December 06, 2021

The lonely Century (邦訳『THE LONELY CENTURY なぜ私たちは「孤独」なのか』)

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The lonely Century : Coming Together in a World That's Pulling Apart by Noreena Hertz

 ジムで筋トレ後の有酸素運動でエアロバイクをこぎながら、英語のサビ落としを目的にAudibleで聞いている本の12冊目(邦訳は『THE LONELY CENTURY なぜ私たちは「孤独」なのか』ノリーナ・ハーツ、藤原朝子(訳)、ダイヤモンド社)。例によって聞き流しで、再読もしておりませんので、よろしくお願いします。

 とにかく、これはサブカルチャーに強い経済学者という感じのノリーナ・ハーツによるタイムリーな本。住宅価格の上昇の中でパンデミックが襲い、世界中の政府がステイホームをプロパガンダする以前から、我々の孤立、孤独、疎外は進んでいた、みたいな。それまでも他人との接触は、携帯電話やコンピュータネットワークを介して行われおり、やがては「思いやりのあるAI」とロボットが解決策になるかもしれないというディストピアっぽい未来さえも垣間見せてくれる。

 著者はスマホに夢中になっている大学生向けの「顔色をうかがうことによる実生活でのコミュニケーション方法」の授業やベルギーの極右集会から日本のロボット介護を採用している老人ホームまで幅広く事例を収集。そして、かつてはありふれたものであったカジュアルでありながら実は深かった人間関係が失われていることを報告します。

 孤独は精神だけでなく健康にも驚くほどダメージを与え、免疫力を下げて心臓病、脳卒中、認知症のリスクを高め、早死にする確率を3割も高めるともしています。統計的には、1日に15本のタバコを吸うのと同じくらい孤独は健康を害する、と。孤独や疎外は個人の健康や富、幸福を損なうだけでなく、ポピュリズムによって民主主義さえも脅かす例としては、オバマのクリーンコール法によって見捨てられたと感じた技師がとりあげられています。彼はトランプによって話しを聞いてもらえたと思い、「部外者(移民、エリート)」に対する怒りをかき立てられるようになります。

 つまり、孤独は個人だけでなく社会をも破壊する、と。

 著者のように新自由主義だけでなく、個人的な感想としては、リベラルな思想も「私」の要素を高めた個人主義を奨励することによって、かえって自分たちが市民ではなく消費者として理解されるように仕向けられた結果なのかもしれません。

 ネットワーク化されたホワイトカラーのオフィスやギグエコノミーに支配されるブルーカラーの職場環境からのがれようとしても、公共スペース(公園、図書館、地元の店)はますます減少しています。そして、Facebookで「いいね」と引き換えに、ありのままの自分ではないバージョンを提示するようになってしまう、と。

 ただし、解決策として提示されている「思いやりのあるAI」は、同僚とのおしゃべりだけでなく、トイレに行くことさえ監視されるハイテク企業の倉庫作業員に似ている感じがしなくもないのはどうなんでしょうか。

 以下、ざっと章ごとに。

[孤独な世紀]
私たちはコロナが蔓延する前からアプリでヨガのクラスに参加したり、人間の営業担当者の代わりにカスタマーサービスチャットボットを使用して話します、ライブストリーミングで宗教活動に参加したり、Amazonで他人と接触することなく買い物できました。非接触的な生き方は私たちの選択になっていた、と。緊縮財政の政策によって世界中の図書館、公園、遊び場、若者やコミュニティセンターが打撃を受け、英国では08~18年の間に800近くの公共図書館が、米国では08~19年の間に図書館の予算が40%以上減少した、と。

[孤独は殺人者]
孤独はな高いストレスを与えます。それは攻撃を受けた時に「戦うか逃げるか」の反応を引き出すために分泌されるホルモンと同じストレス反応です。そうした脅威が去った後、私たちの脈拍、血圧、呼吸などのバイタルサインは普通の水準に戻りますが、孤独はリセットされません。

[孤独な街]
匿名性は敵意と不注意を生み、人口密度の高い都市ほど無愛想さを生む。

[一人暮らし]
独身生活は積極的な選択であり、独立と経済的自立がもたらしたものですが、18年に発表されたEUの孤独に関するレポートによると、一人暮らしの人は、他の人と一緒に暮らしている人よりも孤独を感じるリスクが10パーセント近く高くなっている。一人暮らしの人は人生で最も困難な時期や脆弱な時期に孤独を感じることがある、と。

[自分はスクリーン]

私たちが毎日スマホをチェックする回数は平均221回だそうです。シドニー、テルアビブのでは歩行者がスマホ画面から目を離すことなく安全に横断できる信号が設置されています。
最近の調査では、見知らぬ人がスマートフォンを持っていると、お互いの笑顔が非常に少なくなるそうです。

[私のアバターが大好き]
Facebookで共有する私生活は意欲的な日常と美しい風景、美味しそうな食べ物であり、怠惰な日常ではありません。明るく健康的にフィルタリングされたバージョンを自分でも好きになってきており、整形外科医の55%がPhotoshopで撮影した自撮り写真を再現するように依頼され、そうした比率は年年、高まっている、と。本物の自分はデジタルでエンハウンスド拡張されたものになりつつある、と。

[一人のオフィス]
空気清浄機は設置されているものの全員が同じ空気を吸い込むオープンレイアウトのオフィスではバイオハザードのようにコロナのクラスタが発生しました。オープンプランのオフィスは精神面だけでなく、健康面でも働く人を疎外している、と。

[デジタルに乗っ取られた職場]
よそよそしいメールに支配された職場環境は、そこから離れても、人と適切に話したりコミュニケーションしたりするのに時間がかかり、切り替えに労力を要します。

[常にオン]
家族の時間、学校の遊び、深夜のベッドからでさえ上司、クライアント、同僚に応答しなければならない状況は異常だ、と。

[従業員ケアの支払い]
19年、日本のマイクロソフトは賃金を下げることなく休暇を与え、最大10万円を与えたところ会議が効率的になり、欠席が減少、生産性が向上。さらには電力などのコストダウンにもつながった、と。

以下でテキストが読めるハズです。

https://books.google.co.jp/books?id=jVacDwAAQBAJ&pg=PT9&lpg=PT9&dq=The+lonely+Century+Noreena+Hertz+Chapter&source=bl&ots=X3ELLWLUNL&sig=ACfU3U0Mlb_zzjz1E1grhtXNnFj3YWrF0g&hl=ja&sa=X&ved=2ahUKEwjbk8qG_s30AhVCG6YKHdKyBCsQ6AF6BAgjEAM#v=onepage&q=The%20lonely%20Century%20Noreena%20Hertz%20Chapter&f=false

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November 10, 2021

『解剖 日本維新の会』

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『解剖 日本維新の会 大阪発「新型政党」の軌跡 』塩田潮、平凡社新書

 今回の総選挙での維新の4倍増、大阪小選挙区での全勝には本当に驚きました。

 橋下代表の登場以来、維新は「勘弁してくれ」という感じでしたが、こうした圧倒的な結果を示されると、ぼくの見ていなかったものがあるとしか思えません。

 41議席(30増)には驚いたし、それよりも比例得票数には驚愕しました。

自民 19,914,883
立憲 11,491,737
維新  8,050,830
公明  7,114,282
共産  4,166,076
国民  2,593,203
れいわ 2,215,648
社民  1,018,588

 「現実の方が間違っている」という自称リベラルのような観念論者にはなりたくないので、『解剖 日本維新の会』塩田潮、平凡社新書を読んで勉強することにしました。表看板の大阪都構想で住民投票に二度失敗するなどしながらも生き延び、第三極として台頭てきたのは何かあるのかな、と(「小選挙区比例代表並立制」という今の選挙制度に一番、適合しているのが維新なのかもしれませんが)。

 『解剖 日本維新の会』によると橋下・維新が大阪の改革を目指したのはバブル崩壊による法人税収入が落ち込んでいるにも関わらず、公務員天国が改善されず、退職金を二重取りできる出資法人は79もあったからだ、としています。ノックも知事時代にもそれなりに取り組んだけど強制猥褻で辞任、その後の太田はやる気ナッシングで一向に進まず、昔ながらの区割りで家業化できてる地方議員も既得権益を守るだけで、現・松井代表はなんとかしなければならないと思った、と。

 大阪の財政問題はこうまとめられています(以下、kはkindleの位置番号)。

《大阪府はバブル崩壊による法人税収の落ち込みなどが影響して、中川和雄知事の時代の一九九三年に地方交付税の交付団体に転落した。次の横山ノック知事の時代の九八年、財政再建プログラムを策定して支出削減に努力した。それでも財源不足をカバーできず、将来の地方債返済の財源となる「減債基金」からの借り入れに頼らざるをえなかった。
二〇〇〇年二月にノックの後に太田房江知事が登場する。太田の後任の橋下は、〇八年の知事選で「大阪府は破綻会社」と強調し、就任直後の記者会見で真っ先に財政非常事態宣言を表明した》(k.425)と。

 また、石原都知事との連携も当時は野合だと感じたんですが《東京都は石原知事時代の二〇〇六(平成十八) 年四月から、従来の単式簿記・現金主義会計の官庁会計に、複式簿記・発生主義会計の考え方を取り入れた新しい公会計制度を導入した。橋下は手本にと思い、教えを請う》(k.1018)という背景もあったようです。

 橋下が立候補したのは《納めた税金が既得権益のところばかりに行くのを改めなければ、という思いで手を挙げた》(k.409)からだ、と。

 個人的には橋下・維新には拒絶反応が最初にきてしまっていたんですが、今回、この本を読んでみて、改めてその理由が分かりました。それは12年11月に石原元東京都知事らと一緒になった影響で極右団体のように感じたからです。

 個人的には一番気になる九条を含む憲法問題についても《「占領憲法打破」は、石原が「譲れない一線」と一貫して唱えてきた路線であった。維新も憲法改正には前向きだったが、理念や方向性では距離があった》(k.1068)《「必要があれば変える。いいところは残す」と唱える改憲容認派の片山はインタビューで、「われわれは、今、九条を変えるのは反対。緊急事態条項も現状では要らないと主張」》(k.1445)というのはホッとしました。少なくとも九条廃止のゴリゴリの右翼ではないな、と認識を新たにしました。

 また、BSでは、松井代表が維新が圧倒的に大阪で強く、自民党を小選挙区で全敗させた理由について「高校無償化、塾通いへの補助、子どものワンコイン診療というベーシック・サービスを実現したからだ」と語っていたんですが、これには不意を突かれました。

 そこでTwitterで大阪の有権者に《大阪で維新が強いのは「高校無償化、塾通いへの補助、子どものワンコイン診療というベーシック・サービスを実現したからだ」というのは実感として正しいのでしょうか?》と聞いてみたら、8割がYES、2割がNOという回答をいただきました。

 もちろん、ささやかな範囲でのアンケートですが、それでも、思ったよりYESが多かったな、という印象です。これが実質本当ならあれだけ大阪で強いのは理解できます。

 松井代表もこうしたベーシックサービスの成果について《大阪は、年収一〇〇〇万円を超える家庭を除いて、私立高校も全部、教育費を無償にしました。それで、選挙なんかで、若い高校生とか大学生から、『おかげで私学に通えて大学に行けた』『私、行きたい学校に行けてんや』と言われることがありますが、それが一番うれしい。子供なりに選択肢が増えて、喜んでくれているところがあります》(k.2153)としています。


 また、BSの討論番組によると、維新は自民党府議団を割った時は6名からスタートしたが、現在では地方議員だけで260人に達しているとのこと。維新の主張は歳費削減、議員が領収書不要で得られることから第二の給与と言われる文通費(文書通信交通滞在費)の削減、企業・団体献金の禁止というのはスジが通っていると思いました。

 また「資本主義だから格差は出るし、全てをなくすことは難しいというか解消は無理。しかし、固定化されるのはマズイ」というのが橋下の主張。

 ベーシックインカムの予算規模は30兆円を想定しているとのこと。

 選挙結果に驚き、改めて勉強した経験は小泉政権が郵政選挙で圧勝した時に「一度、清和会を岸、福田から辿ってみよう」と思った時以来です。

 国政選挙ではこれまで社会党、民主党、立憲民主党という野党第一党しか投票しておらず、今後も与党には投票するつもりはないのですが、大衆にこれだけ支持を受けているのには、それなりの理由があるはずで、吉本隆明さんの大衆の原像ではありません、そうしたものは確認しなければ、と思ったからです。

 また、子どもの頃から日本の政治をみてきた目からすると、日本では旧民社党のような中道左派は中途半端で大衆受けせず、自民党か社会党に結局、票は入るという図式がもしかしたら崩れたかもしれないと今回の選挙では感じました。それは国民民主党の増加です。

 今回、旧社会党な追求手法を得意としていた民主党の議員は軒並み苦戦し、実際にスキャンダルを起こした与党の議員もキッチリ選挙の洗礼を受けたわけで、国会ましてや予算委員会ではキチンと政策論議をやってくれ、という要求が高まっているとも感じました。

 また、実質、橋下元代表が維新のリーダーというのは変わっていないようです。《引退後、維新の法律政策顧問という立場で党外から支援する形となった橋下は、維新の党運営や政策策定などにどう関わったのか。
「党の大きな方針や政策を決める戦略会議というのがあるが、必ず出席する。というよりも、橋下さんに合わせて開いている。そこで議論を主導されている。みんなで決めるわけだけど、今も一番、影響力がありますよ」
維新の共同代表を務める片山虎之助は一六年五月、インタビューに答え、党内で重要な政策を決定する場面で、引退後も影響を及ぼす橋下の存在と役割を明かした》(k.1525)。

 単なる自民党の補完勢力と思っていましたが、もし《維新は与党ですか、野党ですかとよく聞かれます。私は地方議会の出身ですが、地方自治は首長と議員が別々の選挙で直接、住民から選ばれる『二元代表制』です。首長が出してくる議案に、必要なら賛成し、おかしければ修正をかけ、間違っていれば反対する。有権者が政党に求めている役割はそれだと思います》(k.2440)というのは本当ならば、もっと注目していかなければならないと思います。

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『荘園 墾田永年私財法から応仁の乱まで』

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『荘園 墾田永年私財法から応仁の乱まで』伊藤俊一、中公新書

 戦後マルクス主義史学を遠くから供養してくれたというか、下部組織から列島社会の変遷を古代から近世直前まで描いてくれた感じ。特に、年輪酸素同位体比によって明らかになった降水量の変動が荘園の歴史と対応するあたりは素晴らしかった。

 旱魃と豪雨が交互に訪れるような不安定な天候によって頻発する災害から荘園を復興するために、新しい用水を引こうとしたりすると、他の荘園の利害に抵触するようになるため、地域社会を領域型荘園という独立した小世界で区切った荘園の限界がみえてくる(p.244)という流れも素晴らしい。最初の方にも書いていた《小さな地域の自治権を最大に、国家や地方政府の役割を最小にした場合、何が起きるかという400年にわたる社会実験》というのが、よくわかります(p.262)。

 荘園という小世界の生産性をあげるためには、国人や戦国大名による強制力が必要になってきた、ということでしょうか。
 
 コジェーブは「人間の歴史を学びたいのであれば、日本の歴史を学べ」としているけど、日本史は気候、異民族支配などの影響がなく展開されたので、人間社会の発展史の教科書だな、とも改めて感じます。

 そでの内容紹介が素晴らしく簡潔で、ぜひ、読んでみてください。

 とにかく、今年、読んだ本のNo.1です。

 以下、箇条書きで。

はじめに
 《荘園の荘は建物、園は土地を指し、私有の農園のことだ》ではじまります。
 本書が主に扱う領域型荘園については《平安時代末には地方政府の役人を務めつつ大規模な農地開発を請け負った在地領主が成長し、上皇が専制権力を握った院政と結びついて、領域内の支配権が一括して与えられる領域型荘園が設置され》《領域型荘園には地方政府に納める税の免除と使節の立ち入りも拒否する特権が与えられた。荘園は外部の干渉を受けない独立した小世界となり、在地領主が務めた荘官のもとで、その土地に最適化した生産活動が行われた。荘園には、天皇家・摂関家の本家を頂点として、貴族や寺社などの都市領主が務め家、在地領主が務める荘官という重層的な支配関係が成立し、荘園から領家・本家に納める年貢・公事物が大量に京都に送られることになった》としています。
 《日本では荘園領主の大半が京都に住み、地方から年貢が送られてくる時代が長く続いたが、そのような荘園は西欧ではまれだ》というはなるほどな、と。荘園については下部構造を重視するマルクス主義の影響で50~70年代まで盛んに研究されたが、そうした全盛期から数十年を経て、研究成果へのアクセスが難しくなり、《多くの論者によってさまざまな議論が行われたため、全体像がつかみにくい》状態になっていた、と。それに古気候学の最新の研究成果によって、荘園の歴史を自然環境と人間社会の相互作用として描けるようになった、と。

二章 摂関政治と免田型荘園
 降水量・気温を図時した気候のグラフが初めて出てきます。これは年輪酸素同位体比を測定することで、列島の降水量が年単位で推定できるようになった中塚武氏の研究を元にしたもので、これによって、荘園の盛衰、制度変更の背景がより立体的にわかるようになります。p.27、p.60、p.116、p.175、p.234のグラフを追ってみるのも面白いと思います。
 郡司層の没落、浪人の増加によって、摂関期には人頭税から逃げることない土地への課税に切り替わっていったということですが、明治維新は、国民皆兵のために再び徴兵が人頭税として復活したんだろうか…などとも考えてしまいました(p.34)。

三章 中世の胎動
 こんなところも考古学の恩恵を受けているのか…と思ったのは、10世紀の極度に乾燥した気候の後の洪水などで開発意欲のそがれた農業経営も、11世紀半ばからは気候も安的し、新しい集落が出現したことが判明した、というあたり。とにかく、人々は水田を広く展開できる平野部の開発に乗り出した、と(p.60)。

第四章 院政と領域型荘園
 小さな荘園を寄進して、それを核として広大な土地を囲うという手法があったことに驚きました(p.84)。こうしたカラクリを使うことによって日本最大の荘園として有名な八条院領などが生まれます(p.94)。

五章 武家政権と荘園制
 源平騒乱って、清盛が院政を敷こうとしたことが原因というのが新鮮。平家と上皇・摂関家との関係は滋子と盛子の縁を介した危ういもので、二人の死後、荘園の管領が停止されると、焦って後白河法皇を清盛が幽閉。娘徳子の産んだ安徳天皇を即位させて院政で全権を掌握したことに怒った以仁王が挙兵したことが原因なのか。

七章 鎌倉後期の転換
 サブタイトルを意味する転換とは宋銭の流入による貨幣経済の発展。《13世紀後半には、日本の経済史を二分するとも云える出来事が起った。それは銅銭の大量輸入による本格的貨幣経済への移行だ》(p.181)。
 日本で宋銭が大量流通した要因のひとつが、モンゴルが紙幣を使わせるために江南地方で銅銭の使用を禁じたからだったというのは、日本史は東アジア史の中で考えないとダメだな、と改めて思いました。
 最初はバラストとして積んでいたとのことですが、モンゴルによって中国で不要にされた銅銭は毎年20万貫文(2億枚)前後の銭を輸入していたというんですから驚き(p.184-)。
 中国の紙幣(交鈔)は、モンゴル前の華北の覇者である金が、銅の不足に対応したものらしいけど、世界初の管理通貨制度の創始者?耶律楚材のこととか、色々考えました。

八章 南北朝・室町時代の荘園制
 鎌倉幕府が倒れた流れをあっけらかんと説明しているところが分かりやすい。曰く、畿内で悪党が暴れ回っていたから後醍醐天皇は倒幕へ向かった、と。
 建武新政で御家人制度が廃止、地頭は単なる職となり寺社や貴族が地頭になるなど上下関係がなくなった、と。
 そして守護の権力が強くなり、命じた軍務に就くものが国人となった、と。
 荘園代官には1)寺院、貴族、武士それぞれの組織内の人員2)僧侶や商人3)武士が登用されたが、組織内の人員は荘園経営の専門性に乏しく、裕福な僧侶や商人は最初こそ年貢を先払いするが忠誠心に欠けて2年目からは未進しがちで、武士は最初から未進で居直られるというのに笑いました(p.222)。

終章 日本の荘園とは何だったのか

 1963年からの圃場整備事業による区画変更や水路整備によって、中世から引き継がれた土地の形や地名、用水系などの手がかりが失われていることが嘆かれてします。
 『室町幕府と地方の社会』〈シリーズ日本中世史 3〉、榎原雅治、岩波新書の「おわりに」でも40年ぐらい前までは《七百年間、同じような用水が使われ、変わらぬ形をした田んぼが耕され、変わらぬ名前で呼ばれていた》ことがよくわったそうですが《今、私たちは十四、五世紀くらいに産声をあげた長い、一つの時代の終焉に立ち合っているといえるかもしれない》と書かれていましたことを思い出します(p.224)。

あとがき
荘園史は学会での流行のテーマではなく、大家による荘園史研究が膨大にあるため、刊行には5年かかったとしていますが《網野善彦氏によって切り開かれた非農業民の問題もほとんど取り入れる余裕はなかった。非農業民よりも前に、農業民のほうがわからなくなっているのが現状と思う》というのも印象的。
 在地領主の寄進によって成立したと考えられてきた中世荘園の形成に院政の権力が深く関わった「立荘論」の首唱者である川端新氏についても触れられています。

第一章 律令制と初期荘園
第二章 摂関政治と免田型荘園
第三章 中世の胎動
第四章 院政と領域型荘園
第五章 武家政権と荘園制
第六章 中世荘園の世界
第七章 鎌倉後期の転換
第八章 南北朝・室町時代の荘園制
第九章 荘園制の動揺と解体
終章  日本の荘園とは何だったのか

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"Blitzscaling: The Lightning-Fast Path to Building Massively Valuable Companies"

Blitzscaling

"Blitzscaling: The Lightning-Fast Path to Building Massively Valuable Companies" Reid Hoffman, Chris Yeh

ジムで筋トレ後の有酸素運動でエアロバイクをこぎながら、英語のサビ落としを目的にAudibleで聞いている本の11冊目。

Blitzscalingは成功したIT企業などが採用した、成長最優先で巨大な市場シェアと高い利益率を達成し、短期間で巨大企業になるための戦略です。第二次大戦のドイツ軍が採用した電撃戦(Blitzkrieg、ブリッツクリーク)を模したもの。

"TRANSACTION MAN: The Rise of the Deal and the Decline of the American Dream"Nicholas Lemannで紹介されていたPayPal、LinkedInの創始者でエンジェル投資家のリード・ホフマン(Reid Hoffman)の本ということで「聴いてみるか」と思ったのですが、正直、それほど面白くはなかったというか、中国のIT企業を礼賛していたりして、此の世の移り変わりのスピードの早さに改めて驚かされます。Chris Yehと共同執筆した本で、スタンフォード大学の授業に基づいています。

なにせ、PayPalはピーク時に1日あたり10%成長していたそうです。つまり、毎週、PayPalはユーザーベースを2倍にした、と。このような成長が1か月続けば、顧客は16倍に増加します。これが電撃的なBlitzscalingによる指数関数的成長です。

Blitzscalingは、急速な成長がもちろん含まれますが、企業は常に持続可能である必要もある、と。さらに、すぐに巨大企業に到達したい場合は、4つの成長要因を最大化する必要があり、製品と市場の適合性と運用の拡張可能性(scalability)という2つの障害もある、というのがサマリーでしょうか。

企業が数か月で1億人のユーザーを獲得すると副作用が発生する可能性があります。そのため、ホフマンは、この成長を生き残り、成功裏に成熟するために必要なことを説明するためにBlitzscalingという言葉をつくった、と。それは指数関数的成長中にも持続可能性を確保しながら、成長するプロセスだ、と。

以下の4つの成長因子をうまく組み合わせると、Blitzscalingにつながる可能性がある、と。

1)ネットワーク効果。ただし、ネットワーク効果は、製品が市場で広く採用されるまで機能しません。
2)市場規模。スタートアップ企業はニッチを選択して支配する必要があります。オンラインでない場合は、すぐに成長の限界に直面します。
3)流通(Distribution)Amazonは米国郵政公社など既存の流通ネットワークを選択したり、PayPalが10ドルのサインアップボーナスを行った、と。
4)粗利益率の高さ。取引後に残っているお金が多いほど、再投資することができます。

ユーザーが何を望んでいるかを推測するのは難しく、リリース後に製品を調整しなければならない可能性は高い。PayPalはコア戦略を4回切り替え、Instagramは画像共有だけに移行しましたが、創設者は進んでそうしたことを行う必要がある、と。

もうひとつの要素は運用の拡張可能性(scalability)。製品をより多くの人々に提供するためにはインフラストラクチャ、従業員、リソースが必要で、最初にこれらの問題に対処する必要がある、と。

サブスク、無料戦略(無料ほど安いものはないわけで)などをつかって、いまやBlitzscalingが可能になった、と。

そして、成長レベルは家族->部族-> 村-> 都市-> 国家という5つの段階があるとか、「顧客は常に正しい」という姿勢は採用すべきではなくカスタマーサービスはできる範囲で行うべきだ、なんていうのも印象的。

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『古代史講義【氏族篇】』

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『古代史講義【氏族篇】』佐藤信、ちくま新書

 勉強不足のせいで、不案内な情報が多く、遅々として読書は進まなかったのですが、読後は目からウロコの話しばかりだった印象。

 古代の列島は氏へ結集する豪族よりも官僚を重視する律令制度へと変わっていくわけですが、それにしても氏姓制度というのはイマイチ分かりにくい。氏(ウジ)の名は蘇我のように居住地によるものと、物部、中臣、忌部、土師など職業の名によるものとがあり、氏姓をない者は皇族と奴婢だった、と。でも氏は臣、連などの姓(カバネ)をもって政務に参加とか、いまひとつスッキリわからない。

 全15講の最初の大伴氏の説明では、氏族は族長を頂点として血縁集団としてまとまり、共通の祖を持つ氏であるとともに、王権から氏の名前と姓をもらって職掌を果たす政治的集団である、としています(p.12)。

 続いて皇別のウジには臣のカバネ、神別のウジには連のカバネが与えられたが例外も多いとして、物部氏の職掌の説明に入っていきます(p.36)。これよると物部氏は武器・祭器の製作にあたっていた生産技術集団で、そこから軍事・警察的役割を果たし、派生的に祭祀的性格も持った、と。

 物部氏と蘇我氏の対立は、通説では仏教をめぐるものとされていましたが《大臣系氏族と大連系氏族の派閥争い、政争》とみるべきだそうです(p.58)。また、乙巳の変で討たれたのは本宗氏だけだというのもなるほどな、と(p.60)。

 阿部氏では皇別が皇族から分かれ、神別は神々の後裔だと説明されます。畿内では平安以後は衰えるものの、東国や東北では名門の安倍氏となる、と。

 佐伯氏では宿禰(すくね)・連・直・造・首というカバネが説明され、宿禰が最も地位が高い、と。佐伯氏は宮城の警護などの大伴氏とセットになっていることが多く、元日朝賀では門の左に大伴氏、右に佐伯氏が配置された、と。乙巳の変では佐伯子麻呂が蘇我入鹿を斬るなど、様々な内乱・政変に絡んでいるのも印象的。

 紀直氏は紀伊国北部の豪族としての権威を持ちながら中世的荘園領主へと変貌します。伊勢が、軍団の集結場所だということを知りました。日本史のプロの方には常識なのかも知らないけど北畠親房ら劣勢の南朝勢が伊勢から船を出して東国を目指したというのはノスタルジーだけでなく、インフラ的にも昔から使われてきたからなのかな、と。

 摂関時代の藤原氏(九条流・小野宮流)では、中宮は皇后の別称であったり、今帝の正后を中宮、選帝の正后を皇后と称したり(p.217)、道長の娘彰子が一条天皇の女御となった時は、第一皇子を産んでいた定子が皇后、彰子が中宮に立てられていたとか、いろいろあったんだな、と(p.219)

 おわりに《律令国家のもとで律令官僚制が導入されても、前代からの氏姓制も社会的に遺り、氏族の存在は無視できないものがあった》(p.279)とあり、貴族たちは娘を入内させることに血道をあげ、軍事貴族たちは在地の有力者の娘を娶り、中央と往復して継続して受領してもらう、ようになったと。

第1講 大伴氏(伴氏)
第2講 物部氏
第3講 蘇我氏
第4講 阿倍氏
第5講 藤原氏(鎌足~奈良時代)
第6講 橘氏
第7講 佐伯氏
第8講 紀氏
第9講 東漢氏と西文氏
第10講 菅原氏(土師氏)
第11講 藤原北家
第12講 摂関時代の藤原氏(九条流・小野宮流)
第13講 源氏
第14講 平氏
第15講 奥州藤原氏

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『万葉集に出会う』

『万葉集に出会う』大谷雅夫、岩波新書

 万葉集でも名高い歌の読み方がいきなり違うという衝撃からスタート。

「石走る垂水の上のさわらびの萌えいづる春になりにけるかも」

 教科書にものっているいかにも万葉集らしい歌は、賀茂真淵が研究をまとめた江戸時代以前は、そのようには読まれてはおらず、定家も違って読んで実朝に教えていた、と。万葉集は時代が勝手に内容を解釈していた誤読の歴史があるとよく言われていましたが、それ以前の問題として読み方さえも違う、と。

 というのも万葉集は漢字でカナを表していているから。さわらびの歌も万葉仮名では「石激 垂見之上乃 左和良妣乃 毛要出春尓 成来鴨」と書かれています。「かも」が「鴨」なのは微笑ましいんですが、「つつ」をニワトリの鳴き声とみたてて「喚鶏」と表記するなんていうこともやっています(p.9)。まるでヤンキー漢字の「夜露死苦」のようにシャレを効かせて表現しようとしたりする例もあることに驚愕。

 で、問題は「石激」を「石ばしる」か「石そそく」と読むか。というより、古代の人たちが「激」という漢字ををどう読むか。

 鎌倉時代の写本には「ソソク」と訓点されている例などもあるのですが、江戸時代には、そうした読み方が忘れられていってた、と。つまり、江戸時代の賀茂真淵には「石そそく」感覚がなくなり、他の例から強引に「石ばしる」と読んでしまった、と。

 さらに、季節に沿って並べる古今的手法が未成熟だったので、天智天皇の志貴皇子という古人の歌を巻八の冒頭に置いてしまいその結果、滝を意味する垂井(たるい)を、つららの垂氷(たるひ)とさまざまな写本がつくられる過程で勘違いされ、年明け早々の歌としてさらに誤解が進んだという流れも素晴らしい。

 ただ、蕨がよく採れるのは初夏だから、その季節の歌というのはどうなんでしょう。京都の美山山荘などでは、春のかなり浅い時期から、出していたような気がしたんですが、どうなんでしょうか。早蕨(さわらび)だから、小さな早い時期の、みたいな…などと考えながら読んでると進まない。

 さらに柿本人麻呂の有名な歌「東野炎立所見而反見為者月西渡」も「東の野の 野のにかぎろいの 立つみえて かへり見すれば 月かたぶきぬ」という賀茂真淵の解釈で誤読が流布されているのです、こちらもが「ひむかしの 野らにけぶりの 立つ見えて かへり見すれば 月かたぶきぬ」が正しい読み方だ、ということで驚愕。

 万葉集と古今和歌集の作品を対比させて「ますらをぶり」と「たをやめぶり」と単純化した賀茂真淵と本居宣長の批評以前の問題というか、読み方自体も誤読だったのか、ということになると、日本的ナショナリズムの根源が崩れるような話し。

 ということで《万葉人が読んでいた『万葉集』の形を求めて、追究はまだまだ続く》と。

 長歌は五七調で、歌舞伎のセリフは七五調。五音句の難しい言葉はたいてい枕詞。枕詞は語りを荘重にするのが狙いなので七音句だけで内容はわかるというあたりも目ウロコ(p.123)。

 防人の歌のように《親への思慕を詠うのは、じつは古代の詩と歌にはきわめてまれ》だったという指摘にも驚く(p.179-)。あと「母」を「あも」と読むこともあるのは朝鮮語のオモニと似ているというか、同じ系統なのかな?

 この本を読んでいて、宝塚の芸名で良いのも思いつきました!それは「水深千尋(みなわ・ちひろ)」

水沫(みなわ)なすもろき命も栲縄(たくなわ)の千尋(ちひろ)にもがと願ひ暮らしつ(山上憶良)

自分で使うあてはありませんが、友人から「娘が万が一入団したら使わせてくれ」と言われて嬉しかった。

楽しいな パリピピリピリ ピッピリピ 昨日の記憶一切ねぇわ

 俵万智さんなどが選んだ『ホスト万葉集』も、現代の市井の人たちの心を集めようとすると、百人一首でも古今、新古今でもなく万葉集とつけたくなるのは、本の中に紹介されている冗談のような歌、庶民の感情なども歌われているからでしょうか。

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August 26, 2021

『蹴日本紀行』宇都宮徹壱

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『蹴日本紀行』宇都宮徹壱、エクスナレッジ

 アフターコロナのリベンジ旅行やワーケーションなどを利用して「全国のスタジアム巡りをするのも楽しいかも」「四国のこじんまりとしたスタジアムの巡礼なんかはどうだろう」と想像しつつページをめくっていました。いずれは日本百名山や百名城のように、日本100名スタジアムなんかも選ばれるようになるのかもしれません。

 印象的なのは空が美しい各地のスタジアム写真。北海道から沖縄まで、いつのまにか、こんなにも美しいスタジアムが建てられていたとは驚きでした。

 大宮、岡山、鳥栖など交通の要衝にはJのクラブがあるという著者の指摘はなるほどな、と。免許は持っているものの、マイカーは使わない主義という都会育ちの著者の移動手段は鉄道などの公共交通機関。必然的に全国各地の珍しい駅舎や車両のイメージも収められることになります。

 Jリーグがあろうがなかろうが47都道府県を平等に扱う構成なので、各地の主な輩出選手も記されていて「長崎は出身選手こそ多くないものの小嶺監督に育てられた小林、高木や国体選抜で選んだ森保など、現役で活躍しただけでなく、良い指導者を多く産んでいるな」などということもわかります。

 写真を中心とした紀行文という体裁の本なのですが、暮れなずむ空や山並みをバックにしたスタジアムの美しさには圧倒されます。空の美しさは列島の環境が改善された証しでしょうし、新潟は夕陽の美しさが県全体の自慢とか。

 2002年の日韓ワールドカップを期に、自治体と母体となるクラブが協力しながら、地域おこしなどを目的に本格的なスタジアムが建設されるようになり、そこを拠点としたJリーグのチームが根づいていった日本全国の姿がこの本には収められています。それはフットボールという断面で切り取った今の列島の姿なのかもしれません。

 紀行文は公共交通機関の発達や中産階級の拡大にともなって増えていったと言われますが、たとえ経済が多少下り坂になったとしても、成長期に蓄積された素晴らしいインフラに支えられたクラブとスタジアムの存在は、47都道府県それぞれの特性を生かして、それぞれの場所で充実した生活を送ることのできるようになった証しのようにも感じます。

 さらに自治体から施設の管理指定業者に指定されたクラブが、自分たちの利用だけにとどめず開放する試みも紹介されています。それは、地域との繋がりにワンクッション置くことで、従来の建てたら建てっぱなしというハコモノ建設政策から行政も脱却していこうとしている姿なのかもしれません。

 英国のフットボールファンの中には下位リーグのスタジアムを巡って、土地の風景を楽しむというような集まりもあって羨ましいな、と思っていましたが、日本でも十分、そうした楽しみが可能になってきたと感じます。生きているうちに、もう1回ぐらいワールドカップが日本には来ると思っているのですが、そしたら、こうした施設が海外から来る代表チームのキャンプやトレーニングに利用されていくことでしょうし。

 「鉄分」がわりと多めなこの本を読んでいると、旧国鉄が全国各地に「鉄道の町」を持っていたことも思い出しました。そうした土地である盛岡にはグルージャ、大宮にはアルディージャ、吹田にはガンバ、米子にはガイナーレ鳥取、鳥栖にはサガンなど、旧国鉄時代から大きな機関区や工場、操車場(貨物ヤード)などが置かれた場所にはフットボールクラブが多く誕生しているな、と改めて感じます。

 行政の中心で士族が住んでいた県庁所在地などには大規模な施設をつくるスペースがなくなっていたために、そうした中心部の周辺には働く人たちが集められました。そんな「中心から少し外れた場所」にはスタジアムを建設できる用地も残ったわけで、交通の要衝=来ては去る人々の多い土地には、フットボールクラブとサポーターとの程良い距離感も生まれやすいのかもしれません。

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TRANSACTION MAN

Transaction-man

"TRANSACTION MAN: The Rise of the Deal and the Decline of the American Dream"Nicholas Lemann

 ジムの有酸素運動でエアロバイクをこぎながら、英語のサビ落としを目的にAudibleで聞いている本の10冊目。"The Tyranny of Merit: What's Become of the Common Good?" Michael J. Sandelから能力主義の問題について読んでいるのですが、"Head、Hand、Heart:The Struggle for Dignity and Status in the 21st Century" David Goodhartに続いて聴いたのは“The Big Test”でSATの歴史を描いたレマンが巨大企業の役割の変化から不平等の拡大を説明しようとしたこの本(邦題は『マイケル・ジェンセンとアメリカ中産階級の解体』)。

 この本は倒産したGMのディーラーとオバマ、黒人解放運動の舞台となったシカゴから始まります。最終的には2008年の金融危機によって工場が放棄され、小売店も経営者が変わり、街も犯罪に苦しむゲットーになった、みたいな。

 企業レベルではGMとモルガン・スタンレーの興亡を描いています。GMはディーラーの従業員とともに、数十万人の自社従業員に寛大な利益をもたらす安定した生涯の仕事を提供してきましたが、08年の金融危機で倒産。ウォールストリートで投資銀行の模範だったモルガン・スタンレーは従来ベースのビジネスモデルを破棄して取引ベースのモデルに移行したものの、同じように倒産。しかし、政府による救済により救済されます。

 フランクリン・ルーズベルトの経済補佐官だったアドルフ・バールは、大企業が経済支配する社会を予想して「大きな政府」による安定した雇用と年金制度に貢献。米国の経済界はフォード、ロットフェラー、モルガンなどの一代で築いた企業の文化が変化し、1970年代までに大株主も新しい体制の下で落ち着きを取り戻した、と。それは社会主義的というより飛躍した資本主義(galloping capitalism)かもしれなかった、と。

 企業が社会制度のように振る舞うことに成功したときがアメリカの福祉国家の姿だった、とバールは語ったというのですが、それは日本も同じだったかもしれません。

 しかし年次昇給を約束したGMのような企業と労組、そこで働く人々との交流と教会などを嫌う反組織派も現れ、勝利します。そのため現代の代表的な人物はほぼ完全に反組織的性格であり、トランザクションマン(Transaction Man、市場志向の人間)と呼ぶことができまる、と。トランザクションマンは、金融商品の取引、プライベートエクイティ、ベンチャーキャピタル、ヘッジファンドなどの分野で、文字通りトランザクション(取引)の仕事をしている、と。組織派の人々は大企業に勤め、そうしたコミュニティの柱になりたいと感じていましたが、トランザクションマンは、そうした組織の破壊者であり、グローバルな地球市民になることを目指していた、と。

 アメリカのビジネスは動きが遅くなり、日本とヨーロッパの競争相手に対して脆弱になったとする人々を代表するハーバードビジネススクールのマイケル・ジェンセンは、企業は株主価値を最大化する必要があると主張。コストを削減し、仕事をアウトソーシングし、株を買い戻す経営者が賞賛された、と*1。しかし、ジェンセンやフリードマンなどの解決策は極端ではなかったか、と。

 重視された株主価値を最大化するために、投資家たちは高賃金、企業研究所、厳格な規制、再分配課税など、非常に優れた業績を上げた企業や政府の建物を解体。その結果「取引」が始まった、と。ウォール街は強力になり、アメリカの納税者の負担もあって金融危機も乗り切ることができた、と。

 しかし、こうしたトランザクションマン・エコノミーの40年間は、ほとんどのアメリカ人にとっては辛い日々となり、賃金の伸びは鈍く、平均余命も停滞しました。

 また、2000年のインターネットバブル崩壊は、市場が企業の真の価値を決めるのが得意ではない可能性も示しました。不正会計のエンロン、ワールドコム、ノーテルなどの企業が崩壊したからです。2008年の金融危機はモラルハザードがさらに進みました。住宅ローンブローカーは住宅という商品を、返済が必要なローンではなくパッケージ化された金融資産と考え、定職を持たないような人々にも貸し出しました。すべて英語で書かれた契約書をスペイン語しか話さない人々にサインをさせ、収入のない人々には「収入を発明」して記載させることまでした、と。

 経営資本主義が株主の多様性に取って代わったように、今や株主資本主義は完全に民主化された経済に取って代わられ、企業、組合、政府はもはや機会と富を生み出す必要がなくなった。LinkedInの創業者であるピーター・ティールにとって重要なのはインターネットに対応したネットワークだけでした。リード・ホフマンとのセクションでは、ピーター・ティール流のネットワーク効果が説明されます。それは利用者が増えるにつれ利便性があがるサービス。ネットワーク効果を狙う企業は小さな市場からはじめますが、トランプを支持したピーテー・ティールや、ブルームバーグを担ぎ出したマーク・ピンカスも生み出します。

 こうした話しは面白かったけど、正直、このネットワークの部分は消化不良のような気もします。ということで、次はReid Hoffman"Blitzscaling: The Lightning-Fast Path to Building Massively Valuable Compan"を聴いてみます。

*1 "Theory of the Firm"は企業と市場の境界があるなか、どのトランザクション(取引)が内部で実行され、どんなトランザクションが市場で行われるのかなどを検討。また、企業は階層などで構造化されているが、その相互作用は何か?完全競争が企業の行動の適切なモデルではないとみられるようになった時代、株式を持たないプロの経営者に任せる転換にもなり、「株主価値の最大化」の時代が生まれた、みたいな。

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July 20, 2021

『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』

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『フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔』高橋昌一郎、講談社現代新書

 ユダヤ系科学者の科学史、東欧史、科学者の評伝としても読める本。

 個人的には、第一次大戦後のハプスブルグ帝国の崩壊と、ソ連、ナチスによる蹂躙の歴史に興味があったので、ハプスブルグ崩壊後のハンガリーの混乱ぶりは驚きました。

 ティモシー・スナイダーの『赤い大公 ハプスブルク家と東欧の20世紀』『ブラッドランド ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実』『ブラック・アース ホロコーストの歴史と警告』を読んでいたのですが、スナイダーはポーランドとウクライナが中心だったので、第一次大戦後のハンガリーのめまぐるしい動きは、権力の空白の恐ろしさを実感できました。スターリニストによる赤色テロ→隣国ルーマニアの介入→スターリニストの亡命とソ連国内での粛清→ナショナリストによる白色テロで国力を失えば、それは簡単にソ連やナチスに蹂躙されるわな、と。

 ハンガリーは行ったことはないのですが、精神科医の中井久夫が『家族の深淵』のなかの「「ハンガリーへの旅から」で平均海抜200メートルの《周囲の山々の手前の平野のかなりの部分までが他国領で》こうした無防備な国で《強大国と境を接する小さな国の兵士はどういう気持ちで軍人になるのだろうか不思議に思った》ほどの《地政学的な不幸》を思うところを思い出しました(p.268-)。

 評伝としては私有財産を放棄した聖人のようなエルデシュと世俗的なノイマンの対比も面白かった。

 ユダヤ系科学者の科学史としては、改宗ユダヤ人化学者ハーバーの悲劇が印象的です。ドイツ人以上にドイツ的たらんとしたハーバーは、第一次大戦での毒ガス兵器の開発に尽力しますが、敗戦。ナチスが政権を奪取すると追放、彼が開発した毒ガスはユダヤ人虐殺に使われます。

《ベルリン大学に入学した当時のノイマンは、「戦争を早期終結させるためには、非人道的兵器も許される」という「化学兵器の父」フリッツ・ハーバーの思想から影響を受けた可能性がある》(k.1820)《ノイマンの思想の根底にあるのは、科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきだという「科学優先主義」、目的のためならどんな非人道的兵器でも許されるという「非人道主義」、そして、この世界には普遍的な責任や道徳など存在しないという一種の「虚無主義」》(k.1826)だったと著者は結論づけています。

 バンバーガーが「ブラック・サーズデー」の1ヵ月前にデパートの所有権をR・H・メーシー社に売却した利益でプリンストン高等研究所がつくったというのも知りませんでした。

.......Quote(kはkindleの位置)..........

彼の死後、生前の論文を集めて出版された英語版『フォン・ノイマン著作集』は、全六巻で合計三六八九ページに及ぶ。第一巻「論理学・集合論・量子力学」、第二巻「作用素・エルゴード理論・群における概周期関数」、第三巻「作用素環論」、第四巻「連続幾何学とその他の話題」、第五巻「コンピュータ設計・オートメタ理論と数値解析」、第六巻「ゲーム理論・宇宙物理学・流体力学・気象学」というタイトルを眺めるだけでも、彼の論文がどれほど多彩な専門分野に影響を与えたか、想像できるだろう(k.13)


ある日曜日の午後、一一歳のノイマンと一緒に散歩をしていた一二歳のウィグナーは、ノイマンから「群論」を教えてもらったという。ウィグナーは、後にノーベル物理学賞を受賞することから推測できるように、幼少期から数学も抜群に優秀だったが、群論はまったく未知の概念だった。その当時、ノイマンの数学はすでに大学院レベルに達していた(k.61)

機雷の衝撃波を検証するためには、連続的に変化する非線形の衝撃面の状態を記述する偏微分方程式が必要であり、その方程式を解くためには、膨大な計算が必要になる。そのためにノイマンが中心になって進めたのが、コンピュータの開発だった(k.101)


ノイマンは、戦後の占領統治まで見通して皇居への投下に反対したのであって、事実そのおかげで日本は命令系統を失わないまま三ヵ月後に無条件降伏できた。その意味で、ノイマンは無謀な「一億玉砕」から日本を救ったとも考えられる(k.125)

スタンリー・キューブリック監督の風刺映画『博士の異常な愛情 または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』には、車椅子に乗る大統領科学顧問ストレンジラブ博士が登場する。そのモデルはノイマンだと言われている(k.142)

ノイマンの「一度読んだ本や記事を一言一句たがわずに引用する能力」は、生涯にわたって続いた(k.241)

九歳のエルデシュは、「任意の2以上の自然数nに対してnと2nの間に素数が存在する」という「チェビシェフの定理」に簡潔な数論的証明を与えて数学界の脚光を浴び、「ブダペストの魔術師」と呼ばれるようになった(k.276)

(エルデシュは)「私有財産は数学の邪魔」と信じ、手に入った金は、ほとんどすべて他人に配った(k.290)

エルデシュは、一九九六年に八三歳で亡くなるまで、五〇〇人以上の共著者とともに一五〇〇編以上の論文を発表した。数学史上、これ以上の数の論文を書いた数学者は、一八世紀のスイスの天才数学者レオンハルト・オイラーだけである(k.297)

そもそもユダヤ人がヨーロッパで姓を名乗ることを許されたのは、一六世紀である。ただし、彼らは自由に姓を選べたわけではなく、自然由来の姓を名乗るように強いられた歴史がある。「ノイマン(新しい人)」や「フリードマン(自由な人)」や「ゴールドマン(金のある人)」のように接尾辞「マン(mann)」の付く姓は、明らかにユダヤの出自(k.337)

後にセゲーは、ケーニヒスベルク大学教授になったが、ナチス・ドイツに迫害されてアメリカに亡命し、スタンフォード大学教授となり、ジョージ・ポリアをはじめとする数多くのユダヤ人科学者を救出した。やがて彼らが、現在の「シリコン・バレー」の拠点を形成していくことになる(k.382、セゲーはブダペストの数学者でノイマンが10歳の時に指導)

一九一九年三月には「ハンガリー革命」が起こり、ベーラ・クンが共産主義政権を樹立して、「ハンガリー・ソビエト共和国」の成立を宣言した。  クンは、旧皇帝派の貴族や旧帝国軍人ら五〇〇人を粛清する「赤色テロ」を行った。「レーニン・ボーイズ」と呼ばれる革命派の労働者や人民軍兵士が、軍用トラックに乗ってブダペスト中を走り回り、カトリック教徒や裕福なユダヤ人に襲いかかった(k.107)

四月になると、隣国ルーマニア王国が「赤色革命の飛び火を防ぐ」という大義名分でハンガリーに侵攻し、後にブダペストを占領した。共産主義政権は崩壊し、クンはソ連に亡命。その後、スターリンの粛清によって銃殺された(k.413)

(ルーマニアが撤退した後)政権を握ったホルティは、クン以上に残忍だった。彼は、「赤色テロ」の報復に、旧共産主義政権の関係者五〇〇〇人に拷問を加えて殺害するという「白色テロ」を実行した。 さらに、ホルティ政権の中枢を担った旧皇帝派の貴族は、もともと疎ましく思っていたユダヤ人を排斥した。その結果、ハンガリーの内政は再び混乱し、経済は落ち込んだ(k.422)


二〇世紀初頭のヨーロッパでは、「化学こそが人類の生活を向上させる」という「化学ブーム」が生じていた。化学肥料によって生産革命が起こり、食糧生産が劇的に増加し、世界中の飢饉や貧困が減少したためである。そこでマックスは、ベルリン大学応用化学科への進学を息子に勧めた(k.435)

(改宗ユダヤ人のハーバーが)一九〇八年以降、化学者カール・ボッシュとともに開発した「ハーバー・ボッシュ法」は、空気中の窒素と水素から化学肥料の原料となるアンモニアを化学合成する方法で、「空気からパン」を限りなく生み出す夢の技術とみなされた。
 実際に「ハーバー・ボッシュ法」による人工アンモニア由来の食糧がなければ、世界人口の五〇億人は生存できないという試算もあるほど、現在も全世界の食糧生産に影響を及ぼす化学工業の中心的技術である。
 さて、そのアンモニアは、窒素を栄養源とする植物の化学肥料にもなるが、「硝酸」に化学変化させれば、火薬の原料にすることもできる。  第一次大戦が勃発すると、イギリス海軍は海上を封鎖して、ドイツが火薬の原料となる「硝石」を輸入できなくした。しかし、「ハーバー・ボッシュ法」による火薬の大量生産に成功したドイツは、第一次世界大戦で使用する爆薬の原料すべてを国内で調達することができた。その方法をもたらしたハーバーは、ドイツ科学界の「英雄」だった(k.470)

(妻が抗議の自殺をしても)ハーバーは、毒ガス研究を止めなかった。その後も彼は、イーペルで使われた塩素ガスを強化した「イペリット・ガス」、さらに毒性の強い「ツィクロン・ガス」を開発し続けた(k.490)

献身的にドイツに尽くしたハーバーに対して、一九三三年、ナチス・ドイツは、公職追放を宣言した。その理由は、彼は改宗したが、両親と祖父母がユダヤ教徒だからだった。
 ナチス・ドイツの科学諮問委員会では、当時のドイツ科学界を代表する物理学者マックス・プランクが「ハーバーのような優秀な科学者がいなくなったら、ドイツの物理学と化学は大変な損失を被ります」と擁護した。  これを聞いたヒトラーは激怒し、「それならば我々は、今後百年間、物理学も化学もなしでやっていけばいい」と言い放った。この事件以降、多くの優秀なユダヤ人科学者が、堰を切ったように連合国側に亡命するようになった(k.)

(ノイマンが第二次世界大戦後、ソ連に対する先制核攻撃を主張したのは)「英雄」ハーバーの思想から影響を受けた可能性は十分考えられるのではないだろうか。そもそも彼がベルリン大学応用化学科に進んだのも、父の勧めに加えて、ハーバーに憧れた一面があったからかもしれない(k.517)

(治安の悪化したベルリンでの学生生活を心配した父によってノイマンはスイスの大学に編入するが)スイス連邦工科大学といえば、アインシュタインが一八九五年に受験して不合格となった難関校である。アインシュタインは、予備校に通って翌年に合格したものの、この失敗が尾を引いて大学に研究者としては残れず、スイス特許局に勤めることになった(k.532)

ゲームについては、一九二一年、ソルボンヌ大学の数学者エミール・ボレルが最初に数学的応用に触れた論文を発表している。それに敬意を表したのか、ノイマンは「ゲーム理論」をフランス語で発表、次作の「戦略的ゲーム理論」を通常のドイツ語に戻して書いている。  ボレルの論文は、「ポーカー」で勝つための確率や「ブラフ」の利益率を検討し、数学的なゲーム理論が政治学や経済学にも応用できると述べている。そこからボレルを「ゲーム理論の創始者」とみなす意見も一部にあるが、それには無理があるというのが、数学史学界の大方の見解である(k.710)

ノイマンが、ナチスに対しては「尽きることがないほど強い憎悪」を抱いていた。ここで重要なのは、その「憎悪」以上に彼に「幻滅」を抱かせたのが、自由主義陣営の「宥和政策」だった(k.1306)

水滴は、表面張力で形状を維持しているが、そこに力を加えると分離する。原子核も電荷が抵抗力になっているが、そこに中性子が衝突すると、水滴と同じように、原子核が二つに分離するのではないか。そのイメージは、細胞が増殖する際の「細胞分裂(cell fission)」に似ている。彼らは、これを「核分裂(nuclear fission)」と名付けた(k.1416)

「マンハッタン計画」は、テネシー州オークリッジの精製工場で原材料となるウランやプルトニウムを生成する「プロジェクトX」と、ロスアラモス研究所で原子爆弾を設計し製造する「プロジェクトY」の主軸二本で進められていた。「X」と「Y」は、機密保持のために付けられた暗号名(k.1755)

ベルリン大学に入学した当時のノイマンは、「戦争を早期終結させるためには、非人道的兵器も許される」という「化学兵器の父」フリッツ・ハーバーの思想から影響を受けた可能性がある。
 ロスアラモスでは、「非人道的兵器」を開発する「罪悪感」に 苛まれていた若い物理学者リチャード・ファインマンに対して、「我々が今生きている世界に責任を持つ必要はない」と断言して、彼を苦悩から解き放っ
た(k.1820)

ノイマンの思想の根底にあるのは、科学で可能なことは徹底的に突き詰めるべきだという「科学優先主義」、目的のためならどんな非人道的兵器でも許されるという「非人道主義」、そして、この世界には普遍的な責任や道徳など存在しないという一種の「虚無主義」(k.1826)

日本が真珠湾攻撃成功で沸いていた頃、ノイマンは、未来のコンピュータやロボット、そしてブラックホールに関連する基礎研究を進めていた(k.1690)

七月一六日の「核実験成功」のニュースは、外国通信社が配信している。日本の大本営も情報を得ていたし、物理学者の湯川秀樹は広島が投下目標であることまで知っていて、友人に広島を離れるように伝えたという証言も(k.1914)一発だけでは、それしかないと日本が判断して抗戦を続けるから、二発にしたというのが定説(k.1918)もし日本が降伏しなければ、八月一九日に「東京ジョー」と名付けられたプルトニウム型原子爆弾を東京に投下する予定があった。それでも日本が抗戦を続けたら、札幌から佐世保まで、全国一二の都市へ順番に原爆を投下する計画もあった。大本営の「抗戦命令」が、どれほど時代錯誤で非科学的な妄想だったか(k.1928)ナチス・ドイツはユダヤ人を「大量虐殺」したが、当時の日本の戦争犯罪者は、日本人を「大量虐殺」した(k.1938)

 一九四四年の夏から秋にかけては、原爆設計の最終段階に差し掛かり、ノイマンは、爆縮設計の責任者として超多忙だった。彼の自由時間は、プリンストンとロスアラモスを往復する列車の中だけだったが、そこで彼は、コンピュータの「論理構造」を考え続け、手書きのメモを何枚も書いた。
 そのメモを受け取ったゴールドスタインは、一〇一ページのタイプ原稿にまとめた。そこに描かれているのは、ハードウエアとソフトウエアの分離した、かつて人類史上に存在したことのない、まったく新たな機械の定式化だった。
 その後、この定式化が「バイブル」となって、世界中に「ノイマン型」コンピュータが誕生することになったわけである(k.2088)

同じハード(機械) を使いながら、ソフト(プログラム) を変換すれば、多目的に対応することができる。その「プログラム内蔵方式」の概念を史上最初に明確に定式化したのが、ノイマン(k.2165)

ノイマンは、「純粋数学」の限界を見極めて、「応用数学」の重要性に目を向けるべきだと主張しているわけである。「経験的な起源から遠く離れて『抽象的』な近親交配が長く続けば続くほど、数学という学問分野は堕落する危険性がある」というのが、ノイマンが未来の「数学」に強く抱いていた危機感(k.2330)

ラッセルによれば、終戦後に設立された「国際連合」のような緩い機関では、とても将来の世界平和を保障できない。彼は、連合国が民主的な「世界政府」を樹立し、そこにソ連の加盟を要求するべきだと提案した。  共産党による一党独裁政権の頂点に立ち、恐怖政治でソ連を支配するヨシフ・スターリンが、そんな要求に応じるはずがない。そこで、その拒絶を「開戦の理由」にして「正当な戦争」に踏み込めばよいというのが、ラッセルの主張だった(k.2474)

(ソ連への先制核攻撃のために)アメリカは、第二次大戦終結直後から原爆の大量生産を開始し、一九五〇年を迎えた時点で、ようやく二九二発を保有することができた。これでソ連に圧倒的優位に立てたと思った瞬間、フックス事件が起こった(k.2549)

人類史上稀に見る天才ノイマンは、数学における「集合論」と物理学における「量子論」の進展に大きく貢献し、過去に存在しなかった「コンピュータ」と「ゲーム理論」と「天気予報」を生み出した。彼の生み出した「プログラム内蔵方式」の「ノイマン型アーキテクチャー」がなければ、現代のあらゆるコンピュータ製品はもちろん、スマートフォンも存在しない
(k.2707)

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July 17, 2021

"Head、Hand、Heart" David Goodhart

Headhandheart

"Head、Hand、Heart:The Struggle for Dignity and Status in the 21st Century" David Goodhart

 ジムの有酸素運動でエアロバイクをこぎながら、英語のサビ落としを目的にAudibleで聞いている本の9冊目。

 やたら出てくるのがCognitiveという単語。敷衍していえば認知力と経験的知識に基づいた学習能力みたいな感じでしょうか。

 社会的流動性を可能にする教育の役割の重要性と、実際には格差固定・拡大につながっている問題はサンデルの"The Tyranny of Merit"、"The Vanishing Middle Class"Peter Temin、"How Democracies Die" Steven Levitsky, Daniel Ziblatt、"Our Kids"Robert Putnamと米国の事例を中心に読んで(聴いて)きました。この本も学習能力による達成(Cognitive achievement)が実力主義として蔓延し、技術的(手)と社会的スキル(心)の価値を切り下げ、そうした仕事をする人々を疎外している例をイギリス社会で検証する、みたいな内容。

 例えば1976年、シェフィールドには45,000人の鉄鋼労働者と4,000人の学生がいたのですが、トニーブレアが「教育、教育、教育」という"マントラ"を唱えてから20年後の2017年には、5,000人の鉄鋼労働者と60,000人の学生の街に変わりました。教育マントラによって、オックスブリッジを中心とした権威的な大学を排他的なエリートたちだけのものから、50%が学位を持てるるように変えたわけです。卒業生数の増加は学位に付随する経済的プレミアムを低下させるとともに、現在、求人の40%が学位を要求するようになったそうです。

 にしても「エデュケーション・マントラ」という言葉には苦笑しました。アメリカ人、イギリス人、そしてヨーロッパ人の夢は、大学に行って専門職に就くという狭すぎるものになっている、と。

 しかし、この過程の中で進んだのは賃金の停滞と、知識労働とみなされない仕事の士気をくじくような地位の下降でもあった、と。

 結果、オックスブリッジ以外の英国の大学は、低い役に立たない学位を与えるだけで、学生は債務に苦み、雇用主からはベンチマークとして活用されるぐらいになってしまった、と。こうした改革以前、学位は並外れた認知能力や文化的特権を意味していましたが、それが標準的にとれる資格となると、かつての機能を失うばかりではなく、職業訓練への投資も減らされていきます。

 バスと長距離バスの運転手の時給は、1975年以来22%上昇したが、広告および広報マネージャーの時給は111%上昇したという例を示した後の、グッドハートの「マネージャーの仕事は、バスの運転手や介護福祉士よりも役立つと本当に主張できますか?」という問いは、Bullshit Jobと通底しています。尊厳のある高齢者の飲食を助け、入浴させ、認知症の人とコミュニケーションを賢明な優しさで行うには、上質なスキルが必要なのに、と。ちなみに、こうした介護職や看護師などはピンク・カラー・ワーカーという言葉で呼ばれるようになっているみたいです(寡聞にして知りませんでした)。

 こうした全体的な傾向は自己陶酔的なリベラルな政策立案者によって形づくられたわけですが、大学に行かない人々への心理的影響または経済地理学への影響についてはほとんど考えられなかった、と。グッドハートは前の本でも大都市の大卒リートがリベラルな世界観を押しつけたことが、ブレグジットの反発を引き起こしたと主張しているようですが、こうした考え方はサンデル、パットナムなどと似ています。

 一方、大陸のヨーロッパでは「実用的な職業知能」と「基本的な仕事」をしている人々への敬意を維持できていて、それは教育制度によるものだ、としています。しかし、こうしたシステムの再調整には時間がかかりそうです。資格と官僚主義への依存の過剰がいかに不必要な労働につながったか、という見方も可能かな、と。

 終わり間際の「コンピュータのハード、ソフト開発に携わる就業人口の割合は現在でも4%」というのは聞き違いかな?

 著者はプロスペクト誌の創設者で、現在は中道左派のシンクタンクにつとめているみたいです。

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