April 29, 2025

『舞台が幕を開けるまで 演劇のつくり方、教えます』おーちようこ

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『舞台が幕を開けるまで 演劇のつくり方、教えます』おーちようこ、大修館書店

 読んでいて、本当に楽しかったし、演劇に関する理解がより深まりました。高校時代に文転してヤクザな社会科学の方向なんかに歩まず、もっと文系文系した演劇をやればよかったな…中学で映画を撮ったり、高校一年の前半では脚本・演出で芝居をかけたんだよな、とか詮方ない事を思いながら…まあ、なるようにしかならなかったでしょうがw

 この本を知ったのは著者紹介もかねた日経の書評欄の記事。《劇作家、演出家、プロデューサー、美術、衣裳、ヘアメーク、照明、音響……本書は16人へのインタビューを通じて、企画段階から脚本の決定、チケット販売、演出の具現化、稽古、そして初日の幕が開くまでの、それぞれの役割を紹介する〝舞台づくりの教科書〟》《一般にはイメージのしにくい職種に「制作」がある。取材窓口を担い、チラシや公式サイトの作成、チケット販売実数の管理など職務範囲は広く、責任は重い。本書がスポットライトを当てた女性は「すべて稽古場で起きていることが舞台になっていく」と考え、できるだけ長く稽古場に身を置く。「誰がどんな表情をしているのか? など現場の空気をどれだけ感じ取れているかが非常に大切」との矜持を持つ》なんていうのを読んで、即、購入。

 この制作の部分の話しは関根明日子さんですかね。チケットに関わる業務全般を「票券」といいますが、大きな制作会社は企画、キャスティング、票券、宣伝などの部署に分かれているといいます。そして、芸術とお金をすりあわせることでクオリティや舞台に関わる人の士気に関わるとか、なるほどな、と。

 舞台制作ということとは直接、関係ないけど、人を動かして舞台も含めて何かをつくろうという時の今の世相についての鴻上尚史さんのインタビューが印象的でした。

 《昭和の時代に紅白歌合戦の視聴率が70%を超えている時代は、なんとなくみんな同じだと思われて、言わなくても分かるよねというモラルを守ることで社会が成立していたと思うんです》《でも、今は、モラルではなくルールを学ぶ必要が出てきた。だって、多様性の時代ってことは、みんなが違ってきている》《言わなくてもモラル、分かるよね、っていう時代じゃなくなった》(p.18)

 このほか、知ったことは

・脚本は1分間に300~400文字の台詞量
・舞台監督は建て込みの手順に合わせて大道具の搬入、証明さん、音響さんが機材を入れる時間に合わせて、どこへトラックを向かわせて積み込み作業をすればいいのかも段取りする
・だいたい仕切っているのは舞台監督
・俳優座は閉館したけど、大道具をつくる俳優座舞台は健在というか、第一人者
・商業演劇だと衣装だけで100人が関わる
・衣装の部分がひとつ取れて奈落に落ちても舞台機構がおかしくなることをアタマにいれてつくらなくてはならない
・衣装付稽古という稽古がある
・立ち稽古は「ミザンス」
・男子校は夕暮れ時に静かになる
・BGMは夏と冬で聞こえる音量が違う
・大きくなっていく劇団は、劇団員の将来を考えている

 それにしても小劇場は一週間単位の貸借りとは…。月曜日に大道具を入れて火曜日までに組み立てて、照明の当たり具合を確かめて、水曜にゲネプロと初日、日曜日に千穐楽というスケジュールなのか、と(宝塚は大したもんです)。

 最後に…ぼくは、新しい職種の話しが出ると、よくぺりかん社のシリーズ「なるにはBooks」を読むんです。「なるにはBooks」は中高生向けにゲームやアニメ業界で働くにはどうしたらいいのかを、それぞれの職種のプロの人たちにインタビューしてまとめている本なんですが、舞台を含めてこうしたのは、やっぱインタビューをまとめると分かりやすいな、と改めて思いました。

【目次】

まえがき

絵で見る「舞台が幕を開けるまで」

★インタビュー

鴻上尚史(作家・演出家) 相手の心を想像する心を育てる、それが演劇のすごさ

[1]公演の企画  企画を立案する

★インタビュー

岡村俊一(プロデューサー) 主演は決める、のではなく、決まるもの

早乙女太一(劇団座長) 昔の大衆に向けた演劇を、今の大衆に向けた演劇へ

[2]脚本・演出の決定

オリジナルの脚本を書く、あるいは原作から上演台本を書く

出演者と役を決める

脚本をもとに演出のプランを立てる

★インタビュー

中島かずき(脚本家) 僕は例えるなら「注文住宅」なんです でも予想外の家を建てることが楽しい

石丸さち子(演出家) 演劇とは見知らぬ誰かと出会うこと

[3]公演の宣伝・チケット販売

宣伝材料/パブリシティを作成し、広く告知するために

チケットを販売するために

★インタビュー

関根明日子(制作) 稽古場で起きていることが舞台になる

[4]演出計画の実現

作品世界にそった舞台美術の計画を立て、形にする

衣装を借りる、あるいは作る

作品世界に沿ったヘアメイクを考える

★インタビュー

小林奈月(舞台美術家) 演出家が想像するその先へ

金安凌平(舞台監督) 「それはできない」と言いたくない

藤江修平(大道具製作) 舞台を通して人の心を豊かにする

黒澤花如(大道具製作) ひとつとして同じことがない仕事です

及川千春(舞台衣裳家) 衣裳が彩る世界観で作品によりそいたい

伊藤こず恵(ヘアメイク) このヘアメイクで役になれた、その言葉がうれしい

[5]稽古開始

稽古する

照明プランを考える

音をつくる

★インタビュー

一色洋平(俳優) 舞台と客席にある透明な壁を破る、それが役者のおもしろさ

松本大介(舞台照明家) 照明は角度と高さの芸術です

佐藤こうじ(舞台音響家) その音は、いつ、どこで、誰のために鳴るのか

[6]小屋入りから初日へ

建て込みをする

場当たり・ゲネプロをする

本番中

千穐楽を迎えて

★インタビュー

本多愼一郎(劇場支配人) 劇場は真っ白であるべきです

あとがき

演劇キーワード索引

【Column】

演劇を続けるために、「劇団」という形があります

インティマシー・コーディネーターの導入やハラスメント防止ガイドラインの公開も

制作は公演の最初から最後まですべてを支えるプロフェッショナル

舞台が事故なく怪我なく進むようすべてのチームをつなぐ要、それが舞台監督だ

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『はじめての構造主義』橋爪大三郎

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『はじめての構造主義』橋爪大三郎、講談社新書

 1988年というレヴィ・ストロースの主著もまだ翻訳されていない時期に、レヴィ・ストロースの仕事にフォーカスしながら構造主義を西洋哲学史の中で説明しようとした本です。

 なんで、今さら「読んだ」のかというと、ジムで聴くAudibleを探していて、面白そうなのがなくて、「ま、橋爪さんの構造主義の本ならいいか」と選んだから。あと、スマホのAudibleの検索では出版年数とか出てこない場合があって…。でも、ま、改めて復習も出来たし、アルチュセール、フーコー、バルトなど、随分この手の本は読んできたな、と懐かしかったです。

 この本の特長といえば、近代西欧哲学の流れの中で、構造主義がどういう意味を持っか、みたいなことを書いているところなんですかね。デカルトは知覚の基礎に自己を置いたのですが、バラバラな近代の個々人が理性的に追求した先にも真理があるとした近代市民社会の価値観に合致したカントの後、モノの見方としての西洋絵画における遠近法、証明の基礎となるユークリッド幾何学が解体されるなかで知への不信感が高まる、と。いったん歴史の進歩というマルクス主義というドグマに収斂されるものの、ソ連などの明らかな失敗からまた不信感が蔓延したところに、将来の歴史は見通せないものの人間は生き方を自分で決める自由と責任があるのだから現存在を歴史に投げだそうと実存主義がすくい上げた、みたいな流れの果てに構造主義を置いたこと。

 レヴィ・ストロースが分析した親族の基本構造や神話の構造、あるいはそもそも言語の構造などに現れる構造に人間は支配されているんだから、価値とかはありないわけで、まず、そうした構造こそを解き明かすことから始めよう、みたいな。だいたい、女系の交差イトコ 婚で一族の輪を広げるなんていう、高等数学がやっと解き明かせるような仕組みを、西洋が「未開」としてきた人たちが「野生の仕事」でやってきたんだし、と。

 面白かったのはジュリア・クリステヴァを含めた構造主義のグループと数学のブルバキ集団とのつながり。どっかの本で(レヴィ=ストロース『遠近の回想』?)シモーヌ・ヴェイユはフランスに亡命していたトロツキーとバカンスに訪れた地で会っているみたいなのを読んだ時「勝てねぇ…」と思ったんですが、構造主義グループとブルバキ集団にもつながりがあるなんて、もっと「勝てねぇな…」と。

 レヴィ=ストロースは『悲しき熱帯』を「世界は人間なしに始まったし、人間なしに終わるだろう」と締めくくっていますが、そんなのも思い出しました。

【目次】
●『悲しき熱帯』の衝撃
●天才ソシュール
●レヴィ=ストロースのひらめき
●インセスト・タブーの謎
●親族の基本構造
●神話学と、テキストの解体
●構造主義のルーツは数学
●変換群と〈構造〉
●主体が消える
●構造主義に関わる人びと:ブックガイド風に
●これからどうする・傾向と対策

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April 26, 2025

『家康VS秀吉 小牧・長久手の戦いの城跡を歩く』内貴健太

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『家康VS秀吉 小牧・長久手の戦いの城跡を歩く』内貴健太、風媒社

 小牧・長久手の戦いのハイライト、池田恒興、森長可らの三河中入り軍を家康軍が破ったのは4月でしたが、外出するときにカバンに入れて読んでいた『家康VS秀吉 小牧・長久手の戦いの城跡を歩く』をそろそろ紹介します。

 花粉の季節で目が効かず、集中力もない中、移動中の無聊をなぐさめてくれました。いつか、春の季節にこの本を片手に羽黒城から小牧山城、長久手城あたりを歩いてみたいと思います。

 日本史は(も)素人なので羽黒城が梶原景時の孫・影親が、一族を滅ぼされた後、頼朝の愛馬「麿墨(するすみ)」を伴って落ちのびた先に築かれたというのは知らず、本当に驚きました。羽黒城はその子孫の景義が信長に仕えて三千石の領主となった時まで居城だったとのこと。しかも、その景義は本能寺の変で殉死したとは(p.57)。

 大留城もぜひ訪ねてみたい城です。大留城は足利義輝配下の村瀬氏が築城したとされ、合戦当時は信雄・家康側のつくのが筋だったが、池田恒興らの大軍を前に受け入れます。しかし、裏では小牧山にいる家康に三河中入り軍の行軍状況を報告、正確な状況把握に協力したとのこと。城跡碑しかないとのことですが、どこか詰めの甘い池田恒興、大軍相手に玉砕するのではなく、裏で敵方にも通じるという当時の武士のあり方、それを活用する家康の度量とか、いろんなものを感じることができそう(p.91)。

 長久手の戦いで敗走した池田・森軍の兵士が落ちのびたのは大草城。家康は大草城の攻撃を命じますが、秀吉の大軍が接近しているとの報告を受けて攻撃を中断。小幡城に引上げます。家康が攻略できなかったということで、徳川家によって大草城の跡は抹消されたかのように残っていないとのことですが、籠城していた侍大将たちは大草村で帰農したとのことで、なんとなくホッとさせられます(p.103)。

 池田・森軍が敗北したのは信雄に従っていた丹羽氏重が守る岩崎城を攻め落としたものの、首実検をしながら食事をとっていた最中に秀次敗走の知らせを聞き、あわてて長久手へ引き返したことにあるといいます。氏重が池田・森軍による城攻めで時間を稼がなければ、家康はたとえ池田・森軍を打ち負かせたとしても、追ってきた秀吉に追いつかれて粉砕させられていた可能性があり、家康は氏重こそ武功一番であると称えた資料もあるそうです。そうしたことから空堀を含めて良好な状態で残っているとのこと(p.135-)。大草城との対比は、まさに歴史は勝者によって書かれるし、残されるんだな、と。

 長久手の戦いの後、秀吉は信雄の本拠地に近い蟹江城を奪うことで信雄と家康の連絡船を分断しようとします。調略によって蟹江城に入った滝川一益は、家康が総動員した諸将を前に二週間足らずで城を明け渡し、怒った秀吉によって追放されます。江戸前期に書かれた『老人雑話』の《賤ヶ岳の戦いは太閤一代の勝事、蟹江の軍は東照宮一世の勝事なり》という言葉がうなずけます(p.173)。

 小牧・長久手の戦いは、そのダイナミックさ、残されたエピソードの豊富さを考えると、本当に天下分け目の戦いだったんだな、と改めて感じます。

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April 23, 2025

『身近な薬物のはなし タバコ・カフェイン・酒・くすり』松本俊彦

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『身近な薬物のはなし タバコ・カフェイン・酒・くすり』松本俊彦、岩波書店

 

 松本さんが話題になったのはストロング系のチューハイの危険性とアルコールと自殺の関係性を説いたからではないかと思うのですが、「ほぼ日」で糸井さんが褒めて、シンポジウムなんかも開いたということで、読んでみよう、と思った本です。

 

  目次が素晴らしく、こうした本を読んだことのある方なら、目次だけを読んでも、大まかな流れを掴めると思います。

 

 著者の伝えたい最も重要なメッセージは人類に最も大きな健康被害をもたらしている薬物はアルコール、タバコ、カフェインがビッグスリーで、それほど深刻な問題をもたらしていないにもかかわらず、厳しい規制の対象とされてきたのがアヘン(オピオイド類)、大麻、コカのリトルスリーだ、ということだと思います。

 

 近代以降の世界では《コーヒーや茶、カカオ(チョコレート) に砂糖を添加することによってカフェインの消費量は増えますし、タバコはカフェインの代謝を早めるので、これもまたカフェインの消費を促進します。そして、カフェインの摂り過ぎで興奮した脳を冷却して眠りにつくには、大量のアルコールが必要となり、さらに翌朝、二日酔いのぼんやりした脳を覚醒させるためにカフェインが必要となる……。まさに「濡れ手に粟」のアディクション・ビジネス》(k.158kkindle番号)が展開されることになった、と。

 

 それにしても思うのは、アメリカはいつも極端から極端に世論が振れるな、ということ。米国民は建国以来、ラム酒やウィスキーで日がな一日酩酊するという自由を謳歌していたのですが、ドイツ憎しの機運が高まった第一次世界大戦では、当初のビール禁止から禁酒法まで行ってしまったそうです。そして、大恐慌に際して政府支出を増やそうにも酒税収入が途切れて有効手段が打てずに、そうした状況はルーズヴェルトがニューディールやるために禁酒法を撤廃するまで続いた、と。

 

 ロシアはイワン雷帝がウォッカの酒税を収入の柱にしたため浴びるように飲む習慣が蔓延。それを嘆いたニコライ二世は禁酒法を施行したが、やはり税収不足に見舞われてロシア革命を引き起こしてしまうあたりは、アルコールと政治の関わりの深さを思い知りました。ちなみに、レーニンは過度な飲酒癖を持つものをボルシェビキに入れなかったが、それを解禁したのはアル中のスターリン、みたいな感じらしいです。

 

 こうしてみると日本の国税庁がビール会社の発泡酒に執拗な攻撃を仕掛けたわけがわかりました。酒税が絶たれると国が揺らぐことを知っているんだな、アイツら、とw

 

 医療用麻薬フェンタニルはヘロインの数十倍も強力なオピオイド(アヘン)で健康被害は爆発的に拡大していますが、米国が最初にオピオイド危機を体験するのは南北戦争。《自身もモルヒネ依存症に陥った元南軍兵士にして薬剤師ジョン・ペンバートン(一八三一~八八) が、自身と人々をモルヒネ漬けの生活から脱却させるべく、様々な香辛料とともにコカインを混ぜて開発した薬用飲料が、コカ・コーラの始まり》(k.211)というのは知らなかったです。

 

 第三章はアルコール禁止の難しさだったんですけど、日本でもコロナ禍で菅政権が飲食店でのアルコール販売自粛を打ち出して、内閣支持率が激減して交代させられたのを思い出します。まさにアルコール規制は為政者の失脚を招くな、とw

 

 市販薬の過剰摂取について書かれた7章は衝撃的でした。

 

なぜ若年層、特に女性に市販薬の過剰摂取が起こっているのか?

ドラッグストアが毎年、10001500軒ずつ増えて市販薬にアクセスしやすくなったから

なぜドラッグストアがこれだけ増えても潰れないのか?

薬九層倍で利益率が高く、コンビニでも売っているような生活用品をより安く販売でき、客を集め、安いコスメも売って若い女性を来店させるようにしているから

さらに政府は医療保険の増加を防ぐため、市販薬の購入を推奨し、ドラッグストアなどで殆どの薬(95%)を薬剤師なしで販売できるようにして、税金も控除するようになったから

 

 という「物語」は怖い。

 

 喫煙者を徹底的に糾弾する正義の禁煙ファシズムは、そもそも健康志向がファシズムなど富国強兵から始まったから、狂気のようになる、みたいなあたりも面白かった。

 

 哲人皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスも政務の苛立ちを日々アヘンによって鎮めていたといわれているそうですが、著者の結論は以下の3点です(k.3897-)。

 

・第一に、 薬物の違法/合法は医学的にではなく、政治的に決定される、ということ

・第二に、「よい薬物」も「悪い薬物」もなく、あるのは「よい使い方」と「悪い使い方」だけ、ということ

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・最後に、「悪い使い方」をする人は何か別に困りごとを抱えている、ということ

 

[目次]

 

第1章 本当に有害な薬物とは?

 最大規模の害を引き起こす薬物

 嗜好品と文化

 薬物文化のグローバル化と「サイコアクティブ革命」

 米国が体験した二つのオピオイド危機

 わが国の医薬品乱用・依存

 医薬品乱用の背景にあるもの

 

第2章 アルコール(1) ストロング系チューハイというモンスタードリンク

 ストロング系チューハイへの警鐘

 ストロング系とは?

 なぜストロング系は危ないのか?

 なぜストロング系は愛されるのか?

 アルコールによる健康被害

 アルコールによる他者・社会への害

 

第3章 アルコール(2) 人類とアルコールとの戦い

 理性を曇らせる飲み物

 ジンとの戦い――ジン・クレイズとジン規制

 米国におけるアルコール規制

 他の国々におけるアルコール規制

 なぜアルコール規制はむずかしいのか

 

第4章 アルコール(3) 人間はなぜ酒を飲むのか?

 生き延びるためのアルコール

 アルコールのために集い、つながる人々

 なぜ一部の人は飲みすぎるのか?

 アルコール問題の背後にあるもの

 

第5章 カフェイン(1) 毒にして養生薬、そして媚薬

 「不自然」なドラッグ

 不思議と非難されない依存性薬物

 カフェインの薬理学

 エナジードリンクをめぐる問題

 毒にして養生薬

 媚薬としてのカフェイン

 

第6章 カフェイン(2) 人類とカフェインの歴史

 ヨーロッパに「近代」をもたらした薬物

 カフェインの起源と人類との出会い

 カフェインに対する社会の反応

 カフェインが引き起こした悲劇

 人が集える場所をつくる薬物

 

第7章 市販薬 セルフメディケーションは国民の健康を増進したか?

 市販薬乱用・依存の現状

 なぜ若者たちは市販薬にアクセスするようになったのか?

 市販薬は本当に安全なのか?

 「濫用等のおそれのある医薬品」指定をめぐる諸問題

 「モノ」の管理・規制だけでなく、痛みを抱える「ヒト」の支援も!

 「ダメ。ゼッタイ。」はもうおしまいにしよう

 

第8章 処方薬 医療へのアクセス向上が作り出す依存症

 「選択的に」忘れられる薬害

 睡眠薬・抗不安薬依存症とは?

 睡眠薬・抗不安薬依存症の周辺

 なぜベンゾ類はかくも問題となったのか

 対策の功罪と精神科医療の課題

 本当に解決すべきなのは「不安」なのか?

 

第9章 タバコ(1) 二大陸をつないだ異教徒の神器

 近年とみに立場が悪くなっている薬物

 タバコとは――その薬理作用と有害性、依存性

 タバコの起源と文化的意義

 タバコへの弾圧と抵抗

 タバコ嫌悪に底流する差別意識

 

10章 タバコ(2) 社会を分断するドープ・スティック

 人を怠惰な馬鹿にする薬物?

 社会システムによるタバコ依存症の拡大

 タバコの衰退

 健康ファシズムの暴走なのか?

 公衆衛生政策は現代の「異端審問官」なのか?

 

11章 「よい薬物」と「悪い薬物」は何が違うのか?

 「ビッグスリー」と「リトルスリー」

 薬物を使う人類

 「身近な薬物」と「身近ではない薬物」の違いとは?

 なぜ大麻は違法化されたのか?

 国際的潮流の大転換

 「よい薬物」も「悪い薬物」もない

 

 あとがき

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April 18, 2025

『木挽町のあだ討ち』永井紗耶子

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『木挽町のあだ討ち』永井紗耶子、新潮社

 松竹創業百三十周年「四月大歌舞伎」の昼の部で上演されている新作歌舞伎『木挽町のあだ討ち』の原作。

 舞台は齋藤雅文さんの脚本が好調で「久々の新作の傑作!『NINAGAWA十二夜』以来なんじゃないの」と感じたので、さっそくAmazonで物理的な本を購入したものの、来ないあいだに、Audibleで聞いたんですが、これまた凄かったので一気に聞き通してしまいました!

 まずは舞台の感想から。

早い展開だけど、ぐんぐん引き込まれます。菊之助の母親を演じる芝のぶ素晴らしい!相変わらずチラシにも出さない松竹の扱いが信じられない…本を読んでいる中で、菊之助を助ける役者ほたるが、名題になれないという話しが出てきましたが、いまだに理不尽が続いているな、と。

 ほたるの壱太郎、木戸芸人の猿弥、殺陣師の又五郎、小道具方久蔵の彌十郎、その女房の雀右衛門など脇が豪華!

 そして染五郎はこれまでの中で一番の役かも!そして下男作兵衛の中車は、これほど筋に引き込む役者はなかなかいないな、と。

 これは再演必至!ということで、さっそく原作も読んでみよう、と相成った次第。

 原作は、木戸芸者一八、立師与三郎、ほたる、小道具方久蔵女房の与根、戯作者の篠田金治という関係者の一人称の一人語りで進むんですね。

 それぞれ良かったんですが、一番読ませたな、と感じたのはほたる。舞台はほたるを女形の壱太郎が演じているので、観ている時には「ん?女性」と勘違いしていたのですが、よく考えてみれば、衣装の繕いをやりつつ舞台にも立っているので、身体的には男の女形なんだな、と改めてわかりました。

 壱太郎のほたるは二代目で、初代は芳町(日本橋)の陰間茶屋あがりの男娼。二代目ほたるは浅間山噴火で一家離散し、母親が焼かれたところの隠亡(おんぼう、火葬場の労働者)に育てられた、という壮絶な人生。針がもてるということで引き取られた寺から仕立屋に奉公に出されますが、そこでも隠亡に育てられた奴に晴れ着などは扱わせてもらえず、死に装束の経帷子ばかり縫わされるという仕打ちを受け、母親のとむらいにカネを出してくれた初代ほたるを頼って芝居小屋にたどり着きます。

 さすがに、ここら辺は舞台では省略され、壱太郎の台詞もさほど大きくはありませんでしたが、原作では真ん中にズドンと座る重い役でした。

 舞台は1回しか観ていないので、もしかしたら聞き逃していたかもしれませんが、原作を読んで、幸四郎扮する元は旗本の戯作者篠田金治と菊之助の母親を演じた芝のぶは、いいなづけだったというのに、なるほどな、と。

 それにしても一人称で語られる原作を、うまく台本にした齋藤雅文さんは大したものだし、あだ討ちの場面の演出も原作を変えて、ケレンミたっぷりに描いたところは素晴らしかった。

 まだ1回聴いただけなのでうろ覚えですが「酒というのはありがたい、理由もなく笑える」というあたりの台詞も印象に残っています。

これって、真景累ヶ淵みたいに落語で何日もかけて噺家が語るみたいなやり方で口演するみたいなやり方でも聞いてみたい!

 そして…これって宝塚でミュージカル化してもいいんじゃw和物の雪組で、カセキョーの東上作品ぐらいにしたらどうかしらん!

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『炎と怒り トランプ政権の内幕』マイケル・ウォルフ

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『炎と怒り トランプ政権の内幕』マイケル・ウォルフ、早川書房

 エアロバイク漕ぎながら聴いていたAudibleはトランプ政権一期目の1年弱を扱った『炎と怒り』でした。

 トランプの大統領個人の資質としては、やたら友人たちに夜の電話をしまくり、会議での長時間のブリーフィングには耐えられず、資料も読まないという感じの描写が続きます(マクマスターなどはパワーポイント将軍と嫌って解任)。トランプの基本のモチベーションは皆んなから愛されたいという欲求だけど、それがかなわないと反動で攻撃的にでる、みたいな感じで、ま、予想通りであまりビックリすることはありませんでした(本当は衝撃を受けなければならないのかもしれませんが)。

 メラニア夫人については、誰もトランプとメラニアの私生活については知らず、トランプ自身の結婚観については「所詮は他人だ」と言っていたというのが面白かった。

 主に描かれているのはクシュナーとイバンカ夫妻vs選挙戦を立て直して主席戦略官となったスティーブ・バノンの主導権争い。

 バノンは就任1年目の夏場には政権を去り、クシュナーとイバンカ夫妻の勝利となります。著者の見立てではトランプ現象を新たに率いるのはオルタナ右翼のバノンのハズでしたが、現在ほとんど影響力を失っています。

 この本で激しく批判されたクシュナーとイバンカ夫妻は2次政権ではホワイトハウス入りはせず、親しいスージー・ワイルズ大統領首席補佐官を通じて影響力を行使する、というスタンスになっているようで、結局トランプ1.0の主要人物で生き残ったのはトランプ本人だけだった、という感じです。

 「この本でトランプ政権は終わるだろう」とインタビューに答えていた著者の予想も外れてバイデンを挟んでまさかのトランプ2.0がスタートし、関税で世界経済を大混乱に陥れるとは、いくら政治の世界は「一寸先は闇」とはいっても、誰も予想できないことだったようです。

 細かなところで印象に残ったのはトランプがマクドナルドを好むのは、衆人環視で調理されるマクドナルドのハンバーグを食べていれば毒殺されにくいからとか、やはり毒殺を恐れてホワイトハウスでも歯ブラシには誰も触らせなかった、というあたりでしょうか。

 にしても、イーロンは一時政権の経営者フォーラムから離脱してるんだな…と。そして、イーロンも長く政権に留まることはないとトランプ本人からもアナウンスされましたが、歴史は二度繰り返すというのは、トランプ政権の場合、一次のバノンと二次のイーロンなんだろうな、と。

 政治はトランプが現れる前は企業間取引のB to Beみたいに一般人には理解不能になっていたから、分かりやすい言葉で語ってくれるトランプはMAGA支持層から熱狂的に受け入れられたんだろうな、と。

 この本は第一次トランプ政権の発足前から、夏の終わりぐらいの1年弱ぐらいのことを書いているんですが、襲撃事件も描いてほしかったな。

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March 24, 2025

『われもまた天に』古井由吉

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『われもまた天に』古井由吉、新潮社

 古井由吉さんは小説よりもエッセイが好きというと、ファンには怒られそうですが、お亡くなりになってから出た『われもまた天に』を久々の紙の本で読みました。

 古井さんはコロナがいよいよ問題になってきた20年2月に肝臓癌でお亡くなりになっているんですが、その前年まで「新潮」でエッセイを連載していたんです。

 老いの繰り言というか、足腰が弱くなり、あまり外にも出られず、さらには多少アルツも入っているんじゃないかとハラハラするような内容が胸に迫ります。

 痛々しい感じもして、最後の絶筆は途中までしか書けなかったみたいですけど、あそこまで肉体が衰え、精神も落ち込んでいても、ここまで書けるというのは凄いな、と。

 老人特有の中途覚醒の時に感じる朦朧とした感覚と記憶の混濁を描いていているような内容が多く、こうした感覚の文章というのは、個人的にあまり読んだことがなかったです。

 コロナ前年は割と寒い気候だったのかな、なんてことも思い出しながら読みました。

 以下は、一番印象に残ったのは、父親の顔を思い出すところ(p.98)。

........Quote..........

浮世の果ては皆悪尉なり、と戯れに詠んだことがある。芭蕉の名付句と言われる、浮世の果ては皆小町なりの、捩りである。六十代のことだった。あの父親の息子であれば、自分の内にも悪尉の面相がひそんでいて、さらに老いるにつれてあらわになるのではないか、と未明の寝覚めに手洗いに立ったついでに鏡をのぞけば、それらしい面相が浮かびかからないでもない。それでそんな悪戯に思いついたものらしい。まだ壮健の内の諧謔ではあった。

 自身いよいよ老いて入退院を繰り返し、高齢の病人たちの様子にも接するようになるにつれて、今の世の年寄りこそ老病について、もしかすると生死についても、昔の人間よりはよほど、おのれのつましい分をおのずとわきまえさせられているのではないか、と考えるようになった。看護婦に文句をつけてからむ病人もあることはあるが、宥めるのにさほど手間がかかるようでもない。夜更けに声を立てる病人は毎度あり、人の気を引くような、厭がらせでもするような口調で言いつのりかけるが、そこで抑制がかかり、自嘲めいたつぶやきになり、まもなく止む。

........End of Quote..........

 悪尉(あくじょう)というのは能の恐ろしげな表情の老人の面で、父親がその悪尉のような顔になってしまったということは、自分もそうなるかもしれないわけで、《浮世の果ては皆悪尉なり》というのは、自分の行く末もみているのかな、と。

 

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March 09, 2025

『コミンテルン 国際共産主義運動とは何だったのか』佐々木太郎

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『コミンテルン 国際共産主義運動とは何だったのか』佐々木太郎、中公新書

 『コミンテルン 国際共産主義運動とは何だったのか』は、おそらく、今年一番の読書体験になると思うので、少しずつ書いてきましたが、読了したのでまとめます。

 ぼくが中高生の頃、マルエンやレーニン、トロツキーに関する知識は、岩波や角川、国民文庫をガリガリと読むしかなく、マルクスに関しては哲学的なアプローチも後になって可能になる土台はつくることができましたが、レーニンに関しては鮮やかすぎる十月革命の手腕と、ロマノフ朝やスターリンとの対比で「良い人」というイメージが先行し、その後のネップ(新経済政策)に関しても苦渋の決断という印象でした(まわりに「どんな内容だった?」と聞こうとしても、マトモに読んでいる人は少なく、読んでいても基礎的な文献だけでした)。それは池田嘉郎さんの『革命ロシアの共和国とネイション』を読んでも変わらず、マルクスの手紙にコミューン主義の萌芽を感じるような、自分の若い時の間違いに多少の癒しと安らぎを与えてくれる阿片のような効果さえ感じます。

 それは当時のヨーロッパの世界史的な動きの全体像を得られるような本もなかったため、断片的な知識の寄せ集めで観念的に構築したイメージだったんだろうな、とこの本を読みながら改めて感じました。特に、1917年10月のロシア革命から21年3月のクロンシュタットでの反乱とドイツでの蜂起失敗まで3年半。あまりにも沢山のことが起き、かつ革命ロシアにとって不都合な事実はレーニンたちによって隠蔽されました。

第1章 孤立のなかで - 「ロシア化」するインターナショナル

 不都合な事実の中には根本的な認知不全の可能性さえあります。例えばレーニンは第2インターナショナルを全否定して第3インターナショナル(コミンテルン)の創設と、ロシア共産党支配を受け入れるよう求めますが、それはロシア共産党が革命のあまりにも鮮やかな勝利に酔いしれ、ヨーロッパ的な常識を持っていなかったからかもしれないのです。だいたい欧州のマルクス主義者は、資本主義の発達に対応して各国での議会を通した社会の改良運動になびいていったという流れをマルクス流の考えに染まりすぎていて理解できなかった可能性さえある、と。
 
 こうした西欧の情報格差に加え、革命後の白軍との戦いは、革命の可能性をどんどん狭めていったのかな、と。ボルシェビキは自分たちを支える都市部の労働者への依存を強め、強制的な食糧の徴用に抗議する農民への毒ガス使用まで手を染めていったのかな、とか。

 もちろん、ぼくはそんなに偉大ではありえませんが、レーニンと同じ立場だったら、同じような選択をせざるを得なかったかもしれないとも思います。ただ、後になって、それを金科玉条のようなものにしたのは圧倒的な間違いだったな、と。

 また、レーニンは国内政治では天才でしたが、すぐにでもドイツで革命が起こって援軍がかけつけるような外交的な判断ミスも犯しています。《そもそもレーニンが党内の反対を抑えて政権の獲得に踏み切ったのは、すぐにドイツでも蜂起が起こって友軍が駆けつけてくれるという期待があったからである。しかし、西からの友は来たらず、交戦諸国に訴えた無併合・無償金の講和の提案も無視され、ロシア領内でドイツ軍の攻勢は続いた。もはやドイツとの休戦交渉に臨むほか手はなくなり、一八年三月のブレスト=リトフスク条約締結に至る。こうして世界革命の展望が大きく揺らいだことで、まずは独力での革命政権の維持が喫緊の課題となった》(k.413)と。

 この本からは、時には大きな失敗も犯すレーニンを同時代的にみるという新しい客観的な視点を得られたかな、とも思います。

 あと、ソ連軍や中共の軍隊には必ず政治将校が加わるんですが、それは内戦が本格化する中で赤軍に旧帝国軍将校が大量に採用される中、軍を統制するために必要だったんだろうな、なんてことも考えました。

第2章 東方へのまなざし - アジア革命の黎明

 ウォーレン・ベイティの映画『REDS』を最初に観た時には見逃していたけど、友人たちの指摘によって再見した時に印象に残ったのは、ロシア革命後の内戦で列車で移動しながら赤軍への参加を呼びかけるジョン・リードに応えるように、ムスリムたちが銃を高々と上げるシーンでした。

 中高生のマルキストにはあまり視野に入らない問題でしたが、当時のPFLPなども過激なゲリラ組織という認識はあったものの、インターナショナリズムには関係づけられませんでした。

 しかし、よく考えるとムスリムはそもそも『コーラン』がインターナショナリズムを志向しています。さらに、トロツキーの亡命を認めたのも最初はトルコでしたし、ソ連の後半にはアンドロポフらが積極的に中東のパレスチナ人勢力を支援していました。

 というかムスリムたちは、『REDS』でも描かれていたように、ロシア革命直後の内戦期、自らの独立を勝ち取るために赤軍と協力してデニーキンら白軍を追い出し、ソヴィエト権力を樹立に力を貸していたのです。

 期待していたドイツやハンガリーでの革命が失敗していく中で、インターナショナリズムを掲げていくには、ヨーロッパ以外にも目を向けていくのは自然な流れでしょう。しかし《階級の分化が未熟な地域では、いくら階級の対立を煽ったところであまり意味がない。しかし、人びとを結集しないことには革命は始まらず、世界共和国の樹立も絵に描いた餅でしかない。このジレンマのなかでレーニンが着目したのが、民族の対立》だった、と(k.942)。おりしも、ウィルソン流の民族自決がヨーロッパだけにとどまったことによる植民地内の失望は、相対的にソヴィエト・ロシアへの期待を高めた、と。

 さらには《ソヴィエト・ロシアの民族政策を司る民族問題人民委員であったスターリンが、自らの部下として抜擢した、ウラル山脈南部地方出身のタタール人スルタンガリエフは、ムスリムによる独自のインターナショナリズムを構想した中心人物》であったほか(k.1046)、トロツキーも失敗に終わったヨーロッパでの革命の後はトルキスタンに目を向けます。レーニン、トロツキー、スターリンという三役そろい踏みでまずは中東に目が向けられた、とうわけで、これには最終的にインドとイギリスの関係を絶つという地政学的な判断もあったのかもしれません。

 おりしも《二〇年五月下旬、カスピ海に展開していた赤軍の艦隊いわゆる赤色海軍がデニーキンの艦隊を掃討する過程で、イギリス軍が駐留するイラン北部の軍港アンザリーを占領したのだ。
 翌月、赤軍はジャンギャリー運動の指導者クーチェク・ハーン率いる現地勢力と合流してギーラーンの州都ラシュトに入り、「イラン・ソヴィエト社会主義共和国」(ギーラーン共和国)の樹立を宣言した。ロシア外のアジアで成立したソヴィエト共和国の嚆矢と言える同国は、クーチェクを首班とし、民族主義勢力とイラン共産党との統一戦線の形をとってスタートする。
 アジアでの最初期の国際革命は、コミンテルンではなく、赤軍の主導による革命戦争によって実現されたのである》とイランにソヴィエト共和国が成立してしまいます(k.1201)。

 もちろん、こんな革命政権は長く続くわけはなく、経済復興のためにイギリスと通商関係を結ぶためには、インド隣国のイランであまりイギリスを刺激しない方がいいというレーニン、トロツキーの判断もあり、1921年11月にはロシア国外でアジア最初期のソヴィエト共和国は潰えました。

 《ポーランドとの戦争に行き詰まったことで西方への出口を失い、それに引き続いて中近東でも大きく躓き、インドには当面手を出せそうにない。そうなると、ロシアに接するアジア地域で突破口となりうる場所は、現実的に見て極東をおいてほかにな》く(k.1343)、モンゴル人民共和国の成立など東に出口を求めていくことになる、と。

 「民族とは、言語、地域、経済生活、および文化の共通性のうちに現れる心理状態、共通性を基礎として生じたところの、歴史的に構成された人々の堅固な共同体である」という大月書店版『スターリン全集』2,1952,p.329というのは、今でも引用に耐えうる文章だと思うのですが、それにしても《グルジア(現ジョージア)生まれのスターリンにとって、ザカフカース三国つまりアゼルバイジャン、グルジア、アルメニアの一体的な再征服を目指すうえで、イラン北部を引き続きロシアの影響下におけるか否かは重大な関心事であった。
 その認識を彼と同郷のオルジョニキッゼやアルメニア出身のミコヤンらも共有していたからこそ、彼らはあれほど執拗にイランに関与したのである。のちのスターリン政権を構成する、こうした「スターリン派」の面々は、カフカースとイランの革命を連続したものとして捉え、その灯火の維持に強く執着したのだった》(k.1244)というのは、なるほどな、と。

3章 革命の終わりと始まり ボルシェヴィズムの深層

 レーニンが革命直後から援軍として期待していた西欧での革命がいっこうに起きない中、社会民主主義に流れる左派をどうやってボルシェビキ流の革命に取り込むか、あるいは突き放すかという路線も迷走します。アジアなど後進国での革命を目指すために、レーニンが考え出したのが、本来は死滅させるべき国家の利用でした。そうした考え方は、先進諸国との外交、社民勢力への浸透などを進める中で諜報的な闇に迷い込んでいくことにもなります。

 こうした迷走あっても、ボルシェビキが権威を保つことが可能だったのは《十月革命の立役者であるボリシェヴィキの絶対的な権威によって、党と国家とプロレタリアートの三者が結びつき完全な一枚岩となっている──この壮大な「フィクション」の受け入れを迫るのがボリシェヴィズムの本質となった。そしてその世界的な旗振り役を担ったのがコミンテルンであったのだ》(k.1689)という図式があったからです。

 3章では『哲学ノート』に代表される一時期のレーニンのヘーゲル回帰のあたりが面白かったかな。著者によるとレーニンは共産主義に向かう組織の中心はソヴィエトか政党かというマルクスが語りえなかった難問に解答を与えようとし、ヘーゲルに回帰するのですが、それよりも、《資本主義世界内部の矛盾として、資本主義国家同士の対立や分裂を見抜き、それを利用しようとする態度は、レーニンのヘーゲル回帰がコミンテルンの世界革命の遂行にもたらした遺産》となった、と(k.1642)。革命に向かう組織がどうあるべきかという問題としてはとらえられなかったけれども、資本主義はそれ自身の矛盾の中で対立し分裂するから、そこを突いて革命を成し遂げていこうというサジェスチョンを得た、と。

 そこからさらに《資本主義が高度に発達した先進国を対象としたマルクスの革命理論を後進国に適用するために、レーニンが編み出した答えが国家の利用であった》と、本来は死滅するべき国家の依存を強めていった、と(k.1560)。

4章 大衆へ 労働者統一戦線の季節

 こうしたレーニンの志向は《非合法活動委員会の設置を決定したコミンテルン第四回大会の最中に作成された対外諜報部の活動に関する内部文書によると、ソヴィエト・ロシアの利益と国際的な革命運動に対抗して活動する組織をすべての国で残らず「暴露」することを目指す旨が確認されている(Haslam2016)》という方向にコミンテルンを向かわせます(k.1927)

 同時に、社民勢力を排除するのではなく取り込もうとする方向転換は《革命を声高に叫べば叫ぶほど固く閉ざされる資本主義国家の扉が、弱者との「連帯」を唱えると自然と開き、内側から迎え入れてくれる場合があるのであれば、それを煙幕にして諜報網と非合法活動の基盤を整備していくことが得策》という副産物も生みます(k.2015)。

 しかし、コミンテルンやボルシェビキが見落としていた社会勢力がありました。それは先進諸国の中間層です。

 それを最もうまく活用したのはムッソリーニなどファシストたちでした。ムッソリーニは元々、社会主義者でしたが《世界大戦が勃発すると民族主義的な姿勢を強めてイタリアの参戦を支持し社会党から除名されたが、自らも志願兵として戦場に赴いている。
 まさにムッソリーニは、戦場を潜り抜けてきた青年たちの怒りとイタリア国内に充満する政治不信の双方を代弁できる存在》でした(k.2054)。こうした中間層はボルシェビキにとってはブルジョアジーかプロレタリアートのどちらかに吸収されていく存在でした。しかし、実際により革命的で破壊的だったのは怒れる中間層だったのです。

 しかし、公式的見解にあわせてしか世の中を理解できないコミンテルンは、社民勢力と同等の反革命的な存在とみなし、あまつさえ「社会ファシズム」という言葉さえ生み出してしまいます。

 一方、中国では国民党との国共合作が実現し、北伐によって国民党が権力を握ります。しかし、蒋介石はもちろん上海でクーデターを起こし、共産党勢力を一掃。

 スターリンが追求してきた国際的な統一戦線のあり方は西欧でもアジアでも破綻しますが、この間の《ボリシェヴィキの内部抗争はコミンテルンの隊列をまるで安全装置の外れたジェットコースターのごとく右に左に激しく揺さぶり、そのたびに多くの者が振り落とされていった。モスクワでの嵐の行方を見定めるため風見鶏のようになって意識を集中し、己の保身に汲々とする雰囲気がコミンテルン内に横溢するようになる》わけです(k.2211)。

 にしても、情けないのが日本の共産党。ジノヴィエフは資本主義が発達した日本で革命が成功しなければ、中国や朝鮮など他の地域での革命はありえないと考え、日本での革命が「鍵」だと語っていたのですが、当初からの党内のごたごたが常態化していた日本共産党は24年4月にコミンテルンに相談せず勝手に解党、その後も再建はされますが、まったく革命勢力とはなりませんでした。

5章 スターリンのインターナショナル ― 独裁者の革命戦略

 ここの部分は個人的にはわりと馴染みの深い議論でした。

 前に引用した「民族とは、言語、地域、経済生活、および文化の共通性のうちに現れる心理状態、共通性を基礎として生じたところの、歴史的に構成された人々の堅固な共同体である」という大月書店版『スターリン全集』2,1952,p.329をみれば分かる通り、元々スターリンはロシアの中でも辺境のグルジア出身ということで民族問題に興味があり、かつ民族問題の担当となったという背景があります

 民族問題に関して自信があったスターリンは、レーニンの考えたソ連邦の「国のかたち」に反対したりもします。レーニンは「民族・植民地問題に関するテーゼ」の原案のように、連邦的関係には自治に基づくものと条約に基づくものとがあるという構想を示しましたが、スターリンはウクライナなどの独立共和国をロシア・ソヴィエト共和国の自治共和国として吸収することを提案します。

 レーニンはこのスターリンの案に対して強く反対、自案を通すのですが、これが最後の抵抗となり、その違いも《「国際ソヴィエト共和国」の解消が最終的に目指されるべき到達点ならば、その世界国家のひな型たるソヴィエト連邦には同盟関係から離脱する自由を自らが立脚する原則としてあらかじめビルトインしておかなければならな》いという形而上学的なものでした(k.2341)し、実際、ロシア共産党中央の意向を無視して連邦を離れるなど現実的には不可能でした。
 
 もし各共和国が対等な立場でソ連に参加するならば、諸国の共産党も対等でなければなりませんが、実際は、それぞれの共産党はロシア共産党の支部となったわけですから。これは、レーニンの前衛党論への固執が生んだものだ、と言えます。逆に言えば《一国社会主義論はレーニンが示した国家強化の道筋をスターリン流にアレンジしたものであった。ただし、スターリンがレーニンと大きく違うのは、国家の消滅という想定をまったく受け入れなかった点》だけだ、と(k.2409)。

 一方、一番、革命が期待されていたドイツでは経済がさらに悪化、ドイツ共産党は「労働者党ではなく失業者党」だと揶揄されるほどで、こうした失業者たちは共産党とナチスのあいだを揺れ動くことになります。

 面白かったエピソードはスターリンがヘーゲルを理解できなかったという話し。《スターリンは、ヘーゲル哲学を受容することもなかったので、国家の内的な分裂の契機の発動と対立物への転化という危惧をレーニンと深く共有していたとは言えない。実は、彼はヘーゲルを重視するレーニンの影響を受け、一時は家庭教師をつけてまで弁証法を学ぼうとしたが、途中で投げ出し、以後はドイツ観念論哲学に対する強い嫌悪感を隠さなかった》というあたり。民族問題や権力など「目に見える」問題にしか興味のない彼は、自民党の政治家みたいなものだったんだろうな、と(k.2413)。

第6章 「大きな家」の黄昏 ― 赤い時代のコミンテルン

 6~7章は「闇に包まれていない歴史」というか「薄々気がついていた歴史」といいますか「フルシチョフによって暴かれた歴史」が冷戦終結後に明らかにされた資料によってさらに裏付けられた感じでしょうか。スターリンが徹底的にダメだったから、その分、レーニンが救われたというか、せめてレーニンぐらいマトモじゃないと救われないという心証が世界のマルクスに感化された人々に残った、ということにもつながるほどのダメダメさ(よく戦後の日本共産党は無批判にスターリンを礼賛していたな、と)。とはいってもこの本は前半で「良い人レーニン」の伝説を壊してくれたので、後半は流していきます。

 コミンテルには多くの良心的左派も協力しました。それは《実際に共産党に入党する者たちのほか、いわゆる「フェロー・トラベラー」(fellow traveler)──日本語では「同伴者」と訳される──のような、党員ではないもののソ連や共産党に同調する者》(k.2706)でした。

 そのコミンテルの表の顔に指名されたのはブルガリア共産党員ゲオルギ・ディミトロフでした。ディミトロフが注目されたのは1933年。ベルリンで発生したドイツ国会議事堂放火事件に関与した容疑で逮捕されるもゲーリングの証言や検察を論破し、無罪を獲得したことで、反ナチスの民主主義者にとっても英雄となり、それをスターリンが利用します。

 ドイツの侵攻を受ける前にソ連の軍事力と経済力を回復する時間を稼ぐために。スターリンが再び採用したのが人民戦線戦術です。社会ファシズムと蛇蝎のように嫌っていた社会民主主義者と再び組もうというわけですから酷いマキャベリズムですが、共産党を加えた左翼政権をフランスに樹立します。しかし、皮肉なことにスペイン内戦によって仏ソ間の亀裂が深まってしまいます。

 ソ連は共和国を生きながらえさせるために、世界中のコミンテルンの支部を通じ、軍事経験のある労働者を募集してスペインへと派遣、「国際旅団」を設立します。内戦期間中にスペインに送られた外国人志願兵は、53ヵ国・3万人以上にのぼり、その中にはチトーもいました。一方、フランスのブルム内閣は英政府とともにドイツを刺激することを恐れて不干渉政策をとりました。

 ソ連は国際旅団とともに軍事顧問や諜報機関の要員なども多数送り込んだのですが、それはトロツキストや無政府主義者とのイデオロギー闘争も生みます。トロツキスト狩りは1937年のバルセロナで「内戦の中の内戦」を生み、フランコ側を利し、最終的には国際旅団も解散させられます。

 一方、中国では国民党と共産党に国共内戦が勃発し、共産党が長征によって辺境の根拠地にたどり着くまでの間に毛沢東のヘゲモニーが確立され、張学良による蒋介石の逮捕・軟禁から国共合作が実現します。この過程で宋慶齢が活躍しますが、冷戦終結後に解除された資料によって、彼女はなんとコミンテルンのエージェントだったことがわかります。《「エージェント・オブ・インフルエンス」(agentofinfluence)──自らの社会的影響力の行使を通じて標的の国家の政策や世論を秘密裏に誘導するタイプのエージェント──であったことである。こうした存在を使った工作活動は、冷戦期にソ連の諜報機関が多用したことで知られるが、宋慶齢はその先駆けだったと言える》(k.3252)と。

第7章 夢の名残り ― 第二次世界大戦とその後

 スターリンはヨーロッパにおける人民戦線が失敗すると、ただちにヨーロッパ各国の共産党員の粛清を始め、国内の軍事組織とともに大粛清の波となります。

 ここで、現代日本史では、かつては大敗北、現在では互角の戦いだったと言われるようになったノモンハン事件が発生。著者による評価は《極東では、数年来続いていたソ連と満洲との国境紛争が激しくなり、三八年夏には日ソ両軍の大規模な衝突にまで発展した。これによって赤軍は日本軍以上の損害を被っている》(k.3318)というものです。

 これによってスターリンは独ソ不可侵条約に傾きますが、これは国際共産主義運動にとってトドメの一撃となります。スターリンは、第二次世界大戦の勃発と独ソ不可侵条約の取り決めに従ってポーランドに侵攻し、西ウクライナと西ベラルーシを占領。さらに、バルト三国にはソ連の軍事基地を設置する協定を受け入れさせましたが、この侵略は西側諸国から強い非難を受け、国際連盟からも除名されます。

 その後、ヒトラーは独ソ不可侵条約などなかったかのように破り、ソ連に侵攻。一九四一年秋に、ソ連政府はウラルに疎開し、コミンテルン本部もバシキール自治共和国の首都ウファに移転しますが、寸前のところで踏みとどまり、米国の参戦を得ます。スターリンの切り札はなんとコミンテルンの解散でした。大統領特使の派遣に合わせ、その中にコミンテルンの解散を求める事項を事前に掴むと、スターリンは解散に着手する指示を出す、と。

 『コミンテルン』佐々木太郎があまりにも面白かったので、ロシア革命百周年を記念して池田嘉郎先生ほかで岩波から出された『ロシア革命とソ連の世紀』も読んでみるか、と思っています。

 以下は本書の巻末の年表を個人的に勉強のために書き増したものです。

 

1917

10 ロシア十月革命

1918

1 フィンランドでヘルシンキで赤衛軍がクーデター

3 ブレスト=リトフスク条約

5 ドイツ軍の応援を得てマンネハイム(ロシアの力が強かったので最初はロシア軍に入った将校)白衛軍はヘルシンキで勝利パレード

6 マンネハイム、ドイツ色が強くなったのでスウェーデンに亡命

11 ドイツのキール軍港で水兵が反乱。独社会民主党のエーベルトを首相とする臨時政府がドイツ共和国を発足

11/11 ドイツ共和国、パリで休戦協定

12 フィンランドでカールが王位を辞退

1919

1 スパルタクス団蜂起

3 コミンテル創立
ハンガリーでソヴィエト共和国が成立(8月まで)

4 バイエルンでソヴィエト共和国が成立(5月まで)

5 フィンランドで総選挙で共和制に

6 スロヴァキアでソヴィエト共和国が成立(7月まで)

7 フィンランドで白衛軍への参加に積極的な姿勢をみせていたマインハイムが大統領選で敗北

1920

春 白衛軍を指揮していたクリミアのデニーキンはイギリスの戦艦「マールバラ」で国外へ脱出、赤軍が内戦に勝利

6 イランでソヴィエト共和国が成立(11月まで)

7~8 コミンテル第2回大会で規約は21ヵ条の加入条件が採択

8 ポーランド軍がワルシャワを包囲していたソ連軍を撃退

9 バクーで第1回東方諸民族

1921

3 独裁化するボリシェヴィキ政権に対しクロンシュタットで水兵が反乱
ドイツのマンスフェルトでコミンテルンの指示による共産党の蜂起が失敗

5 チェコ共産党結成

6-7 コミンテルンの3回大会で統一戦線路線を採択、プロフィンテルン(赤色労働組合インターナショナル)が結成される

7 中国共産党が結成

8 ミュンツェンベルクによるロシア飢餓救済運動が始まる

11 イラン・ソヴィエト社会主義共和国崩壊

12 フランス共産党結成

1922

7 日本共産党結成

10 ファシストがローマ進軍

1923

10 ドイツの十月が挫折

1924

1 レーニン死去

11 モンゴル人民共和国の成立

1925

1 トロツキーが軍事人民委員を解任される

【目次】
まえがき
序 章 誕生まで――マルクスからレーニンへ
第1章 孤立のなかで――「ロシア化」するインターナショナル
第2章 東方へのまなざし――アジア革命の黎明
第3章 革命の終わりと始まり――ボリシェヴィズムの深層
第4章 大衆へ――労働者統一戦線の季節
第5章 スターリンのインターナショナル――独裁者の革命戦略
第6章 「大きな家」の黄昏――赤い時代のコミンテルン
第7章 夢の名残り――第二次世界大戦とその後
あとがき

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『がん‐4000年の歴史‐ 下』シッダールタ・ムカジー

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『がん‐4000年の歴史‐ 下』シッダールタ・ムカジー、田中文訳、ハヤカワ

 上下巻を通じて、通奏低音のように流れているのは白血病と乳がんですが、下巻では肺ガンも大きく取り上げられています。

Audibleで筋トレ後に有酸素運動のエアロバイクを漕ぎながら聴きました。

 いまでこそ、タバコと肺ガンの関係性は明白ですが、それを証明するのがいかに困難だったというのが印象的。タバコ業界と患者団体との壮烈な戦いも面白いのですが、その戦いの基礎となったのは発がん性物質というのは本当にあるのか、あるいはがんの発症を促す化学物質やウイルスなど発がん性物質が実際、どのようにしてがんを発症させていくか、という理論の証明でした。タバコが発がん物質であるということは喫煙率と肺がんの患者数の推移をみれば明らかではありますが、直接的な因果関係を証明するのは並大抵のことではありません。

 その中で突破口を切り開いた重要な概念が「コホート」(ヒトの集団)。生物の進化をさぐろうとする中で、蛾の集団が研究者によって観察されていたのですが、1951年にオースティン・ブラッドフォード・ヒルとリチャード・ドールがヒトの集団(コホート)にも同じような研究を行い、36人の肺がん死亡者全員が喫煙者だったことをつきとめます。

 1958年、ウイルス学者のハワード・テミンはラウス肉腫ウイルスをニワトリの正常細胞に移植すると、無制限に増殖するようになることを発見します。ラウス肉腫ウイルスはRNAウイルスであり、RNAからDNAへの逆転写が起こっていると考え、日本人ポスドクの水谷とともに逆転写酵素を発見し、ラウス肉腫ウイルスが通常のウイルスではなく、遺伝情報を逆向きに書くことができるレトロウイルスだと発表。レトロウイルスはRNAの逆転写酵素を持つウイルスで、RNA上の遺伝情報をDNAに作り替え、感染細胞の染色体に組み込むことによって生きた細胞に入り込むことができます。そして、レトロウイルスのDNAへの組み込みは、宿主遺伝子の過剰発現や破壊を通じて発がんや遺伝的疾患の原因となる、と。

 1976年、ハロルド・ヴァーマスとマイケル・ビショップは放射線や煤やたばこの煙がなぜがんを誘発するのかについて、細胞内の原がん遺伝子を変異させ、活性化させることによって誘発することを証明。これは発がんのメカニズムについての初めての説得力ある包括的な理論となりました。二人はレトロウイルスのがん遺伝子が正常細胞に由来することを発見した功績でもノーベル賞を受賞しています。

 しかし、がんは1つの遺伝子の変異で引き起こされるわけではなく、多くの変異が存在します。急性リンパ性白血病のようにゲノム変異が少ないものもありますし、全ての変異ががんに影響しているわけではなく、無害な「パッセンジャー(乗客)」変異と、がん細胞の増殖と生物学的挙動を惹起する「ドライバー」変異もあることが判明。現在、がんへの突然変異をもたらす「ドライバー変異」に照準を定めた分子標的治療薬が開発され、多くの分子標的治療薬が可能になっています。

 さらに、がん細胞の表面にHER2とよばれるタンパク質が過剰に存在すると、悪性度が高くなるといわれています。「乳がん」「治癒切除不能な進行・再発の胃がん」のようにHER2過剰発現が確認された症例に対してはハーセプチンが適応できます。

目次
第4部 予防こそ最善の治療(「まっくろな棺」;皇帝のナイロンストッキング;「夜盗」 ほか)
第5部 「われわれ自身のゆがんだバージョン」(「単一の原因」;ウイルスの明かりの下で;「サーク狩り」 ほか)
第6部 長い努力の成果(「何一つ、無駄な努力はなかった」;古いがんの新しい薬;紐の都市 ほか)
アトッサの闘い

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February 19, 2025

『はじめての日本国債』服部孝洋

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『はじめての日本国債』服部孝洋、集英社新書

 国債に関しては個人向けを預金代わりに買っているぐらいで、正直、まったく勉強していなかったので、例えば、債券には中古市場が存在し《日々金利が動いたと報道される場合、この金利は中古市場(流通市場)で形成された価格に立脚している》(k.214、kはkindle番号)、《国債の残高は一貫して増加しており、おそらく今後も増加していくことが見込まれます。日本でこれくらい右肩上がりの産業もなかなかないのではないでしょうか。投資家や証券会社から見ると、国債市場は巨大なマーケットなので、その中でうまく取引ができれば巨大な利益を得られる可能性もあるわけです》(k.339)というあたりでも、なるほどな、と。

《現在の日本国債は80%以上が国内投資家に保有されています》というのも言われてみれば、なるほどな、と思いましたが、外国人投資家の割合は増加傾向にいるとのこと。

 債券の世界では、債券の投資から得られるリターンを「利回り(イールド)」といいますが、長期になればなるほど変動が大きい、というのは意外でした。短期金利のほうが高い「逆イールド」も発生しやすいとのことで、2年債の価格の動きはほとんどありませんが、30年債の価格は数か月で5%くらい価格が上下することもあるとのこと。だから長い年限の国債は価格の変化が大きく利益を上げる機会が多いともいえる、と。でも、銀行は短期から長期債、生命保険会社は超長期債を購入する傾向がある、と。不思議です。

 ここで、「リスク」とは何かという定義がくるのですが、それが見事という目ウロコ。曰く《金融全般において「リスク」とは、価格の変動そのものを指しており、単に損をする可能性を示しているわけではないことです。リスクは、価格が上がることもあれば、下がることもあるという価格の「変動」に立脚した概念です。したがって、リスクが高いというのは、価格の変動は大きく、儲かる可能性も損する可能性も大きいことを意味します。この変動を「ボラティリティ」と表現することもあります》(k.544)。

 『経済評論家の父から息子への手紙』山崎元の《資本主義経済は、リスクを取りたくない人間から、リスクを取ってもいい人間が利益を吸い上げるようにできている。この点がよく分かったことは、今回この本を書いてみたことによる、父の個人的収穫であった。そして、利益を吸い上げる際に介在するのが「資本」であり、資本に参加する手段が現代では「株式」》(k.401)という言葉の「リスク」を『はじめての日本国債』のこの部分を踏まえて読むと、その意味が時空間をともなって立体的になる感じがしました。

 この後は証券会社と国債市場の関係や、日銀の役割とオペレーションなど、リスクヘッジと金融派生商品(デリバティブ)など実務的な話しが続きます。

 また、『ドキュメント 異次元緩和 10年間の全記録』西野智彦を読んでいて、いまひとつ理解できなかった「財政ファイナンス」についても《日銀が流通市場で取引されている国債を購入する理由は、財務省が発行する国債を直接購入することが「財政ファイナンス」と呼ばれ、財政法で禁じられているからです。これを「国債の市中消化の原則」といいます》とわかりやすく解説してくれてありがたかったです。

 「貨幣」とは「現金通貨」に「預金」を加えたものと整理でき、マネタリーベースの定義では、「現金通貨」に加え、日銀が直接コントロールできる民間銀行が日銀に有する口座=日銀当座預金が「狭義」の貨幣という説明によって、『異次元緩和』でマイナス金利には利下げ効果とは別に異次元緩和の「出口への第一歩」となるという説明にも、すごい説得力と効果を感じました。

 伝統的な金融政策とは短期金利の操作だったがYCCは短期金利だけでなくイールドカーブ全体をコントロールする政策であり、日銀は10年国債を無制限に購入するというオペレーションを導入した、という説明でも異次元緩和をより深く理解できねるようになりました。「日銀にとって通貨の価値が下がることほど恥ずかしいことはない」といわれていたそうですが、円安誘導も含めて、凄い政策だったんだな、と。

 《60年償還ルールのような償還ルールを持っている国は、(私の理解では)日本だけであり、その必要性がないのではという指摘があります》(k.2184)というのは知りませんでした。

 あと、恥ずかしながら《担保を出すことで調達コストを下げられることは、私たちが家を買うときに家という不動産を担保とすることでローンの金利を抑えられることと同じです》(k.2533)というのは初めてしりましたし、《そもそも「金融」とは、その名前からイメージされるとおり、「資金の融通」を意味します。すなわち、お金がない人とある人をつなげること、これが金融の機能というわけです》(k.255)あたりも、当たり前ですが整理してもらいました。

 また、財務省があんまり財政均衡とかいうなら、2050年までに毎年20兆円発行する予定のGX国債を取りやめたら?なんてことも考えてしまいました。もう、トランプ政権になってカーボンニュートラルとか見向きもされなくなってるわけですしw

 レポ取引と無担保コール市場、固定金利と変動金利の交換である金利スワップなどの説明は難しいな、と感じましたが市場で取引されるスワップ・レートを観察することにより、投資家がどの程度、将来の決定会合で利上げを見込んでいるかについて予測ができる、というあたりは役立てようかな、と。

 日銀の植田和男総裁が大学の学部生向けに中央銀行の役割を含めて金融の基礎を解説してくれてる本を出しているのを知りました。敬意を表して、Audible版はタダで聴けるので『大学4年間の金融学が10時間でさっと学べる』をゲットしました(あまり敬意を表してないけどw)。

【目次】
第1章 国債がわかれば金融の仕組みがわかる
第2章 国債(債券)に関する基本
第3章 証券会社と国債市場の重要な関係
第4章 日銀の役割と公開市場操作(オペレーション)
第5章 国債からわかる日本の金融政策史:量的・質的金融緩和から量的縮小へ
第6章 銀行や生命保険会社と国債投資の関係
第7章 日本国債はどのように発行されているか
第8章 デリバティブを正しく理解する
第9章 短期金融市場と日銀の金融政策

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