでもない。ただその事がはっきりしたのである》とベルグソンを論じた「感想」に書くのですが、《どうだろう。前提を踏まえて、ありのままを語ってもらっても全くわからないではないか》という文章の呼吸には笑わせてもらいました。小林は落下したあと、助けてくれた駅員など《相手の善意を全て撥ね付けて爆睡》したあげく《いろいろ反省してみたが、反省は、決して経験の核心には近附かぬ事を確かめただけであった》と記します。これには筆者ならずとも《「ごめんなさいもいえないのか」と叱ってやりたい》と思うばかり。
 河上、小林に共通するのは面倒臭さでしょうか。しかし、二人を紹介したあとで《人間振り幅が大事なのである。意外な一面を見せれば「こいつ、実はしょーもない」と思われるかもしれないが、親近感は増す。職場での好感度が上がることは間違いない》と結ぶ筆者。新たな文壇のスター誕生を予感させます。童貞を捨てたいと路上で寝そべって駄々をこねた梶井基次郞、同居女性の首をしめ「俺は天狗になったぞ!」と二階から飛び降りた辻潤なども素晴らしいのですが、個人的には連載時から筑摩書房・古田晁社長のエピソードが好きです。
 名文なので引用してみると。
《ある日、馴染みの居酒屋でできあがっていた古田は店の前を屋台のラーメンが通ったので外に出た。酔っ払っていたとはいえ、腹が減っていたのだろう。食べながら、しばらくすると、一緒に出ていた板前に紙を要求する。口の周りでもふくのかと我々のような凡人は思うし板前も想像したのだが、古田は紙を腰より下に持っていく。どうしたのだろうか。のぞいてみると何と脱糞していたのだ。ラーメン食いながらクソである》
 酔い潰れてズボンを濡らしてしまった、なんていうエピソードまではよく聞くが、その上空はるか成層圏を超音速で翔け抜けるような見事さです。
 酔うと誰彼かまわず寝込みを襲い、出版社社長や文人をたたき起こして拉致、ついでに隣人の家に配達されていた牛乳を飲み干す古田。そんな古田が経営していた筑摩書房の社員旅行は、女子従業員の部屋に突入し、全裸でエレベーターに乗る乱れっぷりだったといいます。一度でいいから、古田時代の筑摩書房で働きたいと思ったけど、やっぱり実際に対応するのは面倒臭いかもしれない。でも、素晴らしい。最高です。

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July 03, 2019

『文選 詩篇 五』川合康三(訳)他、岩波文庫

 「第五冊」は楽府の後半、挽歌、雑歌、雑誌の前半が収められています。その雑歌は古詩十九首から始まりますが、「はじめに」で《叙情や人生のはかなさから生じる悲しみと満たされない恋の悲しみ-中略-それは日本や中国に限らず、どの国の叙情詩においても見られるものでしょう。ただ中国の士大夫の文学はそうした感傷に浸ることなく、悲しみを乗り越え、人間の力を肯定し、生きる意欲をうたおうとする、そこに中国古典詩の特質があるように思われます。そうして登場したのが建安の文学であり、建安文学こそ中国の詩の始まりといってよいものです》とあります。

 昨年末、東洋大学で川合康三先生の講演を拝聴したのですが、そこでも「隠逸への憧れや、厭世観などなどではなく、曹操の『歩出夏門行』の、老驥(ろうき)は櫪(うまや)に伏すも、志千里にあり、烈士暮年、壮心不已(やまず)などの悲観主義を乗り越える詩が上等とされた」と、説明しておられたのを思い出します。

 先日の北海道旅行のお供に読ませていただいたのですが美しいな、と思ったのは謝朓の鼓吹曲(p.148)。

飛甍夾馳道 垂楊蔭御溝
飛甍(ひぼう)馳道(ちどう)を夾み 垂楊(すいよう)、御溝(ぎょこう)を蔭(おお)う
あたりは素晴らしいな、と

最初の陸機のもカッコ良いな、と思いました。

陸機『楽府十七首』の崇雲臨岸駭、鳴條随風吟 崇雲岸に臨みて駭(お)き、鳴條(めいじょう=)風に随いて吟ず

飛鋒無絶影鳴鏑自相和 飛鋒(ひほう)影を絶つこと無く、鳴鏑(めいてき)は自ら相い和す

守一不足矜、歧路良可遵 一を守るは矜るに足らず,歧路(きろ)には良に遵うべし

我酒既旨、我肴既臧 我が酒既に旨し、我が肴既に臧し(料理よしの「臧し」はこの漢字を使うんだ…)

鮑照も勉強させてもらいました(p.121)。

撃鍾陳鼎食、方駕自相求 鍾を撃ちて鼎を陳(つら)ねて食らい、駕を方べて自ら相い求む(鼎食という言葉は史記にもあるのか)

雑歌は名歌のアンソロジー。

風蕭蕭兮易水寒、壮士一去兮不復還 風蕭蕭として易水寒く、壮士一たび去って復た還らず

子瑕矯後駕、安陵泣前魚 子瑕は後駕を矯(いつわ)り、安陵は前魚に泣く(男色をもって魏の安釐王に寵愛された龍陽君が、容色が衰えると捨てられると嘆いた歌)

雑詩も名歌のアンソロジー。

所遇無故物 焉得不速老 遇う所故物無し、焉んぞ速やかに老いざるを得ん(いつの時代も変わらぬ感慨)

雑歌十四の一、五、六句は『徒然草』に引かれ、日本の無常観にも影響を与えた、と

漢詩は大好きですが、素人なので、『文選 詩篇』の解説の最後に《『詩品』上品》とか書かれているのを素人なんで、最初は何だろうと思ってたけど、梁の鍾嶸が編纂した文学評論なんすね。で、『詩品』では曹植が上品、曹丕が中品、曹操が下品。これはわざとなのかな?

四海皆兄弟、誰爲行路人 四海皆な兄弟、誰か行路の人と爲らん(蘇武のこの詩は、開戦を決定した1941年9月6日の御前会議で昭和天皇が詠んだ明治天皇の御製「四海兄弟 よもの海 みなはらからと 思ふ世に など波風の たちさわぐらむ」に影響を与えているのかな?p.259)

蘇武はこのフレーズもカッコ良いな、と(p.258)

燭燭晨明月、馥馥我蘭芳 燭燭(しょくしょく)たり晨明の月、馥馥(ふくふく)たり我が蘭の芳り

『詩品』上品の曹植はこんな詩も(p.313)

烈士多悲心、小人偷自閒 烈士 悲心多く、小人自ら閒なるを偷しむ(これは曹操の烈士暮年、壮心不已へのオマージュですかね?)

張華のこの詩も素晴らしい(p.331)
清風動帷簾、晨月照幽房 清風 帷簾(いれん)を動かし、晨月(しんげつ)幽房を照らす

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