『歴史のなかの貨幣 銅銭がつないだ東アジア』黒田明伸、岩波新書
本書は中国の銭が、日本を含めた東アジア世界に広がっていく様子を追いながら、中国の貨幣政策が、中国国内だけでなく周辺地域にもいかに大きな影響を与えたかを解き明かします。歴代中国王朝が鋳造した数千億枚に上る銅銭という小額通貨は海を越え、日本を含む中世東アジアの政治・経済・社会に巨大なインパクトをもたらしたのです。
私たちは「貨幣とは国家が価値を保証するもの」と考えがちですが、中世の日本(室町時代など)は自前の公的な貨幣を作らず、お隣の中国(主として北宋)の「古銭」をそのまま流通させていました。各国政府の保証なしに、なぜこれほど広大な商取引の回路が成り立ったのか? 著者は膨大な史料渉猟(しょうりょう)から、それを支えたのは理論や権力ではなく、日々小銭を使って買い物をする一般庶民――「エンドユーザー」たちの圧倒的な信任(交換機能選好)であったと論じます。
経済学的な観点からも「貨幣の流通量が減ると価格が下がる」といった貨幣数量説に反するような現象も史料渉猟によって明らかにしてくれます。「貨幣とは何か?」という議論を考える上でも、やや観念的な流通をスムースに成り立たせるためという理論ではなく、各国政府の保証なしに商取引の回路を成り立たせてきたのは小銭を使って買い物をする一般庶民「エンドユーザー」たちの信任だった、としています。
[マル経の貨幣理論、近経の貨幣数量説に反する歴史的事実の多さ]
これまでのマル経・近経による常識によると、貨幣は「国家の保証」「労働価値の物神化」「数量による物価連動」で動きます。しかし、本書が明かす現実によると、貨幣を動かしたのは、国家の権力ではなく、名もなき庶民(エンドユーザー)の「使い勝手の良さ(交換機能選好)」でした。
マルクスの交換理論において「貨幣の物神性」とは、人間が労働によって生み出したはずの貨幣が、まるでそれ自体に魔力的な価値や交換力が備わっているかのように錯覚される現象を指します。この現象は、人と人の社会的関係が「モノとモノの関係」として見えてしまうことに起因します。
商品は本来、人間同士の労働交換のプロセスによって価値が生まれ、それを媒介するのが貨幣と考えられてきました。これは商品の交換が直接、物々交換で行われず「貨幣」という特別な商品を介して行われることによって円滑化するからです。こうして貨幣が交換の基準として絶対化されると、その背後にある「人間同士の労働のつながり」が見えなくなってきます。結果として、「貨幣そのものが自律的な力で価値を生み出し、交換を成立させている」という幻想(物神崇拝:フェティシズム)が人々の間に生まれます。
マルクスは資本主義社会においては人間が作り出した経済の仕組み(モノ)に、逆に人間自身が支配されてしまうという疎外の構造を鋭く批判した、という流れになります。
個人的に貨幣の役割は価値尺度機能、流通手段機能、価値保存機能が貨幣の3大機能だと思ってきたのは、元々、マルクス主義の影響があったからですが、このうち歴代中国王朝数千億枚に上る銅銭を鋳造したものの、埋蔵されたり、溶かされて銅として再利用されてきた圧倒的な現実の積み重ねをみてみると、少なくとも貨幣の形で富を蓄えて将来にわたって価値を保ち続ける「価値保存機能」というものが、果たして貨幣の三大機能と呼べるのか、と個人的には怪しく思えるようになりました。
また、モノやサービスの価値を測るモノサシとしての価値尺度機能にしても、銅銭は重いので、67枚の銅銭をヒモに通して一束にしていれば100枚とみなしていたという歴史の前には危うくなります(省陌・短陌)。
また、近代経済学の基本中の基本の貨幣数量説とは逆に、農村や地域市場で流通する最小単位の「原子通貨」の流通の減少により物価が上がることもある、という史料には驚きました。
[中国の銅銭]
中国の歴代王朝にとって、通貨政策の混乱はそのまま王朝の滅亡へと直結する鬼門でした。政府が私鋳(偽金造り)を取り締まり、経済をコントロールしようとしても、流通量が不足したり、あるいは素材である「銅」そのものの価値が高騰して鋳潰されたりと、政策は常に失敗と妥協の連続でした。
中原では銅不足のため西晋で政府鋳銭はいったん途絶えました。南朝宋は五銖より軽い四銖銭の発行をもって再開しようと試みましたが長続きせず、523年の梁の武帝は鉄銭を発行するに至り、南朝は混乱します。一方、遊牧民族を支配層とする北朝は銅銭によらず、携帯に便利な布を基準とする行財政システムを構築しました。北朝の系譜を引き継いだ唐は開元通宝を鋳造しますが、中国歴代王朝は通貨政策の混乱と共に滅亡するのが常でした。
政府が銭の私鋳を止めて経済をコントロールしようとしても、流通量が不足したり品質が安定せず信用を得られなかったり、素材価格の方が高くて溶かされてしまったり、なかなか上手くいかなかったというあたりも興味深い。
そして、あまり深く考えられてこなかった市井の人々が暮らす上での交換機能選好こそが、スムーズに取引を成立させる原動力だったのかもしれないのです。売買する自由のある人がある程度の規模で集まれば、租税を賦課する権力の介在なしに、貨幣は自生する、と。彼らの間で価値が認知されれば素材価値は二の次となり、基底で貨幣として流通する。
事実、日本を含む東アジアで流通していた銅銭の大多数は北宋の年号を鋳込んだ「古銭」で、それに頼って売買を行っていたわけです。日本でも最初は貨幣としてではなく梵鐘などの材料としての銅を必要としており、中国王朝の銅銭を軽視する政策も加わって銅銭の輸入が増加したのですが、やはり利便性が良いため、貨幣としての銅銭の需要も高まり次第に使われるようになりました。
[悪貨が良貨を駆逐する?]
本書の後半で特に興奮させられるのが、日本がこの東アジア貨幣ネットワークの「主役」に躍り出るプロセスです。
宋銭が多くの国で使われたのは、硫酸銅錬成が宋代の銅銭ストックを増大させたからです。しかし、元代の紙幣切り替えや明代の銅銭停止といった政策が銅銭を周辺国へ流通させました。やがて硫酸銅錬成を取り入れた日本が輸出した銅は各地で模造銭を生み、古銭で成り立っていた既存の経済秩序は動揺し、撰銭が行われるようになるが、古銭が鋳潰されて流通しなくなると、模造銭、悪銭が公然と流通し輸出されるようになります。
16世紀ごろから旧来の宋銭、宋銭にやや似た青銅色の新通貨、一目で新しいとわかる新通貨など、ほぼ3段階程度の銅銭があり、それぞれの交換相場が形成されました。同じ銅貨でも1枚の価値が多層化。倭寇の拠点となった福建省は模造銭の中心地でもあったというあたりも初めて知りました。
金や銀といった貴金属を素材に通貨を造る場合、素材への需給が通貨としての需給に大きな影響を及ぼすことはありませんでした。しかし、銅や鉄といった安い金属で通貨鋳造する場合は、素材への需給の変動が通貨の需給を逼迫させることがあったとのこと。15世紀から硫化銅精錬が始まった日本列島の銅生産増加は、そうした宋銭の素材としての商品価値を大きく下落させました。
銅銭の「銘」は錫がないと綺麗に浮き上がらなかったのですが、日本で自前の貨幣が作られるようになったのは、錫山から安定した採掘ができるようになったからというのも驚き。以降、模造銭造りに邁進するわけで、安価な日本銅を原料として鋳造される模造銭に対して、古銭の通貨としての価値を守ろうとする動きが撰銭の本質であったというわけです。
銅銭が劣化するとかえって信用され、新しく作った貨幣のほうが信用されなかったという歴史的事実はどう説明したらいいのでしょうか。
[中国の銅銭という銭の海に終止符を打った江戸時代から始まる近世]
こうした国家のコントロールを超えた「銭の海」に終止符を打ったのが、日本の近世への移行でした。
また、東アジアでは遠隔地との取引には、古くから絹がよく使われていたほか、米が通貨代わりになるケースも多く、近代日本では銭による貫高制から石高制に移行します。
それまでの貫高制(銭ベースの経済)から石高制(米ベースの経済)への移行も含め、「中世から近世への転換」とは、国家が貨幣のコントロールを真に奪還するプロセスだったのだと、貨幣の視点から深く納得させられます。
江戸初期、参勤交代制確立に必要な街道での円滑な銅銭流通のため、寛永通宝が大量に鋳造されました。模造銭輸出で銅が流出する朱印船貿易は禁止され、宋銭など外国の貨幣流通はやっと終焉を迎えることになります。戦国、織豊期までを中世、江戸期以降を近世というのは貨幣からもいえるのかな、と。
このように少なくとも東アジアでは国家による保証は根本的問題ではありませんでした。それは日本だけではなく、他の周辺諸国でも同様だった、と。宋銭と似たようにグローバルに流通した西欧の通貨がオーストリアのマリアテレジア銀貨。アデンを中心とした紅海周辺やエチオピアではオーストリア本国で廃貨となった後も流通していたとのこと。
本書を読むと、貨幣とは国家が一方的に価値を与えるものというより、人々が実際の取引のなかで「使える」と信じ続けることで成立する存在なのだと実感させられる。宋銭が中国王朝の盛衰を超えて東アジア世界を流通し続けた歴史は、そのことを雄弁に物語っています。
貨幣とは、国家が上から一方的に価値を与えるものではなく、市井の人々が実際の取引のなかで「これは使える」と信じ、手渡し続けることで初めて成立する、きわめてボトムアップな存在なのです。宋銭が王朝の盛衰を超えて東アジアを巡り続けた歴史は、現代のデジタル通貨や金融システムを考える上でも、これ以上ない本質的な問いを投げかけています。
[目次]
はじめに 貨幣を選ぶ人々
第一章 渡来銭以前 一二世紀まで
銭の常識
還流しない通貨
原子通貨
溶かされる銅銭
良貨は駆逐されず
一一世紀、硫化銅製錬の革新性
二〇〇〇億枚の古銭
第二章 素材としての銅銭 一二世紀後半以降
布・米遣いの平安日本
過低評価される銅銭
異朝の銭
素材としての中国銭
紙幣に追い出される銅銭
絹の疋から銭の疋へ
元朝の「紙幣本位」制
海を越える銅銭
銅銭を溶かす利益
銭建て取引の普及から定期市へ
素材なのか貨幣なのか
函館志海苔の埋蔵銭
第三章 撰ばれる銅銭 一五世紀以降
公式通貨消滅の一五世紀中国
日本列島での硫化銅鉱開発
東寺の「米価」は何を示すのか
兵士と銅銭需要
日本銅の登場
模造銭ラッシュ
銅銭の色が決め手 古銭と新銭
撰銭という問題
東アジアに広がる撰銭
基準銭と通用銭
日本新鋳の銭
純銅の和製模造中国銭 きわだつ永楽銭の多さ
宋銭で取引される明代
古銭模造と倭寇 結節点としての福建南部
開元銭専用の南京
一六世紀の永楽銭
ベトナムにおける中国銭流通
銅銭流通の重層化
古銭の過高評価
多層化する環シナ海の銭貨
第四章 ビタ銭の時代 一五七〇年代以降の日本列島
倭寇の終焉
撰銭令の変化
米遣いの復活
精銭の空位化
ビタ銭の登場
列島産新銭としてのビタ銭
貫高制から石高制へ
公認されたビタ銭
領国内の公式鋳銭
領国製古銭輸出
第五章 古銭の退場 一七世紀以降の東アジア、自国通貨発行権力の始動
真鍮銭の登場
銀代替のための鋳銭
良貨万暦銭の挑戦
一六一一年、南京銭騒動
北辺防衛のための鋳銭
史上最大の古銭溶解
ベトナムの日本製古銭ブーム
街道整備と寛永通宝鋳造
寛永銭鋳造再開とビタ銭の消滅
最後の宋銭流通
東アジアにおける自由鋳造の終焉
第六章 貨幣システムと渡来銭
英領ベンガルの銅貨
小額通貨の大問題
補助通貨と原子通貨
銅銭の帝国
民の便のための通貨
商品としての銅銭
東アジアの銀貨幣
マリア・テレジア銀貨 もうひとつの渡来古銭
物価と通貨
通貨と市場
あとがき
主要参考文献
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